
Kalcha's Papier colle avec le texte

草枕考
惑星直列が近づいている
関東大震災を京都に逃れてある出会いをしたとゆうのは
長谷川泰子 相手は 中原中也
ひでちゃんのTLでフライパンの記事から思い出して 映画『ゆきてかへらぬ』を観てきた 出てこない人物もあるが 小林秀雄との三角関係は実話 中原も小林も酒乱
すずはグレタガルボかねぇ^ ^
新シリーズ 『魔性の女』 予告
山口県湯田(温泉)はぼくの大学時代の親友の実家があって何度か訪れたことがある
おい省三 どっかにジャズ喫茶ないか
ウチの裏にあるで はぁ
それがポルシェだった
近くに中原中也記念館もあった
予告2
島根県松江市にぼくの大学時代の親友の実家があって何度か訪れたことがある
おい人見 どっかにロック喫茶ないか
ああ 友達の兄貴がやってるところがある
それがマッチングモウルだった
ジャズ喫茶ウェザーリポートはもうなかった
数年前 隠岐島に行きたいと思って 人見の案内でぼくはフェリーに乗った 隠岐島にはかつてのミク友の ののちゃんが住んでいたからだ フェリーでテープの別れをしたかったのだ
もうひとつ 松江市の隣の出雲には是非行ってみたい浜と神社があるがそれはまたのことにしよう
予告3
尼崎の園田に僕の大学時代の親友の実家があって何度か訪れたことがある
おい志築 このスピーカー何じゃ
パラゴンや
知人でこれを持ってた奴を他には知らない 卒業後に彼はパラゴンを売ってエベレストを買っていて 今ではさらに足の踏み場もないオーディオの魔窟になっている ちなみにパラゴンは松江のウェザーリポートの他に京都のビッグビートや和歌山のブルーノートにあった 数年前に愛媛の松山市のエピタフで久しぶりに現物を見た 国内で三十軒ほどあるようだ
でこの 志築G 人見B 省三Gと ぼくDは学生時代に軽音でブルースバンドを結成した 練習はたった一回だけで あとはひたすら麻雀にあけくれたのであった
『魔性の女』
1
明け方 彼は誰刻 東雲に惑星たちは並び始めた
吾身に テフロン 剥がれなくば万事に文句無し
春の日は 春の逢魔刻は 塗炭に煎餅 まだ遠い
かの映画冒頭の 雨の下宿は京都の大将軍にある
大将軍はだいしょうぐんではなくたいしょうぐん
ところが 大将軍八神社はだいしょうぐんと読む
なぜここかとゆうと 立命館に近いことと
映画撮影所があった のち太秦に移転する
2
新種第二号
ネタに困るとディックをやるとゆうのはよくある 映画スクリーマーズもそうだったかも知れない 監督はエイリアンのダンオバノン 主演ピーターウェイラーは裸のランチやロボコップのシト 来日したときのTVインタビューで最初はぶっきらぼうだったがビートたけしの顔を見ているうちにどこかでお見かけしたと思ったらと突然立ち上がって握手を求めた メリクリミスタローレンスの映画を思い出したのである
ぼくの今朝方見た夢の方は 同じようなどんどん何かが何かに乗り移って攻めてくる話 もう少しで逃げられそうになった時 敵のリーダーが 内藤は何奴だ 一連のFacebookはみんな嘘っぱちだと叫んだ ぼくは立ち上がり このネタは発作的なものでも何ヶ月もかけてシトツの話に仕上げているミミクリなんだ 文句あるかと答えた すると別な集団が何かのデバイスを持ってきて これでビョーキは治りますと
●
昨夜は久しぶりに梶井基次郎から宇野千代とか読んでいて少し思い出したこと
子供の頃から京都には不思議な縁があった うちの隣の隣に住んでいたNさん夫婦にはとてもかわいがって貰っていた そのおじさんとおばさんが営んでいた古物商をたたんで京都に引っ越したのがぼくが小学校の頃だった Nさんの京都のお住まいは金閣寺のすぐ南の衣笠校とゆうところで夏休みには大文字焼きを見に泊まりに行った 翌日が登校日で休むしかなかったけれど其れが楽しみでたぶん毎年遊びに行った 草むす庵のようなお家だった 二階はなかったがきっと李さん一家が住んでいるのではとゆうような家だった 中学の時は京都に行く理由がもうひとつあった それは親戚にたまたま紹介して貰ったHさんとゆう彼女がいたからである 当時ぼくは柄にもなく文通とゆうものをしていた 北区のD寺とゆう有名なお寺の檀家の娘さんだった 紹介してくれた親戚は教師だが僧侶でもあったのでその関係だったと思う 実家にお邪魔するとおばあちゃんが小さな壺を大事そうに出してきてそこに入っている甘納豆をぼくに食べさせてくれた 彼女は地元のM高校に進みそこのSF同好会の会誌を送ってくれたりもした その後ぼくは一方的に音信不通としてしまい 一度だけどうしているのかというお手紙を貰ったのだが返事は出さなかった その頃もまだ京都にはたまにぶらりと出かけたりしたが連絡することはなかった ぼくが必ず行ったのは丸善だった 檸檬の手榴弾を置くわけではなかったがランドマクナリの月面地図や洋書などを買ったりしていた そこからまた寺町筋を散歩して三月書房とゆう古本屋でSFマガジンのバックナンバーなどを物色するのが常だった 本能寺でごろ寝していると「本堂では正座するように」とマイクでおこらえたりした 同級生の親友D君とふたりで河原町のポパイとゆうロック喫茶で朝までたむろしたこともあったが たいてい独りで出かけていた 大学時代には大阪と京都のまんなかあたりに下宿していたから大阪へ出るよりはやはり京都が多かった ポケットに五百円くらいしか無くて それでも行き帰りの京阪の電車賃とコォヒ一杯くらいは飲めるので日曜はたいてい行った ジャズ喫茶を片っ端から廻った ザボでは前衛ジャズしかかけないが「ジャズフォーサンデイアフタヌーン」をリクエストしたら「めづらしいのがかかるわね」と店員さんが笑ってた その店員さんはひょっとするとミク友のαさんだったのかも知れない 金がないときは植物園くらいまでブラブラ歩いて帰ってきた 京都には同級生の女子も何人か下宿していた 医学生だったIさんには木屋町の「地獄の季節」とゆうバーに連れていって貰ったことがある その晩は彼女のマンションに泊めて貰ったが朝までぼくは少女マンガをひたすら読んでいて彼女とはシていない いまは某映画監督O氏の奥さんである そうして大学を出た頃に文通していたHさんが亡くなったと聞いた 無理心中だったとゆう
ところでぼくにはこどものころからしょっちゅう見る悪夢がひとつある 極めて抽象的で説明しようがないが周りの音がどんどん大きくなってくるとゆうようなものである ゆわばシトツの強迫観念である そしてぼくは夢の中で空が飛べるのだ ただ飛べるとゆってもこれがほんの50センチくらいなのだ 腹筋で足をそらすとすーっと宙をすべっていけるのである 音楽を聴く夢は情緒的な調和だがこれは確かに乱れている 空を飛ぶ夢はフロイト流では性的な気分の高揚と解釈される しかしぼくのバワイは結局もっとちゃちなものなのだろう これが非常に怖いのだ 毎日少しづつ空から落ちていくとゆう夢の話を読んだことがある 筒井だったか どんどん落ちていってもう少しで地面にぶつかるくらいになる その恐怖は毎日続き最後はベッドから落ちて主人公は死ぬとゆうラストだった と思うのだがそうゆう本を読んだとゆうのも夢だったのかも知れない
3
あのキャスチングには不満のあるシトもあるだろう バニラ見ているウチのナニも 木戸はまーいいけど 岡田はどうか 広瀬は出すぎじゃ とゆうたはります
中也は父が軍医でしつけは厳格 神童と呼ばれた少年時代から 文学に傾倒して成績は落ち不良少年になる しかし意外と艶聞は少ない 背は低いがランボォを気取った風体はそのもの ぼくも詩を書くことがあるが たいていは恥ずかしいのでわざとややこしい表現かミミクリでごまかす
小林は伝記が少ない 酒乱で岡田のような優男ではない無私のシト 彼もランボォ 晩年は保守系文化人の代表だが 日本の文芸評論は彼が確立したようなもんでその業績は素晴らしい なして最後が本居宣長かは読んでみないとわからない 無私としての自己 大岡昇平の家庭教師をした
長谷川は当時では大柄 とにかく無邪気なシト だから広瀬よりは誰だろう 潔癖症で大柄とゆうと柏木由紀じゃねぇ 菜々緒ではハイカラすぎる 長澤 新垣 浜辺 石原 小松 北川でもない 松葉屋のいねさんはどうか 個人的な好みでゆうと もう歳だけど夏川結衣か松本若菜だな
まー大正ロマンの流れはあるのであーゆうかっこすれば誰でもなれる わけでもない 魔性の女の定義はまたそのうちに
ぼくは誰の役をやりたいかとゆうと 前半にちょっと出てくる富永太郎 彼はランボォよりボードレールを翻訳しているからだ 小林が地獄の季節を翻訳したのはそれを羨んでのことである 肺結核により24才の生涯を虚無と闘い夢の中に失格した 彼の恋慕の対象は「立ち去ったマリア」
4
それほど中原中也に詳しくはないので勉強中 まだ本題ではない ランボーやヴェルレーヌは前に取り上げた事がある マラルメとロートレアモンもやった コルビエールはまだだ
中原中也と小林秀雄はランボーとヴェルレーヌか ヴェルレーヌ→ランボーであってその逆ではない 中也はもともとヴェルレーヌに影響を受けているが人物はランボーである
