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ZERO

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また新たな物語を始めたいところだが
まずは6月まで遡ってみたい

6月


0602

カウントゼロの箱 しょの0

 

カウントゼロの カウントとは伯爵のことである
セサミ・ストリートのカウントもドラキュラ伯爵
リヒャルト・フォン・クラフト=エビングは男爵
レオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホは騎士
マリアンヌ・フェイスフルの母の曾祖父母の兄弟

嵆のアッサンブラージュである「箱」にカウントしたものとは

彼はニューナゴヤで爆猟犬を仕掛けられた こちらのフェロモンと髪の色に標的を定めているやつだ そいつは栄の七間町通りで追いついてきて 林なす茶色の脚と輪タクのタイヤとを縫い 彼のメルセデスめがけて突進してきた そいつの中核は1キログラム分の再結晶ヘキソーゲンと薄片TNT

ある生の崇拝が「幻視」の微表と「蜂蜜」の微表のもとにディオニュソス宗教を準備した だがディオニュソス宗教はこの二つの微表だけに支配されていたのでもなければ また三番目の葡萄酒の微表だけに支配されていたのでもなかった 四番目の要素だった蛇はバッコスに憑かれた女が身につけている そして葡萄酒と牡牛 女と蛇 それはゆわばゾーエーが症候群と化して語り出したのである

 

以下次回


0603

 

ぼくのセサミいちおしキャラはグローバーである
次いで カウントとカーミット
モンスタ系キャラの中では唯一憂愁に満ちている
新シリーズは彼に任せてみよう


0604

 

カウントゼロの箱 しょの00

 

グローバーは夢を見た 灯りを消した黄昏のホテルの小部屋でカウントが腕枕してくれ それから愛撫してくれてぼくの首を咥える 身動きせずに横たわったままでも カウントのしていることはわかる

結び目付きの紐は どこまでも伸びてゆく 時々 トンネルの角や分かれ道に出会うと そうゆうところでは 紐が支柱に結びつけてあったり 透明なエポキシの大きな塊で固定してあったりする 空気は相変わらず息が詰まりそうだが 前よりは冷たい その空間隧道では通路が拡がっていてその先がいくつかに分岐していた

0と00はハウスナンバーだ グローバーは気がつかなかったが カウンターを回していたのは自分自身だった キーも失ったし カウントはもういなかった 彼は酸性雨がしとどに降りしきるニューナゴヤの繁華街に出かけカジノを探す そこで出会えるわけでもないのに

前項のゾーエーとは ケレーニイの論考によると 「生」とゆう概念は 古代ギリシャ語の生・life・Leben・livre といった言葉はラテン語の vita で終着点に行き着く そこでそれ以前のビオス・ゾーエー・プシュケーとゆう三点セットで考えようとゆうことだ ニーチェのディオニュソスは盲目の陶酔とか オットーの狂気とかの議論では無く ディオニューソス神は破壊されざる生 すなわちゾーエーの化身であることの論証であった

 

以下次回


0606

 

カウントゼロの箱 しょの10

グローバーは抱えていたものをカーミットに見せる カーミットは目を疑った さりげない木箱で鍵が付いている コーネルか? いやそうじゃない ここにカウントしたものは青と赤の生体モニタ とあるアーチストの作品だ 他にもあるの? ぼくが見つけたものは3つ 6年がかりでね ゆわば魂のブラックホール
カーミットは箱に引き込まれていた

マペットとは マリオネットとパペットを組み合わせたジムヘンソンの造語である 文楽が元ネタ マペットは1800人以上いる 第1号はカーミット カーミティ・フロッグの愛称で呼ばれるが 語尾に-yをつけるのは~ちゃんとゆうことだ 1969年頃から登場

「狂気それ自身が ある宿命的な知を つまり避けようのない知を隠す仮面である場合が ときどきある」(ニーチェ) しかし事実としてはそうでは無かった なぜそうではないかとゆうと それはただその精神錯乱は 諸々の仮面がコミュニケートしたり 自ら移動したりすることをやめ ある種の死の硬直さのうちに混同されるようになる契機を指し示すから とゆう理由によるだけなのである

人はどのようにして芸術家になるのだろう 芸術生活に至る道は様々である けれどたいていの場合 人はがっかりするほど当然の理由から芸術を目指す 若い頃に自分は絵の才能があると気づくのだ あるとき紙と鉛筆を持って座り 人間や事物を生き生きと描く能力を発見する 自分には他の子供とは違う能力があると主張する
グローバーの道はこれとは違っていた

 

以下次回


0607

 

カウントゼロの箱 しょの9

 

カーミットはグローバーの箱に引き込まれていた
箱はどうしようもない隔たりを 喪失と憧憬を喚起する 地味で優しく どことなく純朴だ 中にはいくつかの物体があった
此の箱は宇宙を 時間を 詩を 人間の経験の限界に凍りつかせたものであった
グローバーくん きみは何を待っているのかね

カーミット (Kermit) はコンピュータファイル転送プロトコルおよび通信ソフトウェアの名称である カーミットはファイル転送 端末エミュレータ スクリプト言語プログラミング および異なるハードウェアやオペレーティングシステム間での文字コード変換の機能を提供する

そもそもはディズニーキャラであり セサミには客演したのが最初であった 初出は1955年のWRC-TVで放送された番組『Sam And Friends』 まだプロトタイプであった 1994年にイギリスの伝統校オックスフォード大学の弁論部で講演をしたこともある
Kermit's Letter and Number's Segments 文字のKを書くコーナーでグローバーと共演した

K中間子はこの世で確認されている唯一の時間飯店物質である 古今東西の井戸時計店でも売っている ここでまた嵆として登場するのは 軽茶のKとゆうわけではなく こころのKであったり 梶井のKであったり 倉橋のKであったり カフカのKであったり クッツェーのKであったり 蓋しカストルプやクレーゲルでも クイーンズランドでもカーセルダインでもよいわけだ QもCも含めてカ行とゆうことで この段落の文頭も全てカ行である かようにぼくの本棚には既にたくさんのKがいるし 故・銀猫姐さんの蔵書が10メートルの本棚に加わって総量は倍近くふくれあがったため 考えてみればKもまたさらに増殖しているはずだ かくして本棚のエントロピーも増大する 各本にある独立した時間はいくつもの虚時間を構成している ここに虚時間とゆうものは空間とはまったく違う振る舞いを見せる 混沌こそ印哲の基本だが古代インドでも時間は流れず こうゆうことをあらわす言葉がなかったのである 「空」も畢竟それは時間論であって流れるではなく静止・持続・消滅だったのだから

 

以下次回


0608

 

カウントゼロの箱 しょの8
 

グローバーの家族は母が一人 子供っぽくて騒々しくておっちょこちょいだが人助けとダンスが大好き あるときはスーパーグローバーに変身して平和を守る お誕生日は10/14 ウェイターやセールスマンの仕事をしている シェリフもあった
プロトタイプは1967年のエドサリバンショーに初出 セサミには69年に登場 グローバーの名前になったのは70年頃
彼女はロジータである 

『グローバーとロジータの愛』
ナレーションが愛について15秒まで説明するときにグローバーが『難しくて説明できるわけないよ!』と答えた後、時間を気にしていたロジータが『愛してるわ!』と抱きしめた、このときグローバーは『苦しい!』と言っていた。※この動画は調査中
ロジータとゆえば 『シング』のメインキャラだがこれは違う セサミの方はメキシコ出身のバイリンギャル フルネームは「ロジータ・ラ・モンストゥルア・デ・ラス・クエヴァス」洞窟のモンスターという意味

遡ってローリング20の頃 ジョセフコーネルはマンハッタンの近郊フラッシングのユートピア・パークウェイに移り住んだ ここでジュリアンレヴィ美術館に前衛芸術の数々の洗礼を受ける レヴィの291画廊はフランスのシュールレアリスム運動をニューヨークに輸入した最初の美術館だ もともとコーネルはシュルレアリストでは無かった 彼が興味を持ったのは非芸術的なつましいイメージやオブジェたちであった たとえばマルセルデュシャンやクルトシュヴィッタース 彼がエルンストの『百頭女』に出会って最初の作品を作ったのは1931年 ※ぼくが香里園の駅前の本屋で『百頭女』を手に取ったのは1970年代の終わり頃のことだ
レヴィはコーネルの作品は模倣だとしてあるものを薦める それが『箱』だった

ロジータは云った
きっと狂っているのね こんなところにいるなんて あなたはクレイジーよ わたしもクレイジーだけど


まいったな そろそろまたひとつの記念日が近づいてくるが 緑の太陽を見ることは出来なくても きみの居るところは分かっている いつの日か
 

以下次回


0609

 

カウントゼロの箱 しょの7
 

マペットショーの方がたくさんの大人パロディや多彩なゲストもある ここではグローバーはヨーダのチョイ役 相変わらず脳天気でテキトー レイアはフツー 他のゲストショーではピギーが紛している 今回配信のデズニ・オビワンケノビではおてんばでちょっと困ったちゃん

グローバーの箱の中身は
主たるものは三種の神器 玉 鏡 剣 のはずだった しかし彼がこの箱を作ったときまだ剣が発券されていなかった そこで彼は それは自分自身のことであろうと思っていた
それは雲雀の舌のゼリー寄せとして虹蛇の呂に含まれる 青龍は東から西を向く そのとき白虎はバラゴンからガボラに変身した

今日我々がシュルレアリスムを振り返るときに思い浮かべるのは ダリの溶ける時計や キリコの人気の無い不気味な広場や マグリットの山高帽を被った紳士のようなものである しかしローリング20にはまだたくさんの重要人物がいた 例えばミショー つまり千の剣だ

「突然、だが、先駆者としての一つのことば、伝令としての一つのことば、人間に先んじて地震を感じる猿のように、行為に先んじて警報を受けとるわたしの言語中枢から、発せられた一つのことば、《眩しく目をくらませる》ということばにすぐ続いて、突然、一本のナイフが、突然千のナイフが、稲妻を嵌めこみ光線を閃めかせた千の大鎌、いくつかの森を一気に全部刈りとれるほどに巨大な大鎌が、恐ろしい勢いで、驚くべきスピードで、空間を上から下まで切断しに飛びこんでくる。わたしは内心ひそかに苦悩しながら、それらのナイフや大鎌と同じ速度の耐え難いスピードに自分を合わせ、益々激しくバラバラに裂け、解体し、狂気へと陥ってゆきながら、ある時はそれらナイフや大鎌と同じく途方もない高さにまで、それから忽ち、すぐ次の瞬間には、それらと同じく深海の深さにまで、ついてゆくことを強いられる……それにしても、一体これはいつ終わりになるのだろうか……それがいつかは終わりになるとして?
終わった。遂に終わった。」

 

以下次回


0612

 

カウントゼロの箱 しょの33
 

カウント伯爵は巻き舌である
三回も巻けば雷鳴が響き渡る
あっ あっ あっ ⚡️⚡️⚡️
そのトゥR‘ーを文字表記するるるのは難しい

「R」の発音の仕方と一口に言っても、実に様々だ。うなったり、舌を丸めたり、舌を巻いたり。まるでドクター・フーのように変化して、まったく別の音になるものの、どれも「R」であることに代わりはない。ドクター・フーがどれだけ姿かたちを変えても、同じ「ドクター」だというのと同じように。けれども、どういう「R」の音を出すかによって人は、自分がどういう人間で、出身はどこで、どういう風に思われたいのか、実に雄弁に物語っている。
少なくとも1種類の「R」音を含む言語は、世界全体で75%に上る。「R発音」を英語の言語学用語で「rhotic」と言う。ほとんどの言語に「R」の音が含まれるものの、同じような発音は非常に少ない。口の一番奥で発音するのも「R」なら、唇で発音るすのも「R」だ。舌を細かく振動させるいわゆる巻き舌、空気の通過をしっかりふさぐ舌、空気を少しだけ通す舌、あるいはまったく何もしない舌など、舌の関わり方も様々だ。それでも私たちはだいたいどれも、同じ音のバリエーションだと認識する。たとえばフランス語の場合、「いわゆる」フランス語のRと私たちが思う音は、喉の奥を震わせるうがい音のような「R」だ。言語学者はこれを「口蓋垂音」と呼ぶ。エルキュール・ポワロが名乗るときのあの音だ。
一方でドイツ語の口蓋垂音の「R」は、母音に続く場合はまったく消えるので、フランス語とは少し違う。アーノルド・シュワルツェネッガーが名乗るのを聞くと違いが分かる。あるいは映画「キンダガートン・コップ」の有名な台詞(せりふ)、「It's not a tumour(腫瘍じゃない)」を言う際、シュワルツェネッガーは「It's not a tumah!」と言い、「tumour」の最後の「R」を発音しなかった。
特徴的なフランス語の「R」発音は17世紀に人気を得た
すべての「R」音に共通するのは何なのか、言語学者は論争を重ねてきた。米シンシナティ大学による最近の超音波映像実験によると、人が「R」音を出すとき、舌の上や先の動きは多種多様でも、舌の付け根は必ず喉の筋肉を緊張させているのだという。
ほとんどの場合、「R」を発音するには他の音よりも時間がかかる。そしてほとんどの場合、幼児はなかなか「R」が言えるようにならない。舌先を振動させる巻き舌は、特に難しい。なので、もっと簡単な音で代替させようとするのは、ありがちなことだ。もっと簡単に発音するために言葉の音を変えるというのは、変化の大きい要因となる。相手に理解してもらうため面倒な発音もやぶさかではないが、もっと簡単に発音できるならそれに越したことはないのだ。ただし、欧州各地で「R」の発音がバラバラなのは、言いやすさ・聞きやすさが理由ではない。欧州では、流行とアイデンティティーが、「R」の違いの2大要因だ。
どんどん巻いていこう
大昔の欧州では、ラテン語話者は「R」を舌先で発音していた。現代のイタリア語話者の大半が使うあの発音だ。フランス語話者も長いこと、あの「R」音を使っていた。しかし17世紀後半のパリで、喉の奥でうがいするような音を出す「R」がおしゃれ族の間で流行した。舌先を振動させるのが面倒だったのかもしれないし、単にかっこいいとおもったのかもしれない。ほかには「R」を「L」や「Z」に置き換えたり、(とんでもないことに)「R」をまったく発音しないという人も増えた。そのため、有名な医師のニコラ・アンドリィ・ド・ボワ=ルガールは、喉の奥を振るわせる口蓋垂音を使うように提唱した。この口蓋垂音の「R」は次第にフランス中に広まり、舌先を振動させる「R」はやがて「下品」、もしくは「田舎っぽい」と見なされるようになっていった。
そしてこの音は、町から町へとおしゃれ階級の間で広がり、ドイツ、オランダ、そしてデンマークまで伝わりましたとさ……と言われるものの、ことはそれほど単純ではない。喉の奥の「R」はこのころすでにドイツの一部地域で出現していたという記録もある。しかも、使っていたのは都会のおしゃれ族に限らない。とは言うものの、口蓋垂音の「R」がドイツや近隣諸国に広がったのは確かに、都会のおしゃれ族や行商人の移動に伴ってのことだった。1700年までにベルリンに定着し、18世紀後半までにはコペンハーゲンに広がり、そこからデンマーク一帯に伝わり、さらに19世紀後半までにはスウェーデン南部に到達し、そこで止まった。ドイツと古くから交易していたノルウェー・ベルゲン周辺にも伝わった。
同じ音はオランダにも伝わったが、オランダは各地で色々な「R」が混在している。舌先で発音する人も喉の奥で発音する人もいるほか、アメリカ人のように口の中央で発音する人もいる。言語の変化の最先端を行くのは通常、若い女性だが、オランダの若い女性がどういう「R」を好むかは、都市によって異なる。
一方で、お隣のベルギーのフラマン語(オランダ語の一種)は、口蓋垂音の「R」を使わない。ベルギーでは、口蓋垂音の「R」を使うフランス語も公用語なので、それも関係するのかもしれない。つまり、ベルギーでは「R」の発音の違いが、その人がどの言語集団に属するかを表すのだ。
ポルトガルとスペイン語には2種類の「R」がある
口蓋垂音の「R」は西へも移動した。(一部の例外を除いて)スペインは抵抗したが、ポルトガルでは大流行した。ポルトガル語にはスペイン語と同様、二種類の「R」がある。重い「R」はたとえば「carro(荷車)」、軽い「R」は「caro(親愛な)」で使われる。19世紀後半には、大都市の実力者たちがフランス語の「R」に似た重い音で発音するようになった。フランスの直接的な影響によるかどうかは、分かっていないが、数十年のうちにこの重い「R」がほぼ主流となった。
ポルトガル語における「R」の多様性は、ブラジルでいっそうすごいことになっている。場所と話者によって、オランダ語の「ch」や「h」にも聞こえるし、文脈によってはまったく無音になる。よって、ブラジルでの重い「R」によって「carro」は私たちには「カホー」に聞こえ、「Rio」は「ヒオ」に聞こえるのだ。
ブラジルでは「R」の発音は地域によって異なる
その一方、軽い方の「R」の音は大なり小なり変わらなかった……最近までは。ポルトガルの都市部では最近、母音の後にアメリカ式に発音する人が登場し始めた。サンパウロに近い農村部ではもう何年も前からその発音だったが、「田舎なまり」と呼ばれ、おしゃれではないので広まらなかった。
他方で私たちイギリス人は、独自路線を突き進んできた。おそらく1000年前には、国内には複数の「R」発音が存在したはずだ。専門家の議論はまだ尽きていないが、シェイクスピアの時代(16世紀後半から17世紀初頭)になるとすでにイングランドの一部で、省エネのために母音に続く「R」を発音しない人が増えていたことは、(文献に残る多彩なスペリングのおかげで)確実に分かっている。しかし、母音に続く「R」は無声という発音が社会の有力者の間でも定着したのは18世紀後半のことで、そのころに一気に広まった。アメリカの独立戦争を経て本国に帰国した入植者たちが、イギリス国内の発音の変化に驚いたほどだ。
イングランドではシェイクスピアの時代に一部の人が「R」を発音しなくなった
「有力者」というのはこの場合、地図の「右上」のことだ。主にイングランドの幹線道路A5号の北側と東側、そしてもちろんロンドンで、Rを落とす発音が主流になった。ただし、ランカシャーやノーサンブリアは除外される(そしてもちろん、影響はスコットランドの手前で止まる。スコットランドはアイルランドと同様、自分たちの発音がイングランドと違うことを誇りにしているので)。
アイルランドでは「R」を落とさない。「Ireland(アイルランド)」という言葉の発音がその典型だ。イギリスでの発音は「アイランド」に近いが、アイルランド人は「R」を発音する。そしてスコットランド人は「R」を落とさないどころか、振動させる。そのため、「Fergus from Aberdeen(アバディーンから来たファーガス)」は実際には、「Ferrgus from Aberrdeen(アバルルディーンのファールルガス)」のように聞こえるのだ。
イングランド南西部の「R」は海賊を連想させる。世界にこの認識が広まったのは、俳優ロバート・ニュートンのおかげだ。南西部ドーセット出身のニュートンは、1950年代のディズニー映画で黒ひげやロング・ジョン・シルヴァーといった海賊を色々と演じ、すべての「R」をしっかりはっきり発音したことで有名だ。「Ah(あー)」は彼にかかると、「Arrrr(あるるるる)」になった。「treasure」は単なる「トレジャー」ではなく、「トレレレジャーールルル(trrreasurrre)」になった。「Get off my land(うちの土地から出ていけ)」を「Get orrrf my land」と発音する農場主というのも、南西部の人間のステレオタイプだ。それが今では、この南西部でも「R」を発音しない習慣が広まっている。
このほか、ジョーディー(イングランド北部のニューカッスルやダラムなどの人を指す)発音もある。18世紀になるころには、喉の奥を振るわせる「R」はノーサンブリア地方の人間の誇りだった。20世紀半ばまでこれは続いたが、大衆文化や教育や流行のおかげで、わずか一世代のうちにほとんど消滅した。
アメリカ流
アメリカ人も「R」発音の流行と無縁ではない。ボストンやニューヨークを初めとする港湾都市の富裕層や高学歴層は、「R」を発音しないイギリスの流行をたちまち取り入れた。南部の農場主も同様で、そこから周囲に波及した。一方で、同じ南部でも大農園から離れた山間部に住む貧困層は、流行に無縁だった。「R」を全て発音し続けた結果、どうなったかというと、ブラジルと同じだ。「田舎者」と呼ばれる発音になった。とはいえ、口の中央ではっきり強く「R」を発音するのは、必ずしも農村部の人とは限らない。この強い「R」の音は、北京で使われる中国語の大きな特徴だ。
フレッド・アステアなど米ハリウッドのスターは1930年代には「R」を発音しなかったが、40年後ともなるとその流行は廃れていた
「R」を発音しないのは偉い、かっこいいという風潮はアメリカで長く続いたが、南北戦争(1861-1865年)の後に流行は衰え始め、20世紀に入るとますます廃れていった。
南オレゴン大学のナンシー・エリオット講師は、1932年から1980年にかけてアメリカ映画に主演した俳優の発音を調査し、無声の「R」の使用頻度がどんどん減っていくのを確認した。同じ俳優でさえ、時代の移り変わりと共に「R」を発音するようになった。たとえば、フレッド・アステアは1930年代には「R」の80%を発音しなかったが、発音しない率は1970年代には28%に変化していた。マーナ・ロイは96%から7%に代わった。当初は「R」を落としたほうが社会的地位が高く、礼儀正しいしゃべり方だと思われていた。主演俳優は、主演女優が相手の台詞では頻繁に「R」を落とし、けんかの場面になると「R」を発音した。裕福な役は貧しい役よりも「R」を落とした。しかし、1960年代にもなると、「R」を発音するしないの社会的地位は逆転していた。金持ちでも「R」を発音しない役はあるにはあったが(金持ちの悪者など)、ほとんどの場合、社会的階級が低い役ほど「R」を落とす発音をした。
「R」を発音しなかった時代のニューヨークでは、多くの文献に「New York」が「New Yawk」と書かれている。ボストンなまりを面白がるのによく使われるフレーズは、「Ya cahn't pahk ya cah in Hahvad Yahd' ('You can't park your car in Harvard yard'=ハーヴァード・ヤードは駐車禁止)」だ。「R」をとことん発音せず、母音を伸ばすのだ。
どんな時でも必ず「R」を落としたのが、俳優ハンフリー・ボーガートだ。映画「カサブランカ」の名台詞「Here's looking at you, kid(君の瞳に乾杯)」と、ボーガート演じるリックが言うとき、「Here's」の「R」は聞こえない。ボーガートが「world」と言うとき、「R」が聞こえるときもあるが、「woild(ウォイルド)」と聞こえることもある。
もっと最近の俳優でボーガートに近いのはたとえばハリソン・フォードだが、フォードは必ず「R」を発音する。「スター・ウォーズ」の「He's the brains, sweetheart(頭脳担当はこいつだよ)」や「Never tell me the odds(俺に確率の話は絶対するな)」などの台詞では、「R」がはっきり聞こえる。これがボーガートだったら「R」を落として、「sweet-haht」や「nevah」と発音していたはずだ。
けれども、「R」の変化はこれで終わりではない。どこでどういう「R」の音が好まれるかは、今後も常に変わり続けるだろう。これは単なる流行ではなく、アイデンティティーにも関係することなので。なので「R」の発音は、ドクター・フー・アー・ユー?(Doctor Who-Are-You)、つまり自分は、あなたは何者かを知る手がかりになるのだ。
ジェイムズ・ハーベック

