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火の鳥・シン大地編

第一章 1

1937年(昭和12年)4月6日午前2時12分に立川を発った朝日新聞社社機「神風」は台北―ビエンチャン―カラチ―バスラ―バグダッド―アテネ―ローマ―パリを経由して10日午前0時30分(日本時間)にロンドンに到着した 東京-ロンドン間を94時間17分56秒と亜欧連絡飛行で世界新記録を樹立したのだった

 

朝日新聞社は明治12年に大阪で創立した

二代目社主・上野精一の妻むめ子は三田藩主・九鬼隆義の娘で 摂津国三田(現兵庫)の九鬼一族とゆえばそう『茶楽の行方』に登場したあの明治を代表する文部官僚・九鬼隆一が居る そしてその息子九鬼周造は日本屈指の哲学者であり 彼の母で隆一の後妻である波津子と東京美術学校(現東京芸大)初代校長・岡倉天心の一件は記憶に新しい 周三は天心が自分の実父ではないかと思っていた

 

今回の話は拙作『茶楽の行方』の続編としても良いだろう なにしろ第三部は三か月もあるのだ

 

 

神風の記録に満足した上野精一は 次の計画を同じ大阪のある人物に持ちかけた

 

第一章 2A

 

早速の分岐 メタバース分岐ならJ7W1震電が飛べば面白いが時代は少し違う

 

神風号は同5月12日の英国王ジョージ6世の戴冠式に際し、日英友好を訴えた朝日新聞社の訪欧飛行に使われた。旧陸軍試作機キ‐15(制式名97式司令部偵察機)を長距離向けに改造した純国産機で、名前は出発前に53万6507通の応募から選ばれた。機体長8・2メートル、翼幅12メートルで最高時速は500キロ超 航続距離2400キロメートルだった。

 朝日新聞社の飯沼正明操縦士と機関士塚越賢爾が搭乗し、同4月6日午前2時12分に東京・立川飛行場を離陸。途中11カ所に着陸し、ロンドン郊外の飛行場まで1万5357キロを94時間17分56秒、給油や休養を除く実飛行51時間19分23秒で飛んだ。

 

 

神風の命名は474万通の投票からともゆうが最終的には社内の委員会で決定した(本社に確認) 昭和12年の話なのだが既にこの名前が出たわけだ

機を設計した河野文彦はのちの三菱重工業社長で零戦の設計にも関わった 朝日新聞社機は陸軍から試作2号機を払い下げてもらったものである

火の鳥シン大地編 第一章 2B

 

社長は経営最高責任者で

社主は筆頭株主でもあるばわいをゆう

 

社旗はご存じ旭日旗だが大阪朝日新聞と東京朝日新聞は向きが左右違う

朝日新聞社は木村平八親子が明治12年に大阪江戸堀に創立した 産経と毎日も大阪創業で毎日の方が最も古い 「朝日」の由来は、「旭日昇天 万象惟明」を基に、編集主幹だった津田貞の提案「毎朝、早く配達され、何よりも早く人が手にするもの」から。

 

二葉亭四迷や夏目漱石や石川啄木らが入社した

木村平八に譲り受けた村山龍平と上野理一のコンビで社主社長を交代してゆく

この二人はいわゆる数寄者であった

数寄者とは芸道に執心な人物の俗称で特に茶人を指す 軽茶は芸道に執心ではあるが数寄者でわない 傾奇者である

上野理一の長男が上野精一であり二代目を継ぐが 途中で公職追放を受ける これは本社の問い合わせ窓口のおねいさんは知らなかった?が^ ^ つまりGHQによるものである

精一の妻は九鬼一族であり その中に九鬼周造がいる いきの構造である 今回の登場人物とする

第一章 2C

 

朝日新聞社2代目社長 上野精一は亜欧連絡飛行の次の計画のために社長室に獅子を招いた

 

ライオンくん 君を呼んだのは他でもない

 

ライオンはやめてくださいよ それはあだ名ですさかい わては吉本興業社長・林正之助でおま ホンマの獅子奮迅はウチの創業者の吉本せいお姉ちゃんだす

 

わはは その武勇伝はコメント欄参照だ

ましかし 旗がどっちゃ向いているかはテキトーにぐぐってくれればよいのだが 弊社の記事がお上に逆らうようなものが多いことは事実だ そこで旗幟鮮明として 大陸で闘っている同胞達に大慰問団を送ろうと思う シトツ協力してくれるかね

 

協力とはなにをしたらよろしゅおまんのかいな

 

君の力で我が国の優秀な芸人達を集めて欲しいのだ 兵士達への慰問に「笑い」を届けたいとゆうことなのだよ

 

なるほど それは明暗いや名案ですな やりましょう ジェニのいやお国のためならばこそ

 

かくて集められたのは 当時の最先鋭芸人達

兵隊落語の柳家金語楼(班長)を始め 粋曲の柳家三亀松 花菱アチャコ 横山エンタツ・杉浦エノスケ ミスワカナ・玉松一郎 京山若丸 石田一松 神田盧山

その名も 当時の帝国陸軍・海軍の戦闘機部隊の愛称であった「荒鷲隊」をもじって「わらわし隊」と名付けられた

亜欧連絡飛行の翌年 1938年(昭和13年)1月のことである

第一章 3

この1937-38年(昭和12-13年)に九鬼周造が何をしていたかとゆうと

 

京都帝国大学の文学部・哲学科で西洋近世哲学史講座の教授をしていた

1921年から8年ほどはヨーロッパ留学をしていて ドイツではハイデッガーに現象学を師事した パリにいた頃はフランス語の個人教師として当時まだ学生だったジャン・ポール・サルトルを雇っていた アンリ・ベルクソンと知り合ったときにエラン・ヴィタールの思想と共に遊興を覚えたことは

彼が1930年(昭和5年)に発表した『いきの構造』で日本の江戸時代の遊廓における美意識である「いき」(粋)を現象学という西洋の哲学の手法で把握しようと試みた画期的な論文に繋がる

彼の二度目の妻は祇園の芸妓であり 講義にたびたび遅刻してくるのは毎朝祇園から人力車で帝大に乗り付けてくるからだと揶揄された

 

 

ある日 いつもの如く寝坊した周三はいつもと違う様子に驚く そこは祇園の町屋ではなくパリのバティニヨール通りにあるカフェ・ゲルボワだったからである いやここは木曜会だ 私の行くべきところはローマ街の火曜会のほうなのだ と彼は思った それに今日は水曜日だ 県庁に出務する日でわないか

んなあーな とゆうなかれ 時間と自由は物質と記憶を創造的進化して生の飛躍をしたのだ

第一章 4A

 

九鬼周造の携帯がぴろんと鳴った

ガートルード(スタイン)だった

 

シューゾー 今日の巴里通報を読んだかい? イシグロが面白いことを書いているわよ

ツグジもびっくりしてた あなたの国はまさに神の国ね ルブルジェ空港はえらい騒ぎ

 

それは 神風号の記事であった 日本の一新聞社の飛行機が世界記録を打ち立てたのだ

 

朝日新聞だと? 精一さんならやりかねんな お祝いに行ってみよう 人力車はあるか

いやまて今日は木曜日だ バティニヨールから江戸堀の本社までどのくらいかかるんだ

とりま 二度寝して考えるとする

第一章 4B

 

周造ぼっちゃん パリで刊行した『時間論』はともかく パリから江戸堀まで人力車で飛ばせってのは絶対的形而超的に無理でございますよ 神風号の機関士の塚越さんに頼んで帰りの便に乗せてもらうてのはどうです 塚越さんのお母さんはイギリス人なんですが行方は不明 そうゆえば操縦士の飯沼さんが航路途中インドの上空で何やら不思議なものを見たとゆうてました 山の上に獅子のようなものを そしてその顔は人間だったと

 

うむ塚越さんも確か行方不明になったはずだ SF的にはフランク・プールとかな 飯沼さんをボウマン船長とすれば それより今日は木曜会に間に合うように帰る 車をまわしてくれたまえ

第一章 4C

 

周造ぼっちゃん 着きました

 

なに ここは大阪の江戸堀ではないぞ 東京の有楽町でわないか ここに有るのは東朝の本社だ ちょっとそこの新聞を見せてみろ

おまけに 今日は木曜日ではあるが1907年5月2日に戻っている

どうゆうことだ ちょうど今ビルから出てきた人に聞いてみよう

あなたは東朝の社員か

 

いいえ いや正確には明日からの入社です 私は夏目金之助と申します

 

夏目? とゆうことはあなたは木曜会の

第一章 5A

 

パリのカフェ・ゲルボワに集ったゲージツ家たちの会合が「木曜会」で マネ モネ ドガ アストリュク ナダール ゾラ ラトゥール ルノワール シスレーら のちの印象派と呼ばれるシトびとである 1860年代後半のこと

「火曜会」はマラルメの自宅をサロンにした19世紀末の頃の集まり メンバーはワイルド ゲオルゲ モーパッサン ルドン ゴーギャンなど

 

我が国の「木曜会」とは

1906年(明治39年)ごろから 夏目(金之助)漱石 の自宅に門下生達が集まった会合のことである 漱石が一切の教職を辞して朝日新聞に入社したのが1907年

小宮豊隆や鈴木三重吉、森田草平のほか、赤木桁平・阿部次郎・安倍能成・岩波茂雄・内田百閒・寺田寅彦・野上豊一郎・松根東洋城がいる。その他、中勘助・江口渙らの小説家や、和辻哲郎、滝田樗陰などの学者・文化人がおり、さらに後の新思潮派につながる芥川龍之介や久米正雄・松岡譲らも学生時代から参加していた。門下生とされている者以外にも、歌舞伎等の古典芸能に造詣の深かった小宮の紹介で中村吉右衛門が、あるいは森田の紹介で平塚らいてうが参加することがあった。

 

漱石の号は 大学の同窓で親友だった正岡子規のペンネームの一つをもらったものである また夏目を金ちゃんとゆぶ友人に中村是公がいる 日本の官僚・実業家・政治家だが南満洲鉄道株式会社(1906年(明治39年)設立)総裁、鉄道院総裁、東京市長、貴族院議員などを歴任した

 

今回の登場人物のシトリになるかも

 

 

岡倉天心 1863年(文久 2年) - 1913年

夏目漱石 1867年(慶応 3年) - 1916年

正岡子規 1867年(慶応 3年) - 1902年

中村是公 1867年(慶応 3年) - 1927年

高浜虚子 1874年(明治 7年) - 1959年

寺田寅彦 1878年(明治11年) - 1935年

上野精一 1882年(明治15年) - 1970年

九鬼周造 1888年(明治21年) - 1941年

林昭之助 1899年(明治22年) - 1991年

塚越賢爾 1900年(明治23年) - 1943年?

飯沼正明 1912年(大正元年) - 1941年

柳家金語楼 1901年 - 1972年

ミスワカナ 1910年 - 1946年

笠置シヅ子 1914年 - 1985年

アンリ=ルイ・ベルクソン 1859年 - 1941年

マルティン・ハイデッガー 1889年 - 1976年

ジャン=ポール・サルトル 1905年 - 1980年

第一章 5B

 

朝日新聞に連載された漱石の作品は

 

明治40年(1907年)虞美人草から

坑夫 文鳥 夢十夜 三四郎 永日小品 それから 門(明治43年)までが前期

 

明治45年(大正元年)の彼岸過迄から

行人 心 硝子戸の中 道草 明暗(大正5年絶筆)までが後期

 

前後期の間のブランクに何があったかとゆうと

修善寺大患とゆわれる大量吐血で自分が危篤に陥ったことと娘の死 この二つによって大きな変化を見る 則天去私 天にのっとって私心を捨てること 我執を捨てて自然に身をゆだねること である

今回の火の鳥第三部はまだキャスティングの模索中だが このブランクのあと書かれた『彼岸過迄』を参考にしたい タイトルは元日から彼岸まで書くつもりでつけただけとゆうテキトーなもので空しいと緒言に書いている

注目すべきはその作品構造にある

第二章 望郷 1

 

宙はいよいよ今週水曜日

花は11月公開だ

結末は違う

 

そもそも手塚オリジナルの望郷編は二つある

COM終刊からマンガ少年さらに単行本化で

何度も改稿されている

なぜこれがことさら封印されたテーマなのか

放射能障害や近親相姦や食人などが描かれる

ことと手塚治虫が医師でもあるからなのだが

今回は大地編ではあるが少し振り返っておく

火の鳥シン大地編 第二章 望郷 2

マンガ少年版望郷編(1976年9月号 - 1978年3月号)とは全く違う話の COM版望郷編は 『COM』(1971年12月号)・『COMコミックス』(1972年1月号)で この前作「羽衣編」(1971年10月号)と対になっている のちの異形編と太陽編も繋がりがある

望郷編とゆうと通常前者をさし 今回のアニメ化も前者と思う 

しかし COMの廃刊による中断があったにせよ 手塚が当初描こうとした話は違うのだ

火の鳥シン大地編 第二章 望郷 3

望郷編(初出版)のひとつ前の羽衣編は単行本で10頁増えているが 同じコマの反復で書き足した部分はあまりなくセリフが違う

今読める望郷編が違う話になったことで 羽衣編の方は未来から戦争を逃れて平安時代にスワープしたおときはズクの子どもを産むが我が子を殺そうとする話となった その理由はタイムパラドクスを避けるためである

もとは未来から逃げてきたときに「毒の光」(放射能の言葉は無い)を浴びていたために産んだ子どもは奇形児であったとゆうもの

でこれが中断したのはその題材にもよるが COMコミクスは青年誌だったとゆうことだろうか

COMは1967年から1973年まで火の鳥黎明編から乱世編を掲載した ガロの向こうを張ったCOMが少年誌だったわけでわない その同じ頃1968年にはビッグコミック(当初は月刊誌)が発刊して 手塚先生は「地球を呑む」(68-69)を初めとする大人漫画路線を打ち出す この作品は新路線の試行錯誤でまとまりはないが このあとの諸作品は黒手塚ともゆわれるダークサイドとなってゆく I.L(69-70) きりひと讃歌(70-71) 奇子(72-73) ばるぼら(73-74) シュマリ(74-76) MW(76-78) 陽だまりの樹(81-86) グリンゴ(87-89 未完)※ちなみに少年サンデーのどろろは67-68 希望の友のブッダは72-83 少年チャンピオンのブラックジャックは73-78 少年マガジンの三つ眼がとおるは74-78 特に73年には虫プロが倒産し個人的に推定1億5千万の負債を抱えた

この頃 COMで羽衣ー望郷編を描きながら きりひと賛歌を同時に描いていたわけだ

もっとゆうと 77年の時点では火の鳥望郷編(マンガ少年版)と同時に ブラック・ジャック 三つ目がとおる ブッダ ユニコ MW と6つの連載を抱えていたのである

火の鳥シン大地編 第二章 望郷 4

エデンの宙

https://youtu.be/R6W4a4XY6xw?si=Cd1aEVS4ADH0OrIg

なんちゅーてもディズニーであるところが手塚先生も苦笑いでわないだろうか シリーズで映像化されていなかった理由が近親相姦だったとゆう点でこれは違う それより望郷とゆう言葉にある もう一つの映画 花 も見ないと今はなんともゆえない シリーズ1?で四つのチャプタの理由もわからない

Plutoも映像化されるようだ 浦沢がこれをリメイクしたときわざわざ手塚家に断りに行って 浦沢解釈にするならOKとゆう許可で作られた 結果は賛否あったが あのときぼくはこれは成功と観た さらなる映像化はたぶんそのままだろう

望郷編はマンガ少年で改稿されたものよりも 当初の羽衣編ー望郷編がなぜ望郷なのかが 今回のぼくの大地編の新しいテーマになるだろう ぼくなりの解釈にするしかないとゆうことだ

ブッダが実は火の鳥東洋編であったようにシュマリや陽だまりの樹も大地編が別の形になっただけで シリーズ最後が現代編アトム編になって歴代キャストが総出演するなどとゆうのは手塚先生ご自身でないと描けないものだからだ

昔小松左京さんから聞いたことに最後は手塚治虫の話だったらみんなでぶん殴ろうとゆうことだったのだ

火の鳥シン大地編 第二章 望郷 5

火の鳥望郷編は いまぼくが持っているのは朝日ソノラマ版で 講談社版は昔持っていたが手元にない 虫プロ版?のハードカバー!もあったはずだ さらに角川版は一部が改稿削除されていて 今回のアニメはどうもこれだ ぼくは角川版を読んでいない

望郷編はつまり旧約聖書の話でカインやアベルそしてロトさらにソドムとゴモラとゆうことだ 角川版で削除されたのがカインとの近親相姦とロトの部分(食人)である

それよりいろいろ調べていたら

火の鳥“道後温泉編” とゆうのがあるでわないか

第一話では厩戸皇子が来浴する話!

第二話では夏目漱石と正岡子規が!!

第三話では一遍上人から未来まで飛んでロビタが登場とゆう

わはは これは使える

https://www.youtube.com/watch?v=E9nfh9OGDHQ

火の鳥シン大地編 第三章 予告 0

れんきゅー

大事な用事で上京するので考えてくる

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火の鳥シン大地編 第三章 師弟 1

 

アソーカの話はマスターとパダワンの話

とくにパダワンの成長とゆう問題よりも

指導するマスター自身の方の未熟にある

オビワン→アナキン

アナキン→アソーカ

アソーカ→サビーヌ

ルーク→レン

火の鳥シン大地編 第三章 師弟 2

 

夏目漱石のパダワンとゆうと木曜会にたくさんあるが なかでも芥川龍之介だ

でわ漱石のマスターは正岡子規か 俳句の師匠とゆえど同期だからこれは違う

この漱石が絶賛して朝日新聞社にも入社したのは

岡本一平

つまり岡本太郎の父であり岡本かの子の夫である

そして彼は手塚治虫のマスターともゆえるのだが

火の鳥シン大地編 第三章 師弟 3

 

文豪たちの師弟関係をSWに例えるのは無理があるが

漱石ー龍之介は オビワンーアナキンよりはアナキンーアソーカと見ても良いのでわないか この方が漱石の暗黒面とゆう「暗愁」を説明できる

暗愁とは SWにおけるルサンチマン^ ^

嫌な予感がする(I have a bad feeling about this)のようなものか

前項の相関図を 龍之介のパダワンは誰だったかとゆうと龍門四天王より太宰治をあてることもできる まーそれがサビーヌとゆうのも変ではある もちろん太宰のマスターは井伏鱒二で これは龍之介が自殺していなくなったからである

太宰治の対局に三島由紀夫がいる 三島が太宰を嫌ったのは「治りたがらない病人などには本当の病人の資格はない」とゆうたように 自分自身が病弱コンプレックスから筋トレに走ったので 太宰に対しても一種の自己嫌悪の裏返しなのである

どちらもぼくには馴染まない

火の鳥シン大地編 第三章 師弟 4

 

なかなか難しい^^

知識のある方に助言をお願いしたいところだ

SWの真の主人公は誰かとゆわれるとダースベイダーでありこれは家族ドラマだとゆうのが衆目の一致するところだから 今回の話としては夏目漱石をメインにしたいところではあるが

 

漱石=オビワン 龍之介=アナキン 太宰=アソーカにするのが師弟関係は比較的まとめやすい そもそも女性が文壇相関図にないし姻戚関係もほぼないのだ

子規をクワイガン 川端をダースモール 菊池(寛)をパルパティン 横光(利一)をスローン 三島をグリーバス 乱歩をキャドベイン 井伏をヨーダ 佐藤(晴夫)をメイスウィンドウ 内田(百閒)をソウゲレラ 朔太郎と犀星をR2と3PO 中也をサビーナ 安吾をエズラ 檀(一雄)をシンドゥーラ 谷崎をボカターン 鏡花をボバフェットまたはディンジャリン 鴎外をベイルオーガナ 二葉亭四迷をハンソロ (尾崎)紅葉と(幸田)露伴をルークとレイア など面白いのもあるが ほぼワヤクチャだ^^

永井荷風=ドゥークー 国木田独歩=チューバッカ 田山花袋=カルリジアン 志賀直哉=グルーグー 直木三十五=ジャバ とゆうのは無理があるかな

パドメをどうする? 与謝野晶子か平塚らいてうか?

