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ナルト秘帖

朝日楼とゆうのは つまり「朝日の当たる家」のことでそれは遊郭のこと

文化10年(1813年)のその日 (平賀)源内が目覚めたのは神田の司馬江漢の家の前の路地であった 使用済みの時駕籠を軽茶(茶樂)から譲り受け またジャンプして元の時代へ舞い戻ったはずだった

此処にまた新たな物語が・・

 

平賀源内 (1728-1780?)

司馬江漢 (1747-1818) ※鈴木春重

 

 

参考・二百日紅(2020年)

 

タイムラインを再掲する

 

・令和二年末 軽茶は市民図書館TUTAYAで失踪する

 

・安永五年(1776年) の蔦屋にタイムスリップして平賀源内(48歳)に出会い エレキテルを修理する 源内や杉田玄白の研究を手伝う このとき司馬江漢29歳

 

・安永八年(1779年) 源内が捕縛される前に 田沼意次に貰った大名駕籠を電気鰻で改造した時駕籠「出露狸庵」に乗り 胞子ドライブで脱出

 

・天明八年(1788年) 蔦屋重三郎 山東京伝 司馬江漢(41歳)らと出会う 料亭「常世」の掛け軸の裏にある時穴から 三種の神器を利用して さらにタイムトラベル 【源内は時駕籠で元の時代に戻る】

 

・寛政六年(1794年) 鉄蔵(葛飾北斎)と娘のお栄に出会う ここで自分がなぜこの時代へ来たかを知る 軽茶は「茶樂」を名乗ることになる 再び京伝に会い後始末を托して「常世」地下の氷室から現代に帰還する?

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ナルト秘帖 序の壱

源内が過去に戻ろうとしたのは 二代目瀬川菊之丞との一件を何とかしようと思ったからだった 源内が獄中で死んだとされているのは 安永8年(1780年)だが この真偽ははっきりしていない

彼を江戸時代のダビンチとすれば もうひとり それに相当すると思われる司馬江漢は晩年何をしていたかとゆうと

人付き合いが煩わしくなり 文化10年(1813年)自分の死亡通知を知人達に送り逼塞していた

そこへまた茶樂の一件で天明八年(1782年)に別れたはずの源内がひょっこり帰ってきたのである

平賀源内については以前詳述したので 司馬江漢について補足する

 

絵師で蘭学者 日本で初めてエッチング銅版画を制作 その刊行物で世界地図や地動説などの自然科学を紹介した

本名は安藤吉次郎 安藤峻 俗称は勝三郎 後に孫太夫 字は君嶽 君岡 司馬氏を称した また春波楼 桃言 無言道人 西洋道人と号す 広重の東海道五十三次のオリジナルを描いたとゆう説もある

 

 

これはこれは源内さんではないか あンたは過去へ戻ったんじゃなかったのか

 

うーん それがよくわかんねぇんだが あの時駕籠の針を逆向きにしちまったんじゃないかと

 

なんにせよ また逢えたんだから嬉しいね どうです いっちょ久しぶりに「なか」へ繰り出すってのは

 

ぁんだって あンたいま幾つになったんでぇ

たはは あれからかれこれ24年にはなるから 御年66歳でげすよ もうおいらは引退しようと思ってさ 自分がおっ死んだって知らせを刷っていたところでげす ちょうどいいや ちょっと相談が・・

ナルト秘帖 序の弐

しかし二十四年なんて源内さんにとってはあっとゆう間だったろうが こっちゃいろいろありましてネ

 

六年ほど前に蔦屋(重三郎)さんが逝っちまってからは おいらも潮時かと思って自分の歳を九つほどサバ読んだりして隠居してたんです これはマー荘子のゆう大悟の心境って奴でげすが そこい昨年(山東)京伝さんも具合が悪くなって熱海で養生してるんです こないだ久しぶりに便りがあって 孫太夫(司馬江漢の俗称)さん最後にシトツ戯曲を書いちゃくれねぇか ってゆうのネ ちょうどおいらも小ネタを考えていたところでさ

 

そこでお願いなんですが 源内さんは確か讃岐の出だったスね 実家は高松藩に仕えていたことがあるって だからちょいと四国へ取材に行っちゃくれまいか 行き先は阿波国だ ぢつわ京伝さんの妹で行き方知れずになったおよねさんって居たでしょ その話でもあるんですヨ

ナルト秘帖 序の参

再会を果たした(平賀)源内と(司馬)江漢の二人は 吉原大門の見返り柳の近くにある茶店「時雨堂」へと出かけた

 

源内さん 「蔦屋耕書堂」はまだありますが 亡くなった重三郎さんの後は番頭の勇助さんが後を継いでます 本所の料亭「常世」もまだありますけど 京伝さんが具合悪くて今は閉まってるんで とりまこの茶店で甘酸っぱくお話ししやしょう ちょいと心太でも如何っすか いやね これを酢だけで喰うってぇのはおいらもどうかと思ってんでげす お江戸にゃ醤油もあるんでこれに辛子も入れて食する方が旨ぇんじゃねえかと もちろん白糖だってあるんでサ

 

ところで例の京伝さんの妹御のおよねさんのことですがね あんとき時穴からどっかに行っちゃったってことだったでしょ じつぁそのあとまた帰ってきたんですよ ところがまた誰かに拐かされちまって それがどうも今は阿波国に居るみたいなんです

ナルト秘帖 序の四

さて今回の主人公は平賀源内でも司馬江漢でもない

謎の隠密剣士法月軽之丞の話である

これはあの有名な伝奇小説でもない

 

1926年(またこのローリング20年代ですな)吉川英治が大阪毎日新聞に一年間連載した『鳴門秘帖』 本文のルビは「ひじょう」であったが通称は「ひちょう」でよい

当時毎日新聞の学芸部長は、病のため薄田泣菫の代わりに、阿部眞之助が務めていた。阿部は当時「サンデー毎日」の代表作家白井喬二に目をつけ執筆を依頼しようとしたが、編集長に断られてしまう。のち白井は「報知新聞」に『富士に立つ影』を連載、これに対抗しようと考え講談社に作家の調査を依頼、そこで指名されたのが吉川英治であった。

執筆にあたり、伊上凡骨の案で阿波に興味を示し、司馬江漢の随筆『春波楼筆記』にヒントを得た作品である。蜂須賀重喜は30代で蟄居を命じられ、72歳まで生きた。作者は重喜の蟄居の裏には大きな謎があるとふみ、伝奇時代小説の伝統を踏まえつつ、宝暦事件で敗れた竹内式部、明和事件で敗れた山県大弐といった公卿の存在を鍵に、重喜が幕府転覆の黒幕であるという想像を盛り込んでいる。

 

 

元禄年間 1688-1704

宝永年間 1704-1711

正徳年間 1711-1716

享保年間 1716-1736 ※享保の改革

元文年間 1736-1741

寛保年間 1741-1744

延享年間 1744-1748

寛延年間 1748-1751

宝暦年間 1751-1764 ※宝暦事件 蜂須賀重喜

明和年間 1764-1772 ※明和事件

安永年間 1772-1781 ※菊之丞没 源内没?

天明年間 1781-1789 ※中村仲蔵 黒鳶式部没?

寛政年間 1789-1801 ※茶樂活動期 蔦屋重三郎没

享和年間 1801-1804 ※蜂須賀重喜没

文化年間 1804-1818 ※山東京伝没 司馬江漢没

              惑星直列

少し時代が前後するのだが

天明四年 黒鳶式部(京伝の妹およね)は 黄表紙

「他不知思染井」を発表する

天明八年 およねがまた行き方知れずになった頃 『仮名手本忠臣蔵』五段目で斧定九郎の役作りの祈願のため柳島妙見様へ通った中村仲蔵は二十一日満願の帰りに夕立に出会う 業平橋のたもとの蕎麦屋で雨宿りをしていたところに 一人の浪人が赤鞘の刀を差して破れた蛇の目傘を持って尻っぱしょりで入って来た そして入って来るなり傘の雨しずくを振り切った

 

仲蔵は これだ と思った

その浪人が 法月軽之丞 である

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ナルト秘帖 序の五

初代 中村仲蔵 元文元年(1736年) - 寛政2年(1790年)

一代で仲蔵の名を大名跡とし門閥外から大看板となった立志伝中の人

考証に詳しい六代目三遊亭圓生によれば 前述の話は

『仮名手本忠臣蔵』の定九郎の場面は(もともと弁当を食べる休憩時間と呼ばれるほどのどうでも良い場面だったものを)今日の浪人風に演じたのは仲蔵の工夫によるものであるが 三代目中村仲蔵の著書『手前味噌』によると、初代仲蔵が立作者の金井三笑と『曽我の対面』の工藤の演出をめぐって不和となり 三笑がわざと定九郎一役だけを仲蔵に振って嫌がらせをしたのが事の起こりということである

仲蔵は先輩達にいじめられながらも芸気違いと呼ばれるほど一心不乱に芸を磨き その才能を四代目市川團十郎に認められた

さてこの四代目市川團十郎 屋号はご存じ成田屋 二代目團十郎の隠し子ともゆわれていて 初代松本幸四郎が養父でありその名跡の二代目も継いだが のちに三代目市川海老蔵も襲名する栄転譚の逸物

でこの息子の五代目市川團十郎(三代目松本幸四郎・市川蝦蔵・成田屋七左衛門・初代市川白猿)がまた名人で江戸歌舞伎の第一人者としてその屋台骨を支えることになる

白猿の頃に山東京伝と懇意になっていて引退後も逸話が多数ある

 

二百日紅でも取り上げた山東京伝は 通人で 必殺あそび人 長唄 三味線に通じ 北尾政演と号し挿絵や錦絵を描いた 平賀源内をコピーライタ 吉原生まれの蔦屋重三郎をプロデューサとするなら 深川出身の京伝は元祖デザイナである 十八大通の一人とゆわれた浅草蔵前の札差文魚と親交があり吉原に遊んで家に帰るのは月のうち5・6日に過ぎなかったともゆわれている 四代目團十郎は男色で元愛人の若衆に陰間茶屋を経営させていたような人物だが 京伝は新吉原の花魁を身請けして正妻とした 本所深川の料亭「常世」を任せた一件は茶樂による脚色

ちなみに司馬江漢の先祖は紀州人 司馬の名前は住んでいたのが芝新銭座だとゆうだけの理由で 師事した鈴木春信は源内が住んでいた長屋の大家さん またそこへ越してきた宗紫石も江漢の唐画の師匠で さらにその隣に住んでいたのが杉田玄白である

ナルト秘帖 序の六

本編の前にもう少し時代背景を見てみよう

 

享保の改革とゆえば吉宗 元禄時代と田沼時代の区切りのようなもの

この時吉宗は綱吉以来、譜代から不満を持たれていた側用人を廃止して、表向き老中による幕閣政治に重きを置いたように振舞った。しかし実際は御側御用取次を新設し元紀州藩士をそれに任じて実質上の側近政治を展開した。吉宗は御三家である紀州藩から将軍家を相続する際、多数の紀州藩士を幕臣として編入させていた。その数は享保10年には205名にもおよんだ。これは紀州藩上士の約25%に相当する。吉宗は紀州系の側近たちを中心として従来の幕府のしきたりに囚われない大胆な政治改革を断行した。

暴れん坊将軍とはゆえ 絵を描き歌も詠む またキリスト教以外の洋書輸入を解禁した そのため長崎で蘭学ブームが起こる

軍事調練としての鷹狩りの復活 貧民救済のための小石川養生所の設置 火事対策として町火消しの制 紀州藩時代に採用していた「投書箱」の制度を応用した目安箱の設置などは有名だが

特筆は御庭番 公儀隠密である もとは紀州藩お抱えの薬込役とゆう役人であり 当初は17人だった もちろん家康の頃から伊賀者や甲賀者もいたが間諜としての機能は失われていた

御庭番が幕臣としての身分を隠し遠国に実情を調査に出かける旅行のことを「遠国御用」とゆう 今回の話は 宝暦事件 明和事件のあとを受けて またしても幕府転覆を図る不穏ないごきが西国にあるらしい と密命を受けたのが

 

法月軽之丞 そのシトである

 

前項 おりしもの夕立のさなかに中村仲蔵が役どころのヒントをその浪人姿に見たとき それを陰から見ていたもう一人の人物がいた

 

ナルト秘帖 序の七

 

山東京伝が團十郎と懇意になったのは 弟の山東京山に連れられて歌舞伎を観に行ったときに楽屋まで押しかけたからである この弟は長崎の料理人に教わって江戸で最初の天ぷら屋を始めたシト オランダ語のてんぺろがなまった天麩羅とゆうのは京伝のネーミングらしい

この粋人京伝に 寛政二年(1790年)のこと弟子入りを請うて断られたのが既出の曲亭(滝沢)馬琴である どうも馬琴は歌舞音曲も解せぬ野暮な奴だったようで 自分自身の悪筆を棚に上げ京伝を狂才だが書を読まぬ売色の吉原通いなどと揶揄した清廉気取りの偏屈人だった この時代の吉原をただ売色と片付けるのはあまりにも馬琴の方が吝嗇(ケチのこと)すぎた もっとも後には京伝にも認められ蔦屋の手代も任されるようになる 文化年間には京伝と対抗するほどの人気を博し『椿説弓張月』や『南総里見八犬伝』をヒットさせた

しかし京伝は馬琴の競争心丸出しのしつこさには困っていて 遊興即肉欲処理とする馬琴と 泥田の蓮に最高の花を観て二度も傾城と結婚した京伝では師弟といえどもソリが合わなかった

 

傾城(けいせい)とは 傾国の美女とゆうように楊貴妃や妲己のような古来君主の寵愛を受けて国 (城) を滅ぼす (傾ける) ほどの美女 転じて遊女のこと 歌舞伎の役柄に多く取り入れられている 幕府が傾城局を設けたのは室町時代からでこれが公娼の始まり 岡場所や遊里と違って遊郭は許可制のものをゆう

傾城に血道をあげるのは野暮 通人であろうと努力するのは半可通 すべてを知り何事も心得た上で流れに棹せず水と共に流れて行くのを最上とする

 

 

でこの馬琴だが ぢつわ京伝のある秘密を知っていたふしがある 『伊波伝毛乃記』巻頭の

 

 なき人の昔おもへばかぎろひのいはものこと言ふぞかなしき

 

かぎろひとは陽炎のこと これは京伝とその異母妹?およね(黒鳶式部)のことではないかとゆうことだ

 

ナルト秘帖 序の八

 

「新内」とゆうと

地元和歌山人なら誰でも飲み屋街「アロチ」と読めるわけだが

他府県のシトはまず読めない

読むとすれば「しんない」とゆうとこれになる

この明烏とはもちろん落語の廓話の名作であり 内容は吉原への入門テキストなのである

ヒラオカは二上がり新内をビル・エヴァンスに例えたり 常磐津 富本 清元に新内を加えた豊後四派をカラマーゾフの兄弟に例えたり 情死を禁ずる弾圧の歴史が 劇場から夕風が吹き夕立に見舞われる街に出た新内を想起する それは決して冬場に食べてはいけないとゆう冷やし中華を踏み絵した 心太であってもてんぺろではない 新内の真骨頂は柳通りに心中を唄って「骨を噛むような切々たる哀惜」を醸し出すとゆうことなのだ

 

助六が 傘にかかりし悪態は したにも着かぬ …

 

なんだっけ このあとは

式部 いや およねさん

 

その出会いがかの夕風と雨が走る街にあった 柳の木の下から法月を見つめていたのはおよねであった

 

 げに、もっともとうなずきて、互に目を閉じひと思い、ひらりと飛ぶかと見し夢は

 さめてあとなく明烏、…後の噂や残るらん

ナルト秘帖 序の九

 

さて法月軽之丞は公儀隠密なのだが 隠密剣士とゆえば ぼくらの年代はまずこれを思い出す

大瀬康一主演の秋草新太郎である

 

本名は松平信千代であり ぢつわ11代将軍・徳川家斉の腹違いの兄で 時代としては天明7年(1787年)から寛政2年(1790年)にかけての頃のお話し

この家斉とゆうのが一橋家の出身で在任50年(1787年 - 1837年)の長きにわたる異色将軍 この間 田沼意次から松平定信の失脚までいろんな事が起こる

「俗物将軍」と渾名されたのは 特定されるだけで16人の妻妾を持ち 53人の子女(男子26人・女子27人)を儲けたことだが これは家斉がスキモノであったとゆうより縁戚関係を増やすための一橋家の戦略だった 幕府にしてみれば経費が増えて傾くきっかけになっている まさに傾城

家斉の在職期間は「化政文化」といわれた江戸文化の絶頂期でもあった。『風雲児たち』の作者みなもと太郎は、寛政の改革を若い頃に経験した家斉が「改革なんか上下ともに迷惑、あんなことやるものじゃない」と子作り以外何もせず放任政策をとったことが結果的に町人文化の発展に貢献した、としている。

 

 

隠密剣士での敵忍者は百々地源九郎や甲賀白雲斉や風魔小太郎などの馴染みの名前が出てくるが 吉川英治の鳴門秘帖では甲賀の隠密世阿弥(よあみ)とゆうのが出てくる なぜ世阿弥なのか

 

そもそも世阿弥(ぜあみ)とは日本における芸事の元祖 室町時代の猿楽師である 観阿弥の息子 高砂の作者 能として観世流の始祖 『風姿花伝』の芸論は文学的価値も高い

その奥義は「秘すれば花なり 秘せずは花なるべからず」

この口伝は「花を知る」と「花を失ふ」を問題にする 能には「似せぬ位」があるとゆうヒミツのあっこちゃんなのだ(違

ナルト秘帖 幕間

ハカセ 本題はまだ始まらないんでスカー

これこれ 番頭さん せいてはコトをガマン汁 なんて云うんだがね フリてぇものはさふいうものですヨ 仲蔵さんだって 定九郎を浪人仕立てにアレンジしたのは天のお告げのやふなもの

はいはい あンたの底抜け脱線ゲームは今に始まったこっちゃない

んじゃさ お駄賃あげるからこれで心太でも いや蕎麦でもたぐってておくんない 週の末だし あたしゃちょいとお師匠さんチにお稽古に行ってくる

 

 

加筆中

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ナルト秘帖 破の壱

幕府転覆の話とゆえばこれをまず思い出すのではないか

 

由井(由比)正雪

慶長10年〈1605年〉? - 慶安4年〈1651年〉

徳川家光の頃の話 武田信玄の転生とゆわれる

軍学者 慶安の変 

河竹黙阿弥の歌舞伎『樟紀流花見幕張』(慶安太平記)

 

明治3年の初演では

 

由井正雪:  四代目 中村芝翫

丸橋忠弥:  初代 市川左團次

松平伊豆守: 四代目 助高屋高助

藤九郎:   三代目 中村仲蔵

が演じている

これ以外にも由井正雪の出てくる作品は沢山ある

山本周五郎 司馬遼太郎 柴田錬三郎 山田風太郎など

SF作品としては平井和正・石森の「新幻魔大戦」もあるが

 

懐かしいところでこれですね

「伊賀の影丸」 横山光輝

ナルト秘帖 破の弐

 

「世阿弥はおるか」

「世阿弥はおるか」

「世阿弥はいるか」

          「博士 はいここに」

「ワシは博士でない おかしらAぢゃ」

「ワシは博士でない おかしらBぢゃ」

「ワシは博士でない おかしらCじゃ」

      「なんかシトリ変でないすか」

「どす !!!」

「どす !!!」

「ぐげ あああ」

   「!!!          どす」

「おかしらCはにせものであった」

「おかしらCはにせものであった」

「   ・・・        」

   「いつもの なをさんのマネですね」

「セリフをとちらなければの」

「セリフをとちらなければの」

「セリフをとちらなければな」

      「またシトリ増えてますけど」

「おかしらDかな」

「おかしらDかな」

「おかしらDじゃ」

 「わかりましたからハヨ進めてください」

『伊賀の影丸』は1961年から1966年まで少年サンデー連載

1958年の山田風太郎の忍法帖シリーズの影響

各勢力が忍軍を擁している。特に徳川家は伊賀忍組、甲賀忍組、柳生流剣士を公的に取り立てており、江戸幕府初期の時点では、伊賀出身の服部半蔵が江戸の甲賀組・伊賀組の総元締めである。甲賀卍谷、伊賀鍔隠れなどの地名は、シリーズに共通して登場する。※江戸時代・戦国時代以前に『甲賀忍法帖』では源平時代にまで遡る 

 

影丸の上司は服部半蔵である

 

「世阿弥よ 阿波国へ行ってもらいたい」

「世阿弥よ 阿波国へ行ってもらいたい」

「世阿弥よ 阿波国へ彳ってもらいたい」

      「泡踊りはコロりで中止では」

「ばかもん 密命はそげなことではない」

「ばかもん 密命はそげなことではない」

「ばかもん 蜜命はそげなことではない」

               「ははっ」

「っすど」「っすど」「XDX」「どすっ」

ナルト秘帖 破の参

公儀隠密として阿波国に潜入した世阿弥は帰ってこなかった

 

阿波国徳島藩とは

天正年間(1573年~1592年)に播磨国の領主蜂須賀正勝が秀吉の命で四国征伐をしたとき与えられたもので当時の石高は17万5千石 家督を継いだ嗣子の家政が藩祖となる 同年徳島城が築城され その祝いに踊られたのが阿波踊りの発祥である その後関ヶ原の戦いで家正は西軍により出家追放 今度は妻が家康の養女である嗣子の至鎮が後を継ぎ初代藩主となる 至鎮は大坂の陣で勲功を立て蜂須賀家は淡路七万石を与えられた 寛永年間(1624年~1644年)には阿波・淡路の2国・25万7千石となるが 実際には阿波商人が藍、たばこ、塩などで得た利益を合算すると四十数万石になるともいわれていた