「ハカセ あンたはまたわけのわからんネタを」
「ラクタ くンまーよいではないかどうせやね
 こんな とこまで来る奴はいねえよ
     来るとしたらまだそれは見込みが?」

テネットの収束はここに集まる
とゆうかXXントではないかね
その実験はうまくいったのか?
これでもう終わりだ 33ー0


0613

 

カウントゼロの箱 しょの5
 

少し前にUTMが壊れて取り替えたばかりだが こんだわUPSが壊れてシャットダウンした そもそものお守りが本末転倒な話である^^

スピンオフがどんどん作られることによって本来のおとぎ話に蛇足が追加されていくのは如何なものか ヒーローたちはなぜ素っ裸で空を飛べるのか なぜ目や手から光線を発するのか 子供たちにそげナ理屈は要らんとゆうことだ

ジョセフキャンベルは
 神話学上で初めて「英雄」を規定した。英雄とは「生誕の再現」がたえずくりかえされる人間であり、その生命の啓示がカトドス(上り道)とアノドス(下り道)の交差の上に幾度となく成立するような人間のこと、総じては「自力で達成される服従(自己克服)を完成した人間」のことである。
 キャンベルはまた、神の造形はあらゆる民族に共通する「欲求」にもとづいているという原理を提示し、どんな神の造形も解読可能であることを示した。さらには「神話の力」を現代に通じる言葉であらわした。すなわち、神話には集約すれば4つの力があって、それは、①存在の神秘を畏怖に高める力(これはルドルフ・オットーが「ヌミノーゼ」とよんだものに等しい)、②宇宙像によって知のしくみをまとめる力、③社会の秩序を支持し、共同体の個人を連動させる力、④人間の精神的豊かさに背景を与える力、というものである。

スーパーグローバーは誰のために日夜お祈りしていると思うかね

 

以下前回


0614

 

カウントゼロの箱 しょの4
 

グローベン・ケノビはウィリアム・ホイットマン社からセールスマンの仕事を解雇された そして今度は図書館の司書になった かつて通信教育で資格を取っていたのである 膨大な蔵書を日がな一日整理するだけの仕事で 実際にはそのほとんどの業務はドロイドたちがするのだった
彼の収入はまた僅かなものになった もともと金には執着が無かったが 好きな本に囲まれたその日の生活が楽しければそれで良いと思っていた
終業のベルが鳴ると彼は図書館長のところでクレジットに日当をカウントしてもらい 駱駝に乗って砂漠の中の洞窟に戻るとゆう毎日だった

グローベンは本が大好きで 親が遺した山のような本のなかに隠れるようにして引きこもって暮らしていた 一日中本を読んでいるのに科挙の試験に受かって出世するというわけでもない むやみに本を読んでいるだけでは受からないらしい ある日『漢書』の第八巻を読んでいて 本のなかに美女のかたちに切り抜いた「しおり」のようなものを見つけた よく見ると かおかたちが生きているようだったので ひっくり返して見ていると 突然 実物大の美女に変身した 美女は「呂示威田」と名乗り「あなたとは前からの知己です」と言 ったところを見ると 古本の精かなにかのようだ しかし呂は本の中から出てきたくせに グローベンに「本ばかり読んでいては出世もできない」とさとす 「言うことをきかないといなくなってしまうわよ」とおどしながら 過激な「改造計画」に着手 ひととおりの教養・娯楽・人づきあいを指導してスタイリッシュな青年に仕立てあげる 二人は夫婦になるがやはり彼女はこの世界の人ではなかったからなのか その幸せは続かず 結末は悲しい

グローベンはその記憶を一つの絵本に仕立て上げた しかし呂理田はもういなくなっていたので それを砂漠の中に埋めることにした
「砂漠が美しいのはどこかに井戸をかくしているからだよ」とゆうセリフをおもいだしたからだった

未来の哲学者はまた同時に古い世界の砂漠や洞窟の探索者でもあり なにものかを作り出すとしてもそれは 本質的に忘却されたあるものを繰り返し思い出すことを通じてのみそうするのである このあるものとは思想と生の統一であるとニーチェは考えたが グローベンにとってそれはジャメヴュだった
これで良い これで とかれはおもった

 

以下前回


0615

 

カウントゼロの箱 しょの3
 

スーパーグローバーはこころ優しく 困っている人を放ってはおけない いわゆる悩めるヒーローでは無いが 時にはバットマンになったりスパイダーマンになったりもする しかし毎回に渡って事故を起こしてしまうおっちょこちょいだ でもとてもイノセントで たとえどんなに身勝手な相手でも力になろうとする
グローバルグローバーとしては世界に旅行して様々なことを学ぶ インドや中国を初めアフリカやオーストラリアやメキシコにも行く メキシコとゆえばバイリンギャルのロジータ グローバーとロジータの愛については動画は無い 

ロチャニとベラルゴをボリスカロしたらロレ箱る
ジョセフコーネルはローレンバコールに いやキングコングの手の中でもがいていた美女フェイレイにファンレターを書いた 返事ももらった それは彼の箱に大事に収められた そもそもどこで箱のアイデアを思いついたかは不明であるが
照らし出された快楽 そしてローズホバート シャボン玉鏡剣セットに使った木星プレート 戦術はモートン島に行く旅 憂いを秘めた不整合な賽子群 ジャングルの乙女ビアンカ・オーヴァドライブちゃんは宮殿の部屋から夢遊病のようにさまよい歩く 上を見上げ 舌を見下ろす満月 そう今日は満月だ 十五夜は人間における35歳なのだ あと何回訪れるかとゆうようなものではない 次はないと思え

一方 グローベンはとゆうと 堕悪犀怒に落ちたダースエルモを救えなかった オルペウスの竪琴に替わるべきヴァルカンハープが廃版だったからである そこで彼はストラディヴァリウスの鋸を取り寄せた

皇帝はダースシディアスだった カウントフォンカウント
肯定は意志の最高の力である しかしなにが肯定されるのか 大地や生は それが肯定の対象であるとき どのような形態を取るか 未知なる携帯は 何処かの海底にあって ゼロの中に居る間はそれは訪れないのだ ニヒリズムが断罪して否定しようと努めるものは 今のところ「存在」であるとゆうわけではない それは「一なるもの」のうちに吸収・解消されるべきものであり 漠然とした罪の感情によって動かされてはならない

 

以下前回


0615

 

カウントゼロの箱 しょの2
 

グローバーは歌って踊れるウェイターでありセールスマンであり司書である
歌として有名なものは「鏡の中のモンスター」 グローバーが『朝起きて鏡を見たとき モンスターが出ても怖がらずにみんなでワバワバしよう!』という内容がつまっている
セサミのバンド演奏で良く出てくるのがドラムバトルをバディリッチと演ったりしているアニマル君

1940年代 ロマンチックバレェはコーネルの重要なテーマとなった 彼を引き込んだのはパヴェルチェリチェフ パトロンはリンカーンカーステイン
ローリング20の頃 ディアギレフの『三角帽子』の舞台装置をピカソがデザインした 他にもマティス ドラン ブラック ユトリロ キリコなどもいる それをニューヨークで復活したいとゆうことでチェリチェフから話が来たのだが 彼はダンスの歴史よりもバレリーナに執心した
それが マリー・タリオーニやファニー・エルスラーやチェリートである

グローベンは箱を砂漠に埋めたあと 何度も白昼夢を見た
今日の午後 あのときの気分を捕まえ直してみようとしてよくわかったが 今よりもはるかに生彩があったのだ
十五夜とゆう中間地点をさかいに ぞうさんのおだんごが極大を迎え エントロピーが逆転するのなら
明日 ひとつの結果を見るだろう

1835年の冬のある月夜のことマリー・タリオー二を乗せた馬車はロシアの盗賊によって止められた 箱の蓋の裏に書かれた文章は いかにして彼女が星空の下で踊ることによってロシアの泥棒に宝石箱を渡さないで済んだかを語っていた

 

以下前回


0616

 

カウントゼロの箱 しょの1
 

グローバーのこの絵本を持っていた

STは物語だが SWは神話である
芸術は自然に向けて掲げられた鏡である 自然とは本性であり 神話の詩的イメージは自分の内なるなにものかを映している そのイメージに拘りすぎるなら それが自分自身を映し出していることに気づかなければ そのイメージを読み損ねているとゆうことだ
オビワンは理知的 アナキンは感情的
理知とは理性と知恵である しかしデカルトまでの理性主義とは異なり カントあたりから理性と知恵には限界があると近代哲学家たちは批判を始めた 一方で感情はとゆうと無限である
グローバーはどうか
共通感覚である 他の全ての人びとのことを顧慮し 他者の立場に自己を置く能力(カント) 共通感覚を奪われた人間とは まことに 論理的に考えることのできない動物以上のものではない(アーレント)

グローベンは砂漠の中に隠遁するのか
駱駝は砂漠(ニヒリズム)の動物である 彼等は荷を担ぐ動物で 砂漠の奥地まで重荷を背負っていく 二つの欠点がある まず彼のゆう「否」は偽りの「否」であり 怨恨の「否」である さらにまた彼の「然り」は偽りの「然り」である 肯定するとゆうことは担うことを意味すると信じている いわゆる「生よりも高位にある」諸価値とゆう重荷を背負っている ディオニュソス的な「然り」のカリカチュアであり その背信である 肯定はするがニヒリズムの産物しか肯定しない それゆえ駱駝の長い耳はディオニュソスとアリアドネの丸い小さな耳の対極にある

ローマ神話のディアナはダイアナのこと ギリシャ神話ではアルテミス 原初の月の女神
彼女は三つの顔を持つ 天上ではルーナ(セレネー)もしくはポイペー 地上ではディアーナ 地下ではペルセポネーもしくはヘカテー
その彫像はかつてマジソンスクェアガーデンの屋上にも飾られていた コーネルはそれを覚えていた 彼にとって全ての女性は女神だった
箱はカンストではなかった しかしちょっと女々しいと思った
コーネルは自分をシュルレアリストであると考えていなかった その諸作品も必ずしもシュルレアリスト達から歓迎されていなかった 例えばダリには盗作だと揶揄された ローズホバートはアンダルシアの犬に匹敵する映画だったのに その他デュシャンやエルンストやブルトンやマラルメなど当時の著名なシュルレアリストとの知己はあったが 総じて孤立していたようである 彼には理解者もいたけれど もうどうでも良いと思い始めていた
残り頁は少ないんだよ

 

以下前回


0617

 

カウントゼロの箱 しょの♾
 

ギャグ回りの世界のつもりかね ホバート
今週の予定では神秘石があと二つ そして
ヴィシックスアンバウンドが手に入るはず
ところがモバイルで時間のずれが先行した

ツッコミ色々入っているが
まー来週の最終回を見てからとゆうことで
ピカ2とオビワンは違うな
マンダロの時はまだそれなりに面白かった
大五郎はどうなったんだよ
それよりグレイジェダイを考えてみようか
リターンオブザ外題とリベンジオブザ寿司
そして ぐりとぐらとぐれ

もう一人のジョーゼフ
キャンベルもローリング20でまだ10代だった
コーネルよりも一つ下

グローベンとグローダの二役は無理
今週の展開がまとまらないのはそこ
だからテネットにすればどうなるか とゆう実験

 

以下 次章
 

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LQR ぽ

0621

わりと続けて見ていた 元彼の遺言状が終わった
ぼくはSFマニヤだが ミステリも嫌いじゃない
次の小ネタはLQRぽ なんかどうでしょう^ ^


          月

 

3月の十四番目の月から満月が四回と新月が三回
繰り返されているとゆうのにまともに見ていない
海王星はいま月と出会っているが次の新月までに
また新しいチャプタを考えなければいけないのだ
ポラリスはあと80年ほどでもっとも真北になる
はずだったが失踪した なので北への指針は無い

 

        以下 次回

 

 

ヘビーチャッター探偵「LQR・ぽ」 しょの予告

アガサ・メアリ・クラリッサ・クリスティ(Dame Agatha Mary Clarissa Christie、DBE、旧姓:ミラー (Miller)、1890年9月15日 - 1976年1月12日)は、イギリス生まれの推理作家である。発表された推理小説の多くは世界的なベストセラーとなり「ミステリーの女王」と呼ばれた。
彼女もローリング20の頃の人物だ 最初の作品「スタイルズ荘の怪事件」は1920年の作である
1926年に謎の失踪事件を起こす

202x年 茶玉軽之丞ハカセは自費出版したミステリー小説をある人物に献本するつもりだった しかし当の相手が失踪していたため途方に暮れていた
物語は遡る
以下次回


0622

 

LQRぽ しょの1 テキスタルト荘の怪事件

 


この時期 この時刻 全ての惑星が夜空を飾る
月は上弦で満月ではないし 梅雨に隠れていて
あの有名な文句が使えない だったらどうする

剣持0子は失踪した 月はどっちに出ているか
電話はかからないが メッセージは届いていた

ご依頼人の仰りたいことは こうゆう事ですか
      ひが医者はどこだ?      

2推理小説における代表的なトリックジャンル
2.1 物理トリック
2.2 心理トリック
2.3 密室トリック
2.4 アリバイトリック
2.5 一人二役トリック
2.6 死体損壊トリック
2.7 叙述トリック
以下次回


0623

 

LQRぽ しょの2 ベラドンナアルカロイド事件
茶玉軽之丞ハカセの助手が語り手であり犯人である
のトリックがフェアかアンフェアかの論争を起こす
ハカセ 助手のラクタですけど私はやってませんよ
ラクタ わしは今回そげな話をしておるのでわない

伴大助は アンフェアであるとして二十則を出した
1 ★事件の謎を解く手がかりは、全て明白に記述されていなくてはならない。
2 作中の人物が仕掛けるトリック以外に、作者が読者をペテンにかけるような記述をしてはいけない。
3 不必要なラブロマンスを付け加えて知的な物語の展開を混乱させてはいけない。ミステリーの課題は、あくまで犯人を正義の庭に引き出す事であり、恋に悩む男女を結婚の祭壇に導くことではない。
4 ★探偵自身、あるいは捜査員の一人が突然犯人に急変してはいけない。これは恥知らずのペテンである。
5 ★論理的な推理によって犯人を決定しなければならない。偶然や暗合、動機のない自供によって事件を解決してはいけない。
6 探偵小説には、必ず探偵役が登場して、その人物の捜査と一貫した推理によって事件を解決しなければならない。
7 長編小説には死体が絶対に必要である。殺人より軽い犯罪では読者の興味を持続できない。
8 ★占いや心霊術、読心術などで犯罪の真相を告げてはならない。
9 探偵役は一人が望ましい。ひとつの事件に複数の探偵が協力し合って解決するのは推理の脈絡を分断するばかりでなく、読者に対して公平を欠く。それはまるで読者をリレーチームと競争させるようなものである。
10 犯人は物語の中で重要な役を演ずる人物でなくてはならない。最後の章でひょっこり登場した人物に罪を着せるのは、その作者の無能を告白するようなものである。
11 端役の使用人等を犯人にするのは安易な解決策である。その程度の人物が犯す犯罪ならわざわざ本に書くほどの事はない。
12 いくつ殺人事件があっても、真の犯人は一人でなければならない。但し端役の共犯者がいてもよい。
13 冒険小説やスパイ小説なら構わないが、探偵小説では秘密結社やマフィアなどの組織に属する人物を犯人にしてはいけない。彼らは非合法な組織の保護を受けられるのでアンフェアである。
14 ★殺人の方法と、それを探偵する手段は合理的で、しかも科学的であること。空想科学的であってはいけない。例えば毒殺の場合なら、未知の毒物を使ってはいけない。
15 ★事件の真相を説く手がかりは、最後の章で探偵が犯人を指摘する前に、作者がスポーツマンシップと誠実さをもって、全て読者に提示しておかなければならない。
16 余計な情景描写や、脇道に逸れた文学的な饒舌は省くべきである。
17 プロの犯罪者を犯人にするのは避けること。それらは警察が日ごろ取り扱う仕事である。真に魅力ある犯罪はアマチュアによって行われる。
18 事件の結末を事故死や自殺で片付けてはいけない。こんな竜頭蛇尾は読者をペテンにかけるものだ。
19 犯罪の動機は個人的なものが良い。国際的な陰謀や政治的な動機はスパイ小説に属する。
20 自尊心(プライド)のある作家なら、次のような手法は避けるべきである。これらは既に使い古された陳腐なものである。
 犯行現場に残されたタバコの吸殻と、容疑者が吸っているタバコを比べて犯人を決める方法
 インチキな降霊術で犯人を脅して自供させる
 指紋の偽造トリック
 替え玉によるアリバイ工作
 番犬が吠えなかったので犯人はその犬に馴染みのあるものだったとわかる
 ★双子の替え玉トリック
 皮下注射や即死する毒薬の使用
 警官が踏み込んだ後での密室殺人
 言葉の連想テストで犯人を指摘すること
 土壇場で探偵があっさり暗号を解読して、事件の謎を解く方法
★印はノックスの十戒と類似
ヴァンダイン伴大助は探偵伴俊作ヒゲオヤジの息子

フェアの代表はDLSで Eクイーンもフェア派だ
小林はアンフェアと対談で乱歩にゆうたが 乱歩も
横溝も フェアでもアンフェアでも面白ければ良い
でないかと擁護した

ここでは毒殺である 言葉に含めた覚えはない
ベラドンナはナス科 アトロピンみたいなもの
アルカロイド単離は モルヒネであり ゲーム
以下次回


0624

 

LQRぽ しょの3 タウルス急行からオリエント急行事件

 

季節は違う
前項のノックス十戒はまだしもヴァンダイン二十則についてはそこまでゆわんでもえいんとちゃうとオモ
しろければよいのだオモ

探偵小説とゆうと英語の Detective Novel の訳語だが第二次大戦後「偵」の漢字が当用漢字に入れられなくなったためとりま推理小説と呼ばれるようになりその後それが定着したのであって探偵が出てこやんでもよくなったとゆうことではなくトリックの謎解きとゆう醍醐味のためにはそこはそれシリーズキャラ化する方がよいのであるし当然助手などとゆうものもあるわけで読者が犯人だったとゆうのも無いことはないが登場人物全員が犯人だったとか語り部や探偵自身が犯人だったとかゆうのはどうでもよいかとゆうとマーそれはコスイとオモ

トリックとは主として隠蔽のための詭計や企みであってぼくの好きな心理ゲームは犯人の知らないところで犯人の協力者がいたりするとかメタミステリのような叙述トリック(適切な訳語は無い)がオモ

2 江戸川乱歩のトリック分類表
2.1 第一:犯人(または被害者)の人間に関するトリック
2.2 第二:犯人が現場に出入りした痕跡についてのトリック
2.3 第三:犯行の時間に関するトリック
2.4 第四:兇器と毒物に関するトリック
2.5 第五:人および物の隠し方トリック
2.6 第六:その他各種トリック
2.7 第七:暗号記法の種類
2.8 第八:異様な動機
2.9 第九:トリッキイな犯罪発覚の手掛り

タウルス急行は
       間に合わなかった
以下次回


0625

 

LQRぽ しょの68 シンプロン隧道事件

 


江戸川乱歩だったとおもうが、誰かに「この探偵小説はすごくおもしろいよ」と言って、これを貸す。借りた者はある夜を選んで、楽しみにこれを読む。
 ところが、事件がいよいよ佳境にさしかかったところで固唾をのんでページをめくったとたん、そこに「ふっふっふ、犯人は○○だぞ、ざまあみろ!」という書き込みが目にとびこむ。犯人の名が目に入らないはずはない。目をそむける余裕なんてない。そんな趣向は如何かなというものだ。
ぼくはネタバレについてはあまり気にしない よってここでもそうゆう趣向もアリデベルチ さらにその裏をかけばどうだろう ミステリの醍醐味がどんでん返しにあるとゆうなら ハカセは友達を裏切ることはしない
ヴァンダインの二十則のひとつに中国人を登場させないとゆうのがあったが 彼らがそうゆう連中ばかりであることはない 何らかの理由があったのだろう でも金は裏切らないとゆうのかね

アガサクリスティが記憶喪失を起こし失踪した原因は 最愛の母の死と夫の浮気 そしてマスコミからの逃避
赤十字病院の薬剤師の経験があり毒物の知識があるやけっぱちの彼女は最初の小説を書いた ポアロ そこには登場人物がみんないなくなるとゆうような暗さを救ってくれる名探偵が必要だった
再婚相手は考古学者 「考古学者が夫なら、私が古くなればなるほど私を大切にするしかないはずですからね」
ヨーロッパを一人で旅した彼女はシンプロンオリエント急行を利用していた

自分にあわないものは徹底して嫌うこと、これがクリスティの異常な犯罪構造を確立するための創作術だったのである。

タウルス急行にシリアのアレッポから乗り込んだポアロは楽しい旅をした タウルスとは牡牛座 丑年の最後の旅として間にはあったからだ
しかし その急行の終点イスタンブールでボスポラス海峡の対岸からオリエント急行への乗り換えの旅は デンコチブを超えたあたりで立ち往生した そこであの事件が起こる
ポアロはミステリを解いた 犯人「たち」には理由があった
 そりゃそうでしょう と助手のラクタがゆう 
いやそれだけではなくてやね 剣持0子に連絡がつかなかったのは拘留されていたからで その理由も ある人物を護るためだったのだよ