そのランボーをランボォと綴ったのは小林か中也かそれとも富永か 中也は富永の夭逝に際してボォドレールと書いている ボォドレェルでもないのだ このあと20歳の時にアテネフランセにも通った中也はフランス語をどう見ていたのだろうか フランス語の母音についてランボォが書いた「Aは黒、Eは白、Iが赤で、Uが緑の、Oは青?」などはどう読めば良いのだ
5
センセ いよいよ惑星直列ですが 原稿はどうなっちょりますか
ナニ? わしはいつから文士になったのかね あの映画の時点では先生に相当する人物は居ないぞ てこた誰だろう マいっか ロケとゆうか取材に行きたいんだが ちょつとまだ間があるので おまいがテキトーに繋いでおきたまへ
はぁ えーと こないだゆうておられた「魔性の女」の定義とかどうでせう 一般に男を狂わす性悪みたいなイメェジですが 小悪魔とゆうよりファムファタルですよね 直訳すれば「運命のしと」 大正ロマンだと竹久になるので 西洋とかのデカダン見るとS系かM系かに別れます 代表的なのは
サロメのような 男を犠牲にする女
オフィーリアのような 男の犠牲になる女
てとこでしょうか センセ
『魔性の女』 補足
覚え書き
シャルル・ボードレール 1821-1867
ポール・ヴェルレーヌ 1844-1896
アルチュール・ランボー 1854-1891
小林秀雄 1902-1983
長谷川泰子 1904-1993
中原中也 1907-1937
大岡昇平 1909-1988
富永太郎 1901-1925
坂口安吾 1906-1955
太宰治 1909-1948
妻 津島未知子
太田静子 山崎富栄 田部シメ子 石井桃子
前妻 小山初代
森鴎外 1862-1922 渡独1884
夏目漱石 1867-1916 渡英1900
永井荷風 1879-1959 渡仏1908
谷崎潤一郎 1886-1965
横光利一 1898-1947 渡欧1936
川端康成 1899-1972
『魔性の女』第二部
1 大いなる女装
センセ このタイトルはツツイでスカー
単なる思いつきで フカい意味はない
サロメの勉強をしていたところですけど ちょっと脱線してこっち行ってみましょか えーと歴史的にはヤマトタケルとか
そこまで遡らんでもえいんとちゃうけ
江戸時代だと 吉原は女装じゃないけど陰間茶屋はちょっと違うし歌舞伎の女形はどうでしょう
歌舞伎では弁天小僧菊之助の女装 世界的に見てもそうゆう女装劇とゆうものはほとんどない 京劇にすこしあるくらいで 日本独特のものか 軍記物で女装逃亡がある あと八犬伝の犬塚信乃とか 義経も五条大橋で女装していた
今時ゃフツーですけど 丸山明宏はすごいですよ 以下カルーセルやピーターなどの比ではないですね 三島が「禁色」のルドンのモデルにした銀座のブラスウィックで立ちボーイしていたとゆうね
好事家のしつき君にベティのマヨネーズへ連れて貰ったような気がする 有名なところで 富貴クラブ プティシャトー やなぎ ふき 青江 黒鳥の湖 金魚 ピーブル ジョイ あべちゃん ラキラキ(※六本木? 大学時代に行ったことある「春だ。桜だ。金☆だ。」) 狸御殿 アルカザル エルドマン なるしす 等々いっぱいあるなこりゃ 地元だと 狸穴 あと流れちゃんに連れて貰ったザッパバーの近くの店はなんだっけ もうない
2
女装はゲイだからとは限らない 女装は衣類や装飾品によるジェンダー表現である 仕草や言葉もある
理由は様々で古代ギリシャや古代ローマからある 宗教的文化的に賛否がある 霊的にシャーマニズムがある(女性は憑依しやすい)
さて 次の文豪たちはイケメンと評されているが
女装趣味があったのは誰でせう
芥川龍之介
夏目漱石
太宰治
中原中也
三島由紀夫
萩原朔太郎
尾崎紅葉
森鴎外
井伏鱒二
志賀直哉
3
センセは女装したことあるんでスカー
あるよ 髭剃ってバスガイドやった
あーあれね でわ昨日の宿題ですけど
>女装趣味があったのは誰でせう
芥川龍之介
夏目漱石
太宰治
中原中也
三島由紀夫
萩原朔太郎
尾崎紅葉
森鴎外
井伏鱒二
志賀直哉
この最初の5人はイケメン文豪トップ5だ それ以外も含めて彼らの性癖を見てみよう
芥川龍之介は 女装を扱った短編があるが恋愛小説は意外とない 女装趣味はなく女性では苦労している 秀しげ子の性悪にまとわりつかれ 片山ひろ子は堀辰雄に取られ 根津松子は谷崎になびき 秘書の平松麻素子と心中しようとした 谷崎は芥川が自分の女性経験を私小説にはしないと悼んだ
で 正解をゆうと 意外や 夏目漱石である 彼は妻以外とはセックスせず娼婦も買ったことはない(らしい) 以前の特集では恋人は誰だったか色んな説を紹介したが 恋愛小説のようなものはあっても情痴ものはないのである そこで草枕に出てくる那美はつまりオフェリアだったとゆうことだ
でわ彼はなぜ女装をしたかとゆうと ゲイでもないので鏡子夫人の手記にもあったように
面白がってやっていただけなのだった
4
漱石の女装は結局趣味ではなかったが 書画骨董など 趣味として集めている中でひとつ面白いものがある 鼻毛の蒐集である 創作のアイデアに詰まると鼻毛を抜いて原稿用紙に擦りつける癖があったのだ 猫であるの苦沙味先生も同じ 内田百閒は鼻毛のこびりついた書き損じ原稿を貰って大事にしていたとゆう 吉良吉影が爪を集めるようなものだろう
漱石は身長コンプレックスがあってイギリスでは引きこもっていた 慣れない土地での生活はストレスであった 酒は飲まないが極端な甘党で ジャムを一ヶ月に八瓶も舐めまくり 結果 糖尿病である 持病の胃潰瘍もそれと関係ある 餅菓子を食べ過ぎて草餅のような青いウンコをしたとゆう 伊豆で死にかけた時に幽体離脱を経験してオカルトになった
漱石に浮いた話はなかった 皆があれこれ想像するようにである 井上眼科で見た女性の影は 大塚楠緒子(35)であり 樋口一葉(24)であり 平塚らいてう(85)であり 磯田多佳(66)であり その全ては兄嫁・登世(24)のTVA変異体であった ※(数字)は没年 だが実際にその誰ともシていないのだ
漱石の作品が教科書によく載るのはえっちな話しが少ないからだろう そもそもまぢめな文豪とゆうのはいないか いても面白くないものだ たいてい飲む打つ買うか 性格や人生が破綻しているか SMか 同性愛者か 漱石はこのどれでもない 無意識の偽善を考えていた 芸術至上主義のうちの手すさびに那美を想った だから自分が女装するのである
黒髪の 結ぼれたる思いには
溶けて寝た夜の枕とて ひとり寝る夜の仇枕
5
漱石の作品の中で『草枕』(明治39年)はシトツの特異点である 本人もこの小説はプロットとゆうものがない 天地開闢以来、類のない小説だと説明した 確かに猫と坊っちゃんに平行する作品とは思えない 朝日新聞社にオファーされるきっかけにもなった 作品の元ネタはその十年ほど前に遡る
明治30年 熊本での新婚最初のお正月のこと 年始の来客が想像以上に多く料理が間に合わず 早速夫婦喧嘩となる これに懲りた漱石は翌年の正月はどこかに出かけることにした それが近場の小天温泉 そこで彼はとても印象深い体験をする 英国留学後もその話しを書こうとずっと温めていた
魔性の、女 補足
夏目漱石賞とゆうのは二回だけあった
日本の文学賞で 最も権威のあるのは
芥川賞と直木賞 選考対象が少し違う
芥川賞は雑誌掲載による純文学 文藝春秋
直木賞は単行本エンタメ系対象 オール讀物
もとはどちらも新人賞であった
前者の系列では 谷崎潤一郎賞 三島由紀夫賞 川端康成文学賞 渡辺淳一文学賞などがある
漱石の木曜会である芥川龍之介は谷崎潤一郎を尊敬していた その芥川を好き過ぎて亡くなったあとは井伏鱒二に師事した太宰治はこの賞が欲しくて選考委員の佐藤に阿るが川端に落とされ恨みを持つ 刺すと息まいた
一方 ツツイは三度も直木賞を落ちたことにより 『大いなる助走』とゆう文壇テロを書いた 恐らく誰にも真似のできないことである 漱石は苦笑 鴎外なら善哉と 肝心の直木三十五はとゆうと 芸者遊びに余念がなくそんなことはどうでも良かった 直木が坂本睦子の処女を奪ったので坂口と中原も奪い合い小林は求婚し文藝春秋社社長の菊池が庇護した ツツイに感心した大岡が最後に面倒を見るが彼女の自殺を嘆き「花影」を書く さらにそれも違うと久世は「女神」を
門下生たちがそのような世界を築いていくことになるとは知らず 漱石は温泉宿に逗留していた
水彩画に目覚め また油絵や南画も描くが その中に わが墓 とゆう絵がある イニシャルは
ぼくと同じ ※Kは漱石の本名 金之助
KN
この場所は小天温泉から雲仙を望む峠である
以下次週
今日はちょっと取材にいてくる
『魔性の女』第三部 十年の恋 予告
明治39年 KNつまり夏目金之助は「吾輩は猫である」のあと「草枕」をわずか二週間程で脱稿した つまりアイデアは予めあったのである 十年前に
ところが そこには奇妙な暗合があった
『魔性の女』第三部 十年の恋 1
夏目金之助は帝国大学(後の東大)英文科卒業である 同期で盟友は正岡子規 その他同期に南方熊楠や中村是好がいる 三つ下には土井晩翠など