 

 

慶安年間(1648年~1652年)のこと 松平伊豆守(信綱)直属である服部半蔵の命により影丸が青葉城に潜入したとき そこに雇われていた謎の剣士が阿魔野邪鬼である 彼は影丸のライバルとして他の話「邪鬼秘帖の巻」などでも宿命の対決を繰り返すが最後には敗れる しかし彼は不死身であり 「由井正雪の巻」でも邪鬼は登場する 下図の半兵衛とは正雪の部下 金井半兵衛のこと ここは慶安の変(由井正雪の乱)※慶安四年1651年)の話

松平伊豆守とは松平家の役職名のようなもので初代信綱から信古まで10人ほどある 知恵伊豆こと松平信綱は家光の時代をモデルにした時代劇に良く登場する 文学作品にも多い(後述)

 

江戸を斬る 梓右近隠密帳(演:神山繁)

徳川三国志(演:松方弘樹)

寛永風雲録(演:里見浩太朗)

柳生一族の陰謀(演:高橋悦史)

葵 徳川三代(演:飛田航介)

鬼平犯科帳(演:成田三樹夫)

長七郎天下ご免!(演:丹波哲郎)

柳生十兵衛七番勝負(演:西郷輝彦)

将軍家光忍び旅(演:田村亮)

八代将軍吉宗(NHK大河ドラマ、1995年、演:西岡徳馬)

超高速!参勤交代 (映画 2014年、演:陣内孝則)

超高速!参勤交代 リターンズ(映画 2016年、演:陣内孝則)

ナルト秘帖 破の四

 

さらに時代を元和年間(1615年~1624年)に遡る 秀忠・家光の頃である

元和元年一夜にして とゆうが この年にあった出来事は大坂夏の陣 翌年に家康が死ぬ まー来年の大河は余り見る気はしない^^

さて 元和7年?から寛永15年まで生きた ある人物

それは天草四郎時貞である 秀頼が夏の陣を逃れ九州に落ち延びたそのご落胤ではないかとゆう説もあるがこれは眉唾 義経→ジンギスカン?のようなもの

寛永14年の島原の乱のとき 天草四郎はまだ十代であった 実在の人物だが侍でも忍者でもない キリストのような奇跡を起こした生まれながらのカリスマ 母は洗礼名をマルタ 実名は「よね」である

 

でこの天草四郎は由井正雪の妖術の師匠ではないかとゆう説があって

山田風太郎の『魔界転生』は怪作である

1981年に映画化されたこの作品も名作だ

主演は 沢田研二VS千葉真一

原作では 荒木又右衛門、居合の田宮坊太郎、宝蔵院流槍術の宝蔵院胤舜、尾張柳生流の柳生如雲斎、江戸柳生流の柳生宗矩、二天一流兵法の宮本武蔵ら名だたる剣豪たちが転生するが これに立ち向かうのが柳生十兵衛

吉川英治『宮本武蔵』のアンチテーゼでオマージュでもある

映画では家綱を籠絡する妖女細川ガラシャ(佳那晃子)や 魔界に染まりきれない伊賀の霧丸(真田広之)が出てくる

※深作欣二の発案でガラシャを出したことに山田風太郎は脱帽した 当初松坂慶子の予定だったが松竹に拒まれた 佳那晃子の起用はジュリーの肝いりである またジュリーと真田のキスシーンも深作のアドリブとゆう

宮本武蔵(緒形拳)や柳生宗矩(若山富三郎)と

十兵衛(千葉真一)の決闘シーンも見事

※十兵衛はその対決のため刀匠村正!に妖刀を鍛えてもらう

ラストシーンの江戸城丸焼けは特撮ではなく 俳優・スタッフ共に命がけの撮影であった

 

 

WIZなどRPGでの東洋系キャラには侍と忍者が出てくるが どちらが強いかとゆうのは難しい

侍の究極の武器は村正 魔術系の呪文が使える

忍者は特筆すべき武器はない(確か最強の武器があったが呪われている)が アサシンとしての一撃必殺クリチカルスキルがあり 錬金術系の呪文やポーションが使える

ぼくのいつものパーチーの前衛の定番は

フェアリー 忍者  呪文は錬金術

ヒューマン 侍   呪文は魔法使い

エルフ   モンク 呪文は精神系(他に僧侶など全てを転職を繰り返して覚えさせる)

ナルト秘帖 破の五

 

白土三平が亡くなったのは 昨年の10月8日

横山光輝が亡くなったのは 2004年4月15日

 

白土の影丸と 横山の影丸との大きな違いは 体制側でないこと 追う方でなく追われる方

影丸伝は永禄年間(1558年~1570年)の頃で奥州最上領の話から二部では畿内の話に続く

二人の剣士のうち重太郎は風魔小太郎の系譜 剣聖上泉信綱から秘剣の極意を授かっている 上泉信綱は新陰流(後の柳生石舟斎)創始者 影丸や無風は影の流れ つまりダークサイド

もっとも 新陰流の原点は室町時代の陰流で 影流とも記される兵法三大源流の一つである あとの二つは最も古い念流と神道流なのだが 陰流の起源は文明年間(1469年~1487年) 文明年間には後小松天皇の落胤?一休宗純が応仁の乱の後の大徳寺の復興に貢献している 念流の後継は 伊東一刀斎や佐々木小次郎だ その他に千葉周作や山岡鉄舟もこの流れ 神道流の方の後継者は 塚原ト伝や林崎甚助 影丸伝に出てくるもう一人の青年剣士が甚助

 

 

風魔(風摩)

天正年間(1573年~1592年)

「黄瀬川の戦い」で敵方の武田の陣に夜討ちをする集団を率いた乱波として紹介されている人物

19世紀初の『武家名目抄』は、透波と乱波の違いについて、密かに活動するものを「透波」、騒がしく動静が整わないものを「乱波」と呼ぶと解釈しながら、同じ意味とも解釈し、関東では「乱波」、甲斐以西では「透波」という地理的な使い分けがあった、とも解釈している

風間小太郎は別人

永享年間(1429年~1441年)幕府軍密偵の中心人物

 

風魔小太郎

北条氏に仕えた乱波(風魔一族または風魔忍者)の首領

 

隠密剣士の風摩小太郎

1961年,1962年,1967年 白土三平の漫画『真田剣流』『風魔』『忍者旋風』 - 風魔小太郎及び彼の率いる風魔一族を主役とする三部作。

 

山田風太郎の『風来忍法帖』にも登場する くノ一もある お雁 お燕 お鶴 お鳶 お鷺 お雉 など お綱やお米はいないなぁ これみんな酉だから

一休禅師は忍者ではないが風狂である

 

ナルト秘帖   幕間2

 

ハカセ本題がい

まだに始まらん

のですけろもど

ないなってんの

        これこれそこな番頭さん

        せいてはワケがワカメ酒

        てなことを申しますがな

        ?そげなこたゆわんて?

マこりわキャスチングとゆうものをですね

いろいろ考えている段階なのであってやね

歌舞伎とかジャニーズ出せば良いとゆうね

でわないのよどこどの大河番組みたいにね

風魔忍法           分身の術

 

         巫         

        \|/        

巫 巫 巫 巫 巫 巫 巫 巫 巫 巫

        / \        

 

   上の横線は天 下の横線は地

   そして中央の縦線は天〜地へ

   神霊や精霊を降臨させること

   左右のヒトは踊る巫祝を表す

 

     忍法  霧隠れの術     

 

笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑

笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑

笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑

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笑笑笑笑笑笑菌笑笑笑笑笑菌笑笑笑笑笑笑

笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑

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笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑

笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑

     (・)     (・)      

  寄り目で見れば第三の眼がわかる 

      忍法  影分身                                    

   巫      巫      巫    

巫     巫     巫     巫

    巫     巫     巫     

  巫    巫    巫    巫   

    巫     巫     巫     

巫     巫     巫     巫

   巫      巫      巫    

 

      忍法  蛍火の術      

 

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      忍法  空蝉の術      

 

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ナルト秘帖 急の壱

永元年 本所深川

突然の雷鳴が響き渡り 夜空は俄にかき曇りしや

それまでは下弦の三日月が輝く夜であったのだが

犬が消魂しく吠えている 知らないものに怯えて

雷光に浮かび上がったのは 大きな車輪であった

それは 独りでゴロンゴロンと回転し進んできた

苦し紛れに飛びかかった犬はそのまま踏み潰され

またあたりは何もなかったように鎮まりかえった

車輪が止まり中から赤子をおぶった少年が現れる

少年は柳の下にひそんでいたひとりの遊女を見ゆ

すまぬがこの子に乳をやってくれないかと頼みめ

 

なんだ小僧 おあしは持ってるのかい

 

このあたいのお乳は商売もんなんだよ

 

にべもなく断られた少年は立ち去るが しばらくの後僅かの銭を握りしめてその場に戻ってきたとき 遊女は何者かに切りすてられて死んでいた

 

いや

 

 

はるばるイジチュール星に神聖試験を受けにきたKは馴染まぬ街で途方に暮れていた 空腹のまま町外れまで彷徨って来て柳の下に腰をかける

そこに座っていた女は赤子に乳を与えていたのだが赤子は既に死んでいるようだった 女は何も言わずにおまえも乳を吸うかと目で促している

 

ナルト秘帖 急の弐

 

安永はその前の明和九年(1772年)改元された 後桃園天皇即位のためと 続いて起こった火事風水害が「明和九年(めいわくねん)」すなわち「迷惑年」によるとされたためである

 

その安永年間の頃 江戸の街に怪事件が起こっていた

夜な夜な現れる鬼車もそうだが 若い女が何人も惨死することだった 辻斬りにしてはどうもおかしいとゆうことで この話は老中松平伊豆守(安永年間では松平信明)の耳に入り ある人物が呼ばれた

 

よくぞ参った法月軽之丞よ 実は今巷を騒がしておる事件について一つ調べて欲しいことがあるのじゃ 世阿弥の一件は存じておるな

 

ははっ

 

 

安永年間の出来事:

 

3年 杉田玄白らが『解体新書』を刊行する。

8年 桜島で大噴火が発生(安永大噴火)。火山活動により153名が死亡、桜島北東沖に島(新島)が形成される。

10年2月19日(1781年3月13日) 天王星が発見される。

 

誕生

2年 徳川家斉(江戸幕府第11代将軍)

田沼意明(陸奥国下村藩初代藩主)※田沼意次の孫

 

死去

8年 平賀源内(享年51)?

 

 

町外れの柳の樹の下で翌朝Kが目覚めたとき昨夜の女は居なかった あれは誰だったのだろう 日の出前の暗がりの中でその女乞食は飢えたKに乳を飲ませてくれたのだった 試験会場から宛がわれた受験生用の木賃宿にはもう泊まる気はしなかった 今日もまた此処へ帰ってこようと思った

ナルト秘帖 急の参

 

前回までのあらすぢ

安永年間の江戸の街に起こる怪事件 その解明のため老中松平伊豆守は隠密剣士・法月軽之丞を呼び寄せ子細を探らせることになった

 

 

さてどうしたものか と考えた軽之丞は住吉町にある馴染みの浮世茶屋『細目の長珍』に向かった

 

おヒサ女将 ぢつわかくかくしかじかこれこれこうゆうわけなのじゃ

 

あいよ あンたあいかわらず変ね マちょっと聞いてみるわ と 女将は懐からふたつの小さな竹筒を取り出して耳と口に当てた

 

あーもしもし おマサちゃんあんたもう仕事中? あそう 頼みがあるんで今からそっち行くね

 

話早っ 二人は早速近所の居酒屋『蓬莱泉』に出かける

 

ふうん この見返りのおマサさんに囮になれってこと?

 

左様 相手は何者かわからんが危険を承知でお頼み申す

 

なんだか面白そう で うちはドナイシタライイン

 

三人は件の事件現場 見返り柳のあたりへと向かう

おマサは独りで立ち 女将と軽之丞は陰から窺った

         

子の刻を廻ったとき 一つの影が女に近づいてきた

 

うぬ

   あの僧侶姿と 十文字鎌槍は 

       宝蔵院胤舜!

 

 

Kは神聖試験を終えて ようやく食べ物の支給をもらったので これは良い土産だとあの町外れに帰ってきたのだが

女は居らず 代わりに別の女が赤児を抱いて座っていた

昨日ここに居た女はどこへ行ったかと問いただすと こう答えた

 

その女は金をくれてさ あたしの身代わりにならしてくれとゆうから この赤ん坊も貸してやっただけ なんだか身分の高ぇお方みたいだったよ

ナルト秘帖 急の四

 

前回までのあらすぢ

老中松平伊豆守に江戸市中の怪事件の謎を探るようにゆわれた法月軽之丞は 早速馴染みの女将ヒサに相談し 見返りのおマサに囮になってもらうことにした しかして其処へ現れたのは

 

 

怪事件は若い女性が惨殺されるとゆうものであったが 単なる辻斬りでないのは凶器?が全ておかしなものであったとゆうことだ

 

あーれー

 

おマサは不審な影に気づき叫び声を上げる

現れた影とは宝蔵院胤舜である

逃げようとする女を羽交締め 

その首に噛みつこうとした

 

思わず助けに入ろうとする女将を軽之丞が制する

 

まぁ待て おマサがタダモノではないことは知っておる おぬしと同じ くノ一であろう もう少し様子を見ようでわないか

ぢつわ手練れのくの一おマサは 続けて繰り出した胤舜の得物をひらりとかわしたが その得物が槍ではなく なんとキュウリであったことに驚いた 何故キュウリ^ ^ とゆうか むしろそれを見て一瞬眼がとろんとしたものの 髪の毛からいくつか細いものを出し胤舜の影に向かって投擲する 千本である

忍法 影ヌイっ

胤舜は自分の影に突き刺さった千本で動けなくなった

あとはあたしの出番と前に出たおヒサの手には九条鞭が握られていた

しかし胤舜はなにやら呪文を唱え その場から消えてしまう

胤舜(いんしゅん、天正17年〈1589年〉 - 正保5年1月12日〈1648年2月5日〉)は、江戸時代前期の僧・武道家。山城国の郷士の出身。奈良興福寺の子院宝蔵院の院主。禅栄房胤舜。覚禅房胤栄の弟子。

宝蔵院胤栄が創始した十文字鎌槍を用いる宝蔵院流槍術を完成させ、江戸時代における宝蔵院流の繁栄の基を築いた。裏十一本式目を制定した。

さてこの 奈良興福寺 に何があるかとゆうと

Kは試験に合格していた 合格者には一綴りの青い切符が渡され市庁舎の食堂で好きなものが食べられるとゆうものだった それを女に土産として持ち帰ろうと思ったのだ

教皇の食堂(じきどう)は 僧侶が集団で食事をするところだ 堂内は広く沢山の仏像が飾られている 本尊千手観音菩薩立像を中心に 天燈鬼・龍燈鬼像 梵天像・帝釈天像 乾漆八部衆像 そして弥勒菩薩半跏像と阿修羅像である

ナルト秘帖 急の五

前回までのあらすぢ

老中松平伊豆守に江戸市中の怪事件の謎を探るようにゆわれた法月軽之丞は 早速馴染みの女将ヒサに相談し 見返りのおマサに囮になってもらうことにした しかして現場に現れたのは宝蔵院胤舜だった だがおマサもおヒサもぢつわくの一であり 思わぬ反撃に舌を巻いた胤舜は姿をくらます

胤舜って寛永年間の坊主ちゃうん 二百年程前やで ゾンビかぃ

それに十文字鎌槍じゃなくて あのキュウリはいったいなんなん

 

うむ それが今回の謎だ きゃつが消えた先には心当たりがある

 

早速行ってみよう と三人が出かけた先は もちろん奈良興福寺

 

ちゅことで今日は奈良まちまで取材にいてくる

 

 

ナルト秘帖 急の七

 

前回までのあらすぢ

老中松平伊豆守に江戸市中の怪事件の謎を探るようにゆわれた法月軽之丞は 早速馴染みの女将ヒサに相談し 見返りのおマサに囮になってもらうことにした しかして現場に現れたのは宝蔵院胤舜 だが おヒサもおマサもぢつわ「くの一」であり 思わぬ反撃に舌を巻いた胤舜は姿をくらます 三人は胤舜を追って奈良興福寺へと飛び 南円堂の前で再び対峙する

 

 

胤舜と軽之丞は星月夜の境内でしばし睨み合う

どのくらいの間が経ったか 夜空に一羽の梟が舞い上がったとき 機は熟して二人はぶつかり合った

今度は胤舜 懐から取りだしたなにやら柔らかいものを軽之丞の眼に投げつけ それを死角に十文字槍をひとつき

 

しかし軽之丞は胤舜の繰り出した槍の先に飛び乗り 高く飛び上がったかと思うと 真っ向から胤舜の頭上に剣を振り下ろす

 

十文字霞くずしっ

 

勝負は一瞬にしてついた 胤舜の骸は一陣の紫煙を残して塵となった

同時に堂内の気配も無くなる 残りの一味は何処かに消えたのだろう

 

なんなんこれ?と おマサは自分の顔についた金糸卵^^を振り払い

 

軽之丞の眼にもへばりついたものを見て笑った

どうやら鶏のささ身のようだな キュウリとタマゴとササミか

これはつまり あれだ

 

あたしもわかった 今度はおヒサがゆう

この事件は一橋じゃなくて 一箸家が絡んでいるのよ

 

ところで軽之丞さま お腰のその刀剣はひょっとして熱田神宮にある「あれ」じゃござんせんか

 

ふはは いや厳密にはあれじゃない 似ているがこれは 「草薙剣」ではなく「麺凪剣」とゆうものじゃ そば切り包丁ではないぞタケちゃん

 

 

    「ハカセ 奈良は如何でしたか」

「おお番頭さんよ 奈良は深い

         京都と違う秘められた過去が

 いっぱいあって勉強し直すぞ」

    「てこたサボるつもりでスカー」

「明日は尾張から来客があるの

         ザッパで接待するつもりなん

 でナルト秘帖第2部に続ける」

    「序破急使っちゃいましたから」

「そゆこたどうでもいいのぢゃ

         ネタは掘ればなんでも繋がる

 ヂレクトリもくそもないのよ」

    「第2部はいよいよ上方編かな」

「ツァラとストラもかく語りき

         このネタは万人のネタにして

 如何なる人のネタにもあらず」

    「法隆寺にもそう書いてますね」

        万人の門にして  

     いかなる人の門にもあらず。

興福寺も建立の経緯がはっきりしない寺である

奈良四大寺は大安寺 薬師寺 元興寺 興福寺

であり五大寺にしても次には東大寺が入るので

法隆寺は寧ろBクラスのトップに位置している

ところが世界三大宗教空間の一つに数えられる

あとの二つはパルテノン神殿とバチカン大聖堂

ナルト秘帖 第二部 予告

 

日本古代信仰と今回のネタ思想との習合については まず包丁文化とアミノ酸食文化の陰陽五行のドビンチョーレを考察せねばならない

それは既出の 塩 甘 酸 苦 の四原味に日本人独特の「うま味」とゆう概念だ これが外国人にはようわからんアミノ酸類の味なのだとオクナリはゆう グルタミン ヒスチジン イノシン テアニン バリン

 

 

法月軽之丞は松平伊豆守の命を遂行するにあたっておヒサとおマサの二人のくの一の助力だけでは足らないと考えた 不可欠脂肪酸をあと二色は欲しいとゆうことだ

そこで新たな雑巾兄弟として尾張の紫・多襄丸を呼び寄せる

 

 

 

 

加筆中

ナルト秘帖 第二部 醍醐の巻 壱

村正は名刀とゆうより妖刀で 徳川家に災いをもたらすとゆう噂があった 真田幸村の愛刀とゆわれ 由井正雪も 西郷隆盛もいわゆる倒幕を企てる者達がこぞって所持したのである

ところがこの災いの噂は迷信で 室町時代に突如現れた村正は格好良いし切れ味も良いので大量生産されたのだ つまり量に対する質の確率の問題なのであった

 

 

三種の神器のひとつ 天叢雲剣(草薙剣)のゆわれも何度も取り上げたが ここにもうひとつ いわゆる御由緒物の中でも別格の扱いを受けている刀がある

『壺切御剣(つぼきりのみつるぎ)』

壺切御剣は皇太子もしくは皇嗣に相伝される護り刀で、代々の立太子の際に天皇から授けられてきたものである。その始原は、寛平5年(893年)の敦仁親王(醍醐天皇)の立太子に際し、親王が宇多天皇から剣を賜ったことまで遡る(『西宮記』)。それは元々藤原氏の剣であったと見られ、藤原氏出身の皇太子の地位安定化のために、皇位を象徴する草薙剣を模倣し創設されたと推測される。

この剣は 再来年の大河に出てくる藤原道長にまつわる一件の後に初代のものが焼失し 今年の大河のラスト承久の乱のところでも出てくるかも知れないが 二代目の剣もまたその時失われるのである(※三代目が出来たあとに再発見され 現在まで継承されている)

 

多襄丸よ おぬしの聖柄の剣は確か…

 

「村雨丸」です 前の持ち主の犬塚信乃がこの宝剣をすり替えられたときに私が取り戻した「抜けば玉散る氷の刃」でござる 邪を退け妖を治める刀ですから兄上の目的には役に立ちますよ

 

うむ おぬしを呼んだのはぢつわもう一つ頼みがあってな

 

この軽之丞をお黄っちゃん^^ おぬしの紫を青とみて おヒサの赤 おマサの白と あと一人 黒に相当する仲間を捜して欲しいのじゃ さすれば五色戦隊が確変する

 

ははぁ でわ五味と五色はどう相当しますのですか

 

うむ

五味は「甘い」「塩辛い」「酸っぱい」「苦い」「辛い」

五色は「青」「赤」「白」「黒」「黄」 ではあるが 中国は日本と少し違って「緑」が入る 塩辛いと辛いをどう区別するかにもよる あとは「うま味」をどう解釈するかだな

料理のさしすせそとゆう 砂糖 塩 酢 醤油 それに味噌だ

例えば上方では「辛い」と「辛っ!」で意味が違うのです 辛子やワサビの辛味 そもそも塩辛いは海水からの由来で なぜ塩は辛いのか 塩っぽいとゆうとしょっぱいに通じます 上方では「しょっぱい」というのは「塩辛い」だけではなく「酸っぱい」を加えて 梅干のような塩気と酢をミックスしたものを指すとも聞いております 和食では最後の「辛味」を「塩味」に統一し 代わりに「旨み」を入れています

ナルト秘帖 第二部 おぼろ忍法の巻 弐

 

宮本武蔵(天正12年〈1584年〉? - 正保2年5月19日〈1645年6月13日)〉)が登場する

およそ知らぬ者のない 六十数戦無敗の大剣豪・剣聖 兵法家 芸術家 二刀を用いる二天一流兵法の開祖 意外とゆうか本性は藤原氏である 藤原氏は源平藤橘四氏の中で最も古く 平氏 源氏 北条 徳川と違って実に1200年からの系図を誇る廷臣の一大勢力

武蔵 巌流島の決闘は最も有名なれど 大阪の陣では徳川方 島原の乱にも出陣している

そして武蔵も転生した 天草四郎によって とゆうのが魔界転生映画版の話なのだが 山田風太郎の原作は少し違う

 

森宗意軒という怪老人と出会った由比正雪は、紀州の徳川頼宣とともに江戸幕府、将軍徳川家光の天下を奪わんとする企てを進めていた。森宗意軒は自らが編み出した忍法、“魔界転生”によって、剣豪たちを意のままになる部下として生まれ変わらせてゆく。

ここでは天草四郎は森宗意軒の弟子であり魔界衆の一人である 小説のラストは柳生十兵衛と武蔵の浮島の闘いで武蔵の方が破れる 魚歌水心とゆう章題も吉川英治の小説宮本武蔵の裏返しのオマージュになっている

 

まー天草四郎も由井正雪もこの際似たようなものだ

でわ今回の武蔵は誰なのか

 

魚歌水心

 

波騒は世の常である。

波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は踊る。

けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を、水のふかさを。

 

紫多襄丸はどこ行った?