火の鳥シン大地編 第三章 師弟 5

 

今度は手塚治虫の師弟関係を見てみよう

但し 手塚大先生をダースベイダーと見るなどとゆうことはとても出来ません

 

大略としてトキワ荘を中心に見ても

石森章太郎 赤塚不二夫 藤子不二雄

さらに水野日出子 鈴木伸一

弟子ではないが寺田ヒロオが挙げられる

その他 福井英一 小島功 馬場のぼる やなせたかし 横山光輝 桑田二郎 永島慎二 松本零士 永井豪 さいとうたかを 辰巳ヨシヒロ つげ義春 白土三平 水木しげる 大友克洋 萩尾望都 里中満智子 諸星大二郎 坂口尚 あだち充 いしかわじゅん 浦沢直樹 

 

アシスタント経験者は 笹川ひろし 古谷三敏 北野英明 久松文雄 石川球太 喜国雅彦 寺沢武一

そして 夏目房之介は夏目漱石の孫である

既に孫もしくはZ世代は別として およそ手塚先生の影響を受けていない漫画家はない

手塚先生自身の師匠は特にない ディズニーではなくチャップリンでもない 源流としては前述の岡本一平や北澤楽天と思われる

 

曾祖父は手塚良仙

火の鳥シン大地編 第三章 師弟 6

 

手塚治虫は阪神ファンである

 

野球との関わり合いは深く 西武のマスコットはレオ 1985年の阪神対西武の日本シリーズの時は困ったとゆう またヤクルトの前のサンケイはアトムズだった(サンケイ新聞にアトムを連載していたから) 巨人とアトムのコラボもあったのは裏切り者^^

今年は1964年の南海対阪神以来の関西日本シリーズとなるかも

1974年に決戦・日本シリーズとゆうSFがあったが これは阪神対阪急の戦いとゆうハチャメチャSF かんべむさしは今年の決戦でこの話をむしかえされたくないとインタビューを断っている

オリックスは阪急>近鉄の合併であり 阪急=阪神も統合されている どちらにせよ関西人同士が争うのではなくお祭りである

火の鳥シン大地編 第三章 師弟 7

 

今週のチャプタ最後の師弟は

アソーカの監督のデイヴフィローニ

フィローニは師であるルーカスから

たっぷりとフォースを叩き込まれた

ルーカスの友はコッポラとスピルバグ

ルーカスの師はハリーハウゼンと黒澤

そしてマスターはジョセフキャンベル

アソーカは新たな局面をむかえた

SWサーガはこうでねいとと思う

JJではだめだったとゆうことだ

アソーカ5のアナキン登場はサプライズ

また6では スローンもエズラも出るが

それよりもっとびっくりすることがある

ゼシ観よう!

火の鳥シン大地編 第四章 予告

 

ぼくはトレッキーだがSWを当てはめるのは楽しい

クローンウォーズは映画EP2あたり アニメはようやくシーズン3まで観たところで 正史の裏側がよくわかって面白い シーズンは7まである

特に今やってるアソーカに出てきた三人の魔女の由来もある このグランド・マザーたちの名前はそれぞれ“アクトゥロポー” “クロソー” “ラキーシス”

以前取り上げた神話に出てくるモイラのことである

またアソーカ第六話で 三部作なら第一部が最高と云うセリフも話題になっている 発表順が456 123なので これは4または1もしくはプリクエル(123)のことだろう もちろん三部作とはゆうがシークエル(789)はまだ起こっていない

ルーカスの予定から見るとこの家族ドラマが 時系列で123子供の話 456親の話 そして789孫の話だとして このトリロジーに423問題を当てはめることができるのではないかとゆうことだ

またルーカスは789は全く違う話にする予定もあった 6のあとの1のアイデアは当初大反対されたように

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火の鳥シン大地編 第四章 エルの糸 1

アサージやモーガンの故郷ダソミア

ナイトシスターズはモイライだった

モイラ(moira、μοῖρα)は元々ギリシア語で「割り当て」という意味であった。人間にとっては、「寿命」が割り当てられたものとして、もっとも大きな関心があった為、寿命、死、そして生命などとも関連付けられた。また出産の女神であるエイレイテュイアとも関連付けられ、やがて運命の女神とされた。

最初は単数で一柱の女神であったが、後に複数で考えられ、三女神で一組となり、複数形でモイライ(Moirai)と呼ばれる。人間個々人の運命は、モイラたちが割り当て、紡ぎ、断ち切る「糸の長さ」やその変容で考えられた。まず「運命の糸」をみずからの糸巻き棒から紡ぐのがクロートー(Κλωθώ, Klotho、「紡ぐ者」の意)で、その長さを計るのがラケシス(Λάχεσις, Lakhesis、「長さを計る者」の意)で、こうして最後にこの割り当てられた糸を、三番目のアトロポス(Ἄτροπος, Atropos、「不可避のもの」の意)が切った。このようにして人間の寿命は決まるのである。

火の鳥シン大地編 第四章 エルの糸 2

 

冥界はダークサイドとは限らない

詳しくは自習

神話はギリシャもローマも意外と明るいが悲劇ではある

モイライからペルセポネと来るのはもちろん関連は深い

大方の予想通り淀があのシトだったのは伏線回収なのだ

火の鳥シン大地編 第四章 エルの糸 3

 

SWにニーチェを読むことは出来る ジェダイは超人であり ゾロアスターのアフラ・マズダであり ベイダーはアンラ・マンユだからである

ニーチェは 娘ペルセポネを冥界の神にさらわれたデメテルを元気づけるためにバウポーが裸踊りで笑かそうとした と指摘する そこがニーチェたる死とエロスと笑いのイメージであって オルフェウスに似た神話のある古事記の天岩戸のような逸話などが思い起こされる 単なる裸踊りではなく お笑いこそがニヒリズムを克服するとゆうことではないか とゆうのはぼくの研究テーマでもある

 

月と太陽は陰陽であり一対の神話である しばしば姉弟・兄妹そして夫婦である それが喧嘩したり仲直りしたりすることである 互いに咬んだり傷つけ合ったりすることである 彼らは全裸である だから雲に隠れる だから会交する シヴァリンガ 雲雀の舌のゼリー寄せである

火の鳥シン大地編 第四章 エルの糸 4

 

ニーチェが亡くなったのは1900年8月である

夏目漱石が同年5月に文部省の命令で英国留学したのは文学研究のためではなく英語教育研究のためであった 彼はニーチェのツァラトストラを原文で読んだ当時の数少ない一人である いやタイルの英語訳かも知れない 後に日本語訳した生田長江を援助する 自身は『門』の題名のヒントにした(後述)

そのためか?

漱石はロンドンで極度の神経衰弱に陥り発狂したと思われた

1903年に帰国後 帝大で教鞭を振るうが 前任者の小泉八雲に比べて硬すぎると大不評をかった

1905年 高浜虚子に神経衰弱の治療として創作を勧められる かくして漱石は猫になるのである

火の鳥シン大地編 第四章 エルの糸 5

 

夏目漱石とニーチェについては難しい

ニーチェやワグナーにハマるとろくな事はないのでシロート衆はやめましょう そもそもこのシトは哲学科専攻じゃないのね 専門は古代ギリシャ文献学 でギリシャ悲劇とか読みまくってアポロン的とディオニュソス的とゆう対立概念を提示した でこのヨーロッパのプラトン以降の貧血状態がニヒリズムの蔓延になったわけ ニーチェにとっては真理とは何かとゆうよりニヒリズムの克服にあった しかし後には永劫回帰とかゆいだして 真理とは女性であるとゆう仮説を立てる だとすれば教条主義者には理解できないし 無骨で不粋なアプローチでは真理はなびかないとゆうことである そのマーヤーのヴェールを開けるには

>真理という女性はヴェールで覆われている。たとえ、そのヴェールの下には十全たる裸体、つまりは十全たる真理が憩っているとしても、そのヴェールを剥がして裸体のすべてを明るみに晒そうとするのは、悪しき真理への意志である。そのような悪しき真理への意志が、現前する現象を仮象であるとわれわれに見倣させ、われわれの地上世界のはるかかなたにイデアなり神の国を表象させてしまうのだ。ニーチェは、たとえそれが仮象でありはかないものであっても、また考え得るかぎりの最悪の不幸であっても、現前する現実の世界を全面的に肯定する。いわゆる仮象への愛である。眼をそらしたくなるような現実を前にしてその善悪すべてをとりまぜてまず肯定すること、それがプラトン主義・キリスト教によって蔓延してしまったニヒリズム(現実否定と彼方の世界への郷愁)を克服する第一歩なのである。ニーチェ流の一種の不可知論、すなわち悪しき真理への意志にたいするネガティヴな戒めは、現実を肯定するというポジテイヴな側面と対になっていることを忘れないでおこう。

>しかし裸体をヴェールで包んだ女性たる真理は、われわれがそのヴェールを無理に取り払おうとせずとも、むこうのほうから、その裸体の一部を、ヴェールのゆらめきのうちに、わずかであれ垣間見せることもあるのだ。ニーチェは、バウボー(Baubo)というギリシア神話にでてくるフイギュール(人物像)をもちだして、そのことを示唆している。

>ニーチェが真理だと見倣しているのは、背後世界に永遠普遍の姿で存在すると思われているような真理ではなく、死の誘惑に打ち勝って人間を現実に生きる方へとみちびくエロスであり、笑いである。男性であるニーチェにとって、女性こそは彼を生へとみちびくエロスであった。またこの女性こそが知恵だとされている。知恵たる女性はヴェールに覆われている。哲学者であり同時に男性である者は、このヴェールをむりに引き剥がそうとしてはならない。しかし哲学者が悲しみにうちひしがれ、死の誘惑に身をゆだねんばかりとなっている時、真理たる女性はときおりヴェールの裳裾をひきあげて、その裸体の一部をみせてくれるであろう。そしてわれわれを生の肯定へと導いてくれるであろう。真理とはそのようなものではないか、とニーチェはわれわれに語っている。

(小山尚之)

火の鳥シン大地編 第四章 エルの糸 6

 

漱石の机の上にはニーチェの著作がいつも置いてあった

置いたのは漱石ではなくパダワンの森田草平らであった

モイライのイタコ・3シスターズは『門』を呼び寄せる

 

・・

 

三態

 最初のニーチェは形而上学者としてのニーチェだ。著作として該当するのは『悲劇の誕生』の一冊だけ。彼はここで普遍的原初的真理について語り、ディオニュソス(ワインの神であり、欲望と陶酔の神)という名を与えている。ディオニュソスは、「最も深いところ」で格闘しながらもエネルギーに回帰するというのがニーチェの定義だ。

 この普遍的真理は、間接的な形、表面的な形を通してしか人の目には見えない。この表面的な形をニーチェはアポロン(美と外見の神)と呼んだ。形而上学者ニーチェによると、オイディプスをはじめとする古典悲劇は、アポロン的な様式のもとで、この世界のディオニュソス的な真理を提示している。

 ここでいうアポロン的表現とは、劇場における上演そのものだけではなく、役者のセリフにおける言語表現や、伴奏に使われる音楽も含んでいる。つまり、芸術には、美的な形で、人々に真理を見せるという役割があるのだ。

 ここからニーチェの有名な「私たちが芸術をもっているのは、私たちが真理で台なしにならないためである」〔ニーチェ『権力への意志』原佑訳、ちくま学芸文庫〕という言葉が出てくる。真理には善も悪もなく、世界は狂気と逸脱の陶酔でしかない。人間の恐怖と苦しみは、神からあらかじめ与えられたものではなく、ただ私たちの存在そのものが悲劇なのである。それがニーチェにとっての真理だ。

 こうした真理と直接向き合ったら、私たちは生きてゆけない。だが、幸いなことに私たちには芸術がある。ギリシャ演劇はこの真理を私たちが耐えられる形、むしろうっとりするような形で垣間見せてくれる。

だが、第二のニーチェは最初のニーチェの対極にある。第二のニーチェは破壊者としてのニーチェ、ありとあらゆる偶像を壊すニーチェである。ここでいう偶像には、形而上学、宗教、科学、言語、そして芸術や哲学までが含まれている。辛辣な批判によって、ニーチェは、精神性や文明を気取ったところで、偶像と信仰の根本にあるのは、ある種の下等な本能、多くの場合、特に恐怖という感情であることを示そうとした。

 こうして真理を信じる人間(つまり、ニーチェ自身がかつてそうだったような形而上学的な人間)は、現実の多様性に向き合うことを恐れ、偽りの真理を崇めることで逃避しようとする弱虫だと批判されてしまうのだ。

 ニーチェの目には、科学者もまた自然の森羅万象を明確にしようとするあまり、認識した現象の多様性や豊かさから逃げているように見える。リンゴや木の葉や月がすべて同じ普遍の法則に従っているというのは、多様性のなかに一貫性を求めることであり、むしろ多様性の否定にあたる。つまり、本当の姿を見ようとしていないというわけだ。

 すべてをぶち壊そうとしている破壊者ニーチェによれば、哲学もまた生の否定である。哲学的な概念(たとえば、自由という概念)は、多様な現象(人それぞれの自由な生き方、自由な瞬間)を一つの言葉、一つの理性的言語のもとにひとまとめにしてしまうからだ。言葉そのものが多様な現象(様々な形や色のテーブル)を一つの意味(「テーブル」という一語)に集約する機能をもっているのである。芸術でさえも破壊者ニーチェ(『偶像の黄昏』『人間的なあまりに人間的な』『道徳の系譜』)からすれば、生の否定であり、美化することで本質と向き合わない逃げの姿勢だと断罪される。

医者や心理学者に近いと自認したニーチェ

 破壊者ニーチェは「鉄槌の哲学」を主張したが、ここには二つの意味が込められている。まずは偶像を壊す鉄槌である。だが、もう一つ、消化器科の医師が使う小槌のことでもあるのだ。医者は患者の膨満した腹部をこの小槌で叩き、内部の音(不安など、どんな本能が作用しているのか)を聞くことで、中の状態を「診て」病状を判断する。小槌で叩けば、人の頭が、古い考えや生の否定によって、どれほど病んでいるかもわかるというのだ。破壊者ニーチェが自分は哲学者というより医者や心理学者に近いと自認するのもこれが理由だろう。

 三番目の顔は、預言者であり詩人であり、説教者のニーチェだ。ニーチェは新時代の到来を告げ、これまでの散文的な哲学を廃(すた)れさせ、もっと文学的で、詩的で警句的な言葉(『ツァラトゥストラ』『アンチ・キリスト』)を投げかける。この第三のニーチェは、第一、第二のニーチェよりも難解だが、「永劫回帰」「力への意志」「超人間」といった新たな概念を生み出した。今この瞬間が「永劫回帰」してほしいと思うほど、今この時を強く生き、欲することで、人は超人間になる(「力への意志」は現状を肯定する個人の意志の力という意味合いが大きい)。

彼は「すべての価値の転換」、ユダヤ教・キリスト教の誤った価値観や意味のないすべての偶像から解放された新しい時代を期待した。新しい時代、人間は「神殺し」をなし遂げ、自らの力や意志を神に投影するのをやめ、ようやくありのままの自分を肯定する力を十全に手に入れる。哲学者の顔は徐々に姿を消し、預言者の顔が現れる。預言者ニーチェは作品や書簡などに「ツァラトゥストラ」「アンチ・キリスト」「受難者」「ディオニュソス」と何度も名前を変えて登場する。ディオニュソスの名が再び出てきたが、さて、ニーチェの哲学をまとめることはできるだろうか。

 もし、ニーチェに一貫性を求めるとしたら、その人生観、つまりは、流れのように、酔っぱらいのように、常にやり直しを重ねる純粋なる変転のなかでも、考えつづける生き方だけはずっと変わらなかったと言えるだろう。プラトン主義や「貧者のプラトン主義」と呼ばれたキリスト教は、確定された永遠のイデア、天国、つまりは真理を約束することで、「今、ここ」の人生を否定してきた。だが、ニーチェは「今、ここ」の生に固執したのだ。

ーシャルル・ぺパン

火の鳥シン大地編 第四章 エルの糸 7

 

1958年のある日

NYCの自宅でこのクラシックを聴くカップルがいた

さて それは誰でしょう

「私たちがいつも家で聴いていたのは、ハチャトリアン、ラヴェル、ブラームスなんかだったわ」

今日が命日である彼が他に聴いていたのは

ラフマニノフ ベートーヴェン バッハである

彼にそれを教えたのは モー

火の鳥シン大地編 第四章 エルの糸 8

 

昨日の正解はこのシト

https://www.youtube.com/watch?v=Tcg2Do13RJc

 

そして今日は中秋の名月

漱石のあのセリフは都市伝説であり

そのようなことをゆうた記録はない

 

 

アソーカもいよいよ次週は最終回だ

EP7 のタイトルは「再会と別れ」だったが

原題は Dreams and Madness である

この意味するものは何か

 

・・

火の鳥シン大地編 第四章 エルの糸 9

 

明治の日本が近代国家としての体裁を整えるために急ごしらえで行った施策のシトツが西洋音楽の移入だった 新しい学制において小学校では「唱歌」中学校では「奏楽」とゆう科目がおかれた

森鴎外がオペラに魅せられた他 幸田露伴や島崎藤村や永井荷風らがこぞって西洋音楽を愛好した

マイルスにクラシックを勧めたのが

「モー」つまりビルエヴァンスなら

夏目漱石にクラシックを勧めたのは

パダワン中の異色 寺田寅彦である

彼は物理学者だが 随筆家で 俳人

「猫」に出てくる水島寒月のモデル

さて次月から大地編も本編に入るが

まずそのあたりから勉強してみよう

下は漱石が寅彦に宛てた自筆絵葉書

火の鳥シン大地編 第五章 予告

 

漱石が寅彦に絵葉書を送ったのは

百年ほど前の今日この日であった

エルの糸とは何だったのか やおいのままに

話のオーヴァーチュワが終わり本編が始まる

 

 

寺田寅彦はそのとき上野の二科会会場にいた

「天災は忘れた頃にやってくる」と彼は云う

 

 