 どうするんですか ハカセ
ラクタ君 以下次回などとゆう逃げはもう使えないんだ
ハカセは 銀と金の二つに分かれたアスクレピオスのロザリオを握りしめ 地元の警察には真相を語らなかった


0626

 

LQRぽ しょの35 ナイルにシスの復習事件

 

クリスティは1933年考古学者のカウント伯爵とナイル川のクルーズ船 ジオノージアン・ソーラー・セーラー号に乗船した 四年後そのネタを書く

有栖川によるアリバイトリックの種類
1.証人に悪意がある場合
証人が嘘をついていた場合
例:『ナイルに死す』(アガサ・クリスティ)、『不連続殺人事件』(坂口安吾)
2.証人が錯覚している場合
a.時間を錯覚している場合
証人が見る時計の針に細工をする、日にちを間違わせる、曜日を間違わせる、など。
例:『ウィスタリア荘』(コナン・ドイル)
b.場所を錯覚している場合
証人が犯人と一緒にいる場所(アパート、新幹線、山や川など)を間違わせる、など。
c.人物を錯覚している場合
犯人が替え玉を使った場合。
例:証人がa、b、cすべてを錯覚している場合の作品 - 『人それを情死と呼ぶ』(鮎川哲也)
3.犯行現場に錯誤がある場合
例えば実際の犯行現場はA市の山林で、後で死体をB市の雑木林に移動させてB市を犯行現場と思わせるもの。
4.証拠物件が偽造されている場合
写真トリック(合成写真)が典型。
例:『フレンチ警部の多忙な休暇』(F・W・クロフツ)
5.犯行推定時間に錯誤がある場合
a. 実際よりも早く偽装する場合
例えば3時に殺された被害者が、2時には既に死んでいたように見せかけ、2時のアリバイを用意するというもの。
b.実際よりも遅く偽装する場合
例えば3時に殺された被害者が、4時まで生きていたと思われるよう細工して、4時のアリバイを用意するというもの。
例:2件の事件でaとbのそれぞれを用いている作品 - 『鍵孔のない扉』(鮎川哲也)
A.医学的トリック
死体を冷やしたり熱したり、胃の消化物を加工したりして、死亡推定時刻の判定を狂わせるもの。
B.非医学的トリック
医学的トリック以外の方法で、aとbの例に挙げたような細工をするもの。
※AとBにそれぞれaとbがある。
6.ルートに盲点がある場合
例えば移動するのに1時間かかる2地点間を、意外なルートを使って30分で移動するというもの。
時刻表を使った鉄道ミステリに作品例が多いが、例えば歩いて1時間かかる山道を断崖の上からパラシュートで数分で下ったというものも該当する。
例:『シタフォードの謎』『ゼロ時間へ』(アガサ・クリスティ)
7.遠隔殺人
a.機械的トリック
時限装置によって発射される拳銃や時限発火装置など。
b.心理的トリック
催眠術をかけた相手や夢中歩行癖のある相手に、危険な行為をさせるというもの。
例:『空白の起点』『炎の虚像』他(笹沢佐保)
8.誘導自殺
相手に精神的に大きなショックを与えて、自殺に追いやるもの。
例:『暗い傾斜』他(笹沢佐保)
9.アリバイがない場合
犯人が訴えるアリバイが、実はアリバイでも何でもなく、読者にアリバイがあると思い込ませるもの。
例:『真昼に別れるのはいや』他(笹沢佐保)

アリバイ工作は時空を捻じ曲げれば簡単なことである
SWではトランスポーターは出てこない
転送装置は多くの文明社会で使われてきたが、最初に地球人類によって造られたのは2121年以前、エモリー・エリクソンによって考案され、2139年までには動作可能な転送装置が開発された。
ST DSC S4 ではポータブルになる^^

量子テレポーテーションはEPRペアという量子もつれの関係にある2つの粒子の間に起こる。
光子の偏向 その裏でハカセはジョセフベルの不等式を検証する


0626

 

ドクターストレンジラブの新たな内情

カーテン予告しょの00

 

次のチャプタはマルチバースシリーズ
あんだけやったのに^ ^
さらに又わけわからん展開が始まった
もうなんでもありか^ ^

あなたは幸せかと彼女は聞いた


0627

 

ドクターストレンジラブの新たな内情
カーテン予告しょの0

 

「ハカセ こんだのマルチバースとは何でスカー」
「ラクタ君 ユニバースちゅうやろ そのユニゆうたらひとつとゆうことやないかい せやからマルチゆうたらようさんあるちゅうことぢゃ パラレルワールドでも良いが 多元宇宙とゆう概念は19世紀末くらいからあんのよ たぶん心理学あたりから出ていて 20世紀にはこれがトランスパーソナル心理学とゆうニューエイジのヒューマンポテンシャル運動になるわけっ」
「むずかしーことはようわからんのれすけろも?」
「わしはぞろっとしたスカートはいて頭にターバン巻いて五穀米とか喰うてるようなスピちゃんではない いちおフロイトやユングもちゃんとおべんきょしておるからな ドラッグもやんない そげなもんに頼らんでもちゃんとチンコは勃つからぢゃ」
「はいはい どうも使い道はなさそうですけどね」
「勃てば歩めの下心ちゅてのー インドも中国も二回づつ行ってるし スリランカやバリにバンコクやベトナムそれにトルコやモロッコも行って修行している」
「なんか変なとこばっかり行ってるんちゃいます」
「ふんっ とりま 新しいチャプタに入るぞ わしは解脱のためにまたおこもりするのだ 左カラ読ンデモ脱虚脱モデン読ラカ右ぢゃ」
「あンたは脱げんぱつやのぉて脱げぱんつちゃう」

以下次回


0628

 

博士の異常な愛情 または しょの1

 

「おお 茶ンドラ博士ではございませんか」
「君は KAL9000かね 懐かしいのぉ ま 今回はちょっとちゃうのぢゃ 所謂メタフィクションとでもゆうておこう」

マーベルは版権を全部持っているからそれぞれ主人公を張れるあれだけのキャラ達を好いたように改変することも出来るわけだ 中でも 時間を操れるとゆうわけではないが タイムストーンを持っているのは彼だけだから ドクターストレンジラブとしてもだ しかしそれを観る前に ワンダの目的をまず再考しなければならない
オールスターバトルであるインフィニティーウォー/エンドゲームの後日談『ワンダヴィジョン』はちょっと凝った作りになっている 全9話のドラマ形式 最初の3話までは何これ?とゆうメタミステリィ展開で 徐々に虚構が軋み始め全貌が見えてきて 意外な真犯人が現れるエピではマインドストーンの中にMoMの伏線が描かれていた そして最終話で見事に繋がる

だが それは全ての解に対応した世界か 泡の中の別世界か バルク内のブレインか 数学的に特異点は存在するが物理学的には無限は存在しない
レベル1 カオスインフレーションは無限のエルゴード宇宙を予測する それは無限のハッブル体積である
レベル2 カオスインフレーションは多産系であり 異なる泡は異なる自発的対称性の破れを経験する その結果 異なる物理定数のような異なる性質を持つ
レベル3 バー・ヒルベルト空間の量子ママはカウンターの上に正多面体の青いサイコロを転がした そしてこう言う あるひとつの観測は予測できないけれど代わりに違う確率を持つ観測の幅があるのよ ワンダは確率操作の魔法を知っているわ
レベル4 究極集合仮説は このレベルは異なる数学的構造によって記述可能な宇宙はすべて等しく実在する と聊斎先生ことマスター蒲松齢は考えた 雲雀の舌のゼリー寄せはここまでであり レベルVはなかった

ぼくらは同じ意見だったはずなのに とヴィジョンはワンダにゆう


博士の至上な愛情 または しょの3
博士の痴情な愛情 または しょの4
博士の二乗な愛情 または しょの5
博士の非情な愛情 または しょの6
博士の身性な愛情 または しょの7


0629

 

博士の机上な愛情 または しょの2

 

グローバーの作ったカーネルの箱の中に入っていたヘックスプレートの3つの窪み(長っ)にはCMB値を高める呪文が懸けてあった CMB とは cosmic microwave background つまり宇宙マイクロ波背景放射である CMBの光子が赤方偏移を受け 宇宙のスケール長に比例して波長が延び 結果的に輻射は冷えることを防ぐためであった
ワンダの作ったウェストビュー仮想空間もCMBが異常値を示していた

もうひとつ前編のネタバレがある スパイダーマン・ノーウェイホームのマルチバース そこではピーター(スパイダーマンA)はドクターストレンジと闘うことになる マルチバースから呼び寄せてしまったオクトパス ゴブリン リザード サンドマン エレクトロらを助けようとしたからである しかしそうはうまくいかないところがドラマ 彼等は全て改心せず 結局は運命には逆らえないことが分かる はたまたオールスターバトルと新たな助っ人マルチバースのスパイダーマンBとCらの働きにより 運命は
混乱が混乱を呼ぶ 最後の解決法は全ての記憶を消すことだった

記憶するとは、自然や社会や出来事や思考や心情を、
「読めるようにしておく」ということである。
読むとは、記憶を動かすことである。
もともと失わないようにしたいことをあえて失おうとしているとゆうことは その読むとゆうことを拒否する限り 一切のつながりを絶つとゆうことであって ドクターストレンジでもそれを治すことはもう不可能なのである
宇宙が膨張と収縮のサイクルを繰り返しているとするサイクリック宇宙では その収縮時に宇宙全体の歴史が逆戻りする可能性がある とゆうのはホーキング先生もゆうているが もしそうだとしても人間は時間の逆転を観測することは出来ない 人間が宇宙を観測する時 それは人間の脳に記憶として蓄積されるが 時間が逆転すれば記憶は失われていくので 観測は不可能になるからだ
そこでマルチバースの中に自分に都合の良いものを探そうとして

しかし 宇宙を説明するだけのために未観測の宇宙が無限に存在するという仮説を立てることは、オッカムの剃刀に反しているように見える
14世紀の哲学者・神学者オッカムはこげな事を定義した
「必要が無いなら多くのものを定立してはならない。少数の論理でよい場合は多数の論理を定立してはならない。」
これがオッカムの剃刀とゆうケチの考えである
ニュートンもこうゆう
「自然物に関しては、事実で かつ充分な原因だけを認めるべきだ。同じ自然的影響については、できるかぎり、同じ原因を用いて説明すべきなのだ。」
 簡単にゆえば説明に不要なものは要らないとゆうてるだけで 否定しているのでは無い
カールセイガンだとこうゆう
「同様のデータを説明する仮説が二つある場合、より単純な方の仮説を選択せよ」

何かで読んだが と喋りかけたヴィジョンの言葉を
貴方はそれを読んではいないわ とワンダは遮った


0630

 

博士の至上な愛情 または しょの3

 

至上の愛 ラブスプリームゆうたらコルトレーンです
命日はまだ来月 彼の訃報を翌日の「火曜日」に受け取った平岡正明とゆうシトは早速こう書いた
「神さま経由 神話経由 神秘主義経由でファンになったものとそうでないものの間に話が通じないで 好きか嫌いか すべてかなんにもないかという単純な二元論しかなりたたなかったのは まさにコルトレーン神学が小乗主義であって 内攻的ドラマや神経症的葛藤がこちらに投影されただけに過ぎない」

スカーレットウィッチに覚醒したワンダは ソーサラー・スプリームである ドクターストレンジの師匠エンシェントワンがそうであった いっちゃんエライ魔術師なので定義上2人以上は同時に存在しない アース838ではイルミナティのマスターモルド スパイダーマンNWHではウォンが継いでいる
MCU初のホラー映画MoMで好き勝手した悪趣味^^監督サムライミは ドクターストレンジとワンダマキシモフのどっちゃがツオイかとゆう質問に それはどのバージョンを闘わせるかによると答えた
でわなぜ二人は闘うのか
それは魔術の術式による クンストである

しかし ダークホールドとかダークディメンジョンとか なしてそうカオスなダークスーツなのか
ダークホールドは書物である まー神曲ディヴィナコメーディア つまり
 ここには人文の地図があり、精神の渇望があり、文芸のすべてに及ぶ寓意が集約されている。それは宇宙であり、想像であり、国家であり、そして理念の実践のための周到なエンサイクロメディアの記譜だ。あらゆる信念と堕落の構造であり、すべての知の事典であって、それらの真摯な解放である。

ソコヴィア協定: 電網の中のQ連続体 づの如く者現す 其れは例えばアマビヱと申す者 Intrusion Countermeasures Ecto-spector(ICE)  コロナが人為的なバグなら早期に自然収束するはずだった 自然界と人工界には違いがあり自然の摂理は其れを許さない 自然という書物は数学的言語で書かれている しかし数学は歴史学や哲学にくらべて格別に厳密ということはない ただ ずっと狭いだけなのである 人類そのものが地球にはびこるバイラスであって逆にコロナがホストである地球の免疫反応だとゆうのでもない 磁石にNとS電気に+と-があることのように われわれは左右や上下は勝手に符号を付けているだけなのかも知れないとゆうことだ 自然界にこのような対称性があることは謎であった これをパリティとゆう パリティを考えることは自然の究極像にかかわる重大な問題を提供する ところが天才的物理屋はたいてい大の女好きなのであって かれらはパんティを破ったり 好き勝手なパんティを選んだりするのはけっこう得意なのだ いわんやハカセをや ソコヴィア協定:||
そして別の解をマルチバースから呼び寄せる


0630

 

博士の痴情な愛情 または しょの4

 

スカーレットウィッチ
ワンダは本来ミュータントである マインドストーンによって最初の覚醒をし ダークボードによってスカーレットウィッチになる
ミュータントが登場するとゆうことが理由ではないが マーベルが20世紀フォックスを買収したことによって X-MENシリーズやファンタスティックフォーも組み込まれることになった ワンダ役のエリザベス・オルセンは次作について(たぶんあるだろうが)X-MENやるならそっちに出ても良いとゆうている 原作ではワンダの父はマグニート どうも彼女はMCUの契約に縛れるのが嫌なようだ
一方 ヴィジョンはアンドロイドである 一応は最後を迎えたがホワイトヴィジョンの方はどこへ行ったのかはわからない
全てのシリーズに色んな伏線はあり有機的に繋がっているから まーなんでもありである その内ゴジラもウルトラマンも出てくるだろう

MoMでは フォックス勢のX教授を始めキャプテンカーターやキャプテンマーベルやミスターファンタスティックやブラックボルトやウルトロンなどはワンダの前には形なしであった とにかく無茶苦茶ツオイのだ
でわこれまた実は最強とも思われるストレンジはどうするか そこへ登場したのがクレアである クレアは第一作のラスボスのドルマムゥの妹の娘 ややこしー
クレアはストレンジの盟友 カオスディメンジョンでは恋人でもある もともとストレンジにはクリスティーンとゆう彼女がいたが他人と結婚 マルチバースでは色々
ぼくはレイチェルマクアダムスやエリザベスオルセンよりシャーリーズセロン推しだなー
ドルマムゥも元はエネルギー体の異次元ロボットで ロキとも同盟を結び 悪魔よりも悪いものとゆうぼぼ最強の困ったちゃんだが 唯一スカーレットウィッチだけは残す
とにかく最強がいっぱいいてるとゆうのは如何なものか

ところで なぜ空は青いのかとゆうと青や紫の短波長の光は長波長の光よりも強く散乱するからである かように宇宙の謎は
実は、われわれが勝手に宇宙原理をつくって理解可能にしたのである。実際には理解不能だが存在可能な宇宙は、いくらだってある。とくにわれわれは、そろそろマルチバースの宇宙についての理解に向かうべきである。
マーベルに良く出てくる MITとは米マサチューセッツ工科大学のこと 実際にここでロケも行われている CBA Center for Bits and Atoms はその中のラボ
分岐した宇宙はどこにあるかとゆうと、私たちがアクセスできない次元で重なり合っている。MITのマックス・テグマークは、分岐した宇宙の中で複数のシナリオがパラレルに展開されるこのような考えを「レベル3のマルチバース」と呼んでいる。これに対して、一部のインフレーション宇宙論が予言するマルチバースでは、宇宙ごとに基本的な物理学が異なっている可能性がある。テグマークは、こうした考えを「レベル2のマルチバース」と呼んでいる。
マルチバース間を移動することは 現時点では出来ない
遠く想いをはせるだけだ そこでストレンジラブ博士は
これしか道はない とするストレンジに他の道を見せる
我々自身が分岐したことに気づかないのは
状態ベクトルの時間発展が線形だからであって
エヴェレット解釈はぢつわトンデモ理論なのである

スカーレットとは緋色のこと
コナンドイルの『緋色の研究』は原題  A Study in Scarlet だから この Study とは本来「習作」と訳しても良いが「研究」の方がしっくりくる
ドクターストレンジと同じく ワトスンももとは医師である 彼が紹介された特異な人物がホームズ@カンパーバッチ そしてベーカー街221Bで共同生活を始めた最初の事件が『緋色の研究』 現場に残されていたものとは

7月


0701

 

博士の非情な愛情 または しょの5

 

ドクターストレンジ
仮に彼を諸葛亮孔明としよう スタークは劉備 キャプテンアメリカは関羽 ハルクが張飛 ソーは趙雲 ホークアイは黄忠 ファルコンは馬超 とゆうのはどうか
以下 ウォンは徐庶 スパイダーマンは姜維 ローディは龐統 ブラックウィドウは祝融 バッキーは孟獲 スターロードは魏延 ブラックパンサーは呂布 ワンダは貂蟬 ビジョンは郭嘉 ロキは周瑜 キャプテンマーベルは孫尚香 そしてサムスは曹操 なんてね うむ なんかうまいことハマったんで内科医

ドクターストレンジは天才外科医BJだった 性格は傲慢の一言 非情かどうかは押して知るべし 彼は事故によりその手腕を失うが 同じようなケガを克服したアスリートに教えられてチベットに出向く やっとカーマタージの寅の穴入門を果たして厳しい修行の末 アガモットの目つまりマインドストーンにより覚醒する
ところがある時 もっと大きなものを失って マルチバースを旅することになる

六つのインフィニティストーンがある
スペース   青 空間を行き来できる
マインド   黄 人の心を操る
リアリティ  赤 幻覚を見せる
パワー    紫 星一つを破壊できる
タイム    緑 時間を操作できる
そしてソウル 橙 魂を司る
ヴォーミアで最後の石の番人をしている
死神のような奴だが 実はレッドスカル
ちなみに「インフィニティ・ウォー」公開以前は インフィニティ・ストーンを収めた容器の頭文字並べると"サノス(THANOS)”になる という噂があった テッセラクト(T) エーテル(A) ネックレス(N) オーブ(O) セプター(S) そしてソウル・ストーンは”H”から始まるものに収められているとゆわれていた
Hから始まるものとは何か

例によって陰陽五行や六行に当てはめてみよう
五行と六行では少し違うのだが まず五行では
青は木行 青龍で東 スペースストーン
白は金行 白虎で西
赤は火行 朱雀で南 リアリティストーン
黒は水行 玄武で北
黄は土行 麒麟で中央 マインドストーン
>五行では五方正色は、黄、青、白、赤、黒の5つの色のことを言う また、青と黄の間色として緑、青と白の間色として碧、赤と白の間色として紅、黒と赤の間色として紫、黒と黄の間色として硫黄の色があり、これらを五方雑色(五間色)と言う
しかし六行では 緑は木行のエキスで西なので
タイムストーンをどこへ当てるか
そしてソウルストーンの橙は何か
橙・オレンジは 巳の要素である
さらに 虹の七色に欠ける色とは何か
虹を七色とするのは日本くらいで 英米では藍色を区別せず6色とする ドイツなどでは橙色も区別せずに5色である 但し色彩学上の定義はニュートンによる7色
とゆう事でもう一度整理すると 長波長から順に
赤 リアリティ ②
橙 ソウル   ⑥
黄 マインド  ③
緑 タイム   ④
青 スペース  ①
(藍)
紫 パワー   ⑤
これは長短で横に並べているだけだから 五行の
  水      黒
 / \    / \
金-土 木  白-黄 青
  |/     |/
  火      赤

で比較すると ゼロ学の風水としても
真ん中の黄色のマインドはそのままで
青のスペースの間に緑のタイムがあり これを時空
赤のリアリティとの間に橙のソウルが これを認識
赤と青ゆうのは青を水行とさえみれば
南北ととらえる方がわかりやすいので
四方の横軸に対し 縦軸の地(土)に
対応するものは 天とゆうことになる そこには何があるか
で 六行をヘックスで診るとこうなる 月金の色は違うかも?