 

なんか二日酔いで寝てるわよ マー あたしもやけど^^とおヒサが答える

ところで軽之丞の旦那 戦隊モノは良いとして リーダーはあンたでしょ なんで黄色なのさ フツーアタマはレッドじゃない あたしがすんの?

確かに基本パタンは

 

■ 赤 → リーダー

■ 青 → サブリーダー

■ 黄 → 力・技

■ 桃 → ヒロイン

■ 緑 → 無邪気な戦士

 

シリーズ内で用いられた色は、2020年現在赤・青・黄・桃・緑・白・橙・黒・臙脂・紺・紫・金・銀・水色・灰色・茶色の全16色

 

しかし忍者戦隊カクレンジャーの時はリーダーはレッドではなくホワイトで女性だった

女性キャラはフツーはピンクだが他の色もあるし二人の時もあったのでえいんとちゃう

女は拐われて人質になるもんだったけれど戦うキャラになったのはゴレンジャーが初だ

ワンパタン化を防ぐためとはゆえ結局定番はあって水戸黄門の印籠的合体巨大化は同じ

カクレンジャーの一つ前の五星戦隊ダイレンジャーがなかなかの名作だったとゆわれる

メンバー全員が変身しなかったり巨大ロボ化もしない回があってかなり型破りであった

 

ダイレンジャーは中華風味だったしねぇ あっ今回の黒幕はそれと関係あるんかしら?

 

カクレンジャーは初の和風味だけどアメコミ要素もあったのよねケインコスギが黒でさ

赤青黄とゆうのは三原色ではないしRGBとCMYは違う 五行に近い配色で考えよう

 

基本的五行配列は

木ー酸 火ー苦 土ー甘 金ー辛 水ー塩

であり

五味の調和は

酸→苦 苦→甘 甘→辛 辛→塩 塩→酸

の相生で この逆方向が味を抑える性味相剋

特に塩については専売されるような国家統制がある点に注目し 塩と酢の相剋に国家専制主義的塩と人民的酢の階級闘争を考察する

ナルト秘帖 第二部 巌流島の巻 参

慶長17年(1612年)4月13日

巌流島は関門海峡にある無人島 本当の名前は船島とゆう

 

東京ドーム何個分とゆう表現では 2個分程度の大きさの舟形の小島である 巌流島の巌流とは佐々木小次郎の流派のことであって なして負けた方の名前がついているのか 小次郎については武蔵以上の史料がない 対決時は18才の美少年であった

小次郎は小倉藩の剣術指南役をしていた 秀吉が九州平定をしたとき地元の豪族佐々木氏は降伏し 此の地を領した細川氏の支配下に入る つまり細川氏からすれば小次郎が力を付けて反乱を起こすと困るとゆう憂慮があった そこへ武蔵がやってきたのである 武蔵は無敗を誇っていたが一方の小次郎もそれまで無敗 そしてこの立ち会いは藩が主催する公式戦であったのだが 

 

武蔵の故意の遅刻は史実にない 武蔵の養子・伊織が記した『小倉碑文』には「両雄同時に相会す」とある もうひとつ武蔵は勝つが小次郎を殺してはいないのだ 得物は刀ではなく船の櫂を削った木刀だしね 細川氏側の史料『沼田家記』には、武蔵が去った後、小次郎は息を吹き返しましたが、隠れて見ていた武蔵の弟子によって殺された と書いてある

しかしこれは小倉藩の関係者が小次郎を殺して武蔵の弟子のせいにしたとゆう説もある 武蔵にとっては巌流島はアウェイであったとゆうことだ 『五輪書』ではこの決闘について触れていないし このあと武蔵は決闘をしていないのである あまり良い思い出ではなかったのだろう

 

巌流島の決闘から22年後 50才のとき武蔵は再び此の地に戻った このとき小倉藩家老は武藏の養子 伊織であった

そしてこの巌流島のある場所は

かつての古戦場 壇ノ浦のすぐ近くなのである

軽之丞センセ 受付に誰ぞ虚無僧さんが来てまっせ

 

レジのおヒサくん お布施に500円ほどやって帰ってもらいなさい

 

募集広告を見たとかゆうてますけど

 

はいはい あんた誰

 

わしは塚原左卜伝と申す旅のご隠居はんじゃ ゾンビ武藏を退治したいのじゃろう そこでこれをズビズバ持参した

それはあの鍋の蓋だった(逸話参照)

 

あのねおっちゃん それはフィクションです そげなもんで武藏は倒せません こないだも宍戸梅軒とゆう鎖鎌の輩が来たが どうも吉川英治のおホモ達の俳人だっただけ つまり腐りカマとゆうね

 

ナルト秘帖 第二部 壇ノ浦の亡霊の巻 四

 

長い間 彼は海の底で暮らしてきた なんのためにと考えもせず

ひもじければ魚を喰らい 眠くなれば百尺下の海底ポッドに戻る

ひとりで

 

或る日 彼は海底に着信音を聞いた それはあわせて光を発していた その光りに導かれた先に細長い箱のようなものがあった

おそらく長い間ここに眠っていたものだろう

積もり積もった堆積物を拭うと 微かに書かれた「勇」の文字が読めた

その箱の中には一振りの剣が入っていた

かつて失われた何か

 

 

”目を覚ませ” 彼の内部で彼の声が響いた

 

覚ます? 覚めているぞ

 

”では思い出せ”

 

思い出す? 何をだ

 

”使命を”

 

 

TRRRRRR・・・カチャ

 

もしもし 軽之丞はおるか?

 

はーい 黄ティちゃんよ お電話ありがとー ワタシ今バービーちゃんトコに遊びに行ってるのー またねー

 

こらー!リカちゃんだろーがそりわ 居留守を使うで

ないっ

 

はいはい そのお声は松平伊豆守様 なんでございましょう

 

頼んでおいた用事はどうなっているのじゃ 報告は読んでいるが あいかわらずしょむないことばかりネタ書きしおって 皆呆れておるぞ コメントのしようもないわっ

 

ははっ とりま 仲間を集めているところでごぢます 青赤白は見つかりましたが あともう一人揃えば出立致しますので

 

とりまとかゆうな 若者ぶりおって おまいは黄色の麒麟のつもりかね まー良いわ 残りの色は黒だったな わしにあてがあるからあとで派遣してやる

 

御意に

 

でわ 二時に帰って五時起きよ

キャダッ シャボンスプレー!

 

その翌日

黒ずくめの異形の者が現れた

 

伊豆守さまに遣わされました暗愚丸と申します

魔術を少々嗜みます

ここに「知」の鏡も持参いたしました

玉は…

 

そうか「仁」の玉は…

 

しかし

地は月を 月は天を蝕し

此処に五蘊の戦隊は揃う

迷宮に向かう時は来た!

 

黄 法月軽之丞 隠密剣士

青 紫多襄丸  ギター侍 謎々商会

赤 おヒサ   薔薇鞭師 くノ一忍

白 おマサ   白魔術師 くノ一忍

黒 暗愚丸   黒魔術師 正体不明

ナルト秘帖 第二部 秘技燕返しの巻 五

 

宮本武蔵は実在だが 佐々木小次郎は不明な点が多い 生年も出生地も実はよくわからない 巌流島の決闘時に18歳とゆうのも間違いで少なくとも50歳以上 武蔵よりは歳上とゆわれる

そこで小次郎が過去あるいは未来からの時の旅人であったとゆうのはどうだろう 何か目的があってこの時代にやってきたとすれば

 

 

小次郎の長い刀を俗に物干し竿などとゆう 愛刀は「備前長船長光」 得意技は「燕返し」である

この技の実体ははっきりしていない そもそも小次郎自身が実在したかとゆうものまであるくらいで 伝わっているのは「日中は扇子を持って燕を撃ち落とし 夜は刀を持って柳の枝を切り払った」程度だ

門弟によると「虎切り」とゆう技があり「大太刀を真っ向に拝み打ちするようにつかつかと進み 敵の鼻先を目付にしてやにわに平地まで打ち込む 打つなりかがみ込み打ち下ろした刀を担ぎ上げて勝つ」とされている 要するにフェイントからの返し技である

小次郎の「岩流(巌流)」とは「中条流」の流れで彼の師匠は富田勢源または鐘捲自斎(どちらも実在) 伊藤一刀斎もこの流れ そもそも中条流は小太刀の扱いが得意な流儀で なぜ小次郎は長刀なのかとゆうと 前述の「虎切」の用法に由来する

 

 

一方で武藏の愛刀は吉岡一門との戦いで使用されたのが「無銘金重」 これは反りが浅く切り技よりも突き技に向いている ほかには自身で拵(こしらえ:刀装のこと)を手がけたのが「和泉守藤原兼重」 とにかく二刀流としての実用性を重視しただけでなく 細部の装飾に拘っていたともゆわれる ここがポイント

武藏が小次郎を倒したあと 武藏は報復を恐れて細川氏の警護により戦場を脱した そしてこれ以降 武蔵は決闘をしていないのはなぜかとゆうことだ

藩の公開決闘ではあるが これが実は私闘で何かを奪い合う争いだったとすれば

小次郎の長刀 武蔵の二刀流の意味は?

 

 

とまー ここまでのサワリを読んで察しの良いシトは

これはきっと巌流島の近くにある壇ノ浦に沈んだ三種の神器のひとつ

天叢雲剣(草薙剣)を武蔵と小次郎が奪い合うSF時代劇では?

 

と思うでしょ

確かにそれは出てくるがちゃうんだなこりが^ ^

例えば前項で何者かが海底で見つけた光るものは

「光りの剣」つまりライトセイバーだったとかね

この剣は一見小太刀のようだが延びて長剣になるのだ

 

 

また時代を整理する

天正年間 1573-1592 ※謙信 信長 光秀 他没

文禄年間 1692-1596 ※石川五右衛門没

慶長年間 1596-1615 ※秀吉 ガラシャ 小次郎没?

元和年間 1615-1624 ※大阪夏の陣 家康没

寛永年間 1624-1644 ※島原の乱 天草四郎没

正保年間 1644-1648 ※胤舜 武蔵 柳生宗矩没

慶安年間 1648-1652 ※慶安の変 由井正雪没

承応年間 1652-1655 

明暦年間 1655-1658 ※明暦の大火

万治年間 1658-1661

寛文年間 1661-1673 ※松平信綱(知恵伊豆)没

延宝年間 1673-1681

天和年間 1681-1684

貞享年間 1684-1688

元禄年間 1688-1704 ※忠臣蔵

宝永年間 1704-1711

正徳年間 1711-1716

享保年間 1716-1736 ※改革 吉宗お庭番設置

元文年間 1736-1741 ※大岡忠相南町奉行

寛保年間 1741-1744 

延享年間 1744-1748 ※『義経千本桜』

寛延年間 1748-1751 ※吉宗没 『仮名手本忠臣蔵』

宝暦年間 1751-1764 ※宝暦事件 蜂須賀重喜

明和年間 1764-1772 ※明和事件

安永年間 1772-1781 ※瀬川菊之丞没 平賀源内没?

天明年間 1781-1789 ※中村仲蔵改名 黒鳶式部没?

寛政年間 1789-1801 ※茶樂活動期 蔦屋重三郎没

享和年間 1801-1804 ※蜂須賀重喜没

文化年間 1804-1818 ※山東京伝没 司馬江漢没 惑星直列

 

 

何かおかしいと思いましたか

今回の話は安永年間なんです

武蔵も小次郎も 天草四郎も由井正雪も過去の人

松平伊豆守も 知恵伊豆信綱ではなく六代目信明

ナルト秘帖 第二部 二天一流兵法の巻 六

 

武蔵の二刀流は 少年の頃 地元岡山県の田舎の神社で神官の叩く太鼓のバチ捌きを見たことによる発想とゆう

二刀流は、両手にそれぞれ刀もしくは剣を持って、攻守をおこなう技術の総称。二刀剣法とも呼ばれる。

転じて、二つの異なる手段をもって事にあたること、あるいは同時に二つのことを行うことを意味するようにもなった。拳銃を使う場合は二丁拳銃と言う。英語においては武器の種類を問わずDual wield(二刀流)と表現する。

 

 

WIZなどのRPGを見ても 西洋ではエクスカリバーなどは両手持ちの代表的な剣であって二刀流は少ない カシナートの剣など片手持ちのばわいもう片方は盾を持つ 例外としてはバイキングが斧と剣を持つ 中東からアジアには比較的多い また日本では脇差しは持っても盾を持つ剣士は居ない 卜伝の鍋ぶたは便法である

長刀については特殊な例として 白土作品に出てきた「長柄一族」 長い刀かと思ったらナギナタだった 戦場ではこちらの方が強いとゆうのだ また槍の使い方としては突き刺すより振り回してたたき割る用法がフツー

 

二天一流の理念は五輪書に著されている この五輪書は寛永20年から武蔵が死ぬ直前まで執筆された 書かれた場所は熊本県熊本市近郊の金峰山にある霊巌洞である

 

五輪書は 地の巻 水の巻 火の巻 風の巻 空の巻の六巻になっている

特に風の巻では 他流派の批判を行っている これは広告規制に引っかかるのだが

 

1)長太刀を用いる流派に対しては、接近戦に不向きであり、狭い場所では不利となり、何より長い得物に頼ろうとする心がよくないと記す。

 

2)短太刀を用いる流派に対しては、常に後手となり、先手を取れず、相手が多数の場合、通用せず、敵に振り回されると記す。

 

3)太刀を強く振る(剛の剣の)流派に対しては、相手の太刀を強く打てば、こちらの体勢も崩れる上、太刀が折れてしまうことがあると指摘する。

 

4)妙な足使い(変わった足捌き)をする流派に対しては、飛び跳ねたりしていたら、出足が遅れ、先手を取られる上、場所によっては動きが制限されると指摘する。

 

5)構え方に固執する流派に対しては、構えは基本的には守りであり、後手となる。敵を混乱させるためにも構えは柔軟であるべきと記す。

 

6)奥義や秘伝書を有する流派に対しては、真剣の斬り合いにおいて、初歩と奥義の技を使い分けたりはしないとし、当人の技量に応じて指導すべきと記す。

 

 

さて二刀流とは 隠語に於いては両刀使いとも表すように バイセクシャルのことである 酒と甘味の両方のこともある

ナルト秘帖 第二部 多利思比孤の巻 七

 

いづれの御時にか 海底で目を覚ましたその男は音と光に導かれ件の箱を開けた 星のような砂が敷き詰められたその箱の中には小太刀のようなものと一枚の羊皮紙が入っていた そこには古代ルーン文字が書かれていたが なぜか彼にはこう読めた

 

   この剣を手に入れた者は

   邪靡堆の都カンデオ宮殿

   クララ館へと捧げるべし

 

 

時雨堂

 

あー みなさんお忙しい所をかたじけない

まー 酒か甘いもんとかシトツどないだ?

軽之丞どの 既に始まっているようですよ

紫多襄丸さんとおヒサさんおマサさんタチ

密林で佐藤の黒の逆輸入版を仕入れたとか

私は飲めないので甘いもんが良いですけど

 

暗愚丸か ほな力餅のあんころでもどうか

ところで チミの得意技は何があるんかね

 

これは短剣ですがKIA「モルグルの刃」

 

他には黒魔術を一式 ブレスも出来ますよ

 

うむ となるとチミは前衛向きではないな

いちお 前衛はわしと多襄丸がやるとして

おヒサとおマサは中衛 暗愚丸は後衛だな

ただし皆のケツからブレスはやめてくれよ

 

大将 ネタはまだ固まって無いンちゃうの

 

おいらは常にヒマっちゃヒマなんだけどさ

 

うちは仕事あるんでハヨ片付けてほしいの

 

青と赤と白は 既に出来上がりつつあった

彼等にとってはいつものことなんだろうが

「ハカセ 今回は展開がゆっくりですね」

「番頭さん 狙いはわかっておるだろう」

「年末に向けての時間調整でしょ その昔 お笑い組でも1ヶ月以上の布石でしたしね 本部長きしちゃんでもオチが予測できなかったとゆう」

「テンポについてのご指摘もあったが そこは戦術と戦略だ 全体のバランスは三部作のまた三部作の様な入れ子構造になっているちゅうこと」

「去年の小ネタは後半において特に顕著ですね 今年の前半もそうですが それを踏襲斎茶樂してるのかな キャストは揃ってきましたけろも」

「倒幕組織?のラスボスはまだ見えてこないだろ イイコニツコウいざキャバクラの13人なんちて 上皇も倒幕を企んだわけだからそこかな」

「上皇の神器なき戦い いや 剣璽等承継の儀を行わずに即位したのは平家が都落ちで持って行ったからですね 今回のネタに関係しまスカー」

「それはわからん 上皇自ら出陣していれば歴史はまた変わっている 例えば関ヶ原で秀頼が自ら西方に出陣していたらどうなったかとゆうようなもの(ちなみに吉川英治は武蔵を西軍としているが 東軍とゆう説もある) いったん出兵した泰時がすぐに引き返し もしも上皇様が出てきたらどないしたらよろしおまんの? と父に確認したとき 義時は その折はすんまへんてゆうて帰ってきなさい と答えている また逆に そんときゃしょないからいてもちゃれ と答えた説もある この辺の経緯は吾妻鏡と増鏡ではビミョーに違う 吾妻鏡は幕府側 増鏡は朝廷側の視点で書かれているからだ つまり(敵の)親分(帝)が悪いのではないとゆう大義名分がなくなるわけである 時空のテンポは虚々実々なのだ」

「今回はそれらよりずっとずっと後の時代の話です 『二百日紅』の時は 如軽が源内らの助けで<九来印の壺>と<迷尾臼正邪鏡>と<神剣尾利春昆>の三種の神器を揃えて時空の跳躍を行いましたが 昨年末の一連のシリーズでは『剣』だけが揃わなかった 壇ノ浦の一件はその時ネタに出てきていません ところが今回のシリーズでは既に『勇の剣』らしきものが出ています また五人目のメンバー黒魔術師・暗愚丸も元ネタは『アングマールの魔王』ですから味方かどうかはわからず 『知の鏡』を持参したとゆえど『仁の玉』を含めてそれも不明な展開です 鳴門秘帖の平賀源内はまだ登場していないし 厩戸皇子や阿修羅もこれにどう絡んでくるのか 佐々木小次郎は未来人なのか 春髷丼か 幻魔大戦か そもそもナルトとは何なのか」

「それらはいわゆる『具』である 冷やし中華思想の具とタレと麺の関係のようなもんだな そげにネタバレを今やっても仕方ない 当のわしがまだオチを思いついてないのだからな^^

ナルト秘帖 第三部 予告

三種の神器の(鏡)について考察しよう

八咫鏡は伊勢神宮にある御神体と、その御神体を象って作ったという皇居にある形代の2つがある。一般公開はされていない。

 

 

蓮鏡 冬しばし夕 磨かずば

 

人も愛し人も恨めし蛍道 締めらう元結占めも問ひnull

 

これは後鳥羽院の和歌を回文にいじってみた

蛍道 の 道を タオと読ますのはやや強引

結句文字合わせにnullを入れたのも変だから

 