以下次月

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火の鳥シン大地編 第五章 1 吾輩はコネがある

絵葉書が届いた

しかし10月1日では遅すぎた

でわいつそれを読んだのかと

おそらくロンドンでそれを知らなかったとゆうことはない だが帰国後に帝大で文学論の講義をしたときにはニーチェの紹介はしていてもツァラトストラには言及していなかった その後ホトトギスに『猫』を分載していた苦沙味先生はたくさんのメモを残しているのが明治38年末から39年夏頃に集中 『猫』の中では二箇所に「超人」の言葉が出てくる それが第七章で この辺りを執筆していた38年末の一週間に一気に135枚ほど書き上げている まるで手塚のような速筆だ

つまり先生は神経衰弱になるほど猛勉強した文学論の上に 帰国後に見た日本での高濱樗牛や坪内逍遥らのニーチェ論争を目の当たりにして

もう一度真剣に読み返したのである

その時先生は35歳で(史実では37)

7月〜9月末までの頃のはずなのだ

 

 

遡って 1896年(明治29年)

わたし寺田寅彦が熊本の五校の生徒であった時に

英語教師として赴任して来たのが 24歳の先生だ

(史実では29)

火の鳥シン大地編 第五章 2 吾輩は下戸である

 

夏目漱石も寺田寅彦も酒は弱かった

明治32年 日本初のビアホールが銀座8丁目にできた 恵比寿ビアホールである 当時の女工の日給が20銭ほどの時代にジョッキ一杯10銭と高かったにもかかわらず連日の大盛況 つまみは当初ダイコンの短冊がついたがウケなかったので一ヶ月でなくなった

正岡子規はその最後の作品となる『病牀六尺』で、「自分の見た事もないもので、一寸見たいと思ふ物」の一つに「ビヤホール」を挙げている。この原稿が雑誌『日本』に掲載されたのは1902(明治35)年5月のことである。病の床にあった子規のところにも、知人を通してビアホールの大盛況の様子が伝わっていたのだろう。

漱石のパダワンの一人 鈴木は毎日の一升酒でマスターにおこらえている 酒は飲んでも飲まれるな と

酒癖の悪いのは中原中也であり 太宰治や坂口安吾によく絡んだ 他に酒乱は梶井基次郎 また幸田露伴は酒仙で知られる

珍野苦沙味先生は何を飲んだかとゆうと

神田の某亭で晩餐を食う。久し振りで正宗を二三杯飲んだら、今朝は胃の具合が大変いい。胃弱には晩酌が一番だと思う。タカジヤスターゼは無論いかん。誰が何と云っても駄目だ。どうしたって利かないものは利かないのだ。

寒月と傾けた三杯の正宗はかに利目がある。これからは毎晩二三杯ずつ飲む事にしよう。

そして吾輩も 飲み残しのビールを舐めたおかげで

イドに落ちた

火の鳥シン大地編 第五章 3 吾輩は寝転んでいる

 

寺田くん なぜ10月1日では遅すぎるのかね

 

先生はご存知ない事なのですが関東にみぞうゆうの天災が怒るのです その時の文豪たちの行動についてはあとでご説明しますが その神一重の天才は忘れた頃に帝都にやって来ました 1817年 文化年間の惑星直列以来の人妻違えば大惨事です

 

それは近頃流行りの相対性原理とゆう奴よね

 

ちゃいます 時間とゆうものが流れているものではないとゆうことは 口ゃ酸いなるほどゆうてきましたように 時間は勃ったり座ったりうんぞり返ったり寝転んだりしているのです その震災の時わたし寺田寅彦は上野の二科会会場に居ました

 

きみの事だから慌てずそれを分析したのだね

 

そげですね わたしのいた建物は無事だったので 外へ出て観察して回りました 龍之介くんは「地異人変記」で予告していて 先生の軸を持ち出して悠然と逃げたと佐藤くんが感心してます さらに 川端くんと吉原が無事かを見にいってます

 

パダワンたちは余が亡き後も成長しておるね

 

井伏くんはカンカン帽 泉鏡花さんは観音像を持ち出していて これはこれなりに面白い 菊池くんは行方不明の横光利一を幟を掲げて探したようです 京都にいて難を逃れた志賀くんは心配して上京し 震災後の間違った対応を非難しています

師弟関係のシトツの姿を見ることもできるな

 

渋沢栄一は天罰だとゆうのですが これにはさすが弱気の菊池寛も 天譴だとゆうのなら栄一その人が生存するはずがない と皮肉を述べ宮武外骨も拍手しています さて 上京してきて震災にあい京都に逃れて新たな出会いをした人物がいます

それは

参考:

大正12年(1923年)9月1日の時点での年齢

夏目漱石 ※1916年没(存命なら56歳)

正岡子規 ※1902年没(存命なら55歳)

森鴎外  ※1922年没(存命なら61歳)

寺田寅彦 44歳

渋沢栄一 83歳

宮武外骨 56歳

幸田露伴 56歳

泉鏡花  50歳

与謝野晶子 44歳

森田草平 42歳

永井荷風 41歳

志賀直哉 40歳

平塚らいてう 37歳

谷崎潤一郎 37歳

萩原朔太郎 36歳

九鬼周造 35歳

菊池寛  34歳

内田百閒 34歳

室生犀星 34歳

直木三十五 32歳

久米正雄 32歳

芥川龍之介 31歳

佐藤春夫 31歳

東郷青児 26歳

井伏鱒二 25歳

横光利一 25歳

宇野千代 25歳

川端康成 24歳

梶井基次郎 22歳

小林秀雄 21歳

北原武夫 16歳

坂口安吾 16歳

中原中也 16歳

太宰治  14歳

笠置シヅ子 8歳

火の鳥シン大地編 第五章 4 吾輩は寝込んだ

 

10月は黄昏の国

VIVANTは終わりアソーカも最終回

どちらも続編が待たれる

※ベイラン役のシトは今年急逝してこれが遺作

代わって始まるのが

平賀源内の登場する大奥2 10/3

新たな時間軸のロキ2 10/6

そしてPLUTOだ 10/26

この大地編も新たな局面を迎えることになった

多忙とゆうわけでわないが猫の手でも借りよう

猫や坊っちゃんは単なるお笑い路線なのか

なぜそれと同じくして草枕のような

韜晦趣味が書けるのだろうか

夢十夜はどう説明する

 

前項の 京都での新たな出会いとは

中原中也が出会った 長谷川泰子だ

彼女と中也と小林秀夫の関係は複雑

ランボォな例えとでもゆうしかない

ザロメとニーチェとリルケのように

裸の太陽と月が雲隠れする韜晦趣味

ベイランスコールとシンハティとは

北欧神話に登場する二匹の狼のこと

そして太陽と月を追いかけることだ

この二人シスでもジェダイでもない

火の鳥シン大地編 第五章 5 吾肺は結核である

 

漱石が英国留学から3年で帰国したのは発狂したわけではなく 親友である正岡子規の死を知ったからである 死因は肺結核 34歳だった 他にも樋口一葉や石川啄木が肺結核で20代で亡くなっているし 自身の長兄や次兄も結核で死んだ

彼は帰国後教職を務めるも生徒の自殺などがあり神経衰弱は悪化し頻繁に癇癪を起こし暴れることさえあった

そんなとき漱石の家に一匹の黒猫が迷い込む

妻の鏡子は猫が嫌いだったので猫を追い出すが何度も家に入ってくるためそのまま飼い猫となる 西洋では黒猫は魔女の使いなどとして不吉の象徴と云われるが 日本では古く平安時代から福猫とされている 江戸時代には黒猫を飼うと結核が治るとさえゆわれた 黒い招き猫もある

而してその黒猫は漱石を癒し 夫婦間も治し 執筆活動を進めるきっかけになったとゆうことだ

 

 

マスターのお家にいる黒猫の名前はなんですか

「ねこ」である

でわなぜご著作のねこには名前が無いのですか

それわね 寺田くん

火の鳥シン大地編 第五章 6 吾輩の辞書は三省堂新明解国語辞典第四版第三九刷である 不可能とゆう文字はない たぶん落丁である

 

明治38年の今日

漱石は猫の上篇の自序としてこれを書いた

 

「吾輩は猫である」は雑誌ホトトギスに連載した続き物である。固より纏った話の筋を読ませる普通の小説ではないから、どこで切って一冊としても興味の上に於て左したる影響のあろう筈がない。然し自分の考ではもう少し書いた上でと思って居たが、書肆が頻りに催促をするのと、多忙で意の如く稿を続ぐ余暇がないので、差し当り是丈を出版する事にした。

 自分が既に雑誌へ出したものを再び単行本の体裁として公にする以上は、之を公にする丈の価値があると云う意味に解釈されるかも知れぬ。「吾輩は猫である」が果してそれ丈の価値があるかないかは著者の分として言うべき限りでないと思う。ただ自分の書いたものが自分の思う様な体裁で世の中へ出るのは、内容の価値如何に関らず、自分丈は嬉しい感じがする。自分に対しては此事実が出版を促がすに充分な動機である。

 此書を公けにするに就て中村不折氏は数葉の挿画をかいてくれた。橋口五葉氏は表紙其他の模様を意匠してくれた。両君の御蔭に因って文章以外に一種の趣味を添え得たるは余の深く徳とする所である。

 自分が今迄「吾輩は猫である」を草しつつあった際、一面識もない人が時々書信又は絵端書抔をわざわざ寄せて意外の褒辞を賜わった事がある。自分が書いたものが斯んな見ず知らずの人から同情を受けて居ると云う事を発見するのは非常に難有い。今出版の機を利用して是等の諸君に向って一言感謝の意を表する。

 此書は趣向もなく、構造もなく、尾頭の心元なき海鼠の様な文章であるから、たとい此一巻で消えてなくなった所で一向差し支えはない。又実際消えてなくなるかも知れん。然し将来忙中に閑を偸んで硯の塵を吹く機会があれば再び稿を続ぐ積である。猫が生きて居る間は――猫が丈夫で居る間は――猫が気が向くときは――余も亦筆を執らねばらぬ。

  明治三十八年九月

 

 

黒猫「ねこ」がこれを書かせたわけではなく 漱石は早くにスターンの未完の小説『「トリストラム、シヤンデー」伝及び其意見』を取り上げていた シャンデーは白紙の頁があったり黒ベタの頁があったりタイトルだけの章があったりと読者をおちょくっている221小説だ 漱石自身の言葉をもじると「道化は色々な小片をつなぎ合わせた衣裳を身に着けている。猫をはじめとする主人公たちはその道化の服装であり、道化者自身は漱石である」とゆうことだが 大きな違いは「名前」の問題である 最後までなぜ猫に名前が与えられなかったのか

マスター漱石は「這般の理を解するものは寅彦先生のみ」とゆう

火の鳥シン大地編 第五章 7 吾輩のまなえ

 

マスター漱石のお名前は夏目金之助ですよね 猫の登場人物は一様に冷淡ですが皆名前に拘りを持っています わたし寺田寅彦をモデルにしてくださった水島寒月も川底から自分の名前を呼ぶ声を聞いています 越智東風は姓名が韻を踏んでいることを得意にしていますし 迷亭の叔父も金田の妻も苦沙弥の妻も名前について気にしています 唯一 気にしていないのは苦沙弥先生です それはラーメンの小池さんの本名が実は鈴木であるようなものでしょうか

苦沙弥は馬鹿竹ではない 内面的な弱点のせいもあるが 世間や力によるところが大きい では石地蔵だろうか それによって「牡蠣的生涯」を自ら破ることができたと思うかね 猫は単なる抽象的な語り手である

>名無しの猫が「名前」にこだわりをもつのは当然だが、その猫が「贅沢もこの位出来れば」とうらやましがるのは「小説中の人間の名前をつけるに一日巴理を探険」するバルザックの話である。しかしその話を自分には一向名前をつけてくれない主人の苦沙弥から聞くというところが皮肉である。

猫が役割をはみ出すということは猫に名前のないことが不自然になり、ついには猫に名前が与えられないではいられなくなるということである。名前を自分でつければそれは「狂気」につながる。しかし他者から押しつけられた名前を抱えてしまえばそれは「自覚心」にとらわれることにつながる。だから作者は猫に名前を与えることなく死に至らしめたのである。

 

以下次章

火の鳥シン大地編 第六章 予告

 

漱石のパダワン寺田寅彦は

科学「的」ではない視座から科学を芸術「的」に把捉した

今年のノーベル

物理学賞で アト秒の三氏(米)

3年前はペンローズ先生だった

日本初は湯川秀樹(1949)

文学賞では フォッセ氏(那威)

選考委員会は世界で最も幅広く上演されている劇作家とゆいますけどね 邦訳されていないし 皆知りませんよ

日本初は川端康成(1968)

イグノーベル賞の方は日本人が17年連続受賞中

文学賞はまだ貰っていない

今年の受賞作は

人が一つの言葉を何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返す際に感じる感覚の研究に対して

創設者のエイブラハムズによれば、「多くの国が奇人・変人を蔑視するなかで、日本とイギリスは誇りにする風潮がある」という共通点を挙げている。

その常連受賞国イギリス政府関係者は 大衆がまじめな科学研究を笑いものにする恐れがあるとしてこれを辞退 逆に自国の研究者たちの反感を買っている

火の鳥シン大地編 第六章 予告 2

 

 「馬鹿竹の話」は、辻の真ん中にある石地蔵を動かそうとして人々が「策」を弄し様々な「力」に頼って何度も試みるが地蔵は動かず 馬鹿竹が「動いてやんなさい」と頼むと「そんなら早くさう云へばいゝのに」と動き出したというものである

これは魂胆のない直接性が 有り得ないコミュニケーションを偶然成り立たせる可能性があることを意味する 牡蠣的人生を一変させるオルフェウスの竪琴かも知れないとゆうことだ

猫が また苦沙味が 道化者であり 無意味な世界にそれ以上の無意味な言葉と戯れたのは 狂気ではない

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火の鳥シン大地編 第六章 1 軽茶はかるちゃと読む

 

前章にならって名前の話から始める

女性の名前のばわいは一字も多い ねねは おねと呼ばれるが つまり お ね なので実名は ねである 同様に 茶々は 茶である お茶ではおかしいから茶々 二人の妹も一字だから とゆうのはネタであり 本名は菊子 淀とゆうのは住まいのことである 当時は淀君とは呼ばれていない 明治時代あたりで定着した呼称だ 今回の大河のラスボス

茶とゆえば 阿茶の局が登場したが もうシトリ 茶阿の局も実在する 軽口と茶々入れではない

新たな名前を追加しよう

森鷗外または森鴎外の本名は 森 林太郎である この名前もネタではない 漱石より5歳年上で文学博士だけでなく医学博士でもある この二人は師弟ではない 年齢的に見て天馬とお茶の水のようなものではないか

火の鳥シン大地編 第六章 2 水と月

 

漱石は 水星の卯

鴎外は 月星の戌(5歳上)

天馬とお茶の水については以前シンアトム今昔物語で考察したように 天馬は1954年生まれで午歳には違いないが作中にあるように丙午ではない 水星または火星の午と思われる

お茶の水は難しいが考察の結果 月星の戌ではないかと推理した 1946年生まれとなる(8歳上)

ちなみにアトムは2003年4月7日生まれで 木星の未

>天馬がゼロ王星とすれば水と火の両極の要素を持っていることは前に書いた アトムは海王星だが木星属として対極は金(属) そしてお茶の水が月王星なら 月とは天(空)であり 対極は地である この三者はそれぞれ違う次元(方角)だ

芥川龍之介は 火星の辰  アナキン

太宰治は   木星の酉  アソーカ

中原中也は  木星の未  サビーヌ

それより漱石が水星の卯とゆうのはピンと来ない

第三章で漱石をオビワンと見て 鴎外はベイルオーガナ(レイアの養父)と見たのは そんなものかと思ったが パドメを与謝野晶子か樋口一葉と見ていた

とりまクローンウォーズは全部観て 今バッドバッチをチェキしているので またあとで考察しなおそう

火の鳥シン大地編 第六章 3 三角と四角

 

漱石は和楽には詳しく義太夫などを嗜んでいたけれど 洋楽はとんと知識が無かった

それをマスターに教えたのはわたし寺田寅彦です いやまー 鴎外先生のオペラ狂いも影響したかもね

 

 

鴎外がドイツに留学したのはワーグナーが亡くなった頃である その鴎外は留学前には邦楽を含めて音楽一般に疎遠であった 彼は幼い頃から秀才で嫡子として一家の期待を担ったため 音楽どころではなかったのである ところがプロイセンつまりドイツに来て一気にエピキュリアン的素質を開花させることになる そしてひとつの大きなロマンスがあった

昨年7月ごろに鴎外の特集をした時に触れたので今回はまた別の話にする

 

・・

 

1900年頃にはジャズはまだなくて セントルイス メンフィス ニューオーリンズなどの都市において確立された「ラグタイム」とゆうピアノの演奏スタイルが原点

そのラグタイム時間をスロンしてみよう

四角から一角を削って三角にすることだ

 

・・・

 

漱石をマイルスと見れば 鴎外はパーカーかね

龍之介はコルトレーンとゆうのはどうでしょう

太宰はエヴァンスで子規はモンクかジャマール

まーなんなとこじつけはできるが無理はあるな

火の鳥シン大地編 第六章 サプリメンタル

 

再録>

森鴎外の簡浄 しょの四

簡浄とはかんたんでわかりやすいこと

晩年の鴎外が自身に戒めた文体である

ぼくのは形式に拘りすぎて内容が無い

文体的特徴を計量的に調べた考察では

源氏物語に始まり三島由紀夫などを対象にして句読点の使用方法を明らかにした研究がある

初期作品の『舞姫』などに多い文語助動詞から 後期作品にみられる文末表現のですます系助動詞などに変化がある

鴎外は文学博士であるとともに医学博士であるから

そうゆう視点はライバルであった漱石と違うところ

医者や教育者や軍人より物書きになる夢があったが

ドイツで何をしていたかとゆうと軍医である

北里柴三郎とコッホの衛生研究所にも入った

そして ベルリンで出会ったドイツ人女性が

『舞姫』のモデル つまり自伝的小説なのだ

https://www.youtube.com/watch?v=KsVExgi6p7I

 

 

これがなぜ高校の国語の教科書に載るのか

テーマとしては個人の自由意思と家や国家の枠組みの束縛との葛藤を描いたものだ 簡単にゆうと愛と出世の板挟み

 

 

石炭袋をばはや罪はてつ

主人公・豊太郎(=森林太郎※鴎外の本名)が 困っている踊り子エリスに救いをさしのべたあと

嗚呼、何等の悪因ぞ。この恩を謝せんとて、自ら我僑居に来し少女は、ショオペンハウエルを左にし、シルレルを右にして、終日兀坐する我読書の窓下に、一輪の花を咲かせけり。

とゆうくだりがある 悪因とゆうのはエリスに出会ったことがこのあと豊太郎の苦悩の源泉になっていくとゆうことだ

シルレルとは ドイツ文学においてゲーテと肩を並べるフリードリヒ・フォン・シラー(1759-1805)のことで ベートーベン第九の原詞で有名 そしてカント哲学の研究者 のちのヘーゲルやフィヒテに多大な影響を与えた

