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Zara to Stra

真理は誤謬である


 ニーチェはかく語りき

ちょと待てぃっ

誤謬(Fallacy)とは論証の過程に論理的または形式的な明らかな瑕疵がありその論証が全体として妥当でないこと 論証において誤謬には「形式的」なものと「非形式的」なものがある

である しかし

[形式的誤謬の例]

後件肯定
「もし P ならば Q である。Q である、従って P である」という形式の推論。「もし魚ならひれがある。この生物にはひれがある。従って魚である」という推論で、クジラなどの存在によって誤謬となる。

 

前件否定

「もし P ならば Q である。P でない、従って Q でない」という形式の推論。「もし人間ならば脊椎動物である。この生物は人間でない、従って脊椎動物でない」という推論である。

 

選言肯定
「A または B である。A である、従って B ではない」という形式の推論。「ゴッホは天才または狂人である。ゴッホは天才である、従ってゴッホは狂人ではない」という形式で、天才と狂人が同時に成り立ちうる可能性を無視している。

 

間違ったジレンマ
選択肢をいくつか提示し、それ以外に選択肢がないという前提で議論を進めること。例えば、多重債務者の「このまま借金取りに悩まされる人生を送るか、自殺するか、二つに一つだ」という思考(自己破産という選択肢を除外している)。

 

4個概念の誤謬
三段論法には通常3つの(論理形式に関わらない)語句が出現するが、4つめの語句を導入することで誤謬となる。例えば、「魚にはひれがある。人間は脊椎動物である。魚は脊椎動物である、従って人間にはひれがある」は明らかな誤謬。通常、二枚舌 (equivocation) との組合せで巧妙化する。

媒概念不周延の誤謬
三段論法において媒概念が周延的でない。「全ての Z は B である。Y は B である。従って、Y は Z である」の場合、媒概念 B が周延的でない。「すべての魚は脊椎動物である。人間は脊椎動物である。よって、人間は魚である」。


[非形式的誤謬の例]

間違った類推
条件の相異や例外の存在を考慮に入れずに類推し、その類推を大前提として論旨を組み立てること。「ロシアでは社会主義革命の前は農奴制であった。よって社会主義革命を経ていない社会はすべて農奴制の状態にあると言ってよい」。

 

早まった一般化
十分な論拠がない状態で演繹的な一般化を行うこと。「1, 2, 3, 4, 5, 6はいずれも120の約数だ。よってすべての整数は120の約数である」。

例外の撲滅(en)
例外を無視した一般化を元に論旨を展開すること。「ナイフで人に傷をつけるのは犯罪だ。外科医はナイフで人に傷をつける。従って、外科医は犯罪者だ」。

 

偏りのある標本
母集団から見て偏った例(標本)だけから結論を導くこと。「(日本在住の人が)周囲には黄色人種しかいない。よって世界には黄色人種しかいない」。

 

相関関係と因果関係の混同 (擬似相関)
相関関係があるものを短絡的に因果関係があるものとして扱う。「撲滅された病気の数とテレビの普及には相関関係がある。よってテレビが普及すれば病気が撲滅される」(両者は時間の経過により独立に進んだだけだが、数値上は両者に相関ができてしまうので、因果関係があるかのような勘違いをしてしまった)。

 

前後即因果の誤謬 (羅:post hoc ergo propter hoc)
A が起きてから B が起きたという事実を捉えて、A が B の原因であると早合点すること。呪術と病気の治癒は因果関係ではなく前後関係である。

 

滑り坂論法(en)
「風が吹けば桶屋が儲かる」的な論法で、何らかの事物の危険性を主張すること。ドミノ理論。必ずしも誤謬とは限らない。「風が吹けば桶屋が儲かる」は誤謬といってもよいが、「第一次世界大戦でロシア軍が連戦連敗だとコーカサスバイソンが絶滅する」は現実に起こった事態である。

 