人も愛し人も恨めし蛍見る咫を締めらふも問ひし目も問ひ

 

カンパニュラはアフロディーテの魔法の鏡で

釣鐘草 風鈴草 そして 蛍袋ともゆうのは

釣鐘の花の中に蛍が入って青く光るさまから

 

 

アフロディテの父はゼウスである 母はディオーネ

パリスによる三大美神の審判でトップを得ながら 戦の女神としての側面を持つ

元来は豊饒の植物神・精霊・地母神で 生殖と豊饒 そして春の女神である

ホメロスの『イリアス』では笑いを喜ぶアプロディテ-など特有の形容詞があり プラトンは「饗宴」において既にふたりのヴィナスについて語る つまりウラヌスの根から生じて海に生まれ母(物質)を持たぬ純粋な知性としてのアフロディテー・ウラニアあるいは「天上のヴィナス」と ユピテルとユノーの娘で自然界における個別的な美の表れであるアフロディテー・パンデモスあるいは「地上のヴィナス」

つまり愛の方向性は2つ ひとつは神から地上へ向かい 他は地上の被造物から神へと向かうものであった

神的な愛と官能的愛 精神の美と肉体の美

これもあわせ鏡である

 

イリアス(一般にトロイアと言われます)の少し南のスカマンドロス河は、女神たちの姿見として有名です。この川は全身の姿見だけではなく、年一回女神が水浴すると肌が若返り、髪は金髪になるという効果があります。

承久の乱の知られざる原因のひとつは

歴史の裏に絡む女達

佐目牛西洞院(堀川五条の辺り)に住んでいた 亀菊 とゆう白拍子である

後鳥羽院の囲い愛人とゆうこと

で これに与えようとした土地が 義時が頼朝に貰った土地だったのだ

もっともその裏には実朝暗殺による心変わりもあったが

この一件が揉めた時 強硬策を推奨したのは

卿二位の藤原兼子(シルビア・グラブ)が黒幕

つまり この乱は

藤原兼子VS北条政子とゆうことだ

さらにこの 卿二位

藤原兼子の祖先は 紫式部である

また兼子の夫 藤原宗頼も 紫式部の夫 藤原宣孝の直系だ

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ナルト秘帖 第三部 鏡の中の皇子の巻 壱

八咫鏡

『古事記』では、高天原の八百万の神々が天の安河に集まって、川上の堅石(かたしは)を金敷にして、金山の鉄を用いて作らせた」と記されている。

『日本書紀』には、別の名を真経津鏡(まふつのかがみ)ともいうと記されている。単に神鏡または宝鏡とよばれることも多いが「神鏡」や「宝鏡」という言葉は普通名詞であり、八咫鏡だけをさすとは限らない。

一般に「八咫(やた)」は「八十萬神」「八尋大熊鰐」「八咫烏」等と同様、単に大きい・多いという形容であり具体的な数値ではない、とされているが、咫(あた)を円周の単位と考えて径1尺の円の円周を4咫(0.8尺×4)として「八咫鏡は直径2尺(46センチメートル (cm) 前後)、円周約147cmの円鏡を意味する」という説も存在する。

 

 

記紀神話によれば、天照大御神の岩戸隠れの際に天津麻羅と伊斯許理度売命が作ったとされ、『日本書紀』には天照大神を象って作られたことや、試しに日像鏡や日矛を鋳造したことが伝わる。(この二つの鏡は当県の日前宮に伝わっている)

天宇受売命が踊り狂い、神々が大笑いすることを不審に思った天照大御神が岩戸を細めに開けた時、この鏡で天照大御神自身を映して、興味を持たせ、天手力男神によって外に引き出した。そして再び高天原と葦原中国は明るくなった。

天孫降臨の際、天照大御神から邇邇芸命に授けられ、この鏡を天照大御神自身だと思って祀るようにとの神勅(宝鏡奉斎の神勅)が下された、という。

 

 

この邇邇芸命(瓊瓊杵尊)ニニギノミコトは 初代天皇である神武天皇の曾祖父にあたる

その後架空とはゆえ 十二代景行天皇の皇子ヤマトタケルなどを経て 確実に実在であるのは 十五代の応神天皇以降である

前述の 歴史の裏に女あり でゆうと

昔の天皇は妻も多いが 八人以上では

景行天皇が八人 ※ヤマトタケル西征

応神天皇が九人 ※新王朝 実在最古

継体天皇が九人 ※新王朝

天智天皇が九人 ※乙巳の変(大化の改新)

天武天皇が十人 ※壬申の乱

桓武天皇が二十六人以上 ※平安遷都

妻が多い時には必ず※大事件が起こる

 

 

この八咫鏡の裏面にはヘブライ語が書かれている

とゆう伝説もあるが今回はそれとは違う話にする

 

 

伯母である初の女帝推古が75才まで長生きして

自分は天皇にはならなかった 厩戸皇子 の妻は

菟道貝蛸皇女 刀自古郎女 橘大郎女 膳大郎女

このうち

刀自古郎女は日出処の天子では蘇我毛人の妹だが

史実ではどうやら蘇我蝦夷の姉のようだ

厩戸皇子(聖徳太子)の本名については

古事記や日本書紀にも確たる記述はない

厩戸前にて出生程度で様々な論考がある

ナルト秘帖 第三部 鏡の中の皇子の巻 弐

 

鏡にまつわるエピソードは色々あって アリスや白雪姫 神話ではペルセウスとメドゥーサの話やナルキッソスの話 絵画ではベラスケスやルーベンスやティツィアーノの「鏡を見るヴィーナス」 等々

厩戸には鏡の逸話が見あたらない

彼には剣の話ならあるんだけどね

 

 

厩戸皇子(聖徳太子)の謎には 藤一族の始祖 中臣(藤原)鎌足も深く関わる これまた日本史に突然登場する出生のよくわからない人物だ 神話に於いては 藤原氏の先祖アメノコヤネノミコトは天孫ニニギノミコトの側近第1号である

ちなみに八の会・会員ナンバー1番はσ^ ^

ちょっと 法隆寺に飛んで勉強してこよう 

 

 

しかし女系の系図の話はいろいろ面白いな

今回の話も男系よりおかんが誰かなんだな

ところで 暗愚丸くん

チミの持ってきたその「知の鏡」とは何か

 

実は 私は東洋系の志士ではありませんよ

エジプトではハトホル 北欧ではフレイヤ

ギリシャ神話だと 知恵の神はメーティス

ゼウスの最初の妻であり アテーナーの母

アテーナーも知恵の神で 同時に戦の女神

ペルセウスの鏡 アテーナーの盾アイギス

 

まさか それがアイギスの盾ではなかろう

そもそもチミは男なのか女なのかどちらだ

 

さー58種類ほどもあるらしいですからね

まーこの鏡も日前宮で拝借したことにして

八咫鏡のプロトタイプとゆうことですかな

 

そして 軽之丞がその鏡を覗き込んだとき

暗愚丸の姿は 其処には映っていなかった

暗愚丸は笑いながら 青と赤のカプセルを

取りだし どちらかを飲みなさいと云った

軽之丞は どこかで聞いた話だなと思った

ところが 違うのはどちらかではなかった

次の瞬間 彼は鏡の中へと吸い込まれた…

 

ナルト秘帖 第三部 鏡の中の皇子の巻 参

 

軽之丞が目覚めた先は八角のお堂の前だった

それは前に見たことのある南円堂に似ていた

星月夜の下の境内には暗愚丸の姿はなかった

八角堂に入ってみると 中に一人の男が居た

光輝の鏡の前に座り 真言を唱えていた男は

振り返りざま軽之丞に向かって こう云った

 

おまえが此処に来るのは判っていた 軽之丞

 

その鏡はもしや迷毘臼正邪鏡!あなたは誰?

 

私はかつて豊聡耳とも呼ばれたことがある者

この鏡で私が呼び寄せたとゆうことなのだよ

なぜならおまえは「私の眷属」であるからだ

 

されば あなたは弥勒仙花 厩戸皇子ですね

 

 

厩戸は顛末を語り始める

 

帝都に幻魔衆達が現れたのは知っておろう

宝蔵院胤舜はおまえが既に倒したようだが

私は泊瀬部を始末し叔母の額田部を推古とした

ところが蝦夷が守屋の妹・太媛に産ませた入鹿

これが巡り巡って 私の息子・山背を謀殺した

妻の刀自古に胤を授けたのは私ではないのにな

 

蘇我の娘である刀自古郎女との取引は知っています あなたは蘇我の後ろ盾が欲しく 刀自古は兄・毛人との子を身ごもってしまったがためにお腹の子の父親が欲しかった つまり入鹿にとって山背大兄王は従兄弟ではなく異母兄だったのですね

 

私の祖先である藤(紫)式部の曽祖父・藤原兼輔の著した伝歴にあったように 皇子が ここは必ず絶てあそこは切れ と宣われたことは真でしょうか あなたは何故ご自分の子孫を絶やしたいと願ったのか

 

 

それは違う!

      厩戸の両眼が逆鱗の金色に輝いた

 

ナルト秘帖 第三部 鏡の中の皇子の巻 四

 

叔母の額田部皇女つまり推古はただの当て馬よ

娘の菟道貝蛸皇女を差し出したばかりかそれを

袖にしたら今度は自分自身が色目を使いよって

だから 私は 女とゆうものが嫌いなのだ!!

『上宮聖徳法王帝説』を知っておるか

「法隆寺金堂釈迦三尊像の光背銘」では私の妻・膳部菩岐々美郎女を「王后」と書いている また彼女が死んだ翌日「法王」が死去したともあるが 翌日に死ぬのはこの私だ

隋の記録『隋書』の東夷伝の倭国に関する記述も知っておるか

「開皇二十年 倭王あり 性は阿毎 字は多利思北孤 阿輩雞彌と号す」 開皇とは隋の文帝楊堅の治世に行われた年号 開皇二十年は西暦600年である この頃 私は斑鳩宮を造営した 後世では この隋の使者は叔母の推古の摂政をしていた私を帝と勘違いしたことになっている

私は推古より先に死ぬが既に皇子ではない 私が帝なのだ!

阿毎多利思北孤の「北」の字は誤字であって「比」が正しい

アメノタリシヒコの名で遠い未来に海の底より復活するのだ

 

真理を愛することは容易ではない なぜなら人間とはとかくきびしい真理の女神より虚偽の淫女に仕えることを好むものであるからだ そして虚偽の淫女が常識とゆう仮面を被って長い間人々に信じられているとき あたかもその淫女は真理の女神より一層女神らしく見えるからである

 

 

ナルト秘帖 第三部 鏡の中の皇子の巻 五

 

軽之丞よ

私が帝であったことがなぜ歴史に記述されなかったのか

私の一族が全て滅んだいや滅ぼされた理由がわかるかな

 

厩戸は目を伏せる

斑鳩の地カンデオの宮・夢殿の中で二人の会話は続いた

 

 

552(538?)年に 仏教公伝してからの系図は

29欽明

30敏達 31用命 33推古 32崇峻 ※ここまで古事記

      ー聖徳ー

34舒明=35皇極 37斉明 36孝徳

  38天智 ※中大兄皇子

40天武=41持統 39弘文   ※日本書紀はここまで

女帝は 

推古(欽明の皇女 敏達の皇后)

皇極・斉明(同一人物 敏達の曾孫 舒明の皇后) 

持統(天智の皇女 天武の皇后)

 

 

初の女帝となった叔母の推古だが後継者を決めずに死ぬ

蝦夷は他の豪族との摩擦を恐れ 用命の直系ではあるが

蘇我の血引く私の山背を避け 敏達の直系・田村皇子を

舒明天皇としたわけだ 以後私を含む用命の直系はない

ところで36代の孝徳だが その諱が何か 知っておるな

軽(皇子)ですね 私じゃありませんよ^ ^

これにやたらと接近し 即位後に内臣になった男がいる

中臣鎌足 もとは鎌子 この足とか子とかは敬称であり

藤原の名前は死後にもらったものです 彼の息子のため

しかし今はその話はまだ先にしよう

それよりも私の出自に興味はないか

 

「厩の前で生まれた」

「母・間人皇女は西方の救世観音菩薩が皇女の口から胎内に入り、厩戸を身籠もった」

これではキリストや釈迦の話ではないか 古代中国には観音や神仙による懐妊もあるぞ 南嶽慧思の転生とかな

 

違うのだ

 

母の口中に入った西方よりの金色のものとゆうのは もっと古の存在

 असुर 阿修羅である

 

つまり天皇が「天子南面」として神道の頂点だとすれば 仏教を擁護する私はそぐわないと見られただけではない それは勘違いであって 阿修羅は神々と戦う存在であるからだ しかし

 

ノウマク サマンダ ボダナン ラタン ラタト バラン タン

私は既に死んでいる この私の本当の使命が何だったのか

此度 迷毘臼の鏡を通しておまえを呼んだのは他でもない

まずは 山背や私の一族を滅ぼした入鹿を始末して欲しい

毛人と布都姫の子の 入鹿だ ただし蝦夷には手を出すな

わたしが 軽皇子の役をすれば良いとゆうことでしょうか

答えは無く 多利思比孤の姿は未来記の世界に消えていた

 

 兼知未然

代わりに再び現れたのは 暗愚丸であった

おわかりになりましたか 彼も私もハリ・ハラ

この中には「阿輩雞弥」と「阿修羅」が宿っているのです

「ハカセ 暗愚丸の正体はまたンまいこと考えましたな」

「番頭さん わしは今まで伊達にSFや漫画読んでないで 単なるロードオブザリングの語呂合わせではない これで阿修羅と厩戸皇子が神仏習合して兼知未然に結びついたわけだ マー昨夜ぎりぎりで発作的に思いついたとはゆえ 抜けば血が出る香りの八重歯 いや今回は名馬だな 厩戸ちゅうくらいで皇子は午年生まれなのだ」

「黒駒ね あれは橘寺にあったのか 厩戸皇子出生の地」

「橘とゆうところが引っかかる 藤と橘は犬猿の仲やど」

「そこんとこはどうするんでスか 鏡の次は玉ですけろ」

「ナンモ考えてない 土壇場になればまた思いつくやろ」

「山岸 萩尾 と来たので手塚も出るなと思いました ↑

馬のことだが 日本の古戦場では西洋のようなサラブレッドはまだ無くてロバみたいな子馬だった それに重量級の甲冑を着た武者が乗っても早く走れるわけはなかった ドラマや映画のような騎馬戦はない

黒駒※再掲

推古天皇六年(598年※干支は戊午)9月 太子が試乗すると騶は天高く飛び上がり 垂纓の冠と黄褐色の袍 白色の袴を付けた太子と調使麿を連れて東国へ赴き 富士山を越えて信濃国まで至ると 3日を経て都へ帰還したとゆう

この説話は釈迦が出家されたとき 愛馬カンタカに乗り 従者チャンダカを連れて 一夜にして雪山に登った伝説に倣ったものとゆわれている

厩戸皇子(聖徳太子)は

西暦574年2月7日生まれ

西暦622年4月8日没

水星の午である

ナルト秘帖 第四部 スダマの巻 予告

 

次章は 三種の神器のうち「鏡」に続いて「玉」

つまり「八尺瓊勾玉」やさかにのまがたまである

尺(さか)は上代の長さ単位の咫(あた)のこと

「瓊」は赤色の玉のことであり瑪瑙のことである

 

前章の

聖徳太子が乗った「黒駒」は輪玉七宝の中も随一 三千年に一度出現する馬である 輪玉七宝は金・銀・瑠璃・玻璃・硨磲・赤珠・瑪瑙といった自然七宝ではなく 転輪聖王の七宝のことを指している つまり輪宝(四方に転がり、王に大地を平定させる)・象宝(空をも飛ぶ純白の象)・馬宝(空をも飛ぶ純白の馬)・珠宝(発する光明が1由旬にも達する宝石)・女宝(美貌と芳香を持つ従順かつ貞節な王妃)・居士宝(国を支える財力ある市民)・将軍宝(賢明さ、有能さ、練達を備えた智将)のこと

女宝はあとにして 珠宝について考えよう

 

 

長禄元年(1457年) 安房国(房総半島南部)

滝田城の殿様 里見義実は腹が減っていた

凶作で食べ物がナンモなかったからである

この年の暮れ

赤松氏の遺臣らが後南朝の行宮を襲い 南朝の皇胤である自天王と忠義王(後南朝の征夷大将軍)の兄弟を討って神璽(八尺瓊勾玉)を持ち去ろうとした 

ナルト秘帖 第四部 スダマの巻 零

話はまず 寛政四年(1792年)の江戸の町に始まる

 

倉蔵はいるか

 

はい 蔦重の旦那様

 

こらっ わしの名前を省略すなっ あンたも元は武士の出とゆうプライドは捨てて この際通称を瑣吉に 諱を解に改めたらどうかな

わしな えっちなネタばかりやってて京伝の旦那と共に手鎖の刑になってしもたんよ んだからおまいさん 手代として後を頼むわ

んでさ 今売り出そうと思っている新人が一人あってな 如軽とんぼって名前なんだが ちーと原稿貰いに行っておくれでないか

確か鉄蔵(後の葛飾北斎)の長屋の隣に住んでいるはずだ

 

はい 蔦重の旦那様

 

倉蔵はいささか傲慢な男であったが (山東)京伝や(蔦屋)重三郎には拾ってもらった借りがあった 渋々彼は 本所南割下水から八丁堀に向かう

長屋に入ろうとした時 とんぼの家の入り口から一匹の黒猫が飛び出してきた

デジャブ?

 

なにか変 と思いながら中へ入ってびっくり

そこには とんぼ(東洲斎・写楽)は居らず

丸い 大きな 黒い 玉が ひとつ あった

玉の 表面に 何か 文字が 浮かび出て…

ナルト秘帖 第四部 スダマの巻 零々

 

ここでは

ガンツの黒珠が創造した偶然に満ちた世界を否定し

闇で包まれた真夜中の新たな絶対の世界を創造する

「カクシテ、ソノ後デ」

ナルト秘帖 第四部 スダマの巻 壱

 

長禄元年(1457年) 安房国(房総半島南部)

滝田城の殿様 里見義実は腹が減っていた

凶作で食べ物 ナンモなかったからである

 

てこたこれは 某総里見八犬伝やないかい

チョト待てぃ 今回は贋作の贋作やからな

安房国(あわのくに)ではなくて

阿波国 でないとあかんちゅこと

二つの国名の音が同じなのは偶然ではない

 

神武天皇の命令を受けた天富命(あめのとみのみこと)は、最初は阿波(徳島県)に上陸され、そこに麻や穀(カジ=紙などの原料)を植え、その後、さらに肥沃な土地を求めて、阿波に住む忌部氏の一部を引き連れて海路黒潮に乗り、房総半島南端に上陸された。

石橋山で平家に敗れた頼朝が流れ着いた所でもある またこの黒潮繋がりでは紀伊と安房も共通項が多く 畿内の文化が海路で伝わっている

 

しかし

阿波国には 八犬伝とは違うものがあった

 

ナルト秘帖 第四部 スダマの巻 弐

 

最初に戻って考え直すとやね 今回の密命は安房国ではなくて阿波国に潜入せよとゆうことやったわけだ で

そこに何があるのかなんだがね おヒサくん

 

お松大権現でしょ 通称「猫神さん」と呼ばれている日本三大怪猫伝の一つね あとのふたつは福岡の有馬と佐賀の鍋島やけど これは関係なしか

 

 

お松大権現

江戸時代の前期に加茂村(現・阿南市加茂町)の庄屋が不作である村を救うために富豪に金を借り、すでに返済したにもかかわらず、富豪の策略で未返済の濡れ衣を着せられ、失意の内に病死した。そこで、借金の担保になっていた土地は富豪に取り上げられてしまう。庄屋の妻のお松は奉行所に訴え出るも、富豪に買収された奉行は不当な裁きを下す。お松がそれを不服として藩主に直訴した結果、直訴の罪により処刑され、お松の飼っていた三毛猫が化け猫となり、富豪や奉行らの家を滅ぼしたという伝説に由来する

 

てなってます 八犬伝じゃなくて猫てことは

 

そう ちょっとおマサくんを呼んできなさい

 

 

ニャーに?

