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地図と記号 第8部

酔郷にて しょの第一夜

 

そこは地図に無い店だった 大通りからひとつ小径を入った突き当たりに静かに佇んでいた いつも閉まっていたので気づかなかったのだろう 表には店が開くのは25時からと書いてあった まさかそんなことはと 嵆は思い切ってドアを開けてみると薄暗い店内にはマスターらしき歳のよくわからない人物がいた 彼は最上の微笑みで嵆を出迎えてこう言った

「いらっしゃい 奥のテーブルは先客があるのでカウンターへどうぞ」 

促されて嵆はそのまま止まり木に腰をかける たしかに奥の方には何人かの男女の先客がいてトランプのようなものをしていた

「何を召し上がりますか」

 

と聞くそのマスターの目は深い深い水の底のような色をしていて もう既に嵆が頼むであろう注文を知っているかのようだった カウンターの向こうの棚には色んな種類の酒が並んでいる たいていのものは知っているはずの嵆だが 初めて見る酒の瓶も多かった

 

「いつもはウィスキーを飲むんですが 今日は初めてなので何かお勧めのカクテルをひとつお願いします」 

するとマスターは我が意を得たりとばかりいったん奥に引っ込んで何かを早速作ってきた シェイクを振る音は聞こえなかった 出てきたカクテルは血の色をしていた
 

「ひょっとしてネグローニですね これでは倉橋由美子の小説と同じ出だしではありませんか」


ところがマスターは少しばかりかぶりをふるともうひとつのグラスも差し出した 今度は青いカクテルがそこにあった

「これが何を意味するか 今夜あなたがお見えになったのはそれを確かめたかったのでしょう どちらをお飲みになりますか」 

マトリクスのようなうす笑いを浮かべるマスターのその言葉にも驚いたが そのとき同時に店の奥にいたグループの中から纏わりつくような視線を嵆は感じた


「わたしには二人の子供がいましてね」

とマスターは語り始めた

「レドルとアボルバスとゆうんですが これが全く正反対の性格で仲は悪い そこでこれを作ったのです」

次に出されたカクテルは二つの色をしていた

「私もそれを頂こうかしら」

嵆がその声に振り向くと 奥のテーブルからずっと嵆を見つめていたらしい一人の女性が立っていた
思わずカクテルを飲み干した嵆は軽い目眩を起こし気がつくとどこかで見覚えのある場所にいた

 

 周りは星月夜
 

そして目の前にその彼女が立っている
 

面影に花の姿を先立てて幾重越え来ぬ嶺の月虹
 

花びらを重ねたような衣装に身を包んだその女性はそう言ったわけではないが 嵆はまるで当然のことのようにその女性を抱きしめて唇を重ねた
 
その先はどうなったのか 覚えていないまま
急に頭がはっきりしたとき 嵆の前にはまたマスターの微笑む顔があった

「おかえりなさい」

開いている店のドアから眺めると先程までの星月夜はもう見えず 外の道は雨が降り始めていた

「この季節にこんな雨は初めてですね」

 

マスターはもう店じまいだとゆう仕種をしてグラスを片付け始めた
奥のテーブルにはもう誰もいなかった

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酔郷 しょの1

「ハカセ 昨夜何かありましたか」

「そんなむかしのことはおぼえてないよ」

「かしーなー なんぞまた細工を」

「むいしきとむいしきみたいなもんかな

 ゆめのうちうつろふはなにかぜふけば

 しづごころなきあきのうたたね

酔郷にて しょの第二夜

それ以来そのバーにあしげく通うことになった嵆だが マスターの名前は蒲さんだとゆうことを知った なるほどと思った それなら店の名前は『聊斎志異』でも良いかも知れない 聊齋とは書斎のことでもあり 異を志すマスターとは話が妙に合うからだ


「カクテルはもう面倒なのであまり作らないんですが 皆さん知りませんし でもたまにリクエストがあるとかえってうれしいもんです」


「となると今夜は果物や植物のカクテルとか」


「リキュール類は香りや色づけに植物を使いますね 昨日のカンパリやキュラソーもそうですよ」


「トッカータとゆうカクテルはあるんですか」


「それはたぶんグラスの名前では? あとクレッシェンドとかダルセーニョとかゆう名前も聞いたこと無いです 小説の中の話ですね それより果物なら今日のメニューはこれでしょう 『Yang kuei fei』 そろそろお越しになるかと思いますよ」