その日 彼は大学の同門会に呼ばれていた 自分の息子より若い連中と話をするのは楽しいと感じていた
以前この会に来た時面白い学生がいてね 余がインドへ行った話をしたら 僕も行きましたとゆうんだ これがなかなかの論客で あいつはどうなった
それは私ですよ センセのことは覚えています OBライブも観ました
隣に座って酒を注ぎに来たのは 今年大学院を卒業する堀とゆう男だった
これは奇遇だ 堀辰雄とゆえば龍之介くんの弟子で 余にとっては孫弟子か あれは何年前のことだったんだろう
この会は幹部交代・卒業生追い出しコンパですからだいたい3月に開かれます OBライブは5月 確かセンセがインドから帰ってきたばかりで その翌年つまり10年前でしょうか でもそれだと私はまだ入学したばかりになります その話はもっとあとですね
彼としばしインド哲学と咬合理論で盛り上がる
しかし そこに記憶のずれがあるな ライブで世話になったMくんと飲みに行ったのはその頃のはずなんだが
わかりましたセンセ ライブが11年前でインドから帰った直後の5月 その月末に新歓コンパがあったんです M先生も同席されていたのでしょう ただし10年前の一件とは翌年の2/14 です だから先月その表示が出たわけですよ
2
タイムラインを遡りながらこう考えた 「十角六角三角七角八角九角」と書いて「とかく無学を磨くには長く夜学で苦学せよ」と読む 福沢諭吉の言葉とゆわれているがそうではない 後の世に「して見ると四角な世界から常識と名のつく一角を磨滅して三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう」としたのは余である さらに後の世に余の『夢十夜』第八夜をこう書き直した同じイニシャルの輩も居る
>
四角な部屋である 二角な部屋とゆうものはない 三角なら とかく無学を磨くしかない ちょきちょき でわ二角があったとしよう それはどんな形をしているのだろうか この数は「二」と呼ばれる とゆうように仮想の読者が夢を見ている もともとの直示定義でも もしそれが例えば「二」とゆう語を正しく用いるように読者を導くならばだ それは真であって理となる ところが「二」とゆう語を正しく用いない可能性は残るのだ なぜならばその種類を表す表現そのものが再び誤解されるかもしれないからである そしてその異論は懐疑的問題となって 二年が過ぎた 三はニを知っているが二は三を知らなかった これを繰り返してゆくと そこでなぞなぞは振り出しに戻れると思うか
"The Three-Cornered World"とは『草枕』の英訳のタイトルだ 余はこの作品の英訳を断ったのだがね そうゆう事を考えていると 詩が生まれて画ができる とゆうことだ 今回の同門会で その一角である記憶のピィスが埋まった それはなぜか抜け落ちていたのだ 大きな失念である それを築城しよう
3
小天温泉への小旅行の色んなダンドリを手伝ってくれたのは漱石の友人山川真二郎である 今回はMくんに案内を頼もう そして余は旅の画工になるのだ
あのときのライブではテクノを取り上げたが後のライブではプログレをやることになった それは太陽と旋律 シェレーの雲雀の詩である 雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない 魂全体が鳴くのだ その雲雀の詩は魂で歌うとすれば その舌はどんどん登っていって雲の中でゼリー寄せになり 身体は死んでも詩だけが残る 詩人に憂いはつきものか 雲雀の舌を探す旅へと
それは俗念を放棄する 苦しんだり怒ったり騒いだり泣いたりとゆうものを音楽や絵画や小説でまたやるのではないとゆうことだ 西洋の詩のように人事を根本にすると愛とか正義とか自由とかにかまけるのでもうちょっとハスに構えようとゆうことだ 人情を離れた芝居はなく理非を絶した小説はないから酔狂として不人情ではなく非人情とゆう天地に逍遥することなのだ
そうゆうことがはたしてできるか
Mくん あの日何があったのかね
4
峠の茶屋:2015.2/14
山川益二郎が先に来て 金之助を待っていた
お呼び立てして申し訳ないです センセ
ムーディーブルースにクリプテックスをかけるかミーバを使って過去を呼び寄せてみれば良かったのですが 今日はセンセをゼシお連れしたいところがありまして
実は事前に確かめた所では それはやはりライブの翌年のことであった 打ち上げならまだしも その日に何も用事はなかった 記憶のピィスの欠損はもう一つあったのだろうかと思っていたがそうではなかったヨーダ
『草枕』の冒頭は誰でも知っているあの文句 智に働けば角が立つ…… とかくに人の世は住みにくい である 問題はこのあと
「人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい」「どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る」というふうになる。さらに「住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、難有い世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるいは音楽と彫刻である」と続く。 (※難有いとは有難いを逆にした言葉 読みは同じ)
植草甚一の本で読んだのですけど ファイブコーナードスクェアとゆうゆい方があります スクェアはまぢめの意味なのでその上をいく堅物とゆう奴ですね でもセンセのレベルは一角を差し引いてちょいと出ました三角野郎とゆうことでしょう それは小ネタのゲージツ論ですか
いや 鈴木三重公くんにもゆうたんだが「ただ綺麗に美しく暮らす 即ち詩人的に暮らすといふ事は生活の意義の何分の一かは知らぬが やはり極めて僅少な部分かと思ふ 草枕の様な主人公でないけない」とゆうことだ
それで君の話とは何かね 余にメリットはあるのか
センセにはかないませんね 事実は小説よりも奇なりって
それはバイロンぢゃ
5
そろそろ参りましょうか センセ
どうもこの話は意外と奥が深いな そこに何があるのか
孤村の温泉 春宵の花影 月前の低誦 朧夜の姿とでも
あのね益二郎くん 余は固より詩人を職業にしていないのよ 王維や淵明の境界に精通しているわけでもね ファウストやハムレットよりは有難いが 今回は不如帰や金色夜叉の話ではないからな
海棠の露をふるふやもの狂ひ
海棠の露をふろひり朝がらす
海棠の露をはらほろひれはれる
はいはい 早く長良の乙女に会いに行きましょう
おそらく お待ちかねですよ
露をだにいとふ難波の風媒花
ふるあめりかに筆も濡らさじ
6
後進たちのもめ事を不人情と咎めるつもりはない 誰が悪いとゆうものではない この世のどこにも持っている柵(しがらみ)だからだ
漱石の門下生である木曜会には蒼々たるメンバーが集まっていた 小宮 鈴木 森田 安倍の四天王を初めとして 岩波 内田 寺田 そして和辻 久米 松岡 さらに芥川らである もめ事もたくさんあって森田と平塚 久米と松岡 木曜会ではないが三島と太宰 太宰と川端 太宰と小林 そして谷崎と佐藤
谷崎は漱石を慕っていた 歳は漱石よりも二十才は下である しかし彼は「新思潮」で同胞である和辻のように漱石に近づかなかった これはなぜかとゆうと 漱石は古い時代の道徳観だと思っていたからである その眞・善・美の追求に対してお行儀の悪い反発であった 女の洟をかんだハンカチをしゃぶるような小説を漱石が認めるわけはないとゆうことだ 鴎外はストレートにきちゃないと批判している 芥川とは激論を重ねたが仲は悪くなかった その芥川も自分の彼女のンコを食べる小説を書いている
谷崎がヒロインの名前をナオミにしたのは「草枕」のヒロインである那美とは関係ない ナオミのモデルは妻・千代の妹・せい子である 那美のモデルは平塚(らいてう)ともゆわれるが 通説は熊本藩の剣豪前田案山子の次女・前田卓である では那美とはどんな人物だったのだろうか
・
峠の茶屋を出て 雨の御堂筋を歩いた金之助と益二郎の二人が目的のバー「ソワレ」に着いたのは八時頃だった
柵はごめんですよ ぼくは不人情じゃない センセのゆう非人情な奴ですから
益二郎はそう言いながら奥のボックスに誘った
さほど大きくないバーだが既に客はいっぱいだ
やや年齢層は高く彼の話では画壇バーだと言う
いらっしゃい まぁ何の難しいお話しかしら
二人の席にやってきたのはママの奈緒美だった
山中の湖の水瀬から浮かび上がってきた青い龍
抜けるようなその着物姿に金之助はそう思った
7
益二郎さん こちらはどなたですの
大先輩です ちょっと変態ですけど
変態とはなんだ 余はゲージツ家だ
さすが益二郎さんの先輩変わってる
なにをなさっているお方なのかしら
画工です ここは文壇バーじゃなく
画壇バーとお聞きしましたのですが
ええ 絵描きさんがたくさん来ます
お偉いさんからかけ出しの若者まで
ママと益二郎くんとはお知り合いか
ひょっとすると<いいひと>とか?
