
Kalcha's Papier colle avec le texte

草枕考
惑星直列が近づいている
関東大震災を京都に逃れてある出会いをしたとゆうのは
長谷川泰子 相手は 中原中也
ひでちゃんのTLでフライパンの記事から思い出して 映画『ゆきてかへらぬ』を観てきた 出てこない人物もあるが 小林秀雄との三角関係は実話 中原も小林も酒乱
すずはグレタガルボかねぇ^ ^
新シリーズ 『魔性の女』 予告
山口県湯田(温泉)はぼくの大学時代の親友の実家があって何度か訪れたことがある
おい省三 どっかにジャズ喫茶ないか
ウチの裏にあるで はぁ
それがポルシェだった
近くに中原中也記念館もあった
予告2
島根県松江市にぼくの大学時代の親友の実家があって何度か訪れたことがある
おい人見 どっかにロック喫茶ないか
ああ 友達の兄貴がやってるところがある
それがマッチングモウルだった
ジャズ喫茶ウェザーリポートはもうなかった
数年前 隠岐島に行きたいと思って 人見の案内でぼくはフェリーに乗った 隠岐島にはかつてのミク友の ののちゃんが住んでいたからだ フェリーでテープの別れをしたかったのだ
もうひとつ 松江市の隣の出雲には是非行ってみたい浜と神社があるがそれはまたのことにしよう
予告3
尼崎の園田に僕の大学時代の親友の実家があって何度か訪れたことがある
おい志築 このスピーカー何じゃ
パラゴンや
知人でこれを持ってた奴を他には知らない 卒業後に彼はパラゴンを売ってエベレストを買っていて 今ではさらに足の踏み場もないオーディオの魔窟になっている ちなみにパラゴンは松江のウェザーリポートの他に京都のビッグビートや和歌山のブルーノートにあった 数年前に愛媛の松山市のエピタフで久しぶりに現物を見た 国内で三十軒ほどあるようだ
でこの 志築G 人見B 省三Gと ぼくDは学生時代に軽音でブルースバンドを結成した 練習はたった一回だけで あとはひたすら麻雀にあけくれたのであった
『魔性の女』
1
明け方 彼は誰刻 東雲に惑星たちは並び始めた
吾身に テフロン 剥がれなくば万事に文句無し
春の日は 春の逢魔刻は 塗炭に煎餅 まだ遠い
かの映画冒頭の 雨の下宿は京都の大将軍にある
大将軍はだいしょうぐんではなくたいしょうぐん
ところが 大将軍八神社はだいしょうぐんと読む
なぜここかとゆうと 立命館に近いことと
映画撮影所があった のち太秦に移転する
2
新種第二号
ネタに困るとディックをやるとゆうのはよくある 映画スクリーマーズもそうだったかも知れない 監督はエイリアンのダンオバノン 主演ピーターウェイラーは裸のランチやロボコップのシト 来日したときのTVインタビューで最初はぶっきらぼうだったがビートたけしの顔を見ているうちにどこかでお見かけしたと思ったらと突然立ち上がって握手を求めた メリクリミスタローレンスの映画を思い出したのである
ぼくの今朝方見た夢の方は 同じようなどんどん何かが何かに乗り移って攻めてくる話 もう少しで逃げられそうになった時 敵のリーダーが 内藤は何奴だ 一連のFacebookはみんな嘘っぱちだと叫んだ ぼくは立ち上がり このネタは発作的なものでも何ヶ月もかけてシトツの話に仕上げているミミクリなんだ 文句あるかと答えた すると別な集団が何かのデバイスを持ってきて これでビョーキは治りますと
●
昨夜は久しぶりに梶井基次郎から宇野千代とか読んでいて少し思い出したこと
子供の頃から京都には不思議な縁があった うちの隣の隣に住んでいたNさん夫婦にはとてもかわいがって貰っていた そのおじさんとおばさんが営んでいた古物商をたたんで京都に引っ越したのがぼくが小学校の頃だった Nさんの京都のお住まいは金閣寺のすぐ南の衣笠校とゆうところで夏休みには大文字焼きを見に泊まりに行った 翌日が登校日で休むしかなかったけれど其れが楽しみでたぶん毎年遊びに行った 草むす庵のようなお家だった 二階はなかったがきっと李さん一家が住んでいるのではとゆうような家だった 中学の時は京都に行く理由がもうひとつあった それは親戚にたまたま紹介して貰ったHさんとゆう彼女がいたからである 当時ぼくは柄にもなく文通とゆうものをしていた 北区のD寺とゆう有名なお寺の檀家の娘さんだった 紹介してくれた親戚は教師だが僧侶でもあったのでその関係だったと思う 実家にお邪魔するとおばあちゃんが小さな壺を大事そうに出してきてそこに入っている甘納豆をぼくに食べさせてくれた 彼女は地元のM高校に進みそこのSF同好会の会誌を送ってくれたりもした その後ぼくは一方的に音信不通としてしまい 一度だけどうしているのかというお手紙を貰ったのだが返事は出さなかった その頃もまだ京都にはたまにぶらりと出かけたりしたが連絡することはなかった ぼくが必ず行ったのは丸善だった 檸檬の手榴弾を置くわけではなかったがランドマクナリの月面地図や洋書などを買ったりしていた そこからまた寺町筋を散歩して三月書房とゆう古本屋でSFマガジンのバックナンバーなどを物色するのが常だった 本能寺でごろ寝していると「本堂では正座するように」とマイクでおこらえたりした 同級生の親友D君とふたりで河原町のポパイとゆうロック喫茶で朝までたむろしたこともあったが たいてい独りで出かけていた 大学時代には大阪と京都のまんなかあたりに下宿していたから大阪へ出るよりはやはり京都が多かった ポケットに五百円くらいしか無くて それでも行き帰りの京阪の電車賃とコォヒ一杯くらいは飲めるので日曜はたいてい行った ジャズ喫茶を片っ端から廻った ザボでは前衛ジャズしかかけないが「ジャズフォーサンデイアフタヌーン」をリクエストしたら「めづらしいのがかかるわね」と店員さんが笑ってた その店員さんはひょっとするとミク友のαさんだったのかも知れない 金がないときは植物園くらいまでブラブラ歩いて帰ってきた 京都には同級生の女子も何人か下宿していた 医学生だったIさんには木屋町の「地獄の季節」とゆうバーに連れていって貰ったことがある その晩は彼女のマンションに泊めて貰ったが朝までぼくは少女マンガをひたすら読んでいて彼女とはシていない いまは某映画監督O氏の奥さんである そうして大学を出た頃に文通していたHさんが亡くなったと聞いた 無理心中だったとゆう
ところでぼくにはこどものころからしょっちゅう見る悪夢がひとつある 極めて抽象的で説明しようがないが周りの音がどんどん大きくなってくるとゆうようなものである ゆわばシトツの強迫観念である そしてぼくは夢の中で空が飛べるのだ ただ飛べるとゆってもこれがほんの50センチくらいなのだ 腹筋で足をそらすとすーっと宙をすべっていけるのである 音楽を聴く夢は情緒的な調和だがこれは確かに乱れている 空を飛ぶ夢はフロイト流では性的な気分の高揚と解釈される しかしぼくのバワイは結局もっとちゃちなものなのだろう これが非常に怖いのだ 毎日少しづつ空から落ちていくとゆう夢の話を読んだことがある 筒井だったか どんどん落ちていってもう少しで地面にぶつかるくらいになる その恐怖は毎日続き最後はベッドから落ちて主人公は死ぬとゆうラストだった と思うのだがそうゆう本を読んだとゆうのも夢だったのかも知れない
3
あのキャスチングには不満のあるシトもあるだろう バニラ見ているウチのナニも 木戸はまーいいけど 岡田はどうか 広瀬は出すぎじゃ とゆうたはります
中也は父が軍医でしつけは厳格 神童と呼ばれた少年時代から 文学に傾倒して成績は落ち不良少年になる しかし意外と艶聞は少ない 背は低いがランボォを気取った風体はそのもの ぼくも詩を書くことがあるが たいていは恥ずかしいのでわざとややこしい表現かミミクリでごまかす
小林は伝記が少ない 酒乱で岡田のような優男ではない無私のシト 彼もランボォ 晩年は保守系文化人の代表だが 日本の文芸評論は彼が確立したようなもんでその業績は素晴らしい なして最後が本居宣長かは読んでみないとわからない 無私としての自己 大岡昇平の家庭教師をした
長谷川は当時では大柄 とにかく無邪気なシト だから広瀬よりは誰だろう 潔癖症で大柄とゆうと柏木由紀じゃねぇ 菜々緒ではハイカラすぎる 長澤 新垣 浜辺 石原 小松 北川でもない 松葉屋のいねさんはどうか 個人的な好みでゆうと もう歳だけど夏川結衣か松本若菜だな
まー大正ロマンの流れはあるのであーゆうかっこすれば誰でもなれる わけでもない 魔性の女の定義はまたそのうちに
ぼくは誰の役をやりたいかとゆうと 前半にちょっと出てくる富永太郎 彼はランボォよりボードレールを翻訳しているからだ 小林が地獄の季節を翻訳したのはそれを羨んでのことである 肺結核により24才の生涯を虚無と闘い夢の中に失格した 彼の恋慕の対象は「立ち去ったマリア」
4
それほど中原中也に詳しくはないので勉強中 まだ本題ではない ランボーやヴェルレーヌは前に取り上げた事がある マラルメとロートレアモンもやった コルビエールはまだだ
中原中也と小林秀雄はランボーとヴェルレーヌか ヴェルレーヌ→ランボーであってその逆ではない 中也はもともとヴェルレーヌに影響を受けているが人物はランボーである
そのランボーをランボォと綴ったのは小林か中也かそれとも富永か 中也は富永の夭逝に際してボォドレールと書いている ボォドレェルでもないのだ このあと20歳の時にアテネフランセにも通った中也はフランス語をどう見ていたのだろうか フランス語の母音についてランボォが書いた「Aは黒、Eは白、Iが赤で、Uが緑の、Oは青?」などはどう読めば良いのだ
5
センセ いよいよ惑星直列ですが 原稿はどうなっちょりますか
ナニ? わしはいつから文士になったのかね あの映画の時点では先生に相当する人物は居ないぞ てこた誰だろう マいっか ロケとゆうか取材に行きたいんだが ちょつとまだ間があるので おまいがテキトーに繋いでおきたまへ
はぁ えーと こないだゆうておられた「魔性の女」の定義とかどうでせう 一般に男を狂わす性悪みたいなイメェジですが 小悪魔とゆうよりファムファタルですよね 直訳すれば「運命のしと」 大正ロマンだと竹久になるので 西洋とかのデカダン見るとS系かM系かに別れます 代表的なのは
サロメのような 男を犠牲にする女
オフィーリアのような 男の犠牲になる女
てとこでしょうか センセ
『魔性の女』 補足
覚え書き
シャルル・ボードレール 1821-1867
ポール・ヴェルレーヌ 1844-1896
アルチュール・ランボー 1854-1891
小林秀雄 1902-1983
長谷川泰子 1904-1993
中原中也 1907-1937
大岡昇平 1909-1988
富永太郎 1901-1925
坂口安吾 1906-1955
太宰治 1909-1948
妻 津島未知子
太田静子 山崎富栄 田部シメ子 石井桃子
前妻 小山初代
森鴎外 1862-1922 渡独1884
夏目漱石 1867-1916 渡英1900
永井荷風 1879-1959 渡仏1908
谷崎潤一郎 1886-1965
横光利一 1898-1947 渡欧1936
川端康成 1899-1972
『魔性の女』第二部
1 大いなる女装
センセ このタイトルはツツイでスカー
単なる思いつきで フカい意味はない
サロメの勉強をしていたところですけど ちょっと脱線してこっち行ってみましょか えーと歴史的にはヤマトタケルとか
そこまで遡らんでもえいんとちゃうけ
江戸時代だと 吉原は女装じゃないけど陰間茶屋はちょっと違うし歌舞伎の女形はどうでしょう
歌舞伎では弁天小僧菊之助の女装 世界的に見てもそうゆう女装劇とゆうものはほとんどない 京劇にすこしあるくらいで 日本独特のものか 軍記物で女装逃亡がある あと八犬伝の犬塚信乃とか 義経も五条大橋で女装していた
今時ゃフツーですけど 丸山明宏はすごいですよ 以下カルーセルやピーターなどの比ではないですね 三島が「禁色」のルドンのモデルにした銀座のブラスウィックで立ちボーイしていたとゆうね
好事家のしつき君にベティのマヨネーズへ連れて貰ったような気がする 有名なところで 富貴クラブ プティシャトー やなぎ ふき 青江 黒鳥の湖 金魚 ピーブル ジョイ あべちゃん ラキラキ(※六本木? 大学時代に行ったことある「春だ。桜だ。金☆だ。」) 狸御殿 アルカザル エルドマン なるしす 等々いっぱいあるなこりゃ 地元だと 狸穴 あと流れちゃんに連れて貰ったザッパバーの近くの店はなんだっけ もうない
2
女装はゲイだからとは限らない 女装は衣類や装飾品によるジェンダー表現である 仕草や言葉もある
理由は様々で古代ギリシャや古代ローマからある 宗教的文化的に賛否がある 霊的にシャーマニズムがある(女性は憑依しやすい)
さて 次の文豪たちはイケメンと評されているが
女装趣味があったのは誰でせう
芥川龍之介
夏目漱石
太宰治
中原中也
三島由紀夫
萩原朔太郎
尾崎紅葉
森鴎外
井伏鱒二
志賀直哉
3
センセは女装したことあるんでスカー
あるよ 髭剃ってバスガイドやった
あーあれね でわ昨日の宿題ですけど
>女装趣味があったのは誰でせう
芥川龍之介
夏目漱石
太宰治
中原中也
三島由紀夫
萩原朔太郎
尾崎紅葉
森鴎外
井伏鱒二
志賀直哉
この最初の5人はイケメン文豪トップ5だ それ以外も含めて彼らの性癖を見てみよう
芥川龍之介は 女装を扱った短編があるが恋愛小説は意外とない 女装趣味はなく女性では苦労している 秀しげ子の性悪にまとわりつかれ 片山ひろ子は堀辰雄に取られ 根津松子は谷崎になびき 秘書の平松麻素子と心中しようとした 谷崎は芥川が自分の女性経験を私小説にはしないと悼んだ