マスターの言葉通り そこへ昨日の女性がひとりで入ってきた

マスターの蒲さんは二人分のカクテルを用意してくれた
 

「ところでこのお店はどこにも看板が無いんですけど なんてゆう名前なのですか」


「名前なんか何でも良いのですよ あなたの好きな名前にすれば良い 聊斎志異でもね」


「だったら B&B とゆうのはどうかしら Fire & Stone でもいいけど」

たぶんそれは彼女が知っているどこか異国に実在するバーの名前なのだろう 嵆はこのカクテルを二人で飲めばきっとその異国に一緒に行けるのではないかと思った
そこはきっと

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酔郷 しょの2

「ハカセ 仕掛けわかた 夜の部と昼の部になっているのですね」

「ヌーベルバーグのジャンプカットみたいなもん考えたのぢゃが」

「ベルモンド追悼と昨日のセリフもボギーですかね で二本立て」

「でもない たまたまそうなったんで本来のテーマはちゃうのだ」

「手のこんだことに拘るのはハリボガトをポルベルモするような」

「でもない 舞台は中国でBGMも古琴だし異国の話も出てくる」

「いつ仕事してるのかとかいつ寝てるのかとか思われてませんか」

「でもない そこは難しい所で自動書記では出来ないところかな」

「最近携帯での編集やりにくなってます 昼の部はいいですけど」

「でもない でもない でもない でもないのよ ぐわっはっは

酔郷にて しょの第三夜

その異国とはどこだろう

今日もバー『聊斎』のカウンターに腰掛けて嵆は一人で考えていた

するとまた見透かしたようにマスターの蒲さんが話しかけてきた

 

「何を考えているのですか そうゆうときはこれですかね ムーンライトかムーンリバーでどうでしょう」

「ぼくはジンが苦手なのでバーボンベースの方にします」

出されたムーンリバーは月のような黄色ではなかったが よく見ると底の方に砂が溜まっているようで さらに目を凝らしてみたら難破船のようなものが沈んでいた

 

 

空港からは比較的近いけれどフェリーの船着き場ホルトストリートワーフまではシャトルバスしかなく 接続があるのは朝の10時の便だけである さすがに夜は無理だなと思っていると

​・

嵆はグラスの底の難破船を掬おうとしたがそれはするりと逃げて人の顔に変わった 振り向くとその顔の主が つまり彼女が立っていた

「ぼくがなにか考えると目の前に現れてくれるんですね」

「そうかしら でもそのフェリーの行き先まではわからないでしょ」

フェリーの行き先? そうゆえばあれは何だったのだろう マスターのカクテルを飲むといつもどこか知らないところで目をさます

そうゆえば嵆は彼女の名前もまだ知らないのだった いや忘れたのだろうか

「わたしのなまえ

 なにがいいとおもう?

 ならむかしのなまえがいいわね

 あのときはきかれなかったから

 でもあなたはしっていたはずよ

 なぜなら

 それはあなたがずっとさがしているなまえだから

 

 

以下次回

 

 

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酔郷 しょの3

「ハカセ 『聊齋志異』についておせかしてくりさい」

「あーこれは杉浦茂の漫画で上中と出てるが下はまだ未完だな」

 

「ちゃいますホンコの方で 今週はスピンオフでしょ」

 

「わかたわかた オリジナルは中国は清代の短編小説で500篇くらいあるらしい 作者は蒲松齢(1640年-1715年)である 怪異文学の最高峰とゆわれボルヘスも絶賛したちう 名作だな」

 

「ホラー苦手ですけど 映画化とかされてないのかな」

 

「そら中国のことやからいくつもあるが良いのは少ない 西遊記や紅楼夢みたいにやりゃいいのに とオモタらチャイニーズゴーストストーリは香港映画だが最近リメイクもされてる」

 

「中国映画は面白いね こないだも陰陽師観てました」

 

「とにかくスケールがはんぱやない モブシーンやワイヤアクションなどすごリヤル 見てくれだけでなく人間がちゃんといごいているところがえらい おまけにヒロインがかえらし」

