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​ブンボーグ009再び

●「道具」の話である 特に「文房具」について考察する
となるとサブテキストはあれかな と気づいたシトはえらい

 


まずは基調報告として「文房具」ではないが知的遊戯の不可欠脂肪酸である「本」とそのコンテイナから入る

 

本はそもそも巻物(スクロール)であった 巻数などの語源になったヴォリュウム本(巻本)から コードの語源であるコデックス本(冊子)への変遷の中で 巻物を収納する「箱」つまり「本箱」から 扉付きの収納「棚」そして「本棚」とゆうものに変化したのは「本」の形態が変化したからである

 

巻本であれば 最終頁を参照するにはたんびに全部ひもとかなければならない さらに何かを記載するにも持ちにくい とゆうことでまずは書字版(タブレット)とゆうものができた(ギリシャローマ時代) この「タブレット」とは「テーブル」(食卓・書記台)「タブロー」(窓枠・絵画)などに暗合するものであり このあいだに写字した用紙を挟んでいったのが書物の始まりである

 

用紙については最初はご存じ「パピルス」(ペーパーの語源)であるが これをギリシャ人は「ビブロス」と発音していたので そこから「ビブリオン」(※バイブルにも繋がる言葉)ができ 中国の竹製書字版から製紙技術が発明され シルクロードを経てヨーロッパに伝わるも 高価なためパーチメント(羊皮紙)が工夫され パピルスに取って代わってゆく

 

「タブレット」の普及によりコンテイナは「アルマリウム」(戸棚)から本棚(書架)へと発展した これにはまた修道院(ベネディクト会)の発達が関与していて「司書」(ビブリオテカール)らが信者に閲覧させるためにわかりやすく棚に陳列する必要があったのである それは縦置き所蔵の発達 そして厳重保管のための鍵付き保管箱(チェスト)の始まりである

 

また閲覧のための工夫として「書見台」(レクターン)との融合もある さらに当時は黙読より音読であったので 隣が喧しいと困るから「ブース」で区切られるようにもなった これは「キャレル」(個人用閲覧席)と呼ばれ 書物は鎖で書架に繋がれていた
 

書物が鎖で繋がれていたとゆう点については 本の「装幀」とゆう字が「装釘」と書かれていたことでもわかる 「ハードカバー」もその名残である

 

閲覧室の書見台は次第にベンチ型になり教会の信徒席のようになるが 近代の図書館がどこか教会に似ているのはこのせいであるらしい

●まずブンボーグ002 はジェット・リンク 「エンピツ」が登場する 彼は気がくるっていた

 

その理由は 身長は17.5cm 体型は円形 三角形 星形もあるが主として6角形であり 
 

>鉛筆の先は3本の指をほぼ等間隔にして持つため、断面が3の倍数角形や円以外だと、指が稜に当たってしまう。
 

>正六角形の鉛筆は、同じ量の木材から多く作ることができる。円はそれに次ぐ(ただし、3の倍数に限らなければ、正方形が最も効率がいい)。
 

>円形の鉛筆は、傾いた面に置くと転がってしまう。※これは誤りとゆう説もある

 

とゆうことである さらに

 

>赤鉛筆を含む色鉛筆の軸の断面は円であることが多い この理由は次のようなものである
色鉛筆の芯は黒鉛の芯より強度が劣る 円形の断面は芯と表面の距離が近い方向がないため芯に衝撃が伝わりにくい
色鉛筆は絵画に使うことが多くさまざまな持ち方をするため稜が邪魔になる

 

また

 

>受験生向けの縁担ぎとして、「合格」に掛けた、断面が正五角形の「五角」鉛筆がある

 

古代 文字は動物の皮などに鉛をこすって記述した のちに細長い鉛と錫の合金を使い外側に木軸を巻き付ける製法により現代の原型ができた 記録に残る最初の黒鉛鉛筆製造は17世紀のステドラー(※後のステドラー社創業者の先祖)である 鉛筆を使ったものによる最初の記述は16世紀スイスの博物学者ゲスナである 

 

18世紀末にフランス革命戦争がありフランスに黒鉛と鉛筆が輸入できず発明家のコンテが黒鉛と粘度を焼いて作る現在と同じ仕組みの芯を開発し大衆に定着した さまざまな道具の中で極めて当たり前でありふれたゆわば汎用性のあるものは鉛筆なのだが 異母兄弟をはじめ親戚がたくさんいて お尻に消しゴムがついているものもあり これはずっとあとになってから登場した※消しゴムの発明は18世紀 エンピツと消しゴムのフュージョンは19世紀である 6角形になったのは同じく19世紀である