で 正解をゆうと 意外や 夏目漱石である 彼は妻以外とはセックスせず娼婦も買ったことはない(らしい) 以前の特集では恋人は誰だったか色んな説を紹介したが 恋愛小説のようなものはあっても情痴ものはないのである そこで草枕に出てくる那美はつまりオフェリアだったとゆうことだ
でわ彼はなぜ女装をしたかとゆうと ゲイでもないので鏡子夫人の手記にもあったように
面白がってやっていただけなのだった
4
漱石の女装は結局趣味ではなかったが 書画骨董など 趣味として集めている中でひとつ面白いものがある 鼻毛の蒐集である 創作のアイデアに詰まると鼻毛を抜いて原稿用紙に擦りつける癖があったのだ 猫であるの苦沙味先生も同じ 内田百閒は鼻毛のこびりついた書き損じ原稿を貰って大事にしていたとゆう 吉良吉影が爪を集めるようなものだろう
漱石は身長コンプレックスがあってイギリスでは引きこもっていた 慣れない土地での生活はストレスであった 酒は飲まないが極端な甘党で ジャムを一ヶ月に八瓶も舐めまくり 結果 糖尿病である 持病の胃潰瘍もそれと関係ある 餅菓子を食べ過ぎて草餅のような青いウンコをしたとゆう 伊豆で死にかけた時に幽体離脱を経験してオカルトになった
漱石に浮いた話はなかった 皆があれこれ想像するようにである 井上眼科で見た女性の影は 大塚楠緒子(35)であり 樋口一葉(24)であり 平塚らいてう(85)であり 磯田多佳(66)であり その全ては兄嫁・登世(24)のTVA変異体であった ※(数字)は没年 だが実際にその誰ともシていないのだ
漱石の作品が教科書によく載るのはえっちな話しが少ないからだろう そもそもまぢめな文豪とゆうのはいないか いても面白くないものだ たいてい飲む打つ買うか 性格や人生が破綻しているか SMか 同性愛者か 漱石はこのどれでもない 無意識の偽善を考えていた 芸術至上主義のうちの手すさびに那美を想った だから自分が女装するのである
黒髪の 結ぼれたる思いには
溶けて寝た夜の枕とて ひとり寝る夜の仇枕
5
漱石の作品の中で『草枕』(明治39年)はシトツの特異点である 本人もこの小説はプロットとゆうものがない 天地開闢以来、類のない小説だと説明した 確かに猫と坊っちゃんに平行する作品とは思えない 朝日新聞社にオファーされるきっかけにもなった 作品の元ネタはその十年ほど前に遡る
明治30年 熊本での新婚最初のお正月のこと 年始の来客が想像以上に多く料理が間に合わず 早速夫婦喧嘩となる これに懲りた漱石は翌年の正月はどこかに出かけることにした それが近場の小天温泉 そこで彼はとても印象深い体験をする 英国留学後もその話しを書こうとずっと温めていた
魔性の、女 補足
夏目漱石賞とゆうのは二回だけあった
日本の文学賞で 最も権威のあるのは
芥川賞と直木賞 選考対象が少し違う
芥川賞は雑誌掲載による純文学 文藝春秋
直木賞は単行本エンタメ系対象 オール讀物
もとはどちらも新人賞であった
前者の系列では 谷崎潤一郎賞 三島由紀夫賞 川端康成文学賞 渡辺淳一文学賞などがある
漱石の木曜会である芥川龍之介は谷崎潤一郎を尊敬していた その芥川を好き過ぎて亡くなったあとは井伏鱒二に師事した太宰治はこの賞が欲しくて選考委員の佐藤に阿るが川端に落とされ恨みを持つ 刺すと息まいた
一方 ツツイは三度も直木賞を落ちたことにより 『大いなる助走』とゆう文壇テロを書いた 恐らく誰にも真似のできないことである 漱石は苦笑 鴎外なら善哉と 肝心の直木三十五はとゆうと 芸者遊びに余念がなくそんなことはどうでも良かった 直木が坂本睦子の処女を奪ったので坂口と中原も奪い合い小林は求婚し文藝春秋社社長の菊池が庇護した ツツイに感心した大岡が最後に面倒を見るが彼女の自殺を嘆き「花影」を書く さらにそれも違うと久世は「女神」を
門下生たちがそのような世界を築いていくことになるとは知らず 漱石は温泉宿に逗留していた
水彩画に目覚め また油絵や南画も描くが その中に わが墓 とゆう絵がある イニシャルは
ぼくと同じ ※Kは漱石の本名 金之助
KN
この場所は小天温泉から雲仙を望む峠である
以下次週
今日はちょっと取材にいてくる
『魔性の女』第三部 十年の恋 予告
明治39年 KNつまり夏目金之助は「吾輩は猫である」のあと「草枕」をわずか二週間程で脱稿した つまりアイデアは予めあったのである 十年前に
ところが そこには奇妙な暗合があった
『魔性の女』第三部 十年の恋 1
夏目金之助は帝国大学(後の東大)英文科卒業である 同期で盟友は正岡子規 その他同期に南方熊楠や中村是好がいる 三つ下には土井晩翠など
その日 彼は大学の同門会に呼ばれていた 自分の息子より若い連中と話をするのは楽しいと感じていた
以前この会に来た時面白い学生がいてね 余がインドへ行った話をしたら 僕も行きましたとゆうんだ これがなかなかの論客で あいつはどうなった
それは私ですよ センセのことは覚えています OBライブも観ました
隣に座って酒を注ぎに来たのは 今年大学院を卒業する堀とゆう男だった
これは奇遇だ 堀辰雄とゆえば龍之介くんの弟子で 余にとっては孫弟子か あれは何年前のことだったんだろう
この会は幹部交代・卒業生追い出しコンパですからだいたい3月に開かれます OBライブは5月 確かセンセがインドから帰ってきたばかりで その翌年つまり10年前でしょうか でもそれだと私はまだ入学したばかりになります その話はもっとあとですね
彼としばしインド哲学と咬合理論で盛り上がる
しかし そこに記憶のずれがあるな ライブで世話になったMくんと飲みに行ったのはその頃のはずなんだが
わかりましたセンセ ライブが11年前でインドから帰った直後の5月 その月末に新歓コンパがあったんです M先生も同席されていたのでしょう ただし10年前の一件とは翌年の2/14 です だから先月その表示が出たわけですよ
2
タイムラインを遡りながらこう考えた 「十角六角三角七角八角九角」と書いて「とかく無学を磨くには長く夜学で苦学せよ」と読む 福沢諭吉の言葉とゆわれているがそうではない 後の世に「して見ると四角な世界から常識と名のつく一角を磨滅して三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう」としたのは余である さらに後の世に余の『夢十夜』第八夜をこう書き直した同じイニシャルの輩も居る
>
四角な部屋である 二角な部屋とゆうものはない 三角なら とかく無学を磨くしかない ちょきちょき でわ二角があったとしよう それはどんな形をしているのだろうか この数は「二」と呼ばれる とゆうように仮想の読者が夢を見ている もともとの直示定義でも もしそれが例えば「二」とゆう語を正しく用いるように読者を導くならばだ それは真であって理となる ところが「二」とゆう語を正しく用いない可能性は残るのだ なぜならばその種類を表す表現そのものが再び誤解されるかもしれないからである そしてその異論は懐疑的問題となって 二年が過ぎた 三はニを知っているが二は三を知らなかった これを繰り返してゆくと そこでなぞなぞは振り出しに戻れると思うか
"The Three-Cornered World"とは『草枕』の英訳のタイトルだ 余はこの作品の英訳を断ったのだがね そうゆう事を考えていると 詩が生まれて画ができる とゆうことだ 今回の同門会で その一角である記憶のピィスが埋まった それはなぜか抜け落ちていたのだ 大きな失念である それを築城しよう
3
小天温泉への小旅行の色んなダンドリを手伝ってくれたのは漱石の友人山川真二郎である 今回はMくんに案内を頼もう そして余は旅の画工になるのだ
あのときのライブではテクノを取り上げたが後のライブではプログレをやることになった それは太陽と旋律 シェレーの雲雀の詩である 雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない 魂全体が鳴くのだ その雲雀の詩は魂で歌うとすれば その舌はどんどん登っていって雲の中でゼリー寄せになり 身体は死んでも詩だけが残る 詩人に憂いはつきものか 雲雀の舌を探す旅へと
それは俗念を放棄する 苦しんだり怒ったり騒いだり泣いたりとゆうものを音楽や絵画や小説でまたやるのではないとゆうことだ 西洋の詩のように人事を根本にすると愛とか正義とか自由とかにかまけるのでもうちょっとハスに構えようとゆうことだ 人情を離れた芝居はなく理非を絶した小説はないから酔狂として不人情ではなく非人情とゆう天地に逍遥することなのだ
そうゆうことがはたしてできるか
Mくん あの日何があったのかね
4
峠の茶屋:2015.2/14
山川益二郎が先に来て 金之助を待っていた
お呼び立てして申し訳ないです センセ
ムーディーブルースにクリプテックスをかけるかミーバを使って過去を呼び寄せてみれば良かったのですが 今日はセンセをゼシお連れしたいところがありまして
実は事前に確かめた所では それはやはりライブの翌年のことであった 打ち上げならまだしも その日に何も用事はなかった 記憶のピィスの欠損はもう一つあったのだろうかと思っていたがそうではなかったヨーダ
『草枕』の冒頭は誰でも知っているあの文句 智に働けば角が立つ…… とかくに人の世は住みにくい である 問題はこのあと
「人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい」「どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る」というふうになる。さらに「住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、難有い世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるいは音楽と彫刻である」と続く。 (※難有いとは有難いを逆にした言葉 読みは同じ)
植草甚一の本で読んだのですけど ファイブコーナードスクェアとゆうゆい方があります スクェアはまぢめの意味なのでその上をいく堅物とゆう奴ですね でもセンセのレベルは一角を差し引いてちょいと出ました三角野郎とゆうことでしょう それは小ネタのゲージツ論ですか
いや 鈴木三重公くんにもゆうたんだが「ただ綺麗に美しく暮らす 即ち詩人的に暮らすといふ事は生活の意義の何分の一かは知らぬが やはり極めて僅少な部分かと思ふ 草枕の様な主人公でないけない」とゆうことだ
それで君の話とは何かね 余にメリットはあるのか
センセにはかないませんね 事実は小説よりも奇なりって
それはバイロンぢゃ
5
そろそろ参りましょうか センセ
どうもこの話は意外と奥が深いな そこに何があるのか
孤村の温泉 春宵の花影 月前の低誦 朧夜の姿とでも
あのね益二郎くん 余は固より詩人を職業にしていないのよ 王維や淵明の境界に精通しているわけでもね ファウストやハムレットよりは有難いが 今回は不如帰や金色夜叉の話ではないからな
海棠の露をふるふやもの狂ひ
海棠の露をふろひり朝がらす
海棠の露をはらほろひれはれる
はいはい 早く長良の乙女に会いに行きましょう
おそらく お待ちかねですよ
露をだにいとふ難波の風媒花
ふるあめりかに筆も濡らさじ
6
後進たちのもめ事を不人情と咎めるつもりはない 誰が悪いとゆうものではない この世のどこにも持っている柵(しがらみ)だからだ
漱石の門下生である木曜会には蒼々たるメンバーが集まっていた 小宮 鈴木 森田 安倍の四天王を初めとして 岩波 内田 寺田 そして和辻 久米 松岡 さらに芥川らである もめ事もたくさんあって森田と平塚 久米と松岡 木曜会ではないが三島と太宰 太宰と川端 太宰と小林 そして谷崎と佐藤
谷崎は漱石を慕っていた 歳は漱石よりも二十才は下である しかし彼は「新思潮」で同胞である和辻のように漱石に近づかなかった これはなぜかとゆうと 漱石は古い時代の道徳観だと思っていたからである その眞・善・美の追求に対してお行儀の悪い反発であった 女の洟をかんだハンカチをしゃぶるような小説を漱石が認めるわけはないとゆうことだ 鴎外はストレートにきちゃないと批判している 芥川とは激論を重ねたが仲は悪くなかった その芥川も自分の彼女のンコを食べる小説を書いている
谷崎がヒロインの名前をナオミにしたのは「草枕」のヒロインである那美とは関係ない ナオミのモデルは妻・千代の妹・せい子である 那美のモデルは平塚(らいてう)ともゆわれるが 通説は熊本藩の剣豪前田案山子の次女・前田卓である では那美とはどんな人物だったのだろうか
・
峠の茶屋を出て 雨の御堂筋を歩いた金之助と益二郎の二人が目的のバー「ソワレ」に着いたのは八時頃だった
柵はごめんですよ ぼくは不人情じゃない センセのゆう非人情な奴ですから
益二郎はそう言いながら奥のボックスに誘った
さほど大きくないバーだが既に客はいっぱいだ
やや年齢層は高く彼の話では画壇バーだと言う
いらっしゃい まぁ何の難しいお話しかしら
二人の席にやってきたのはママの奈緒美だった
山中の湖の水瀬から浮かび上がってきた青い龍
抜けるようなその着物姿に金之助はそう思った
7
益二郎さん こちらはどなたですの
大先輩です ちょっと変態ですけど
変態とはなんだ 余はゲージツ家だ
さすが益二郎さんの先輩変わってる
なにをなさっているお方なのかしら
画工です ここは文壇バーじゃなく
画壇バーとお聞きしましたのですが
ええ 絵描きさんがたくさん来ます
お偉いさんからかけ出しの若者まで
ママと益二郎くんとはお知り合いか
ひょっとすると<いいひと>とか?