 

「ハカセはこれをいったいどないネタにするんですか」

 

「知らん それに元ネタはモシトツ絡めてあるのだぞ 時空の表現方法についてはちょっと事情があってここは本意ではないがいま研究中である 鏡がうまく使えないからとゆうこと

酔郷にて しょの第四夜

 

その日はいつもより店は賑わっていた とゆうのはマスターの蒲さんのお誕生日だったからである

もう仙人になるくらい生きてますからね

といつもの笑顔を見せながら ちょっと考え込む そして

たぶん嵆さんにはこの色はタブーなんでしょうけれど

と新しいカクテルを作ってきた

 

これはアクア・マリーナでしょうか

 

似ていますが少し違います その名前はヒントになりますね アクア・マリーナだとペパーミントを使いますが この細かいレシピはヒミツです 先日植物の話がありましたから考えていたのです

 

植物とゆうか何かの樹液かな

と 嵆には思い当たる節があった たぶんメラレウカではないか 確かにマスターが言うように彼に緑色はタブーだけれど エキスでありエッセンスでもあると聞いていたからだ

客達はみんな長居はせず マスターの誕生日祝いをして一二杯だけ飲むと 次々に入れ替わっていった

そのうち先程貰ったカクテルが効いてきたのか その客達の姿がみな異形のものに見えてきた

ここは「カンティーナ」か それとも「常世」かも知れないと嵆は思った

酔郷 しょの4

 

「ハカセ 今日は嵆康についておせて」

 

「うむ 嵆 康(けい こう)は三国時代の文人で 竹林の七賢人のひとり 妻は曹操のひ孫である しかし名利を諦め 琴を弾き詩を詠い 老荘に至ったシトやね 得意な曲は『広陵散』だ 刑死するが最後にそれを演奏したとゆう」

 

「嵆はけいと読むのね とゆうことは」

 

「まーご想像に任すが 今週の昼の部は夜の部の解説版とゆうことではないので まだまだ趣向はあるのだ」

 

「趣向とゆうか 酒肴ちゃいますのん」

 

「今回は自動書記やってるわけではないからな 説明を要するものはゲージツではないと誰かがゆうとったが そら引き出しが少ないかその容量が狭いだけとちゃうけ」

酔郷にて しょの第五夜

 

何を読んでいるのですか

 

満月にはまだ遠い三日月の夜 嵆がいつものバーカウンターで読書していると マスターの蒲さんが覗き込んできた

 

『聊斎志異』です 岩波文庫もあるんですけど杉浦茂の漫画版の方が読みやすいから

 

と 嵆は苦笑いした バーの中は薄暗いので字が読みにくいとゆうこともあったのだ

 

下巻が出てないので収録されなかったか画かれていないのかと思いますが『書癡』とゆう一遍をご存じでしょうか 本の中の栞から美女が出てくるとゆうお話し

 

蒲さんは杉浦茂ならよく知っているとばかり こうも付け加えた

 

今日のカクテルはこれにしましょう ホワイトレディ

ジンは苦手とゆうことでしたが コイントローと檸檬ジュースで飲みやすいですよ

 

それは「顔如玉」ですね

 

富家不用買良田 書中自有千鍾粟

安居不用架高堂 書中自有黄金屋

娶妻莫恨無良媒 書中有女顏如玉

出門莫恨無人随 書中車馬多如簇

男兒欲遂平生志 五經勸向窗前讀

 

>ある日、(郎玉柱は)『漢書』の第八巻を読んでいて、本のなかに、美女のかたちに切り抜いた「しおり」のようなものを見つけた。よく見ると、かおかたちが生きているようだったので、ひっくり返して見ていると、突然、実物大の美女に変身した。美女は「顔如玉」と名乗り、「あなたとは前からの知己です」と言ったところを見ると、古本の精かなにかのようだ。

 

 

今日も彼女の姿は見えないようです その本の中にいるかも知れませんね

ああ それなら

顔如玉とは「書中に女あり、かんばせ玉のごとし」

「かんばせ」とは「顔馳せ(かおばせ)」からの音変化で 顔の様子 →花の顔(かんばせ)

 

と嵆は呟いてその本の一節を思い出した

 