違いますよ
違いますわ
この店はまだできたばかりですけど その前にあたしが働いていた京都木屋町のとあるカフェでの常連さんが益二郎さんなの カフェの名前はソワレ ウチの店はその名前を貰ったわけね
ソワレとはフランス語で夜会とゆう意味だから 喫茶よりはバーに向いている いや待て カフェ・ソワレとゆうとフランソアの近くの吉井くんの歌碑のあるお店かな 東郷君の絵もある
そうよ 青い光の中のカフェ 夜会
素敵な夜のスイーツはいかがかしら
出てきたのは五色のゼリーが青い光に輝くポンチ
余は羊羹の方が好みだが 是はいったい何かね
雲雀の舌のゼリー寄せ とゆえばわかりますか
たっはっは
これはまいったな ママはただものじゃないね
魔性の女 サプリメンタル1
センセ マエフリが長いわりには作為がえー加減やね
なんでやねん
センセ 結局薬局とかしょもないオチはやめてくさい
なんでやねん
センセ この道がーっと行ってどーんと突き当たって そこなぐるっとさんべんまわったら御堂筋や 全部ホコテンにするてたいがいにしてや
なんでやねん まーアメちゃんでもナめもて次いこけ
魔性の女 サプリメンタル2
センセ 画工なんですか 文士じゃなかったの
今回はマルチプレイで攻めてみようと思てんの
それより魔性の女の続きはどうするんでスカー
とりま次章に向けて資料を集めときましたです
画壇バーより文壇バーやカフェなら逸話も多い
評判の娘が入ると やたら押しかけて取り合い
銀座のルパンは前に行かれたようですから次は
ウィンゾア エスポワール おそめ 風紋 姫
神田ランボオ 新宿チトセ 銀座クラクラなど
三島や太宰と坂口 そして東郷青児に岡本太郎
その東郷青児は二科会のドン そしてファンだ
ぼくの母が銀賞を取ったときにどうも口説かれたらしい バーのママであったからかも知れない うちの実家は地元では草分けのバーなのだ ある意味で画壇バーである 父と離婚後その自立のために東京に出てクラブで修行している 絵の方は実に出品二回目にしてのスピード受賞だったので 先輩のおばちゃん達に田舎もんのくせにコノヤローとたいがいいびられた あなた洋行なさったことあるの?とか ところが画家の泉茂(1970年に大阪芸大美術教授)が親戚とわかって態度一変やっと認めてもらったとゆう とにかく画壇でも文壇でもめんどくさい世界である
以下次週
またこんな夢を見た
そこは天満橋の学舎であるが今日はうちの診療所になっている 昼休みに身障センターへ行こうと出かけた 何かの機械の設置の件でモリタ所長と打ち合わせ ところがスタッフ達が目の前で着替え始める 半裸 あわてて飛び出て帰ろうとするがいつものように車をどこに停めたかわからない そうか今日はチャリで来たのだ スマートキーを持っているから大丈夫 そんなに遠くはない だが道はわからず携帯のマップも訳の分からない正距方位図法を表示している 大通りはどこだ 確か地下鉄の駅が近くにあるはず そばにいた子供に天満橋駅を聞くと すぐ近くを指差した そしてますます見慣れない店に入っていく 午後の診察に間に合わなくなるではないか 売り子の女は外人だったので英語でまた道を聞くとそこの階段に看板が
↓ SUBWAY ↓
ああ ここを降りればさらに迷宮に入ることはわかっているぞ
やっと目が覚めたとき そこはまだ夢の中だった
魔 性 の 女 の
魔性の女 サプリメンタル3
もしも母が東郷青児のお手つきになっていたら それはそれで面白い話だ 東郷は竹久夢二の妻と懇ろになって刃傷沙汰を起こしているし 宇野千代との同棲は私小説になっている 心中未遂や艶話は枚挙にいとまがない 岡本太郎と二人で日活に出演した元祖イケメン艶福家 娘のたまみはジャズ歌手 朝丘雪路 水谷良重と組んで 七光り三人娘でステージに立った もちろん画家でもあり二科会金賞を受賞している
ところで
益二郎くん 君に世話になったリハのときの話だが
あのときも 飲みに行ったのではなかったかしらね
もういちど クラブにでも連れていってくれないか
ちょっとまた空耳を作ってみたんだ 聞いてくれる
Study 01
出逢いの場所はホテルのロビー
There I know the place to be
目と目があってあいさつはなく
meet me an' go wit no greetings
夜は始まりそれが45分前
you'll hav da night to 45 mins
会話の為に名前を聞いて
call up to hav yr name
指が動いてそれが35分前
you'll be moved to 35 mins
それからよりそい二人で恋をし
soul comes in two of us
長い廊下転がされて
now got long and winding road
迷い込んだホテルラウンジバー
maze into da hotel lounge bar
二人で飲んだトロピカルシャワー
who knows dat tropical shower
めまいのようにはじけてとんだ
memories would fell in hour
歌も聞こえてそれが25分前
you turned 'em to 25 mins
笑った後はけだるい気分
fallin out kept in dull mood
眠りませんか?ぼくの部屋でも
nameless dream ? in my room
夢に向かったそれが15分前
you may come to 15 mins
二人で手をとりダンスをしながら
who told wit dance ex wife
出て行くのを見送るのは
let 'em go thru da place
誰もいないホテルラウンジショウ
dare to say hotel lounge show
部屋に入ればそれがちょうど5分前
hair veils 'bout soul to 5 mins
ドレスを脱いで抱き合うときに
def tech to become one
背中の指が静かにはねた
say now my fings splash
それがちょうど それがちょうど 今
sorry my choose sorry my choose, now
背中まで45分 背中まで45分
sensual back to 45 mins, sensuality to 45 mins
背中まで45分 背中まで45分
sensual back to 45 mins, sensuality to 45 mins
『魔性の女』 第四部 余りに文芸的な小ネタ 1
センセ クラブに行きたいとはダンスホールですか
まーぼくも口上やってますからお連れできますけど
今度ママも一緒に三人でふいばーしに行きますかね
その前にちょっと下世話な話をシトツいいでスカー
何かね 益二郎くん
東郷青児はいったんおいといて センセとはすれ違っていた谷崎さんのことなんですが 後輩の中上くんがその作品をつかまえて物語の豚と揶揄していたように 業界では大谷崎と呼ばれる超越的にうんぞりかえるところがありまして あるとき新潮のOB会で芥川さんが「話の筋というものが芸術的なものかどうか非常に疑問だ 筋の面白さが作品そのものの芸術的価値を強めるということはない」と谷崎さんに噛みついたんです したら今度は谷崎さんは「筋の面白さを除外するのは小説という形式がもつ特権を捨ててしまふことである」と斬り返して 互いに譲らず激論になりました で途中で芥川さんが亡くなって結論は出てません
知っているよ その数年後の話もね
二人の話をママは黙って聞いていた
2
谷崎さんは源氏物語を訳して光源氏は嘘つきで女たらしだとか仰っているけど自分はどうなん
この時代に源氏物語を嗜んでいる女性は九鬼波津子くらいと思っていたがママもインテリだな
そりゃまー画壇・文壇バーのママですから愛読書は美術書や文学全集でしょう さて谷崎さんは生粋のスキャンダルメーカーです 最初の妻・千代子は芸者でした でも本当に惚れていたのは姉のお初でした フラれてます それで妹をあてがわれるのですが これが古風な女性であっちの方が面白くなく そのまた妹の自由奔放なせい子に岡惚れします そのときせい子は十四歳ですから淫行です 痴人の愛のモデル・ナオミですね さらに谷崎さんの妻がDVにあうのを見ていた後輩の佐藤春夫さんが同情から愛情になり懇ろになった そこで世間もびっくりの谷崎細君譲渡事件が起こります これがまた記者会見じゃないですが三人の声明文みたいなものでした 千代子を譲ったのはせい子がいたからです ところがそのせい子にも おいちゃんなにゆうてんのとフラれたため やっぱ嫁さん返してってなって 佐藤さんが激怒したのが小田原事件です そら怒るわな 譲渡事件の方はもうひとりの男が関係しています※蓼食ふ蟲・参照 谷崎さんはその後もモダンガールの婦人記者・古川丁未子と再婚 さらに細雪のモデル・松子と三回目の結婚しますが これはそもそも不倫 あげくのはてには松子の前夫との長男の嫁・千萬子にまで言い寄るとゆう もうわやくちゃですね
実際にこれで世間の批判を浴びたのは谷崎くんではなく千代子の方だった 時代だとは片付けられないぞ 芸者と娼婦は違うが 芸者や娼婦と結婚した文豪は多いのだ 泉鏡花や坪内逍遙とかな 九鬼周造の二度目の妻は芸者で母の波津子もそうだ そもそも余の祖母は芸者で母も一時期芸者をしていたことがあるのだよ 永井荷風は独身だったが自分で娼館を経営してデバ亀をやっていた変態だ
文豪色を好む その中でOB会の派閥争いがあるわけで 困ったもんです 夏目一門の田端組である芥川さんは寧ろ真面目で 無頼派の太宰さん坂口さん 新感覚派の川端さん橫光さん そこへ佐藤さん谷崎さん永井さん さらに菊池さん直木さん とまーセンセと違ってなかなか藝達者な後輩たちですな
なんだと 余は純情一筋
あら そうですのセンセ
ねぇ あたしを口説いてー
ほら お月様もきれいよ
3
センセ 佐藤春夫は和歌山(新宮)出身ですね 実家は医者 永井荷風に憧れて堀口大学と共に慶應義塾へ 生田長江に師事 門弟は三千人とゆわれ 芥川賞の選考委員もやっています それで太宰と一悶着ありました 面白いのは大正5年の二科展第3回で東郷青児と共に入選しているんです
二科展は入選者が様々 岸田劉生や岡本太郎はともかく 石坂浩二や工藤静香もいるし八代亜紀に五月みどりとかな なんでもありとはゆわんが まーうちの母も会友だったから 初入選はいつだったか たぶん余が小学校の頃だろう 東郷青児が会長になったのは昭和36年だから 昭和40年くらいじゃないかな
この1965年は二科展五十周年 特別な年である 実母を初めて知り 引き取られてバーとゆう世界を知った頃だ そして母が購読していた小説新潮やオール読み物を盗み読みしていた その中には北原武夫の官能小説があったのだ 北原は東郷と別れたあとの宇野千代と結婚している こうゆうのを読んで余はヰタ・セクスアリスしたわけだな 特にその挿絵を描いていたのが美人画の高沢圭一 そらもう東郷とか見てるばわいじゃなかったのよ わっはっは
お母様は芸者でバーのママでおまけに画家ですって?