違いますよ
違いますわ
この店はまだできたばかりですけど その前にあたしが働いていた京都木屋町のとあるカフェでの常連さんが益二郎さんなの カフェの名前はソワレ ウチの店はその名前を貰ったわけね
ソワレとはフランス語で夜会とゆう意味だから 喫茶よりはバーに向いている いや待て カフェ・ソワレとゆうとフランソアの近くの吉井くんの歌碑のあるお店かな 東郷君の絵もある
そうよ 青い光の中のカフェ 夜会
素敵な夜のスイーツはいかがかしら
出てきたのは五色のゼリーが青い光に輝くポンチ
余は羊羹の方が好みだが 是はいったい何かね
雲雀の舌のゼリー寄せ とゆえばわかりますか
たっはっは
これはまいったな ママはただものじゃないね
魔性の女 サプリメンタル1
センセ マエフリが長いわりには作為がえー加減やね
なんでやねん
センセ 結局薬局とかしょもないオチはやめてくさい
なんでやねん
センセ この道がーっと行ってどーんと突き当たって そこなぐるっとさんべんまわったら御堂筋や 全部ホコテンにするてたいがいにしてや
なんでやねん まーアメちゃんでもナめもて次いこけ
魔性の女 サプリメンタル2
センセ 画工なんですか 文士じゃなかったの
今回はマルチプレイで攻めてみようと思てんの
それより魔性の女の続きはどうするんでスカー
とりま次章に向けて資料を集めときましたです
画壇バーより文壇バーやカフェなら逸話も多い
評判の娘が入ると やたら押しかけて取り合い
銀座のルパンは前に行かれたようですから次は
ウィンゾア エスポワール おそめ 風紋 姫
神田ランボオ 新宿チトセ 銀座クラクラなど
三島や太宰と坂口 そして東郷青児に岡本太郎
その東郷青児は二科会のドン そしてファンだ
ぼくの母が銀賞を取ったときにどうも口説かれたらしい バーのママであったからかも知れない うちの実家は地元では草分けのバーなのだ ある意味で画壇バーである 父と離婚後その自立のために東京に出てクラブで修行している 絵の方は実に出品二回目にしてのスピード受賞だったので 先輩のおばちゃん達に田舎もんのくせにコノヤローとたいがいいびられた あなた洋行なさったことあるの?とか ところが画家の泉茂(1970年に大阪芸大美術教授)が親戚とわかって態度一変やっと認めてもらったとゆう とにかく画壇でも文壇でもめんどくさい世界である
以下次週
またこんな夢を見た
そこは天満橋の学舎であるが今日はうちの診療所になっている 昼休みに身障センターへ行こうと出かけた 何かの機械の設置の件でモリタ所長と打ち合わせ ところがスタッフ達が目の前で着替え始める 半裸 あわてて飛び出て帰ろうとするがいつものように車をどこに停めたかわからない そうか今日はチャリで来たのだ スマートキーを持っているから大丈夫 そんなに遠くはない だが道はわからず携帯のマップも訳の分からない正距方位図法を表示している 大通りはどこだ 確か地下鉄の駅が近くにあるはず そばにいた子供に天満橋駅を聞くと すぐ近くを指差した そしてますます見慣れない店に入っていく 午後の診察に間に合わなくなるではないか 売り子の女は外人だったので英語でまた道を聞くとそこの階段に看板が
↓ SUBWAY ↓
ああ ここを降りればさらに迷宮に入ることはわかっているぞ
やっと目が覚めたとき そこはまだ夢の中だった
魔 性 の 女 の
魔性の女 サプリメンタル3
もしも母が東郷青児のお手つきになっていたら それはそれで面白い話だ 東郷は竹久夢二の妻と懇ろになって刃傷沙汰を起こしているし 宇野千代との同棲は私小説になっている 心中未遂や艶話は枚挙にいとまがない 岡本太郎と二人で日活に出演した元祖イケメン艶福家 娘のたまみはジャズ歌手 朝丘雪路 水谷良重と組んで 七光り三人娘でステージに立った もちろん画家でもあり二科会金賞を受賞している
ところで
益二郎くん 君に世話になったリハのときの話だが
あのときも 飲みに行ったのではなかったかしらね
もういちど クラブにでも連れていってくれないか
ちょっとまた空耳を作ってみたんだ 聞いてくれる
Study 01
出逢いの場所はホテルのロビー
There I know the place to be
目と目があってあいさつはなく
meet me an' go wit no greetings
夜は始まりそれが45分前
you'll hav da night to 45 mins
会話の為に名前を聞いて
call up to hav yr name
指が動いてそれが35分前
you'll be moved to 35 mins
それからよりそい二人で恋をし
soul comes in two of us
長い廊下転がされて
now got long and winding road
迷い込んだホテルラウンジバー
maze into da hotel lounge bar
二人で飲んだトロピカルシャワー
who knows dat tropical shower
めまいのようにはじけてとんだ
memories would fell in hour
歌も聞こえてそれが25分前
you turned 'em to 25 mins
笑った後はけだるい気分
fallin out kept in dull mood
眠りませんか?ぼくの部屋でも
nameless dream ? in my room
夢に向かったそれが15分前
you may come to 15 mins
二人で手をとりダンスをしながら
who told wit dance ex wife
出て行くのを見送るのは
let 'em go thru da place
誰もいないホテルラウンジショウ
dare to say hotel lounge show
部屋に入ればそれがちょうど5分前
hair veils 'bout soul to 5 mins
ドレスを脱いで抱き合うときに
def tech to become one
背中の指が静かにはねた
say now my fings splash
それがちょうど それがちょうど 今
sorry my choose sorry my choose, now
背中まで45分 背中まで45分
sensual back to 45 mins, sensuality to 45 mins
背中まで45分 背中まで45分
sensual back to 45 mins, sensuality to 45 mins
『魔性の女』 第四部 余りに文芸的な小ネタ 1
センセ クラブに行きたいとはダンスホールですか
まーぼくも口上やってますからお連れできますけど
今度ママも一緒に三人でふいばーしに行きますかね
その前にちょっと下世話な話をシトツいいでスカー
何かね 益二郎くん
東郷青児はいったんおいといて センセとはすれ違っていた谷崎さんのことなんですが 後輩の中上くんがその作品をつかまえて物語の豚と揶揄していたように 業界では大谷崎と呼ばれる超越的にうんぞりかえるところがありまして あるとき新潮のOB会で芥川さんが「話の筋というものが芸術的なものかどうか非常に疑問だ 筋の面白さが作品そのものの芸術的価値を強めるということはない」と谷崎さんに噛みついたんです したら今度は谷崎さんは「筋の面白さを除外するのは小説という形式がもつ特権を捨ててしまふことである」と斬り返して 互いに譲らず激論になりました で途中で芥川さんが亡くなって結論は出てません
知っているよ その数年後の話もね
二人の話をママは黙って聞いていた
2
谷崎さんは源氏物語を訳して光源氏は嘘つきで女たらしだとか仰っているけど自分はどうなん
この時代に源氏物語を嗜んでいる女性は九鬼波津子くらいと思っていたがママもインテリだな
そりゃまー画壇・文壇バーのママですから愛読書は美術書や文学全集でしょう さて谷崎さんは生粋のスキャンダルメーカーです 最初の妻・千代子は芸者でした でも本当に惚れていたのは姉のお初でした フラれてます それで妹をあてがわれるのですが これが古風な女性であっちの方が面白くなく そのまた妹の自由奔放なせい子に岡惚れします そのときせい子は十四歳ですから淫行です 痴人の愛のモデル・ナオミですね さらに谷崎さんの妻がDVにあうのを見ていた後輩の佐藤春夫さんが同情から愛情になり懇ろになった そこで世間もびっくりの谷崎細君譲渡事件が起こります これがまた記者会見じゃないですが三人の声明文みたいなものでした 千代子を譲ったのはせい子がいたからです ところがそのせい子にも おいちゃんなにゆうてんのとフラれたため やっぱ嫁さん返してってなって 佐藤さんが激怒したのが小田原事件です そら怒るわな 譲渡事件の方はもうひとりの男が関係しています※蓼食ふ蟲・参照 谷崎さんはその後もモダンガールの婦人記者・古川丁未子と再婚 さらに細雪のモデル・松子と三回目の結婚しますが これはそもそも不倫 あげくのはてには松子の前夫との長男の嫁・千萬子にまで言い寄るとゆう もうわやくちゃですね
実際にこれで世間の批判を浴びたのは谷崎くんではなく千代子の方だった 時代だとは片付けられないぞ 芸者と娼婦は違うが 芸者や娼婦と結婚した文豪は多いのだ 泉鏡花や坪内逍遙とかな 九鬼周造の二度目の妻は芸者で母の波津子もそうだ そもそも余の祖母は芸者で母も一時期芸者をしていたことがあるのだよ 永井荷風は独身だったが自分で娼館を経営してデバ亀をやっていた変態だ
文豪色を好む その中でOB会の派閥争いがあるわけで 困ったもんです 夏目一門の田端組である芥川さんは寧ろ真面目で 無頼派の太宰さん坂口さん 新感覚派の川端さん橫光さん そこへ佐藤さん谷崎さん永井さん さらに菊池さん直木さん とまーセンセと違ってなかなか藝達者な後輩たちですな
なんだと 余は純情一筋
あら そうですのセンセ
ねぇ あたしを口説いてー
ほら お月様もきれいよ
3
センセ 佐藤春夫は和歌山(新宮)出身ですね 実家は医者 永井荷風に憧れて堀口大学と共に慶應義塾へ 生田長江に師事 門弟は三千人とゆわれ 芥川賞の選考委員もやっています それで太宰と一悶着ありました 面白いのは大正5年の二科展第3回で東郷青児と共に入選しているんです
二科展は入選者が様々 岸田劉生や岡本太郎はともかく 石坂浩二や工藤静香もいるし八代亜紀に五月みどりとかな なんでもありとはゆわんが まーうちの母も会友だったから 初入選はいつだったか たぶん余が小学校の頃だろう 東郷青児が会長になったのは昭和36年だから 昭和40年くらいじゃないかな
この1965年は二科展五十周年 特別な年である 実母を初めて知り 引き取られてバーとゆう世界を知った頃だ そして母が購読していた小説新潮やオール読み物を盗み読みしていた その中には北原武夫の官能小説があったのだ 北原は東郷と別れたあとの宇野千代と結婚している こうゆうのを読んで余はヰタ・セクスアリスしたわけだな 特にその挿絵を描いていたのが美人画の高沢圭一 そらもう東郷とか見てるばわいじゃなかったのよ わっはっは
お母様は芸者でバーのママでおまけに画家ですって?
一度その絵を見せて欲しいわ センセも画くんでしょ
カウンターで骰子を転がしていたママが何かを思い出したように言った
4
承前
センセも画くんでしょ 一度その絵を見せて欲しいわ
ママが思い出した何かとは
漱石の「月が綺麗ですね」とゆう謎を掛けた言葉だった
「月は今きっと謎をかけているんだ」はラスコーリニコフ
んじゃ ま 特別に
左はバーを開いた頃の母の絵 二科入選はもっと抽象画
それと 右上と右中
高沢圭一「銀座の女」 東郷青児「夜会の女」
あとは 右下
余の作品である ”femme à la soirée”
東郷の絵は乾いているが 高沢の絵は濡れている
母の絵はどうであろうか 余のAAは絵ではない
二科会に興味はない それより母が購読していた美術手帖とみづゑ むしろこんだは昴発行所の焼畑文芸雑誌ネクタルの新人賞に応募しようと思ってる この雑誌は初めて袋とじを付録にした画期的なものなのだ
小説ネクタルって 通称「小ネタ」って雑誌ですね 小説ばるす新人賞の一件では賞に落ちた腹いせに選考委員を皆殺しにした作家がいましたが センセはナニすんの
龍之介くんは とにかく話らしい話がないとゆうんだ スタンダァルの垢と風呂 トルストイの健康と平和 ドストエフスキィの丸と罰 いづれもネタの謎かけである しかし佐藤くんのゆうように 小ネタでホイはねちゃっとした口語体による散文でもあるとゆうことさ 筋はあるようで筋はない 即興に つまりデッサンの無い絵は成り立たないのだろうか カンディンスキィを見なさい そこには素材があるのだ でわ下の絵の素材は誰だと思うか サロメかオフィーリアか
5
センセ
サロメをSオフィーリアをMと見てヨイnですか
んなことゆうてんのは谷崎Mくんかぇ 芥川くんとは仲が悪いわけじゃないし 論争の最中に佐藤くんも含めて夫婦で芝居観に行っとるやないかい 陰嚢を礼讚するとかちょっとビョーキが過ぎると思うよ
いや魔性の女のタイトルの話ですよ筋はともかく
あーね 草枕はプロットもなければ事件の発展もないとゆう談話を文章世界とゆう雑誌でやってもたんで 長いことこの作品はほったかされてたんよ 鈴木くんへの教訓で画工の主人公を否定した話とかさ
それはヒロイン那美への想いの照れ隠しでしょう
那美は魔性の女あるあるに該当する部分が多いな
つかみどころがない
夜中に廊下を行ったり来たり 風呂に突然入ってきたり 気ままなのに甘え上手 おキっちゃんと思われていたりするが意外と知的
あたし?とMが笑ふ
6
草枕 観海寺のモデルはどこかとゆうと 天草市本渡の明徳寺 熊本市松尾町の雲巌禅寺などであるが 特定の一つではないとも思われる その裏にある鏡が池もそうである 鏡池の名前は全国にいくつもある 京都に限っても岡崎別院や植物園内など ここでは少し名前が違うが 銀閣寺・錦鏡池 金閣寺・鏡湖池 竜安寺・鏡容池 などの中からどれかを訪れてみよう 金之助が行きたいとすればどこか そこに那美は居るだろうか
水をかいて、水の中の影をかいて、そうして、これが画だと人に見せたら驚ろくだろう。しかしただ驚ろかせるだけではつまらない。なるほど画になっていると驚かせなければつまらない。どう工夫をしたものだろうと、一心に池の面を見詰める。
「先生、わたくしの画をかいて下さいな」と那美さんが注文する
そうか そもそもなぜ那美とゆう名前なのかがやっとわかった
伊耶那美命
「それだ! それだ! それが出れば画になりますよ」と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。
春風にそら解け繻子の銘は何
魔性の女 サプリメンタル 4
その特徴ランキングをいくつか見ると
(主に女性からの意見)
1 計算高い
2 男性の前で態度が違う
これは違う 同性からの僻みだ あざとく媚を売っているのではなく天性の媚態があるからだ
3 人を巻き込む力がある
4 存在感がある
これは自然体として当然そうなる むろん悪魔的なものであれば多くはトラブルのもとになる
5 ミステリアスな雰囲気
これが一番やっかい つかみどころがない あまり不思議ちゃんになってしまうと 逆に引く
6 男性よりも一枚上手
それは男のテクニックが下手なだけである
7 容姿が美しい
当たり前 ブスはたいてい不精の女である
魔性の女 芸能界ランキングでは色々見てみると
葉月里緒奈 高岡早紀 田中みな美 沢尻エリカ
とゆうところがよく出てくる ここはシトツ
最近のランカーではないが田中裕子はどうでしょ
昨日のロームシアターはなかなか良かったらしい
とゆうことで 今日は今日とて 京都に来ている
『魔性の女』第五部 明月余情 予告
草枕とは 草を枕に旅寝をするの意味
久しぶりに京都に泊まってこう考えた
考えるのを考えないことにしよう と
そのために鏡池を探しに来たとはゆえ
金之助もネタ探しの訳ではないならば
池に坊ちゃん あちきは嫌でありんす
それよりもっとこう なんとゆうのか
センセは画工と戯作どっちが本分なん
そうだなぁ椿の花に沈むよりはだった
ちょっとお好み焼きでも食べに行くこ
あらセンセどっか美味しいとこあるの
道陀楼麻阿 お店の名は
かのこ と ゆうんだが
『魔性の女』 第五部 明月余情 1
木屋町に昔あったバー「地獄の季節」
その近くにあったグリル「萬亭」とか
懐かしいわ あたしレトロ好きだから
センセに教えてもらった「ソワレ」も
うん 今回のテーマはなかなか難しい
画工でいくか 戯作でいくか 悩む所
中華「豚珍軒」グリル「千両」「エイト」
割烹「竹安」「照代」喫茶「エトワール」
ラウンジ「プレイクラブ」「じてんしゃ」
バー「ガス灯」「白バラ」「狸穴」「卍」
ジャズ「ファンキー」「ブルーノート」
お好み焼き「味よし」おでん「四六十」
そして 串カツ「小安」バー「サチコ」
まだまだあったけども センセのゆう
お好み焼き「かのこ」も行ってみたい
そうだなぁ誰の心の中にもある場所だ
そうゆうものを形にするにはどうする
2
草枕が浮世の柵から逃れたいとゆう美小説だとしても センセは浮世絵を描いてらっしゃいますからね 魔性の女としては宝暦の色男は隅に置けないわ
今回 平沢常富=朋誠堂喜三二(尾美としのり)がやっとわかったが 最後でちょっと出た どうだろうまあ※道陀楼麻阿も彼の笑い噺のペンネームだ
既出の「一流万金談」朋誠堂喜三二作・北尾政演画の他には
「桃太郎後日噺」朋誠堂喜三二作・恋川春町画
「亀山人家妖」朋誠堂喜三二作・北尾重政画
「案内手本通人蔵」朋誠堂喜三二作・恋川春町画
「天道大福帳」朋誠堂喜三二作・北尾政美画
北尾重政(橋本淳)はその内に出てくる重要人物北尾政演=山東京伝(古川雄大)の師匠である 絵師はまだまだいっぱい居るので 配役が楽しみだね
センセは誰の役をやりたいのでしょう
そりゃ写楽だろう 前にもやっている
からまる少年はたぶん歌麿だからねえ
それで魔性の女の相手ができるかしら
ママのような一枚上手のお相手ならば
もっと粋な男衆である必要があります
粋って いったいどうゆうこと?
3
粋とゆうことばは日本固有のもの
女にもあるが 男のばわいが多い
いきでいなせな男 ってゆうわね
このいきといなせも微妙に違うが ツ九
江戸時代に生まれた美意識である 不十
西洋ではシックが近い 元は仏語
コケットは鶏の媚態から来ている
カルメンがハバネラを歌いながら
ドンジョゼに媚びる態度がコケットリーだ
大略 粋の第一の微表はやはり媚態なのだ
つまり 異性間の尋常ならざる交渉である
センセ それって 色っぽいとゆうこと?