>花のような顔はむしろ玉にも似て白々と冴えて、黒々と泳ぐ大きな瞳だけが怪しく燃えていた

ホワイトレディはジンベースのカクテルだがジンは松ヤニだろう もともとはジンではなくてペパーミントリキュールを使っていたらしい イエーガーマイスターならどうか でもそれでは白色にならないぞ それよりコアントローはオレンジピールだし レモンも入れるから 結局白くなったのだろうか

白? なぜ白

 

酔郷 しょの5

「ハカセ 顔如玉が出たので玉について調べました 古琴玉」

 

「ラクタ君 おまい 無理にネタにしようとオモてないかい」

 

「いいじゃないですか 玉は中国神話にいくつも出てきます」

 

「せやな 『紅楼夢』でも賈宝玉と林黛玉のせつない話だな」

 

「薛宝釵も出てきますがどろどろした三角関係じゃないです」

 

「三国志の『武』水滸伝の『侠』に対して『情』の文学やで」

 

「道教・仏教の思想もあります まぼろしの境界・太虚幻境」

「通霊玉てのもあるしな そこはまたいづれ取り上げるかの」

「玉は玉子にも通じますか 龍とかに玉子の話があったです」

 

「龍と蛇は切り離せない関係である 龍は卵生にして思抱す」

 

「護法の話ですか しかし引き出しは色々あるもんですねー」

 

「11月まで続ければわかるような気もするが もう週末だ」

 

「ハカセ延長お願いしますどうせ十五夜まではやるんでしょ」

 

「ぎくっ

酔郷にて しょの第六夜

 

マスター 赤 青 黄 緑 白ときたところで

黒いカクテルとゆうのはあるのですか

 

黒ビールを使ったトロイの木馬なんてのがあります あとはコーヒーやカカオとかカシスのリキュールを使えばできますね 

ブラックラグーンはちょっとあれなので それよりまずはこれにしましょう ブラックレイン

この黒の色調はブラックサンブーカとゆうリキュールで薬草みたいなもの エルダー(スイカズラ※ニワトコ)やリコリス(甘草)なども加えます

 

カクテルが出来たとき 入り口の珠帘をもちゃげてひとりの男が入ってきた 背は高くがっしりとはしているが顔は童顔なので子供のようにも見えた そしてその両眼はまさに 鏡 のようであった

 

私は乙と申します ご一緒してよろしいですか

 

ああどうぞ いまカクテルを楽しんでいるところで

 

何でもいけますので 私も何かお薦めをひとつ

 

こりゃなんだか ウワバミみたいにお強そうですね

 

でわ とマスターの蒲さんが作ったのは 昇天 とゆうカクテル

これはスピリタスとラッテ・リ・ソッチラでどちらも度数が世界一とゆわれているくらいだからきついですよ まさに(Go To Heaven)

スピリタスはポーランドの酒

ポーランドとゆえばあれかな

嵆は独りごちた

乙さん 失礼だがあなたの眼は何かこう

蟒蛇 とゆうよりはもっと不思議な・・

 

おや わかりましたか

実は私 乙天護法とゆう龍でございます

そのやりとりをマスターの蒲さんは黙って聞いていたので 嵆は尋ねた

 

何か凄いお店なってきましたね

 

でわマスターは一体なんですか

 

私?今日のカクテルは黒なので

玄武または玄冥とゆうことでは

 

だったらわたしは朱雀の祝融よ

と そこへ彼女が突然現れた

わーびっくりさせないでください

じゃあぼくは何になるんですかね

白虎はイヤだな寅卯は苦手なんで

では蓐収とゆうことでは

いまはもう秋ですからね

嵆さんには良い季節かな

何かゲームでもするつもりかしら

わたしもいっぱいいただきたいわ

でも黒いカクテルはいや 赤よ赤

 

さすがは朱雀さんですね

夏の祝融とでもゆうかな

どこか南の湖沼にご縁ないですか

それをまた先程からじっとみていた乙だが

自らの頭の博山に尺水を集めたかと思うと

にわかにその鏡のような2つの眼が光った

 

嵆が気がついたとき

乙さんと彼女の二人の姿は消えていた

 

そして

マスターの姿もなかった

 

 

以下次週?

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