 

早っ ぢつわメンバーも揃ったのでいよいよ阿波国へ出立するんだが

こないだの胤舜の件でわかったように相手は異形の魔界衆だ 他には 細川ガラシャ 宮本武蔵 柳生但馬守 それに天草四郎

とゆうのがお約束の物語なんだろうが どうも話はもっと複雑なのだ

で きみにまた調べてもらいたいことがある

 

えー また囮捜査みたいなことすんの めんどくさー

 

いや ちょっとちゃうんだな 今回の密命の遂行にはコツがあるんだ

それは

ナルト秘帖 第四部 スダマの巻 参

時雨堂 再び

舞台では勘亭名流演者が新内「暗黒面は故意の罠」の演奏を始めた

おマサ おヒサ 軽乃丞の三人は禰躯咫流入りの桂花陳酒を回し飲みしながら話を続ける ほどなく 多襄丸と暗愚丸も揃った

 

さて阿波国に潜入する計画だが と軽乃丞が口を切る

我々は実際には四国まで行かなくても良いのだ 私の旧知の いや まさに旧知とゆうべきこのおシトが手伝ってくれるからなのだ

 

現れた一人の男を見ておヒサは驚いた

 

あら 国倫の旦那じゃね お見限りっ

ほほう おヒサは知り合いだったのか

経緯は第六部あたりでお話しいたすが

おヒサさんの亭主だった小林丸先生は

おいらとは兄弟のようなもんでしての

 

と挨拶がわりに答えて座についたのは

かの 平賀源内 であった

 

 

ぢつぁおいらは阿波国の隣の讃岐の生まれでね

田沼意次様も元はと言えば紀州藩の出なんだが

此度頼まれたは皆様を上方に転送するからくり

 

源内が皆に見せたのは どこでもドアではなく

奇怪な紐が絡みついている椅子の図面であった

まー現物を見せる方が早いと次の間に案内した

おマサさんとやらちょっとここへ座っておくれ

きゃは ウチってホントはショッカーみたいに

身体改造するようなからくりとか好きなのよね

ナルト秘帖 第四部 スダマの巻 四

 

時雨堂の次の間にあった奇怪な絡繰り

おマサは椅子に座らされ拘束紐で固定されたが

けっこう喜んでいた 何が始まるかもわからず

さらに源内はもう一つのからくりを出してきた

それは表面に光沢のある大きな黒い珠であった

これはかつて如軽(茶樂)さんとゆう時の旅人に教えてもらった 九来印の壺にヒントを得て私が新たに考案した 次元転送装置「願通」と申すものでござる これによってどこでもドアを開き別の場所へと瞬時に人を送ることが出来るのです

 

続いて 源内はクロネコ針と書かれた

コネクタの付いたコードを取り出した

きゃーきゃーゆうてるおマサだったが

両の眼が一段TRONとうるんできた

源 いきなり彼女の首を押さえ( 。)

内 首の後ろにそれをぶすっと  ↑

 

おマサが痙攣し白目を剥いたところで

彼は黒い珠の上で何かの操作をすると

七条の光束が珠から出ておマサを貫き

次の瞬間 彼女の姿は消えてしまった

珠の表面には奇怪な文字列が浮かんだ

 

 てめえの身体はなくなソました。

 

ナルト秘帖 第四部 スダマの巻 五

 

おマサの消えた先は阿波国ではなかった

 

2022年11月 日本初の月着陸機「OMOTENASHI」は

バッテリがばったりになったために交信が途絶えた

そのとき亜空間ドアが開いてグリッターの光が届く

寛政12年(1800年)庚申の年から「守庚申」として

 

 

着いた処は月面で静かの海の南にある「神酒の海」

______ Mare Nectaris _________,,,, Ψ

ネクタリスの浜辺には 1本の桂の木が生えていた

木の根元には一人の男がいて幹に何かを彫っていた

 

何のために

それが何なのか ここが何処かもわからないおマサ

 

男は云った

この樹液は神酒ネクタール ゆわばイシミツである

これを飲みなさい そうすればおまえのその望みは

月の兎や猫よりもっと 霊力のあるものになるのだ

 

禰躯咫流の秘薬により珠は再び七条の光を吐き出し

 

お マ サ の 身 体

 巫   巫   巫 

  巫  巫  巫  

   巫 巫 巫   

      巫      を 再 構 成 し た

 

 

いまのは試験飛行です 如何でしたか おマサさん

堂の皆は狐につままれたような顔をしていたのだが

当のおマサ自身がキツネに変わっていたからだった

 

あーん ウチ 狐じゃないもん あっちょんぶりけ

 

わははは これは筆者がテヅカマニヤであるだけに

『八犬伝』の珠の話のオチを思いつかなかったから

『百物語』の悪魔スダマでごまかした?とゆうこと

メフィストフェレスがキツネ?でもいいんじゃない

玉藻前のネタも予定していたから次章をご期待かな

そもそもテヅカは『ファウスト』を三回も描いてる

最初の作品は1950年 『百物語』は時代物で1971年

『ネオファウスト』は1988年でこれは未完の作品だ

『ばるぼら』や『どろろ』も加えたかったのだろう

それなりにまたなにかの布石になってんのちゃうけ

 

布石ゆうたら一人誰か忘れてませんか

 

えーと あんた誰

 

倉蔵こと 後の曲亭(滝沢)馬琴です

この一連のネタで『八犬伝』を書いた

とゆうオチはどないなったんでスカー

あ゛ ガンツで脱線して忘れとったわ

 

以下次週な

「ハカセ また資料が山積してワヤなってます」

「番頭さん 年末進行は既に始まっているのだ」

「あンたの考えているこたわかってますけどね」

「オライオンの中でオモテナシが何考えてたか」

「何でもネタに結びつけるのは良いですけろも」

「実地検証がイマイチ不足しているのが残念だ」

「もう特等席の読さんはいないかも知れません」

「いや わしは信じている そうでもなければ

 

 

さて

暗愚丸が厩戸+阿修羅 おマサがスダマ=メフィストフェレス とわかったところで 次のネタはやっぱり八犬伝で 珠の話にしたらどうかと

 

あのね読さんよ あー 読さんてのは 読者のシトね 八犬伝だと確かに珠のネタだが 八人もキャラを出すのはめんどくちい やっとれんで

 

ほたらこっちは五人だから敵方も五人のトーナメントにして 武蔵と小次郎の対決や 但馬と十兵衛の対決もあるし ガラシャをどうするかも

 

うーむ なんかこう もやっとしたアイデアが この辺まで持ちゃげてきてるこた 持ちゃげてきてるんだけどな それがいったいなんなのか

 

風太郎でも読みながら 虚々実々と思いつくまで待ちましょう 今日はおヒサさんのおたんぢょうびなので 予定を繰り上げてスピンオフです

 

 

ナルト秘帖 第五部 小林丸の謎の巻 予告

この江戸時代 日本にはダビンチが二人居た

平賀源内である もう一人は司馬江漢である

ミケランジェロは北斎 ラファエロは馬琴だ

狂言回しは 式亭<脱走と追跡の>三馬で…

第四部で 源内が「願通」に組み込んだのは

コバヤシマル・シナリオ このプログラムは

おヒサさんの元亭主の小林丸晋一郎先生の作

「避けられぬ死を潔く受け入れることができるかどうかのテスト」

しかし これを勝手に書き換えた人物が居た

この勝てないシナリオは誰も知らない筈だが

時は 保元元年(1156年)

鳥羽上皇の寵姫 皇后美福門院(藤原得子)は 。。。

         ・         

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ナルト秘帖 第五部 序の零 珍説弓張り型

勾玉は珠として何故あのような形をしているか

 

釣針の形

腎臓の形

胎児の形

牙の形

巴の形

魂の形

 

などの説がある 勾が曲がるの意味だとしてモ

あれは ぢつわ太陽と月の習合の形態なのでス

でわ お賓頭盧さま もしくは張り型だったラ

 

ナルト秘帖 第五部 小林丸の謎の巻 序

 

天使とゆうとキリスト教教会の装飾や宗教絵画などに多く使われていることから日本ではキリスト教固有の神的な存在だと思われがちだが 実際はユダヤ教・キリスト教・イスラム教といった中近東を派生地とする砂漠の「一神教」に共有されている観念である ※インドや東アジアは違う

その姿も 今では一対の翼を持った美しい男女として表されることがほとんどだが本来は何枚もの翼を持ち多数の眼を持った怪物的な姿をしている そのことからもとは様々な異教の神であったものがそれらの教に取り込まれていったものとも考えられる

天使達の特徴の一つである強固な階級制は上位三隊に熾天使・智天使・座天使、中位三隊には主天使・力天使・能天使、そして下位三隊に権天使・大天使・天使がいる これは大中小将から大中小佐や大中小尉までのようなもので 九品仏などのようなオリエントの神話世界の影響もある 

神々や天使には複数の頭はもちろん尻尾とゆうものはないが 悪魔はたいてい尻尾を持つ しかし悪魔はもとは天使であったのだ つまり堕天使である 彼等はなぜ堕天したのか

 

 

二つの理由がある

ひとつは 美しい地上の娘と結婚をするため

もうひとつは

冬場に冷やし中華を食いたいとゆいだしたからである

 

 

仏教における九品(くほん)とは サンスクリットのVargaを「品」と訳したもので 人間は生まれながらにして上品・中品・下品の三品に分けられているとゆう経典の分類 さらにそれぞれは上生・中生・下生に分かれる

これは基本的に大乗仏教の考えであって

冷やし中華を冬場に食いたいとゆう思想が「神さま経由 神話経由 神秘主義経由でマニヤになったものとそうでないものの間に話が通じないで 好きか嫌いか すべてかなんにもないかという単純な二元論しかなりたたなかったのは まさに全冷中神学が小乗主義であって 内攻的ドラマや神経症的葛藤がこちらに投影されただけに過ぎない」と批判されたからだった 下品下生であると

 

 

長承年間の頃(1130年代)

白河上皇の乳母・藤原親子の孫である得子は 父の死後は二条万里小路亭(現在の柳馬場通)で暮らしていたが

或る日 皆に隠れてこそっと冷やし中華を食べていたところ

一神教について(再録)

(アラビヤにおいても)オアシスを求めるキャラバンおサライは西か東とゆうような二者択一的な行動選択であり 彼等は座って考えている余裕はなかった(そこに神様や指導者がぎょうさん居ては迷ってしまうからアラブは一神教なのだ) 一方 ガンジスの森に代表される森林的沈思黙考は 乾期に歩いて雨期は座るとゆうようなやり方で「座」の思想の方が胚胎したのだとゆう(森には火事が起こったりするので火神アグニ信仰とか 森の多様性に従って神様もインタデシプリナリした)

ナルト秘帖 第五部 小林丸の謎 序の弐

 

長承年間の頃(1130年代)

白河上皇の乳母・藤原親子の孫である得子は 父の死後は二条万里小路亭(現在の柳馬場通)で暮らしていたが

或る日 皆に隠れてこそっと冷やし中華を食べていたとき

北辰斜めにさ揺らぎて おそ松大権現のお告げが天降った

月明かりに垂らされた得子の影に 尻尾が九本遷っていた

 

 

おヒサくん 二日酔いか

 

う゛ギボヂワドゥイ おいら十干十二支が一回りして

差分ファイルの整理で生まれ変わったはずなんだけど

 

サバトでもやったか 今回はセクトが違う話

次のチャプタ始まっているので用意しなさい

 

おマサちゃんの話は まだ終わってないみたいやけど

繰り上がって 次がおいらの番だとすると 何すんの

 

んー ちょっと順番は違うんだが まいっか

どうせ来年までには ごっちゃになるんでね

干支でゆうとタイとかチベットは兎じゃなくて猫だし

豚や水牛もあるけど キツネに近い干支ってあるんか 

問題はそこ 女神と神女の違いはわかるかな

 

軽乃丞の旦那 おまいさんたぶん知ってて聞いてるね

 

女神は神であって性が女 これは偉すぎて人間の男とは交わらない 男の方も恐れ多いだけでとてもその気になれないよ 神様だからね

神女は神通力を持つ妖怪 こちらは人間の男とも交わる 誘われた男も夢中になる その代わり何をされるかわからない 妖怪だからね

今回の敵は 玉藻前 玉中交歓とゆうことだ

特別に エージェントから武器を調達したぞ

ナルト秘帖 第五部 小林丸の謎 序の参

 センセの作ったタロットカードと

  おいらのこのダーククリスタルを

   ンまいこと 組み合わせるとやね

テクマクマヤコン こんなんでましたけど

 

 

なぜ 藤原得子が

摂関家などの名門出身でもない彼女が皇后にまで成り上がり、自分の子や猶子を帝位につけるよう画策し、中宮待賢門院(藤原璋子)を失脚させ、崇徳上皇や藤原忠実・藤原頼長親子と対立し、保元の乱や平治の乱を引き起こし、更には武家政権樹立のきっかけを作った

のか とゆうと

 

隠れ冷やし中華に興じていた得子に

  天から降りてきたものとは

  玉藻前であったからである

  「一顧傾人城 再顧傾人国」

 

 

このダーククリスタルは おいらの惑星 寅 に伝わる神器なんよ 遥か昔スケクシス族とミスティック族が融合して再来したウルケスク族から受け継いだもの

さらにこの中のプログラムはおいらの元ダンツクが 

ナルト秘帖 第五部 小林丸の謎 破

 

小林(丸)晋一郎先生てのは と源内が云う

 

K奈川歯科大口腔外科大学院のご出身でね 萩尾望都の影響で新人漫画賞に入選してんですよ 卒論発表と重なって執筆を断念とゆうね 帰りマンやミラーマンに採用された怪獣デザインは高校時代のもの ちなみに大森作品のゴジラの歯列が二重歯列なのは先生のアイデアです 『秋の日のヴィオロンとゴジラ/歯界展望』『形態学的ウルトラマンデザイン論』『バルタン星人はなぜ美しいかー形態学的怪獣論〈ウルトラ〉編』などの著作もあります

 

 

おヒサくん

次のバトルの前にまず相手をも少し知る必要がある

前項にあった 干支になぜキツネがないかとゆう話

しかしなかなかこれといった面白い解釈はなかった

猫は鼠に騙されて遅れをとった とゆうのが定説で

その他干支に選ばれなかった狐 狸 熊 狼などが

十二支軍団と闘ったが辰の大暴れに負けたともゆう

特にキツネには言及がなくて モシトツおもろない

ここはやはりキツネやタヌキに何か問題があるのだ

 

そこできつねうどんとたぬきそばの違いを考えると

ここでゆうきつねは 油揚 のことである もうシトツ たぬきは 具を意味する「たね」から(天麩羅の)「たね抜き」(天かす)とゆう説もある

きつね=うどん+三角の甘い油揚

たぬき=そば+刻みの油揚

とゆうのは関西の分類であって 関東では両方ある うどんが関西の味とするとそばは東京の味覚 すなわち江戸っ子の食い物だ もともとそばとゆうものはすべてかけそばであって もりそばが現れたのは享保年間であり 歴史的にはうどんやそうめんの方が古い これらは貴族や僧院の点心であったからだ そばは「下々買いくう」(昔々物語)であって 江戸寛文年間になっても八つあんやクマさんなど精神主義的ヤセガマン人間だけのものであったのだ

では冷やし中華はこれらと違う亜文明か

 

 

くかー

 

寝るな おヒサっ 出発するぞ

ナルト秘帖 第五部 小林丸の謎 急

 

(山東)京伝に教えてもらったのだが

と軽乃丞は云う

ここに南町奉行・根岸鎮衛の記した『耳嚢』とゆう怪談奇譚や武士や庶民の逸事の書がある これによると 化け猫や 狐狸妖怪などのことが書いてある また沢庵や一休 柳生但馬守や瀬川菊之丞などもあって面白そうだ 蔦屋耕書堂で借りてこよう 玉藻前の弱点がわかるやも知れん

そげなゆうちょうなことゆうてやんとさっさとイてもちゃりましょう

 

わかたわかた おヒサくん ほなどうぞ

 

たぶん火の妖怪なので水の要素が効くと思う

 

うむ 向こうの得意技は殺傷石だ そこでこちらも『耳嚢』に書かれていた特別な石を用意した これは水と光を混ぜて凝固したようなもの 中に蟄して封入されている珠がポイント おそらく八房の珠の一つでは無いかと思うのだがね

 

「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」のどれかしら

これを取り出すにはあれがいる

ちょっと紫多襄丸を呼んでくれ

 

この出番かと彼が持参したのは

「村雨丸」水気の妖刀であった

 

 

この剣は WIZARDLY で「MURASAMA BLADE」とか村正と混同されてますけど^ ^ 別に呪われた剣ではないです 根から露を発生させ 寒気を呼び起こす奇瑞があります もとは犬塚信乃戌孝の持ち物で「孝」の珠

もうシトツ 伏姫を娶った八房は妖怪の乗り移った狸に育てられているんです てこたキツネは赤だが タヌキは緑ちゃう? 赤と緑は補色なのでこれに私の「青」を対峙させると「白」になるかも

 

多襄丸が村雨を石にかざすと

玉中の水の精が剣に呼応して宿った

 

するとこれはおそらく「仁」の「内丹」かもしれんぞ 暗愚丸の鏡はゆわば「智」の珠だから とりま三つは揃ったことになる

儒教では五常(仁・義・礼・智・信)の徳性でね これに忠・孝・悌を足した いわゆる八徳が八犬伝だよ

おヒサくん もう師走やで

時間ないからテキトーに残りを省略してちょ

玉藻前は死んだ

 

 え? ナレ死?

 さんざ引っ張っといてそれはないんじゃない

  !

  △

そこへ天から三角形のものが降ってきて

玉藻前のでぼちんに張り付いた

それは一枚の油揚であった ◥

そして玉藻前は巨大化した ◥◥

やっぱり そう来たかと

見上げる おヒサ(赤)多襄丸(青)

ナルト秘帖 第五部 小林丸の謎 急の弐

 

キツネの語源

野干(やかん)とは漢訳仏典に登場する野獣。射干、豻、野犴(犴は野生の犬のような類の動物、キツネやジャッカルなども宛てられる)とも。狡猾な獣として描かれる。中国では狐に似た正体不明の獣とされるが、日本では狐の異名として用いられることが多い。

元は梵語の「シュリガーラ」(शृगाल śṛgāla)を語源とし、インド仏典を漢訳する際に「野干」と音訳されたものである。

能では狐の精をあらわした能面を「野干」と呼んでおり、『殺生石』(九尾の狐伝説)や『小鍛冶』など狐が登場する曲で使用されている。『殺生石』に登場する狐の役名も「野干の精」などと表記される。

日本では当初、主に仏教や陰陽道など知識人階級の間で狐の異名として使われた。平安初期の『日本霊異記』(上巻第2「狐為妻令生子縁」)には、狐が人間の女に化けて男の妻となり、子供もできたが、正体がばれたときに男から「支都禰:来つ寝よ(きつねよ)」と言われ「キツネ」という名が出来たとする説話が収録されている。

 

 

戦隊もののお約束は負けそうになった敵が巨大化してくるとゆうもの 今回も巨大化した玉藻前には 自作のフェイザーもライトセイバーも通じず 村雨丸さえ通じなかった

 

これは困りましたね と多襄丸は云う

実は私 も一つ剣を持っているのです

十拳剣(天羽々斬または布都斯魂剣)

但しこれも今回の相手には効きません

何のための剣かは次の章で披露します

 

よっしゃ ほなおいらが奥の手を出す

おヒサは薔薇の花を咥えながら

ヴェルレーヌの詩を読み始めた

「秋の日の ヴィオロンの ためいきの……」

そして おヒサはあるものに変身した

ダンツクが作った

小林丸プログラムのDNA

ビオランテよ いざやペンダサン

戦闘結果はおヒサの勝ち 詳細略

 

予選リーグ計二勝

 

 えー ナレ死の次は 省略てどうよ

 せっかく七色鞭も編んでるのにさー

         へ

恋はみな我が上に落ちぬ玉かぎる

はろかに見えて去にし嬢ゆゑに

          い   こ

 『日本霊異記』

ナルト秘帖 第六部 スサノオの帰順 予告

 

三種の神器の中で古事記に最初出てくるのは

場面としてはアマテラスが岩戸に隠れたとき

八尺瓊勾玉と八咫鏡で天叢雲剣はまだあとだ

アマテラスは勾玉をいっぱい持っていた

しかし 持っていなかったものがあった

 

それはムーンストーンである

marimoon.jpg

ナルト秘帖 第六部 スサノオの帰順 壱

延期に次ぐ延期ビダルでようやく先月16日に打ち上げられたアルテミス1号は現在地球に帰還中である 大気圏再突入は11日ごろの予定だ 一方 軟着陸できなかったオモテナシは飛行を続けていて来年中頃にソラーパネルが太陽の方向に向いた時に再充電出来るかもしれない そうでなければヴィージャー3となって未来に帰還するだろう

 

アルテミスとゆう名前はアポロ計画に次ぐもの

つまりアポロン(男神)とアルテミス(女神)は 太陽と月の意味で ギリシャ神話上の双子だからである

これは日本神話では アマテラスとツクヨミに相当する

イザナキがイザナミと黄泉比良坂で別れて死者の国から帰還したあとに 一人で産んだ神が

左目から アマテラス

右目から ツクヨミ

鼻からは スサノオ であった

 

ここでギリシャ神話と違うのは

一般的イメージとして太陽が男/月が女ではなく

アマテラスは太陽の神で昼の世界を治める 女神

ツクヨミの方は月の神で夜の世界を治める 男神

であるとゆうこと

但し記紀(古事記・日本書紀)に性別記述はない

このツクヨミについては月夜見姫命とも書かれるように実は女神ではないかとゆう説もあり どうもよくわからないことが多い 勾玉同様に固有のエピソードが少ないからだ それはなぜかとゆうと

 

ツクヨミは実はスサノオのペンネームだったのだ

その存在はなんらかの理由で歴史から隠す必要が

 

しかも

八咫鏡はアマテラスの象徴

天叢雲剣がスサノオの象徴 とすれば

オリジナルは伊勢・熱田神宮にあり宮中にない

ツクヨミの象徴の八尺瓊勾玉だけが宮中にある

あと二つもあることはあるがそれはレプリカだ

 

 

スサノオはイザナキから 海を治めるようにゆわれたが 仕事もせずに泣き暴れてばかりいた 根之堅洲国にいる母が恋しかったからである しまいにおとんにおこらえて追放されたとき 姉のアマテラスとも喧嘩して大暴れ 結果としてアマテラスは天岩戸にヒッキーしてしまう

 

その喧嘩とは 冷やし中華の食べ方に関するものであった アマテラスは冷やし中華は一本箸で夏にのみ食するものとゆい スサノオは食べ方に拘るような教条主義はいかんと カラシをガンガンかき混ぜたり好き勝手に具を食い散らかしたため機織り女が呆れて死んだからである

 