それだけじゃない 第二の微表は意気地だ
江戸っ子の気概だ そしてこうもゆうのだ
野暮と化け物は箱根より東には住まねぇと
揚巻のような高名な花魁でさえ啖呵を切る
媚態を霊化したものと考えても良いだろう
傾城は金でかふものにあらず
意気地にかゆるものとこころへべし
太夫にかかっちゃ野暮なお大尽も形無しね
第三の微表は諦め これはどうゆうことか
執着を離脱した無関心つまり垢抜けである
煩悩の体験 懐疑的な帰趨 厭世的な結論
若い芸者よりは年増に多いのはこれが理由
恋の束縛に超越した自由なる浮気心かしら
欧羅巴女性が到達しえない愛嬌が媚態だね
4
センセ
粋が意気地なら なぜ諦めなん?
それは民族的歴史的なものである 言帝
九鬼周造は こうゆうてはります
媚態と「諦め」との結合は、自由への帰依が運命によって強要され、可能性の措定が必然性によって規定されたことを意味している。
あのー よけわかりませんけど?
「月の漏るより闇がよい」
「粋な浮世を恋ゆえに野暮にくらすも心から」
「粋と云はれて浮いた同士 つひ岡惚の浮気から」
「蓮の浮気は一寸惚ぼれ」
「野暮な事ぢやが比翼紋、離れぬ中」
「意気なお方につり合ぬ、野暮なやの字の屋敷者」
粋(いき)の対義語は野暮である
関係する構成要素は 上品 派手 渋味
派手と渋味はちゃうんとちゃう?
上品に対しては下品 派手に対しては地味
しかし渋味については判然たる対立はない
例えば 渋味ー甘味
酸いも甘いもかみわけた とゆうように
いき すなわち 粋の味は酸いのである
和歌山弁では いきな はスイなとゆう
「さび」
O 上品 地味のつくる三角形と P 意気 渋味のつくる三角形とを両端面に有する三角
侘び寂びは慎ましいビンボーから生まれ こうゆうものが見えるようになると残りの頁は少ない
「雅」
上品と地味と渋味との作る三角形を底面とし Oを頂点とする四面体のうちに求むべきもの
風流または風雅である 古くは百人一首あたりに始まる 奈良や京都で取れる気高い作物のこと
「味」
甘味と意気と渋味とのつくる三角
こりゃまた味な真似を つわれてもクチゃ酸いなるほど 醍醐味の醍醐とは蘇 ジョゼフィーヌ
「乙」
この同じ三角形を底面とし 下品を頂点とする四面体のうちに位置を占めている
オツだねぇ そりゃ気が利いているとはゆえ パイオツカイデーの趣はそれぞれにあるんちゃう
「きざ」
派手と下品とを結び付ける直線上に位
不快 気障と書くくらい気に障るいやみのこと 沢田研二のセリフなら好感度が高くなる場合も
5
このタイトルも粋なのかしら センセ
俄仕立てとは思えないだろう 人と我
大河ファンなのね あの二人はどうなるの?
松の井のプッシュは善意か悪意かとゆう論争があるがそのうちわかる 意外なオチも
意外とゆえば 草枕はどうなったのかしら?
旅館の女将 那美も池に身を投げるわけでもなく 画工とどうなるわけでもないんだ
ネタとかオチとか全部最初から考えてるの?
余は脚本家じゃない この話も随時脱線している ママはどんな結末が良いのかねぇ
あたしはセンセと一緒にこれ見に行きたいな
魔性の女 サプリメンタル 5
ママに誘われてから10年の月日が経った
益二郎もいなくなった
そして金之助は
6
十年ロマンス
漱石は小天温泉に出かけて十年後に
草枕を書く
その十年後
明暗を書く が 未完のまま没した
その百年後
金之助は益二郎の世話で奈緒美と出会う
その十年後 再会するとゆうプロットだ
・
美人画の話だけでなく風景画を思い出す
漱石やプルーストも好んだJ・ラスキン
そのラスキンが夢中になった風景画とは
ウィリアム・ターナー
ターナーは漱石が英国留学した年に亡くなった
漱石は松山沖四十島の松を見てターナーと云う
テイトギャラリーで「金枝」を見ていたからだ
この金枝にはさらに重要な寓話がある それは
魔性の女 サプリメンタル 8
2021年末のその日は本来ならば島村抱月の予定だった 翌日のMETでターナーの実物をみた
サロメとオフィーリアの両方を演じたキャストがいたのだ それは
松井須磨子である
三年間の空白期を予兆する転機であった
スワンは失われ もう求めることはない


四月番組編成のため新シリーズ
『クール・ルール』 予告
クールについては以前取り上げているが
今回は 前項の粋の繋がりからの新考察
クールは親と子の世代温度差があっても
基本的には 粋 とゆうより 粋がりだ
反抗的態度をかっこいと思うことなのだ
かっこいいことはなんてかっこわるいと
ゆうた早川も四十年後には自己批判した
親父が ジャックスをクールとゆうなら
息子は ベースメントジャックスなのだ
『クール・ルール』 第一章 紫の煙 1
ハリボガトがロレバコのタバコに火をつけるとき
それはゴロワーズではない アメリカ人だからだ
そんなタバコを吸うているのはピカソかサルトル
当時の有名銘柄はラッキーストライクかマルボロ
やや短めに見えるので前者の方ではないかと思う
クールが出てくるのはハリボガトが死んでからだ
COOL ではなく KOOL は 世界初のメンソール
“Keep Only One Love" の頭文字からきている
ナットキングコールやオノヨーコが愛煙していた
リタヘイワース グレタガルボ マレーネディートリッヒ オードリーヘプバーン アンナカリーナ ぐっと降って ジーナローラン シガニーウィーバー リンダハミルトン キャスリンターナー シャロンストーン シャーリーズセロン
みんなヘビースモーカーのファムファタルである
これはなぜか
2
今回は特にタバコの話とゆうことではない
ハリボガト つまりハンフリー・ディフォレスト・ボガートはぼくと同じ12月25日生まれなのである
映画カサブランカに見られる彼のタバコの吸い方は葉巻のようにつまんで持つ コートの襟は立てる
この映画は舞台がアメリカではないから地元のタバコかも知れない 映画を通してチェックしたが吸い口は白 彼の店ではアメリカタバコを置いているとゆうセリフがあった モロッコのタバコならマルキーズかマルベル 下中の写真ではぼくが店の主人に貰ったタバコにMの頭文字がある たぶん蓋の色からしてマルボロ マルボロやラッキーストライクは初期の物は両切りであった 世界初のフィルタータバコはパーラメント(1931) 国産ではショートホープ(1957)がハイライト(1960)よりも早い
ピカピカの気障な男は女を張り倒し背中を向けて煙草を吸う と沢田研二は歌った 挿入歌の As times go by は 時の過ぎゆくママに とも訳されるが 結局十年ロマンスになってしまっては些か女々しい あくまでこの映画のラストのように襟を立てるべきである
『クール・ルール』 第一章 紫の煙 3
タバコの話でなく酒の話
「君の瞳に乾杯」
(Here's looking at you, kid.) の意訳だが ちょっと違うような気もする
昨夜はどこに居たの
そんな昔のことは覚えてない
今夜は逢えるかしら
そんな先のことはわからない
この有名なセリフはヒロイン・イルザとの会話ではない 酒場でリックに粘着するイボンヌとのもの 彼がすげないのはイルザがなぜ去ったかを知らなかったからである
君は何者で 今まで何をしていたんだ
何も聞かない約束よ
飲んでいるのは マムのコルドンルージュ シャンパン
その他色んな種類の酒が出てくるが ウィスキーが意外とない
コニャック バーボン ワイン シャンパンなどである
ハリボガトが好きな酒はドランブイ ハーブと蜂蜜入りのブレンドモルト
下右 モロッコの居酒屋でぼくが飲んでいるのはミントティ
4
1942年 モロッコ カサブランカ
ハリボガト博士は躍り上がった
おお 長年の研究の甲斐があってついにスイングをビバップしたぞ これで白人には速すぎて踊れないハードなパップ剤を貼り付けることが出来る
そのとき研究室にチャリパカ・クロドレズが入ってきた 彼はヘ口イン漬けになっていたので入ってきてすぐに死んだ
死んだ? 困ったなぁ とりやえずクールダウンしよう
そのとき研究室にチェトベカ・ポルヘリドが入ってきた 彼もヘ口イン漬けになっていたので入ってきてすぐに死んだ
死んだ? しかしこいつは白物家電だから 無視しよう 下手くそな歌のようなバップ剤ではもう肩こりは取れんな なに? こり とれん そうだ コリトレン君を呼んでくれ わしはこんだモード学園に編入しようと思ちょるんよ 金沢公演で夜中に腰イタで世話になったDR白尾はセツナガサワの親戚だからね
ハリボガト博士 時代はもうアヴァンギャルドになっちょります 私は神の啓示を受けました クスリのリスクも脱構築したのです
あのね チミは確かにオール電化してないけど それは死んだからだ また貼りの死んだら神様よ マルキシズムは間違っている なぜならマルキは水に浮くからだ ジャズかジャズでないかのような浮き沈みの二元論が繰り返されるのは デオダ党のようなクロスオー派がダンモを馬鹿にしたからだ 真のフュージョンとはポストモダン つまりポストバップだ バップエレキバンだ これでグリドバグマとロレバコるのだ 如何に真夜中の環状交差点を脱構築したかを見たまへ
5
Here's looking at you, kid.
「君の瞳に乾杯」
4回出てくるこのセリフのシーンは
1 回想 かつての恋人イルザと再会した夜 パリを思い出す
2 回想 パリでの最後のひとときの後 駅での待ち合わせにイルザは来なかった 死んだと思っていた夫が生きていたのがわかったからである
3 現在 リックはイルザと夫の逃亡切符を渡さない しかし
4 ラストシーン もう一度このセリフ
新訳では「この瞬間を永遠に」となっている
Here's looking at you, kid.
がなぜこの意訳なのか
Here’s ~ は乾杯の時の常套句
そしてこの look は(神様が見ている)とゆう意味
, kid. は 年下の女性へ親しみをこめた呼び掛け
以前 "Look of love" を意訳したときに
「見るだけでわかる愛」とゆうのがあって
You've got the Look of love, it's on your face
A look that time can't erase
なのである
イルザは夫ラズロに対して一度も愛しているとはゆうていない 夫を逃がすために切符は欲しいが自分はリックと残りたい と思っていた
3のシーンで イルザはあの日駅に行かなかった理由を告白して
自分でもわからないの あなたが決めて(切符の件)
とゆうが
これを「見た」リックは
何がクールな結末なのかを悟った
彼には ナルシシズム 皮肉な無関心 快楽主義 とゆうクールの三つの核となるパーソナリチが備わっていたのである
6
紫煙とゆうのは タバコの煙のことである
ジミヘンのパープルヘイズは幻覚剤のこと
この紫色はレイリー散乱によるものであり いったん吸い込むと肺の中の水蒸気がくっついて粒子が大きくなるので吐き出す時は白くなる こちらはミー散乱とゆう
ハリボガトが吸っていたのはマルボロではないかと思っているが今のところまだわからない
smoke gets in your eyes とゆう曲は 恋は盲目の意味合いもある 煙が目にしみるのは涙の言い訳なのだ
イバッチや高田の院長が吸っていたのはロンピ 母が吸っていたのは両切りの缶ピ 蓋を開けたときの香りはたまらない DDTが入っているとゆう噂があった 母はいっときフィルターのチェリーを吸っていた これ意外と古いタバコで明治時代からある 戦時中は英語禁止のため櫻と呼ばれた ゴールデンバットは金鵄だ 父の家はタバコ屋もやっていたから古い銘柄はどれも良く覚えている 明治大正の頃の文豪はたいてい敷島を吸っていてぼくはかろうじて朝日を手に入れたが敷島は入手不可能である 前にも書いたようにぼくのタバコは長年ショートホープ これはなぜかとゆうとパンドラの箱ではなく岡田史子の漫画にあったからだ 細かいトコ見てるのよね 青赤白緑がある 青がオリジナル 赤は青に近くやや軽い 白は軽すぎ 緑はメンソール メンソールとゆえばセイラムなども有名だがやっぱりここはクールでしょ 男はKOOLでなければ
『クール・ルール』 第二章 ポストバップのナニガシ 予告
落語のように聞こえる落語を演じることに飽きたことはないかと
マイルス・立川・ダンシガシンダは ウェイン昇太を引き抜いた
第二期黄金5は超感覚的知覚に目覚めてネフェル対々を和了した
アドリブがないわけではないが笑点には台本があったとゆうこと
昇太くん
バースオブダ・クールとバースオブダ・ブルーの違いは何かね
以下次週
クール・ルール サプリメンタル 1
これ先月のことに発売五十五周年だった
ブリューかブルーかについてはともかく
クロスオーバーではない 黒魔術である
コルトレーンが吹くと冷やし中華に浮かぶアフリカの爆弾はお賓頭盧さまになりジャズの諸問題を丸抱えにして神様のスカートの下に隠れたためだ
ジャズがボールアンドチェインの歴史から都会の喧噪と静寂をずっとソヒステケイトしてきた結果 バードランドの前でポリさんにどつかれて 結局オール電化が始まる それはアフリカ帰って黒魔術やったり インド帰って太陽礼拝してカレー絶ちしたり ブラジル帰ってサンバでドンバやったり タンパからフィゲラス行って記憶に固執したり モントルのレマン湖行かずに沖縄の萬湖行って湿地帯保護条約するようになったので 70年代ジャズシーンとゆうのはサイヤ人たちが増殖したのである セクス担当しかり 天気予報しかり マキビシ楽団しかり リッチテキストフォーマットしかり してその根源はやはりここに有った しかし魔女たちが嘯くその陰で ポストバップは死んではいなかった
クール・ルール サプリメンタル 2
ポストバップはいつからか と勉強中
黒魔術をマイルスに吹き込んだのはベンピンより昇太さんかもとスキゾよりジュジュだなとそれを買いに行ってモザンビークの盆踊りをまちごて購たのを思い出すとジュジュ聴いて芸名をつけたなどとゆうているどこどのぶちゃいくなねーちゃんよりはこっちかなと
『クール・ルール』 第二章 シャノワール 1
承前 違いとゆうのは 色のスケールですかね
まーそうだな 今週は色々塗ってみよう まずは
黒はホット 白はクール とゆうイメージですか
ともゆいきれんな フィルムノワールとは何色だ
暗黒 つまり犯罪映画でしょ ハードボイドゥド
ハリボガトなら 三つ数えろ とか マルタの鷹
やっぱりそこですか グレゴリぺじゃなくってね
ダシルハメトやトルマンカポテは詳しくないのよ
ダークヒーローとゆうわけでもないのでしょうか
インディジョーンズやジェームズボンド以上にだ
ホークス的女性が魔性の女として再登場するのね
ポストバップは勉強中につき ちょっとおいとこ
2
ホークス的女性像とは、ハワード・ホークスの映画にヒロインとして登場するような、機知とカリスマを持った強気な物言いをする女性キャラクターを指す映画理論用語である。
最もよく知られているのがロレバコ ローレンバコール
ホークス的女性像は心情を思うままに話し、男性の相手役と機知に富んだふざけた会話を交わし、個人的、性的に欲しいと思ったものを得るために行動を起こす。早口で率直であり、議論では男性を負かすこともできる。肉体的には、ホークス的女性像は古典的な美女ではないが、むしろ身体的に美しい特徴を持っているというよりは活力とカリスマが魅力である。
きみのことだよ
3
シナトラやビンクロと並ぶ大スター ペリーコモ
歌う床屋さんの『イッツ・インポッシブル』(愛の夢)
シナトラとの違いはマフィアを嫌いカジノでは歌わない
・
前章で調べた見るとゆうクールのヴィジュアル感覚とは
男性の凝視は覗き見とゆう公認された行為なのであった
だがクールは見るとゆうより見えるとゆう見方でもある
クールの一瞥は受動的ではなく相手と距離を置く無関心
ーあたしの気を惹いてみなさい とゆう挑発なのである
・
空耳意訳
It′s impossible
いつの日か
Tell the sun to leave the sky
It's just impossible
照りつける太陽は宙を離れ
いつの日か夢を破る
It′s impossible
Ask a baby not to cry
いつの日か
明日の壁はまだ暗い
It's just impossible
Can I hold you closer to me
いつの日か夢にと
昨日もそう思った
And not feel you goin' through me?