因果関係の逆転
因果関係を逆転させて主張する。例えば「車椅子は危険である。なぜなら、車椅子に乗っている人は事故に遭ったことがあるから」。「バスケットボールの選手は身長が高い。よってバスケットボールをすると背が伸びる」(バスケットボールをしたから背が伸びたとは限らない。もともと背の高い人を選手として採用している可能性もある)。

 

テキサスの狙撃兵の誤謬(en)
本来相関のないものを相関があるとして扱う。クラスター錯覚(英語版)ともいう。上官が狙撃兵に腕前を問うたところ、遠くにある壁の標的の真中に命中しているのを指し示したため腕前に感心したが、実は壁の銃痕にあとから標的を描いただけだった、というテキサスのジョークから。サイコロ賭博で「丁」(偶数の目)が6回連続したから次は「半」(奇数の目)だ、と考えるのはこの誤謬である。(この例については幾何分布#無記憶性も参照)

 

論点先取
結論を前提の一部として明示的または暗黙のうちに使った論証。形式的には間違っていないが、結論が前提の一部となっているため、全体として真であるとは言えない。「彼は正直者なんだから、ウソを言うわけないじゃないか」。

 

曖昧語法 (amphibology)
文法的に曖昧な文形で主張をすること。「十代の若者に自動車を運転させるべきではない。それを許すのは非常に危険だ」という文章では、若者が危険な目にあうと言っているのか、若者が他者を危険にさらすと言っているのか曖昧である。

 

多義語の誤謬 (equivocation)複数の意味をもつ語を使って三段論法を組み立てること。例えば、「非戦闘地域は、戦闘がおきていない。自衛隊の行く場所は、非戦闘地域だ。だから自衛隊の行く場所は、戦闘がおきていない。」(媒概念曖昧の虚偽も参照)

 

連言錯誤
ある前提について A という推論と A & B という推論を提示したとき、A だけの方が可能性が高いにも拘らず A & B の方を尤もらしいと感じてしまうこと。「K氏が関西弁をしゃべるとき、彼が大阪出身である確率と、大阪出身で阪神ファンである確率はどちらが高いか」。

 

連続性の虚偽
術語の曖昧性により常識的な認識とのズレが生じる誤謬。「砂山のパラドックス」、「テセウスの船」とも。「砂山から砂粒を一つ取り出しても、砂山のままである。さらにもう一粒取り出しても砂山である。したがって砂山からいくら砂粒を取り出しても砂山は砂山である」。

 

多重質問の誤謬
質問の前提に証明されていない事柄が含まれており、「はい」と答えても「いいえ」と答えてもその前提を認めたことになるという質問形式。「君はまだ天動説を信じてるのかね?」という質問は、「はい」でも「いいえ」でも「過去に天動説を信じていた」という暗黙の前提を認めたことになる。

なのだけれども

理性こそが真理を支える物であり感情とか感性によってではないとゆうのが形而上学の立場であったはずだ

「目立たない真理の尊重~厳密な方法で見出された小さい目立たない真理を形而上学的・芸術的な時代や人間に由来するようなたのしげなまばゆい誤謬よりも高く評価するとゆうことは それこそが友達登録の目印である さしあたりぼくは前者のような真理に対してこんな所には同権のものなど存在しているはずがないとでもゆうように唇に嘲笑を浮かべる それほどこの真理はつつましく 素朴で ひややかで それどころかちょっと見るとがっかりさせるぐわいに立っているし あの誤謬はうるわしく はでやかに 酔わせるように それどころかおそらくはうっとりさせるような具合に立っている しかし苦労して獲得したもの・確実なもの・永続するもの それ故にこれから先のどのような公開投稿のためにもなお効果の多いものが 実際いっそう高いものであり それに味方することこそ好ましいことであり 勇気・率直・節制を示している ぼくがついに堅実な永続的な認識をもっと高く評価することによって 真理の霊感や奇蹟的伝達へのあらゆる信仰を得ることができれば

 ぼくは それでいいのだ」

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