 

      水・青・子丑①
月・銀・戌亥⑥  |  木・緑・寅卯③
        >・<
金・金・申酉④  |  土・黄・辰巳⑤
      火・赤・午未②

 

もっと細かく色配置をみると
 

         子・灰色 
      亥・紫,紺 丑・白,黒
   戌・濃紺        寅・濃緑
酉・金,錦     ✡       卯・緑
   申・茶         辰・淡青,銀
      未・桃   巳・黄,橙
         午・赤,紅


0701

 

博士の以上な愛情 または しょの868

 

   ドクターストレンジの選択肢
果たしてこれしか道はなかったのだろうか
1,400万605分の1! の正解とは何なのか
しかし 頁をめくる
          絵本の最期の頁には
  あのストーンが
          あるからだ
      時差は
          1時間


0702

 

「ハカセ ンまいことオチを考えるもんですね」
「ラクタ君 わしを誰やと思てんの BJやで」
「どうせわかるシトにしかわかりませんけどね」
「ほやけどこないだからウチの庭でげらげらと」
「笑てるわけではないでしょうイソヒヨドリ?」
「まーよいわ 餌の虫でも取りに出張してくる」
「助手が必要ならいつでもご用命を ドクター

 

以下次章​

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FM8XX

0704

FM8XXとゆう架空のライブトークオンラインを25時から聴いているとゆうか観ている半覚醒状態が続いていてこれは新しい明晰夢のネタなのだろうと
・147
イソヒヨドリが種→族と登って行くとヒヨドリ科ではなくヒタキ科であるとゆうことからその上はスズメ目なのでさらにその上の鳥綱でいったん止めて見よう
・153
生物ドメインの頂点で動物界まで飛んだあとまた降ると脊索動物門から脊椎動物亜門の次が鳥綱に戻る
・202
鳥類(Aves)あるいは鳥は竜弓類に属する脊椎動物の一群である脊椎動物の一群である 飛行を得意とした動物である 現生鳥類 (Modern birds) はくちばしを持つ卵生の脊椎動物である 一般的には(つまり以下の項目は当てはまらない種や齢が現生する)体表が羽毛で覆われた恒温動物で 歯はなく 前肢が翼になって 飛翔のための適応が顕著であり二足歩行を行う
・208
化石記録によれば 鳥類は1億5000万年から2億年前ごろのジュラ紀の間に獣脚類恐竜から進化したことが示されている 最も初期の鳥類として知られているのが中生代ジュラ紀後期の始祖鳥 (Archaeopteryx) で およそ1億5000万年前である
・211
鳥類は約6550万年前のK-Pg境界絶滅イベントを生き延びた恐竜の唯一の系統群である
・221
現存する鳥類は10,000種を数え 四肢動物では最も多い 中でもオウム類やカラス類は道具を加工して使用する知能を持っている
そこで次のチャプタは


0705

FM8XX ch1 カラスと机
 

"Why is a raven like a writing desk?"
「例文」とかけて「付く絵」と解く そのココロは?
It is "nevar" put with the wrong 絵'nd.
多カラズ 察し絵もつきます

Once upon a midnight dreary, while I pondered, weak and weary,
Over many a quaint and curious volume of forgotten lore,
While I nodded, nearly napping, suddenly there came a tapping,
As of some one gently rapping, rapping at my chamber door.
"'Tis some visitor," I muttered, "tapping at my chamber door —
Only this, and nothing more."
そして nevarmore

スズメ目に戻る 鳥類最大派閥である 亜目は三つ 以下多数の科に分かれる スズメ亜目の下位にカラス上科を経てカラス科を見る そしてカラス属 さらに多種に分かれる
烏合の衆とゆうが 「烏雲。烏帽子。烏瓜。烏賊。烏棚。烏羽玉。烏輪。烏滸。烏金。烏龍茶。烏将軍」 それぞれ読めるか
鳥に比べて一本少ない烏は智慧を持つ

智慧の女神パラス(アテナ)の胸像の上で
カラス 何故なくの
身勝手だからではないだろう?

9yrs
一瞬の憎しみが数年の愛を忘れさせるネペンテス
Respite--respite and nepenthé from thy memories of Lenore!


0706

 

FM8XX ch2 ミネルバのフクロウ
 

オーディンは二羽のカラス フギンとムニンを従えていた フギンは「思考」ムニンは「記憶」を表し 彼に情報をもたらす役目を担っていた
カラス科をスズメ目からハヤブサ目を経て陸鳥類まで昇って猛禽類に降るとコンドル目やタカ目の隣にフクロウ目を見る 頭部上方に耳のように見える羽角のないものがフクロウ あるものがミミズクである カラスの方が知能は高いとゆわれるが フクロウは神話に多く登場する森の賢者である
ミネルヴァのフクロウはローマ神話の女神ミネルウァ(ミネルバ)が従えているフクロウであり知恵の象徴とされる
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルが『法の哲学』(1821年)の序文で「ミネルバのふくろうは迫り来る黄昏に飛び立つ」(ドイツ語: die Eule der Minerva beginnt erst mit der einbrechenden Dämmerung ihren Flug)と述べたことはよく知られている これはどうゆう意味かとゆうと 夕暮れになるとアテナは飼っていたフクロウをアテネの町に飛ばして一日の出来事をさぐらせそれをもとにみずからの知恵を深めたとされることから ヘーゲルは哲学をミネルヴァのフクロウにたとえ 一つの時代が形成される歴史の運動が終わった後で哲学はその時代の意味を読み取り歴史を総括する知恵を見出すとゆうことだ 近年 富士フイルムの社長がこの例えをもって 次の時代はこうゆう風に備えようと述べた

智慧の女神アテナはゼウスとメテスの娘 パラスとゆうのは少女の頃に誤って殺した友達を悲しんでその名前を自分に冠したもの アテナの象徴はフクロウとオリーブである アテナ(アテーナー)とはギリシャ神話の女神でローマ神話ではミネルヴァが対応する よってミネルバのフクロウとは従者とゆうか秘書のようなものと以前『酔郷譚』シリーズで書いた
本来フクロウはアテナの聖獣だが そこではフクロウはぢつわペルセポネであるとした ペルセポネはアテナの妹である
ちょっとおさらいしてみよう

 

酔郷譚 第三部 月の砂漠 しょの6
 

バー聊斎にやってきた三人は
魔女なんだろうか こう自己紹介した
「パトラです
 ペラです
 ルナです 」
「たはは ここはひょうたん島じゃないですよ で本当はあなたたちは誰なんですか」
「ここに兄が来ていたはずですけど」
「あ そういえばさっきの青年(白龍)はどこへ行ったんだろう」
「あら その絵はヘシオドスね だったら私たちの名前もわかるでしょう クロトと ラケシスと アトロポスです 母の名前はニュクス 父の名前はゆいたくない それに他にも兄弟はいっぱいいるの さっきのヒュプノス兄さんとかオネイロス兄さんはいいけど 変なのもいっぱい居るのよ」
やってきた三人は口々に勝手なことをゆいながらカウンターに陣取った
「やっぱりモイライさんでしたか で何か飲みますか」
「お酒はテキトーで良いわ ネクタールとかエリクサーとか無いの? それより 嵆さんにちょっと用事があってね」
「はいなんでしょう」
「あなたの名前も問題があるの 嵆ってKでしょ その次はLよね さらにその次のMはヒエログリフではフクロウなの」
「『エルの物語』とゆうのをご存じかしら あたしたちは えっと この世界では木星の衛星の名前にもなってるアナンケー叔母さんのとこで紡錘の<はずみ車>を回す仕事をしているの 細かいことは省くけど ま自分で調べてね でラケシス姐さんはそこへ来るシトびとの<転生>のくじ引き担当なの 色んなシトが来るんだけどー 転生先の選択はいろいろあって 人間とは限らないわ 猿とか 夜鶯とか ライオンとか ペリカンはないかな そのなかで 白鳥の生涯を選んだシトの話は有名よ つまり白鳥座になったオルペウスさん でオルペウスがなんでそうなったかが重要な話なんだけどー」
三人の魔女たちが入れ替わりに とゆうよりほぼ同時にしゃべる内容を「総合・定義」し また自然本来の分節に従って「分割」するという「2種類の手続き」を嵆は考えていた
ディアレクティケ
さっきまで窓から見えていた月は雲に隠れてしまっていた そのぶんまた星の光が強まってあのゴッホの絵のように渦巻いている
月は裸身なのだとゆう だから時々は雲に隠れるのだと
窓の外に異様に明るいものが見えた それは月ではなく 二つの 眼 であった
眼 は部屋の中に入ってきてカウンターの端に舞い降りて形になる 一匹のフクロウであった
「また魔物が このバーはいったいなんなんよ」
しかし 嵆はこのフクロウも女性であることは間違いないと感じていた
フクロウが喋った
「はじめまして ペルセポネです」

 

酔郷譚 第三部 月の砂漠 しょの7
 

「ペルセポネとおっさいますと 生と死の間を廻る大地の女神で冥界の女王ですね」
と蒲さんはうなずき解説した
ペルセポネはゼウスとデメテルの娘 これを冥界の王ハデスが見初めてさらってしまうお話し アテナやアルテミスのように永遠の処女であることを誓っていたペルセポネを「ほなエロスの矢でゆわしたろかい」とハデスが画策したところから始まる お伴のニュムペたちからひとり離れて野原で水仙を摘んでいるところにハデスは黒馬で現れて強引に冥府に誘拐してしまう 『ペルセポネーの略奪』 太陽神ヘリオス(アポロン)にその事情を聞いたおかんのデメテルは激おこ ゼウスになんとかしてと頼むが ゼウスは「ハデスやったら別にえーんとちゃう」と発言 これにまたデメテルはさらに激おこぷんぷん丸してオリンポスから出て行ってもた それで困ったゼウスは「ハデス君 なんとか返したってーな」と頼んで一応は了解を得るのだが そのときペルセポネはハデスにもろた冥府の食べ物「柘榴」を食べてしまったため冥界に属さなければならなくなっていた つまりハデスのこんじょわるとゆうことだ そこでデメテルは妥協案として ペルセポネが一年のウチ半年(または三分の一)だけ冥界で過ごすとゆうことにしてもらい 結果ペルセポネはハデスに嫁ぐことになった またこのことでデメテルはペルセポネが冥界にいるときだけは豊饒の仕事をしなくなり 冬とゆう季節ができた これが四季の始まりである
ところでペルセポネが冥界の柘榴を食べたことを証言したのは河神の子のアスカラボス これにも怒ったデメテルはアスカラボスをフクロウに変えてしまうのである
「それはちょっと違います フクロウは実は私なんですよ 冥界の掟か何か知らないけど この躰ならどこへでも行けるとゆうことがわかったのよ でアテナの秘書とか副業でやってるわ」
「そっかー それでアテナといつも一緒の聖鳥はフクロウなのね ところで今日は何の御用事で」
「それなんだけど・・」
フクロウの眼が金色に輝いた
「オルペウスの一件はご存じでしょう 亡くなった彼の奥様を冥府に取り戻しにやってきたときの話ですけど ハデスと私の前で奏でた琴の音色があまりにも悲しかったので 返しても良いけど冥界から出るまで決して振り返ってはいけない とゆうハデスの条件を あとちょっとのところで破って振り返っちゃって おじゃんになったのね これを悲しんだオルペウスは以後女性との愛を絶つんですが アポロンだけを敬うオルペウスに怒ったディオニュソスがマイナスに襲わせて殺してしまい その首をヘブロス河に投げ込みます それで彼の死を悼んだアポロンはオルペウスを天にあげてこと座にしたことになってるわけ でもこの話はモシトツあって 死んだオルペウスは はくちょうへの転生を望んだとゆうのもあるの はくちょう座は別な逸話があるけど こと座の隣なのね」
フクロウの眼はますます輝く
「ところで 嵆さんは竜骨座AGをご存じかしら 銀河では最も明るい恒星のひとつで ちょっと珍しい LBV とゆう変光星 白鳥座のα星と似ていて これがその時の気分なのかどうか とにかく急に態度が変わるんだけど どうも何か理由があるのね」
フクロウの眼はさらに輝きを増して 嵆を吸い込んだ

さて梟の眼は何を見ていたか
ケルト神話でもグリム童話でも森のフクロウは定番であり「夕方にミネルヴァの梟が飛ぶ」とゆえば 女神アテナが変身して賢者の知恵を告げるときの比喩にさえなっている
しかしこの第三部では 冥界からフクロウの姿で舞い戻ったペルセポネがアテナの秘書になったとゆう話だったのである


0707

 

FM8XX ch3 鵲の橋の九年
 

カラス→フクロウと来たが今回の目玉は彼らではない
スズメ目→カラス科 から降って カササギ属である
鳥類全般の中では最も大きな脳を持っている
哺乳類以外で初めて鏡に映る自分を認識した
古代の日本には居なかった
しかし奈良時代以降に広く知られるようになった理由とは
大友家持の この歌による
鵲の 渡せる橋に おく霜の しろきを見れば 夜ぞ更けにける
つまり 七夕伝説の話
ところがこの歌が何故 冬の歌なのか
理由はひとつだけある
北緯35度に対し南緯24度だからだ
ほとんどの神事は「夜明けの晩」(7月7日午前1時頃)に行うことが常 つるかめつるかめ
カゴメが何を意味するかはともかく 「夜明けの晩」とは「存在しない時間」であり 25時のことである

日本書紀 第15代応神天皇の跡継ぎ問題で三人の王子が争った オオヤマモリ(大山守)オオササギ(大鷦鷯)ウジノワキイラツコ(莵道稚郎子)である 日本書紀ではこの三子の間で奇怪な出来事が起こったと記述されている そこは途中省略でオオササギが継ぐが これが第16代仁徳天皇である その名前ササギとはミソサザイのこと ミソサザイはなんちゃないスズメの一種かではなく 西欧の民間伝承でも「鳥の王」と描かれている 日本書紀の後半部分は 仁徳以下第25代武烈天皇までそれまでと違った中国的な王朝が続いたことを記述している そして武烈はオハツセノワカササギである さらに第26代がかの継体天皇だ

雉も鳴かずば撃たれまい
葦原中国を平定するに当たって、遣わされた天之菩卑能命(アメノホヒ)が3年たっても戻って来ないので、次に天若日子が遣わされた。
しかし、天若日子は大国主神の娘下照比売(シタテルヒメ)と結婚し、葦原中国を得ようと企んで8年たっても高天原に戻らなかった。そこで天照大御神と高御産巣日神(タカミムスビ)は雉の鳴女(ナキメ)を遣して戻ってこない理由を尋ねさせた。すると、その声を聴いた天佐具売(アメノサグメ)が、不吉な鳥だから射殺すようにと天若日子に勧め、彼は遣わされた時に高皇産霊神から与えられた弓矢(天羽々矢と天之麻迦古弓)で雉を射抜いた。
その矢は高天原まで飛んで行った。その矢を手にした高皇産霊神は、「天若日子に邪心があるならばこの矢に当たるように」と誓約をして下界に落とす。すると、その矢は寝所で寝ていた天若日子の胸に刺さり、彼は死んでしまった。
ここにでてくる鳥は
鳥綱の中では早くに系統がキジカモ類に分かれるキジであるが
アメノワカヒコ(天雅彦)は ぢつわ
彦星の本名だ

七夕伝説の骨子は
天河の東の織女は天帝の子であり 独身であることを憐れんで 河西の牽牛朗に嫁がせた ところが二人はいちゃいちゃしまくり千代子で仕事をさぼるようになり 天帝は二人を引き裂き 7日に一度なら会うてもよろしとしたが これを聞き誤って年に一度7月7日しか会えないことになってもたとゆうもの
この聞き誤った理由は天帝の使わした鳥(鵲または鴉)が言葉をうまく操れなかったからとゆわれる
織女や牽牛という星の名称は 春秋戦国時代の『詩経』が初出とされているが どの星を指すかは定かではない それは古代にはそれぞれベガやアルタイルが今の位置には無かったとゆうことだ
『天雅彦草紙』はこんな物語を伝えている。
 昔、長者の家の前で洗濯していた女の前に大蛇があらわれて、この手紙を長者に届けてくれと頼んだ。
 手紙には「おまえの三人娘がほしい。さもなければおまえたち夫婦を殺してしまう」とあった。上の二人の娘は拒んだが、末の娘は父母を見殺しにはできないと、池の釣殿に自身を生け贄にする。ところが大蛇の中から現れたのは美男の貴公子で、二人は仲睦まじくなった。
 ある日、夫となった貴公子が「自分は海龍王で、急用があって天に昇るけれど、7日ほどで戻ってくる予定だ。もし帰ってこられないなら、西の京に一夜杓(いちやひさご)というものがあるから、それで天に昇ってきて、天雅彦はどこかと聞きなさい。ただしこの唐櫃だけは開けないように。開ければ自分は戻れなくなる」と言って、たちまち天に昇っていった。
 そこへ姉たちがやってきて、いろいろ詰問したあげく、唐櫃を開けてしまった。中からは煙が一筋立ち上っただけだったが、これでもう天雅彦は帰れない。やむなく一夜杓で天に昇って夫を捜すことにした。
 やっと捜しあてた夫はすばらしい宮殿に住んでいた。ところが、夫は自分の父が鬼であることを告げ、もし見つかったら食べられてしまうと心配をする。案の定、鬼が来て「人くさい、人くさい」と言い出した。天雅彦はそのつど妻を調度品に変えてごまかしていたのだが、あるときその暇もなく見つかってしまった。父親の鬼は妻を連れていき、自分は数千頭の牛を飼っているが、それを昼は野に放ち、夜は小屋に入れなさいと難題を吹っかける。
 妻は夫に教えられた呪文を唱え衣の袖を振って牛を動かし、難局を切り抜けていく。いくら難題を出しても解決してしまう息子の妻に、ついに父鬼は情を見せ、では二人の絆を認めてやるが、月に一回は一緒に暮らせるようにしてやろう、と言う。女はその言葉を聞き間違えて、年に一回と思いこむ。
 父鬼が手に持っていた瓜を投げると、それが天の川になり、二人を隔てた。こうして天雅彦は彦星となり、妻は七夕姫となって、二人は年に一度の逢瀬を契ることになったとさ。

しかし 雉の頓使ひにより 天若日子の心は死んだ
いまは乃ち 其処に喪屋を作りて 河雁をきさり持と為 鷺を箒持と為 翠鳥を御食人と為 雀を碓女と為 雉を哭女と為 如此行ひ定めて 日八日夜八夜を遊びたりなむ


0708

 

FM8XX ch0 鶺䴇の刻
 

セキレイ Motacilla である スズメ目・亜目 セキレイ科 セキレイ属
人間と同様に鳥もゼロを理解することが出来る
セキレイは日本神話に初めて登場する動物で 国を生み出すやり方がわからなかったイザナギとイザナミにマグワイを教えた これが日本固有種のセグロセキレイだとされている 世界の創造にあたり天帝の助手を務めたとゆう逸話もある
セキレイの中国名は「相思鳥」

天地創造に関わる鳥たちは オーストラリアではワライカワセミ エジプトではアオサギ(ベンヌ)=フェニックスのモデル その他 ホルス神はハヤブサ トート神はクロトキ イシス神はトビ 中国ではカラス(三本足) ローマ神話ではジュノーの聖鳥はガン ゼウスの聖鳥はイヌワシ※他にウズラやハクチョウにも変身する アポロンはワタリガラス インドではブラフマーの聖鳥はハクチョウ 日本神話ではヤマトタケルの魂がハクチョウに変身 イシュタルの聖鳥はクジャクバト ノアの方舟ではハトの前にワタリガラスを飛ばしている しかしそれは帰ってこなかった

どうもこの辺は太陽神と関係があるのだろう アトゥムはラーと習合するように ベンヌは夜明けとともに生まれ日暮れに死んでゆく 古代エジプトの壁画には「有翼日輪」の絵がある 太陽は丸くなく翼があるのだ また「偶数を陰、奇数を陽」とする陰陽思想では 陽である太陽は偶数ではないから太陽の中に棲むカラスの脚は三本なのだ 日本の八咫烏はもともと三本ではなく中国神話の影響である

日本の神楽はおおむね天地創世神話を背景としていて 三本足の烏を描いた日輪と三つ目の兎を描いた月輪を吊るした また日本の神社には鳥居が立っている なぜ鳥居とゆうか 組んだ木のてっぺんに鳥が居るからだ 大略 鳥と太陽は繋がっている では月は?


0709

 

FM8XX ch00 白鳥はかなしからずや
 

「ブルカニロ博士 今週のオチはナンでスカー」
「あのねジョバンニ君 ちゃうわラクタ君 そげにいつもオチとかゆうもんでないのよ ネタとゆうものはいくら天才のわしでも次から次へとわいてくるわけではない 宮沢賢治もカラスとカササギを見間違えた(銀河鉄道の夜 第9章)くらいだ あれはシギだったのよ 八咫烏ネタ枯らす なんちての ましかし 酉は海王星のエキスであり エッセンスでもある 酉の鳥のトリゆうたらなんやろな 鳳凰か 鵬だと月が2つも付いている 火の鳥なら何度も書いたから 今回はハクチョウにしよう かぶりもん とゆうかはきもんをもってきなさい」
「あーね いつかやるだろうと思ってましたけど 子供の結婚披露宴ではやりなさんなや」
「おぼんちゃんは嫌がるだろうが こぼんちゃんならやらしてくれるかもしれん 新郎の父がお色直し ってハクチョウの湖ダンスやるとゆうのはどうか フィリップ翁みたいに」
「相手次第でしょう 勝手にしやがれ でわ?」
「そうもいかんのよ 35Nと24SM つまりこちらではサザンクロスは見えないし この時期この時間に南中する白鳥座の北十字が西の地平に立つ時期はクリスマスとゆうことだから そこまで待つしかなかろう なにしろ予定は全て狂ったのだ  背信期だからな 白鳥座V404 Cygniはブラックホールで暗黒星雲も多々あるのだ」
「だったら次の絵本の根咫は決まりです 銀河鉄道404エラーです 博士」
「読者がまだそこにいるならな けれどもほんたうのさいはひは一体何だらう

ところで今日は森鴎外没後百年の命日だ

 

以下次章

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0711

 

銀河鉄道404事件 一、
 

ではみなさんは、そうゆうふうに川だとゆわれたり、乳の流れたあとだとゆわれたりしていたこのぼんやりと白いものが本当は何かご承知ですか

アメノワカヒコハシンダ
シンダイシャニキチュウノフダヲダシテ
カラスヲツカマエル
ソノクチニスミヲフクマセテ
マッスグナセンヲヒキ
ソノウエヲハシル

ケアンズの冬の朝4時04分
彦星の魂はセントラル駅のプラットフォームに立っていた
クルツデルサールを見上げながら?