Split the second that I never think of you
あの日 夢を通り過ぎたきみが
すぐにでも世界に戻ってくると
Oh, how impossible!
噫 灰となり 星が降る
4
クールの外観はハリウッドを見れば解る ハリボガトとロレバコ以外にも ロバートミッチャム ジェームスディーン マーロンブランド その他大勢のスターがクールとは何かを示してきた
どう見るかとゆうよりどう見えるかとゆうのがクールのビジュワルなら 視覚芸術において連想されるクールとは絵画の抽象表現主義である 理由はクールジャズをBGMにしたからだとゆう
クールの美学は主に五十年代のもので まだ生活様式とまでは認められなかったが民衆のモダニズムと評価された 1947年のマティスの切り絵にはJAZZとゆうタイトルがつけられている
では佐藤や東郷と同じ頃に二科展に出品しているマティスはクールだろうか またポロックやグロッスやカッツやロスコならどうか 彼らの絵画にマイルスのクールの誕生はBGMとゆえるか
抽象表現美術とポストバップは モダンアートやモダンジャズなど当時のモダンとゆう視覚芸術と音楽様式の融和があるのだが 美術史からゆうとモダニズムの全盛期はとうの昔に過ぎていた
例えば アクションペインティングは子供騙しだとゆう者は それが実際にサルには模写できないことを思い知った 抽象表現主義は難しいことを容易く見せる小ネタでホイだったからである
5
クールは全ての感情を表すことを拒むのではなくクールが感傷的だとか月並みだとみなす感情だけを拒む
・
カサブランカは第二次大戦中の映画である
背景を少し整理すると 20世紀初頭に創成したアメリカ映画ハリウッド ユニバーサル パラマウント フォックス ユナイテッド ワーナー MGM コロンビアなどのメジャースタジオはユダヤ人の手によるものだった ここに第一次大戦後 多くの映画制作者がヨーロッパから渡米 例えばイギリスのヒチコック 大規模なスタジオシステムを産む これが四十年代までをピークとしていったん凋落する 理由はテレビの登場である しかしミュージカル映画など娯楽大作は隆盛を極めた 五十年代つまり第二次大戦後は赤狩りの影響でチャップリンら左翼的スターがアメリカを追われるものの シネマスコープの登場で活気は続く 六十年代にはようやくポワチエのようなアフロアメリカンのスターがA面主役級の評価を受け 時代は大作娯楽映画からニューシネマへと移行してゆく
・
美術史の六十年代はポップアートが芸術をクール化してもともと抽象表現のジョーンズらがデユシャンを評価
さらにウォーホールがダダやシュールを見本に高級モダニズムを終わらせてハリウッドを商品化してしまった
音楽史では機能和声中心のロマン派の行き詰まりに対してドビュッシーが教会旋法や全音階を導入したように
商品化を度外視する先鋭的動きがフリージャズの登場でそれはシェーンベルクを待たずとも前衛に行き着いた
而してクールはモードにそしてフリーにフュージョンしたのがポストバップでありそれは新世代の幕開けだが
・
ハリボガトは別の幕引きを考えていた
We'll always have Paris we didn't have we we lost it until you came
「そなたの望みはなんであろうと叶えると決めたのは私だ」
6
ハリボガト博士 話がごっちゃになってますけど黒猫の話はどうなったんですか
まーよいわ いっちゃん有名なのはポォで 漱石の猫は黒猫だったな ちょっと発作的に文豪の宿へ行こうと熊本の同級生に電話したら施設に入ってるがに しかし熊本市内の居宅から峠越えて小天温泉までは山道を歩いて4時間以上もかかるぞ 桶狭間ロケの時とは違うが 小山も孝子峠を越えて尾崎まで歩いて帰ったんだから不可能ではなかろう
はいはい 博士のことやからもう行く気になってますね 那古井館にも問い合わせたんでしょ
話ゃ早いで こうゆうもんは思い立ったら磯の荒波犬吠埼ロケみたいなもんよ 日本三大松原走破もやったしな
それから
自ら身を引く話もそれがクールかどうかは立ち位置による 引く方は自己完結しても引かれる方が十字架を背負うこともある 〆切りはもうすぐ来るのだ
『クール・ルール』 第三章 相剋と反剋 予告
昇太さんに続いてポストバップを担うこのシト 今日はお誕生日である マイルス漱石の門人の中では ウェイン小宮豊隆 ハービー鈴木三重吉 トニー森田草平 ロン安倍能成 の四天王のシトリである 鈴木三重吉は『赤い鳥』が有名で日本の児童文化運動の父
ハービーハンコックはほぼ10年おきのパンデミックを招来し
ヲタメロ カンタロペ 処女後悔などのバップ路線の相剋と
セクス担当 首狩族 フーちゃんショックなどの反剋を呼ぶ
『クールルール』 第三章 相剋と反剋 1
ヲタメロが西瓜ならカンタロペはマスクメロンのことである メロンはパイオツカイデーのことでありデカメロンはX×Xのことである ダンテの神曲に対する人曲であり物語の確立である
ハンコックの次の相剋はCantaloupe Island (1964)
色々あるが四天王の動画が見当たらないので
フレハバ寺田寅彦とジョーヘン内田百閒で行ってみよう ファンキファンキ
「Fm7→Fm7(♭5)/D♭→F/D」
当時としてはちょっと変調
2
処女航海(1965)はハンコック五枚目のリーダー作
ヲタメロやカンタロペより誰に受けたのだろうか
セルフカバーもいっちゃん多いような気がするが
当初ドラムはスチュマーチンだったのが順番はトニウィリに回る もともとトニかく光速4ビートのシトである マイルスにちゃんとハイハットを踏みなさいとおこらえて踏みまくりだんだん速くなって とうとう目に見えなくなった それでフリーからロックに転向した
処女航海はマイルス漱石が超感覚知覚に目覚めた時に同じく出発したので これをポストバップの船出と見るのは正しい
漱石は自己本位の概念を通して自分自身の価値観に従ってやんなさいとゆうたわけで 相剋は相手を打ち滅ぼすものだから反剋も同じ 違うのはその方向である なんできみはあさってむいてるの?
3
7sus4
ポストバップの船出とはゆえ 処女航海はモードジャズである 男性用コロンのCMに作ったのが原型とゆわれる ハンコックの姉がつけた歌詞がある
See the sky, let's explore its blue
Tide is high, the time for your debut
Like a ship, you must leave the bay
On this trip, you'll learn love today
空耳意訳
四海波静かなる蒼き探求
大海の船出に時は来たり
来光の船にマストを掲ぐ
御身の揺らぎは愛の夢に
韻が踏みにくい上に意味が違うとゆわないように
色んなシトが歌っているまずはこれ
意外なグループがカバーしているので下に集める
4
漱石門下・木曜会からマイルス第二期黄金5
小宮豊隆 ウェインショーター
鈴木三重吉 ハービーハンコック
森田草平 トニーウィリアムス
安倍能成 ロンカータ-
寺田寅彦 フレディハバード
内田百閒 ジョーヘンダーソン
和辻哲郎 ジャックデジョネット
滝田樗陰 デイブホランド
芥川龍之介 ジョンマクラフリン
久米正雄 キースジャレット
松岡譲 チックコリア
岩波茂雄 ジョーザビヌル
阿部次郎 ジョーチェンバース
のようにキャスチングするのは単なるお遊びである
全く関係ない物を組み合わせるのはそれなりの物語
漱石もマイルスも 特に弟子を取ってはいないのだ
今週は特にハンコックを見ている マイルスに抜擢される前はドルフィーのところにいたからそこはさしづめ高浜虚子かな デクスタゴードンは森鴎外とか
さらにハンコックを二層に分けるのはフュージョン ポストバップこそ真のフュージョンと書いたが これをどこで区切るかとゆうと ネフェルトイトイのあと1968年のマイルス・イン・ザ・スカイ この時初めてフェンダーローズを与えられた これどないすんのとハンコックは
処女航海はまだ電化されていないので も少しこの辺りの相剋を調べる このアルバムにはモシトツ名曲がある 台風の目だ 船出は大変だったのだ
5
承前 デクスタゴードンを森鴎外とみるのはまちがいでもなかろう 実家は医者だし
デクスタはマイルスより3歳上 鴎外は漱石より5歳上である どちらも師弟関係ではない
映画ラウンドミッドナイトに主演 音楽はハンコック おまけにボビーハッチャーソンまで出演している モデルはレスターヤングとバドパウエルだ
Round midnight はもちろん Body and soul や As time goes by が流れる
ハンコックのデビュー作 Takin' off にも参加している
また彼の象徴的な写真は喫煙シーンである
6
少し遡って モード
クールジャズがウェストコートで白物家電になってもた中 ニューヨークでダンモをやる白人がいた マイルスはいい演奏をするなら緑色の皮膚で青い息を吐いても雇うとゆい抜擢した ただし当初は白ンボは黙っとれとおこらえることも多かった このビルエバンスはマイルスより3歳下である ガーランドに比べられるのは仕方ないが当時としてはまだ早すぎるピヤノスタイルだったとゆうこと これがつまりモーやんのバースオブダ・ブルーである
ハンコックはもちろんエバンスを尊敬してコンピレーションアルバムを選曲している
ブルーイングリーン 例のグルーでもブリーンでもないとゆう奴だが作曲はエバンス 一方でナルディスはマイルスの作曲 キャノンボールはモードがわからなかったので御大はあまりこの曲をやってない
ぼくのエバはモントルーとワッツニューしか持ってないしマニヤではないので木内センセに譲る
エバンスのキャスチングは同じく漱石より3歳若い土井晩翠でどうか ホメロスやバイロンを翻訳し荒城の月を作詞した 藤村よりは男性的
7
ここからは反剋
はたしてこれが五十年前の音楽だろうか
Herbie Hancock - Sextant [Full album] | 1973
クロッシングスも異教であったがここに至ってはビッチェズブルーもサイヤ人の手にかかりまんまにてぐるてんした
マイルス門下生たちの巣立ちにおいて天気予報もリッチテキストフォーマットも巻きビシ楽団も最初はシンセを使っていなかった デジ式一番乗りはハンコックなのである
漱石は処女航海の猫(1905.1)を書いた後 坊ちゃん(1906.4)草枕(1906.9)までの間に異郷の短編をいくつか書いている そのうちの一つが前に取り上げた薤露行(1905.9) イギリス帰国二年後38歳の時であった 一七日間の苦行
このアルバムは32歳の反剋
シンセはパトリックオーソンコンビニ
黒魔術担当はベニマウピンとバスタウィリアムス
9
八のXXは更なる変貌を遂げる
きゅーちゃん大ショックである
1983年つまり首狩り族から十年
グラミーのパフォーマンスまで
「当時の私はヘヴィーな音楽をやっていると感じていて、そのすべてがヘヴィーな状況に疲れてしまった。もう少し軽い音楽をやりたいと思ったのさ」(ヘッドハンターズのライナーから)
その70年代末にヨーロッパのプログレジャズがアメリカに参入してビルラズウェルのマテリアルを産み 彼がハンコックと偶然に出会ってマルコムマクラレンのバッファローギャルの流れでロックイットを産んだ
ヒップホップをもフーちゃんショックしたことによって流れはきゃきゃきゅきゅしてさらにわけわからんなってみんなお手上げである さすがにこれはもうジャズではない と
このとき(1981年)御大マイルスが突然復帰
ゆわば漱石が修善寺の大患から帰ったように
あのねチミ達なにをごちゃごちゃゆうてんの
『クールルール』 第三章 サプリメンタル 1
ポストバップ論からまた少し離れるが
調べるほどにネタとゆうものは拡がる ^^
御大がマンウィズザホーンで復帰したとき
その音楽はまたアサッテを先取りしていた
そもそもはビッチェズブルーで七十年代の幕を開いた後
巣立っていった門徒達を呼び返して同窓会をやったのが
オンザコーナー(1972年)
当時は邪教の如く思われ クロスオー派達は目を剥いた
参加者は
デイヴリーブマン カルロスガーネット ベニーモウピン チックコリア ハービーハンコック ハロルドウィリアムス セドリックローソン デヴィッドクリーマー レジールーカス ジョンマクラフリン カリルバラクリシュナ コリンウォルコット マイケルヘンダーソン ジャックデジョネット アルフォスター ビリーハート ドンアライアス エムトゥーメ ベイダルロイ ポールバックマスター テオマセロ
欠席者は
ウェインショータ- ジョーザビヌル キースジャレット トニーウィリアムス ロンカータ- デイブホランド など
漱石の後に漱石なし
漱石の七回忌に集まったメンバーは
出席が 寺田寅彦、真鍋嘉一郎、森田草平、野上臼川、鈴木三重吉、安倍能成、松根東洋城、松岡譲
欠席が 久米正雄、小宮豊隆、芥川龍之介 ※特に久米は漱石の娘を娶った松岡と絶交状態だった
漱石の子供 長女筆子 長男純一(※夏目房之介は孫) 次男伸六 他?