 

・・

 

エリスのモデルは実在するとゆわれている

来日した船の乗客リストから

エリーゼ・ヴィーゲルト

鴎外の子どもに杏奴(アンヌ)と類(ルイ)がいることから

アンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルト

鴎外の子に森茉莉(マリ)がいることから

エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルト

その妹で未婚で男子を出産した

アンナ・アルヴィーネ・クララ・ヴィーゲルト

火の鳥シン大地編 第六章 4 十角六角三角七角八角九角

 

これは

とかく無学を磨くには長く夜学で苦学せよ と読む

しかし鴎外は秀才で 幼い頃から『論語』『孟子』といった漢学書とオランダ語などを学び養老館では四書五経を復読した 当時の記録から9歳で15歳相当の学力と推測されている 東京医学校に年齢を偽って2歳も若く入学したところは 前の考察と逆にお茶の水よりは天馬かも知れない 語学も堪能で文学にも通じた 卒後は同期では初の軍医本部付けとなり 22歳でドイツに留学 (漱石がイギリス留学したのは33歳) そしてドイツでコペ転した 日本人と外国人が恋愛関係になるとゆう画期的私小説『舞姫』でデビューする 二十代の鴎外は戦闘的論争癖があり石橋忍月や坪内逍遥らと主観的理想主義対客観的写実主義で衝突した また当時の女性蔑視風潮ではなく樋口一葉や与謝野晶子らを称賛し 自身は『ヰタ・セクスアリス』で発禁処分を受けたりしている この作品は性欲についての話だが官能小説では無い 冒頭に『猫』の話も出てくる

後半の人生はまた次の機会にするが とにかくやたら肩書きが多いのである 交流のあった幸田露伴は晩年には鴎外を出世欲の塊と評した その露伴らと評壇の先頭に立った三十代にはだいぶ角が取れていたのだが

この露伴先生はまた違ったお家で将軍に使えた茶坊主の家系だった よって歌舞音曲には詳しく二人の妹である延と幸はボストン音楽留学第一号と二号である ちなみに第三号は延のパダワン滝廉太郎だ

月を渡り橋の袂に待つ夕船の

 有りやなしやを知る術もなし

夜の城に映し出される万華鏡

 紺青をひとつだけ持ち帰り

その日より魂にわかれし咎をなほ

 独り切るやもそのみだれ髪

暗やみの潮騒のなか湯浴みする

 きみの影絵を踏むは躊躇ふ   景勝館漣亭

月山水の向かふに見える山あひと

 ここはふたつの国境なり   湯乃元館湯茶寮

ふりかへり許したまへと垣間見る

 想ひ想ふや天の浮橋   松露亭・渓山閣

火の鳥シン大地編 第六章 5 三角野郎

 

鴎外がヰタ・セクスアリス(1909)でおこらえて発禁処分を受けたのは 彼が軍人で陸軍軍医総監とゆうトップの地位の人物だったからである

彼は弟子を取ったり党派を作らず 西洋風の社交的サロン雰囲気を好んだ

しいてパダワンを見るなら田山花袋またそのパダワンは谷崎潤一郎である

一方で鴎外がライバルとして認めていた漱石はその同じ頃『三四郎』『それから』『門』の三部作において 個の自立と我執 姦通とゆう極限状況の性愛倫理的根拠 背徳の浄福と不安を描き 修善寺で大吐血する

この違いは 鴎外が古くからある「和魂漢才」を「和魂洋才」と言い換えるほどに日本の近代化に貢献しようとしたのに対して 漱石は近代化を技術的なものではなく心の内側の解決困難な矛盾として深刻な分裂をしたことだった

しかし寺田寅彦に洋楽の手ほどきを受けたのは歓迎すべきことで 漱石を慕う者たちは多くひっきりなしに自宅に押し寄せてワヤになった そこで日にちを限定せざるを得なくなったのが木曜会である

その中にいたのが

火の鳥シン大地編 第六章 サプリメンタル2

 

鴎外の哲学的な立場については明確な答えは無い 明治の哲学者の中には鴎外は含まれない そもそも哲学の概念は西洋から入ってきたもので当時(19世紀末)は西周らの他にまだ確立していなかった 但し『ヰタ・セクスアリス』の主人公(金井)は哲学者とゆう設定である

火の鳥シン大地編 第七章 予告

 

全体としては三部作の最終シーズン3の半ばだが勉強する資料がどんどん増えて3時間以上あるつべの朗読を聴きながら関連映画を観て同時に本も読むとゆうグルジエフ三態の様相となっている

ああこの二人が師弟か(マスターとパダワン)

おおこの二人は親友か

などの発見は楽しいが レポートに終始してしまうと肝心のミメシスが作れないし本来のテーマを見失う(困)

 

次章は木曜会に戻る

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火の鳥シン大地編 第七章 1 酒乱

明治38年(1905)

38歳の漱石は『猫…』の連載を元旦から開始した

西洋では

6月にアインシュタインが特殊相対性理論を発表

日本では

9月に日露戦争が終結する

この年の暮れ 漱石は銀座のビアホールで悪酔いし居合わせた客四人と暴れて築地警察のぶた箱に一泊した 現場には国木田独歩や石川啄木も居たようだ

この四人が 堀紫郎 荒畑勝三(寒村) 森田米松(草平) 太田仲三郎 でありその後漱石の自宅に入り浸る

このとき漱石は次の作品の構想の端緒を得た

『坊っちゃん』である

火の鳥シン大地編 第七章 2 モデル

 

猫も当時としては一風変わった小説だが 次の坊っちゃんもそうだ 前項のような事件が漱石を刺激した時代背景がある 坊っちゃんの登場人物にはそれぞれモデルがあるのだ

例えば うらなりは森田草平であり 彼を翻弄したマドンナはらいてう平塚明子ではないか さらに赤シャツのモデルは横地ではなく 森田かららいてうを奪った伊集院影韶だと 関川は見た

キヨのモデルは樋口一葉で 漱石の妻の鏡子ももとの名前はキヨなのだが

伊集院もらいてうに翻弄された一人なのではないか らいてうは新時代の女性だったとゆうことだ それが塩原事件であり 漱石は後始末をする羽目になった しかしらいてうは不満を示して木曜会を抜ける

塩原事件の元ネタとはダンヌンツィオである

火の鳥シン大地編 第七章 3 坂道

 

昨日は厚労省の研修会で上京したので

時間の合間に現地取材したわけである

東京は坂道が多い 漱石も鴎外もこれらの坂道を散歩した 山路を登りながら… ではなく 坂道を登ったり降ったりしながらこう考えよう とゆうことだ なぜ詩が生まれて画ができるのかと

研修会場の一ツ橋ホールを出て神保町から三田線に乗る 春日の金剛寺坂からスタートするのは時間がかかりすぎる 春日には樋口一葉菊坂旧居跡もある また神楽坂回りもまったく方角が違う そこで白山で降りて途中から逆回りすることにした 緒方洪庵の墓もあるがこれは今回の話ではないので まずは東に向かった 文京区の住宅街の狭い坂道をのんびりと歩く 猫には出会わない 夏目漱石旧居(猫の家)とゆうのは現在跡地であって記念碑だけだ 今は日本大学医学部になっている これはいささかあいそない いずれ明治村へ行くことにしよう 三四郎池はまた少し遠いので 根津裏門坂から薮下通りの坂道を上がり 鴎外記念館(観潮楼跡)へ ここでちょっと休憩してコオヒと鴎外スイーツセットとゆうものを食べる 芋坂の羽二重団子の替わりである とゆうところでそろそろ帰りの新幹線の時間も迫ってきたのでここで断念 団子坂を下り 千駄木から日暮里を経由して東京駅へと向かった

数時間でとても回れるものではない

このあたりは初めて来たが

日暮里周辺には 幸田露伴旧宅跡や 宮沢賢治旧居跡 高村光太郎旧居跡 坪内逍遥旧居・常磐会跡 谷中銀座の夕焼けだんだん また青鞜社発祥の地 講談社発祥の地 らいてうが通った座禅道場「両忘庵」(擇木道場)もあるんだがねー

観潮楼の由来は 二階の書斎から東京湾を見ることが出来たとゆうもの

ここで与謝野鉄幹・伊藤左千夫・佐々木信綱・石川啄木・吉井勇・木下杢太郎・斎藤茂吉・北原白秋らの青年歌人が流派を超えて参加し論議を交わしていた

火の鳥シン大地編 第七章 4 煤煙

 

明治42年(1909)正月 森田草平(29歳)はマスター夏目漱石の勧めで東京朝日新聞に小説を連載した

『煤煙』

その数年前 お茶の水女子大附属高校から日本女子大学さらに二松学舎大学から津田塾大学を経てさらに成美高等英語女学校に通う とゆう才女がいた 彼女はそこでテキストとして読んだ『若きウェルテルの悩み』で文学に目覚める そのとき東大出の新人教師・生田長江のゼミに参加 生田とゆえば与謝野鉄幹・晶子夫妻の家の隣に住んでいて 後に漱石の影響下でニーチェのツァラトストラを翻訳した人物で そのパダワンには佐藤春夫らがいる 生田の 女性のための文学講習会「閨秀文学会」には与謝野晶子も聴講していた 彼女は生田の勧めで処女小説『愛の末日』を書いた それをゼミの講師で生田の友人である森田草平が読んだことから話は始まる

その才女とは らいてう平塚明(はる)である

『元始、女性は太陽であった』

https://youtu.be/xUCRDy-N_54

火の鳥シン大地編 第七章 5 雷鳥

 

ど、何うしてこんな女が出來た

私は女ぢゃない

 

 

平塚明(はる)はこのとき22歳だった らいてうの名前の由来は後述する

前項の生田長江「閨秀文学会」で森田草平にせまられた彼女は ハイカラな家庭に育ったが男女のことや性愛についてもともと興味は無かったのである 自分の葛藤の理由を求めるために 宗教書や哲学書を読んで禅の公案修行をしていた ただし 海禅寺の若僧にいたづらキスをしたことは後に別な結果を生んだ

森田は文学青年でありからきし覚悟の無い男だったので 明=朋子に見透かされることになる 塩原事件とはこの二人が心中未遂を起こした事件である その元ネタは二人がダヌンツィオの『死の勝利』に酔ったのであろうとゆうことで 平塚が本気で禅学を究めたなら死ぬの生きるのと騒ぐことは無かったはずだと二葉亭四迷は批判した

この事件で世間からボロカスにゆわれたのは平塚だけで森田の方はそうではなかった 漱石はパダワンの森田を擁護した そしてこの一件を小説に書け とゆわれてできたのが『煤煙』である 平塚は漱石をインチキであると呆れた そしてスキャンダルなどいっこうに意に介さぬ彼女は心中行の雪深い山中で見た雷鳥の姿を思いだし 『青鞜』の寄稿文に「平塚らいてう」を名乗ることにした 死に損ないのこんじょなし森田を介抱はしたがそれより大自然の姿の方に目を奪われていたとゆうことだ

火の鳥シン大地編 第七章 6 死の勝利

 

ダンヌンツィオは同時代のイタリアの詩人

ダンテやニーチェなどに影響を受けたシト

そして誰に影響を与えたかは自習すること

『聖セヴァスチャンの殉教』は三島が実践

『イノセント』はヴィスコンティが映画化

『死の勝利』は生田長江らが翻訳した 森田草平はそれ以前に英訳本か独訳本で読んでいる 平塚明(はる)は独逸語版を貸してと森田にねだったとゆう しかしこれは媚態であり彼女は独逸語は読めない

この作品は三部作の三作目にあたり 一作目が『快楽』 二作目が『犠牲』(イノセント) その二つは森田が翻訳した

情死の話である ダンヌンツィオがこれを書いたのが29歳のとき 明治27年(1894)

再掲

日本における固有の道徳意識や美意識

たとえば ロミオとジュリエット トリスタンとイゾルデ 若きウェルテルの悩みなどを見ても 最後に男女が相果てるとはゆえ 西洋にはほぼ見られない形式がある

それは「情死」である

日本文学では 新内の他に 近松門左衛門の心中もの 島村抱月・松井須磨子 大磯心中 太宰治 などなど有名なものが多々ある

情死の対語は オージーである オーズィーではない つまり 乱交のこと

これは明るい 健全かどうかはともかく広場の快楽である 日本にもあることはある 快楽とは本来個人的独占的なものであるから「汝の隣人を愛せ」とゆうような空念仏では意味が違うのであって 他人の苦痛が自分の快楽になったりその逆になったりするのは性愛の世界においてのみ可能なことだ

 

ニーチェは死の誘惑に打ち勝つことが真理であるとしたのだが

森田は死の勝利を実践しようと明に持ちかけて コケた 心中未遂で評判を落とした森田はあわてて『煤煙』を書いた この三部作からネタを拾っていたわけだ 内容は告白的私小説であり明との実際の会話も使っている 彼は明に読んで欲しかったのだろう 力作ではあるもののそこが女々しく 事情を知っている者はよくもあんな綺麗事をと評した 結果として明にフラれる

決然たる新時代の女性 平塚らいてうの誕生だった

「今回私のいたしましたことは何処迄も私の所有である 他人の所有を許さない」

「わが生涯のシステムを貫徹す」

火の鳥シン大地編 第八章 予告

 

火の鳥未来編に『若きウェルテルの悩み』の引用が二箇所ある

 

 

明治39年のある日

平塚明子は

浅草の海禅寺で

ひとり座禅の修行をして

夜も8時を回り

帰り際 

出口まで送ってもらった青年僧に

チッスをした

彼女にとってはたんなる挨拶のつもりだったのだが

それで歴史は分岐した

 

・・

 

夏目先生

なんぢゃ寺田寅彦くん

世界初の探偵小説をご存知ですよね

うむ ソフォクレスのオイディプス王ぢゃな

犯人は

探偵自身であった とゆうことよ

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火の鳥シン大地編 第八章 0 ベアハテン・エゲンツン

夏目先生

 

なんぢゃ 寺田くん

 

ソモソモ今回の話がナンで火の鳥に繋がってゆくのかとゆう質問があったので あちこち資料をひっくりかやしてたら どこで読んだかわからんなったのですが らいてうはスピンクスである とゆうのが

 

あーな 来週まで勉強しておきたまへ 四二三問題の解となろう

 

その前に昨日のロキの配信を見のがしたので ちょっとみてきま

火の鳥シン大地編 第八章 00 ヴォルベライツン

 

夏目先生

 

なんぢゃ 寅ちゃん 優勝のお祝いはまだやで

 

そやのーてですね

 

前項のいたづらチッス事件は平塚明(はる)子自身が『若きウェルテルの悩み』を読んだからと後に自伝でゆうてますが どうも時間軸が違うんでさっそく調べましたところ

 

 

明治19年(1886) 平塚明子東京の麹町に生まれる

35年 ※漱石 英国留学から帰国

36年 17歳 明子 日本女子大学家政学部に入学

38年 ※漱石『吾輩は猫である』で小説デビュー

   19歳 日暮里の禅の道場「両忘庵」に通う

  ※※アインシュタイン特殊相対性理論発表

39年 ※漱石『坊つちやん』ホトトギス誌に発表

   20歳 道場主・釈宗活アメリカ布教のため

浅草の海禅寺で接心会に変わる

ここで「いたづらチッス事件」相手は中原秀嶽

二松学舎大学 津田塾大学で漢文や英語を学ぶ

40年 ※漱石『虞美人草』連載 朝日新聞社入社

   21歳 成美高等英語女学校入学

『若きウェルテルの悩み』を読んで文学に覚醒

生田長江に師事 森田草平に出会い恋仲になる

41年 22歳 塩原事件 栃木県那須・雪の尾頭峠

   ※漱石『三四郎』 美禰子のモデルは明子

    翌年『それから』翌々年『門』の三部作

44年 24歳『青鞜』発刊「らいてう」を名乗る

事件後の傷心を癒すため長野で見た雷鳥による

海禅寺住職となる中原秀嶽と再会 交情を持つ

火の鳥シン大地編 第八章 1 ツァイトヴァリアント

 

夏目先生

 

なんぢゃ 三太夫

 

ちゃいますて 寺田寅彦ですよ

時間の矢について調査報告です

ロキに出てるTVAによりますと

TVAだと テレビ愛知かね それとも台湾観光協会かな いや東京ヴィジュアルアーツとか

ちゃいますて 時間変異取締局

らいてうの紡いだ原糸をモイライにチェックさせましたところ やはり次元分岐が起こっているんです

ロキ2エピ3の舞台になった1893年のシカゴ万博は コロンブスのアメリカ大陸発見400周年で このとき第一回万国宗教会議が開かれて日本から釈宗演らが出席しています この僧は初めてアメリカに禅を伝えたシトです 確か鈴木大拙のマスターでもある でこの釈宗演のパダワンが釈宗活で 両忘庵でのらいてうのマスターとゆうことがわかりました

さらに日本からの評議員岡倉天心は鳳凰殿を設置建設したのですが

火の鳥シン大地編 第八章 2 ツァイトガイスト

 

寺田寅彦くん

 

なんぢゃ あ すません 一ノ関教授いや夏目先生

 

一ノ関ぃ 誰ぢゃそれはっ 余は帝大教授の道をも

断ったジャーナリスト兼作家だぞ それよりもその

釈宗活どのには余もお世話になったことがあっての

そのマスターで円覚寺の釈宗演老師に参禅したのだ

余が死ぬときには導師をお願いしようと思っている

釈宗演老師にはさらに今北洪川さまとゆうマスターがおってな 『禪海一瀾』とゆう書を残された これをあるとき目にしてジェダイの覚醒をしたのが平塚明子20歳である 彼女がギョェテを読んだのはもっと後ぢゃ チッスのきっかけはこれなのだ

きみは「父母未生以前本来の面目は何か」とゆう公案を知っているか 余はそのうちこれについて小説を書くつもりだ 古くは松尾芭蕉がこの公案を佛頂和尚に問われ「蛙飛びこむ水の音」と答えているが 余の答えはともかくきみなりの答えを探せ

火の鳥シン大地編 第八章 3 ツァイトエクスペリメン

 

冬彦くん

 

あっ 夏目先生 なぜそのまなえをご存知で

 

フォースゴーストにわからぬことはないのだ

金平糖の角の研究とかひび割れの研究とかね

らいてうも実験を惜しまない女性だった 最初はキリスト教の教会に行ったのだが 神が絶対的超越者だと思えなかった 次に独逸観念論を読みまくる スピノザ ヘーゲル ショーペンハウエル ニーチェなど 余はスピノザのレポートを書いて欲しいと頼まれたことがある ただ明は哲学書や文学書を読んで覚醒するタイプではない だからわざわざ長野くんだりまで行ってジャックインするのだ 『禅海一瀾』を目にする前に「予が見神の実験」を読んでいる

余のパダワン森田草平では相手は無理ぢゃ あいつは童貞だ どこどの食堂でくらいついていたのを徳冨蘆花くんが目撃しているが 翻弄されたのは森田の方であれだけの事件を起こしたのに最後までヤってないのよ たぶん赤シャツ伊集院とも