一度その絵を見せて欲しいわ センセも画くんでしょ
カウンターで骰子を転がしていたママが何かを思い出したように言った
4
承前
センセも画くんでしょ 一度その絵を見せて欲しいわ
ママが思い出した何かとは
漱石の「月が綺麗ですね」とゆう謎を掛けた言葉だった
「月は今きっと謎をかけているんだ」はラスコーリニコフ
んじゃ ま 特別に
左はバーを開いた頃の母の絵 二科入選はもっと抽象画
それと 右上と右中
高沢圭一「銀座の女」 東郷青児「夜会の女」
あとは 右下
余の作品である ”femme à la soirée”
東郷の絵は乾いているが 高沢の絵は濡れている
母の絵はどうであろうか 余のAAは絵ではない
二科会に興味はない それより母が購読していた美術手帖とみづゑ むしろこんだは昴発行所の焼畑文芸雑誌ネクタルの新人賞に応募しようと思ってる この雑誌は初めて袋とじを付録にした画期的なものなのだ
小説ネクタルって 通称「小ネタ」って雑誌ですね 小説ばるす新人賞の一件では賞に落ちた腹いせに選考委員を皆殺しにした作家がいましたが センセはナニすんの
龍之介くんは とにかく話らしい話がないとゆうんだ スタンダァルの垢と風呂 トルストイの健康と平和 ドストエフスキィの丸と罰 いづれもネタの謎かけである しかし佐藤くんのゆうように 小ネタでホイはねちゃっとした口語体による散文でもあるとゆうことさ 筋はあるようで筋はない 即興に つまりデッサンの無い絵は成り立たないのだろうか カンディンスキィを見なさい そこには素材があるのだ でわ下の絵の素材は誰だと思うか サロメかオフィーリアか
5
センセ
サロメをSオフィーリアをMと見てヨイnですか
んなことゆうてんのは谷崎Mくんかぇ 芥川くんとは仲が悪いわけじゃないし 論争の最中に佐藤くんも含めて夫婦で芝居観に行っとるやないかい 陰嚢を礼讚するとかちょっとビョーキが過ぎると思うよ
いや魔性の女のタイトルの話ですよ筋はともかく
あーね 草枕はプロットもなければ事件の発展もないとゆう談話を文章世界とゆう雑誌でやってもたんで 長いことこの作品はほったかされてたんよ 鈴木くんへの教訓で画工の主人公を否定した話とかさ
それはヒロイン那美への想いの照れ隠しでしょう
那美は魔性の女あるあるに該当する部分が多いな
つかみどころがない
夜中に廊下を行ったり来たり 風呂に突然入ってきたり 気ままなのに甘え上手 おキっちゃんと思われていたりするが意外と知的
あたし?とMが笑ふ
6
草枕 観海寺のモデルはどこかとゆうと 天草市本渡の明徳寺 熊本市松尾町の雲巌禅寺などであるが 特定の一つではないとも思われる その裏にある鏡が池もそうである 鏡池の名前は全国にいくつもある 京都に限っても岡崎別院や植物園内など ここでは少し名前が違うが 銀閣寺・錦鏡池 金閣寺・鏡湖池 竜安寺・鏡容池 などの中からどれかを訪れてみよう 金之助が行きたいとすればどこか そこに那美は居るだろうか
水をかいて、水の中の影をかいて、そうして、これが画だと人に見せたら驚ろくだろう。しかしただ驚ろかせるだけではつまらない。なるほど画になっていると驚かせなければつまらない。どう工夫をしたものだろうと、一心に池の面を見詰める。
「先生、わたくしの画をかいて下さいな」と那美さんが注文する
そうか そもそもなぜ那美とゆう名前なのかがやっとわかった
伊耶那美命
「それだ! それだ! それが出れば画になりますよ」と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。
春風にそら解け繻子の銘は何
魔性の女 サプリメンタル 4
その特徴ランキングをいくつか見ると
(主に女性からの意見)
1 計算高い
2 男性の前で態度が違う
これは違う 同性からの僻みだ あざとく媚を売っているのではなく天性の媚態があるからだ
3 人を巻き込む力がある
4 存在感がある
これは自然体として当然そうなる むろん悪魔的なものであれば多くはトラブルのもとになる
5 ミステリアスな雰囲気
これが一番やっかい つかみどころがない あまり不思議ちゃんになってしまうと 逆に引く
6 男性よりも一枚上手
それは男のテクニックが下手なだけである
7 容姿が美しい
当たり前 ブスはたいてい不精の女である
魔性の女 芸能界ランキングでは色々見てみると
葉月里緒奈 高岡早紀 田中みな美 沢尻エリカ
とゆうところがよく出てくる ここはシトツ
最近のランカーではないが田中裕子はどうでしょ
昨日のロームシアターはなかなか良かったらしい
とゆうことで 今日は今日とて 京都に来ている
『魔性の女』第五部 明月余情 予告
草枕とは 草を枕に旅寝をするの意味
久しぶりに京都に泊まってこう考えた
考えるのを考えないことにしよう と
そのために鏡池を探しに来たとはゆえ
金之助もネタ探しの訳ではないならば
池に坊ちゃん あちきは嫌でありんす
それよりもっとこう なんとゆうのか
センセは画工と戯作どっちが本分なん
そうだなぁ椿の花に沈むよりはだった
ちょっとお好み焼きでも食べに行くこ
あらセンセどっか美味しいとこあるの
道陀楼麻阿 お店の名は
かのこ と ゆうんだが
『魔性の女』 第五部 明月余情 1
木屋町に昔あったバー「地獄の季節」
その近くにあったグリル「萬亭」とか
懐かしいわ あたしレトロ好きだから
センセに教えてもらった「ソワレ」も
うん 今回のテーマはなかなか難しい
画工でいくか 戯作でいくか 悩む所
中華「豚珍軒」グリル「千両」「エイト」
割烹「竹安」「照代」喫茶「エトワール」
ラウンジ「プレイクラブ」「じてんしゃ」
バー「ガス灯」「白バラ」「狸穴」「卍」
ジャズ「ファンキー」「ブルーノート」
お好み焼き「味よし」おでん「四六十」
そして 串カツ「小安」バー「サチコ」
まだまだあったけども センセのゆう
お好み焼き「かのこ」も行ってみたい
そうだなぁ誰の心の中にもある場所だ
そうゆうものを形にするにはどうする
2
草枕が浮世の柵から逃れたいとゆう美小説だとしても センセは浮世絵を描いてらっしゃいますからね 魔性の女としては宝暦の色男は隅に置けないわ
今回 平沢常富=朋誠堂喜三二(尾美としのり)がやっとわかったが 最後でちょっと出た どうだろうまあ※道陀楼麻阿も彼の笑い噺のペンネームだ
既出の「一流万金談」朋誠堂喜三二作・北尾政演画の他には
「桃太郎後日噺」朋誠堂喜三二作・恋川春町画
「亀山人家妖」朋誠堂喜三二作・北尾重政画
「案内手本通人蔵」朋誠堂喜三二作・恋川春町画
「天道大福帳」朋誠堂喜三二作・北尾政美画
北尾重政(橋本淳)はその内に出てくる重要人物北尾政演=山東京伝(古川雄大)の師匠である 絵師はまだまだいっぱい居るので 配役が楽しみだね
センセは誰の役をやりたいのでしょう
そりゃ写楽だろう 前にもやっている
からまる少年はたぶん歌麿だからねえ
それで魔性の女の相手ができるかしら
ママのような一枚上手のお相手ならば
もっと粋な男衆である必要があります
粋って いったいどうゆうこと?
3
粋とゆうことばは日本固有のもの
女にもあるが 男のばわいが多い
いきでいなせな男 ってゆうわね
このいきといなせも微妙に違うが ツ九
江戸時代に生まれた美意識である 不十
西洋ではシックが近い 元は仏語
コケットは鶏の媚態から来ている
カルメンがハバネラを歌いながら
ドンジョゼに媚びる態度がコケットリーだ
大略 粋の第一の微表はやはり媚態なのだ
つまり 異性間の尋常ならざる交渉である
センセ それって 色っぽいとゆうこと?
それだけじゃない 第二の微表は意気地だ
江戸っ子の気概だ そしてこうもゆうのだ
野暮と化け物は箱根より東には住まねぇと
揚巻のような高名な花魁でさえ啖呵を切る
媚態を霊化したものと考えても良いだろう
傾城は金でかふものにあらず
意気地にかゆるものとこころへべし
太夫にかかっちゃ野暮なお大尽も形無しね
第三の微表は諦め これはどうゆうことか
執着を離脱した無関心つまり垢抜けである
煩悩の体験 懐疑的な帰趨 厭世的な結論
若い芸者よりは年増に多いのはこれが理由
恋の束縛に超越した自由なる浮気心かしら
欧羅巴女性が到達しえない愛嬌が媚態だね
4
センセ
粋が意気地なら なぜ諦めなん?
それは民族的歴史的なものである 言帝
九鬼周造は こうゆうてはります
媚態と「諦め」との結合は、自由への帰依が運命によって強要され、可能性の措定が必然性によって規定されたことを意味している。
あのー よけわかりませんけど?
「月の漏るより闇がよい」
「粋な浮世を恋ゆえに野暮にくらすも心から」
「粋と云はれて浮いた同士 つひ岡惚の浮気から」
「蓮の浮気は一寸惚ぼれ」
「野暮な事ぢやが比翼紋、離れぬ中」
「意気なお方につり合ぬ、野暮なやの字の屋敷者」
粋(いき)の対義語は野暮である
関係する構成要素は 上品 派手 渋味
派手と渋味はちゃうんとちゃう?
上品に対しては下品 派手に対しては地味
しかし渋味については判然たる対立はない
例えば 渋味ー甘味
酸いも甘いもかみわけた とゆうように
いき すなわち 粋の味は酸いのである
和歌山弁では いきな はスイなとゆう
「さび」
O 上品 地味のつくる三角形と P 意気 渋味のつくる三角形とを両端面に有する三角
侘び寂びは慎ましいビンボーから生まれ こうゆうものが見えるようになると残りの頁は少ない
「雅」
上品と地味と渋味との作る三角形を底面とし Oを頂点とする四面体のうちに求むべきもの
風流または風雅である 古くは百人一首あたりに始まる 奈良や京都で取れる気高い作物のこと
「味」
甘味と意気と渋味とのつくる三角
こりゃまた味な真似を つわれてもクチゃ酸いなるほど 醍醐味の醍醐とは蘇 ジョゼフィーヌ
「乙」
この同じ三角形を底面とし 下品を頂点とする四面体のうちに位置を占めている
オツだねぇ そりゃ気が利いているとはゆえ パイオツカイデーの趣はそれぞれにあるんちゃう
「きざ」
派手と下品とを結び付ける直線上に位
不快 気障と書くくらい気に障るいやみのこと 沢田研二のセリフなら好感度が高くなる場合も
5
このタイトルも粋なのかしら センセ
俄仕立てとは思えないだろう 人と我
大河ファンなのね あの二人はどうなるの?
松の井のプッシュは善意か悪意かとゆう論争があるがそのうちわかる 意外なオチも
意外とゆえば 草枕はどうなったのかしら?
旅館の女将 那美も池に身を投げるわけでもなく 画工とどうなるわけでもないんだ
ネタとかオチとか全部最初から考えてるの?