『クールルール』 第三章 サプリメンタル 2
マイルスのフュージョン一家を漱石の木曜会に見立てて考察するとゆうのはたぶん誰もやったことがないだろう^^
ビッチェズブルー(1970)は
ウェイン・ショーター - ソプラノ・サックス
ベニー・モウピン - バスクラリネット
ジョン・マクラフリン - エレクトリックギター
ジョー・ザヴィヌル - エレクトリックピアノ
チック・コリア - エレクトリックピアノ
ラリー・ヤング - エレクトリックピアノ
デイヴ・ホランド - アコースティックベース
ハーヴェイ・ブルックス - エレクトリックベース
レニー・ホワイト - ドラム
ジャック・ディジョネット - ドラム
ドン・アライアス - ドラム、コンガ
ジム・ライリー - パーカッション
とゆうサックスとギターはともかく
3pf 2bs 3ds とゆう編成が当時としては既に異様であったのに
これがオンザコーナーでは
3sax 5g 4keyb 1bs 4ds 2perc のさらなる変態プレイとなる
以前取り上げた事もある 木曜がなぜThursdayなのかについて
ローマの最高神Jupiterは雷と稲妻を持っている つまり古代スカンジナビア神話の雷神Thorから来ている“Thor’s day”が変化したのである
マイルスも漱石も門徒達にとってはゼウス(Jupiter)とゆうことだ
漱石の木曜会は 門徒が増えて毎日押しかけるのが仕事に支障を来すようになり 毎週木曜日の三時に集まるとゆうことになっただけである 提案者は鈴木三重吉ハンコック
『クールルール』 第三章 サプリメンタル 3
ここで絵画史を見てみよう
前章でマティスについて少し言及したが このマティスの師匠はギュスターヴ・モローである モローの弟子は他にルオーやマルケなどで その指導方針は弟子たちの個性を尊重しその才能を自由に伸ばすことであった(「私は君たちが渡っていくための橋だ」) そして弟子達の画風は象徴主義や退廃からは程遠い表現主義的な画家もので モローに全く似ていないとゆうことだ
戻って マイルスに直弟子はいない しいてゆうとウォレスルーニー
面白いのは マイルス門徒達が巣立ったときにハンコックもザビヌルもコリアもギタリストを入れなかったとゆうこと
最初の電気マイルスの頃にいた常勤ギターはレジールーカスとピートコージーの二人である マクラフリンは?とゆうと実は非常勤なのであった バンドメンバーではないのだ
だからぼくがマクラフリンを芥川龍之介にあてたのは漱石一門ではあるが田端組だからである
『クールルール』 第四章 ツァラとストラ 予告
イースターである
海王星の巳にとってゼロ期はあけたが月運として精算が残っている 次週は特別な週でありとてもヒトクチではゆえない
ゼロ期の大きな宿題であったとある翻訳に尻尾をまいて放り出してしまったからだ 猫と悪魔も結局中途半端に失敗した
漱石は英語教師だったので語学力は素晴らしいものであったはずなのに どうも積極的に翻訳に取り組んではいなかった
そこが森鴎外や二葉亭四迷とは違うところで漱石には漢詩があったが趣味的なものだった ぼくの空耳意訳も同じなのだ
素材と材料の編集工学とでもゆえばちょっとクールでないかなどと粋がっているだけで 所詮小ネタでホイは極めて安直
翻訳では森田草平の一つ下の友人に小説家そして翻訳家で有名な生田長江がいるが 沢山の訳書はニーチェを始めとして
フロベール ゲーテ ダヌンツィオ メリメ ホーマー ワイルド トルストイ ドストエフスキー ツルゲーネフ マルクス ルソー デュマ などこれはもう凄まじく比べるべくもない
そこで
『クールルール』 第四章 ツァラとストラ 1
タイトルはたんなる語呂合わせのいつもの思いつき
それよりこの先はなかなか深いのでどうしたもんか
さて
漱石シトリが始めたわけではないが現代にも通用する業績のシトツが 言文一致 とゆう書き言葉である つまり日常用いられる話し言葉に近い口語体で書かれた文章 ぼくが使うねちゃっとした関西弁もこれだ
漱石以外では二葉亭四迷(漱石の三つ上)が有名で 坪内逍遥(漱石の八つ上)の刺激を受けて「浮雲」を書いた このとき逍遥の勧めで参考にしたのが三遊亭圓朝の落語口演筆記だ 圓朝はあまりに上手いので師匠からもいじめに遭い それならと新作落語を創作した 人情噺や怪談噺が多い中 海外文学の翻案である「死神」などが特筆される 元ネタはグリム童話 翻訳ではないのだが それを聴いた四迷は翻訳とゆうものに拘りを見せる 句読点の数まで原文に忠実に翻訳したのである 欧文には音楽のような流れがあるのに日本語ではそれが止まってしまうと意訳も試みた だからぼくも一行文字数や句読点の撤廃に拘る
漱石の I love you =月がきれいですね に対して二葉亭四迷は 死んでもいいわ とした逸話は有名だ しかしこの漱石の名訳は都市伝説でそんなことをゆうた記録はないし 四迷の方のツルゲーネフ「片恋」の名訳もまー拡大解釈である
ツルゲーネフの原文は
— Ваша… — прошептала она едва слышно.
英訳は
“Yours”… she murmured, hardly above a breath.
直訳すれば (私は)あなたのもの である
これがなぜこうなる
「死んでも可いわ…」とアーシヤは云つたが、聞取れるか聞取れぬ程の小聲であつた。
♭
ポストバップの流れでこれに相当するものは
コルトレーン である
なぜか
2
二葉亭四迷と漱石は朝日新聞社の三年ほど先輩・後輩である 石川啄木はさらに後輩 漱石は四迷が朝日にいることを知らなかった 互いに好感を持ったが特に親交はない 偶然銭湯で出会った話や 鰻の「神田川」で席を共にした話がある 面白いのは名前をつけていない白猫を飼っていて漱石の家の黒猫と好対照 そして四迷はロシア語が堪能で特派員としてベテルブルグに行く直前に漱石山房を訪れている 女性関係の逸話はあまりないが離婚と再婚を経験 ツルゲーネフをやっているくらいだから写実主義とはゆえ秘めたる女性観はあったと思う
問題は四迷の師匠の坪内逍遙で 当時東大の近くにあった根津遊郭の常連 そこの花紫と恋に落ちて結婚した(下左) 遊女と結婚したのはいま大河にやっと出てきた山東京伝や昭和の生島治郎くらいであまりいない 逍遥は滝沢馬琴に心酔していて この馬琴がまた山東京伝が二度も花魁と結婚したことを批判するので話はややこしい 芸者と結婚した文豪は泉鏡花や永井荷風などがいるが 芸者と娼婦は違う ちなみに逍遙の弟子・島村抱月は松井須磨子との不義で破門された 弟子達にその点で厳しかったのは自分が娼婦と結婚した引け目であるかも知れない しかし逍遙がシェイクスピアの全作品を翻訳したのは偉業
坪内逍遙(1859)と森鴎外(1862)と夏目漱石(1867)の三人は明治生まれではなく幕末の生まれである
鴎外も離婚していて二度目の妻・志げは17歳も年下の美人(下右) 舞姫の一件は以前取り上げたがエリスは踊り子で娼婦のようなもの 現地妻でしょう 鴎外の逸話は沢山あるのでまた別の機会にする
マイルスの師匠がパーカー 漱石は特にない
鴎外にデクスタゴードンを当てたので 後は
年齢的に四迷をパウエル 坪内をガレスピー
コルトレーンはマイルスと同い年なのだから
漱石と同い年なら正岡子規とゆうことだがね
サプリメンタル 1
以下マイルスを除いて左右が対応しているわけではない
ガレスピー 1917
モンク 1917
ブレイキー 1919
パーカー 1920
ゴードン 1923
坪内逍遙 1859 ガーランド 1923
森鴎外 1862 パウエル 1924
二葉亭四迷 1864 ステット 1924
夏目漱石 1867 マイルス 1926
正岡子規 1867 コルトレン 1926
幸田露伴 1867 エバンス 1929
尾崎紅葉 1868 ロリンズ 1930
山田美妙 1868 ブラウン 1930
土井晩翠 1871
国木田独歩 1871 ザビヌル 1932
田山花袋 1871 ショーター 1933
樋口一葉 1872 カーター 1937
与謝野鉄幹 1873 ハバード 1938
泉鏡花 1873 ハンコック 1940
高浜虚子 1874 コリア 1941
与謝野晶子 1878 マクラフリン1942
有島一郎 1878 デジョネット1942
永井荷風 1879 トニウィリ 1945
岩波茂雄 1881 ジャレット 1945
森田草平 1881 ホランド 1946
鈴木三重吉 1882
安倍能成 1883
小宮豊隆 1884
北原白秋 1885
平塚らいてう1886
石川啄木 1886
谷崎潤一郎 1886
萩原朔太郎 1886
折口信夫 1887
菊池寛 1888
室生犀星 1889
和辻哲郎 1889
内田百閒 1889
松岡譲 1891
久米正雄 1891
芥川龍之介 1892
佐藤春夫 1892
江戸川乱歩 1894
井伏鱒二 1898
横光利一 1898
川端康成 1899
3
真夜中あたり
試しにみっつ
暗やみのなかの潮騒に湯浴みするきみの影絵を踏む
月山水の向かふに見える山間とここはふたつの国境
ふりかへり許したまへと垣間見る想ひ想ふや天浮橋
あれは未完だったのかい 金ちゃん
春の川の隔たり とでも 常ちゃん
そうだまた一緒に温泉に行かないか
白楽天の温泉水滑にして洗凝脂だな
・
新しいバンドを考えていたマイルスはロリンズに打診したのだがかなわず ある無名のサックスマンを選んだ しかしヤクはやるは酒は飲むはおまけにステージを何度かすっぽかしたため どついてクビ ところがその男はモンクに拾われ更生し 再びマイルスのもとに戻った モードとゆうお土産を持って
・
峠の茶屋に黒猫がいて その名前は
・
Sadder than is the moon's lost light,
Lost ere the kindling of dawn,
To travellers journeying on,
The shutting of thy fair face from my sight
・
言文一致はモードジャズのようなものだ
「あれが本当の歌です」と女が余に教えた
・
今一歩を踏み出せば、せっかくの嫦娥が、あわれ、俗界に堕落するよと思う刹那に、緑の髪は、波を切る霊亀の尾のごとくに風を起して、莽と靡いた。
その極大を ともに
4
なにもなく一日が終わる それがどんな楽なことか
今日は木曜会の日ですよ あの話の続きはいったい
言文一致がモードジャズ だなんてたいそなことを
二葉亭四迷だけはでない 山田美妙や樋口一葉とか
センセ以外に鴎外と露伴 つまり三尊とゆう位置付
・
ポストバップが木曜会で議論されるとゆうのは面白いです 門徒たちが漱石のいささか古い道徳感を批判するダダみたいなものと考えるのはどうでしょう 実際に彼らは好いたこと書いてます でもマイルスはそれとは少し違う 特にショーターの存在は大きく サンボリズムの影響もある 印象派に哲学はない だからツァラなんですよ トリスタンの語源はご存知ですか
5
坪内逍遙 1859 チャーリーパーカー 1920
森鴎外 1862 デクスターゴードン 1923
まず仮にこうしてみよう
坪内逍遥は
小説を美術(芸術)として発展させるために、江戸時代の勧善懲悪の物語を否定し、小説はまず人情を描くべきで、世態風俗の描写がこれに次ぐと論じた。 客観的に事象を描くことを没理想と捉え 例えばシェイクスピアをそのように評価した
森鴎外は
自らが専門とした文学・医学、両分野において論争が絶えない人物であった。文学においては理想や理念など主観的なものを描くべきだとする理想主義を掲げ、事物や現象を客観的に描くべきだとする写実主義的な没理想を掲げる坪内逍遥と衝突する。
パーカーが尊敬するのはバッハ ゴードンもバッハが好きなのでこの二人をあてるのはあまり意味はない 客観的か主観的かとゆうのも変で バッハのビート感とゆう点において没理想か理想かとゆう程度 まージャズマンたちは総じてヤクや酒や女の点において風俗的である
もうシトリ師匠を批判した二葉亭四迷もあるので これにソニースティットを当てておこう
三尊の 理想主義の幸田露伴や写実主義の尾崎紅葉も擬古典で ガーランドとパウエルを当てる
なので累々たるバップの流れを智に働いて角を立て情に働いて竿をさすのが 漱石=マイルスとゆうわけだ もちろん共通点はないけれど 反自然主義とゆう点において論じることはできる
それは大正時代が明治に比べて より西洋の精神文化を本格的に受容したからである 特にニーチェをどう受容したかとゆうことだ
ツァラとストラはかくかたりき
サプリメンタル4
幸田露伴は動かない とゆうのは?