 

日本で最初に鉛筆を使用したのは伊達政宗である 家康も使用したとゆう

 

黒鉛とは鉛ではない シャーペンの芯を lead(鉛の意味)とゆうのはこの名残であるが 黒鉛は炭素の結晶であり重金属ではない
またペンシルの語源はラテン語の penis(尾の意味)に縮小辞のついた penicillus である pen とは類似するが語源上の繋がりはない

 

しかしエンピツは気がくるっていた

 

「帽子屋」が狂っていたのは水銀によるものであるが 彼のバワイは自分の内面に存在するかも知れない「なまり」を気にしていたことによる

 

だいたいやね ぼくがいつもつかっているこうゆうゆいかたをあなたはどうおもてんのか なんかいやらしいんとおもてんのちゃうか まともなゆいかたやとおもちゃあるか まともなんやったらそのまともさのきじゅんてなんやねん

 


●ブンボーグ007=グレート・ブリテンと 004=アルベルト・ハインリヒ 「三角定規」が登場する

 

彼等は双生児だが(※007と004は違う)二人の性格は大きく異なっていた 外見だけなら兄は45度の角を二つ持ち弟は30度の鋭角を一つ持っているという違いだけで まずまずよく似た三角形の兄弟であると云えた 三角定規(兄)はケント紙と友達であり三角定規(弟)はリヒトバインダーと友達であった

 

つまり双子であるぼくの息子達の名前である

 

この名前を考えた経緯は巧妙である 生まれた顔を見てから考えることにしてあったがその猶予は2週間であった まず0学的見地から彼等の星「火行」のエッセンスを考慮した上で画数に拘ることにした

 

しかし「誕生日が同じで画数も同じ」となるとそれは「運命を二分する」とゆう考えがあり書店で姓名判断に関する本を物色していたら面白いものを発見した それは「誕生日と画数には関係がある」というものであった 早速その著者に直接電話をかけて教えを請うた(突然の電話であったがとても親切にご教示して頂いたことに感謝しています)

 

当時ぼくはドラクエIVをプレー中でその主人公の子供が双子であったことを思い出す
 

バカボンのパパはその本から画数を丹念に分析し さらにキーとなる漢字を配置することにした

 

選択肢はたくさんあったがウチのナニのリクエストに最後に「人」という漢字を使うように(※ジュリーの息子はかずと)とのリクエストがあったので少し楽であった
「人」の字の使用は0学的には悪くないとの友人の令洋先生からOKが出ていた
もちろん最高の組み合わせというものは難しいので 画数から全ての漢字を拾い出しそこから悪いモノを順次消去していった

 

まず「理人」(リヒト)が決まった 読み方はやや作為気味
次にもう一人が「文人」だと理系・文系は安直だし「研人」だと画数同じ「賢人」はできすぎとゆうことで「謙人」(ケント)に決まった
さらに国際性をも考慮したので Kent と Licht とゆう表記が使える
漢字はあまり難しいものを避け口頭で説明できるものを選択した

 

ケントの謙は「ごんべんにかねる」とか「上杉謙信の謙」などと説明できる
リヒトの読みは変わっているが「理科の理と人」など
またこれも大事なことだが愛称にしやすいこと
けんちゃん りーちゃん と呼ばれている

奇をてらったとゆうほどでもないので 親戚一同みんな満足して貰えたのは良かった

思えばいろんな事があったがその二人も今は社会人である


 

ここで親戚である25種一組の雲形定規が登場する

 

この25人全員がそれぞれそのアイデンチフィケイションの対象である所の他の仲間24人をそれぞれ独立した存在とは認めていないとゆう点でこれはいかにも原始的口唇期における父親との同一化と同じ同一化に思えるがこれはさらにその前段階からの同一化でありそれは父親との同一化のバワイその対象はひとりであるが彼等はそれぞれ他の24の瞳と互いに同一化しているのだからこれはもう単なる情動的な結びつきとは考えられずさらに彼等は自分をいわゆる同化的遠心的同一化をも行っておりこのふたつの同一化の共存はもはや相互同一化とでもゆうほか無い複雑なものであってこれを前述した同一化の時期的考察とも考え合わせたバヤイ集合的無意識による同一化つまり彼等25人は彼等が生まれる前から相互に同一化していたとしか考えられない

 