ナルト秘帖 第六部 スサノオの帰順 弐

さて スサノオの話は大変複雑なので

つべの資料で自習して頂くとして

ここにツクヨミがバランサーであるならば

アマテラスとスサノオがただの姉弟でなく

夫婦であると考えたとき

           それはエジプトのヌトとゲブ

インドのシヴァとカーリーのような関係なのだろうか

 

そこで今回のキーである三種の神器について考えると

それはアマテラスと契るための貢ぎ物とゆうことに…

 

 

暗愚丸さん おマサさん おヒサさんの正体がわかたところで でわ 私・多襄丸はスサノオかとゆうのは短絡です

 

ただ 私の持っているもうひとつのこの剣「十拳剣」

とつかのつるぎ が 

最初に登場するのは神産みにおいてイザナギがカグツチ(イザナミが死ぬ原因になった)を斬る場面である。この剣には、「天之尾羽張」(あめのおはばり)または「伊都之尾羽張」(いつのおはばり)という名前がついている(伊都之尾羽張という名前は、その後タケミカヅチの母神の名として登場する)。その後、黄泉の国から逃げる際に、十拳剣を後手に振って追っ手から逃れている。

 

その次は

記紀では「アマテラスとスサノオの誓約」の場面などで記述される。ここでは固有名詞の「十束剣」とだけ記述される(古事記では、スサノオが持っていた十拳剣を物実としてアマテラスが口に含みかみ砕き息から3柱の女神(宗像三女神)を産んでいる)。スサノオの方はアマテラスの勾玉をかみ砕き5柱を産む

 

そして重要なのは

スサノオが八岐大蛇を退治したときの剣であり

さらに…

ナルト秘帖 第六部 スサノオの帰順 参

 

「十拳剣」(とつかのつるぎ)

前項以外には

 

大量(神度剣)

葦原中国平定の説話において、アメノワカヒコ(※彦星)の葬儀に訪れたアヂスキタカヒコネが怒って十掬剣で喪屋を切り倒している。この剣は正式に「大量」(おおはかり)、亦の名に「神度剣」(かむどのつるぎ)という名前がついている。

 

布都御魂剣(韴霊剣)

葦原中国平定の説話において、タケミカヅチらが大国主の前で十掬剣を海の上に逆さまに刺し、その切先にあぐらをかいて威嚇している。この剣は後に神武東征の場面において神武天皇の手に渡る。そこに、この剣が「佐士布都神」(さじふつのかみ)、「甕布都神」(みかふつのかみ)または「布都御魂」(ふつのみたま)という名前であると記されている。

現在は上述の布都斯魂剣と共に、石上神宮本殿内陣(奈良県天理市)に御神体として奉安され祭られている。

※石上とゆえば 石上の斎宮・布津姫(つまり毛人の彼女)が祭祀に用いたのは「七支刀」

 

その他の十拳剣

山幸彦と海幸彦の説話では、山幸彦が海幸彦の釣り針を無くしてしまったため、自分の十拳剣を鋳潰して大量の針を作っている。

仲哀天皇の熊襲征伐の途次、岡県主の熊鰐、伊都県主の五十迹手がそれぞれ白銅鏡、八尺瓊と共に十握剣を差し出して降伏している。

 

つまり「十拳剣」とゆうのは

「10束(束は長さの単位で、拳1つ分の幅)の長さの剣」という意味の名前であることから一つの剣の固有の名称ではなく、長剣の一般名詞と考えられ、それぞれ別の剣である。(※拳が約10センチとすれば剣の長さは約1メートル 普通の刀は70センチくらい)

えー 解説が長なりましたけど^^ と 多襄丸は

長剣とゆうことで思い当たるのがシトツあるでしょ

小次郎の刀「備前長船長光」は約三尺(90センチ)

私 これから巌流島に行ってケリを付けてきますね

再び 源内が登場し

願通ビームで多襄丸をバトルフィールドに飛ばした

 

ナルト秘帖 第六部 スサノオの帰順 四

 

慶長17年(1612年)5月13日 巌流島

小次郎(未来人)多襄丸は遅刻しなかった

 

願通はどの時間にも転送できるからである

しかし 武蔵の方は少し事情が違っていた

 

 

武蔵は渡船が沈没してしまい戦場には来なかったのだ

ところが巌流島から玄界灘を西へ120キロほどにある

糸島半島海岸に 入れ替わって何か巨大な物が現れた

 

 

ぢつわ 糸島半島には平原遺跡がある

そして此処から出土する青銅鏡「大型内行花文鏡」は

「八咫鏡」と同型・同規模なのである

つまりここが

「邪馬台国九州説」のシトツの根拠地なのだ

ナルト秘帖 第六部 スサノオの帰順 五

 

玄界灘に現れた六三四岐大蛇の前に

パーチーは一敗を喫してしまうが…

 

 

だいたいからなんで宮本武蔵が大蛇になるの

 

年末進行で頭がワヤクチャになっているのよ

八岐大蛇は八ツ俣だから頭は九つあるてのも

 

九頭竜か「八つに岐れる」で良いと思うけど

ところで問題の六三四岐大蛇はどこへ行った

 

さーねー6+3+4に何かヒントありますか

 

=13で鎌倉丼と引っかけるつもりとちゃう

ACネタならそしてだれもいなくなったとか

 

おそらくオリエント急行じゃないかと思うぞ

 

今まで粛清した全員から仕返しされるオチね

 

のえとかトウに殺られるてのはモシトツやな

 

ガッキー八重も出てくるんちゃう八つく名で

 

ほたら我が国最初の歌人だったスサノオは…

 

 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに

 八重垣作る その八重垣を

 

とゆうことはオロチの向かった先はそこかっ

ナルト秘帖 第六部 スサノオの帰順 六

 

スサノオは八岐大蛇を退治したとゆう実績があります

と 多襄丸は云う

次のバトルフィールドは六三四岐大蛇が潜む出雲です

 

 

そうかも知れん しかし 次回の対大蛇作戦としては

テナヅチとアシナヅチに頼んで八塩折の酒の代わりに

心太と酢で作った冷やし中華を大蛇に食べさせるとか

小細工を弄していかようにもがけどもせんなかるまい

 

      かむ          やら

スサノオは神やらひやらひきに 避追はえて

根之堅洲国へ行こうとしていたところだった

そこへ

肥河上の鳥髪に箸は一本流れてきたのである

この地は母が葬られた比婆の山に近い場所だ

 

 

はたして都牟刈太刀を入手することは出来るだろうか

そもそも草薙剣は後世に日本武尊が改名した名前だが

野火の攻めをなぎ払うとはゆえ水剋火とは違うものだ

天叢雲剣の方が「獰猛な蛇」とゆう意味なのであって

天に叢雲を呼び嵐や雷を呼ぶ風水に近いように思える

こちらの方が辰巳要素に相応しいのではないだろうか

十拳剣が金剋木で武蔵の木刀を制するのは道理である

龍蛇 つまり辰巳の要素とは月です

その他

子丑・水 寅卯・木 午未・火 申酉・金 戌亥・土

ナルト秘帖 第六部 スサノオの帰順 七

 

神代三剣とは次の三つである

 

天叢雲剣(草薙剣・都牟刈の大刀・八重垣剣)

布都御魂(韴霊剣・布都御魂剣・佐士布都神・甕布都神)

天羽々斬(天羽々斬剣・布都斯魂剣・※十拳剣)

 

八重垣剣は叢雲剣とは別物とゆわれる

アマテル(天照大神)がハルナハハミチ(ハハ・蝕霊が人や獣に憑いて化けたもの)と戦う時に、ハヤアキツ姫はクサナギの八重剣を携えて伴をしている。この八重剣が、三種の八重垣剣の原型だと思われる。草薙の剣も日本武尊(スサノオの生まれ変わり)が持参していた叢雲剣と厳密に同じものとは明記されていない。

八咫鏡と八重垣剣はそれぞれアマテラスとヤマト大国の御霊の象徴であり それと寝食を共にする事を畏れた崇峻天皇(※日出処の天子では布都姫を手込めにし厩戸に暗殺される泊瀬部)がコピーを作って宮中に置きオリジナルは伊勢神社と大和神社に納めた。

 

ってちょっとこれ違うような気もするがまーいいでしょう

それより

ホツマツタエはアマテルを「陽陰連る神」として男神と見ている

また根源神『アメノミヲヤ』の左右の眼に当る日(太陽)と月(太陰)の直接の顕現と見なされている とゆう点だ

アマテラスとスサノオ(=ツキヨミ)が夫婦であったとするのは無理があるのだろうか

 

前項の陰陽五行と 六行・風水では

   子丑・水     辰巳-月

              天

申酉・金 + 寅卯・木   |

              地

   午未・火     戌亥+土

 

の四方位に対して 戌亥+土を中央に置く五行と

辰巳-月と戌亥+土とゆう縦軸(または天地軸)

に配置する六行は月はあっても太陽の要素がない

とゆうことは

天は 月であり同時に太陽でもあるとゆうことだ

アマテルはイセの神とも呼ばれる

イセは妹背 (イモヲセ・イモセ) の略。=イサワ

妹背=陰陽=地天=女男 また両者の和合・融合を言う

伊勢神宮の所在地は本来はイセではなくウチ(宇治)である

※「伊勢市」と称する前は「宇治山田市」と称しており、内宮周辺が宇治、外宮周辺が山田に当たる。

 

さて八岐大蛇は

愚霊の物実が八つに分岐して八つの頭を持つ蛇

実は ヒカワに集結したコクミ・シラヒト・モチコ・ハヤコ・カンサヒ・アメノオシヒ等による反体制勢力 のことで これが六ハタレ蜂起の元凶であったが最後はイブキヌシとソサノヲ(スサノオ)により根絶される

六ハタレ(ムハタレ)は

シムミチ・ハルナハハミチ・イソラミチ・キクミチ・イツナミチ・アメヱノミチの6族。この六族のハタレは八岐(ヤマタ) ありて、九千人の司達が七十万人のモノマを従える。

そして 後世の「大六天魔王」に繋がる

ホツマツタヱ(記紀の原書)では

三種宝(ミクサタカラ)とは

1.陽陰和る文(八尺瓊勾玉の物実)

2.ヤタの鏡

3.八重垣の剣

イニシエノ アメツチウヒノ

 古の    天・地・泥の

キハナキニ キサシワカルル

 際無きに  兆し分かるる

アウノメヲ ヲハアメトナリ

 アウの陰陽 陽は天となり

ヒノワナル メハクニトナリ

 日輪成る  陰は地となり

ツキトナル

 月と成る

ナルト秘帖 第六部 スサノオの帰順 八

 

八番勝負ではないが

多襄丸(小次郎)と武蔵の最後の戦いは

舟島(巌流島)ではなく経島で行われた

小次郎は 念流系の一刀流 一本箸

武蔵は 二天一流で二刀流 二本箸

冷やし中華の早食い戦では

二本箸の武蔵がまずリード

 

 

六三四っ

おまいの後ろにあるのはなんだ

オロチか それとも十三人の?

 

八岐大蛇ではない これは第六天魔王である

頭が六つあるからでもない 六欲天のことだ

陰陽の和とは アマテルの男神と十三人の妻

でわ小次郎っ

おまいの後ろにあるのはなんだ スサノオか

 

と思うでしょ 牛頭天皇ですよ

 

そう来たか 八大竜王との一件があるからな

神仏習合はわかるが それは疫病の神である

 

だから薬師如来を垂迹してます

 

なるほど おまいの願いは別にあるようだな

あいわかった でわわしはお通のもとに帰る

もう戦うまでもない 剣は持って行くが良い

神在月も終わっている 龍蛇も家路に着こう

 

ナルト秘帖 第六部 スサノオの帰順 九

 

武蔵も大蛇も消えてもたやないかい

件の剣はどこにあるのだ 番頭さん

 

は 何とかオチが付いたかと思いましたが

文献によるとどうやら出雲ではないみたい

福岡県の沖の島に海底遺跡があるようです

これがオノコロ島の八紘殿ではないか?と

 

うむ 話がややこしなってきたので

ここはいったん原点に戻るとしよう

一年にわたって剣を探してきたのだ

簡単にあきらめるわけにはいかん!

 

 

スサノオの剣璽とは何か

御鏡御拝の意味とは何か

アマテラスとスサノオの誓約(うけい)は

ナルト秘帖 第六部補足 宇気比(誓約)

 

二神は天の安河を挟んで誓約を行った。まず、アマテラスがスサノオの持っている十拳剣(※ここではまだ天叢雲剣を入手していない)を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から三柱の女神(宗像三女神)が生まれた。

次に、スサノオが、アマテラスの「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から五柱の男神が生まれた。

これは二人が契りを交わしたとゆうことである

でわどちらがどちらの子なのだろうか

三+五=八にはなるのだが

そこで今回の五人のパーチー

赤 青 白 黒 そして黄については

 

 

1.日本神話に現れた色彩

 日本神話とは、『古事記』『日本書紀』『風土記』などの文献に残された神々の物語をさすが、八千矛神の歌謡(神語りと言う)のように色彩を効果的に用いた例は少なく、神話に描かれた色の種類は限られている。色名でいうと、赤 ・ 白 ・ 青 ・ 黒の4色である。この4色だけが、アカシ ・ シロシ ・ アオシ ・ クロシという形容詞をもっているところからみても、その色名の古さは証明できる。そして、この4色は、おそらく多くの民族に共通する基層の色彩で、古代の日本人だけがことさらに少ない色彩しか認識していなかったというのではない。

 古代中国における仏教や道教では赤 ・ 白 ・ 青 ・ 黒に黄色を加えた5色を基本の色彩としており、古代日本の文献にも、「黄」という漢字は「黄泉国」や「黄葉」などに用いられているが、黄泉国と呼ばれる死者の世界が黄色い泉の湧く所という認識を持っていたわけではない。ヨミの語源が「やみ(闇)」であるように、そこは暗黒の世界と考えられており、それを「黄泉」という漢語を借りて表記しているに過ぎない。また、「黄葉」は色彩としては「紅葉」と区別されておらず、古代日本語がキシ(黄色い)という形容詞を持っていないところからみても、「黄」は赤という概念に包括されていたらしい。ちなみに、アカシという形容詞は明るいというのがもともとの意味である。

 

2.生命力の根源としての「赤」

 日本神話のなかでもっとも重要な色は「赤」であり、その種類も多い。先にふれたアカネの語源は「赤根」だが、橙色あるいはオレンジ系統の色をいう。天岩屋戸の前で「裳の緒を番富におし垂れ」てエロチックな踊りを踊ったという天宇受売が身につけていた裳は「赤裳」だろうが、これはおそらく紅(「呉の藍」の意で、紅花で染めた鮮やかな赤色)だろう。また、少女の淡く染めた頬の美しさを、膨らみかけた橘の花の蕾(「ほつもり」と言う)を比喩にして、「花橘……中つ枝のほつもり赤ら嬢子」と歌うが、これなどはピンク色に近いだろうか。あるいは、赤土や水銀などは「に(丹)」と呼ばれるし、火や血も赤色を象徴する。また、「赤玉」は、白玉(真珠)に対して、メノウなどの石玉をいう。自然の中に見出せるあらゆる赤系統(茶系統を含む黄から紫までの広い範囲)の色が神話に描かれた「赤」だとみてよい。そして、それらは鮮やかで明るい印象を与えるがゆえに、古代の人々は、そこに生命力に溢れた威力や呪性を感じるとともに、近寄りがたい畏怖も感じていた。

 その呪力を象徴する赤色が「血」であり、血は「いのち」そのものであった。イザナキ・イザナミの結婚によって大地や神々が産みなされたのちに、イザナミは火の神カグツチを産んで病気になり遂には死んでしまうが、怒ったイザナキが産まれたカグツチを切り殺すと、刀に付いた「血」があちこちに飛び散り、そこにさまざまな神が産まれたと『古事記』は語る。これは、火と血とが同じものだと考えられていたことの証であり、その血と火の「赤」に見出せるのは、母神を殺してしまう暴力性であり、あらゆる生命の根源としての呪力である。

 このように、赤色には、たんに神聖なというだけではすまない横溢する力が込められている。それは何か恐ろしいものを統御する力を潜めているし、いつ爆発するかもしれない凶暴さも秘めている。たとえば、スサノヲが退治した八俣のヲロチは、八つの頭と八つの尾をもつ妖怪だが、その目は「アカカガチ」のように輝いていたと語られる。アカカガチとは真っ赤に熟したホウズキのことだが、こうした赤い目をもつ妖怪は民話や伝説にもしばしば登場し、その異様さ・恐ろしさが赤い色によって象徴化されるように、赤とは、異界に潜められた不気味な力を表す色でもあった。だからこそ人々は、赤い色に呪力を感じ、そこに生命の源泉を見出したのであり、また近づきがたい畏怖を感じてもいたのである。

 

3.白・青・黒の呪性

 赤の対として用いられるのが「白」である。白は、白鳥 ・ 白鹿 ・ 白猪など、神の化身あるいは神の使いの動物として神話には登場する。昔話「花咲か爺」が飼っている犬がシロと呼ばれるのもそれと通じている。また、神に捧げられる幣帛や旗(幡)も白色である。赤も神聖な色だが、対極ともいえる威力や畏怖を「赤」が併せもつのに対して、白は純粋に神聖さを象徴する。赤はダイナミックで混沌とした色であり、白はスタティックで秩序化された印象を与える。赤色のなかの聖性だけが抽出されたのが白であると言えようか。

 なお、赤と白が対の色になるのは赤玉 ・ 白玉などにみられるが、象徴的なのは、赤い血に対する白い「乳」である。古代語では、血も乳もともに「ち」と発音され、両者は同じものと認識されていた。そして、この赤い血と白い乳は、どちらも人間の「いのち」の根源であるゆえに、赤と白は神聖視されるのである。

 赤の聖性が白に重なるとすれば、赤のもう一方の暴力的な性格や畏怖を、「黒」がになっていると見ることができる。火の神を産んで死んだイザナミが行ったのは地下の黄泉国だが、前にふれたように、ヨミという語はヤミ( 闇 )の転訛であり、黄泉国とは暗黒世界を意味する。その黒が赤とともに恐ろしきものを制御する力をもつと考えられていたことは、流行病が蔓延して人々が死に絶えそうになった時、大和国の東西の境界に、赤色の盾矛と黒色の盾矛とを祀ったという記事(『古事記』崇神天皇条)などによって窺える。なお、黒髪 ・ 夜などの枕詞「ぬばたま」は、ヒオウギという植物の漆黒に熟した実をいう。すべての色は自然の中に見出された。

 古代日本語の「青」は、青垣 ・ 青山 ・ 青葉などグリーン系統、青波 ・ 青雲などブルー系統のほか、青幣帛などグレー系統も表す幅広い色概念をもつ語である。赤とともに彩度をもつ青色は瑞々しさや生命力の発動を象徴し、それは特に、グリーン系統の青に顕著に見出せる。緑色の石玉ヒスイが珍重されたのもそのためである。

 

4.民話に見出せる色彩

 昔話や伝説など民話に描かれる色彩も、神話に出てくる4色を基本としているとみてよい。単純な筋立てのなかで象徴化して語ろうとすれば、複雑な色彩など混乱するばかりで効果的ではないし、日本人が認識する基層の色が赤 ・ 白 ・ 青 ・ 黒の4色であることからすれば、それ以外の色彩を用いる必要もなかった。というより、美しい花や綺麗な衣は赤、異界を象徴する天狗や鬼も赤、水は青、神の放つ矢は白羽と語らなければ話として通じなかったのである。赤 ・ 白 ・ 青という言葉を聞いただけで、人々はある共通の世界をイメージすることができたのだ。たとえば、『遠野物語』(柳田国男、明治43年刊)に用いられた色彩を分析した赤坂憲雄は、そこでも赤がもっとも象徴的に用いられていることを指摘し、清浄で高貴な白に対して、「過剰なるカオスを豊かに孕んだ」赤に、縄文から続く民俗の色彩を見出している。

 

G = Y%19

C = Y÷100

K = (C-17)÷25

H = {19×G+15+C-C÷4-(C-K)÷3}%30

I = H-(H÷28)×[1-{29÷(H+1)}×{(21-G)÷11}]

J = (Y+Y÷4-C+C÷4+I+2)%7

L = I-J

M = 3+(L+40)÷44

D = L+28-31×(M÷4)

 

春分の日以後の満月より後にくる最初の日曜

この場合の春分の日とは3/21固定なので

イースターがいつになるか計算する式である

早い時で3/23 遅ければ4/25になる

スピンクスのクイズがその日に復活するのは

何年後かわからない 満月を見る回数による

来年の春分の日のあとの最初の満月の日とは

卯の年・卯の月・卯の日とゼロが三つが揃う

それは4/15であり 翌日が日曜である日

 

 

もちろん 今日のこの日も忘れることはない

思い込みとこだわりは違うものだからである

次にこの日が土曜になるのは2027年だが

決定の未年甲子の日 その日の月齢は十三夜

ナルト秘帖 第七部 史の巻 予告

 

持統三年(689年)四月

大海人(天武天皇)の第二皇子 草壁皇子が薨去した

母である鸕野讃良つまり持統天王(天智天皇の皇女で天武天皇の太后)と草壁の正妃であった阿陪皇女(のちの元明天皇)は その早逝を嘆き ある人物を呼び寄せた

太后は草壁の枕元に置かれていた佩刀「黒作」を差し出してその男に云う

史よ

これをそなたに託し盟約の証とする

吾が頼みについては人麿と相談せよ

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ナルト秘帖 第七部 史の巻上篇 壱

相変わらず 隠ってますね

 

うむ 決め手が見つからん

 

竹内文書には書いてなかったのでしょうか

 

読むこた読んだがよけわからんなてもたか

 

とりやえず阿波国突撃したらどないだすか

 

あーシナリオでは次に出てくるのは柳生か

 

但馬守ですねそして天草四郎か由井正雪か

 

それがそれだけでもないのよ紀州公も何か

 

徳川頼宣ですよ森宗意軒は出てこないのか

 

それよりも肝心の人物がどこ行ったかわか

                  ん

 

 

とにかく阿波国へ行きましょう

 どこから行くのかとゆうと

  もちろん番所庭園です

 

 

ただ一つその前に大事なことが

『魔界転生』の映画撮影の時に

キャストやスタッフが事故やケガ頻発とゆうことが起こり

角川春樹自ら神官となり御祓いと御祭事をしたらしいです

今回魔界転生以外に難しい日本史テーマが絡んでいるので

うちもお祓いしといた方が良いと思います

ちょうどよい神官さんがいらっしゃるので

お願いしてみましょう

ナルト秘帖 第七部 史の巻 上篇の弐

一行は番所庭園からの出立に際して まずは

西国三十三所第二番札所 紀三井寺にお参り

 

階段きつっ

最近ケーブルカーやエレベーターもあんねで

 

やっぱ地足で昇らんと御利益無いンとちゃう

 

次は東照宮と天満宮も行けば

 

三社参りみたいなもんですか

 

其処はテキトーで良いと思う

 

日前宮と護国神社も行っとけ

 

肝心の朝椋神社は神主さんがいま不在ですよ

 

彼のことだからたぶん大丈夫

ここは祭神が大国主命である

六代目スサノオとゆうことで

リモートお祓いよろしく

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神のご加護は得た いざ

そうはいかん!