なんじゃ 映画はまだ来月公開だや
四月もあと少し ゼロ月も終わりで
今週は想定外と想定内が
次のネタはどないしま
ネオダダでもやるか
四月中に精算でつ
>ダダは僕らのはげしさだ(中略)ダダはスリッパもなく比較もない生活だ(中略)まさしく未来には反するものだ(中略)僕らの反独断的態度は役人と同じくらい排他的である(中略)しかも僕らは自由じゃない(中略)だから自由を叫ぶのだ(後略)
「ダダは何も意味しない」
ひとつの宣言を公にするにはA,B,Cを希求して1,2,3を撃破せよ
以下次章

『クールルール』スピンオフ 幸田露伴は動かない 1
変のシト 幸田露伴
日本近代文学の代表は鴎外 漱石 露伴である
露伴と漱石は同い年(1867)他にも正岡子規 宮武外骨 南方熊楠 斎藤緑雨 翌年だが早生まれに尾崎紅葉 七人の慶応三年の旋毛曲り 明治二十年代を紅露時代 坪内逍遥と森鴎外を入れて紅露逍鴎時代ともゆう
父は幕臣で表坊主 兄は探検家 弟は今の一橋の教授 妹はピアニストの延とヴァイオリニストの幸 娘が小説家の幸田文 とゆうハイカラ家族
逓信省官立電信修技学校卒後 北海道で電信技師をしていた頃は地元の芸者に人気があったとゆう
面白いのは未来学に通じて『滑稽御手製未来記』で無線送電 動く歩道 モノレール 電気自動車等について記している 元祖SF作家ではない
井原西鶴を愛読していたが 坪内逍遥の小説神髄や当世書生気質を読んで文学にめざめ 職を辞して帰京 「里遠しいざ露と寝ん草枕」から「露伴」の号を得る 漱石とも繋がる同期の友人で帝大学長の狩野亨吉に見出されて国文学講師になる
道教のパイオニア 富岡鉄斎と同じく漢籍に詳しい 擬古典主義の代表 「五重塔」や「運命」は文語体なのでその熟語 漢字は まず読めません
2
「動かない」は「露伴は主人公ではなく あくまで物語のナビゲーターである」という意味 そもそもスピンオフ・外伝は描かないとゆう条件で「懺悔室」の依頼を受けたが 荒木はどうしても狂言回しが必要になったのだ
とゆうことだからね
ぼくは木曜会じゃない 千駄木の林太郎(森鴎外)センセのところに集まっていたのは ぼく(幸田露伴)と常ちゃん(正岡子規)と徳ちゃん(尾崎紅葉)たちだ
常ちゃんがぼくの「風流仏」を読んで自分の書いた小説「月の都」を持ってきたとき 小説より俳句をやるべきだと勧めた そのこと金ちゃん(漱石)は知らない
それでどうなったか
・
モンクはトレーンになにを教えたか
しかしモンク自身は気が狂っていた
・
セクション423
3
露とははかなきもの 伴とは共に過ごすこと
えらいとこにハマってしまったと思わないか
言文一致を勉強するなら ぼくの同期である徳ちゃんこと尾崎紅葉も読んでみると良い ちょうど黄金週間が始まる つまり金色夜叉 マイルスの黄金クインテットでも聴きながらではどうかね
紅葉一門は泉鏡花や徳田秋声や田山花袋などたくさんの英才がいる 木曜会とならぶ硯友社は梁山泊のようなもんだ
二葉亭四迷と夏目漱石が朝日新聞なら
ぼく幸田露伴と尾崎紅葉は読売新聞だ
・
漱石自身がどうゆうたにせよ
草枕にもプロットはあるのだ
プロットにはもともと罠とゆう意味があり プロットとスクリプトとエピソード そのメタストーリーには様々なシンボルや記号そして場所がある そして物語にはコーダがあるとゆうことだ
・
四月の辰は終わり 五月の巳が周る
最初にそれが三つ揃うとき 真理の開拓がまた始まる
4
マイルスとコルトレンが同い年であるとゆうのは意外とみんな知らないのではないか
1926年生まれですね 他には誰が居ますか
ジョージマーティン デビッドチューダー ※以上早生まれ ニニロッソ チャックベリー ルードナルドソン ※以下翌年の早生まれに アントニオカルロスジョビン スタンゲッツ
となると 露伴先生と紅葉先生を当てられるシトは思いつきませんね
ひとつ上ならオスカーピーターソン テオマセロ ひとつ下ならジェリーマリガン エルビンジョーンズ リーコニッツがいるが テキトーなのはない 変人とゆうことならだいぶ上だがモンクだろう 言文一致を新機軸と見れば少し下のビルエバンスとゆうのはどうか
マーこじつけですけど 岩波茂雄をテオマセロとゆうのはどうですか
むしろその女婿の小林勇の方が出版人だが変コだね そもそもぼく(露伴)はそげに変人ではない 変な奴は他にもいっぱいいるからな
そんなことばっかゆうてたらまた村田由美先生におこらえますよ 資料は送ってくれるそうですけど^^
42
金ちゃん(漱石)の写実主義と ぼく(露伴)の理想主義については 自然主義と浪漫主義とか 主観と客観についても なかなかヒトクチでは説明できんよ 彼は写実とゆうより写意とゆう点において 「自然を寫す文章」の一文を記した です・ます である・のだ だけが言文一致ではないと
小説はその要素であるプロットとスタイルの実力において欧羅巴の小説家に及ばないと思っていた だから鴎外先生を含めて我々はその難題に取り組んだ それらは明治18年から38年の間に未完の状態で多くは中絶した 二葉亭四迷の『浮雲』もそうだ 尾崎紅葉も斎藤緑雨も徳富蘆花も川上眉山もみんな途中でずっこけている その中で金ちゃんはえらい 英国でおキっちゃんになっただけのことはある 小天から草枕まで十年かかったのである そこにある遁世の文学は 実は猫や坊っちゃんの裏にもその深淵が覗けるのだ
・
ポストバップはビバップをどうしたか
ネオダダがプロトポップをどうしたか
ネオダダは マイルスより一つ上のロバート・ラウシェンバーグや四つ下のジャスパー・ジョーンズ等が有名で 時代としては50年代から60年代 つまりマイルスがコルトレン呼んで第一期黄金クインテットを組んだ時代に重なる 『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』(1956)
423
前項で岩波茂雄が出たのは 岩波文庫の最初の刊行が漱石の知遇を得た「こゝろ」だからでつ その後露伴の「五重塔」などが続くまじめな本屋さんでつ だから永井荷風のようなえっちな全集が出たときはみんな驚きまつ もちろん漱石にも恋愛小説のようなものはあり「草枕」にも那美の裸身の描写がありまつ
頸筋を軽く内輪に、双方から責めて、苦もなく肩の方へなだれ落ちた線が、豊かに、丸く折れて、流るる末は五本の指と分れるのであろう。ふっくらと浮く二つの乳の下には、しばし引く波が、また滑らかに盛り返して下腹の張りを安らかに見せる。張る勢いを後ろへ抜いて、勢の尽くるあたりから、分れた肉が平衡を保つために少しく前に傾く。逆に受くる膝頭のこのたびは、立て直して、長きうねりの踵につく頃、平たき足が、すべての葛藤を、二枚の蹠のうらに安々と始末する。世の中にこれほど錯雑した配合はない、これほど統一のある配合もない。これほど自然で、これほど柔らかで、これほど抵抗の少い、これほど苦にならぬ輪廓は決して見出せぬ。
・
露伴の元ネタのシトツは井原西鶴である 西鶴の俳諧はオランダ流
漱石の元ネタのシトツはジョン・ラスキンである 随所に出てくる
・
このジョン・ラスキンの手引きによってヴェネチアを真に発見する以前のプルーストにとっては最も重要な外国とゆうのはむしろオランダであった 彼はオランダ絵画に憧れを持っていた 例えばレンブラント 1896年に発表した『楽しみと日々』では四人の画家 キュイプ ポッター ワトー ヴァン・ダイクであり ワトー以外はオランダの画家である 彼は二回オランダに旅行する そしてヴェネチアも 彼のオランダ体験を元に書かれたであろう『失われた時を求めて』の初版の女主人公は マリアとゆうオランダ女性であった のちにアルベルチーヌが取って代わることになるこの女性は 遠くにアムステルダムの美しい運河が見えるのであった その名前がなぜ消え失せたか
・
ネオダダが産んだ反芸術はポップアート これは力点主体と餡泥お堀 あの有名なバナナよりずっと以前にこんなジャケットデザインがあった マイルスはこれを見てどうしたか
・
これらの一見関係ないできごとは全てある数字に帰結する
五月の初夢はまた道に迷う夢である
今度の舞台は孝子駅のあたり
市駅からなぜか終電に乗ってしまう 降りたのは孝子駅 帰る電車はない タクシーを呼ぼうと携帯を出すがいつもの如くうまく操作はできない どこかの店へ入ろうと歩くがどんどん閉まって 一軒開いていたところに入ると タクシーを呼んでくれるらしい そこは最初は民家だったが 次第に人が集まってきて飲み食いしている 宿でもないが茶屋のようなものだろう 携帯の操作に困っていると店の娘が来て こうすればと教えてくれた ふと気づくとそれは自分の携帯ではなかったのだ どんどん時間は経っていくが タクシーはまだ来ない
とゆうところで目が覚める
続き見よう
お店は峠の茶屋だったんだな 奥の方にいるおばさんが真夜中だとゆうのに忙しそうにしている 先程の娘は那美さんだろうか どこかへ行ってしまった
かかっていた曲はトミーフラナガン あーこれもあの時代だ マイルスよりは少し歳下
今日はまた怖い夢を
隣人たちが次々とエイリアンまたはゾンビ化して襲ってくる まともな人間たちとの戦いが一進一退する中 ぼくはエイリアンになったふりをして生き延びてきた そこでおぼんちゃんに出会い 大丈夫かと確かめた途端 その目がゾンビ しまったバレた
そこで はーっくしょーい と苦沙味一発
おぼんちゃんは正気に戻り次々とエイリアンに風邪が広がって大逆転
とまーこれでは宇宙戦争のオチでないかい
目が覚めるが 続きは見たくないな 夢は意地悪だし どうせまた再逆転もあるからだ 良いとこでやめとかないと こんな夢に限って続きを見る 寝たらあかん 寝 た r
黄金週間はアルプスの山道を歩いて考えてくる
4月の一連のテーマは当初のクールルールを脱線したが まだまだ考察しなければならないところが多々ある
言文一致だけでなく文学の大衆化をどう見るかとゆうと 例えばクリードテイラーを批判するだけでは足らん
明治大正の大衆小説の興隆は尾崎紅葉の金色夜叉を始め 時代小説や探偵小説や口語詩や新傾向の俳句や短歌
これを七十年代クロスオーバーに当てはめるとゆうのは 井原西鶴再評価をバップの新主流と見るようなもの
昭和に入ってモダニズム文学やプロレタリア文学に続き 第一次大戦後の欧羅巴のダダイズムが日本の新感覚
近代文学とは戦前の文学で戦後の新たな変革は現代仮名遣いと新字体である これをポストバップとしておく
次のチャプタを考えるため余はしばらくサボる
雪の山路を 登りながら
ナンモ
考えない
厭世ではなくて 遁世 だからだ
次のネタは ない
5月5日 月曜 晴れ
いよいよ立山アルペンルートに向かう 朝の五時半から当日券を買いに並ぶ すでに百人以上並んでいる かろうじて買えた一番早い切符は9時頃発 これなら黒部ダムまで行けないことはないが まだダムの観光放水はやっていないのだ 帰りの時間が読めないので山頂の室堂までと諦める 山頂は雪の大谷とゆうくらいで 雪原広々 昨日はガスで視界は悪かったようだが今日は大丈夫 事前に確かめてはあったのに雪道転びまくりで滑り止めを買う えーとその名前は? ここで ♪ 花も嵐も踏み越えて~と歌う 二番まで歌ったところで あー あの「アイゼン」 と気づく とまーこれはかの漫画トリオのネタである わかりにくいネタ話から句読点を引き抜いてさらにわかりにくくしているのが小ネタでホイである 予定を少し端折って下山した

次のシリーズをまだ思いつかないので
もすこしポストバップを聴いてみよう
前に 岩波茂雄をテオマセロと見たが
ヴァンゲルダーとゆうのはどうだろう
ブルーノートのアルフレッドライオン
との知遇が彼を第二の人生へと導いた
プレステッジ サボイ ブルーノート
さらにインパルスのほとんどの録音で
ジャズマンではなくエンジニアであり
マイルス始め多くの偉人作品に関わる
https://www.youtube.com/watch?v=eDrGQDGTAT0
CTI にも参加しているが本意ではない
意外なところで菅野よう子の依頼も受けた(カウボーイビバップ
スピンオフサプリメンタル
漱石が英国に派遣されたのは英文学ではなく英語教育の研究のためであった 自分で洋行をしたかった漱石にとってそれは良し悪し 英国は予想に反する環境でオモロなかった
自国語でありながらまともな英語を話せる連中が上流階級の一部だけで あとは訛りはひどいし語彙も少ない このことは昔から国民的に識字率が高い日本人とはえらい違いだ
漱石は身長コンプレックスを含めて研究は進まない おまけに英文学そのものにも嫌気がさすような精神状態になる これを救ったのが意外な人物 明治35年5月5日のこと 漱石の下宿にやってきたのは一人の物理化学者だった
池田菊苗 (漱石より三つ上)
二人は毎日 世界観 哲学 文学 女性観に至るまで 深く真摯に語り合った 菊苗も漱石の文学への洞察力に感じ 幾度となく作家になることを薦めた
「倫敦で池田君に逢ったのは、自分には大変な利益であった。御蔭で幽霊の様な文学をやめて、もっと組織だったどっしりした研究をやろうと思い始めた。」
漱石は帰国後も研究を続け遂に小説家の道に歩む 一方の菊苗も帰国後は帝大教授として教鞭をとりながら化学者として研究を重ね 第五の味覚 旨味=グルタミン酸を解明する 日本の十大発明のひとつであり のちの味の素である
・
マイルスにとってだいぶ年上だが
ギルエヴァンスとゆうのはどうか
またそげなこじつけを たしかに当時のマイルスにとっては最初の妻フランと同じく重要な人物で シトツの転機でしょうが まだ考察が足りません クールの誕生からアヘッドを経てスケッチオブスペインへと続く流れはサードストリームと呼ばれ バップの王道ではなかったので
それよりも大きな転機はオール電化では? アーサーウェイリーと八木秀次みたいな
十大発明家と発明品
豊田佐吉:木製人力織機
御木本幸吉:養殖真珠
高峰譲吉:アドレナリン
池田菊苗:グルタミン酸ソーダ (味の素)
鈴木梅太郎:ビタミンB1
杉本京太:邦文タイプライター
本多光太郎:KS鋼
八木秀次:八木アンテナ
丹羽保次郎:写真電送方式
三島徳七:MK磁石鋼
スピンオフサプリメンタル2
スピンオフのスピンオフはやめれとゆーSW原理主義者のゆい分はわからんでもないんだがね
とチーフはゆい 新たにフェンダーローズを三重吉に渡して でわこれを弾いてみろと宣った
夏目漱石 1867 - 1916
森田草平 1881 - 1949
鈴木三重吉 1882 - 1936
安倍能成 1883 - 1966
小宮豊隆 1884 - 1966
マイルス 1926 - 1991
コルトレン 1926 - 1967
エバンス 1929 - 1980
ジミコブ 1929 - 2020
ポルチェン 1935 - 1969
ショーター 1933 - 2023
カーター 1937 -
ハンコック 1940 -
トニウィリ 1945 - 1997
ここはやはり第二期黄金伝説を選ぶべきところ
年齢順にあてていなかったがちょっと考え直す
Whaddaya think ‘bout Post Bop stuff like that ?