らいてうが自らその身を投げ出したのは 星月夜のキスからX年後に再会した中原秀嶽なのである

火の鳥シン大地編 第八章 4 ツァイトウンケア

 

夏目先生 お久しぶりの「逢魔が刻」でございます

 

芥川くん それは何年だ 明治は遠くなりにけりか

 

私が漱石山房に初めて伺ったのは大正4年頃ですね

 

とゆうことは京都でまた倒れるときだな 大友のおたかには世話になった 今日はきみにスピノザのレポートを書いてもらおうと思ってね マリア観音の平塚くんに頼まれたんだよ

 

このシェア先にあるコメントだけでは不十分なのでスカー 確かに私はマリアを仏像化したいとは思ってますが 今は明治時代で『黒衣聖母』も『西方の人』もまだ書いていません

 

だから寺田くんもゆうているように こないだアインシュタイン博士が時間をコペ転したんだ ホーキング先生とペンローズ先生が喧嘩するのはまだまだずっと先のことなんだがね

 

今の神聖時間軸 つまり明治41年頃ですと 私はまだ中学生 小山内さんが第一次『新思潮』を出したばかりで 第二次は平塚さんと同期の谷崎さんや和辻さん 第三次でやっと私やキクチくんが参加します 拙作『鼻』で夏目先生にお褒め頂くのは第四次で大正5年(1916)のことです

 

平塚くんは『青鞜』の創刊号で「原始、太陽は…」と書いたが彼女は月王星の戌なのだ 塩原事件の後で信州に引きこもって ポオの『黒猫』の翻訳とかやっていた そのときエクリプスを見たのだろう 我が国で初めて皆既日食が観測されたのは明治20年 平塚君が生まれた翌年である

 

 

平塚らいてうが最初にはまった独逸観念論の源流は カントより一世紀も前のスピノザまで遡る アインシュタインが「神はサイコロを振らない」とゆうたこの神は「スピノザの神」のことである しかし 彼女はサイコロを振った マリア観音だからだ

御降になるらん旗の垂れ具合 夏目漱石

隠れ住んでこの御降や世に遠し

お降りや町ふかぶかと門の竹 芥川龍之介

御降や竹深々と町のそら

御降に尻ぞ濡れ行く草履取 寺田寅彦

御降や寂然として神の鶴

御降や月代寒き朝詣

御降りの流れいでけり御所の溝 正岡子規

御降りの雪にならぬも面白き

お降りや門ふかぶかと黄昏れぬ

 いつ何刻の逢魔が刻か 軽茶一成助

火の鳥シン大地編 第八章 5 ツァイトラルング

 

芥川くん マタハリの死んだら神様よ と思うかね

20世紀初めの日本では哲学とゆう営みは疎まれた つまり秩序に対する脅威であると なぜなら厭世観による自殺者が増えるからである 例えば余の教え子である藤村操は「不可解」とゆう遺書を残して華厳の滝に身を投げた そのおかげで余の胃には穴があいた 遺書にはハムレットのホレーショの哲学とゆう文字もあった またダンヌンツィオの『死の勝利』に憧れた尾頭峠の心中行 きみも太宰も川端も三島も自殺する 後追い自殺は世界的にもウェルテル効果と呼ばれる社会現象的放射性伝染病だと実証されている しかし哲学はビョーキを増やしただけではない 文学と結びついたのだ

特にこの頃に増えた 目覚めた女たち 

青鞜 闘争的なるブルーストッキング

http://hanaha-hannari.jp/emag/data/hiratsuka-raichou01.html

もともと青は人の物ではない 人は青がよく見えない

青を未熟なものとするのは赤(熟)に対応するからだ

青は聖母マリアの色で西洋絵画ではアトリビュート 海の星(マリアステラ)から来ている 12世紀頃はラピスラズリ(12月の誕生石)を砕いて作ったウルトラマリンの顔料があった フェルメールブルーである

『青鞜』は 平塚らいてうが編集した明治から大正までの女性による女性月刊誌 意味は"Bluestocking"の和訳 当時のロンドンの知的な婦人達のシンボルである 創業時の社員には茅野雅子(しら梅の君)など 賛助員として与謝野晶子の他 鴎外の妻や妹の名も見える らいてうの「元始女性は太陽であった」で有名な創刊号の巻頭は晶子の詩「そぞろごと」が飾った 「目覚めた女性」「新しい女」とゆうのはわかるが世間の目はふしだらな女性とみた 旧時代の男を捨てる新時代の女神であるとゆうに

火の鳥シン大地編 第八章 6

さてだれがだれか当ててみよう

① ② ③

④ ⑤ ⑥

⑦ ⑧ ⑨

火の鳥シン大地編 第八章 7

若き日の文豪 誰が誰しょの2

① ② ③

④ ⑤ ⑥

⑦ ⑧ ⑨

火の鳥シン大地編 第八章 8 ツァイトプルート

夏目先生 話の腰を揉むようですびばせん

 

なんぢゃ アブラー博士いやゴジ博士かな

 

寺田寅彦ですよ アトム編はまだ先ですて

でもアニメ版は全話まとめて配信でしたね

いっぺに見切れませんが漫画版とほぼ同じ

 

https://pluto-anime.com/

 

ところで先生は造語の神様とゆわれますが

研究者によると

「新陳代謝」「反射」「無意識」「価値」「電力」「肩が凝る」等が漱石の造語であると言われているが実際には漱石よりも古い用例がある。

                ですよ

それより当て字の方に面白いのがあります

森田くんは 先生の当て字には(1)単なる間違い(2)故意(3)文字への無頓着さによるもの と三通りあるとみています

さて先生が使った次の当て字の読み方は?

 

空疎もの

画布

糠る海

羞痒たい

冷笑ける

逡巡う

肉匙

構成る

 ※軽茶一 成助

火の鳥シン大地編 第八章 9 ツァイトコミーク

 

寺田くん アニメに当て字を入れるとしたら何かね

 

動画でいいんじゃないですか 動畫とか

 

それではおもろないな 読者もネタを期待しておる

漫画の漫は字義的に「漫然」ですからね

 

古くは山東京伝の『四時交加』や北斎漫画がある 戯画もあるな 最古の漫画は法隆寺の落書き 鳥獣戯画を描いたのは鳥羽僧正だがそれに影響を受けたのが絵入り餡のHRギーガー この明治時代だと今泉一瓢や北澤楽天だ もともとギリシャ喜劇のコミコスで「滑稽」を意味する 仏語圏のバンドデシネとは「絵の描かれた帯」 伊太利亜語のフメットは「煙」を表すフーモつまりフキダシの形だ 我が国では「ポンチ絵」ともゆう 絵画との違いはフレームの数 現時性と線上性の複合とゆえば哲学的だろう さらに視覚情報に聴覚情報を加えていごかすと映画やアニメになるわけだな コマ割とコマ撮りは違う技法で 動画提唱以前には線画とゆうゆい方もあった 動画以降は漫画映画とゆう テレビまんがはアトムによるとゆうてよい

 

あいかわらず講釈長いすね 当て字は?

 

中国で卡通動畫とかあるがこれではなんかわからん 動画だとたんにいごいている画とゆうことだけだから 広義にはそれでよいかもしれんが アトムにせよ火の鳥にせよ 浪漫が無いでわないか その浪漫の当て字も余が考えたものだが 吾你夢とゆうのはどうだ そうか 浪だな 月が綺麗ですねとは違うのだ 光は波でもある ダークサイドも表裏一体三位一体輪廻転生ぢゃ

 

はいはい 今月のオチも考えてね 先生

火の鳥シン大地編 第九章 予告 翠の朝日?

 

塩原の満寿家旅館迄行くわけにはゆかないのデ

来週せめてかにかくに取材してくる事にするカ

まー滅多矢鱈にネタ振りする了見でもないのダ

漱石愛用の煙草「朝日」を入手したに他ならン

さてさていよいよ今月今夜のこの月もあと少し

まだ登場してない重要人物をもシトリ追加して

次月には新展開でシン物語の真の謎に迫る!?

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火の鳥シン大地編 第九章 1 杳窕

金ちゃん

 

なんだい 常ちゃん

 

ぼくらは 親友だよな

 

そうだよ クラス仲間は 椅子までも

 

・・

 

正岡 子規(正岡 常規)(まさおか つねのり)、1867年10月14日(慶応3年9月17日)- 1902年(明治35年)9月19日)。松山市出身、幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。34歳没。東大予備門で、夏目漱石・南方熊楠・山田美妙らと同窓。

・・

金ちゃん

なんだい 常ちゃん

ぼくらは あれ? なんか変だな

 

そうだね 予備門の同期に武ちゃん(山田武太郎=山田美妙)っているだろ あいつ徳ちゃん(尾崎徳太郎=尾崎紅葉)と幼馴染なんだけど 小説も書くんだよ 坪内逍遥に匹敵とゆわれ 言文一致とゆうタイムマシンを発明した 笑うよな それより今度出た『国民之友』が発禁になったの知っとるか 附録に載った武ちゃんの「蝴蝶」の挿絵に初めて女性の裸体がさ

火の鳥シン大地編 第九章 2 沈吟

常ちゃん

寺田くんに誘われてクリエイター観てきたんだけどさ ハリウッドはあーゆーのが好きなんだね 子連れ狼とか七人の侍とか しかしあれが思弁的なものだとは思わない 昔からネタに困るとディックをやるけど これは珍しく原作がない またブレランの新しい形でもない あのAIのあとこべの形は昔Hanson Robotics社が作ったディックのアンドロイドだろう 子供の兵器とゆうのはアキラかな チベット風味の超能力はゴールデンチャイルド なぜかナショナルキッドまで出てきて ドビュッシーの月光やFLY ME TO THE MOONはいいけど なんでエアロスミスやディープパープルなんよ これではごった煮でわないか

金ちゃん

んなことゆいながらけっこー面白かったような顔してますね テネットやインセプションよりはわかりやすかった まーロボットネタならアトムにはかないませんよ せめてPLUTOくらいナウい解釈ができればね これで原作にないブラウてのが青騎士です オメガ因子ですよ

これスカイネットやマトリクスとは違う話で

そもそもノマドとゆう名前が体制側兵器なのがおかしい

そうなると『千のプラトー』ではないだろう

ジョシュアとゆう名前も聖書からでは無い?

マヤもマーヤーでは無い?
 

ノマド North American Orbital Mobile Aerospace Defense 神の鉄槌のイメージ アキラのソル

ニルマタ ネパール語で創造者 ニルヴァナではない

シミュラント レプリカントみたいな^^シミュラクラ

G13 突撃ロボット 元ネタはあるようだがアトムの「ロボット爆弾」では無いだろうか 手塚を読んでいるのか

アルフィー 本名はアルファ・オー 元ネタ不明

続編は無かろう^^

やるとしたら アルフィーは大覚アキラになる

やめてほしい

数年後

アメリカはデススター2のごとくノマド2を造り

トーキョーシティにリトルボーイ再びを敢行する

ネオトーキョーから立ち上がる大覚アルフィーは

百万馬力に改造 シン・ハティと七人の侍に対決

 ンなわけないて^^

火の鳥シン大地編 第九章 エアゲンツォ

 

『吾輩は猫である』(1905年) 三毛子

『坊つちやん』(1906年) マドンナ遠山 清

『草枕』(1906年) 那美

『二百十日』(1906年) なし

『野分』(1907年) なし

『虞美人草』(1907年) 藤尾

『坑夫』(1908年) なし

『三四郎』(1908年) 美穪子

『それから』(1910年) 三千代

『門』(1911年) およね

『彼岸過迄』(1912年) 千代子

『行人』(1914年) 直

『こゝろ』(1914年) 静

『道草』 (1915年) 御住

『明暗』(1916年) お延

これら十五の物語の次に来る今夜は十六夜

それもまた 未完である

火の鳥シン大地編 第九章 3 不得要領

 

金ちゃん

肝心なところがわかっていなかったようで

地上最大のロボットとゆうのは「最強の」とゆう意味ではなくて最も偉大なとゆう意味なんですよ 当初それは明快なテーマだった PTAも認めるような ところが編集部は今までと違うものを求めてきた 人間に反抗するロボットとしてのアトム そこに手塚先生のジレンマが生まれ 自ら駄作と呼んだ青騎士型ロボットを作ってしまう かつてアトラスが持っていたオメガ因子とは違うもの 人間とロボットのシトツの境界です G13監督は青騎士の話を読んだのでしょうか 突撃ロボット爆弾は命令に一瞬躊躇した それは何故か

 

常ちゃん

一切衆生悉有仏生と書いた塔婆のようなもんかな

火の鳥シン大地編 第九章 4 漱石枕流

 

金ちゃん

漱石枕流てのはもともとは枕石漱流だったんだろ 流れに枕して石に口を漱ぐてのはおかしい 逆じゃ無いか まーきみのような偏屈で西洋嫌いにとってはそれもまた執濃い話とゆうだろうがね

 

常ちゃん

中国西晋の孫楚がそのゆいまつがいを「石に漱ぐのは歯を磨くため、流れに枕するのは耳を洗うためだ」と屁理屈で言い逃れをしたとゆうことからで 負け惜しみのツオいことの故事なわけやな

 

金ちゃん

屁理屈ならきみにぴったりだ この際漱石の名前は譲ってやってもいい きみなら執濃い話より筆濃い話が書けると思う 寄席で意気投合したときからぼくはきみの漢詩の才能を充分認めている

 

常ちゃん

ところで西洋でこの頃流行りだしたカンディンスキとマルクによるブラウエライターは 独逸語で青騎士のことだ 産業革命以降の物質主義文明への対抗で 内的必然性を模索する浪漫主義だな

 

金ちゃん

PLUTOに出てくるブラウ1589は つまり青騎士ブルー・ボンのことで 由来はブルボン朝がフランス革命の1589年に起こったからだ 他にもワシリーとゆう子供の名前はカンディンスキの名前ね

 

常ちゃん

クリエイターも今さら西洋合理主義VS東洋自然主義なんて構図はアジヤを馬鹿にしてんのちゃう 青騎士がロボットの王国を作る話とは違う イラク紛争ネタのメタファーならPLUTOにもある

 

金ちゃん

きみはきっと森鴎外先生よりも国民的作家になるよ 教科書に載せられるようなとゆう意味でね ホントはえっちな描写が少ないからだが反骨精神はある どこゾの国のお祭りは今日で終わりだ

 

常ちゃん

えっちな話は苦手だよ 例えば我が国対西洋を人間対AIいや人間対猫の構図にする方が面白いんじゃ無いか それよりこないだ一高の同期の中村是公が満州に行ってみないかとゆうんだが……

 

いざないて 愚陀仏となる 秋二つ

今日もまた たちまち月も 雲隠れ

十五夜以降の月の名前は

十六夜 いざないとも読む

立待月 立って待つ

居待月 座して待つ(今ここ)

寝待月 臥して待つ

火の鳥シン大地編 第九章 5 畢竟

 

http://www.tokyo-kurenaidan.com/soseki16.htm

月も変わって五時起きよ もとい ゴジ博士は

ゴビ砂漠いやタクラマカン砂漠へ行く予定だった

まずは大連へと向かい 旅順から満鉄に乗るのだ

 

 

満鉄(南満州鉄道)は日露戦争の勝利によりポーツマス条約に基づきロシアから譲渡されたものである 明治38年(1906年)のこと 本社は清大連(日本租借地関東州)

かにかくにあって 二代目総裁の中村是公は明治41年(1909年) 大学予備門時代からの親友である夏目漱石を満州に招いた その理由は満鉄のCMである

 

 

金ちゃん その前にまだやっておくことがあるよ

火の鳥シン大地編 第九章 6 杜鵑啼血

 

常ちゃんは号をいっぱい持ってるから 漱石の号をくれたのは嬉しいが 幼名の処之助(ところのすけ)の次に升(のぼる)てのもあったよね ののちゃんに出てくる山田のぼるじゃないけど 野球が好きで「野球のボール」なんて号もあったくらいだから 昨日も観にいったのかい 清(高浜虚子)らパダワンも連れて

 

なにしろウチのクリンナップは二つあるからね 812は良いんだが肝心の345がね そのキーマンはもりしただと思う 打線は変にいぢったらあかん 弟子を信じること さとうてがウタントンでもね 昨日ゆうた先にやることてのは今週はまだ半ば シリーズが無事終わったら大陸ヘイって三部作の最終章を書こう

 

金ちゃん それより今週末は祇園巽橋へ取材に行くぞ

 

弱小少年野球チーム「死神タイガース」

ののちゃんの兄 山田のぼるはライト(補欠)

コーチはヒロオカ(開業医)

ピッチャーはクボくん

キャッチャーはキクチくん

ののちゃんはショート

ちなみにいしいひさいちはヤクルトファン

MVPは誰や

岡田ちゃう?^ ^

最後の隠しダマは青柳以外にもうシトリあった

手首骨折している梅野がなぜベンチ入りしたか

代走である!

