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虚構のシトびと

 

しょの1

 

「宇宙には特権的な場所はない」とゆうのがコペルニクスの原理である
ダーウィンの進化論が登場し宗教サイドからの攻撃の矢面に立つ役目を一手に引き受けてくれるまでコペルニクス説は人間のモラルを堕落させるものだと非難され続けた
モンテーニュも「宇宙は人間のために造られた」とは人間中心の思い上がりと批判した
これはアリストテレスの自然学に基づいている

しかしコペルニクスの仕事は人間を「宇宙の中心」とゆう「良い場所」から「追い出す」ものではなかった
ゲーテは「宇宙の中心とゆう特権を放棄して初めて人間の真の尊厳に気づいた」と評価した
カントは科学と哲学の扱う対象は違うのだとゆうことを「私の上なる星空とわたしの内なる道徳法則」とゆう言葉で示した

 

この科学と哲学の分離は20世紀半ばに出たカードでまたシャッフルされる
「人間原理」である

 

アインシュタインは先週のさいころの話の他にも
「神は頭がよいが意地悪ではない」
「知りたいのは神が如何にしてこの世界を造ったのか」
「神が宇宙を造った時他に選択肢はあったのだろうか」
などとゆいました

 

つまり
宇宙はなぜこのような宇宙なのか
とゆうことだ

 

まずはミクロとマクロのコインシデンスに戻る

 

たとえば太陽と月の視直径(見た目の大きさ)がどちらも0.5度なのはなぜか
(厳密には太陽は 0.53 月は 0.52 である)
月は衛星としては太陽家の中では主星に対してもっとも巨顔である
(冥王星のカロンは例外)

 

日蝕や月蝕の天体チンコマンコショーが人間の目を楽しませるだけのものなら
誰がいったいそんな粋な計らいをしたとゆうのか

 

何かフカー

い意味があるとゆうのか

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