しかしそれはおそ松くんであろうと数の問題でわなくレゾンデチ棒がののじののじと自分の描きたい曲線を自由に描いたり連続した微妙な曲線を描いたり数学的に計算された放物線および等角螺旋を描くために用いられる「道具」として存在したとゆうことである

 


●ブンボーグ006=張々湖 「大学ノート」だが登場する前に彼は既に死んでいた

 

大学ノートは物事を秩序正しく整理するのがスキでありそれは自分の頭の中の雑多な思考を扱う際にも同じだったので他者の質問に答えられないとすればそれは自分の思考が論理性に欠けているためだと判断し自分の思考さえコントロールできないとすればそれは自分の思考そのものが論理性に欠けているためだと判断し自分の思考さえコントロールできない自己の雑思考整理能力を責め続けたためであった

 

しかし彼の行動自体は論理性からはかけ離れており荒飲矢のごとく脳内出血からその頁を閉じた 弔辞で勧進帳を読んだリータモは「私もあなたの数多くの作品の一つです」と結んだ

 

 

●ブンボーグ005=ジェロニモ・ジュニアと008=ピュンマ 「糊」と「ホチキス」が登場する

 

どちらも接合の専門家である

 

消しゴムは男色家であったが糊は色情狂と思われていた しかし倒錯者ではなく単に性欲が人並み外れて旺盛であっただけである 毎朝のモルゲンエレクチオンはもとよりマッドオナニストでもあった リビドは常に亢進しいかなる刺激でさえも性的欲求に置き換えられ彼の体内には3日もかからず満充電されるスペルマが満ちあふれていた しかして独りよがりの記述を接合するためにそのエキスは生み出され続けた

 

ホチキスは気違いであった 関わるものは全て躰にコの字の針を撃ち込まれたような痛みを感じた しかしホチキスの針(はり)はしんとも呼ぶので芯と思うシトもあるし玉と呼ぶものもある JIS規格上の名称は「ステープラ用つづり針」である さらに最近ではハリナックスなどの玉無しタイプも普及しているのでコレはもうトランスジェンダーである ホチキスのことをホッチキスとゆうのは明治初期に現イトーキの前身が輸入したステープラはホッチキス社のものであったからである

 

糊とホチキスがチッスすることは難しいが隙間を埋めることはできるかも知れない 糊ではないけれどギプスやアロンαなどの瞬間接着剤やスキンステープラなどは医療にも用いられるしココロノスキマにも用いることができればシアリスさえ不要かと思える そしてスピリチュワルな高みに至れば果てはテストステロンも分泌しアドレナリンセロトニンドーパミンそしてβエンドルフィンさえ増大おぢさんなのだ

 

コココ
  コ
  コうゆう話になるとまたフイバしてしまうので以下略


 

●ブンボーグ003=フランソワーズ・アルヌール トリは 「ペン」が登場する

 

リテラトゥーラにメモリアするための道具でありシッディである プレコグはないが主としてクリヤボヤンスや天耳通を有する

執筆は読書であり読書は記憶であり記憶は執筆である
 

記憶はロキとイマギネスを接合することであり音楽用語ではソルミゼーションともゆう

 

アルスコンビナトリヤにおいてはアリガレレクタするためにすべての知の作用をカテーナで繋げる コロンやカンマやピリオドを使用しないのはスペースによって代替しようとしているアルスノタタリヤである ノンセンテンチヤを目指して索敵システムをぐぐるべきロキは書架や網ではなく頭の中なのだ ゼロゼロナンバーは単なるファイリング上の便宜であってグリッド分けやルブリカーレするためのマーカーである これがクォートの意味論とゆうものである ノータエやリテライニテルジビリスの使用はタブラとゆえる コンシダラチオをリテラチュラにシミュラクラしようとしている ギリシャ語やラテン語には「読む」とゆう動詞はなくアナギクスノコーとは「再知」もしくは「想起」である アタマの中のアタマにアタマの中のアタマがアルスメモラチバである ドキシスはメモリヤでありメモリヤはプラクシス それこそがレクチオ そしてメディクチオ!

 

リホスはケルンジにバルクする 正しいか?

 

みんなにデクノボーと呼ばれほめられもせず苦にもされずそういう者に私はなりたい

さて^^ パクリもえーかげんにしなさいっ とオモテるそこなあーたっ
009と001が出てこなかったのは語り部であったからで 新元号を迎えるにあたり そこでようやくナンバリングがにたぁっと笑うのである

​ 2013年作 2019年改稿

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