余は脚本家じゃない この話も随時脱線している ママはどんな結末が良いのかねぇ
あたしはセンセと一緒にこれ見に行きたいな
魔性の女 サプリメンタル 5
ママに誘われてから10年の月日が経った
益二郎もいなくなった
そして金之助は
6
十年ロマンス
漱石は小天温泉に出かけて十年後に
草枕を書く
その十年後
明暗を書く が 未完のまま没した
その百年後
金之助は益二郎の世話で奈緒美と出会う
その十年後 再会するとゆうプロットだ
・
美人画の話だけでなく風景画を思い出す
漱石やプルーストも好んだJ・ラスキン
そのラスキンが夢中になった風景画とは
ウィリアム・ターナー
ターナーは漱石が英国留学した年に亡くなった
漱石は松山沖四十島の松を見てターナーと云う
テイトギャラリーで「金枝」を見ていたからだ
この金枝にはさらに重要な寓話がある それは
魔性の女 サプリメンタル 8
2021年末のその日は本来ならば島村抱月の予定だった 翌日のMETでターナーの実物をみた
サロメとオフィーリアの両方を演じたキャストがいたのだ それは
松井須磨子である
三年間の空白期を予兆する転機であった
スワンは失われ もう求めることはない


四月番組編成のため新シリーズ
『クール・ルール』 予告
クールについては以前取り上げているが
今回は 前項の粋の繋がりからの新考察
クールは親と子の世代温度差があっても
基本的には 粋 とゆうより 粋がりだ
反抗的態度をかっこいと思うことなのだ
かっこいいことはなんてかっこわるいと
ゆうた早川も四十年後には自己批判した
親父が ジャックスをクールとゆうなら
息子は ベースメントジャックスなのだ
『クール・ルール』 第一章 紫の煙 1
ハリボガトがロレバコのタバコに火をつけるとき
それはゴロワーズではない アメリカ人だからだ
そんなタバコを吸うているのはピカソかサルトル
当時の有名銘柄はラッキーストライクかマルボロ
やや短めに見えるので前者の方ではないかと思う
クールが出てくるのはハリボガトが死んでからだ
COOL ではなく KOOL は 世界初のメンソール
“Keep Only One Love" の頭文字からきている
ナットキングコールやオノヨーコが愛煙していた
リタヘイワース グレタガルボ マレーネディートリッヒ オードリーヘプバーン アンナカリーナ ぐっと降って ジーナローラン シガニーウィーバー リンダハミルトン キャスリンターナー シャロンストーン シャーリーズセロン
みんなヘビースモーカーのファムファタルである
これはなぜか
2
今回は特にタバコの話とゆうことではない
ハリボガト つまりハンフリー・ディフォレスト・ボガートはぼくと同じ12月25日生まれなのである
映画カサブランカに見られる彼のタバコの吸い方は葉巻のようにつまんで持つ コートの襟は立てる
この映画は舞台がアメリカではないから地元のタバコかも知れない 映画を通してチェックしたが吸い口は白 彼の店ではアメリカタバコを置いているとゆうセリフがあった モロッコのタバコならマルキーズかマルベル 下中の写真ではぼくが店の主人に貰ったタバコにMの頭文字がある たぶん蓋の色からしてマルボロ マルボロやラッキーストライクは初期の物は両切りであった 世界初のフィルタータバコはパーラメント(1931) 国産ではショートホープ(1957)がハイライト(1960)よりも早い
ピカピカの気障な男は女を張り倒し背中を向けて煙草を吸う と沢田研二は歌った 挿入歌の As times go by は 時の過ぎゆくママに とも訳されるが 結局十年ロマンスになってしまっては些か女々しい あくまでこの映画のラストのように襟を立てるべきである
『クール・ルール』 第一章 紫の煙 3
タバコの話でなく酒の話
「君の瞳に乾杯」
(Here's looking at you, kid.) の意訳だが ちょっと違うような気もする
昨夜はどこに居たの
そんな昔のことは覚えてない
今夜は逢えるかしら
そんな先のことはわからない
この有名なセリフはヒロイン・イルザとの会話ではない 酒場でリックに粘着するイボンヌとのもの 彼がすげないのはイルザがなぜ去ったかを知らなかったからである
君は何者で 今まで何をしていたんだ
何も聞かない約束よ
飲んでいるのは マムのコルドンルージュ シャンパン
その他色んな種類の酒が出てくるが ウィスキーが意外とない
コニャック バーボン ワイン シャンパンなどである
ハリボガトが好きな酒はドランブイ ハーブと蜂蜜入りのブレンドモルト
下右 モロッコの居酒屋でぼくが飲んでいるのはミントティ
4
1942年 モロッコ カサブランカ
ハリボガト博士は躍り上がった
おお 長年の研究の甲斐があってついにスイングをビバップしたぞ これで白人には速すぎて踊れないハードなパップ剤を貼り付けることが出来る
そのとき研究室にチャリパカ・クロドレズが入ってきた 彼はヘ口イン漬けになっていたので入ってきてすぐに死んだ
死んだ? 困ったなぁ とりやえずクールダウンしよう
そのとき研究室にチェトベカ・ポルヘリドが入ってきた 彼もヘ口イン漬けになっていたので入ってきてすぐに死んだ
死んだ? しかしこいつは白物家電だから 無視しよう 下手くそな歌のようなバップ剤ではもう肩こりは取れんな なに? こり とれん そうだ コリトレン君を呼んでくれ わしはこんだモード学園に編入しようと思ちょるんよ 金沢公演で夜中に腰イタで世話になったDR白尾はセツナガサワの親戚だからね
ハリボガト博士 時代はもうアヴァンギャルドになっちょります 私は神の啓示を受けました クスリのリスクも脱構築したのです
あのね チミは確かにオール電化してないけど それは死んだからだ また貼りの死んだら神様よ マルキシズムは間違っている なぜならマルキは水に浮くからだ ジャズかジャズでないかのような浮き沈みの二元論が繰り返されるのは デオダ党のようなクロスオー派がダンモを馬鹿にしたからだ 真のフュージョンとはポストモダン つまりポストバップだ バップエレキバンだ これでグリドバグマとロレバコるのだ 如何に真夜中の環状交差点を脱構築したかを見たまへ
5
Here's looking at you, kid.
「君の瞳に乾杯」
4回出てくるこのセリフのシーンは
1 回想 かつての恋人イルザと再会した夜 パリを思い出す
2 回想 パリでの最後のひとときの後 駅での待ち合わせにイルザは来なかった 死んだと思っていた夫が生きていたのがわかったからである
3 現在 リックはイルザと夫の逃亡切符を渡さない しかし
4 ラストシーン もう一度このセリフ
新訳では「この瞬間を永遠に」となっている
Here's looking at you, kid.
がなぜこの意訳なのか
Here’s ~ は乾杯の時の常套句
そしてこの look は(神様が見ている)とゆう意味
, kid. は 年下の女性へ親しみをこめた呼び掛け
以前 "Look of love" を意訳したときに
「見るだけでわかる愛」とゆうのがあって
You've got the Look of love, it's on your face
A look that time can't erase
なのである
イルザは夫ラズロに対して一度も愛しているとはゆうていない 夫を逃がすために切符は欲しいが自分はリックと残りたい と思っていた
3のシーンで イルザはあの日駅に行かなかった理由を告白して
自分でもわからないの あなたが決めて(切符の件)
とゆうが
これを「見た」リックは
何がクールな結末なのかを悟った
彼には ナルシシズム 皮肉な無関心 快楽主義 とゆうクールの三つの核となるパーソナリチが備わっていたのである
6
紫煙とゆうのは タバコの煙のことである
ジミヘンのパープルヘイズは幻覚剤のこと
この紫色はレイリー散乱によるものであり いったん吸い込むと肺の中の水蒸気がくっついて粒子が大きくなるので吐き出す時は白くなる こちらはミー散乱とゆう
ハリボガトが吸っていたのはマルボロではないかと思っているが今のところまだわからない
smoke gets in your eyes とゆう曲は 恋は盲目の意味合いもある 煙が目にしみるのは涙の言い訳なのだ
イバッチや高田の院長が吸っていたのはロンピ 母が吸っていたのは両切りの缶ピ 蓋を開けたときの香りはたまらない DDTが入っているとゆう噂があった 母はいっときフィルターのチェリーを吸っていた これ意外と古いタバコで明治時代からある 戦時中は英語禁止のため櫻と呼ばれた ゴールデンバットは金鵄だ 父の家はタバコ屋もやっていたから古い銘柄はどれも良く覚えている 明治大正の頃の文豪はたいてい敷島を吸っていてぼくはかろうじて朝日を手に入れたが敷島は入手不可能である 前にも書いたようにぼくのタバコは長年ショートホープ これはなぜかとゆうとパンドラの箱ではなく岡田史子の漫画にあったからだ 細かいトコ見てるのよね 青赤白緑がある 青がオリジナル 赤は青に近くやや軽い 白は軽すぎ 緑はメンソール メンソールとゆえばセイラムなども有名だがやっぱりここはクールでしょ 男はKOOLでなければ
『クール・ルール』 第二章 ポストバップのナニガシ 予告
落語のように聞こえる落語を演じることに飽きたことはないかと
マイルス・立川・ダンシガシンダは ウェイン昇太を引き抜いた
第二期黄金5は超感覚的知覚に目覚めてネフェル対々を和了した
アドリブがないわけではないが笑点には台本があったとゆうこと
昇太くん
バースオブダ・クールとバースオブダ・ブルーの違いは何かね
以下次週
クール・ルール サプリメンタル 1
これ先月のことに発売五十五周年だった
ブリューかブルーかについてはともかく
クロスオーバーではない 黒魔術である