火の鳥シン大地編 第九章 7 串戯

 

立直と云って 軽ちゃんは臍を曲げた

串戯ぢゃない ゆうた通りの結果だろ

今日はお休み 漢詩の勉強でもしよう

 

 

日本における漢詩の創作は奈良朝以前に遡る 時代によって盛衰はあるが「学問即ち漢学」なのであった 江戸時代などは経書の素読と詩文の習作とは士人の教養として幼少の時から植え付けられた

日本の知識人は本来教養として身につけていたのである それが明治時代にあって西洋文化の導入による欧化推進の気運で漢文離れの傾向が強まって 漱石や子規らは憤慨していた もっと漢籍をと

 

 

 今夏我京より郷に帰る。友人漱石書を寄せて房州近傍へ海水浴に行きたりと報ず。余戯れにこれに贈る書状中に自分を妾と書し、漱石を郎君と書す。漱石ついで端書一枚を寄す。これを見るに詩一首を録す。

 

鹹気射顔々欲黄、醜容対鏡易悲傷、

馬齢今日廿四歳、初被佳人喚我郎、

 

一読し ほとんど絶倒 以ってこれを返す

 

羨君房海醉鵝黄。鹹水醫痾若藥傷。

黄卷靑編時讀罷。清風明月伴漁郎。

 

暗愁は風流に転じた

艶骨 化して成る 塚上の苔

今に干て 江上 杜鵑哀し

 

憐れむ 君が多病多情の処

偏えに梅児の薄明を弔い来たる

南の方家山を出でて百里程

海涯 月黒く 暗愁生ず

濤声一夜 郷夢を欺き

浸りに故園 松籟の声を作す

火の鳥シン大地編 第九章 8 神往

 

金ちゃん 明治23年のこの一首だが

 

昨夜 征衣を着け 今朝 翠微に入る

雲深くして 山滅せんと欲し

天闊くして 鳥頻りに飛ぶ

駅馬 鈴声遠く 行人 笑語稀なり

蕭々 三十里

孤客 已に帰らんことを思う

 

せっかく箱根に旅行に来てんのに

すぐ帰りたいってのはなんなんよ

昨日の最後の歌だと百里も南に「暗愁」を見ているけれど 『木屑録』の天真爛漫さに比べると 此れは則ち小心翼々でわないのかね ぢつわ 帰りたい理由は他にあったんだろう

それはきっと浪漫すがあったからだと皆はゆうんだ

きみは見合い結婚で 子供もたくさん設け 生涯浮いた話はないと思われている おまけに森鴎外先生や谷崎くんは別にして 例えば近松秋江や吉井勇のような情痴小説を書かない だから東大出の国民的作家だ まー恋愛小説はあるが どうも女性嫌悪が見られる それは何かを隠しているからだ 『草枕』の那美の 『虞美人草』の藤尾のモデルは? そして井上眼科で見かけたとゆう女は誰なんだ

昨夜着征衣

今朝入翠微

雲深山欲滅

天濶鳥頻飛

驛馬鈴聲遠

行人笑語稀

蕭蕭三十里

孤客已思歸

火の鳥シン大地編 第十章 予告

 

時間軸をリセット

 

寺田牛頓(ニュートン)寅彦が気づいたときには

漱石も子規もその姿はなかった

虚数の解は不可能と看做されるべきである

しかし

【 e(累乗iπ)+1=0 】

「果ての果てまで循環する数と、決して正体を見せない虚ろな数が簡潔な軌跡を描き、一点に着地する。どこにも円は登場しないのに、予期せぬ宙からπがeの元に舞い下り恥ずかしがり屋のiと握手する。彼らは身を寄せ合い、じっと息をひそめているのだが、一人の人間が1つだけ足し算をした途端、何の前触れもなく世界が転換する。すべてが0に抱き留められる。」

オイラーの等式は

「いっぱい愛情をかけるとマイナスになる」

とゆうことだった

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火の鳥シン大地編 第十章 1 触媒

次元分岐によればこうゆう事も出来る

 

https://youtu.be/Opxhh9Oh3rg?si=dHg-FkUbKpEpTvSf

 

残された寺田寅彦は考えた

漱石のパダワンには作家になった者より学者になった者の方が多い 私もそうだ シトツには鏡子夫人が英文学者の妻になったのであって 作家の妻になったとは思っておらず 弟子たちには学者を望んだことである しかし当時は和洋かにかくに入り混じった時代なのだから 時間軸をもかくあるべし 今週はまずもう一度目盛りを戻そう

勝利の美酒とともに

 

I know it’s true

It’s all because of you

And if I make it through

It’s all because of you

火の鳥シン大地編 第十章 2 吾唯知足

 

寺田寅彦は 寺町を歩きながらこう考えた

 

子規は大陸に渡った 明治28年(1895)

漱石も大陸に渡った 明治42年(1909)

 

この二つに関連はない      しかし

明治35年に子規が没したとき漱石はロンドンに居て 旧知の親友中原是公に再会していた

漱石が満州に赴いたのは中原是公の招きである

そして 漱石は大陸で未来都市を見て驚愕した

撫順・千金寨でその未来都市の設計・建設を指揮したのは満鉄本社の建築部門のリーダーを16年にわたって務めた小野木孝治とその部下たちである

撫順炭鉱が寒村からゴールドラッシュの如く発展したのはそのためであるが 新たに千金寨の市街地の下に極めて良質な大炭層が見つかり そこから露天掘りで採炭するため市街地ごと約5キロ北東にそっくり移転することになったのである そのため近代都市・千金寨はたった20年で幻と消えた しかし 地下にはもうシトツとてつもないものがあった

火の鳥シン大地編 第十章 3 満韓全席所々

 

漱石が満州に赴いたのは 明治42年9月からで

寺田寅彦は同年3月頃にはベルリン大学にいた

彼が留学から帰国したのはその二年後であった

但しそれぞれ関係はないから時間織り機を使う

帰りは西回りのアメリカ経由で帰っているので

織り機で反転し まず大連に着いたことにする

 

 

明治42年10月 寺田は酸性雨の降る街に立った

露天掘炭鉱に立ち上る蒸気が雨を降らせていた

大連から444キロほど北東にある 撫順である

寺田は そこである人物と待ち合わせのために

帰国をわざわざ遅らせて満鉄に乗ったのだった

哈爾賓はまだずっと先方だが こことは違って

それは満州語で白鳥の意味だ と教わっていた

https://www.facebook.com/reel/203972645893652?fs=e&s=TIeQ9V

 

火の鳥シン大地編 第十章 4 or 2

 

明治42年(1909)10月の或る日 満州撫順市

 

寺田はその人物を待つ間 酸性雨の降りしきる撫順・千金寨の屋台「HUDAOSHUDIAN」で天丼を食べていた 店主は花島とゆう名前の日本人 屋台の店の他に古本商も営んでいて 太極拳も教えているとゆう話し好きの好々爺であった 歳は彼よりは6つほど上のようだ

 

今さらふたつで充分とはなんだよ よっつくれとゆうておるのに まー婦女寄り添うササビスなら良いが これも423問題なのか

 

とぶつぶつゆいながら 寺田が天丼のえびの数を確かめていると 後から肩を叩く者がいた

 

夏目漱石先生の御高弟の寺田寅彦先生ですかな 私は満鉄の代表で中原是公と申します 詳しい用件は車の中でお話ししますので ご同行願えますか

火の鳥シン大地編 第十章 5 ズブルチの偶像

 

中原は寺田をスピナーに乗せ時空へ舞い上がった

さて 車の中にはもうシトリの人物が乗っていた

 

こちらは日本からお忍びで視察に来ている陶庵先生です

 

陶庵? ひょっとして西園寺公望先生ではありませんか

 

わはは そんな雅号をもつほど風狂なものではないがね

 

前にここへ来たときは総理をやっていたからお忍びだが

今回は特別な任務があって越智宿禰に頼まれて来たのだ

 

越智宿禰って伊藤博文先生のことでしょう ご一緒で?

 

いや彼は哈爾浜市の方にいるはずだ ここでの任務とは

撫順市が実はゴッサムシティだとゆうのは知っているか

ここの地下は良質の炭層が見つかっただけではないのだ

 

わたしにはむずかしーことはようわからんのれすけろも

 

別班なら蛍石だが なんとここには無限石があったのだ

そして某国がどうやらそれをかぎつけて狙っているのだ

某国とゆうのは大きな字では書けないが露西亜のことだ

彼等は日露戦争の敗北の仕返しにあることを企んでいる

君は我国の鳳凰機関と中国の麒麟商会の話を覚えとるか

露西亜の某組織はそれとはまた違う 第三の組織なのだ

ラーダ モコシ ペルーン ダジボーグ ヴォーロス …

 

・・・・

火の鳥シン大地編 第十章 6 ヤマトホテル

 

西園寺公望は火星(冥王星)の酉

性格はまさに「火」の鳥であった

 

寺田先生には是非お願いしたいことがあるんだが

まずはお近づきの印にご一献といこうじゃないか

 

西園寺公望と中村是公の二人は早くも燥いでいた

 

満鉄が経営してるヤマトホテルにあるバーだがね

確か舞踏会もときどき開かれるんだろ 中村くん

 

ゆわば鹿鳴館のような迎賓館ですね 西園寺先生もあっちのほうは伊藤先生と張り合うほど達者だったのでしょう なにしろソルボンヌではたいそうおモテになったと聞いています いま長春から犬丸くんも来ているはずなので 岩下支配人に頼んで綺麗どころを呼んどいてもらいますか 李香蘭さんとかはどうでしょう

 

彼女はまだ生まれてませんよ それよりこの寺田寅彦に頼みとはなんでスカイ

 

昨日の「ズブルチの偶像」をもう一度見てくれ 一番下の右端が実は無くなっているんだ そこに何が描かれていたかとゆうと

火の鳥シン大地編 第十章 7 ルサルカ計画

 

さて 寺田先生にわざわざ来て貰ったのは 物理学者でX線回折に詳しいからだ

 

え゛ 私のX線の研究はまだ構想中ですよ 何でそんなことをご存じなのですか 西園寺先生

 

それより 仏蘭西のアレクサンドル・ベクレルと独逸のハインリヒ・ヘルツが発見した光電効果の話だ 19世紀の科学では光が金属に当たるとエネルギーが発生することがわかっただけだが 20世紀になってやっとアインシュタインがその利用価値を説明した 

実は ここ撫順の炭鉱から発見されたのは「無限石」 光学材料の蛍石よりもっと貴重なものだ 何に使うのかとゆうと

きみは オホーツクの海底にキャタピラの跡があるのを知っているかね この海底には或るものが密かに敷設されている それは金網のコイルだ 露西亜が密かに進めている計画とゆうのは これを使って軌道上の衛星からマイクロウェーブを送り海底のコイルを温めることだ するとどうなる 海温が上昇し海流が変わる そしてどうなる シベリアに吹いてくる寒気を日本に向けることが出来るのだ つまりこれは気象兵器なのだ 007のダイヤモンドレーザー衛星やアキラのソルやクリエイターのノマドと違って 地味ぃな兵器だがね

 

今は明治時代です 時空設定がわやくちゃに納豆?

 

これはSFだからよいのだ ミクリヤノフ博士が考えたこの計画は「ルサルカ計画」とゆう

ルサルカとゆうのは露西亜のスラヴ神話に出てくる水の神(自然現象に由来する神) 昨日のズブルチの偶像に描かれているのはこれではなく それぞれ四季を現している四つの神 剣を持つ男神は雷神ペルーンで 豊穣の角を持つ女神はモコシ リングを持つ女神はラーダ そして問題は最後の 太陽のシンボルを持つ男神(地下世界の何もない面の上にいる)はダジボーグ(太陽光の神) 像の最後に描かれていた模様は おそらく太陽である それがなぜ隠されたのか

 

さすがに私はそこまではわがんね 漱石先生なら?

 

今のところ行方不明の漱石先生の『満漢ところどころ』の最後は 先生が撫順の炭鉱を探検するところで終わっている 寺田先生にはその先を続けて欲しいのだ ついては漱石先生のパナマ帽の代わりに著明な考古学者ジョーンズ博士のハットと鞭を用意した

火の鳥シン大地編 第十章 8 レイダース

 

ジョーンズ博士のハットと鞭だと?

 

寺田寅彦はずっこけた マ確かにこの流れでは漱石先生を追ってダンジョンに行く話になってしまう

 

まずブレランのネタからほじると ある日リドリースコットのところにスピルバーグから電話があって 新しい映画のキャストにうってつけの人物を見つけたので会ってみないかとゆうことだった スピルバーグがそのとき作っていたのがレイダース その人物とはハリソンフォードだった スコットがしぶしぶ会ったところ フォードはあのハットを被ってそのままのかっこだった でブレランの完成までには(何度か特集したように)いろいろあって結局コケた しかしスピルバーグとルーカスのインディの方は大成功で5作の契約をする 二作目の魔宮は一作目の前年の話だがナチのネタを繰り返すよりも とゆうことで当初日本でやるつもりだった ところが仁徳天皇陵を舞台にしたいとゆう計画が日本におこらえて許可が降りず 今度は中国を舞台に秦始皇帝陵を掘り返そうとゆう話も却下されて 結局インドが舞台になった 三作目はまた聖書ネタに戻り 四作目はエイリアンネタまでやるとゆうわやくちゃなシリーズになる こないだの最後の五作目は監督も変わってあれだ あれはねぇ 但し続編(二作目)についてはルーカスSWの二作目のようにもっとダークにしたかったのをスピルバーグはコメディにした それはウケて 一方ブレランはコケてのちにカルトになり ずっと後の続編(2049)はまたコケるとゆう因縁があるわけだ

ブレランもインディも裏話はまだまだあるが

インディにも登場したキーホイクァンも出てくるロキ2もさらにわけわからん完結をしたので この際ぼくも考え直そう ギャグ回りの世界にするか カルトにするか ラストコーションにするか

火の鳥シン大地編 第十一章 予告

 

221はツツイでとうとうカーテンコールを書いてしまったが どうせまたやるのだろう

ロキがユグドラシルになったのであればスラヴ神話はどうなるのか あのオベリスクは?

露西亜の秘密機関はフリーメイソンなのだろうか フリーソーメンVS天麩羅騎士団とか

次の舞台は極東の巴里である哈爾浜市でアース616のセクション31を423問題する

https://youtu.be/0ouMaLRth-s?si=aTJu7VIhr-fV_XBD

 

・・・

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火の鳥シン大地編 第十一章 1 満韓前席

明治28年(1895年)正岡子規 日清戦争に記者として従軍

明治35年(1902年)『病牀六尺』 子規没(34)

明治37年(1904年)日露戦争勃発 日本初の女性監督で満州映画協会にも入社した坂根田鶴子が京都に生まれる 元祖男装の麗人 後述する某漫画・ドラマのモデル

明治39年(1906年)川島芳子(本名は愛新覺羅顯㺭)北京で生まれる 本家男装の麗人

明治42年(1909年)夏目漱石 満韓旅行

大正4年(1915年)漱石は5度目の吐血で倒れ 祇園巽橋のお茶屋「大友」の女将・磯田多佳の世話になる(下図ドラマ)

 

たしかに漱石に浮いた話はなかった しかし井上眼科で見た女性の影は大塚楠緒子(35)であり樋口一葉(24)であり平塚らいてう(85)であり磯田多佳(66)であり その全ては兄嫁・登世(24)のTVA変異体であった ※(数字)は没年

大正5年(1916年)『明暗』執筆中 漱石没(50)

 

・・・

 

大正7年(1918年)鄭蘋茹 浙江省蘭渓市で生まれる

大正9年(1920年)大鷹淑子(李香蘭)奉天省遼陽県で生まれる

大正10年(1921年)芥川龍之介 朝日新聞社特派員として上海に渡る 『上海遊記』

火の鳥シン大地編 第十章 2 死生観

 

寺田くん ルサルカ計画の目的は報復攻撃でわない 我が国の暖房政策だ シベリアがいかにサブいか知っとるけ

火が凍る おはようが凍る

などとゆうのはいささか使い古されたネタであるが卑近なところではオシッコが凍る なので厠には金槌が置いてある 曖昧宿には釘抜きがとゆうのはオイトイテ 金槌はどう使うかとゆうと ちょろっとでたオシッコがツララになったら これを金槌で叩いて外し次の小便の出を促すのだ シャー カチンと カチン シャー カチンシャー これが「カチューシャかわいや支那の夜、別れのつらさとカエルの面よ、せめて淡雪とけぬまに、神に願いを、ララかけましょか」となったのであるよ とまー こないだ訪ねてきた徳富蘇峰とゆうヰポンスキーに教えてやったところだ

またミヤザック・ヒデモフ教授にアンタ・カレーニシナと教えたら From Russia With Love of Maria だとグリコワンタッチした その通り アンナのモデルはプーシキンの娘マリア・アルトゥングだ

先生 それは結局不倫話でしょ それより先生は 健康と平和・第二巻第二編にあるマソンのしるし ムーンストーンの指輪にアダムの首を見たのですか

死への愛 だな

レフ・ニコラエヴィチ・トルストイはかく語りき

火の鳥シン大地編 第十一章 3 黄龍玉璧

 

西園寺先生 この話はスパイものなのですか 鳳凰機関と麒麟商会そして露西亜の秘密組織は無限石でナニを企んでいるのですか ルサルカ計画とやらだけでは無いのでわ?

 

寺田くん グッポイン 筆者もドナイシタインかようわからんが 中国が舞台の話だから 例えば中国歴代皇帝の秘宝と言われる「黄龍玉璧」でわないかと余は思っている

 

 それだとレイダースぽいですね 対露西亜ではないけど 著明な女間諜とゆえばマタ・ハリ(1876-1917)です 007はもちろんインディジョーンズ(TVシリーズ)でもパリ(1916)のエピソードに出ています まだ明治42年(1909)の話ですから今回名前の出た中では 桜庭一樹版『火の鳥大地編』でも登場する東洋のジャンヌ・ダルクこと川島芳子(1906-1948)だけが該当しますけど この時代ではまだ子どもなので時間織機で調整しましょう 川島は昭和2年(1927)には旅順のヤマトホテルで結婚式をしているんです 天津市松島街13号(現哈密道42号)の東興楼時代には知人の紹介で知り合った李香蘭を実の妹のように可愛がっています

火の鳥シン大地編 第十一章 4 Echidna’s Arf

 

西園寺先生 露西亜の秘密機関とは一体何ですか

 

寺田くん モスクワから西北700キロにあるサンクトペテルブルクには青騎士の銅像の他に三体の

 

・・・

 

物理学は元来自然界における物理的現象を取扱う学問であるがあらゆる物理的現象がいつでも物理学の研究の対象になるとは限らない 本来的な物理現象も時代によって全く物理学の圏外に置かれたかのように見えることがあり得る

地球物理学を研究していると国々の神話を読む場合に最初に気づくことはそれら説話の中にその国の気候風土の特徴が濃厚に印銘されて浸潤していることである しかし西洋と東洋に離れているにも関わらず共通するものがあるとは

 

・・・

 

パラドクスは選択肢が増えるほど間違った意思決定をすることが多くなる ベルヌーイは逆説的賭けとしてペテルブルクにスピンクシの三つの像を置いた

一粒の麦が地に落ちて死んだ そして三つの実を結ぶ 最初の妻のマリアは既婚だった ポリナを経て 二番目の妻アンナは速記役であった

トルストイが アインシュタインが ニーチェが ヘミングウェイが ジョイスが カフカが フロイトが称賛し

ツルゲーネフが ナボコフが ブーニンが否定した

DOSとSFスキーはかく語りき

○Xクラゲは丸と罰の夢を見るか

火の鳥シン大地編 第十一章 5 マソン

 

寺田くん

サンクトペテルブルクの名前は知らなくてもレニングラードとゆえばわかるかな 18世紀以降2世紀にわたりロシアの帝都として栄えた もともとは片田舎の港町がバルト海に面するために貿易拠点になったとゆうことだ 第一次大戦後はドイツ風の名前を避けてペトログラードとなり ロシア革命後はレーニンの死に因んでレニングラードとなる ソ連崩壊後はもとのサンクトペテルブルクに戻った 運河による水の都として北のヴェネツィアと呼ばれ ドストエフスキーを始め プーシキン ゴーゴリ ツルゲーネフらを配し高い文化水準を誇る 著名なエルミタージュ美術館には世界有数の名画があるぞ

で そこになぜスフィンクスが それも三体もあるのかね

 

西園寺先生

確かそれは3500年前の本物ですが 19世紀にたまたまアレキサンドリアで売ってたんです これを色んな経緯で帝政ロシアの芸術アカデミーが手に入れた しかしもともと冥界の守護神みたいなもんですから 国外に持ち出すのは如何なものかと そこで祟りを恐れてある秘密結社がいごいた KGBは20世紀ですから この頃こうゆうことに得意な秘密結社とゆえばやはりなぞなぞ商会 じゃなくて^ ^ マソンでしょうか 赤のロッジとか

 

寺田くん

それはまだ筆者にもわからん トルストイのゆうマソンとはフリーメイソンのことでルーツはイングランドの石工だな それが世界的なものになったのは ゆわば別班じゃないか ボーイスカウトやロータリーやライオンズは表の顔

 

西園寺先生

これが未来にメガロポリス・レングード(レニングラード)で中央集積AIである聖母機械「ダニューバー」として支配します そして我が国のメガロポリス・ヤマトにあるAI「ハレルヤ」と対立をするわけで その他のメガロポリスである中国のピンキング アメリカのユーオーク フランスのルマルエーズを含めた五大都市がどうなるかご存知でしょう しかし手塚先生の『火の鳥未来編』の神聖時間軸には別の分岐があるのです

 

そこへしばらく姿を見なかった中村是好が血相を変えて入ってきた

西園寺先生 

ハルビンで伊藤博文先生が撃たれました!