0712

 

銀河鉄道404事件 二、
 

クルツデルサール(cruz del sur) はスペイン語で 一般的にはサザンクロスとゆうほうがわかりやすい
4つの星(正確には5つ)は それぞれ
上にあるガクルックス(赤い星):下図では左側 と下にあるアクルックス(青い星:一等星) そして左右にあるミモザとイマイ 真ん中やや右下にギナンで構成される クルックス(Crux)とはラテン語の十字架のこと この上下の星を結んだ線分の約5倍のところに天の南極の位置がある
沖縄より南に行けばぎりぎり見えないこともない 南緯33度より南では一晩中沈まない
ケアンズは南緯16度だからこの時期その時間ではもう沈んでいる

働いてお金を貰う
わずかな銀貨を握りしめ
パンと角砂糖を買って家に帰る


0712

 

銀河鉄道404事件 三、
 

彼の日課は病気平癒を願うお祈りから始まる 庭に植わっていたトネリコの枝を少しづつ削って作ったロザリオの前で
裏町の小さな家 3つ並んだ入り口の一番左側には 彼の作った箱に紫色のケールが植えてあった
此を毎朝絞って少し蜂蜜を混ぜて飲んでね 酵母も入れると良いよ 牛乳は今日来ていないの? だったらぼくが取ってくる
今晩は銀河のお祭りだった

全能の神ゼウスと妻ヘーラー(ヘラ/ヘレ)。そしてもう一人、ゼウスの浮気相手の子ヘラクレス。ゼウスはヘラクレスに高い地位を授けようとしたため、正妻のヘーラーはヘラクレスを憎んでいた。
ヘーラーの母乳には、飲んだ者の肉体を不死身に変える力がある。ゼウスは赤子のヘラクレスに不死の力を与えようとして、眠っているヘーラーの乳を吸わせたが、ヘラクレスが乳を吸う力が強く、痛みに目覚めたヘーラーは赤ん坊を突き放してしまった。
その際に飛び散ったヘーラーの母乳が天の川になったとされ、ラテン語で「Via Lactea」(ミルクの道)と呼ばれた。このラテン語が、英語の「ミルキーウェイ milky way」の語源となっている。
ちなみに、銀河を意味する「galaxy ギャラクシー」という単語も、ギリシャ語で「ミルキー、ミルク状の」を意味する「galaxias」が語源となっている。

マイティ・ソーの新作ソー:ラブ&サンダーではなんとジェーンがソーと同じ力を手にしてバルキリと三人でゴア(ヴィラン)に立ち向かうが ジェーンは病魔に犯されていて とゆうお話し 例の如くソーはお笑い路線に転向しているけれど イマイチわやくちゃ度が足らない おまけにゼウスを倒してサンダーボルトを奪ったのでヘラクレスに仕返しされるらしいとゆうのが次作の予告
これ ロキの新作に比べるとちょっとオモロないと思うんだよね^^
製作上 半分くらいカットされたらしいので 全編見たいところだ

銀鉄も一次稿から四次稿までかなり改変されていて ここまでの一二三章は最終稿で追加された部分である
これは未完の作品なのだ だから


0712

 

銀河鉄道404事件 四、
 

ケンタウルス 露を降らせ
 ケンタウルス 露を降らせ
  ケンタウルス 露を降らせ
おまつりである

ケンタウロスはイクシーオーンとヘーラーの姿をした雲ネペレーとの間に産まれた。好色で酒好きだが野蛮ではない。(ケンタウロス族では)クロノスとピリュラーの息子ケイローンは医学の祖とされ、医術の神アスクレーピオスをはじめ、アキレウスなど数々の英雄を教育した賢者として知られ、また不死であった。シーレーノスとトネリコの精であるニュンペーの息子ポロスも人格者である。
アスクレピオスの杖とカドゥケウス(ケリュケイオンの杖)は似ているが違うものである
射手座はサテュロスであり これも違う

おまつりの喧噪から独り離れて 彼は萩野時計店の窓を覗きこんでいた そこには色々な宝石が海のような色をした厚い硝子の盤に乗って星のようにゆっくり循ったりしていた 陳列の中にひとつの星座早見表があった

それからとゆうもの 彼は夜毎この中に廻る星ぼしをみることにした 遠く離れた異国の地に想いをはせることもできるからだ 見上げるところは違っても夜空は繋がっているだろう 
その中をどこまでも歩いてみたい と彼は思った


0713

 

銀河鉄道404事件 五、
 

牧場のうしろの丘の黒い平らな頂の上にその塔があった それは北のおおぐま座の下にぼんやりと連なって見えた

おおぐま座とはゼロ学上では「亥」である 神話では森や泉の精ニンフの一人カリストの姿 カリストはゼウスの愛を受けアルカスを産む しかしアルテミスの呪いによって熊になった のちにアルカスはこぐま座「子」となる そのアルファ星は北極星であり おおぐま座とは北斗七星のことである

丘の頂きに寝そべって夜空を見上げていると汽車の音が聞こえてきた 彼がその向こうに見た青い星はこと座のベガ  النسر الواقعだった

さて 意地悪のザネリは少年だろうか少女だろうか
らっこの上着とは何か


0714

 

銀河鉄道404事件 六、
 

銀河ステーション
ここまでの5章はゆわばイントロ ここからが別世界
賢治は何度も推敲を重ね 決定稿は未完のままこの世を去った
第5章と第6章との間にいったい何があったのか
彼は天気輪の下から銀河鉄道の夢を見たのではなかった
二人が旅をしたのは第1章の「巨きな星の本」の中だけだった
ジョバンニとカンパネルラ
彼等の間には齟齬が生じていた そして疎遠になっていたのである
なぜそのような悲しいことが起こるのか
>なんといっても銀河鉄道は「死者の列車」であって、カムパネルラは「死者」なのである。いや銀河鉄道に乗り合わせた乗客はすべて死者なのだ。それどころか、この鉄道は死後の銀河をめぐっていた。

しかし 当初の草稿はカムパネルラは死ぬ設定では無かった ブルカニロ博士に見せられた夢の話だった それが博士のところが全て削除され 最初の数章を二人の葛藤としたところで 最終的にカムパネラの死とゆう行く末にしたのだ なぜか

汽車の中
左肩の辺りに見覚えのある人物が目の前に座っていた
何年ぶりだろう
いや つい今し方いっしょにこの汽車に乗ったばかりなのだ
白く表された天の河の左岸に沿って 一条の鉄道線路が南へ南へと辿ってゆく
いま ぼくたちのいるところはここだ
そして ぼくたちはどこまで行くのだったろう


0715

 

銀河鉄道404事件 七、
 

許してくださるだろうか
白い北十字を見る前にカムパネルラは呟いた
ここでは (誰が)許してくれるかをあえて省いたが 誰のことだと思うか

もうじき ハクチョウの停車場だね
11時きっかりには着くよ
海岸近くのその駅には看板が掛かっていた

 

 『三年間停車』
 


我々は常に「現在」とゆう時点車に縛り付けられている その車から降りることはできない 一方でその時点車は我々の生活とゆう海の中を走っている 遠い昔 自分はその時点車に導かれてこの生活の海の中に投げ込まれた 次第にましてゆく体重によって海中を沈み ついに落着したこの海底の言語岩盤にたどり着く しかしこのことは全て記憶としてあるだけなのだ とゆうよりもひとつの記憶としてあるものが だんだん脱落する部分を出しながら分断されてくる あたかも海底から浮き上がる大小の水泡のように


0715

 

銀河鉄道404事件 八、
 

鳥捕りが登場する
彼はジョバンニ達にどこまで行くかと尋ね 二人はどこまでもと答える 鳥捕りはどうやらこの列車を何度も利用しているようだ 前々項で書いたが 銀河鉄道は死者が天界へ行くためのものだとすれば カムパネルラは死んでいるが鳥捕りもジョバンニも死者ではない この鉄道は死者を乗せる以外にもなにか目的があるわけだ 鳥捕りがジョバンニのどこまでも行くとゆう言葉に好感を持ったのは つまり嘗て自分もそうだったがそれを断念してしまったことによるものだと思われる

どこまでも行く とはどうゆうことか
単に理想を求めることだろうか ジョバンニの望みはいつもカムパネルラと一緒にいたいとゆうことだ そこに「ほんたうのさいはひ」とゆう言葉が何度も現れる

 

なぜ ほんとうに ってゆうの それ以外はみんな嘘のこと?
 

と 量子ママは聞いた
 

いや ママの水割りは本当にほんとうにうまいからですよ けしてテキトーじゃない
 

ヒルベルトの量子ママはテキトーがモットーだが
どんな時でも水割りの濃さは同じであった
よって測定値の確率分布が同じなら 
どんな混ぜ方でもよいとゆうことだ
そもそも科学は「自然現象がなしてそげなことになっているか」には答えていない アウグスチヌス(354)までは「宇宙の姿はどーでもよろし 教会の知ったことではない」だった ピタゴラス(BC.582) フィロラオス(BC.470) プラトン(BC.427) そしてアリストテレス(BC.384)の自然体系は余りに独創的であったからだ ヒッパルコス(BC.190)が古代天文学体系を成立させるが プトレマイオス(83)は「天は本質的にわれわれには理解できやんのやし わかったようなつもりになったらあかん」と主張した アリスタルコス(BC.310)だけが古代から太陽中心説を唱えたがそれは異端であった 13世紀くらいになってやっとトマス秋ナス(1225)あたりからダンテ(1265)の「神曲」などに至るが まだその体系と神学大系は完全に融合せず「薔薇のまなえ」事件などが起こった

銀鉄ではキリスト教的記述が随所に出てくるが 賢治の宗教観はとゆうと法華経である 汎神論的または汎生命論的に世界を表現している さらに躁鬱を繰り返すその性格を決定づけているものは共通感覚である
共通感覚とは 他の全ての人びとのことを顧慮し 他者の立場に自己を置く能力である(カント)


0716

 

銀河鉄道404事件 九、
 

切符を拝見いたします
白鳥座(北十字)はここらでもうおしまい 終点サザンクロスに着く前に 鷲の停車場(アルタイル)や蠍の火があります

前項の共通感覚 例えば アドラーのゆう共同体感覚は初めてのシトに説明するのは難しい 時点車の意味がわからないシトに時点車に乗るとゆうことを説明するようなものである 簡単にゆうと自分の利益のためだけでは無く 自分の行動がより大きな共同体のためにもなるように行動するとゆうことである
第九章では色んな登場人物が出てくる なかでも蠍の火のエピソードにある他者貢献についてはブッダの捨身月兎のような話だ
しかし賢治はそれは理解していても それが ほんたうのさいわひ だと思っていたのだろうか

第九章「ジョバンニの切符」は全体のほぼ半分にわたる 解釈は多々ありカムパネルラの行方についての定説はない
賢治が銀河鉄道の夜を書いたのは1924年から晩年の1931年頃までで一次稿から四次稿まであり最終形は決定稿ではない その前に妹トシの死があった ジョバンニのモデルは賢治自身 カムパネルラのモデルはトシ(※または保阪嘉内)であるとゆわれる
三次稿の一節にはこうあった 最終稿には無い
「おまえは科学を習ったろう? 水は酸素と水素から出来ているということを知っている。今は誰だってそれを疑いやしない。実験してみると本当にそうなんだから。けれども昔はそれを水銀と塩でできていると言ったり、水銀と硫黄でできていると言ったり、色々議論したのだ。みんなめいめい自分の神様が本当の神様だと言うだろう。けれどもお互いに他の神様を信ずる人のしたことでも涙がこぼれるだろう。それからぼくたちの心がいいとか悪いとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。けれどももしおまえが本当に勉強して実験でちゃんと本当の考えとうその考えを分けてしまえば、その実験の方法さえ決まれば、もう信仰も科学と同じようになる。」
「さあいいか。だからおまえの実験は、このきれぎれのはじめから終わりすべてにわたるようでなければならない。それがむずかしいことなのだ。けれどももちろんそのときのだけでもいいのだ。ああごらん。あすこにプレシオスが見える。おまえはあのプレシオスの鎖を解かなければならない。」

ブルカニロ博士の実験とは何だったのか
プレシオスの鎖とは?
プレシオスはブレアデス星団のことである ※牡牛座の1つ 日本では「昴」と呼ぶ 清少納言は枕草子でこう詠んだ
星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ(※太白星:金星のこと)。よばひ星(※流れ星のこと)、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。

プレアデス星団の名前は、ギリシア神話に由来し、巨人アトラースとニンフのプレーイオネーの間に生まれたプレイアデス7人姉妹(アステロペー、メロペー、エーレクトラー、マイア、ターユゲテー、ケライノー、アルキュオネー)を指している。プレイアデスは女神アルテミスに仕えていた。
また、同じくおうし座にあるヒアデス星団のヒュアデスの7姉妹は、アトラースとアイトラーの娘たちであり、プレイアデス姉妹とは異母姉妹の関係である。このため、西欧では「七人の姉妹」あるいは「七人の乙女」の名が通っている。ギリシャでは「ぶどうの房」という名もある。


これはまー キリスト教的な薄っぺらい自我では無く グノーシス的なユングの無意識を含む自己である 賢治の元型もアニマである ニーチェの妹エリーザベトのような
善/悪または道徳についてはニーチェを出すまでもないが そげなもんは ある時代 ある地域だけにこじつけられた幻想だ
重力の鎖に縛られた星
たとえこの身が泥の塊となりはてても、なにひとつ穢さずにいたい―たえまなく襲いかかる不幸=重力により、自らの魂を貶めざるをえない人間。善・美・意味から引きはがされた真空状態で、恩寵のみが穢れをまぬかれる道を示す。(Sヴェイユ)

鳥は天と地を結ぶもの すなわち意識と無意識を結ぶものである

 

 

以下次章
 

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7月18日

 
笑えるが泣ける
泣けるが笑える

 

人情噺を作るのは難しい ぼくは学生時代に学校へ行く電車賃がないとゆうような生活も経験しているが それでいて生活費を全部はたいて百頭女のハードカバーを衝動買いするような甘ちゃんであったから そうゆう噺は書けないのだ ビンボーは正しく底辺を知ることだ
 

親分 てーへんだっ
何っ てーへんかけるたかさわるにだと?

 

しかし陽子ちゃんも電子ちゃんも光子ちゃんも
中性子もトレーダーだったが 量子ママは違う

 

異論
 


スバルを出したからでも無いだろうけれど 昨日は意外なシトから久しぶりに ヰタ・セクスアリス とゆう言葉を聞いた
今年(7/9)は没後100年だった
小ネタでホイは妄想科学小説だが シモネッタとゆうわけでもない それはヴィーナスのモデルだ


7月19日

 
森鴎外の簡浄 しょの弐

 

この「獅子のごとく」のフルムービーは無さそう
まだ若き江守が誰に似ているかとゆうと
カーク船長では無くて^^
ここにでてくる鴎外の妹(小金井喜美子)の孫は星新一である
星には「祖父・小金井良精の記」があるが 講談社とはひともめあった


7月20日


森鴎外の簡浄 しょの参
 

高校の国語(現代文)で習う文学作品は三省堂のサイトでは 鴎外は『舞姫』(前出:獅子のごとく)だけである
ここでは 夏目漱石 島崎藤村 以外には著名どころが少なく 知っているのは安部公房 谷川俊太郎くらいで その他
山田詠美『ひよこの眼』 村上春樹『レキシントンの幽霊』など
これ以外の出版社からは
『羅生門』芥川龍之介 『富嶽百景』太宰治 『檸檬』梶井基次郎 『サーカス』中原中也 『伊豆の踊子』川端康成 『城の崎にて』志賀直哉 『なめとこ山の熊』宮沢賢治 『こころ』夏目漱石 等が教科書に収録されている
富岳百景は 「井伏氏はつまらなさそうに放屁なされた」とゆうくだりだけ覚えている^^
前に書いたように『枕草子』を息子らが習わなかったとゆう一件で母校にクレームをしたことがあるが
ぼくが重要だと思う「中学の国語の教科書」ではこうだ

 

『注文の多い料理店』宮沢賢治 『トロッコ』芥川龍之介 『少年の日の思い出』ヘッセ 『走れメロス』太宰治 『大阿蘇』三好達治 『サラダ記念日』俵万智 『山椒魚』井伏鱒二 『故郷』魯迅 『山月記』中島敦 『道程』高村光太郎 『坊っちゃん』夏目漱石 そして『高瀬舟』など 
その他 杉浦日向子 別役実 寺山修司 野坂昭如 そして手塚治虫『この小さな地球の上で』もある
なぜかわからないが 海外文学がほとんど無い ヘッセと魯迅と孔子と韓非子と杜甫しかない トーベヤンソンもあるのに探し方が悪いのかな そんなことはないだろう

中学での『高瀬舟』や『山椒大夫』は良いとして 高校での『舞姫』はいかがなものだろう^^ どうせなら『ヰタ にすれば良いのにね
欧米の国語の授業では一部の抜粋では無く一冊まるごと読ませる まー広く浅くでも良いが これらのラインナップではとうていカバーしていない まずは文学史もしくは文学概論をやればどうか 中学・高校6年間もあるんだからな 基礎教養とゆうならせめて海外もシェイクスピアやドストエフスキーくらいは知っときなさい ニーチェは読まなくてもヨロシ


7月21日

 
森鴎外の簡浄 しょの四

 

簡浄とはかんたんでわかりやすいこと
晩年の鴎外が自身に戒めた文体である

 

ぼくのばわいは形式に拘りすぎて内容が無い^^
文体的特徴を計量的に調べた考察では
源氏物語に始まり 三島由紀夫などを対象にして 句読点の使用方法を明らかにした研究がある
初期作品の『舞姫』などに多い文語助動詞から 後期作品にみられる文末表現のですます系助動詞などに変化がある
鴎外は文学博士であるとともに医学博士であるから
そうゆう視点はライバルであった漱石と違うところ
医者や教育者や軍人より物書きになる夢があったが
ドイツで何をしていたかとゆうと軍医である
北里柴三郎とコッホの衛生研究所にも入った
そして ベルリンで出会ったドイツ人女性が
『舞姫』のモデルつまり自伝的小説

これがなぜ高校の国語の教科書に載るのか
テーマとしては個人の自由意思と家や国家の枠組みの束縛との葛藤を描いたものだ 簡単にゆうと愛と出世の板挟み

石炭袋をばはや罪はてつ

 

主人公・豊太郎(=森林太郎※鴎外の本名)が 困っている踊り子エリスに救いをさしのべたあと
嗚呼、何等の悪因ぞ。この恩を謝せんとて、自ら我僑居に来し少女は、ショオペンハウエルを左にし、シルレルを右にして、終日兀坐する我読書の窓下に、一輪の花を咲かせけり。
とゆうくだりがある 悪因とゆうのはエリスに出会ったことがこのあと豊太郎の苦悩の源泉になっていくとゆうことだ
シルレルとは ドイツ文学においてゲーテと肩を並べるフリードリヒ・フォン・シラー(1759-1805)のことで ベートーベン第九の原詞で有名 そしてカント哲学の研究者 のちのヘーゲルやフィヒテに多大な影響を与えた


空耳意訳
 

なくした夢は 碧い海の色
no kiss than dream in blue sea
あなたにそっとうちあけたい
ain’t it soft u would see
ひとりきりを 忘れるように
history of risk might wash away
どんなに悲しいことも わたしに伝えて
don’t miss the mess to throw it
あなたの瞳のエリス みつめかえして
and the night eyes, Ellis, look back
泣きたい夜にひらく古い宝石箱
naked night hi-lights jewelry box
少女でいれば叱られない
shows little silent as before six
恋のために 髪を切る日は
‘cause the day to cut ya hair for love
涙はこぶその風が 教えてくれるよ
none of tear in the wind we have
あなたに逢うためだけに 生まれてきたと
and nobody can be each of us born to
はじめて聴いた声がなつかしい
haze meets yr voice at first
想い出よりも あたたかくて
all my memories at last
ふたりきりで眠れるように
who spend da night together than u
みつめてかなえる願い 言葉はなくても
me wish my look of love without a few
あなたに逢うためだけに やさしくなれる
ah, me to be wit u to be tender being
どんなに悲しいことも わたしに伝えて
don’t miss the mess throw it to me
あなたの瞳のエリス みつめかえして
and the night eyes, Ellis, look back to me


7月22日 
 

森鴎外の簡浄 しょの五
 

嵆君は哲学に衒学趣味がある 哲学者といふ概念には何か書物を書いてゐるといふことが伴ふ しかし嵆君は趣味が高じている癖に自著は二冊しか書いていない しかも変なものだ 一方で書物は沢山読む 週に10冊近く近所の図書館から借りてきて読んでいる 読んでいるとゆうよりは半分は積ん読であり 斜め読みである ゲージツについては高い要求があり なんでも良いとゆうわけではなかった 自己の哲学を構築しようとは思わないが ゲージツの何たるかに拘りはある そこで茶玉軽之丞が付く絵を描く 夏目金之助が吾輩は猫であるを出せば 吾輩も猫であるとか 吾輩はコネがあるとか 吾輩は下戸であるとかゆうようなものを描く そのうちに作中の人物になりきるためには何でもするようになりコスプレをして現場に出張する 海外でも行く 何に付けてもそれが性衝動であるかのように かつまたフリジディタスとでもゆうべきゲージツのシトツのリーベスウェルブンクである つまり性欲のリビ度が絵画になったり彫刻になったり音楽になったり小説脚本になったりするといふことになる 献身だなぞといふ行をしたシトの中にはサドもマゾもゐる そういふ色眼鏡で見ることに陥るのは良くない セクシァルなる足癖(回文)とはノーマルかアノーマラスかをわかるためには試してみないといけない そこで嵆君は


7月23日

 
「ハカセ なんぞまた新しいネタはおまへんの」
「うーむ そこなんよね こりがまたなかなか」
「まいど わけわからんのはいいんですけどね」
「とりま ネタ思いつくまでマッシュアップで」

 

マッシュアップとは、IT用語としては、複数の異なる提供元の技術やコンテンツを複合させて新しいサービスを形作ることである。複数のAPIを組み合わせて形成された、あたかもひとつのWebサービスであるかのような機能が、マッシュアップと呼ばれている。
「マッシュアップ」(MashUp)とは「混ぜ合わせる」というほどの意味である。もともとは音楽関係の業界でよく用いられてきた。まったく何もない状態から創造するのではないが、すでに在るものを用いて再び新しいものを創生する、というニュアンスがある。リミックス曲などがマッシュアップに相当する。
でこの Pomplamoose は鬼才マルチプレイヤー Jack Conte と奥さんのデュオだったのだが 相変わらず色んなマッシュアップをやっている 同じく美女マルチプレイヤーの Elise Trouw とかスナーキーパピなんかともやっているが どれもヨロシなー

 

7月23日

 

プロイセンブルーの夢 予告
 

普魯西 バルト海沿岸の民
おフランスは何度もやったので 新しいチャプタはドイツ文学です 東西統一によりドドイツの範囲としては広義にドイツ語で書かれた文学とゆうことでオーストリアからチェコやスイスも含まれる 例えばカフカ 古くは中世の宮廷文学としてトリスタンとイゾルデやニーベルンゲンなどから始まる 近代に入るとラブレーのガルガンチュワ バロックではドイツ抒情詩やグリンメルスハウゼンの阿呆物語 啓蒙主義時代は哲学者のライプニッツとゴットシェートの批判的詩学 そしてワイマール古典までに最も偉大なゲーテとシラーが登場する
今回取り上げるのはゲーテやシラーは大きすぎるので そのあとのドイツ浪漫から
ゲオルク・フィリップ・フリードリヒ・フォン・ハルデンベルク
誰 ってゆわないように^ ^


7月24日

プロイセンブルーの夢 予習
 

ぼくはロマンチストだ
吾輩は浪漫主義である

 