 

其処へ立ちはだかったのは

二重の影だった

 

柳生である

 利厳(如雲斎)※尾張柳生

 宗矩(但馬守)※江戸柳生

ナルト秘帖 第七部 史の巻 中篇 壹

いざ阿波国に出立しようとした

一行の前に現れた次なる強敵は

なんと柳生如雲斎+柳生但馬守

この名だたる二大剣豪が合体していた!

 

風太郎の作品では 紀州藩の武士で柳生宗矩(但馬守)の門弟筆頭とされ後世では柳生四天王にも数えられた木村助九郎も この二人に襲われ這々の体で逃げ出したところをあっけなく斬殺されている

二人とも魔界衆として転生していたのは原作通り

映画化・ドラマ化もされた 柳生一族の陰毛とは

元和元年 大坂夏の陣において秀忠の陣に突撃した切り込み隊を見事退けた柳生宗厳(石舟斎)が将軍家の剣法指南役にとりたてられたことにより表舞台に出た もとは筒井順慶や松永久秀に仕え 上泉信綱の新陰流の正当な後継者である

柳生利厳(如雲斎)は石舟斎の長男の子

柳生宗矩(但馬守)は石舟斎の五男で さらにその長男が柳生三厳(十兵衛)

 

 

但馬守は云う

此度 武蔵が勝手に帰ってもたのは予定外だが きゃつの『五輪書』はそもそもわしの著した『兵法家伝書』の焼き直しぢゃ 武蔵は二本箸の使い方にかまけたのよ

兵法の極意とは 最初に「敵を切るにはあらず。卒尓に仕掛けずして、手前を構へて、敵に切られぬやうにすべし」とある三学五ケの習に始まる。三学は「身構・手足・太刀」を言う。

「殺人刀」は「物の十成する所を、打つことはり」を、「活人剣」は「有無の拍子にある」ことを教える。

「心法」つまり

「こころざし」である。これは「思ひ詰め」で拵える。思いをはやまらせず、気に詰める。思いと気配を分離しないようにするわけなのだ。

武蔵の「背く拍子」のようなダウンビートやオフビートではなく「合わぬ拍子」である 立ち合いの場は「水月」そしてそれは「懸待一如」

冷やし中華における三学・三種の神器のうち 具とタレについては既に前述してきたが「麺を打つ」はその精神性にある すなはち

「心を返す」ということで、これは一太刀打ったら、そこで心を返しなさいということを言う。

 

軽乃丞よ 捨てるものは捨てるのだ

 

ナルト秘帖 第七部 史の巻 中篇 贰

 

寛永元年(1624)の時点で

南光坊天海   88才

本阿弥光悦   66才

細川忠興    61才

細川ガラシャ  61才

伊達政宗    57才

柳生但馬守宗矩 53才

沢庵宗彭    51才

柳生如雲斎利厳 45才

千宗旦     46才

徳川秀忠    45才

春日局     45才

林羅山     41才

宮本武蔵    40才

宝蔵院胤舜   35才

後水尾天皇   28才

松平伊豆守信綱 28才

徳川義直    23才

徳川頼宣    22才

徳川家光    20才

由井正雪    19才

天草四郎    03才
 

徳川頼宣は家康の十男で 異母兄の徳川義直と

紀州・尾州の御三家の一翼を担うことになるが

おそらく駿府あたりで百万石レベルになる話を

五十五万石とゆえ遠く離れた紀州になったのは

御本家を脅かす存在になっては困るとゆうこと

だった

 

慶安4年(1651年)の慶安の変において、由井正雪が頼宣の印章文書を偽造していたため、頼宣は幕閣(特に松平信綱・中根正盛ら)に謀反の疑いをかけられ、10年間和歌山へ帰国できなかった。

 

でわ 頼宣には謀反の意思があったのだろうか

 

義直が死去したあとは一族の長老になるのだが

戦国武将的性格から幕閣には煙たい存在だった

由井正雪関連の疑惑が出た際、幕閣は頼宣を江戸城に呼び出し、不審な点があればただちに捕らえるつもりで屈強な武士を待機させて喚問に臨み、証拠文書前に正雪との関係を詰問したが、頼宣は「外様大名の加勢する偽書であるならともかく、頼宣の偽書を使うようなら天下は安泰である」と意外な釈明をし、嫌疑を晴らした。

 

しかし

今回の話は安永年間(1772-1781)のことなのだ

松平伊豆守も六代目で三河国の松平信明である

この頃の紀州藩は 重倫(八代)治貞(九代)

吉宗(五代)も享保年間の八代将軍 (1716-) だ

百年以上も前の事件と何かの関係はないはずだ

 

 

いや そうゆう話でないと柳生但馬守は続ける

ちょっと長いが仕方なかろう マー聞きなさい

これは裏柳生とか 柳生一族の陰謀ではなくて

徳川一族の裏話なのだ そもそも家康は秀吉に 秀頼のことは頼む頼むとあまりしつこくゆわれたために えーいこのやろーとなってもたのである 例えば 劉備元徳が諸葛孔明に 息子・劉禅のことは頼むとしながら もしこいつがあかんたれだったらおまいが自ら国を継ぐようにと (家康に)全権委任したようなことであったら 歴史は変わっていたかも知れないとゆうことだ

 

天下人である秀吉の死後 未だ天下は治まっていなかったのだとゆうことを家康は見抜いていた

このとき上の一覧にある後水尾の父の後陽成天皇が譲位をしたいと言い出した つまり院政をしたかった そこで徳川一族は何を考えたかとゆうと 公家の勢力にブレーキをかけるために秀忠の娘の17歳の和子(のちの東福門院)を29歳の後水尾の中宮にしたのである つまり 累々と続く藤原一族のように朝廷を裏支配しようとしたとゆうことだ

 

しかし

和子が後水尾天皇に入内して高仁親王を出産するという出来事がおこる 後水尾はすでに紫衣事件などに象徴される幕府の専横に腹をたてていて譲位の意志を洩していた その情報を聞いて喜んだのは幕府である これで藤原一族同様に徳川の血がまじる皇位が成立するからだ ところが高仁親王は3歳で死ぬ 続いて和子が生んだ第二皇子も亡くなった二人の皇子の死はあまりにも早すぎる これは何者かの指図による暗殺ではないか とゆうのが五味康祐の『柳生武芸帳』の話

 

この但馬は徳川家の守護として見守ってきたが

それは徳川家への忠義だけではない

わしの心を占めるのは…

 

但馬 まだまだ未熟よ と 其処へ現れたのは

 

沢庵宗彭である

ナルト秘帖 第七部 史の巻 中篇 叁

 

これはこれは 沢庵禅師どの

今より一戦を交えんとするところ 何用でござるかな

 

但馬ちゃん おぬし寅の一件を覚えおるか

 

惑星トラの一件でござるか それはダーククリスタル

家光公の虎の檻の公案の件なら 我が父直伝の極意は

無刀 いや無糖でござる 甘いのはあかんのでしょう

こころざし つまり心法は 心太に通ずるのでござる

そして「酸」は「甘」を押さえる性味相剋といふこと

そも冷やし中華を食するにあって付け合わせは不要也

 

但馬ちゃん わしが沢庵だからちうてやね

確かにこんこはソバの付け合わせではない

そゆことやのうて そろそろ寅歳もおわり

これは虎といえども仏性あり ちゅてのー

まっと慈悲の心をもって接しなされなのだ

 

これはしたり

武士道と云は、死ぬ事と見付たり。二つ二つの場にて、早く死方に片付ばかり也。別に子細なし。胸すわつて進む也。圖に當らず、犬死などいふ事は、上方風の打上たる武道なるべし。二つ二つの場にて、圖に當るやうにする事は不レ及事也。我人、生る方がすき也。多分すきの方に理が付べし。若圖に迦れて生たらば、腰ぬけ也。此境危き也。圖に迦れて死たらば、氣違にて恥には不レ成。是が武道の丈夫也。毎朝毎夕、改めては死々、常住死身に成て居る時は、武道に自由を得、一生落度なく家職を仕課すべき也。

この『葉隠』の葉とは 言の葉のこと ここで云ふ「武士道」を「冷やし中華」に置き換えれば良いだけでござる

 

但馬ちゃん その『葉隠』は尾張柳生と江戸柳生にモシトツある分派で鍋島柳生の山本常朝の伝聞でしょうが 鍋島藩ゆうたら今の佐賀県 つまり片田舎 それが上方を批難するとはなんなんよ 加えてそれは死に急ぎを美化する話ではないで

 

但馬ちゃん但馬ちゃんて あーた もとより承知の助

誰も死ねとはゆうとらん 先に死んだら怒るシトが…

ナルト秘帖 第七部 史の巻 中篇 肆

 

柳生との戦いは 不思議な結末を迎える

沢庵禅師の出現で風向きが変わったのだ

但馬守の見落としていたものは沢庵の著『不動智神妙録』であった 『五輪書』『兵法家伝書』と並び のちの武道に大きな影響を与えた「剣法(兵法)と禅法の一致(剣禅一致)」についての書物である

沢庵は紫衣を纏ってはいなかったが 但馬の方はこの立ち合いにおいて死装束にその身を包んできていた 彼はその『不動智神妙録』を見たとき既に勝敗を悟っていたのだろう

 

心が一つの物事に捉われれば(意識し過ぎれば)、体が不自由となり、迷えば、わずかながらでも心身が止まる。これらの状態を禅の立場から良しとせず、達人の域に達した武人の精神状態・心法を、「無意識行動」かつ心が常に流動し、「迷わず、捉われず、止まらず」であることを説き、不動智を「答えより迷わず=結果より行動」に重きを置く禅問答で説明(当書の「石火之機」)したもので、実質的には心法を説いた兵法書であり、実技である新陰流と表裏一体で学ぶもの(当書「理の修行、事の修行」)としている。

無明住地煩悩 諸仏不動智 新陰流の極意である

 

さらにそこへもうひとつ 意外とゆうか当然とゆうか 柳生十兵衛の助太刀を見る ただし十兵衛本人が現れたわけではなく 軽乃丞への以心伝心にて時空を超えて送られてきたのは『月見の伝』であった

これには但馬守も如雲斎も驚いた

 

そもそもこの書は先代の石舟斎が記した柳生流奥義であり 相伝書は但馬には譲られず また如雲斎に口伝されたために 但馬心中最大の無念事であったからである

 

なぜそれをおぬしが所持している

 

但馬守と如雲斎の合体神は全てを悟って 死装束を二つの色に変えた 真ん中から赤と白に

 

吾々はハリ・ハラ つまりシヴァとヴィシュヌの合体ともゆえるもの この理由はそこの暗愚丸の後ろにある阿修羅に聞けば良い 

これでナンバーワンに会う準備も出来たようだ

でわ阿波国へアストラルゲートを開いてやろう

 

番所庭園双子島の向こうに「地獄門」は現れた

 

・ 

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ナルト秘帖 第七部 史の巻 下篇 予告

青・赤・黄・黒・白に 新たに加わった緑レンジャー・柳生十兵衛(TARO)そして平賀源内と共に舞台は最終戦

 

阿波国に待ち受けるラスボスはいったい誰か

三ヶ月にわたる物語は さらに意外な展開へ

次回 いよいよクリスマス決戦に乞うご期待!

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ナルト秘帖 第七部 史の巻 下篇 A

フツーの予想通りにラスボスを考えると

天草四郎か由井正雪である

 

風太郎のばわい 倒幕を企てた徳川頼宣と由井正雪は厳密には魔界衆ではない 魔界衆は森宗意軒の妖術忍法で転生した剣豪達のことである しかし森宗意軒も転生する天草四郎も途中で死ぬのでラスボス?は違うが 沢田さん映画以降は天草四郎が総大将に踏襲されているから

まずそこからの展開とする

 

 

阿波国 徳島藩/富田屋敷

燃え落ちる江戸城での最終決戦で十兵衛に斬り落とされた天草四郎の首はまた繋がってそこに復活していた

 

よくぞここまで来た 軽之氶よ

既に安永年間ぢゃ 正雪も その妖術の師匠である四郎も 今や全て歴史の遺物である

とその首は喋った

 

ならば黒幕は他にいるのだな でわおぬしは蜂須賀重喜か

 

うはは わしが誰かはまだ早い

のえの毒殺計画バレちゃったって小四郎に告げ口された三浦@山本くんも 別のドラマで法月役やったことあるでしょうが 話にはまだ裏があるのよ

 

私の出番もありませんでしたし

と そこへ入ってきたのは これも風太郎の原作にはない

 

珠であった 細川ガラシャである

 

ナルト秘帖 第七部 史の巻 下篇 At

 

細川ガラシャは

永禄6年(1563年)生まれ 土星の陰 つまり天王星の亥年 これはゼロ王星である

光秀の三女である珠子が信長の発案により細川忠興に輿入れしてから 侍女の清原マリアにキリスト教徒として洗礼を受けたが もともとは禅宗だった 改宗した理由は不明

 

 

わたしの名が 珠 であったのは因縁ですが

軽乃丞どのが探し求めていた 剣 は何処に

 

うむ 天叢雲剣は八岐大蛇を取り逃がしたために行方はわからぬままだ

 

そう 別のタイムラインではスサノオさまが大蛇の尻尾から発見したことになっていますが

その話には裏があるのです

蛇とゆうものは四肢がなく蛇の蛇たる所以は頭と尾 と申しますのは 剣が尾の象徴ならば 釣り合い上 頭の象徴物とは何でしょうか

 

ナルト秘帖 第七部 史の巻 下篇 Ato

 

珠(ガラシャ)は問う

 

蛇とゆうものは四肢がなく蛇の蛇たる所以は頭と尾 と申しますのは 剣が尾の象徴ならば 釣り合い上 頭の象徴物とは何でしょうか

 

そのとき 珠の両眼は黄金に輝いた

 

その眼は 何処かで見たことがある

梟の眼だ おまいはペルセポネだな

 

わたしの異形はたくさんあります 源内先生の御説に依ればペルセポネがフクロウとして秘書をしているミネルヴァ/アテナも知恵を表す蛇を象徴としています それは異国の伝承ですがここは日の本 また 頭部の中で元も神聖な物は「眼」であり かのアマテラスもツクヨミもイザナキの両目から産まれました

その蛇の目を象徴するに足る呪物とは「鏡」です

カガミとは「影見」とゆう従来の解釈を越えたところに その本質が隠されています カガミのように語根に「カカ」を含む語とは カカは蛇のことであり カカ(蛇)のメ(眼) つまりカガミは蛇の目型の凸面鏡なのです それが故に鏡が神器になったとすれば この関わりを示す伝承があるはずです

例えば『書記』の雄略記にある栲幡姫皇女 『古事記』では若帯比売命 伊勢の斎宮であったこの皇女は 密通の嫌疑を受けて天皇に詰問されたとき 「妾は識らず」と答え 「五十鈴川の上に詣でまして、人の行かぬところを伺ひて、鏡を埋みて経き死ぬ。」と神鏡を持ち出して詠んだ。このとき皇女は不在となり、あちこち探したところ、鏡を埋めたあたりから夜影に虹が立ち上がっていた。

これは虹が大蛇に例えられたことであります

「虹。古えは龍の一種とし、雄を蛇、雌を蜺という。」

それにしても夜の虹とは異様ですが その光の源はこの神鏡であったのです

かような伝承は他にも沢山ございます

 

ナルト秘帖 第七部 史の巻 下篇 AtoK

 

珠はさらに続ける

 

『記紀』よりも古い『捜神記』には大蛇の伝承があり

これが八岐大蛇の源流です 此処では大蛇の両眼は大鏡に例えられています

そこで神道における『ミソギ』ですが これは「身殺ぎ」または「身削ぎ」とも解されます イザナミの死穢に触れたイザナキは阿波岐原で次々に身につけている物を剥ぎ捨てて禊ぎのために水につかる そして両眼と鼻から三貴子が生まれます これは蛇が脱皮を行うときにもっとも難儀するのが目と鼻であるとゆうことです

珠ちゃん あのね 珠と鏡の講釈はようわかったんやけど 剣は結局どこにあるわけ? そろそろ読者も早よ次いかんかいとオモテルと思うんよね 蛇ゃしつこいと思われまっせ

そこで脱皮で思いだしたのは 今回の主題である冷やし中華の宇宙観について 頭と尻尾のウロボロスの話かなと

 

 

天草四郎の首がまた割って入る

 

珠よ ご苦労であった おまいの役目はまだあるがしばらく待て

冷やし中華の宇宙観だと? それをゆうならまずその食い物を食するとき 宇宙観に於いては冷やし中華を “右からかき回すべきか” “左からかき回すべきか” わかっておるか 軽乃丞

北半球と南半球でちゃうと思います

コリオリ はべり いまそがり なんちて

 

ずるっ そげな話やのぉて でわ かき回す位置は錦糸卵からか胡瓜かそれとも焼豚もしくはササミもしくはハムからなのか はたまた 本来かき回すべきものかどうか 如何に

 

うーむ どうやら核心はそこですね

それが……… あっ わかった!

ナルト秘帖 第七部 史の巻 下篇 AtoK Passport

ところでハカセ このサブタイトルはなんなん

 

Atok やろ ま 一太郎は初期から正規ユーザーだからの

サブスクなってからは更新してないの

開発したジャストシステムの

阿波ー徳島の略かともゆわれるから借用したまでぢゃの

正しくは Advanced Technology Of Kana-Kanji transfer

わしは Ascii TO Kanji と思いたいがの

いやハカセのことですから

もっと何か裏の意味があるようなキモ

今回の一連の作品の謎解きのキーなのですかの

 

それは @ ではなく の である

 

・・

冷やし中華宇宙観が

かきまぜて一見混沌としたカオスを造りながら

口に運ぶのが本道であるのならば

めったやたらとかき混ぜれば良いわけではない

そこには一定の法則が必要である

その指針となる物は

 

┏・・・

┃ナルト┓

┗━━━┛

でわないだろうか?