火の鳥シン大地編 第十一章 6 哈爾浜市

 

1909年(明治42年)10月26日 ハルビン

 

伊藤博文が暗殺された 狙撃したのは大韓帝国の安重根(キリスト教徒で母の名はチョ・マリア) 現行犯逮捕されすぐに処刑 共犯はあったがその場は単独行動であった しかし銃創の分析では別角度から違う犯人による狙撃ではないかとゆう説もある

ここではマソンの陰謀説を考察するのではなく

別角度からゴルゴ十三する    伊藤博文は

板垣退助 大隈重信と並ぶ憲政の三巨人の一人

長州の百姓の子で松下村塾に学び英吉利に渡航

確かにヒュー・マセソンの世話になるわけだが

 

 

初代内閣総理大臣伊藤博文はビール党であった

箒とゆう渾名は女が掃いて捨てるほどいたこと

明治天皇にも「女遊びを控えよ」とおこらえた

その中で

伊藤は柳橋の16歳の芸者りょうを大正天皇の伯父・柳原前光と後落を争い 結果 前光が囲って産まれたのが柳原白蓮である つまり大正天皇の従妹にあたる

白蓮(柳原燁子)は大正三美人のひとり 歌人 竹久夢二が装幀した本もある 福岡の炭鉱王の妻(筑紫の女王)となるが 白蓮事件(不倫駆け落ち)を起こし 道ならぬ恋に生きた 晩年は熱心な平和運動家として知られる

 

・・

 

伊藤先生には世話になったな まー政治とゆうのはあの親父のような俗物のやることだ それより余がウィーンでご昵懇になった陸奥宗光先生(和歌山出身)のご妻女も美人だぞ 白蓮が大正美人なら 陸奥亮子さんは明治美人の筆頭だ もとは新橋の芸者 板垣退助先生に愛された小清とならんで「新橋の双美人」と呼ばれ 新橋で一、二を争う美貌の名妓だったが男嫌いで身持ちは堅かったんだよ 寺田くん

 

さすが西園寺先生も花柳界では「お寺さん」として有名な通人ですからね 今回の話は女スパイからまたそっちの話でスカー

火の鳥シン大地編 第十一章 7 剃刀大臣

 

陸奥宗光が出たので 地元として少し補足する

ご当地キャラで町おこしをするなら^^ 孫市 吉宗 熊楠(漱石と同期) 有吉 華岡 山葉(寅楠) 津本 中上 梅図 さいとう(たかを)もよいが このシトを忘れないで欲しい

天保15年(1844年)8月20日、紀伊国和歌山(現在の和歌山県和歌山市吹上3丁目)の紀州藩士・伊達宗広と政子(徳川治宝の側用人渥美勝都の長女)の六男として生まれる。

幕末

桂小五郎や 板垣 伊藤と交友 勝海舟の海軍塾で龍馬に私淑 西郷と鹿児島へ 亀山社中 そして海援隊に入る

勝海舟と坂本の知遇を得た陸奥は、その才幹を発揮し、坂本をして「(刀を)二本差さなくても食っていけるのは、俺と陸奥だけだ」と言わしめるほどだったという。陸奥もまた龍馬を「その融通変化の才に富める彼の右に出るものあらざりき。自由自在な人物、大空を翔る奔馬だ」と絶賛している。

で 幕末の美人とゆえば 既出の楠本高子以外では そりゃもう 龍馬の妻おりょうさんこと 楢崎龍でしょう 明治にあっては僕の妻 亮子だがね

維新後は投獄もされるがその活躍は皆の知るところ

カミソリ大臣である

幕末以来の不平等条約である領事裁判権の撤廃に成功する。 以後、アメリカ合衆国とも同様の条約に調印、ドイツ帝国、イタリア王国、フランスなどとも同様に条約を改正した。 陸奥が外務大臣の時代に、不平等条約を結んでいた15ヶ国すべてとの間で条約改正(領事裁判権の撤廃)(関税自主権は戻らない)を成し遂げた。

火の鳥シン大地編 第十二章 予告

 

新たに登場人物を追加する

明治25年(1892年)東京生まれの 芥川龍之介である

もちろん漱石のパダワンの一人 木曜会のメンバー 同期には久米正雄 菊池寛 松岡譲 堀口大学などがいる 彼が大阪毎日新聞社の海外視察員として中国に渡ったのは大正10年(1920年)だが ここは時間織機で上海から特別に立ち戻って貰う

 

さらにもう二人

内田百閒と宮武外骨先生にもご登場お願いしよう

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火の鳥シン大地編 第十二章 1 トライアド

寺田くん これでは間に合わない 余はちょっと電影でも観てくる 『懸崖之上』はなかなか面白いぞ あーそれからこちらは満洲国警察哈爾浜支部特務課のスマイー科長だ あとは彼にまかすので好きにやるが良いだろう

 

西園寺公望は中村是好と共に部屋を出て行った

寺田寅彦がさてどうしたものかと困っていると

スマイー科長はいたって表情のない顔で云った

 

寺田サン ちょと面白い所にお連れしましょう

あなた探すものについてそこでお告げ得られる

たぶん日本からのお友達もそこで待っています

三人の助っ人が

 

https://youtu.be/8e5KJj5Ghqo?feature=shared

火の鳥シン大地編 第十二章 2 輪玉七宝

 

あなたはここで女宝を探すあるよ

警察特務科長のスマイーは云った

 

 いらっしゃい いらっしゃい

 

出迎えたのはあの屋台のおっさんではなく 金瓶梅に出てくる王婆のようなやり手婆あ おそらくかつては美形で芸も達者だったであろう 林黛玉とゆう女将だった

青楼には先客がいた

 

寺田さん お久しぶりです 漱石先生が大陸で行方不明になったとゆうので飛んできました まー私はてっちゃんで一度満鉄に乗ってみたかったんですけど

 

おお 内田百閒くんでわないか こうゆう話はきみの専門だったな

 

芥川さんがまだですが さっそく本題に入りましょう 「女宝」(イッティラタナ itthiratana)とゆうのは転輪聖王の七宝のシトツで

左上は聖徳太子が乗った「黒駒」 輪玉七宝の中も随一 三千年に一度出現する馬で 輪玉七宝は金・銀・瑠璃・玻璃・硨磲・赤珠・瑪瑙といった自然七宝ではなく 転輪聖王の七宝のことを指している つまり輪宝(四方に転がり、王に大地を平定させる)・象宝(空をも飛ぶ純白の象)・馬宝(空をも飛ぶ純白の馬)・珠宝(発する光明が1由旬にも達する宝石)・女宝(美貌と芳香を持つ従順かつ貞節な王妃)・居士宝(国を支える財力ある市民)・将軍宝(賢明さ、有能さ、練達を備えた智将)のこと

火の鳥シン大地編 第十二章 3 火神アグニ

 

門司から船に乗ると二昼夜経つか経たない内にすぐもう上海へ着いてしまう 龍之介が海外視察員として渡ったのは1921年(大正10年)3月のことであった そこから寺田寅彦の作った時間織機で戻る予定が1909年(明治42年) しかし彼はまだ上海に それも1930年(昭和5年)の上海にいた 彼は昭和2年に死んでいるはずなのだが

 

龍之介は 「將来に対する唯ぼんやりした不安」に対してエリエリラマサバクタニとゆう悲鳴を上げていた しかしラディゲの臨終の言葉をふと読んで もう一度神々の笑い声を感じたのである 「神の兵卒たちは己をつかまへに来る」と

 

https://www.youtube.com/watch?v=wKrXmlia-DA

 

 

龍之介は上海のダンスホールである女性と出会った

清朝の皇族・第10代粛親王善耆の第十四王女である

その名は

火の鳥シン大地編 第十二章 4 四神相応

 

北に玄武あり 四神相応対極である

火の鳥は鳳凰であるが朱雀ではない

 

おや宮武外骨先生ではありませんか

先生もここに来ていらしたのですね

 

青楼の小部屋 寺田寅彦と内田百閒は破顔一笑

 

宮武先生の御幼名は亀四郎と伺っておりますが

そこから亀の甲羅「外骨」を名乗ったのですか

 

いや 外骨は予の本名である そもそも亀は厳密には外骨格動物ではない 反骨としておこう 反骨とゆえば吾輩の滑稽新聞(上左図)は櫻画報(下中図)のようなもので 不敬罪で3年以上も投獄された実績もある 不謹慎とゆえば軽茶一成助の経本(下左図)にあるアスキーアートや縦読みの原典は 同時代アポリネールのカリグラム(下右図)よりも早く予が画いたもの(上右図)である 明治42年の滑稽新聞10月号で「伊藤博文・井上馨・山縣有朋の死期を当てる懸賞」とゆう不謹慎企画を立てたときには 翌月に安重根が当選しおったわ

 

はいはい で 先生はナニしに来られたんでスカー

 

麒麟商会に対する第三の秘密結社を調べろとゆう依頼を鳳凰機関の石原莞爾君から受けたのだ ちょっと長いがマー聞きなさい

 

 中国における風水の四神相応は、背後に山、前方に海、湖沼、河川の水が配置されている背山臨水の地を、左右から砂と呼ばれる丘陵もしくは背後の山よりも低い山で囲むことで蔵風聚水(風を蓄え水を集める)の形態となっているものをいう。この場合の四神は、背後の山が玄武、前方の水が朱雀、玄武を背にして左側の砂が青龍、右側が白虎である。

 四神(四禽)については、中国の天文学により、天空の四方に見える主な28の星を 二十八宿と名づけ、その星をつないだ形について、東が龍、南が鳥、西が虎、北が亀に見えるというところから起こった。

 インドの十二神では 火天アグニは東南にある 水天ヴァルナは西 東が帝釈天インドラ 南は閻魔天ヤマ 北は毘沙門天ヴァイシュラヴァナで 日本における四天王と同じなのは北だけである

 我が国では四神について「山川道澤」にそれぞれ 青龍を川 白虎を道 朱雀を池(沢) 玄武を山と対応させる地勢の解釈が一般的だ

ゼロ学風水では北に水星 東に木星 南に火星 西に金星 月星と土星は中央で天地の縦軸に相当する

朱雀は四神の一つだが 鳳凰は四霊の一つで意味は違う

四霊とは 麟 鳳 亀 竜の「霊獣」のことをゆうのだ

もちろん西洋の神話であるスフィンクスは麒麟ではない

フェニクスを火の鳥・鳳凰と見るも良いが朱雀ではない

これらの違いは何かそろそろ謎解きしないと師も走るぞ

火の鳥シン大地編 第十二章 5 三合

 

寺田くん 内田くん 卵の三合とは何のことかね

 

宮武先生 明治時代にゼロ学はまだありません 陰陽五行説は古くからありまして さらに六行を解釈したもので 陰陽で12通りになり干支を振り分けられます さて十二支の動物のウチで卵生のものは酉と巳だけですが 丑を亀と見ると卵の三合が完成します 下図のようにちょうど三角形に位置するのです

 

龍之介くんが上海で出会った清朝末期の革命家・章炳麟に聞いた話は

「予の最も嫌悪する日本人は鬼が島を征伐した桃太郎である」

 

たしかに桃太郞の歌をよく聞くと あまり知られていない4番5番6番の歌詞はまさに侵略戦争です それで龍之介くんは桃太郞のパロディを書いたんです

鬼門である丑寅と その対極の方角の申酉戌の家来を連れて行く話は 厳密に反対側ではありませんね 桃太郞の桃が金行のシンボルであるのも鬼が火行でその対極であるからとゆわれています ところがゼロ学での火行は巳午未の南です このズレの説明は難しい

つまり先の卵の三合からキーポイントは巳にあるのではないかとゆうこと 丑寅に対応して辰巳をセットにすれば それは龍ですね

1)桃太郎さん 桃太郎さん お腰につけた 黍団子 一つわたしに 下さいな

2)やりましょう やりましょう これから鬼の 征伐に ついて行くなら やりましょう

3)行きましょう 行きましょう あなたについて 何処までも 家来になって 行きましょう

4)そりゃ進め そりゃ進め 一度に攻めて 攻めやぶり つぶしてしまえ 鬼が島

5)おもしろい おもしろい のこらず鬼を 攻めふせて 分捕物を えんやらや

6)ばんばんざい ばんばんざい お伴の犬や 猿 雉は 勇んで車を えんやらや

ゼロ学では日本は東に位置し卯の木行もしくは木門です 火行の午は印度で 越南が空行(辰巳)となります

東西南北の四方は縦軸と横軸ですから空行と土行を天地の縦軸と見ても良いのですが ここがややこしい 問題はどこを中心に見ているのかとゆうことです 五行では土が中央に位置します それは麒麟です

なので第三の秘密結社を鳳凰機関と麒麟商会の三合配置にするのは難しく その秘密結社が玄武なら北の露西亜で 辰巳の対極である戌亥の方角が土行です 中国の諜報機関にモグラ(土竜)とゆうのがありました 中華思想は自分を中心に見ているのです

 

しかし鳳凰機関は東にあって西の酉を目指している でわそれはどこかとゆうと

火の鳥シン大地編 第十二章 6 ゴジラは皇居を踏まない

 

やっとゴジラを観てきましたよ 宮武先生

初代ゴジラは1954年生まれで軽茶一ハカセとひとつ下 同期はその前年のハリーハウゼン原子怪獣で核による異常怪獣の初出はこちら もちろんゴジラもビキニの水爆怪獣です ただし単なる反核映画または反戦映画とゆうシリーズテーマじゃないんですね まー怪獣プロレスのVSものは別にして 夜中に上陸してあちこち踏み潰して朝になると意味もなく去ってゆく恐怖とゆうのは一種の祟り神です 初期ゴジラではその説明は何もない 山根博士が呼ばれてあれは何だと聞かれると あれはン百万年ほど前のジュラ紀のなんとかドンで と答えるわけですが ぢつわジュラ紀てのは二億年ほど前のことで 香山滋先生がそれを知らないわけはなくわざと間違えているんです 例えば五百万年前とゆうと人類が登場した頃のことですよ つまり

「人間が人間のために復讐されるという理念」

なんですね なぜゴジラは核を使った亜米利加に復讐しないで 日本にやってくるのか

シンゴジラと今回のマイナスワンで解釈はそれぞれ異なりますが その謎のヒントがあります どちらも面白いですよ

 

寺田くんなら地球物理学者だし内田くんは神秘主義だから その調子で二人で協力すれば例の四二三問題も謎が解けるだろう

 

それはいまハカセが必死でオチを考えちゅーですよ

火の鳥シン大地編 第十二章 7 形式と内容

 

寺田寅彦は説明を続ける

新しいお友達も増えたのでもっぺん四二三問題をおさらい これはスフィンクスの謎かけ「朝に四本足 昼に二本足 夕に三本足になるものは何か」とゆうもの 既出の震電の脚は3(+2)ですがエンジンは「ハ 43-42 」とゆう型番なんですよ

動物はフツー四本足で八咫烏など特殊なものを除いて三本足の動物はありません 十二支で唯一空想の動物である辰でさえ足は四本です 酉は二本足ですが翼が一対ありますね 別な例外は巳つまり蛇には足が無いこと 地の中に棲むトカゲの足が退化したとゆう説があります 古くはアダムとイブにいらん事を教えたために神に受けた罰とゆうのもあります ちなみにイブが最初に食べたのはリンゴではありません あれは誤訳です おまけにアダムにはリリスとゆう先妻がある マーそれはまた別の話で 世界の下で全てを支えているほどの亀についてですが 彼の歩き方は特殊です つまり牛と違って胴体の真下ではなく側面に足がある トカゲのあの身体をくねらせて歩く形式ですね 亀は甲羅があるのでくねらせることはできません しかし四肢は収納式であり引っ込めて空を飛ぶことができます ガメラですよ ゴジラは二足歩行で立っていますがシッポが三番目の足として支えていると見ても良い 類似三足歩行はミーアキャット オウム キツツキ カンガルーに見られますが 基本的に生命には左右対称になるとゆう遺伝子が埋め込まれているのです 

 

でわ 足の無い蛇はどのようにして移動するのか

 

この際ディスカッションをもう少し と寺田と内田は

 

4とゆうのは 四方や四季などの基本型

2とゆうのは 天地 上下 表裏 陰陽などの基本型

3は何の基本型か

 

そらもう神話体系でなくてもいっぱいありますよ

3は三つの世界、三位一体の象徴ともいわれ、宗教や神話の中では、とても多く用いられています。 キリスト教の父と子と聖霊、東方三博士の礼拝、ヒンズー教の三神ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三大神がそれぞれ、創造、維持、破壊を司るとされています。ギリシャ神話のモイラ三女神、バビロニアの創造神話も三位一体から始まります。日本神道では、神道の三種の神器、アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒの三神を宇宙の根本神として「造化三神」と呼びます。

 

そやのぉて

四本足が赤児 二本足が成人 老人と杖が三本足とゆうのはこじつけだ 何か肝心なものを見落としている

麒麟を4(本足)鳳凰を2(本足)とすれば

第三の組織は3にまつわる何かとか

3を4-1と見るか2+1と見るか

4→2→3とゆう順番に関係あるか

何か荷物を持っていると考えたらどうだろう

三脚巴(トリスケリオン)はどうだ 秘密結社ぽくないか

火の鳥シン大地編 第十二章 8 四二三問題 T

 

寺田寅彦は困惑していた

この問題は何度も繰り返されていて

火の鳥第一部黄金編でも平賀源内が その答えは人間とゆうよりオイディプス自身のことだろうと考察しました それはオリジナルの設問が

 

「一つの声を持ち、二つ足にして四つ足にして三つ足なるものが、地上にいる。」

 

とゆうことだったからです

時間順では無いわけですね

ところがこの設問にはもうシトツ設定があります

 

「地上を這い空を飛び海を泳ぐものどものうち、これほど姿、背丈を変えるものはない。それが最も多くの足に支えられて歩くとき、その肢体の力は最も弱く、その速さは最も遅い。」

 

前段は つまり人間でもオイディプスでもないとすれば

地上を這う 巳

空を飛ぶ  酉

海を泳ぐ  亀(※海を泳ぐ干支は無い) の三合

姿を変えるものは 麟 鳳 亀 竜 のうちどれか

後段は四つ足のときのことを指している

例えばシンゴジラの3形態だろうか

それともガメラの行動変容だろうか

そこで前回はまず歩行形態を考えました

火の鳥シン大地編 第十二章 9 四二三問題 U

 