違いはあるか
 

ロマン主義(ロマンしゅぎ、英: Romanticism、仏: Romantisme、独: Romantik、伊: Romanticismo、西: Romanticismo、葡: Romantismo)は、主として18世紀末から19世紀前半にヨーロッパで、その後にヨーロッパの影響を受けた諸地域で起こった精神運動のひとつである。それまでの理性偏重、合理主義などに対し感受性や主観に重きをおいた一連の運動であり、古典主義と対をなす。恋愛賛美、民族意識の高揚、中世への憧憬といった特徴をもち、近代国民国家形成を促進した。その動きは文芸・美術・音楽・演劇などさまざまな芸術分野に及んだ。のちに、その反動として写実主義・自然主義などをもたらした。
上に書いてあるが
ロマンティシズムは英語で
ロマンチズムはフランス語で
ロマンティクはドイツ語である

 

ロマンを「浪漫」という当て字で表記したのは夏目漱石であり、1907年の講義録『文学論』にその存在が確認できる。
漱石も鴎外も明治から大正にかけての文豪だが 所謂 反自然主義とゆうことで デカダンやダダイスムではない「余裕」とは何だろう
ローマ帝国時代のラテン語には、文語としての古典ラテン語と口語としての俗ラテン語が存在したが、その差はさほど大きくなかった。しかし、衰退期に入ると文語と口語の差は徐々に広がり、やがて、ひとつの言語の変種とは呼べないほどにその違いは大きくなり、文語は、古典ラテン語の知識のない庶民には理解困難なほどにまでなった。対して、その時代の口語のほうをロマンス語と呼んだ。ロマンス語で書かれた文学作品はロマンスと呼ばれるようになり、ギリシャ・ローマの古典文学の対立概念とされるようになった。ロマン主義(ロマンティシズム)の語源はここにある。したがってロマン主義の「ロマン」とは、「ローマ帝国の(支配階級、知識階級ではなく)庶民の文化に端を発する」という意味である。

 

ロマン主義の底流に流れているものは、古典主義や教条主義がしばしば無視した個人の、根本的独自性の重視、自我の欲求による実存的不安といった特性である。ロマン主義においては、古典主義において軽視されてきたエキゾチスム・オリエンタリズム・神秘主義・夢などといった題材が好まれた。また、それまで教条主義によって抑圧されてきた個人の感情、憂鬱・不安・動揺・苦悩・個人的愛情などを大きく扱った。また、古典主義はその技法上の制約によって芸術的自由を抑圧したと非難する主張や、古典主義の欠陥に対する反発から、ロマン主義は出発したとされる。
 

文学上のロマンティックとゆう最初の記述はフランスのジャン=ジャック・ルソーでこれがドイツに飛んでまたフランスに逆輸入される
 

自然主義は ナチュラリズム
写実主義は リアリズム(英)レアリスム(仏)


7月25日

 

プロイセンブルーの夢 予習2
 

例によってこの時代(18-19世紀)のドイツのシトびとを整理
1724-1804 イマヌエル・カント (Immanuel Kant)
1749-1832 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (Johann Wolfgang von Goethe)
1759-1805 フリードリヒ・フォン・シラー (Johann Christoph Friedrich von Schiller)
1762-1814 ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte)
1767-1845 アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲル (August Wilhelm von Schlegel)
1768-1834 フリードリヒ・シュライアマハー ( Friedrich Daniel Ernst Schleiermacher)
1770-1843 ヨハン・クリスティアン・フリードリヒ・ヘルダーリン (Johann Christian Friedrich Hölderlin)
1772-1829 フリードリヒ・シュレーゲル (Friedrich von Schlegel)※弟
1770-1827 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (Ludwig van Beethoven)
★1772-1801 ゲオルク・フィリップ・フリードリヒ・フォン・ハルデンベルク (Georg Philipp Friedrich von Hardenberg) ※ノヴァーリス
1773-1853 ルートヴィヒ・ティーク (Ludwig Tieck)
1775-1854 フリードリヒ・シェリング (Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling)
1776-1822 E.T.A.ホフマン (Ernst Theodor Amadeus Hoffmann)
1785-1863 ヤーコプ・ルートヴィヒ・カール・グリム (Jacob Ludwig Carl/Karl Grimm)
1786-1859 ヴィルヘルム・カール・グリム (Wilhelm Carl Grimm)※弟
1788-1860 アルトゥル・ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer)
1797-1849 クリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネ (Christian Johann Heinrich Heine)
1813-1883 ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー (Wilhelm Richard Wagner)
1818-1883 カール・ハインリヒ・マルクス (Karl Heinrich Marx)
1844-1900 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ (Friedrich Wilhelm Nietzsche)
1875-1955 パウル・トーマス・マン (Paul Thomas Mann)
1879-1955 アルベルト・アインシュタイン (Albert Einstein)
1888-1964 エルンスト・クレッチマー  (Ernst Kretschmer)
ドイツ以外では
1862-1922 森鴎外
1867-1916 夏目漱石
1740-1814 マルキ・ド・サド 仏(Marquis de Sade)
1746-1828 フランシスコ・デ・ゴヤ 西( Francisco José de Goya y Lucientes)
1756-1791 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 墺(Wolfgang Amadeus Mozart)
1757-1827 ウィリアム・ブレイク 英(William Blake)
1775-1851 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー 英(Joseph Mallord William Turner)
1783-1842 スタンダール 仏(Stendhal)※マリ=アンリ・ベール(Marie Henri Beyle)
1791-1824 テオドール・ジェリコー 仏(Théodore Géricault)
1797-1828 フランツ・ペーター・シューベルト 墺(Franz Peter Schubert)
1798-1863 フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ  仏 (Ferdinand Victor Eugène Delacroix)
1799-1850 オノレ・ド・バルザック 仏(Honoré de Balzac)
1802-1885 ヴィクトル=マリー・ユーゴー 仏(Victor-Marie Hugo)
1803-1870 プロスペル・メリメ 仏(Prosper Mérimée)
1804-1876 ジョルジュ・サンド 仏(George Sand)
1809-1849 エドガー・アラン・ポー 米(Edgar Allan Poe)
1810-1849 フレデリック・フランソワ・ショパン 波(Frédéric François Chopin)
1821-1867 シャルル=ピエール・ボードレール 仏(Charles-Pierre Baudelaire)
1825-1899 ヨハン・シュトラウス2世 墺 (Johann Strauss II. )
1832-1883 エドゥアール・マネ 仏(Édouard Manet)
1832-1883 ギュスターヴ・ドレ 仏(Paul Gustave Doré)
1836-1895 レーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホ 墺( Leopold Ritter von Sacher Masoch)
1838-1889 ジャン=マリ=マティアス=フィリップ=オーギュスト・ド・ヴィリエ・ド・リラダン伯爵 仏(Jean-Marie-Mathias-Philippe-Auguste, comte de Villiers de l'Isle-Adam)
1839-1906 ポール・セザンヌ 仏(Paul Cézanne)
1840-1926 クロード・モネ 仏(Claude Monet)
1840-1917 オーギュスト・ロダン 仏(François-Auguste-René Rodin)
1840-1902 リヒャルト・フォン・クラフト=エビング男爵 独(Richard Freiherr von Krafft-Ebing)
1841-1918 オットー・ワーグナー 墺(Otto Wagner)
1841-1919 ピエール=オーギュスト・ルノワール 仏(Pierre-Auguste Renoir)
1842-1898 ステファヌ・マラルメ 仏(Stéphane Mallarmé)
1848-1903 ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャン 仏( Eugène Henri Paul Gauguin)
1853-1890 フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ 蘭(Vincent Willem van Gogh)
1856-1939 ジークムント・フロイト 墺(Sigmund Freud)
1860-1911 グスタフ・マーラー 墺(Gustav Mahler)
1862-1931 アルトゥル・シュニッツラー 墺(Arthur Schnitzler)
1862-1918 クロード・アシル・ドビュッシー 仏(Claude Achille Debussy)
1862-1918 グスタフ・クリムト 墺( Gustav Klimt)
1863-1944 エドヴァルド・ムンク 威(Edvard Munch )
1864-1901 アンリ・マリー・レイモン・ド・トゥールーズ=ロートレック=モンファ 仏(Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec-Monfa)
1866-1944 ロマン・ロラン 仏(Romain Rolland)
1866-1946 ハーバート・ジョージ・ウェルズ 英(Herbert George Wells)
1869-1951 アンドレ・ポール・ギヨーム・ジッド 仏(André Paul Guillaume Gide)
1869-1954 アンリ・マティス 仏(Henri Matisse)
1870-1937 アルフレッド・アドラー 墺(Alfred Adler)
1872-1898 オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー 英(Aubrey Vincent Beardsley)
1874-1946 ガートルード・スタイン 英 (Gertrude Stein)
1881-1973 パブロ・ピカソ 西(Pablo Picasso)
1882-1963 ジョルジュ・ブラック 仏(Georges Braque)
1883-1924 フランツ・カフカ 端(Franz Kafka)
1884-1920 アメデオ・クレメンテ・モディリアーニ 伊(Amedeo Clemente Modigliani)
1890-1918 エゴン・シーレ  墺(Egon Schiele)
1890-1976 マン・レイ 米(Man Ray)
1891-1964 コール・ポーター 米(Cole Porter)
1893-1990 カール・メニンガー 米(Karl Augustus Menninger)
1896-1940 フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルド 米(Francis Scott Key Fitzgerald)
1897-1957 ヴィルヘルム・ライヒ 墺(Wilhelm Reich)
1899-1961 アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ 米(Ernest Miller Hemingway)


7月25日

 

プロイセンブルーの夢 予習3
 

なんだ まだ予習かとかゆわないように^ ^
 

19世紀末 浪漫に目覚めて古典をむさぼり歌を詠み歌会で知り合った歌人と不倫の末に結婚そして夫をパリに送り出したあと自分も鴎外の援助ながらシベリア鉄道に乗ってあとを追った女性がいた
「いざ、天の日は我がために金の車をきしらせよ、 颶風の羽は東より いざ、こころよく我を追へ。黄泉の底まで、なきながら、 頼む男を尋ねたる、その昔にもえや劣る。 女の恋のせつなさよ。晶子や物に狂ふらん、 燃ゆる我が火を抱きながら、 天がけりゆく、西へ行く、 巴里の君へ逢ひに行く。与謝野晶子」
女性がそのような表現をすることが許されなかったこの時代に この官能やいかに

 

夜の帳にささめき盡きし星の今を下界の人の鬢のほつれよ
 

晶子はペンネーム 本名は旧姓で 鳳志やう この志やうを 晶とした 名前に太陽(日)を三つ持つとゆうこと 実家は堺の老舗和菓子屋 裕福ではあったが母は後妻で先妻の姉がいて また三女とゆうことで両親から疎まれ 肩身は狭かったようだ
十九 二十歳の晶子が出会った運命の人とは与謝野鉄幹 ますらお 明星を創刊し白秋や啄木を見出す もともと教え子とのスキャンダルが何度かあった鉄幹は 晶子と知り合ったとき既に妻子がいた 明星のスポンサーは妻の実家 そこへ晶子との醜聞により離婚 鉄幹は落ち目になってゆく
晶子には実はもう一人ライバルがあった 同じく才媛の山川登美子 この三人の関係がどうなったかは解説動画を検索しなさい
大略 晶子は鉄幹に添い遂げてその浪漫を最後まで実践したのだが

7月26日

 

プロイセンブルーの夢 予習4
 

ちょっとご質問もあったのでもう少しここ掘る
 

与謝野鉄幹(1873年) 海王星 酉
与謝野晶子(1878年) 水王星 寅
山川登美子(1879年) 魚王星 卯
なるほどねぇ そうですか
魚王星とゆうのは月王星の陰なので この二人はまさに陰と陽
しかし水星と月星は共にホット星 海王星は木星の陰なのでクール星であり ちょっと優柔不断で煮え切らない
そして鉄幹にとっては二人ともゼロ相性なのである
逆から見ると 鉄幹は晶子にとっては再開 登美子にとっては決定で悪くは無い
さて与謝野晶子の名前は誰でも知っているだろう みだれ髪や 君死にたまふことなかれ くらいは読んで無くてもね 鉄幹はどうかな 明星の創設者とゆうのは 集英社の芸能雑誌じゃ無いですよ では山川登美子は となるとある程度読んでいる人でしょう ちなみにぼくは知りませんでしたよ(えっへん) でウチの書庫をひっくり返したけど全集にも文庫にも無いんですわ たぶんあるはずだけどね 銀猫さんの分を含めても^^
この三人が明星の誌上で恋文みたいなとゆうかそのままの短歌を毎回発表しているわけで八号か九号などは発禁になったりしている これはもう誰が見てもあれなわけですよ しかもこの女性二人は一人の男を取り合っているとゆうよりけっこうなお友達で三人で旅行に行ったりもしているのね 鉄幹はとゆうと明星の出版予算を勝手に使い込んで晶子の『みだれ髪』出版費用にしたりするテキトーな奴 こらもう奥さんは呆れますね それで晶子にあとはよろしくと手紙を渡して実家に帰ってしまった 晶子は寧ろ喜んでこれ幸いと煮え切らない鉄幹のところへ上京するわけです はい
でどうなったかとゆうと 登美子の方が親の決めた縁組みで実家の福井県小浜市に帰ることになるんだけど これがその夫と翌年に死別 さらに自分も数年後に病死 まだ29歳だった
鉄幹から 登美子は「白百合」 晶子は「白萩」 前妻・瀧野は「白芙蓉」と称された この滝野も16歳の時に女学校の若手教員だった鉄幹に拐かされ駆け落ちした女性で妻としても2番目なのである 滝野の星はわからないが(たぶん海王星)干支は丑で晶子からの相性がゼロ
そこでこの三人をゼロ学比較すると晶子が一番キラキラしていて 登美子は控えめ そして滝野は理知的?だが丑年が良くない

 

プロイセンブルーの夢 予習5
 

堺市まで行って現場検証してきました


7月28日

 

プロイセンブルーの夢 予習6
 

青の話
 

青は聖母マリアの色で西洋絵画ではアトリビュート 海の星(マリアステラ)から来ている 12世紀頃はラピスラズリ(12月の誕生石)を砕いて作ったウルトラマリンの顔料があった フェルメールブルーである
『青鞜』とは 平塚らいてうが編集した明治から大正までの女性による女性月刊誌 意味は"Bluestocking"の和訳 当時のロンドンの知的な婦人達のシンボルである 創業時の社員には茅野雅子(しら梅の君)など 賛助員として与謝野晶子の他 鴎外の妻や妹の名も見える らいてうの「元始女性は太陽であった」で有名な創刊号の巻頭は晶子の詩「そぞろごと」が飾った 「目覚めた女性」「新しい女」とゆうのはわかるが 世間の目はふしだらな女性とみた 結局は塩原事件や大杉事件などいろいろあって続かなかった 文学史上はたいしたものではない

 

ならば ぼくもいくつか歌を詠んでみようか

 

暗やみの 潮騒のなか湯浴みする きみの影絵を踏むは躊躇ふ 景勝館漣亭
 

月山水の 向かふに見える山あひと ここはふたつの国境なり 湯乃元館湯茶寮
 

ふりかへり 許したまへと垣間見る 想ひ想ふや天の浮橋 松露亭・渓山閣

月を渡り 橋の袂に待つ夕船の 有りやなしやを知る術もなし
 

夜の城に 映し出される万華鏡 紺青をひとつだけ持ち帰り
 

その日より 魂にわかれし咎をなほ 独り切るやもそのみだれ髪

「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。
今、女性は月である。他によって生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。・・・」


7月29日

 

プロイセンブルーの夢 予習7
 

らいてうは(私は)女ぢゃないとゆいました
 

なんだそれは
 

ゆわれた森田の方は心中どころかからきし覚悟の無い男だった 漱石は森田の見方をしたが らいてうは漱石を信じていなかった その一方で らいてうは無邪気な気持ちで若き修行僧(秀嶽)にチッスをしていた 当然された方は舞い上がる 若きウェルテルの悩みである
らいてうは 女は観念です とゆいました

 

なんだそれは
 

そこでドイツ観念論とはなにかとゆうと(やっとそこかぃ
この時代 つまり18-19世紀のドイツ哲学の総称 ロマン主義と啓蒙時代の政治革命に密接に関連している(産業革命とフランス革命) 神または絶対者と呼ばれる観念的原理の自己展開として世界および人間を捉えることをその特徴とする カントに始まりフィヒテ シェリングを経てヘーゲルに完成する
カントはそれまでのデカルト スピノザ ライプニッツの大陸合理論とベーコン ロック ヒュームのイギリス経験論を統合して 回転的スクニルペコする批判哲学を打ち立てた 批判とは否定では無い カント自身は穏健派で それ以外のエライさんがたは仲が良いのか悪いのかみんな自説を曲げない講釈たれだったとゆうことだ

 

以下本編に続く^^


7月29日

 

補習
 

与謝野晶子が平塚らいてうに見送られてパリに発ったのは1912年 33歳のときである
ちなみに今日はゴッホの命日だがそのとき既に死んでいる(1890)    ロマン主義のユゴーや レアリスムのスタンダールやバルザック 自然主義のモーパッサン サンボリスムのボードレール ランボー ヴェルレーヌ マラルメらも既に死んで居なかった
そのとき誰がパリにいたかとゆうと
ロダン72歳 モネ72歳 ミュシャ52歳(チェコ) ムンク49歳(ノルウェー) マティス51歳 モンドリアン48歳(オランダ) カンディンスキー54歳(ロシア) ジッド43歳 プルースト41歳 ガートルードスタイン37歳 ピカビアとクレーが同い年の33歳で ツァラがダダを発見する4年前 ピカソ31歳 ブラック30歳 ユトリロ29歳 ローランサン29歳 シャネル28歳でブチック開業した頃 デュシャンが25歳 藤田嗣治26歳やマンレイ22歳はまだパリに来ていないが キキことアリスプランが12歳でパリに出てきたばかり サン=テグジュペリもまだ12歳とゆう時代だ
シュルレアリストではブルトンがまだ16歳 実存主義のサルトルが7歳 カミュはまだ生まれていない
ドイツではゲオルゲが44歳 トーマスマンが37歳 ヘッセが35歳 チェコのカフカが29歳 オーストリアのリルケが37歳である イギリスではクリスティーが22歳
晶子は四ヶ月ほど滞在し ドイツやオーストリア イギリスやオランダなども訪れている ロダン以外に上記のシトびとに出会ったかどうかはわからないが 着物姿でパリを闊歩するのは注目されたはずである


晶子の外遊略旅程表
 

1912年5月5日 東京新橋駅を出発。
19日 パリ北駅へ到着。
寛の案内でパリ市内を見物
6月6日 ロワール湖畔のピニョレ婦人を訪問。
18日 詩人H・ドゥ・レニエを訪問。
パリ郊外(ムウドン)にある、彫刻家A・ロダンの家を訪問、ロダン夫人に会う。のちパリ市内の仕事場、オテル・ド・ビロンにてロダンと面会する。
24日 画家石井柏亭、小林万吾らとイギリスへ行く。
ブリュッセル、アントワープを経てパリに戻る。
7月14日 パリ祭を楽しむ
30日
明治天皇崩御。
(大正元年)9月1日 ドイツ、オーストリア、オランダへの旅に出る。
※このときドイツで妊娠していることを知る
18日 パリに戻る。
9月21日 マルセイユより平野丸にて単身帰国の途につく。
10月27日 帰国。


7月30日

 

「ハカセ 本題はいったいどうなってるんでスカー」
「ラクタ君 マーよいではないかいつものことぢゃ」
「しかし らいてうはともかく晶子の直向きな恋愛至上主義の奔放な表現は当時としては画期的ですね」
「そこなんよ 鉄幹はテキトーな優男なんでないか 優柔不断は海王星の常である おまけに先に洋行していた(高村)光太郎や(長井)荷風の話を聞いてパリの歓楽街にもきっと行ったはずだ そこはあまり伝わっていない 晶子は鉄幹がパリで悪い遊びをしてんのちゃうかと心配したのではなく 『君こひし寝てもさめてもくろ髪を梳きても筆の柄をながめても』と歌に詠むくらいただ独り寝が耐えられなくなったのだ そこへ鉄幹の愛弟子の啄木が26歳の若さで亡くなった たぶんそれもあって既に生まれていた七人もの子供をほってパリに行くわけだ そしてモンマルトルの寛(鉄幹)のアパルトマンで久しぶりの交情を重ねる わずか四ヶ月の間とはゆえ アウギュストとゆう名前を付けた子供はそのときのものでロダンに面会したからである

 

 さて『みだれ髪』(1901)に収録されている『やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君 』について この君とゆうのがだれのことかについて議論がある この歌の時点で既に二人は山川登美子とは別に京都に一泊しているとすれば おそらくそこで結ばれているし 鉄幹が女たらしであり道を説くような人物ではないとゆうことだ そこでこれは晶子に鉄幹を紹介した河野鉄南のことではないかとゆうのが前出の福永勝也の論考だ もともと晶子は鉄南に恋文のような歌を送っているがそれは鉄幹と知り合う前のことで 有島武郎との関係はよくわからない 佐藤春夫ともないはずで いずれにせよ晶子が寛(鉄幹)に一途であったことは間違いない

★やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
 

『みだれ髪』は明星への投稿作品を集めたもので全6章399首よりなる 時間順に収録されたとするのは無理があるが その前後の歌はこれだ
 

雲ぞ青き来し夏姫が朝の髪うつくしいかな水に流るる
夜の神の朝のり帰る羊とらへちさき枕のしたにかくさむ
みぎはくる牛かひ男歌あれな秋もみづうみあまりさびしき

許したまへあらずばこその今のわが身うすむらさきの酒うつくしき
わすれがたきとのみに趣味をみとめませ説かじ紫その秋の花
人かへさず暮れむ春の宵ごこち小琴にもたす乱れ乱れ髪

 

夏・秋★・秋春 である
最初に晶子が鉄幹と出会うのが1900年8月 『みだれ髪』は翌年8月刊行 結婚は10月
この歌(★)がいつ詠まれたものだろうか 二人の京都への小旅行はいつか たぶん秋だと思う

 

三つ目の歌
みぎは(汀)くる 牛かひ男 とゆうのは たぶん天の河の畔 そして牽牛のことではないか みづうみは 秋も見ず とゆうかかり言葉だろう
となると 秋とはあるがこれはまだ夏のことだと思う

そこで二つ目の
夜の神の朝のり帰る羊
この羊が何かわからないが このときが京都旅行ではなかろうか
朝になったら夕べのことは無かったように帰ってしまう男のことを詠んでいるわけだ
俵万智のチョコレート語訳でもそのままだ