コルトレーンが吹くと冷やし中華に浮かぶアフリカの爆弾はお賓頭盧さまになりジャズの諸問題を丸抱えにして神様のスカートの下に隠れたためだ
ジャズがボールアンドチェインの歴史から都会の喧噪と静寂をずっとソヒステケイトしてきた結果 バードランドの前でポリさんにどつかれて 結局オール電化が始まる それはアフリカ帰って黒魔術やったり インド帰って太陽礼拝してカレー絶ちしたり ブラジル帰ってサンバでドンバやったり タンパからフィゲラス行って記憶に固執したり モントルのレマン湖行かずに沖縄の萬湖行って湿地帯保護条約するようになったので 70年代ジャズシーンとゆうのはサイヤ人たちが増殖したのである セクス担当しかり 天気予報しかり マキビシ楽団しかり リッチテキストフォーマットしかり してその根源はやはりここに有った しかし魔女たちが嘯くその陰で ポストバップは死んではいなかった
クール・ルール サプリメンタル 2
ポストバップはいつからか と勉強中
黒魔術をマイルスに吹き込んだのはベンピンより昇太さんかもとスキゾよりジュジュだなとそれを買いに行ってモザンビークの盆踊りをまちごて購たのを思い出すとジュジュ聴いて芸名をつけたなどとゆうているどこどのぶちゃいくなねーちゃんよりはこっちかなと
『クール・ルール』 第二章 シャノワール 1
承前 違いとゆうのは 色のスケールですかね
まーそうだな 今週は色々塗ってみよう まずは
黒はホット 白はクール とゆうイメージですか
ともゆいきれんな フィルムノワールとは何色だ
暗黒 つまり犯罪映画でしょ ハードボイドゥド
ハリボガトなら 三つ数えろ とか マルタの鷹
やっぱりそこですか グレゴリぺじゃなくってね
ダシルハメトやトルマンカポテは詳しくないのよ
ダークヒーローとゆうわけでもないのでしょうか
インディジョーンズやジェームズボンド以上にだ
ホークス的女性が魔性の女として再登場するのね
ポストバップは勉強中につき ちょっとおいとこ
2
ホークス的女性像とは、ハワード・ホークスの映画にヒロインとして登場するような、機知とカリスマを持った強気な物言いをする女性キャラクターを指す映画理論用語である。
最もよく知られているのがロレバコ ローレンバコール
ホークス的女性像は心情を思うままに話し、男性の相手役と機知に富んだふざけた会話を交わし、個人的、性的に欲しいと思ったものを得るために行動を起こす。早口で率直であり、議論では男性を負かすこともできる。肉体的には、ホークス的女性像は古典的な美女ではないが、むしろ身体的に美しい特徴を持っているというよりは活力とカリスマが魅力である。
きみのことだよ
3
シナトラやビンクロと並ぶ大スター ペリーコモ
歌う床屋さんの『イッツ・インポッシブル』(愛の夢)
シナトラとの違いはマフィアを嫌いカジノでは歌わない
・
前章で調べた見るとゆうクールのヴィジュアル感覚とは
男性の凝視は覗き見とゆう公認された行為なのであった
だがクールは見るとゆうより見えるとゆう見方でもある
クールの一瞥は受動的ではなく相手と距離を置く無関心
ーあたしの気を惹いてみなさい とゆう挑発なのである
・
空耳意訳
It′s impossible
いつの日か
Tell the sun to leave the sky
It's just impossible
照りつける太陽は宙を離れ
いつの日か夢を破る
It′s impossible
Ask a baby not to cry
いつの日か
明日の壁はまだ暗い
It's just impossible
Can I hold you closer to me
いつの日か夢にと
昨日もそう思った
And not feel you goin' through me?
Split the second that I never think of you
あの日 夢を通り過ぎたきみが
すぐにでも世界に戻ってくると
Oh, how impossible!
噫 灰となり 星が降る
4
クールの外観はハリウッドを見れば解る ハリボガトとロレバコ以外にも ロバートミッチャム ジェームスディーン マーロンブランド その他大勢のスターがクールとは何かを示してきた
どう見るかとゆうよりどう見えるかとゆうのがクールのビジュワルなら 視覚芸術において連想されるクールとは絵画の抽象表現主義である 理由はクールジャズをBGMにしたからだとゆう
クールの美学は主に五十年代のもので まだ生活様式とまでは認められなかったが民衆のモダニズムと評価された 1947年のマティスの切り絵にはJAZZとゆうタイトルがつけられている
では佐藤や東郷と同じ頃に二科展に出品しているマティスはクールだろうか またポロックやグロッスやカッツやロスコならどうか 彼らの絵画にマイルスのクールの誕生はBGMとゆえるか
抽象表現美術とポストバップは モダンアートやモダンジャズなど当時のモダンとゆう視覚芸術と音楽様式の融和があるのだが 美術史からゆうとモダニズムの全盛期はとうの昔に過ぎていた
例えば アクションペインティングは子供騙しだとゆう者は それが実際にサルには模写できないことを思い知った 抽象表現主義は難しいことを容易く見せる小ネタでホイだったからである
5
クールは全ての感情を表すことを拒むのではなくクールが感傷的だとか月並みだとみなす感情だけを拒む
・
カサブランカは第二次大戦中の映画である
背景を少し整理すると 20世紀初頭に創成したアメリカ映画ハリウッド ユニバーサル パラマウント フォックス ユナイテッド ワーナー MGM コロンビアなどのメジャースタジオはユダヤ人の手によるものだった ここに第一次大戦後 多くの映画制作者がヨーロッパから渡米 例えばイギリスのヒチコック 大規模なスタジオシステムを産む これが四十年代までをピークとしていったん凋落する 理由はテレビの登場である しかしミュージカル映画など娯楽大作は隆盛を極めた 五十年代つまり第二次大戦後は赤狩りの影響でチャップリンら左翼的スターがアメリカを追われるものの シネマスコープの登場で活気は続く 六十年代にはようやくポワチエのようなアフロアメリカンのスターがA面主役級の評価を受け 時代は大作娯楽映画からニューシネマへと移行してゆく
・
美術史の六十年代はポップアートが芸術をクール化してもともと抽象表現のジョーンズらがデユシャンを評価
さらにウォーホールがダダやシュールを見本に高級モダニズムを終わらせてハリウッドを商品化してしまった
音楽史では機能和声中心のロマン派の行き詰まりに対してドビュッシーが教会旋法や全音階を導入したように
商品化を度外視する先鋭的動きがフリージャズの登場でそれはシェーンベルクを待たずとも前衛に行き着いた
而してクールはモードにそしてフリーにフュージョンしたのがポストバップでありそれは新世代の幕開けだが
・
ハリボガトは別の幕引きを考えていた
We'll always have Paris we didn't have we we lost it until you came
「そなたの望みはなんであろうと叶えると決めたのは私だ」
6
ハリボガト博士 話がごっちゃになってますけど黒猫の話はどうなったんですか
まーよいわ いっちゃん有名なのはポォで 漱石の猫は黒猫だったな ちょっと発作的に文豪の宿へ行こうと熊本の同級生に電話したら施設に入ってるがに しかし熊本市内の居宅から峠越えて小天温泉までは山道を歩いて4時間以上もかかるぞ 桶狭間ロケの時とは違うが 小山も孝子峠を越えて尾崎まで歩いて帰ったんだから不可能ではなかろう
はいはい 博士のことやからもう行く気になってますね 那古井館にも問い合わせたんでしょ
話ゃ早いで こうゆうもんは思い立ったら磯の荒波犬吠埼ロケみたいなもんよ 日本三大松原走破もやったしな
それから
自ら身を引く話もそれがクールかどうかは立ち位置による 引く方は自己完結しても引かれる方が十字架を背負うこともある 〆切りはもうすぐ来るのだ
『クール・ルール』 第三章 相剋と反剋 予告
昇太さんに続いてポストバップを担うこのシト 今日はお誕生日である マイルス漱石の門人の中では ウェイン小宮豊隆 ハービー鈴木三重吉 トニー森田草平 ロン安倍能成 の四天王のシトリである 鈴木三重吉は『赤い鳥』が有名で日本の児童文化運動の父
ハービーハンコックはほぼ10年おきのパンデミックを招来し
ヲタメロ カンタロペ 処女後悔などのバップ路線の相剋と
セクス担当 首狩族 フーちゃんショックなどの反剋を呼ぶ
『クールルール』 第三章 相剋と反剋 1
ヲタメロが西瓜ならカンタロペはマスクメロンのことである メロンはパイオツカイデーのことでありデカメロンはX×Xのことである ダンテの神曲に対する人曲であり物語の確立である
ハンコックの次の相剋はCantaloupe Island (1964)
色々あるが四天王の動画が見当たらないので
フレハバ寺田寅彦とジョーヘン内田百閒で行ってみよう ファンキファンキ
「Fm7→Fm7(♭5)/D♭→F/D」
当時としてはちょっと変調
2
処女航海(1965)はハンコック五枚目のリーダー作
ヲタメロやカンタロペより誰に受けたのだろうか
セルフカバーもいっちゃん多いような気がするが
当初ドラムはスチュマーチンだったのが順番はトニウィリに回る もともとトニかく光速4ビートのシトである マイルスにちゃんとハイハットを踏みなさいとおこらえて踏みまくりだんだん速くなって とうとう目に見えなくなった それでフリーからロックに転向した
処女航海はマイルス漱石が超感覚知覚に目覚めた時に同じく出発したので これをポストバップの船出と見るのは正しい
漱石は自己本位の概念を通して自分自身の価値観に従ってやんなさいとゆうたわけで 相剋は相手を打ち滅ぼすものだから反剋も同じ 違うのはその方向である なんできみはあさってむいてるの?