内田百閒は困惑していた

「3」についてはこうゆうことではないだろうかと

何か使命のようなものを持っている もしくは無くした それが

2+1=3,4-1=3とゆうこと

むしろ こう考えれば

4+2+3 = 9

4x2x3 = 24

9とゆうのは3つの月の4つの季節である12の節からゼロ期の3年を除いた部分であり

24とゆうのは十二節の二つの周期だと

24年の歳月から24年の歳月が再開し

3年の高揚と6年の沈着を経た9年後に

再開したものがまた3年の停止を迎える

一つの声が三つの答えを得るのはまだだ と

火の鳥シン大地編 第十三章 予告

 

    龍之介はどうした

戌亥            丑寅

  乾          艮

  坤          巽

未申            辰巳

   上海で沈没してますね

姿を変えてとゆうのは蛇の脱皮です

不死鳥は卵を産まずに生まれ変わり

亀は丑の如くのたりのたりと歩いて

      辰を待つ

     巳が来るまで

 雷と蛇とは一体である。また、雷と竜とも一体である。それで蛇と竜も一体だということになる。

 古代には、雷神は蛇の形をしていると信じられていた。雄略天皇の時代(四二三年頃)、少子部(ちいさこべ)スガルが、三諸(みもろ)山の神の姿を見せよ、との勅命によって、三諸山に登り、大蛇を捕らえて献上した。

天皇は斎戒(さいかい)(心身を浄(きよ)めること)をせずそれを見ようとしたところ、雷光が輝(かがや)いて見ることができなかったという。この話では、三諸山の神は雷神で、蛇の形をしていたというのである。(「日本書紀」巻十四)

 次に、伊弉冉尊(いざなみのみこと)が火の神の迦具土(かぐつち)神を生んだとき、火傷で死亡した。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は怒って迦具土神を三段に切った。すると、各段ごとに神が生まれた。雷神と山祗(ずみ)(山神)と高龗(たかおかみ)(山の竜神)の三神であるという。この話は、雷と竜が一体だと考えられていたことを示すものである。(「日本書紀」)巻一)

 こうして、雷と竜と蛇の三者は一体となるのである。

 竜は元来、大蛇に角をつけ、四足を添えて、蛇の威力を神格化したものである(樋口隆康「竜の起元」)。それで、大蛇は身分が高まれば、竜へと姿が変わるものである。しかし、大蛇は実在するが、竜は実在するものではない。それで、現実的(リアル)に考えて、その実在を信じる人は、これは大蛇だといい、大蛇の霊験を讃えたい人は、雲を呼び、大空高く昇って雨を隆らせるのは、もう大蛇ではなく竜だといい、蛇だか竜だか、正体がわからなくなる。これは一口に「竜蛇信仰」といわれるものであるが、脚折の場合でも、製作の段階では大蛇であるが、渡御(とぎょ)の段階では竜神と呼んでいる。

 要するに、この竜蛇信仰の基本は、やはり水神の表徴である蛇の信仰にある。水神を現実に実在する蛇の姿で表わし、やがてその蛇が高まって竜になったのである。また、雷は雨に付随するものだから、当然、水神と雷神が一体となったのである。ちなみに、カンダチは神がそこへ立ち現われる、すなわち神の示現(じげん)であり、カミナリは神が鳴る、すなわち神の鳴動である。

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火の鳥シン大地編 第十三章 終わりの始まり

寺田寅彦くん まさか龍之介がゴジラに変身して踏み潰しにやってくるとゆうようなオチではあるまいな

 

宮武亀四郎外骨さん んなあーな

マそれも面白いけどー てゆかー

 

ブチっ

 

あーあ 寺田さん踏み潰されましたよ 私 内田百閒なら岡田斗司夫さんのアイデアをもとにして 続編は 冷凍されたゴジラの細胞がアキラ復活しないように国家予算で凍結していたのが野党のせいで中断され細胞は復活しマグマを刺激し日本中の火山が噴火し日本は沈没するが関東平野のみが残って亜米利加の保護のもとに日本は生き残り米軍は引き換えにゴジラ細胞を入手して尻尾から第四形態を増殖させ軍事兵器としてゴジラエイリアン部隊を てゆかー

 

ブチっ

 

なんだなんだ 内田くんも踏み潰されたのか これでは話が進まんでわないか みたいな てゆかー

 

ブチ ブチ ブチ

 

と そこへ 龍之介があらわれた

 

おお芥川くん どこで踏み潰 いや暇つぶしておったのだ 寺田くんと内田くんが待ちくたびれて

 

はいはい お二人には復活してもらいましょう 残りのページも少ないことですし オチができるかどうか

火の鳥シン大地編 第十三章 2 復活

 

宮武外骨 内田百閒 寺田寅彦

芥川龍之介 が揃ったところで

 

麟 鳳 亀 龍 をあてるとか

亀 鬼 寅 辰 で攻めるとか

そうゆう問題ではなかったのだ

龍之介は上海で何をしていたか

 

再掲

 

龍之介が海外視察員として渡ったのは1921年(大正10年)3月のことであった そこから寺田寅彦の作った時間織機で戻る予定が1909年(明治42年) しかし彼はまだ上海に それも1930年(昭和5年)の上海にいた 彼は昭和2年に死んでいるはずなのだ

龍之介が自分だけこのようなタイムスリップに巻き込まれたのはどうやら鳳凰機関が関与していたのである 彼が上海の料亭「東興楼」で世話になった女将とは林黛玉ではなく川島芳子である そしてそこに出入りしていたのは 鳳凰機関の石原莞爾だった

この時点で鳳凰機関は時間織機を既に持っていたが完全なものではなかった それは申田博士に任せて石原の目的は満州国の建国の陰で火の鳥の捜索であった それには西方に向かうためのガイドが必要だった

それが砂漠地帯から来たとゆうマリアだったとゆうのが桜庭版で

配役はムーピーのタマミだった しかし

マリアは実はミーバでわないかとゆうのが 軽茶一版なのである

 

私 龍之介は死んだ

 

「ブワナ、あなたが彼を運び去ったのでしたら,どこに置いたのか教えてください。わたしが彼を引き取ります」

 

マリア それは違う 私は復活したのだ

 

「ラボニ!」

火の鳥シン大地編 第十三章 3 改造

 

芥川龍之介は速読の人として知られている

毎晩 三百頁から四百頁くらいの本を読む

私は週に数冊の本を図書館で借りているが

遺作の『西方の人』はまだ読了していない

『続西方の人』は自裁の前夜に脱稿された

 

 

龍之介はまた失踪した

その鍵はマリアが持っているかも知れない

火の鳥シン大地編 第十三章 4 天使と悪魔

 

天使とゆうとキリスト教教会の装飾や宗教絵画などに多く使われていることから日本ではキリスト教固有の神的な存在だと思われがちだが 実際はユダヤ教・キリスト教・イスラム教といった中近東を派生地とする砂漠の「一神教」に共有されている観念である ※インドや東アジアは違う

その姿も 今では一対の翼を持った美しい男女として表されることがほとんどだが本来は何枚もの翼を持ち多数の眼を持った怪物的な姿をしている そのことからもとは様々な異教の神であったものがそれらの教に取り込まれていったものとも考えられる

天使達の特徴の一つである強固な階級制は上位三隊に熾天使・智天使・座天使、中位三隊には主天使・力天使・能天使、そして下位三隊に権天使・大天使・天使がいる これは大中小将から大中小佐や大中小尉までのようなもので 九品仏などのようなオリエントの神話世界の影響もある 

神々や天使には複数の頭はもちろん尻尾とゆうものはないが 悪魔はたいてい尻尾を持つ しかし悪魔はもとは天使であったのだ つまり堕天使である 彼等はなぜ堕天したのか

 

・・

 

二つの理由がある

ひとつは 美しい地上の娘と結婚をするため

 

もうひとつは

冬場に冷やし中華を食いたいとゆいだしたからである

とゆうのは「ナルト秘帖」の時の話だが

 

今回は三つ目の謎として

煙草である

 

・・・

 

それはぼくが考察しましょう 内田百閒がゆう

 

紙巻の煙の垂るる夜長かな  龍之介

 

木曜会でぼくの後輩の龍之介くんは愛煙家で 1日に100から150本 生涯ゴールデンバットを吸いました

バットとゆえば中原中也 七銭でバットを買って、一銭でマッチ… とゆう詩があります

漱石先生が出先で敷島を買うのは10銭硬貨一枚ですむからで 家では朝日です たまに買いに行かされましたね マー私 内田百閒はピースのような高級煙草も吸いますが これは自由販売で一人一箱しか一度に買えないんです えっへん

直木三十五は マイミクスチュアか、スリーキャツスルのマグナムに限る。但し、金がないとバットにても結構。とゆうてます

北原白秋なんぞは1日に12箱も吸います アホですねこいつら

なんで敷島のようなまずいタバコを吸うのか タバコは両切りでなければ とゆうたのは太宰くんです 彼はゴールデンバット

 

・・・・

 

ところで

龍之介くんの小説『煙草と悪魔』はキリシタンものなんですけど ここではマリアは出てきません

でもマリアは私にやたら煙草を勧めるんです 悪魔でしょうか と 龍之介くんはゆうてました

火の鳥シン大地編 第十三章 5 西方

 

内田百閒は続ける

 

またどこかへ行ってしまった龍之介くんはドナイシタインか

最後にこんなものを残しました

『西方の人』

これはつまりキリストのことですね 東方の人とは仏陀や孔子のことです 最初の章の「この人を見よ」はニーチェからとっています 但し否定的に まずキリストへの顕彰や高迎から始まっています 彼はキリストを自分の中に甦っていると見た そこで次の章からこのマリアが出てきますが 「マリアは唯の人だった」と書く マリアとはフツー聖母マリアのことです ところがもう一人妻もしくは愛人であるマグダラのマリアもあります これはまた後述しますが 龍之介くんはマリアを神聖化しすぎているとしてこうゆうのです 「永遠に女性なるもの」ではなく「永遠に守らんとするもの」 これはギョェテのファウストです さらに次章では「永遠に越えんとするもの」ともしている そして「涙の谷」とは旧約聖書(詩篇84篇)に出てくるバカの谷のこと

火の鳥シン大地編 第十三章 6 女人M

 

 大勢の女人たちはクリストを愛した。就中マグダラのマリアなどは、一度彼に会つた為に七つの悪鬼に攻められるのを忘れ、彼女の職業を超越した詩的恋愛さへ感じ出した。クリストの命の終つた後、彼女のまつ先に彼を見たのはかう云ふ恋愛の力である。クリストも亦大勢の女人たちを、――就中マグダラのマリアを愛した。彼等の詩的恋愛は未だに燕子花かきつばたのやうに匂やかである。クリストは度たび彼女を見ることに彼の寂しさを慰めたであらう。後代は、――或は後代の男子たちは彼等の詩的恋愛に冷淡だつた。(尤も芸術的主題以外には)しかし後代の女人たちはいつもこのマリアを嫉妬してゐた。

「なぜクリスト様は誰よりも先にお母さんのマリア様に再生をお示しにならなかつたのかしら?」

 それは彼女等の洩らして来た、最も偽善的な歎息だつた。

 

・・・・ ・・ ・・・

 

原始キリスト教がメジャーになったのは

彼が復活したからである

マグダラのマリアがそれを最初に見る人になったとゆうのはこの詩的恋愛の力のためである

ラボニと曰り 之を訳ば夫子なり (ヨハネ伝20-16)

火の鳥シン大地編 第十三章 7 侏儒の言葉

 

遺伝、境遇、偶然、――我我の運命を司るものは畢竟この三者である。

彼がキリストをなぞるなら 我らは東方の三博士とゆうところでしょうか 龍之介くんは結局どこへ行ったのかな 寺田さん

 

内田くん アクセス解析では一ヶ月以内に或る場所に居た さらに慎重に調べて日付けも特定した しかし鍵は変更されている

 

宮武亀之助外骨が二人に言う

それは龍之介ではない マリアと精霊とは違うものだ それは周囲の秩序に関わりなくひたすら自己の特性・天才の発揮に向かって奔放に振る舞うように そのものを突き動かしてやまない不思議な存在だからだ 善悪とゆう相対的なものでもなく 従って悪魔でも天使でもないのだ

 

三博士のうちの一人年長者はキリストの未来を憐んでいた つまり龍之介は聖書の裏を読んでいたのだが ここは解釈が難しい 時間は残り少ないがもっと勉強しよう

 

彼が何を探し マリアが何を隠しているかを

 

・・・

 

ニイチエは宗教を「衛生学」と呼んだ。それは宗教ばかりではない。道徳や経済も「衛生学」である。それ等は我々におのづから死ぬまで健康を保たせるであらう。「東方の人」はこの「衛生学」を大抵涅槃の上に立てようとした。老子は時々無何有の郷に仏陀と挨拶をかはせてゐる。しかし我々は皮膚の色のやうにはつきりと東西を分わかつてゐない。クリストの、――或はクリストたちの一生の我々を動かすのはこの為である。「古来英雄の士、悉く山阿に帰す」の歌はいつも我々に伝はりつづけた。が、「天国は近づけり」の声もやはり我々を立たせずにはゐない。老子はそこに年少の孔子と、――或は支那のクリストと問答してゐる。野蛮な人生はクリストたちをいつも多少は苦しませるであらう。太平の艸木となることを願つた「東方の人」たちもこの例に洩れない。クリストは「狐は穴あり。空の鳥は巣あり。然れども人の子は枕する所なし」と言つた。彼の言葉は恐らくは彼自身も意識しなかつた、恐しい事実を孕んでゐる。我々は狐や鳥になる外は容易に塒の見つかるものではない。

火の鳥シン大地編 第十三章 八 開明獣

 

再び この人を見よ

 

話がややこしくなって寝落ち

歯の治療に来た組織の親分の取り巻きが次々に診療室に入ってきて院内はてんやわんやになるとゆう夢を見た これは何かの陰謀である このまま話を書いていくときっと災いが起こるぞと警告しているのだろう

なので

時間織機をリセットして話を戻す

 

@

 

東方の三博士も申酉戌もナイトシスター三姉妹も

全ていなくなった

 

夏目金之助漱石が目を覚ましたところは

タクラマカン砂漠のど真ん中であった

 

目前に スフィンクスがあらわれた

 

スフィンクスはとつぜんおそいかかってきた

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火の鳥シン大地編 終章 ◥◥◥◥

常ちゃんと金ちゃんはおふろにいきました

だからーなぞなぞのこたえはわかったのか

さーねーつきもかわってゴジおきよってね

しわすだねいやぼかーじゅうにがつなると

ばしゃ ぶくぶく ばしゃばしゃ ばしゃ

こらぼっちゃんおふろでおよぐんじゃねぃ

まーいいゆではある

               かこーん

しゅうぞうぼっちゃんまどにつきがみえま

かくぞうさんはぼくのおとうさんちゃうの

ぜったいてきけいじじょうてきひつぜん かな

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1867年 慶応3年2月 夏目漱石 東京に生まれる

同年2月 宮武外骨 讃岐に生まれる

同年10月 正岡子規 松山に生まれる

1878年 明治11年 寺田寅彦 東京に生まれる

1888年 明治20年4月 九鬼周造 東京に生まれる

同年 漱石と子規が出会う

1889年 明治22年 内田百閒 岡山に生まれる

1895年 明治25年 漱石と子規 松山に共同生活

1900年 明治33年 漱石 英国留学(2年間)

1902年 明治35年 正岡子規没

1906年 明治39年 川島芳子 北京で生まれる

1909年 明治42年9月 漱石 満州へ

同年10月 伊藤博文暗殺

1916年 大正5年 夏目漱石没

1921年 大正10年 芥川龍之介 上海へ

同年 九鬼周造 欧州留学(8年間)

1927年 昭和2年 芥川龍之介没

1928年 昭和3年 九鬼周造『時間論』

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今回の三部作のポストスクリプトに 私 九鬼周造が選ばれたのは 軽茶一博士のキモ入りだからである 三年前の「小ネタでホイ・いきの構造」に出させてもらったことがあり 今回のシリーズの最初の方にも出た

私は漱石先生のパダワンではないが 一緒に学んだ1級下の和辻哲郎は木曜会メンバーで 我が国屈指の哲学者だ そのマスターは西田幾多郞先生である これはSW正史は親子の物語だが新たなシリーズは師弟の物語であるとゆうようなものだ

さて漱石先生は 『吾輩は猫である』以前にその5倍もの労力を掛けて『薤露行』を執筆した 先生は「薤露」とは中国の古楽府(漢魏の漢詩の一形式)の題名であり「人生は薤上の露の如く晞き易し」から来ていると答えている 「行」は楽府に基づき古詩に属すものことで どこかへの紀行文ではない 円卓の騎士ランスロットとアーサー王と王妃ギニヴィアの三角関係の話である 「罪」と「死」と「破局」として 嫂である登世への挽歌とゆう説や不倫説など 江藤や大岡ら多々の論争があった つまるところシャルロットとゆうファムファタルである 次に『草枕』に出てくるミレイのオフィーリア こちらはシェイクスピアのハムレットだ 那美のモデルは平塚明子とゆわれるが他にもある これら先生のファムファタルから独自のアジア感を経て晩年の心境「則天去私」(我執を捨てて自然に身をゆだねること)は 先生自身が書き残した言葉ではなく パダワンたちが記したものだ

そこで特に今回の「東洋的時間」について語るとすれば 手塚先生の火の鳥のテーマでもある「輪廻」の時間が重要である 火の鳥や麒麟がどこに存在しようと 時間とゆうものは意思に属している 意思が存しない限り時間は存しない バガヴァッドギーターやウパニシャッドをわざわざ読み返さなくても 輪廻は無際限の再生 意思の永遠の反復 時間の終わりなき回帰だ それは因果律に支配される 業であったり 劫であったり しかし永遠に繰り返される同一的時間の観念に 体験された時間や可測的時間のほかに なにか特殊な「第三の時間概念」があったのだ 龍之介くんはそれを探しに行った 漱石先生もそれを探したはずである

時間の存在・現象学的構造は エクスタシス すなわち「脱自」の三つの様態 未来 現在 過去 この統一である それは水平的な四つの現実面と 垂直的な二つの仮想面で この交差が時間の特有な構造である東洋的輪廻の時間 ここから解脱するための三つ目の方法と手段 それが四二三問題の解である

火の鳥シン大地編 終章マイナス3 カーテンコール

ハカセ これではなんかわからんと ◥◥◥◥

ラクタくん わしもわかっとらんわ ◥◥  ◥◥◥

 

そもそも四二三問題がなんだったのかとか鳳凰機関と麒麟商会ともうひとつの組織がスフィンクスにまつわるものとゆうのもそれらの関係は不明で全て答えになってません

 

根拠の原理の四つの根についてとか西洋と日本のあるいは偶然性と必然性あるいは自己と他者の二元性とか意志と表象の上にも三つの聖痕などとゆうようなものでわないか

 

それわ単なる語呂合わせでしかなく意味無し法一でありそこには対象もレッテルも存しない形式も内容も無いらっきょうをむいていけば最後には何も残らないマトリョシカ

 

だから仏教の神秘主義や中国の汎神論のような一方は宗教における他方は哲学における同じ精神的経験の表現すなわち時間と空間からの解脱の表現に他ならないとゆうこと

 

11月中にシメなければとゆうのは言い訳にはなりません

 

知ってるよそして〆切はぢつわ別にモシトツあることもね

​-未完-

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