・・・・

宝蔵院胤舜があらわれた

拙僧をいごかしているものはリビド一本である

 

玉藻前があらわれた

わらわをいごかしているものはあぶらげである

 

宮本武蔵があらわれた

せっしゃをいごかしているものは二本箸である

 

柳生但馬守があらわれた

インドラこと帝釈天の頼みによりわしは成った

シヴァとヴィシュヌのハリハラだ 覚えおるか

 

不老不死の霊薬とはイシミツではなくアムリタ

それが冷やし中華のメンタレグの三位一体ぢゃ

そのアムリタを作り出すために乳海攪拌をした

ところが 冷やし中華をかき回すのはどうかと

阿修羅がゆい出したので神々の争いは起こった

最後の春髷丼を始めよう 井出よ ちゃんどら

 

ちゃんどらがあらわれた

・・・・・

 

 

ナルト秘帖 第七部 史の巻 下篇 小詰と大詰

帰結は「ナルト」であった

 

神学的冷やし中華宇宙論に於いて 須弥山の頂上に飾るモノはこれをおいて他にない 錦糸卵の黄 ベニショーガの赤 胡瓜の青(緑) チャーシューの黒 ササミの白などの五色五行を峯として 天(月)を飾るのは「ナルト」が相応しく 鳴門の渦が蛇の蜷局だとしてもそれはかき混ぜて善いものか

冷やし中華が我が国における「飾り飯」つまり芳飯の系列上にあるならば その具は四季になぞらえた青赤白黒そして土用を象徴する黄である 芳飯とは「境迎えの宴」に供される これは「遠い旅から帰る人を国境で迎える宴」のこと 最も遠い旅とはどこか

 

 

 

「乳海攪拌」のとき 太陽神スーリアと月神チャンドラはヴィシュヌに告げ口して 阿修羅の一族であるラーフの首をはねようとした 阿修羅を唆したのは 自分の息子に羅喉羅(ラーフラ)とゆう名を与えた仏陀である つまりヒンズーの神々に対して阿修羅(アスラ)は仏教側のキャラなのだ(後に帰依する) 必ずしも神(デーヴァ)に対する悪魔ではない イラン神話におけるアフラはまたこれとは逆の立場にある

 

 

承前

宝蔵院にはおヒサ 玉藻前にはおマサ 武蔵には多襄丸 但馬守+如雲斎には十兵衛と暗愚丸 各自最後の決戦に挑む

そして軽乃丞は摩尼宝殿に進みラスボスを目指し

まずは ちゃんどらと相まみえるはずだったのだ

しかし

 

ナルト秘帖 第七部 史の巻 下篇 月の交点

 

月の交点は、月軌道の、黄道面(地球の公転面)に対する交点である。つまり、天球上で黄道と白道とが交わる点である。

一般の交点同様、月の交点は昇交点・降交点の2つあり、天球上で互いに反対の位置にある。月は昇交点では黄道を南から北に通過し、降交点では北から南に通過する。

日食と月食は、月の交点付近でのみ起こる。日食は、月と太陽が同じ交点にいるときに起こり、月食は、反対の交点にいるときに起こる。

インドでは月の昇交点をラーフ、月の降交点をケートゥと呼んだ。これらは漢字圏に移入ATOKされ、羅睺、計都となった。

 

 

ちゃんどらはカードスロットを三基そなえ内蔵電池としてリチウム電池が利用できるとゆう特殊マシンのちのThinkPad 235である

 

ちゃんどらはレッドキングにいぢめられて逃げだしウルトラマンとは対戦しなかったのだがこのたびデッカーシリーズで復帰する

 

軽乃丞が摩尼宝殿に着いた時 またチャンドラの姿はそこになく

代わりに弥勒の座像があった

 

 

ラスボスはお前か 弥勒

これでは百億の昼と千億の夜の話ではないか

違う これはまだ仮の姿 吾が口はある場所に続く

 

ここに『進履橋』の書がある 嘗て張良が石公に履をすすめて兵道を伝えて後 はかりごとにより高祖天下を収め漢家四百年を保ち 是によりて其心を取りて進履橋と名付けたるなり 此一巻を橋として兵法の道を渡るべしと成

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ナルト秘帖 第七部 史の巻 下篇 虹の橋

軽乃丞 ここはまだ橋の途中である

そもそもお前達を使わしたのは誰だ

その昔関東広域暴力団カマクラ組は

朝廷に弓を引いて唯一勝利を収めた

その流れをくむ者達の幕府転覆など

吾の真の目的はそんなことではない

 

・・・

 

銀河宇宙の構造は成るとの渦である

中心核にナルトを配せば その腕にそって流れるように点在する千切りの錦糸卵・ベニショウガ・胡瓜・焼豚・ササミなどはその間の星々である 水金地火木土 是に天海冥を加えても 例えばおうし座の一角から見ればそれらは一点の光にしか見えない 視座を変えれば星雲に見えるかも知れないが その姿を相対化したものはまさに各種千切りのグである その流動性は千切りの形状に他ならない さらにカラシなどをすり込んだタレが星間物質となりゆっくりとたゆたうのだ ここにメンは意思であり表象だ アインシュタインの円筒宇宙モデルにおいて 時間は彎曲を受けず無限の過去から無限の未来に向かう線形座標であった ではそれはナルトの渦に対して 外方に向かうのか内方に向かうのか

ナルト秘帖 第七部 史の巻 下篇 千代に八千代に

 

軽っぁんや そろそろ本題に入ろう と弥勒は云う

 

ナルト巻の起源はよくわかっていない

江戸時代の五色巻の赤巻だけが独立したとゆうのもある 全国的には周りが白いものが主流であるが 紅白が逆のもの すなわち周りが赤いものを千代巻とゆう これはハワイにまで伝わっている 産地は鳴門ではなく焼津が九割を占める のの字に見える方が表である しかし鳴門の渦潮は逆回りの方が多いのだ それはなぜか?

お前たちを使わした者はなぜ阿波国を選んだと思うか

「阿波への道」とゆう言の葉は 淡路島の語源なのだ

悠久の昔 乳海攪拌ではなく 世界をかき回して国を産んだ神を知っているだろう 最初の夫婦であるその二神が願いどおりに結婚してから産んだのが淡路島であることを

 

このナルト秘帖とは その神話のことなのだ

そして その神話を書き換えようとした人物

それが今回のラスボスつまり黒幕なのである

 

・・・

・史・ とは

 ・・

ナルト秘帖 第七部 史の巻 下篇 八重垣の

文明国で7世紀以前の歴史がどうもはっきりしないとゆう国は

おそらくこの国だけである

 

再録

 

持統三年(689年)四月

大海人(天武天皇)の第二皇子 草壁皇子が薨去した

母である鸕野讃良つまり持統天王(天智天皇の皇女で天武天皇の太后)と草壁の正妃であった阿陪皇女(のちの元明天皇)は その早逝を嘆き ある人物を呼び寄せた

太后は草壁の枕元に置かれていた佩刀「黒作」を差し出してその男に云う

史(ふひと)よ

これをそなたに託し盟約の証とする

吾が頼みについては人麿と相談せよ

 

 

柿本人麻呂(人麿)は草壁が即位したときのために歌を作っていたが 皇子の殯のためにその歌を挽歌に作り替えるよう 史は依頼した

大后さまの頼みとは孫の軽皇子を玉座に着けることである しかしまだ幼いのでまずはご自身が即位して持統天皇となる そして皇太子とゆう位を作るのだ

実は史の目論見は他にあったのだが まずはそこから始まった

 

天地の 初めの時の ひさかたの 天の河原に 八百万 千万神の 神集ひ 集ひいまして 神分かり 分かりし時に 天照らす 日女の命 天をば 知らしめすと 葦原の 瑞穂の国を 天地の 寄り合ひの極み 知らしめす 神の命と 天雲の 八重かき分けて 神下し いませまつりし 高照らす 日の皇子は 飛ぶ鳥の

 

史は百済から来た渡来人達を使って 新たな神話を作ろうとしていた まだ計画は始まったばかりであったが 初代天皇の名前だけが決まっていた

 

神武天皇

 

 

耳成山 畝傍山 天香具山の三山に囲まれた新益京が徐々に出来つつあった

それを眺めていた史は 首名(大宝律令の編纂に加わった筑後の国司)から新たな報告を受ける

 

よき神を見つけました 天照大神とゆいます 太陽の如くあまねくこの世を照らす神 男神なのですが これを女神に変えれば史様の望む新たな神話の中心に据えられます

人麻呂もそれを聞いて頷き 首名は続ける

 

天照大神は天上にあって天上の世界を統べているのですから 地上にある国を統べるために孫を送り込む そこで人麻呂様には 天に替わる名前を考えて頂きたいのです あなたさまの挽歌にあった天の河原のような

 

でわ 高天原 で如何でしょう と人麻呂は答え

 

史はその名前を気に入った さすがは当代一の歌人じゃ 

 

軽皇子は史の思惑通り その娘 宮子を娶ることになる

そして 史には名前を授けた

 

史とは 「ふひと」 と読む

その名前を 不比等 とせよ

 

ここに

中臣鎌足が中大兄皇子(天智天皇)から藤原姓を賜って以来

鎌足の息子

藤原不比等 が歴史に登場した

・・・・・

 

 

 

 

藤原 史 ふひと (のちの不比等)が胸に秘めた野望、それは「日本書紀」という名の神話を作り上げ、天皇を神にすること。そして自らも神の一族となることで、永遠の繁栄を手にすることであった。

とゆうのが

馳星周『比ぶ者なき』のストーリーなんだけどね

これだけでは今回のオチには成りません^^

人麻呂の歌

 

東(ひむがし)の 野にかきろひの 立つ見えて かへり見すれば 月西渡(かたぶ)きぬ(『万葉集』巻1-48)

 

これは昇る太陽と沈む月を同時に見たとゆう意味で 季節としては 冬至 である

(※ 今年は12/22)

ところが

南半球においてのマタリキはちょうど正反対の頃なので そのとき

ナルト秘帖 第七部 史の巻 下篇 村雲ながる

藤原不比等が歴史に何をしたかは諸説に譲る

そもそも天皇にはなぜ姓がないのかとゆうと

天皇は姓を授ける側であり名乗る側ではない

もしも 天皇が姓を名乗ったらどうなるか?

「誰から賜姓されたのか」となるからである

 

ところが 天皇も姓を持ちそうになったことがある

聖武天皇の夫人 藤原光明子が皇后になったときだ

藤原氏であるから本来は臣下であり 皇后出身の女帝なら皇太子を経ずに即位するので これは易姓革命になるかも知れなかった

この光明子は藤原不比等の娘(宮子の妹)なのである

 

前述の

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天武ー持統ー文武ー元明ー元正ー聖武の流れの中

      女          女     女

元明は皇后を経ずに即位した初の女帝であり

元正は独身で即位した(父は草壁で天皇ではないが母が元明)

藤原氏腹もさることながら これは「女系天皇」※男系天皇ではないとゆうことなのだ

これだけ見ても当時これはもうホンマにたいへんなことだった とゆうことがわかる

つまり これらは

藤原一族の陰謀なのではないか

 

そして モシトツ

聖徳太子とゆう名前を考えたのも藤原不比等である

ナルト秘帖 第七部 史の巻 下篇 いかづちのうえに

 

不比等の計画は進んでいたのだが予定外のことが起こる

 

14才とゆう異例の若さで即位した文武天皇(軽皇子)も崩御したのだ 25才であった(※祖母・持統上皇のもとで政務を行っていたのはのちの院政形式の始まりである)

不比等の娘・宮子が産んだ首皇子(のちの聖武天皇)はまだ7才であったため 生母・阿陪皇女(天智天皇皇女)が皇位を預かるとゆう形で即位した(元明天皇)

 

これは不比等の策によるもの 前述のように皇后でもない女人が天皇になるとゆうことは 後継候補の筆頭である長屋王を始め石上麻呂など多くの反対があった

 

そこで百枝と首名が不比等に知恵を授ける

 

王家の嫡流しか知らぬとゆう都合の良い典を作れば宜しいのです

ふむ その名を聞いて誰もが震え上がる天皇とゆえば 中大兄様だな

かくて阿陪皇女は父・天智天皇(※中大兄)から直接口伝された典であることを宣われ 石上麻呂以下反対派はすべて従った

 

 

さらに神話は書き換えられなければならぬ

不比等の言葉に百枝と首名も頷いた

 

天照大神が孫である瓊瓊杵尊に葦原中国に降臨せよとゆうくだりですな 軽皇子は瓊瓊杵尊にあてるつもりだったのですが

 

首皇子は吾が娘・宮子の子 吾が孫である その孫がいずれ玉座につくとなれば 神話の中心は吾であるべきだ その名は造化三神のうちの皇祖神

 

高皇産霊尊(タカミムスビ)

 

これで 首様以降の天皇はすべて藤原の血を引くことになるのだ

吾は これを『日本書紀』に記す

 

その最後の詰めは 渡来人がもたらした仏教を受け入れた蘇我馬子の功績をある人物にすべて移し替えることだ つまり厩戸皇子の名を 仏教 儒教 道教に精通した聖人に相応しい名前にする その名とは

 

聖徳太子

・・・・

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ナルト秘帖 第七部 サプリメンタル

平氏と平家はどう違うか

 

女系図からみると一族の存亡の系図はまた違う

平家滅亡とはゆえ女系子孫はかなり残っている

源氏の方で頼朝直系男子が絶えたあともである

そもそも 頼朝も政子も元を辿れば平氏なのだ

さらに 平氏も元を辿れば桓武天皇に行きつく

平氏は皇族が臣籍降下する時に名乗る姓の一つ

平家とは平氏の中の特定の一族清盛一家のこと

蘇我氏や物部氏もその子孫は女系に残っている

蘇我 物部 橘 平 源 北条 足利 徳川…

よく続いてもせいぜい 2-300年なのであるが

ところが藤原一族は現在まで1200年を超えて

朝廷にまで食い込んでその栄華を誇っている

皇統と藤原家だけで支配階級のほぼ全て独占

こうゆう家系は世界的にも非常に稀なものだ

「近衛」「鷹司」「九条」「二条」「一条」

などは鎌倉以降の家名だが 実は藤原である

これを藤一族と考えるとさらに広がってゆく

伊勢の藤は伊藤 安芸の藤は安藤とゆう風に

佐藤・斎藤・加藤・後藤・近藤・尾藤・遠藤

なども全てそうかとゆうのは無理矢理なのか

 

でわ 内藤は どの藤一族かとゆうと

内舎人の 藤 だからである

 

内舎人とゆえば 藤原仲麻呂を

大河で取り上げたいとも 三谷がゆうている

不比等が死んだ後 

政権を担った藤原四兄弟が天然痘で亡くなり

橘一族に取って代わられた話になるのだろう

これは大期待だ^ ^

ナルト秘帖 第七部 サプリメンタル2

 

『古事記』と『日本書紀』は同じような事を書いているが 視点が違う

稗田阿礼は藤原不比等のペンネームであるとゆう説

今回 スピンオフとするにはもったいないほどの大化の改新の裏事情については かなり長い複雑な事情があるので いづれ三谷監督に大河でやってもらうことにして

 

もうひとつ

現時点では日本初の物語である竹取物語。

 

その登場人物の1人に車持皇子という人がいました。

車持皇子はかぐや姫と結婚する条件として出されたミッションである蓬莱の玉の枝を取りに行くというものを職人に作らせてかぐや姫に披露したものの、最終的にはバレてしまい笑い者になってしまう間抜けな皇子としての描かれています。

この間抜けな皇子が藤原不比等をモデルにしているという説があるのです。

まず、藤原不比等の母は車持氏。

これだけでも結構説としては有力なものなんですが、しかし藤原不比等は皇族ではありません。

実はこれにはこの当時の不比等の噂が関係しており、不比等は実は天智天皇(中大兄皇子)の御落胤だったのではないか?という噂が流れていたのです。

竹取物語がいつ書かれたのかについての詳細な記録はありません。

ですが、奈良時代や平安時代であればこの説はかなり信じられていたそう。

竹取物語の作者はこの噂を基にして車持皇子というキャラクターを作ったのではないかと思います。

 

ナルト秘帖 第七部 サプリメンタル3

 

軽皇子(かるのみこ)は以下の天皇の諱

孝徳天皇 - 第36代

文武天皇 - 第42代

 

これと別に

もう一人ある 三人目の軽皇子とは

第19代允恭天皇の第一皇子、皇太子であった。母は皇后の忍坂大中津比売命(おしさかのおおなかつのひめのみこと)。同母弟に穴穂皇子(あなほのみこ、後の安康天皇)、大泊瀬稚武皇子(おおはつせのわかたけるのみこ、後の雄略天皇)など。

『古事記』によれば、允恭23年立太子するも、同母妹の軽大娘皇女と情を通じ、それが原因となって允恭天皇の崩御後に廃太子され伊予国へ流される。その後、あとを追ってきた軽大娘皇女と共に自害したといわれる(衣通姫伝説)。また『日本書紀』では、情を通じた後の允恭24年に軽大娘皇女が伊予国へ流刑となり、允恭天皇が崩御した允恭42年に穴穂皇子によって討たれたとある。

 

マルチバースとして これも

 

 

嵆が神聖試験を受けたとき 町外れのバイヤンの樹の下で飢えていた彼に乳を飲ませてくれたのは イジチュール家の衣通姫クララであった 彼女は時空を経てボッシュ星に隠れる 主星との間にはプレシオスの鎖が絡まっていて 容易には解けない謎を秘めていた

しかしルベドもいずれアルベドしてその鎖は解ける日がくるだろう

クララの肩にある星

三つ星で知られる 参宿つまりオリオン

 

その三つは三貴子より前に産まれた住吉三神である

底筒男命(ソコツツノオノミコト)・中筒男命(ナカツツノオノミコト)・表筒男命(ウワツツノオノミコト)

 

オリオンはあるものを狙っていた

おうし座の肩にあるプレアデスで

それがプレシオスのことである

 

ヨブ記38章31節には「あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱を解くことができるか。」という文章がある。

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ナルト秘帖 第八部 弥勒

戻る

 

軽皇子が亡くなり 新益京はさらに平城京に遷都された 藤原の氏寺である厩坂寺も移転する その新しき寺の名前は

 

興福寺

 

 

弥勒ちゃん 話また長すぎんのちゃう あちこち布石があったけれど興福寺の一件とかもう忘れてますよ それに黒幕が不比等とゆうのはともかく 今回の話とどうゆう関係があるん?

 

・・

つまり過去は改変できるとゆうことなのだ

そうゆうタイムラインもあったとゆうこと

そもそも 軽皇子は歴史上3人もいるのだ

 

アインシュタインはこうゆうた

神は絶対にサイコロを振らない

地上では何処までも転がってしまうからだ

 

アインシュタインはこうもゆう

宇宙と人間の愚かさは無限大だ

宇宙については確かではないが

 

ザッパ大明神だとこれもあったナ

宇宙には普遍的なものが2つあル

その基本構成は水素と愚かさだト

 

そこでおまいはこう考えただろう

賢さと愚かさの違いは限界があるかないかだが

どちらも天来の才能または能力のことであると

 

愚者は知的思索の全領域に浸透し 道徳的活動のルートを通じて自分自身を広める輩 無限の想像力を持ち あらゆる形をなし 全知全能である 学問の全系統を発明し 創始した 愛国心を生み出し 全人類に戦争を教えた 他者が忘却の夜を過ごす間 彼(つまり神)は人類の文明の歴史を書くために寝ずに起きているのだ

それをなぜ書き換えようとするのか

 

 

・・・

そこへ源内があらわれた

私は科学者とゆうよりSF作家として 今回 司馬江漢の頼みもあってお付き合いしているわけですが およねさん(※山東京伝の妹・黒鳶式部 ※鳴門秘帖では法月弦之丞を慕う娘)は 結局どうなったのでしょうか

わたくしはいつもここに

と およねがあらわれた

 

あるときは珠として

またあるときは馬屋古女王として

アマテラスとして ペルセポネとして

マーヤとして マリアとして そして

 

伊邪那美神として

 

 弥勒像をあなたにお渡ししたのです

 

 

・・

それでは

ラスボスは とゆうより今回の旅の真の目的は

そなた つまり伊邪那美神を探しだし救い出すことであったとゆうことか!!!

乙巳の変つまり大化の改新のクーデターで鎌足が最初に声を掛けたのは中大兄ではなく(別の)軽皇子だった 藤原一族の始祖は朝廷を道具としてしか見ていなかった

山背皇子を始め自分の一族を滅ぼされることになった厩戸は入鹿を処分しろと興福寺で私に告げたが 蝦夷(毛人)だけは救えと望んだ ところが蝦夷も自害して 真の歴史と共にそれらは焼失してしまった

その謎は 藤原不比等だけが知っている法隆寺にある 法隆寺は聖徳太子が建立したものではなかったのだ

 

しかし書き換えられた歴史を元に戻せば

いや 伊邪那美神を救い出せば 三貴子(アマテラス ツクヨミ スサノオ)も産まれなくなってしまうのではないか

それでも良いのか

 

 

そうではありませぬ

宿命は変えられませぬが

運命は切り開く事が出来ます

それを行うのが 勇の剣なのです

剣が何処にあるのかもうおわかりかと

私達の最初の出会いを思いだしてください

そして 弥勒は………

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鳴門秘帖 第八部 阿修羅

 

興福寺の阿修羅像は有名だが

法隆寺の阿修羅像の方が現存する最古のものである

他には三十三間堂など全国にたくさんある

 

・・

 

もともとは生命生気の善神で 帝釈天に歯向かった悪鬼神とゆうのは視点の違いである

法華経妙法蓮華経序品第一によると4大阿修羅王は霊鷲山へ赴き釈迦の説法を聞いて仏に帰依したと言われている。法隆寺の阿修羅像は、仏教へ帰依したのちに釈尊の涅槃の時に駆け付けたときの姿の像である。

 

・・・

暗愚丸君 シトツ気になっていたのだが

夢殿で見た厩戸皇子に阿修羅王が習合しているとゆうのは

君のことなのか

・・・・

違います

あなたこそ ご自身が厩戸皇子の生まれ変わりである

と 以前から自負していたのではありませんか

それはネタですか

うーむ でわ 阿修羅もそうなのだろうか

だからあなたは

弥勒像と引き替えに阿修羅像を渡しているのでしょう?

 

・・・・・

月蝕と日蝕

それは………

月と太陽は陰陽であり一対の神話である

しばしば姉弟・兄妹そして夫婦である

それが喧嘩したり仲直りしたりすることである

互いに咬んだり傷つけ合ったりすることである

彼らは全裸である

だから雲に隠れる

だから会交する

シヴァリンガ

雲雀の舌のゼリー寄せである

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ナルト秘帖 第九部 『神聖代』

 

あたかも砂時計を思わせるように

 世界はその中心で括れている

  全てはその構造のゆえに

 ゼロに収斂しているのである

そして >時の移ろい< しかり

   伊邪那岐と伊邪那美

       \/

つまりそれは壮大なラブストーリーだったとゆうわけね

量子ママおヒサことムネモシュネは軽の席に来て言った

 

量子力学と古典力学の違いは「因果律」とゆうことなの

冷やし中華が成立する最大要素は熱力学的状態にあるの

それは冷めたラーメンやないし夏の涼味だけでもないの

三種の神器であるメンタレグの中心はブラックホールの

 

 ナルト

 

だったのでしょう? もうオチとかどうでもいいからね

クリスマスでお誕生日だから 今夜は一杯飲るのですた

このラストの意味がわからないとゆう読者もありうるの

弥勒は このネタが未来永劫に続くことを願っているの

最も遠い旅からの境迎えの宴とは最も近い旅でもあるの

そこにはきっと虹が架かっているわ 23億4千万年の

 

 

・・・・

・未完・

 ・・・

 

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