ちょっと違った^^
 

鉄幹と晶子の旅行は 1990年11月5日だった
京都の永観堂に歌碑がある
秋を三人椎の実なげし鯉やいづこ池の朝かぜ手と手つめたき
あれ? 三人とゆうことは登美子と行ったときのものかな
とゆうことで調べてみると二人でまた此処に来たのは翌春のことでした
>早春の一日、遠く若狭へ去った登美子を思い出して時を過したのがこの歌の趣である

この歌は第3章「白百合」にある
とゆうことで時間順はやはり無理があって 鉄幹の編集の意図を読まなければいけない

 

7月31日

 

夜の神の色 予告
 

二人は色んな所に旅をした
それぞれ歌碑が残っている
『みだれ髪』が書かれた約100年前
ドイツでひとつの色の物語が書かれた
ゴッホの『星月夜』は
みだれ髪の約10年前
今度は約100年後
ふたつの色の物語が


歌にきけな 誰れ野の花に紅き否む おもむきあるかな春罪もつ子
 

椿それも 梅もさなりき白かりき わが罪問はぬ色桃に見る


今はゆかむ さらばと云ひし夜の神の 御裾さはりてわが髪ゆれぬ


細きわが うなじにあまる御手のべて ささへたまへな帰る夜の神

以下次章​

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8月

8月1日  · 
 

本題の前にもう一度ドイツ観念論についておさらいする
 

カントの哲学は世界を現象と物自体に分けた そして理論理性は現象の認識を担当し実践理性は物自体に関わる行動を担当する つまり認識と行動では異なる理性が働くといゆうことだ しかし理性とはこのように分裂せんとあかんのか そこでフィヒテ シェリング ヘーゲルは そげなこたないんとちゃうけと主張した これらがドドイツ観念論である
上記シェリングのお友達だったノヴァーリスことフリードリヒ・フォン・ハイゼンベルク(1772-1801)は「青い花」や「夜の讃歌」「ザイスの学徒」などの作品で ドイツ・ロマン主義の代表的作家の一人として知られる人物である ノヴァーリスは「絶対者」の探求は「たえず裏切られ、たえず新たにされる期待」であり その終わりなき活動 到達し得ないことを行為によって見出すことで否定的にのみ認識されると考えた この考え方は前期ロマン主義に特徴的な思想でもあり 前期のシェリングの思想とも同じ 後期ロマン主義のバーダーや後期のシェリングはベーメの影響を受けて「悪」の問題を重視した しかし彼らに先駆けてベーメを評価していたノヴァーリスは「悪」の問題を重視しなかった 彼にとって「悪」は錯覚であり善に至るためのフィクションでしかなかった 「罪」は人間の精神の怠惰 自由の刺激の欠如 弱さであるとした この「悪」を重視しない点にもノヴァーリスの理想主義的な性質が感じられる
受動的な「知的直観」「主客の合一」「脱自」は意味をなさない 霊的認識は客観的認識としてではなく内面的な創造行為と見ることだ
真理は受動ではなく 詩的創造なのだ

夜の神の色 1
以下次回

 

君は広大な世界の心情を深く洞察せんとする
 気高い願いをぼくに呼び覚ました
 どんな嵐をついても安全に導かれる
 信頼が君の手からひしと伝えられた

 

8月1日  · 
 

夜の神の色 1
1794年 22歳のノヴァーリスは司法試験に合格
この年12歳のゾフィー・フォン・キューンに出会い その翌年に婚約した しかし

 

今日から8月ともなれば夏の日の思い出を

 


2015年8月1日  · 
 

「ハカセ この世の果てはあるのですか」
「ない」
「ハカセ この世の中心はあるのですか」
「ない」
「オチをどうするんですか」
「ない」
「ミもフタもおまへんがな」
「あー わかた わかた おまいがテケトーに答えておきたまへ」
「えーと
 カーターはボンディのコインシデンスはコンベンショナルな(フツーの)理論で説明できると『人間原理』を持ち出したわけですが
 1)われわれが存在するためには特別な条件(温度や化学的環境)が必要であること
 2)宇宙は進化しており局所的なスケールでは決して均質ではないこと
 ちゅことで 1)は当たり前ですね 2)はボンディの賛成の反対です」
「くかー」
「寝るなっ
 そこで観測者としてのわれわれ『人間』の存在と両立するため『目的論』を仄めかします  アリストテレスにさかのぼると『ものごとはなしてそげなことになっとんのか』とゆう問いには『原因』を示すことであり 基本形として『資料因』(性質)『形相因』(本質)『動力因』(変化)これと『目的因』(何がそれのためにあるのか)を整理しました この『それ』が目的としての原因です
 例えば男性器は凸であり女性器は凹でありそれぞれ使用目的に見合った形状と機能を持っています」
「ほほー」
「寝てたんちゃうんかぃ
 よく太陽は男性に月は女性に例えられます エネルギーとはもともと太陽からてくる何かとゆう意味でしたけれども ホンマは月から太陽に力は流れています 昨夜は特に3年ぶりのブルームーンとゆうことで 陰陽和合しましたか」
「日米ソ防共協定とはゆえ ISSのドッキングサイズは同じにすべきやな」
「さて彼の議論は適応や効率とゆう点でダーウィンの進化論みたいな所がありましたが ストア派は神を中心に考えてますからその目的論はなんでも『神のデザインした物』ですね 今でも根強い物で『インテリジェントデザイン』なんかもその類です」
「くかー」
「また寝るかっ 部分的にテント張らないでちゃんと起きてなさい
 さて宇宙のウは時間のことです 宙は空間を意味します われわれが宇宙誕生後のある時期に生きているとゆうこと(時間)はわれわれがちょうど良い大きさの恒星からほどよい惑星の上にある(空間)のと同様に 『観測選択効果』のためであります」
「観測者としてのわれわれとか どうも人間を特権階級と思てるな 物理学は人間とゴキブリを区別しないぞ」
「いえ 時とバワイのことですよ 宴会芸でいきなりフルモンティすれば引くでしょ ハカセが1曲目でズボン脱がずにパンツだけ脱ぐようなもんです 『脱げんぱつ』ではなく 『脱げぱんつ』ですやん」
「おお 流石よく観察しておるな」
「そろそろ仕事が始まるのであとでまた来ますね」
「まかす」

 

8月2日 
 

夜の神の色 2
 

青年は眠られぬまま寝台の上を輾転として あの旅の人のこと その口から語られたあれこれを思いだしていた
ぼくの心をこうも落ち着かなくさせているのはあの箱のせいではない 宝箱への執着心はおよそぼくには無縁のこと だが自分が夢に見たあの花だけは 何としてももう一度見たい いや見たかった

ノヴァーリスの作品の特徴は、ゾフィーの死、いわゆる「ゾフィー体験」を中核にする神秘主義的傾向、とりわけ無限なものへの志向と、中世の共同体志向にある。前者についてはゾフィーの墓の前で霊感を受けて作られた詩『夜の賛歌』に、後者は中世のミンネゼンガーを主人公にする小説『青い花』(原題は『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』)や、宗教改革前の世界をキリスト教というひとつの文化的背景によって民族性を超えた普遍的地盤をもつ共同体として称揚した評論『キリスト教世界あるいはヨーロッパ』にことに顕著に現れる。
ミンネザング(Minnesang)は、12世紀から14世紀にかけてドイツ語圏において隆盛を極めた抒情詩であり、詩人は作曲もし、伴奏付きで自ら歌った。主題は主として恋愛である。
「ミンネ」(minne)とは、中高ドイツ語で「愛」の意味であり、「ザング」(sang)は現代ドイツ語の「ゲザング」(Gesang、英語のsongに相当)と同じで「歌」の意味である。したがって「ミンネザング」とは「愛の歌」の意味である。

紫の 虹の滴り花に落ちて 成りしかひなの夢うたがふな

8月3日 

 

夜の神の色 3
 

夢はあぶくさ エライ学者がどう言われようとな おまえもそんな愚にもつかぬたわごとに振り回されない方が良いぞ 夢に神のお告げが現れたのはずっと昔のことだ 聖書に選ばれているあの選ばれた人たちがどう感じていたのか わしらにはもはや皆見当もつかぬ事だし これから先もまたそうだろう あの時代の人たちの様子が今とは違っていたように 夢もまた別の事情があったに違いない
 -『青い花』第1部第1章から

妻をめとらば 才たけて みめ美わしく 情けある
友をえらばば 書を読みて 六分の侠気 四分の熱

 

この歌は鉄幹が詠んだ『人を恋ふる歌』の冒頭である 一応は一篇四行の全十二篇 実際は16番まである 三高(現 京大)の寮歌
「妻」とゆうのが晶子または登美子のことだろうとゆうのは定説だが 実は違う

 

9番の
四度玄海の波を越え 韓の都に来てみれば 秋の日かなし王城や 昔に変る雲の色

 

これは歌の注記に「三十年八月京城に於いて作る」とあるように 韓国の京城に行ったとき人知れず韓の妓・翡翠を訪ねてその心変わりを知ったことを韓国の国情にたとえて歌っているのだ 翡翠に出会ったとき鉄幹は二十六歳
その三年後 登美子二十歳 晶子二十三歳 そして翡翠二十歳のときに歌は発表された
鉄幹はそんな奴なのである
補足すると鉄幹が翡翠との一件から帰国してその寂しさに向かった先は晶子や登美子では無く同棲していた滝野である 事情はともあれ「妻をめとらば」などとは如何ななものか

8月4日 

 

夜の神の色 4
 

「すべて、見えるものは見えないものに、聞こえるものは聞こえないものに、感じられるものは感じられないものに付着している。おそらく、考えられるものは考えられないものに付着しているだろう」 (ノヴァーリス)
 

ドイツ浪漫派に出会うこと、それは、読書においてどのように「夜の思想」を享受できたかということだ。この体験はどのように「夢」と「電気」と「彗星」を同時の刻限に観相できたかということを物語る。その同一刻限に見る浪漫派の光景は、そこに入りこんでみなければ決してわからない結晶的な雰囲気を伝える。

「ほう
 これはどなたかと思えば
 駿河屋のいとはんやおまへんか」

 

晶子が『源氏物語』を訳したのは有名だ それは後の他の全ての訳より傑出している 彼女は幼い頃より『論語』の素読を受けていて 女学校の折 源氏物語は白楽天の『長恨歌』から出たものではないかと知り 写本をしながら師匠の樋口にその手ほどきを受けた なかでも後半部分にあるこの段に引っかかった
 

漁陽鼙鼓動地来
驚破霓裳羽衣曲
九重城闕煙塵生
千乗万騎西南行
翠華揺揺行復止
西出都門百余里
六軍不発無奈何
宛転蛾眉馬前死
花鈿委地無人収
翠翹金雀玉搔頭

 

あなかしこ 楊貴妃のごと斬られんと 思ひ立ちしは十五の少女

桂花陳酒:30ml
ライチリキュール:10ml
ブルーキュラソー:5ml
グレープフルーツジュース:20ml


8月5日 1:00 
 

夜の神の色 5
 

愛は月にだけ見守られて
小暗い道をたどりゆく
影の国は門を開け
妖しくよそおい待ちうける

 

ヨーロッパにおいては「青」はアンティーク・アナスタシアである。キリスト教のイコノロジーでは「赤」が愛の象徴で「青」は知の象徴だった。天使においてはセラフィム(熾天使)が赤く、ケルビム(智天使)が青い。しかし総じては神の身から発している青い光が青の到達点である。
 

おまえは何をさがしておいでかね
と 台座のスフィンクスが聞いた

しらうをや かはのながれは おとたへず

 

晶子6歳の句である


最近 鴎外の実家で漱石をはじめ各界の著名人からの書簡が400通ほど見つかったらしい なかには晶子からのものもあった パリ行きについて洋行費用を工面してもらった謝礼である
前々項で「妻をめとらば」の裏話を出したが 鉄幹はあらかじめ登美子と晶子に滝野のことは話してあった だから晶子はさかしいとはゆえ箱入り娘の単純さにおいて 妻子のある男なら間違いも無かろうと気を許して近づいたとゆうことだ 鉄幹の方も選民思想の理想家として単純に愛人を求めたのでは無かったようである こう詠んでいるからだ

 

あたらしき 琴の手知らん少女子を 十とせ尋ねて歌は

旧りたり 我に過ぎたる希望をば 君ならではた誰か知る


ところが

8月6日 1:00  

 

「ハカセ ノヴァーリスと与謝野晶子に共通点があるのですか」
「説くにナインと茶請け 当初ドドイツ浪漫を書こうとしたらそうなったとゆうだけだ 小ネタでホイは複数のテーマを如何にシミュラクラするかとゆうことなのだ 確かに晶子は多作でややおおげさな作風であることについて 瀬戸内晴美はこれを古典はもとよりその膨大な読書量の賜であり天才とは努力家だがそのわき出る才華の泉を表には出さないものだとゆう まーそれはそうだろうけれど天才が努力家だとは思わない 天才とは忘れた頃にやってくるのだ 萩尾望都じゃ無くて岡田史子とつりたくにこを合わせたようなもんである とにかくまだあるポイントに達するまでは続くから待ちなさい」
「へいへい


8月8日 1:00

 
星月夜の彼方 1

 

あきこさんといふ人は付き合ひを重ねるほどに重たくなつてくる人だと嵆君は思つた その重さにはたまたま道連れになつて背負つた女が次第に磐石のように重くなつてくる といふような種類の恐ろしさを伴つてゐた
彼女はF県O市の出身だが 山川登美子の記念館を知ってゐるかと聞くと 場所はわかるよ といふ程度で余り興味は無いやうだつた 彼女の趣味は いまは御朱印を集めてゐるのださうだ ちょうどこちらには二番札所があるので と案内して山門をくぐつたとき 空は異様に青く三日月の他に月よりも大きく見える妖しい星が渦巻ながら空に入り乱れてゐた こんな時間に社務所は開いてゐるのかしら
嵆君はサン=レミの村にある修道院の病室の窓から夜の空を眺めた 渦巻く霊魂のやうに見えた星も月も次第に凝縮していつもの夜空に戻ろうとしてゐた あの星のひとつが可愛い尻尾をなびかせてぼくについてくるといふのなら肩に乗せて連れて帰ればいいと思つた

はてしない変身のうちに歌の神秘な力は
この世でぼくらにあいさつをおくる
かなたで永遠の平和を国土にめぐみ
こちらでは青春としてぼくらを抱きとめる


8月9日 1:00 
 

星月夜の彼方 2
 

永観堂の蓮池の間に案内された嵆君は ずつと自分が病室の格子窓の向こうに見ていた景色が妄想だつたことに気づいた そこにはそのような村もあの糸杉も無かつたからである フィンセントが描いた三日月は下弦の月であつたが 制作当時の天文記録によるとこれも違つていたといふことだ もちろん満月でも無かつた
雲雨の愉しみにそれは必要な事かしら と翡翠は云つた

 

絶対値はそのままにして符号だけを負に変える と云ふことかな 青の補色は黄色とオレンジのどちらなのでせうか
 

フィンセントは黄色だと思つていたやうね 青といふ色ははつきり決まつていないのよ 逆に黄色から補色を見ると青紫だから
 

前にお渡しした玉環はまだお持ちですか
 

もちろんですわ と翡翠が答へた途端 彼女は一輪の蓮の花に変わつていた 花の内側には何か光るものがあつた

そこここに 生す夏草に華の香の 縄に索つな棲むにこここそ


8月10日 1:00


星月夜の彼方 3
 

晶子が駆け抜けた1900年代はゲージツにとつても数奇な時代であつた
倉橋由美子によれば カフカが1906年にある人妻と知り合つてから1924年に亡くなるまで何人もの女性遍歴があつたことについて そもそもカフカが結婚する気がないといふことを万人の目から隠すためにさうしたのだと論考した つまり自己処罰として 同時に自己救済として 書くことへ赴いたといふことだ カフカは熱心に手紙を書く しかしそれは文通といふより何をゆわんとしているか常人にはわからないものだつた ひたすら無意味な行動を続けることが実存主義的解釈により不条理といふ言葉で片付けられることは違うと倉橋は云ふ ある朝目が覚めたときに起こる事件とは明晰夢なのである 即物的で観念的な飛躍は無いのだ しかしそれが繰り返されることによりネタとなる この手法を取り入れた後々の作家は多いがいづれも原典を超えていない そこでカフカを小ネタでホイすることがクンストなのである

これはゴッホですね と
嵆君の元ネタを当てたシトは多くない
そのうちの一人は令 ホーリーネームをアプルバといふ 幼い頃インドに過ごしてリンポチェ様に授かつたと聞いた ただそれだけの理由で嵆君は手紙を書いた いまは何処にいるかわからないQ

 

8月11日 1:00 
 

星月夜の彼方 4
 

ノヴァーリスはゲーテより22歳若く ゲーテより先に死んだとき(1801)まだ29歳だった 鉄幹の例の一件も約百年後のその歳の頃である
ゲーテは「古典的なものは健康であり 浪漫的なものは病気である」と断言した つまりノヴァーリスを批判・断罪したのである
彼等は三度合つてゐるが 当初は美学的な問題より自然科学について論じ合つた ノヴァーリスはゲーテの光学論考から『青い花』といふ「色」を書いたのだが 『ウィルヘルム・マイスター』については最初は感激して読んだのに 後に激烈な拒否に一変した それはポエジーと経済に関する内容である それでゲーテは怒つた

イエーガーマイスターといふと ドイツの養命酒のやうなものである ピカソやダリも飲んでいた ゴッホのばわいはアブサン中毒だ マイスタージンガーとゆへばドイツの吟遊詩人のことでワーグナーの楽曲にもある それが何の関係があるかといふと単なるドドイツである

 

8月12日 0:00 
 

星月夜の彼方 5
 

満月だ あと何回観れるかとゆうボウルズの話ではないし 月がきれいですねとゆう漱石の話でもない


ノヴァーリスはゲーテを読んだが ゲーテはノヴァーリスをちやんと読んでいなかつた カトリシズムを勘違いしていたところもある 初期浪漫主義の現代性は絶対的真理は存在しないとゆうことだつた 絶対は認識できないのだ 無限への憧れは到達できない幻滅から導かれる ウィルヘルムマイスターの挫折は何をたらたらと書いていたか 経済問題は嵆君にはわからないが何を失つたかくらいはわかる そしてそれが何から始まつたのかも

「1920年」は鉄幹の愛弟子の啄木のそのまた同僚である野口雨情が『十五夜お月さん』を作詞した年 人間の一生のサイクルに対応するものとして 月のサイクルでは月の十五夜(満月)は人間の35歳に当たる ゆわばぞうさんのおだんごの極大だ
月の第八夜が思春期の頃で 光は闇を支配し始め その結果依存と従属の態度は成熟の態度に生長する 死んで蘇る月の光と独立する太陽の光の時代の変遷から 個を見るか全体を見るかの選択は難しい これを「事法界」と「理法界」とゆい 人は「事理無礙」と「事事無礙」を学ぶ 仏陀が悟りを開いたのが35歳で 月の十五夜とは 西に沈む太陽と東から昇る月が同時に見える瞬間なのである
この日はまだ上弦の月だつた


満つる月 早よ黄泉にてや結ばれば 棲むや天に見よ 世は来つる罪

それが33年前のこの日であったことは間違いない

そこから始まったことも間違いない

それをいまどうするかと言うことが問題なのだ

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8/15

岐路と帰路
 

胎内でMはKの双対空間に棲んでいた それは距離もノルムもない空間だった 
 

Dual Existence; Nirvana - Hilbert - Banch space
 

時計は24で止まっていた

 

サハリンの灯はいまなお消えず 俺の心に赤く燃える
とゆうのは昔つげ忠男の漫画で見たような気がする
先人たちはこの際果てまで来て 何を想ったのか
今回 サハリンは見えず
ぼくのネタも からっぽ

 

岐路 1
 

何が岐路なのかはまだわからないが思いつきとゆうものは書いているうちに思い出すものなのだろう
ノヴァーリスが教わったゲーテの色彩論はそもそもニュートンの光学への反論だった
ゲーテとニュートンで決定的に異なるところは「闇」に対する見方である ニュートンが「闇は光のない状態」とするのに対しゲーテは「闇も存在する」と主張した 光と同じように闇も存在し固有の性質をもつとゆうこと ゲーテは光と闇は互いに求め合いお互いの性質を補完すると考えた つまり光と闇はちょうど女性と男性のような関係だと
「色彩は、なかば光、なかば影である。そして、光と闇の結婚である」

8/16

 

岐路 2
 

既に魂のルフランの期間に入っているのでこれはなぞっているだけだ 限界点はまだ先にある
 

承前
ゲーテが色彩論を表すにあたって議論した相手に フィリップ・オットー・ルンゲ(Philipp Otto Runge 1777-1810)がいる カスパー・フリードリヒと並び称される19世紀ドイツロマン主義の画家である 現在でも使われている「色立体」はルンゲが開発したものだ
ルンゲは昨年の今頃ある理由で取り上げているが
今回はロマン主義思想との関連で考察してみよう

 

岐路 3
 

一年前
ルンゲについて描きなさいとゆう宿題をもらつて
さあどうしたものかと考へたKは19世紀初頭の
ドレスデンに飛びベーメを読みティークと語つた

 

光の道
朝 昼 夕 夜 四つの時間を
77年前に合はせて色をつけた
そのときはこれで良いと思つた
しかしいま
抜けている部分があると知つた
辰巳 午 
申酉 子

 

8/18

 

岐路 4
 

昨日の絵の時点で Kが気づいていなかつたものとは 思考と行為は直感と感情とは違うといふことであつて 形而内学などといふ言葉を浪漫主義と勘違ひしたといふことなのだ
観察者がいなければ無人の森で木が倒れても音はするかといふ哲学命題も 例えば量子ママの作る水割りの濃さがなぜいつも一定かは飲んでみるまでわからなひといふことなのだ
宗教はネタに書かないといふKだが ルンゲが傾倒したシュライエルマッハも読んでみるまでわからなひやふだと ボウイやキンクリを大好きな女子に笑われるといふことなのだ

 

まあよい いまはまだ岐路ではないからなと思つた
この幾何学的庭園の迷宮を抜ける方法は知つている
それは壁に手を当てながら進みさえすれば 迷宮の入口と出口の壁は繋がつているので必ず出られるといふことだ しかしひとつだけ例外があり永遠に閉じ込められることがある