3
7sus4
ポストバップの船出とはゆえ 処女航海はモードジャズである 男性用コロンのCMに作ったのが原型とゆわれる ハンコックの姉がつけた歌詞がある
See the sky, let's explore its blue
Tide is high, the time for your debut
Like a ship, you must leave the bay
On this trip, you'll learn love today
空耳意訳
四海波静かなる蒼き探求
大海の船出に時は来たり
来光の船にマストを掲ぐ
御身の揺らぎは愛の夢に
韻が踏みにくい上に意味が違うとゆわないように
色んなシトが歌っているまずはこれ
意外なグループがカバーしているので下に集める
4
漱石門下・木曜会からマイルス第二期黄金5
小宮豊隆 ウェインショーター
鈴木三重吉 ハービーハンコック
森田草平 トニーウィリアムス
安倍能成 ロンカータ-
寺田寅彦 フレディハバード
内田百閒 ジョーヘンダーソン
和辻哲郎 ジャックデジョネット
滝田樗陰 デイブホランド
芥川龍之介 ジョンマクラフリン
久米正雄 キースジャレット
松岡譲 チックコリア
岩波茂雄 ジョーザビヌル
阿部次郎 ジョーチェンバース
のようにキャスチングするのは単なるお遊びである
全く関係ない物を組み合わせるのはそれなりの物語
漱石もマイルスも 特に弟子を取ってはいないのだ
今週は特にハンコックを見ている マイルスに抜擢される前はドルフィーのところにいたからそこはさしづめ高浜虚子かな デクスタゴードンは森鴎外とか
さらにハンコックを二層に分けるのはフュージョン ポストバップこそ真のフュージョンと書いたが これをどこで区切るかとゆうと ネフェルトイトイのあと1968年のマイルス・イン・ザ・スカイ この時初めてフェンダーローズを与えられた これどないすんのとハンコックは
処女航海はまだ電化されていないので も少しこの辺りの相剋を調べる このアルバムにはモシトツ名曲がある 台風の目だ 船出は大変だったのだ
5
承前 デクスタゴードンを森鴎外とみるのはまちがいでもなかろう 実家は医者だし
デクスタはマイルスより3歳上 鴎外は漱石より5歳上である どちらも師弟関係ではない
映画ラウンドミッドナイトに主演 音楽はハンコック おまけにボビーハッチャーソンまで出演している モデルはレスターヤングとバドパウエルだ
Round midnight はもちろん Body and soul や As time goes by が流れる
ハンコックのデビュー作 Takin' off にも参加している
また彼の象徴的な写真は喫煙シーンである
6
少し遡って モード
クールジャズがウェストコートで白物家電になってもた中 ニューヨークでダンモをやる白人がいた マイルスはいい演奏をするなら緑色の皮膚で青い息を吐いても雇うとゆい抜擢した ただし当初は白ンボは黙っとれとおこらえることも多かった このビルエバンスはマイルスより3歳下である ガーランドに比べられるのは仕方ないが当時としてはまだ早すぎるピヤノスタイルだったとゆうこと これがつまりモーやんのバースオブダ・ブルーである
ハンコックはもちろんエバンスを尊敬してコンピレーションアルバムを選曲している
ブルーイングリーン 例のグルーでもブリーンでもないとゆう奴だが作曲はエバンス 一方でナルディスはマイルスの作曲 キャノンボールはモードがわからなかったので御大はあまりこの曲をやってない
ぼくのエバはモントルーとワッツニューしか持ってないしマニヤではないので木内センセに譲る
エバンスのキャスチングは同じく漱石より3歳若い土井晩翠でどうか ホメロスやバイロンを翻訳し荒城の月を作詞した 藤村よりは男性的
7
ここからは反剋
はたしてこれが五十年前の音楽だろうか
Herbie Hancock - Sextant [Full album] | 1973
クロッシングスも異教であったがここに至ってはビッチェズブルーもサイヤ人の手にかかりまんまにてぐるてんした
マイルス門下生たちの巣立ちにおいて天気予報もリッチテキストフォーマットも巻きビシ楽団も最初はシンセを使っていなかった デジ式一番乗りはハンコックなのである
漱石は処女航海の猫(1905.1)を書いた後 坊ちゃん(1906.4)草枕(1906.9)までの間に異郷の短編をいくつか書いている そのうちの一つが前に取り上げた薤露行(1905.9) イギリス帰国二年後38歳の時であった 一七日間の苦行
このアルバムは32歳の反剋
シンセはパトリックオーソンコンビニ
黒魔術担当はベニマウピンとバスタウィリアムス
9
八のXXは更なる変貌を遂げる
きゅーちゃん大ショックである
1983年つまり首狩り族から十年
グラミーのパフォーマンスまで
「当時の私はヘヴィーな音楽をやっていると感じていて、そのすべてがヘヴィーな状況に疲れてしまった。もう少し軽い音楽をやりたいと思ったのさ」(ヘッドハンターズのライナーから)
その70年代末にヨーロッパのプログレジャズがアメリカに参入してビルラズウェルのマテリアルを産み 彼がハンコックと偶然に出会ってマルコムマクラレンのバッファローギャルの流れでロックイットを産んだ
ヒップホップをもフーちゃんショックしたことによって流れはきゃきゃきゅきゅしてさらにわけわからんなってみんなお手上げである さすがにこれはもうジャズではない と
このとき(1981年)御大マイルスが突然復帰
ゆわば漱石が修善寺の大患から帰ったように
あのねチミ達なにをごちゃごちゃゆうてんの
『クールルール』 第三章 サプリメンタル 1
ポストバップ論からまた少し離れるが
調べるほどにネタとゆうものは拡がる ^^
御大がマンウィズザホーンで復帰したとき
その音楽はまたアサッテを先取りしていた
そもそもはビッチェズブルーで七十年代の幕を開いた後
巣立っていった門徒達を呼び返して同窓会をやったのが
オンザコーナー(1972年)
当時は邪教の如く思われ クロスオー派達は目を剥いた
参加者は
デイヴリーブマン カルロスガーネット ベニーモウピン チックコリア ハービーハンコック ハロルドウィリアムス セドリックローソン デヴィッドクリーマー レジールーカス ジョンマクラフリン カリルバラクリシュナ コリンウォルコット マイケルヘンダーソン ジャックデジョネット アルフォスター ビリーハート ドンアライアス エムトゥーメ ベイダルロイ ポールバックマスター テオマセロ
欠席者は
ウェインショータ- ジョーザビヌル キースジャレット トニーウィリアムス ロンカータ- デイブホランド など
漱石の後に漱石なし
漱石の七回忌に集まったメンバーは
出席が 寺田寅彦、真鍋嘉一郎、森田草平、野上臼川、鈴木三重吉、安倍能成、松根東洋城、松岡譲
欠席が 久米正雄、小宮豊隆、芥川龍之介 ※特に久米は漱石の娘を娶った松岡と絶交状態だった
漱石の子供 長女筆子 長男純一(※夏目房之介は孫) 次男伸六 他?
『クールルール』 第三章 サプリメンタル 2
マイルスのフュージョン一家を漱石の木曜会に見立てて考察するとゆうのはたぶん誰もやったことがないだろう^^
ビッチェズブルー(1970)は
ウェイン・ショーター - ソプラノ・サックス
ベニー・モウピン - バスクラリネット
ジョン・マクラフリン - エレクトリックギター
ジョー・ザヴィヌル - エレクトリックピアノ
チック・コリア - エレクトリックピアノ
ラリー・ヤング - エレクトリックピアノ
デイヴ・ホランド - アコースティックベース
ハーヴェイ・ブルックス - エレクトリックベース
レニー・ホワイト - ドラム
ジャック・ディジョネット - ドラム
ドン・アライアス - ドラム、コンガ
ジム・ライリー - パーカッション
とゆうサックスとギターはともかく
3pf 2bs 3ds とゆう編成が当時としては既に異様であったのに
これがオンザコーナーでは
3sax 5g 4keyb 1bs 4ds 2perc のさらなる変態プレイとなる
以前取り上げた事もある 木曜がなぜThursdayなのかについて
ローマの最高神Jupiterは雷と稲妻を持っている つまり古代スカンジナビア神話の雷神Thorから来ている“Thor’s day”が変化したのである
マイルスも漱石も門徒達にとってはゼウス(Jupiter)とゆうことだ
漱石の木曜会は 門徒が増えて毎日押しかけるのが仕事に支障を来すようになり 毎週木曜日の三時に集まるとゆうことになっただけである 提案者は鈴木三重吉ハンコック
『クールルール』 第三章 サプリメンタル 3
ここで絵画史を見てみよう
前章でマティスについて少し言及したが このマティスの師匠はギュスターヴ・モローである モローの弟子は他にルオーやマルケなどで その指導方針は弟子たちの個性を尊重しその才能を自由に伸ばすことであった(「私は君たちが渡っていくための橋だ」) そして弟子達の画風は象徴主義や退廃からは程遠い表現主義的な画家もので モローに全く似ていないとゆうことだ
戻って マイルスに直弟子はいない しいてゆうとウォレスルーニー
面白いのは マイルス門徒達が巣立ったときにハンコックもザビヌルもコリアもギタリストを入れなかったとゆうこと
最初の電気マイルスの頃にいた常勤ギターはレジールーカスとピートコージーの二人である マクラフリンは?とゆうと実は非常勤なのであった バンドメンバーではないのだ
だからぼくがマクラフリンを芥川龍之介にあてたのは漱石一門ではあるが田端組だからである
『クールルール』 第四章 ツァラとストラ 予告
イースターである
海王星の巳にとってゼロ期はあけたが月運として精算が残っている 次週は特別な週でありとてもヒトクチではゆえない
ゼロ期の大きな宿題であったとある翻訳に尻尾をまいて放り出してしまったからだ 猫と悪魔も結局中途半端に失敗した
漱石は英語教師だったので語学力は素晴らしいものであったはずなのに どうも積極的に翻訳に取り組んではいなかった
そこが森鴎外や二葉亭四迷とは違うところで漱石には漢詩があったが趣味的なものだった ぼくの空耳意訳も同じなのだ
素材と材料の編集工学とでもゆえばちょっとクールでないかなどと粋がっているだけで 所詮小ネタでホイは極めて安直
翻訳では森田草平の一つ下の友人に小説家そして翻訳家で有名な生田長江がいるが 沢山の訳書はニーチェを始めとして
フロベール ゲーテ ダヌンツィオ メリメ ホーマー ワイルド トルストイ ドストエフスキー ツルゲーネフ マルクス ルソー デュマ などこれはもう凄まじく比べるべくもない
そこで
Facebook 連載中