 

例外とは
迷宮の中でもしも壁から手を離してしまったばわい
新たに触れなおした別の壁が 繋がっていない島のような部分の壁であったときである
繋いだ手は離してはいけないのだ

 

8/19

 

岐路 5
 

迷路は宿命的に内側を持つてはいけなひ

ヰコノロジー的な意味層
ルンゲの作品 タイトルの『一日の4つの時』 すなはち『朝』『昼』『夕』『夜』は彼の言葉に従ふなら 彼の世界観を象徴するキーワードである
「朝は、宇宙のはてしなき照明。
 昼は、宇宙に満ちている被造物のはてしなき造形。
 夕は、宇宙の根源の内への、存在のはてしなき滅却。
 夜は、神の内なる滅びることない存在の、認識のはてしなき深み。
 これらは造られた精神の四つの次元である。
 しかし神は、一切中の一切に作用する。」

 

この4つの連作「時(Die Zeiten)」が画かれたのは1803年頃で 当初は大判のエッチングだつた 後に油彩化しやふとしたが 朝を完成した時点で結核で亡くなる 夕につひては全く別の風に描き直されてゐる 昼と夜は存在と前存在 朝と夕は生成と消滅を主題とする
朝と夕で描かれてゐる花は 百合と薔薇 それぞれ天上的な愛と地上的な愛を表し
特にここでは 朝と夕 昼と夜 が対をなす

 

ゼロ学的時間は 朝の辰巳と夕の申酉 そしての子の真夜中と午の正午である 朝夕に少しのズレがあるがここになひものは 丑寅卯 未 戌亥である これは何を意味してゐるか
真昼の中の真夜中が影である 影とは自己にとつて最初の他者である
ゼロ要素としてみれば 水の夜 火の昼 木の朝(6時) 金の夕(18時)となり これだとゼロ学風水にもなつて 天地(土)の縦軸を捉えることもできよう
ルンゲの色彩論では 赤青黄にキリスト教の三位一体を見た 光あるいは白 闇あるいは黒は 善と悪である 赤は朝と夕に 青を昼に 黄を夜にあてはめてゐる
つまり色としては 夜の青・灰・黒 昼の赤・桃 朝の緑・黄緑 夕の茶・金 だつたはずなのだが

シスターの教えを受けて育った渋谷恭子は「神さま、デヴィッド・ボウイ、キング・クリムゾン、稲垣足穂、僻地治療、電子システム」が大好きであったとゆう
なぜ どこから ルンゲを見つけたのか

 

帰路 6
 

ルンゲとともに獨逸浪漫をまう一人
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Caspar David Friedrich 1774−1840)
日本ではあまり知られていないのではないか
その荘厳な宗教的風景画には人物がほとんど登場せず 出てきても向こうを向いている これが18-19世紀の絵とは思えない 印象派の先駆といふよりシュルレアリスト達が注目した理由はわかるだらふ

 

8/20

 

帰路 7
 

ロマン主義の画家は
ドラクロワ(仏) ジェリコ-(仏) ゴヤ(西) ターナー(英) CDフリードリヒ(独)など
絵画以外のロマン主義では
文学分野で ヴィクトル・ユーゴー、ジョルジュ・サンド、ジョージ・ゴードン・バイロン、ジョン・キーツ、ノヴァーリス、
音楽分野で ベルリオーズ、リスト、ショパン
歌劇で ワーグナー

 

8/21

 

帰路 8
 

昨日は大学全体百年祭同窓会とうちの学年の同窓会
コロナ事情の厳戒態勢で強行なんだけどその状況で
皆が楽しめる企画をなにかやってくれとゆうことで
ぼくが考えたのは予科があった牧野のストビューと
今年の国家試験をやらせるスライドショークイズだ
クラス対抗代表回答者が5択だけなら密はなかろう
これに細かいネタも加えてなかなか喜んでもらえた
回答者全員が間違えた問題もあったぞ大丈夫かおい
大声で喋るな席の移動はするな酒は独酌でとかとか
なんと思ってるんだそんな同窓会なんかあるかよー
で一夜あけてゲージツは爆発だでも観て帰ろうっと

太郎はローリング20の頃に十年ほど渡仏している
母は与謝野晶子にも影響をうけた岡本かの子である
これがまたインテリなのに不思議ちゃんの吉祥天女

 

帰路 8の2
 

岡本かの子とガラに共通点はあるか
中之島美術館てここの隣だった^ ^
ちょうど良いので 勉強して帰ろう

ダリ 1904年5月11日生まれ 辰
ガラ 1894年7月7日/ユリウス暦8月26日 生まれ 午
ゼロ学上二人とも木星(+)である ただしユリウス暦ではガラは月星
木行とゆうことはぼくと同族だが陰陽の違いはある
米粒に絵を描けるような才能とゆうことだ
ガラが月星とゆうのはありかもしれない 土星かと思ったがその対極だからだ 高貴ではなく庶民的でフリーセックスの星 寅だとすればゼロ王星なので天地両方のエッセンスを持つが 午とゆうのもありなのだろう 火のゼロになる
岡本太郎は 天王星の亥である

 

8/22

 

グラディーバ 1
 

二重スリツトでそれを見たとすると目を瞑るか瞑らなひかで像は変わる つまり意志によつて過去は変えられるといふことだ そのとき光は粒子だつたのか波動だつたのか
3.122*10^17(3.122e+17) m 離れた時空からだと あるひは 0.000083光秒離れた距離からでは逆に瞬きがわかるだらふか

美術館は大層混んでいてKはカンナリアの声を聞くことができなかつた 展示は面白かつたのだが担当のH君のお勧めははずれだつたので早々に退散することにした もちろん卑俗な観衆たちの目でそれが変わることはなひからだ

 

グラディーバ 2
 

二重スリット実験とは
電子銃から電子を発射して、向こう側の写真乾板に到達させる。その途中は真空になっている。電子の通り道にあたる位置に衝立となる板を置く。その板には2本のスリットがあり、電子はここを通らなければならない。すると写真乾板には電子による感光で濃淡の縞模様が像として描かれる。その縞模様は波の干渉縞と同じであり、電子の波動性を示している。
この実験では電子を1個ずつ発射させても、同じ結果が得られる。すなわち電子を1度に1個ずつ発射させることを何度も繰り返してから その合計にあたるものを写真乾板で見ると、やはり同じような干渉縞が生じている。
で これを光子1個づつでやったばわい ある条件下では干渉「波」が観測できるがある条件ではそうではなく「粒子」の像が出るのだ これはスリットのところを通過するときにそれをカメラで捉えたばわいに起こり カメラをオフにすると起こらないのである つまり観察者があるかないかで結果が変わる さらにこの実験を進めて スリットを通った方向のずっと後 例えば1光年離れたところから撮影してもそうなるとゆうのだ となるとそこからは1年前の過去を見ているわけだから 意図的に過去を変えることが出来るのである

ぢや実験よ と量子ママは云つた
ここから3.122*10^17(3.122e+17) m 離れたところで ある人物があなたに水割りを作ったとするわ その水割りの濃さはわかるかしら
3.122×10の17乗(3.122e+17) m といふのは33光年の距離のこと そこには けんびきょう座AU星といふ星があつて だふやらそこに地球から一番近ひ惑星があるらしいの 海王星クラスの大きさで しかもふたつもね で あなたがいまそれを見るとしてもそれは今から33年前の出来事だというふのはわかるかな 光が届くのに33年もかかるのよ だから あなたはいまそれを見るのか それとも覚えているのか そしてそれをいまどうしたひのかつてことね

 

8/23

 

グラディーバ 3
 

なぜまた量子(りょうこ)ママが出てくるかとゆうと量子論の話でもあるからだ 光子(みつこ)も出てくるが 今回のヒロインではない
フロイトの妄想と夢のお話である
ご質問もあったので再掲しておく

 

>2020年9月3日  
エンターP しょの ΔE 
運命の赤い糸は自分を中心として1024本ほど同時に繋っていてそのいずれも確定状態にはない
さて次のチャクラは もとい チャプタはクォンタムである この量子とゆう理論がいかに現代科学をわやくちゃにしたか
1900年のプランクに始まり アインシュタインとボーアが喧嘩し ドブロイが治め シュレーディンガーが混ぜっ返し ディラックが治め ハイゼンベルクがまたひっくり返し ベルが治め と数々の学者が100年以上にわたってサンシタジャータカした
特にアインシュタインとボーアの喧嘩については 
アインシュタイン:「(量子論は)すばらしく頭の良い偏執症患者が、支離滅裂な考えを寄せ集めて作った妄想体系に見える」
ボーア:「(量子論に)はじめて出会った時にショックを受けない者に、量子論は理解できない」
この論争は双方死んでからもまだ続くが いちおう ベルが彼の有名な不等式によって裁定したかに見えた ※シュレーディンガーやベルはアインシュタイン派である
量子に局所性があるなら不等式は破れない=アインシュタインさんの勝ち
量子の非局所性が成立するなら不等式は破れる = ボーアさんの勝ち
ところが この不等式は破れるとゆう実験結果が続出 現在までにアインシュタインは完敗する
この量子論は(一般)相対性理論にまっこうから喧嘩をふっかけてきたモノであったのだが 実験結果と驚くべき精度で一致する おまけに宗教ウケしてしまった とゆうことなのだ かのダライラマでさえも^^
"量子論と仏教"(仏教のところは他の宗教でも可)のキーワードで検索すれば どれだけ出てくるかを見ればよい
たとえば 『1対の量子の一方の状態が確定すると、他方の量子状態も”瞬時に”確定する。たとえ、その2つの量子の間の距離が、何百万光年離れていようとも』
これは光速より早いモノはないとゆう相対性原理を覆すテレポーテーションの話で こんな事が(ry

Kが美術館で見たレリーフはこれだつたのだらふか

ちがふ よく見て 後ろにあるのは右足
それに 量子はあたし一人しか居なひわ

 

ママには 可愛がっていた娘さんがいたんでしょ

 

確かにそれも4月の土曜日の午後だつたわね
でも春は海王星にとつては良くない季節だし

 

春の夜の 夢の浮橋とだえして 嶺にわかるゝ よこ雲のそら

いまはもう夏も終わろうとしています
秋は海王星にとつては良いですからね
来月は酉 そして過去は変えられます

 

風ふけば 峰にわかるゝ 白雲の たえてつれなき 君が心か
 

霞たつ 末の松山 ほのぼのと 波にはなるゝ 横雲の空
 

春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ

 

それもグラディーバ もつと進めば
 

花も紅葉もなかりけり
 

になつてしまふわよ いつたいだふするつもりなのかしら

 

師は希有の 妙別るさえ難き夏 繋ぎ違えざる川 夢の浮橋
 

然れども やはり妹待つ対の身の 居つつ間も入り 早や戻れかし


グラディーバ 4
 

そのレリーフは別のところにあとふたつあつた 組み合わせると

Kはカンナリアの鳴き声を聞いて 南半球への思ひがかき立てられた しかし美術館で会つた人はもういなかつた そこで当初の意図に反してポンペイの古代遺跡へと向かふ

既知の遺跡を回りながら自分の記憶力の確かさに喜んでいると、「メレアグロスの家」の遺跡で、彼は歩き方も容姿もまさに「グラディーヴァ」に生き写しの若い女性に出会う。彼女に話しかけ、彼女がラテン語でもギリシャ語でもなく現代のドイツ語を喋り、また現代風の装いをしていることを不思議に思いながらも、彼女が古代からやってきたグラディーヴァなのだという強い思いを抱く。

『大自慰者』の柔らかい自画像グラディーヴァ体験以降松葉杖シリーズに至るまでダリとガラは旅行を重ねお互いの肉体に夢中になつていたのだがその牧歌的生活はいつたん終わりを告げる
離れなければならなくなつたのである

 

“The way in which it has been possible to obtain a double image is clearly paranoiac, ”

 

8/24

 

グラディーバ 5
 

美術館デアツタ人ダロ ソウサキミニマチガイあイサ

翌日も2人は同じ遺跡の前で会い、前日よりも親しく話をし、彼女は自分の名前が「ツォーエ(「生命」の意味がある)」だと告げる。ノルベルトは彼女を2000年前の存在であるかのように扱うが、ツォーエはそれに対して絶えず曖昧でどっち付かずの態度を取る。その日、ノルベルトは立ち寄った宿で、抱き合いながら死に火山灰に埋もれていった若い男女の話を聞き不安を覚える。翌日も2人は同じ場所で会い、ノルベルトは話に聞いた男女がツォーエではないことを確かめるが、その際に彼女は彼がまだ教えていなかった彼の名を呼びかける。ノルベルトは驚くが、そこで遺跡の中でたびたび見かけていた新婚旅行中の男女がツォーエに親しげに話かけるという出来事が起る。今や彼は、自分がここ2日の間まったくの妄想に囚われていたのだと気付き、彼女がなぜか自分の名を知っていたことを訝りながらも、そそくさとその場を立ち去る。

ここから琴座のベガまでの距離は25光年 鷲座のアルタイルまでは17光年(1光年は約9兆5千億km)二つの星の間の実際の距離は15光年(1.419e+17 m) お互いに見ている姿は15年前のものである

で それをだふするつもりなの

 

 とロルサンジュの量子ママは改めてKに聞いた
 

難しひ問題ですね だから勉強してゐるんです
 

鷲座つてのは酉だからさ 仮にあなたがそこで赤ひ骰子を振つたとしても観察者であるべき琴座が向かふから見てゐなければそこにある青ひ骰子の目が同ぢだとは確定しなひわ 15年の琴線は鳴るかしら
 

今から15年前だと再開期ですが文を送つてもそれは海の底でせう

 

グラディーバ 6
 

気を取り直して考古学の研究に意識を向けるため、「ディオメデスの別荘」の遺跡を見学に来たノルベルトは、そこで再びツォーエに遭遇する。ノルベルトは警戒しつつ、どうして自分の名を知っていたのかを彼女に尋ね、そこでツォーエはすっかり種を明かす。彼女はノルベルトが考古学に打ち込むようになって以来すっかり忘れていた、向かいの家に住む幼なじみツォーエ・ベルトガング(ベルトガングは「グラディーヴァ」のドイツ語)だったのである。

2人は互いの気持ちを打ち明けあい、その場で結婚することを決める。

琴座のベガ 鷲座のアルタイル これに白鳥座のデネブを結ぶと 夏の大三角とゆう
その下には ペガサスとアンドロメダを含む秋の四辺形があり さらにカシオペアやペルセウスを経て シリウスとオリオンを含む冬の大三角へと続く
オリオンの三つ星を横に繋いで右の方へ少し行くと最初に見える橙色の明るい星がアルデバランだ おうし座タウルスの主星である カペラやリゲルを含めてこれらの星ぼしは冬のダイアモンドを形成する
銀河の銀座通りみたいなところだ

量子ママは新しひ水割りを造りながら興味深そうに続けた

 

遂々結婚したのね

アルデバランまでの距離は約67光年  といふとまさにあなたが生まれた頃の光がいま届いてゐる 黄道に近ひからたまに月に隠れることもあるけれど アルデバランは連星だと知つてゐたかしら そろそろ銀河の東の空に登つてくる頃よ

また別のK 薫の君は六条の宮つまり光源氏の子だが実の父は違う
源氏物語宇治十帖最後の女性 浮舟は 自身で詠んだ歌が最も多い なぜか
とぞ 根咫にはべるめる

 

法の師と尋ぬる道をしるべにて思はぬ山に踏み惑ふかな

 

8/25

 

グラディーバ 7
 

フロイトがこの小説を知ったのは1906年にカール・グスタフ・ユングとの間で交わされた書簡においてであり、同年中から作品の分析に取り掛かり翌1907年に「W.イェンゼンの《グラディーヴァ》における妄想と夢」として発表した。フロイトはまずこの論文の趣旨を、自著『夢判断』で論じた夢についての分析、すなわち「夢は願望充足である」という命題や、夢においては人の願望が種々の抑圧を経て様々に変形されて表象されることなどが、作家が自由に創造した小説に描かれる夢にも当てはまることを示すことにあると説明している。そして作品のあらすじの紹介を行なったのち、この作品を女性への願望充足を抑圧して学問に向かったことで妄想に陥った青年と、二重性を持つ言葉を駆使しながら彼に無意識下の願望を意識させ妄想を治療しようとする女性の物語として解釈する。続いて作中に散りばめられている様々な夢を取り出し、夢の中に現れる様々な出来事も主人公の妄想もともに主人公の意識下で行なわれた抑圧を源泉にして現れていることを解説していく。

献身的な行為の中に思わぬ欲望が潜んでいる グラディーバは無意識による暗号化だ その露骨な隠し方も 抑圧されたものの回帰は抑圧するもの自体から現れる レリーフとは浮き彫りのことである 精神心理学的には「反復」とゆう現象 フロイトの書斎にはグラディーバのレリーフのレプリカが飾ってあった その横顔は何を見ていたか 何を欲しているのだろうか 抑圧とゆう割り切れないものとは

量子ママはすこしあきれたやふな顔をして笑つた

 

また いつものやふに複数のネタを絡めてゐるのね 浮舟から夢の浮橋までの宇治十帖はどの季節のことかといふと 薫の君が大納言になつた頃だから だいたい12月から3月くらひまで 冬のダイアモンドといふけれど 春のダイアモンドもあるわよ うしかい座アークトゥルス おとめ座スピカ しし座デネボラ りょうけん座コル・カロリを結んだひし形

それに ダイアは4月の誕生石ぢやなひ

あなたは浮舟の気持ちをわかつてゐるの?

8/26

グラディーバ 8
 

Diomede's Villa はポンペイ郊外にある
かつてここに設置した市区の首長の地位に登り詰めた自由民マルクス・アリウス・ディオメデスが此の地の旧支配者である女性アリアのために近くに建立した一基の墓碑銘にちなんで付けられた名前である 広壮な建物でファンタジーがこね上げたものではないポンペイ滅亡の歴史をはらんでいる 郊外のかなり離れたところにあるが ま ポンペイの観光客ならいちどは行くところだ
ここで
二千年前にヴェスビオ火山の灰に埋もれた一人の女性が甦ってうろつき回り話をしスケッチを描きパンをさえ食べることが出来る などと思い込むのはばかげたことだろうか

人はよみがえるためにはまず死ななければならなひのね

 

 と量子ママはまた笑つた
 

笑ひ事ぢゃなひですよ 浮舟は入水はしません
 

 Kはグラスの残りをぐゐと飲み干しながらかぶりをふつた

「もしあなたがそれをしてくれるつもりがなくても そのことを決して他人に漏らさないと約束してくれる?」
ダリは彼女の口に 口の内側に呂した それが星月夜であったかどうかはわからないがそんな接吻をしたのは初めてだった 長い間手鎖に繋がれていたダリのエロチックな欲望のパルジファルの全てが肉の衝撃によって目覚めぴょんと跳ね起きた 涙と唾液が入り混じり音を立てて触れ合う二人の歯と狂おしく動き回る舌によっていっそう高められた最初の接吻はお互いの全てを噛みつくし食べ尽くしてしまいたい衝動で自分たちを駆り立てるリビドー的飢餓のほんの外辺に触れたに過ぎなかった(中略) ガラは目まいがした そして欲を言えば
ダリが『グラディーヴァが人間の形をした廃墟を発見する(懐古的幻想)』を描いたのは1931年である その後連作としていくつか描いている その前の『記憶の固執』は ダリにとって「硬いもの」と「柔らかいもの」の理論を絵解きしたもので 其処に見られる風景はカダケスのクレウス岬であった

ママは続ける

 

琴座のベガといふのは織り姫 あなたも知つてるわね でもそれは本来オルフェウスのことで 竪琴が上手でエウリディケとゆうニンフと恋仲になる 或る日毒ヘビに噛まれたエウリディケは即死 悲しんだオルフェウスはあの世へ行つてハデスにお願ひしようと三途の川を渡る 途中で番人達に断られもするが悲しみの竪琴を奏でて通して貰ふ 冥王ハデスにも断られるけど妃のペルセポネが頼んでくれて 条件付きで許可が下りる それは帰り道で振り返つてはならぬとゆうもの で まー 最後のとこでふりかえつてしまふわけね アウチ で 悲しみのオルフェウスは女性との愛を断ち オルペウス教を始めアポロンを唯一偉大な神と信仰する ところがそれに怒ったディオニュソスがマイナスたちに襲わせて八つ裂きにしてしまふ 彼の首と竪琴はレスボス島に流れ着き これをゼウスが悼んで星空にあげて琴座にした
一方の鷲座のアルタイルは彦星 これと白鳥座のデネブは ぢつわどちらもゼウスの変身 前者はガニメデとの一件で 後者はレダとの一件 生まれた子供が双子座のポルックスとカストル
これが七夕の話に繋がるのは西洋と東洋の違ひはあるけれど 鵲の橋のことはあなたも書ひてゐるから省略して 今回はさらにクレウス岬から夢の浮橋までだふ繋ぐつもりなの?

 

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グラディーバ 9
 

夢は願望充足であるとフロイトは述べた 願望とはフツー未来に対して向けられるものである 古から人間はあらゆる手段を用いて未来とゆう秘密のヴェールを剥ごうとしてきたが むなしかつた そもそも夢には意味があるのか 科学の答えはノーである そこでアウグストとグレーテルが他愛なく乳繰り合う姿に苛つく哲学者は自分の疑問が何に起因しているかを思索するのだつた 過去はだふなのか そして現在とは何処なのかと

確か 過去と現在と未来についてのあなたの論考がいくつかあつたはずよね ちょつとログを掘つてくるわ

 

 と云つてママは消えた

いまにして突然気づひたことに 浮舟がこんなところに居ようとは夢にも思わなかつた 同時代に生きてゐて当たり前ではなひか 思はず「危なひ」と叫ぶ 「歩み行く女」はこちらに顔を向ける けれどもこともなげに宇治の館の柱廊玄関に向かつて歩みを続け その階に腰をおろすと徐ろに段の上に体を横たへた 急ひで駆け寄ると 眠れる人のやふに穏やかな面持ちでゐるのが目に留まり 次ひで彼女の形姿は雨と注ぐヴェスビオの火山灰に埋もれてゆく

そこは ホテル・ディオメデ でも
ホテル・スイス でもなく
アルベゴ・デル・カンデオ だつた
ノルベルトとツォーエは 結婚した

 

Am nächsten Tag starb Maman
 

​ 続く

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