スピンオフサプリメンタル3
小宮豊隆 安倍能成 鈴木三重吉 森田草平
この漱石木曜会四天王が次のチャプタを担う
小ネタでホイは異質なものの組み合わせ
彼らが異次元で何をするかがネタである
六代目笑福亭松鶴 三代目桂米朝 三代目桂春団治 五代目桂文枝 上方四天王の落語家を演じるとゆうのはどうか
それは難しい だいぶ勉強せんならんて
阿修羅王または厩戸皇子と四天王てのは
それは前にナルト秘帖でやったんちゃう
酒井忠次 本多忠勝 榊原康政 井伊直政
今年のネタじゃないし あまりオモロない
やっぱ第二期黄金クインテットでいきましょ
ショータ ハンコク カータ ウィリアムス
ポストバップでフュージョンしよう てこと
・
新シリーズ 『フリーダムジャズ談義』 予告
大正十二年の或る日 三四郎こと小宮豊隆はベルリンフィルハーモニー大学でヘーゲルのライブを受講していた
ヘーゲルに毫も哲学を売るの意なし。彼の講義は真を説くの講義にあらず、真を体せる人の講義なり。舌の講義にあらず、心の講義なり。真と人と合して醇化一致せる時、其説く所、云ふ所は、講義の為めの講義にあらずして、道の為めの講義となる。
https://youtu.be/bayh-zc68vQ?si=z6MwPPrf12NVgRFC
以下次回
スピンオフサプリメンタル4
キャスチングでまだ悩んでいるところだが
一応こうしよう ご意見があればどうぞ
年齢は順不同になるので 参考とした
夏目漱石 1867 マイルス 1926
山川信次郎 1867 テオ 1925
正岡子規 1867 コルトレン 1926
幸田露伴 1867 エバンス 1929
尾崎紅葉 1868 ロリンズ 1930
寺田寅彦 1878 ザビヌル 1932
岩波茂雄 1881 ゲルダー 1924
小宮豊隆 1884 ショーター 1933
安倍能成 1883 カーター 1937
鈴木三重吉 1882 ハンコック 1940
森田草平 1881 トニウィリ 1945
阿部次郎 1883 ハバード 1938
野上豊一郎 1883 ベンソン 1943
和辻哲郎 1889 ジャレット 1945
内田百閒 1889 ホランド 1946
松岡譲 1891 コリア 1941
久米正雄 1891 デジョネット1942
芥川龍之介 1892 マクラフリン1942
フリーダムジャズ談義 1 ドリアン
小宮豊隆の専門はドイツ文学
ゲーテ シラー ハイネ ニーチェ
カフカ ヘッセ グリム ブレヒト マン
明治38年 東京帝国大学文科大学独文科入学
学生時代から漱石門下 木曜会メンバーとなる
四天王では筆頭格 伝記の編纂でよく知られる
アブラゼミとニイニイゼミについて
斎藤茂吉と二年余りも論争したのは有名
閑さや岩にしみ入るのはニイニイゼミです
あの季節に山形でアブラゼミは鳴きません
あれは夜泣きです 時そヴァです
・
音楽的なルールをよく知った上で
それがもし上手くいかないときは
ルールそのものを曲げましょう と
カントやフィヒテに始まったものを
さらに同胞のシェリングも批判した ヘーゲル
感性は直観である
これは悟性とゆう思惟能力に素材を提供するものが感性であり
またその素材は感性が何らかの対象から受け取るものちゅこと
直観は成立してもまだ素材としての論理的思惟は働かないのだ
金と暇が出来てもチンコが勃たねばカントも意味がない このバワイ理性は邪魔者である
推敲編集
(初)山寺や 石(いわ)にしみつく 蝉の聲
(後A)さびしさや 岩にしみ込む 蝉のこゑ
(後B)淋しさの 岩にしみ込む せみの聲
(成)閑さや岩にしみ入る蝉の聲
フリーダムジャズ談義 2 リディアン
つまり リディアン・クロマティック・コンセプト ちゅうことやね 小宮くん
ジョージラッセル博士がチーフ(マイルス=漱石)にサウンドチェンジを問われて コーダルからモーダルへと垂直侵入または水平思考したんです
コルトレン・チェンジだ 小宮くんは大学時代にコルトレンと一緒に練習したことがあるだろう
そこがヘーゲル弁証法の始まりです ニイニイゼミがコルトレンを吹けば蕎麦屋が儲かるわけですね テーゼ アンチテーゼ ジンテーゼ とゆうと ヘーゲルは3 シュライエルマッハは2 シェリングは4で表されます 例の四二三問題はここにもある
>
コルトレーンテーゼとゆうものがあって一つのテーゼに対してアンチテーゼが生まれるとそれを総合的に説明するジンテーゼが出てくる ところがジンテーゼが生まれるとまた新しいアンチテーゼが生まれ そこからまた新しいジンテーゼが繰り返される つまりこれは弁証法である 例えば「マイフェイヴァリットシングス聴いてお好み焼きが食べたい」とゆうテーゼに対して「アゲインも聴いて焼きそばも食べたい」とゆうアンチテーゼが用意される時「オムそば食べればえいんとちゃう? ただしオムを聴くと人格がワヤに」とゆうのがジンテーゼの一つである アフリカブラスの人数大杉とゆうならコンボを聴きなさいであり チェイシンザトレーンのシーツオブサウンド息長杉とゆうならバラード聴けば?であり フリージャズて何じゃとゆうならジョニハートマンでも聴けばよいのだ ただし至上の愛なんぞを聴いてはらえそ行きたがるなどは勝手にすれば宜しい コルトレーン最大の誤謬はジャズの抱える諸問題を丸抱えにして神さまのスカートに隠れてしまったことだとも平岡はゆうたが 確かに神格化論者に面白い人はいないし そもそもコルトレーン自身は前衛ではない 真の前衛はコルトレーンも尊敬しているオーネットコールマンの方である
フリーダムジャズ談義 3 フリ事案
エキゾチックじゃないかね 小宮くん
第2音を半音下げたマイナースケールだからです
昭和時代のことですが ぼくが東京音楽学校(のちの東京芸大)校長になって 邦楽科廃止を訴えたのは邦楽が世界の芸術の仲間入りをするためには必ず洋楽の過程を経なければならぬというのが自分の信念だからです
それは科学的なことなのか 小宮くん
チーフの教えです 「猫」に出てくる水島寒月は物理学者の寺田さんでしょ 地球磁気の研究はまだ良いとして 首縊りの力学とか 団栗のスタビリチーを論じてあわせて天体の運行におよぶとか 蛙の目玉の電動作用に対する紫外光線の影響とか これらは一体何ですか イグノーベル賞でも目指しているのですか 「三四郎」の野々宮の研究も同じです
うむ カントは世界を現象と物自体に分けた そして理論理性は現象の認識を担当し実践理性は物自体に関わる行動を担当する つまり認識と行動では異なる理性が働くとゆうことだ しかし理性とはこのように分裂せんとあかんのかとゆうのがドドイツ観念論なのだ きみはヘーゲルの母の名前を知っているだろう
マリア・マグダレーナ・ルイーザ・ヘーゲルです
これでもぼくは能や歌舞伎も勉強してますからね
チーフは英文学者として作家を育てるより
科学的に学者を育てたいのではないですか
でもぼくがやりたいのは作曲です
超感覚的知覚でやってみましょう
例えば九州と京都の色の違い は
フリーダムジャズ談儀 4 ミクソリディアン
ブルースっぽい響きやねぇ B♭7
うとうとして目がさめると
小宮が木曜会に連れてきたのは 中村吉右衛門であった
吉右衛門は顧問になって貰おうと思っていたようである
漱石は歌舞伎に興味がなかったため一時的なものだった
高浜虚子の紹介で熊本では謡を習っていた 後架先生だ
小宮の主張はこうだった
邦楽は過去の芸術であり大学で教育すべきものではない
そこで寺田寅彦に感化されて漱石が聴いたクラシックは
モーツァルトやベートーヴェンであった わかりやすい
「猫」の苦沙弥はヴァイオリンを鳴らす
「三四郎」の美禰子はバイオリンを弾く
美禰子は イプセンの女
・
夏目漱石 氷 卯 マイルス 水 寅
小宮豊隆 水 申 ショーター 氷 酉
安倍能成 魚 未 カーター 冥 丑
鈴木三重吉 土 午 ハンコック 火 辰
森田草平 海 巳 トニウィリ 氷 酉
中村吉右衛門 1886
マイルスの聴いたクラシックで モード旋法とゆえば
ドビュッシー 1862
ラヴェル 1875
ストラヴィンスキー 1882
小宮は漱石にくってかかることも度々あった
ぼくはコルトレンのパダワンではありません
こんだ ちょっと新しいことをやりましょう
森田くんに頼んでこんなんをやってみました
フリーダムジャズ談儀 5 エオリアン
Freedom Jazz Dance は白人には踊れませんよ
https://youtu.be/yJ11cArknek?si=JJxeXgo7wPsb-t6K
なんじゃこのリズムはっ 森田米松(草平)くん
キミにはハイハットをちゃんと踏めとはゆうたが
これでは全拍踏みたおしではないか 4ビートか
ですよねー 8ビートでもないです あはははは
あははではない この時代にはまだ早すぎるのだ
ワンコードアドリブしまくり千代子はジミヘンだ
ファンクみたいなもんですか それも違うような
ジャズとファンクを六十年代からフュジョンした
エディハリスはWショーターよりひとつ下である
電気増幅サックスや リードトランペットを考案
エレピもやる インザスカイより前に電化した人
・
森田草平は私生活に不祥事が多く
門下生の中では異色の存在である
数々の逸話はまた後述しよう
・
トニーウィリアムスが抜擢されたのは
1963年 彼が若干17歳のときである
得意技は4ビートだが年々早くなって
とうとう
・
死因はどちらも胆嚢からの病変である
フリーダムジャズ談儀 6 ロクリアン
(1899) 明治32年8月4日
日本初のビヤホール「恵比壽ビヤホール」は 銀座の新橋際(京橋区南金六町五番地 現銀座八丁目)にオープンした
当時はビール500mlが10銭で販売 もりそば1枚 コーヒー1杯が1~2銭 食パンが5~6銭程度
森田草平が漱石門下になったのは1905年(明治38年)
以下がきっかけ
銀座尾張町の正宗ホールで 漱石(38歳)の席の隣で飲んでいた森田草平(21歳)堀紫郎 荒畑勝三(寒村)太田仲三郎の四人が酔っ払って喧嘩を始め 同じく悪酔いして暴れた漱石を含め築地警察署に留置される 翌朝漱石は責任を感じて4人の身元を引き受けビアホールには器物損壊の罰金四十円を支払った 当日ビアホールには国木田独歩(34歳)や石川啄木(19歳)もいたとゆう
※千駄木の漱石の家に一匹の黒猫が迷い込んできたのはその前年のことである
数年後(明治40年) 与謝野鉄幹が主宰した「閨秀文学講座」で森田は講師を務め その聴講生に平塚明子(らいてう)が居た
・
小宮くんがいろいろ刺激してくれるんで新しいジャズをやってみようと思っているんだ 森田くんの律動が新しいし 鈴木くんと安倍くんも心強い 話は単純一筋縄でなくちゃね
男女の仲は出てきますか と森田が聞いた
それは
ESP のジャケットの女性はフランシス・テイラーだが
Sorcerer のジャケットの女性はシシリー・タイソンだ
ソーサラーは 仏語ではソルシエール
あなたはよっぽど度胸のないかたですね とゆわれた
同県同郡同村 同姓 花 二十三(仮名)とは誰かね
では イプセンの女 里見美禰子 ならどうだろうか
美禰子はどうしたかったのか
サプリメンタル
明治42年(1909)正月 森田草平(29歳)はマスター夏目漱石の勧めで東京朝日新聞に小説を連載した
『煤煙』
その数年前 お茶の水女子大附属高校から日本女子大学さらに二松学舎大学から津田塾大学を経てさらに成美高等英語女学校に通う とゆう才女がいた 彼女はそこでテキストとして読んだ『若きウェルテルの悩み』で文学に目覚める そのとき東大出の新人教師・生田長江のゼミに参加 生田とゆえば与謝野鉄幹・晶子夫妻の家の隣に住んでいて 後に漱石の影響下でニーチェのツァラトストラを翻訳した人物で そのパダワンには佐藤春夫らがいる 生田の 女性のための文学講習会「閨秀文学会」には与謝野晶子も聴講していた 彼女は生田の勧めで処女小説『愛の末日』を書いた それをゼミの講師で生田の友人である森田草平が読んだことから話は始まる
その才女とは らいてう平塚明(はる)である
『元始、女性は太陽であった』
サプリメンタル2
らいてうは(私は)女ぢゃないとゆいました
なんだそれは
ゆわれた森田の方は心中どころかからきし覚悟の無い男だった 漱石は森田の見方をしたが らいてうは漱石を信じていなかった その一方で らいてうは無邪気な気持ちで若き修行僧(秀嶽)にチッスをしていた 当然された方は舞い上がる 若きウェルテルの悩みである
らいてうは 女は観念です とゆいました
なんだそれは
そこでドイツ観念論とはなにかとゆうと(やっとそこかぃ
この時代 つまり18-19世紀のドイツ哲学の総称 ロマン主義と啓蒙時代の政治革命に密接に関連している(産業革命とフランス革命) 神または絶対者と呼ばれる観念的原理の自己展開として世界および人間を捉えることをその特徴とする カントに始まりフィヒテ シェリングを経てヘーゲルに完成する
カントはそれまでのデカルト スピノザ ライプニッツの大陸合理論とベーコン ロック ヒュームのイギリス経験論を統合して 回転的スクニルペコする批判哲学を打ち立てた 批判とは否定では無い カント自身は穏健派で それ以外のエライさんがたは仲が良いのか悪いのかみんな自説を曲げない講釈たれだったとゆうことだ
フリーダムジャズ談儀 7 アイオニアン
ネフェルトイトイはイクナトン(旧名うメンホテプ4世)の正室でありツタンうーメンの義母である 彼女の名の大意は「美しい・者(NeFeR-T-)が訪れた(iTi)」 イクナトンはフランと別れたあと ネフェルトイトイことベティ・オブ・ジョイトイと結婚した キリマ・ンジャロの娘である 無冠のビッチであり 某アルバムのタイトルも考案した 彼女がオール電化に導き ジミヘンやスライを紹介し 王のファッションコーデねいちゃんとなったのだ
とゆう話が前にあったが 小宮くん
今回のポストバップの流れの果てに ネフェル対々を和了したのは1967年のシトツの区切りであるな 小宮くんの作曲センスがすごいの 特異な点はアドリブがない それとテイク2だったのはテオが録音し忘れたからだお
マイルスがベティ・グレイ・メイブリーと結婚したのは1968年 僅か一年で離婚した
でもこれを美禰子にあてはめるのはどうかと
〈我はわが愆(とが)を知る。わが罪は常にわが前にあり〉
美禰子のモデルはらいてうではない
と村田先生はゆうてはりますけど?
そこは森田くんがどう説明したかによるが 漱石はそもそも平塚をよく知らない ただ当時の進んだ女性であることは認めてそれを参考にしただけである イプセンのノラのように
森田も小宮も三四郎のラストについては不満だった
だから ポスト・ポストバップに繋がるとゆうこと
Nefertiti 1967 6-7
In the sky 1968 2-5
Filles De Kilimanjaro 1968 6-9
ポストスクリプト
結局ポストバップは小宮豊隆=ウェインショーターによるところが大きかった
マイルスの歴代メンバーではサックスは重要だがこのあとはギターがポイント
もちろんキーボードのハンコックやコリアやザビヌルの三大神官について同じ
いない楽器はバイオリンこれは特殊で寺田寅彦をあてればザビヌルのオルガン
漱石はもともと謡をやろうとしたとき小宮や安倍そして野上(豊一郎)を誘っている これをバンド初のギターのベンソンとみたが それよりも寺田も習ったオルガンに相当するザビヌル そして芥川龍之介=マクラフリンが決定打で上記三大神官といよいよ問題作を作る
in a silent way (1969)
マイルス・デイヴィス - トランペット
ウェイン・ショーター - ソプラノ・サックス
ハービー・ハンコック - エレクトリックピアノ
チック・コリア - エレクトリックピアノ
ジョー・ザヴィヌル - オルガン
ジョン・マクラフリン - エレクトリックギター
デイヴ・ホランド - ベース
トニー・ウィリアムス - ドラム
なんとゆう豪華メンバー カーターとデジョネットはいないものの 話はこれですまなかった これが次の超大作に繋がり 70年代の大きな幕開けを用意したのである
ポストスクリプト2
ヘーゲルの講義を聞いて
のっぺらぼうに講義を聞いて、のっぺらぼうに卒業し去る公ら日本の大学生と同じ事と思うは、天下の己惚うぬぼれなり。公らはタイプ・ライターにすぎず。しかも欲張ったるタイプ・ライターなり。公らのなすところ、思うところ、言うところ、ついに切実なる社会の活気運に関せず。死に至るまでのっぺらぼうなるかな。死に至るまでのっぺらぼうなるかな
三四郎の一節 こののっぺらぼうとはスタイル
しかしある人物のことをネタにしている
特に大学での漱石の前任者とゆえば
次の朝ドラ
ラフカディオハーン 小泉八雲
貉 MUJINA
『八雲立つ』1
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」
タダアソブ ネタトアソブ ナンボワルキ デス スコシトキ ベンキョ シマセウ ヨキ
いわゆるヘルンさん言葉とゆうものだがこれでは疲れるのでいつもの調子でいこう
ラフカディオはミドルネームで 出生名はパトリック・ラフカディオ・ハーン ヘルンの呼ばれ方を気に入った
子供の時の事故で左目を失明 右目も近眼が進みほぼ見えない
盲目や視力障害を持つ音楽家とゆえば
ヘンデル バッハ(二人とも晩年に眼科手術失敗で失明)
レイチャールズ スティービーワンダー
ジョニーウィンター ホセフェリシアーノ
レモンジェファーソン ウィリージョンソン
辻井伸行 高橋竹山 長谷川きよし
ジャズマンでは
ローランドカーク ジョージシアリング アートテイタム ダイアンシュア レニートリスターノ
琵琶法師
2
ヘルンは片方の失明だけではなく生活においてドン底を経験し その隻眼で何を見たか
彼は片言の日本語しかできない 日本文化に精通しているわけでもない ではそのネタもとはどこからかとゆうと 妻セツが語り聞かせたのだ
二人は似たような家庭環境であり 怪談が好きとゆう共通項があった
寂しい環境から現実逃避して空想の世界から霊的あるいは怪奇の世界へ興味を持ったとゆうことだ
・
ローランドカークが失明したのは2歳の時である 世の中の光を知らない 彼の支持者となるミンガスと出会った時 二人で夜のニューヨークをドライブして 車が切る空気をつかんで どう聴こえるか と聞いた 風のキーはbフラットだ と
ソウルやハードバップを基本としながらあらゆる音楽をこなし 同時にサックスを三本吹きながら鼻でフルートを吹く 突飛な印象はキワモノと感じても演奏を聴けば只者ではないことはすぐにわかる そのブラックスピリチャルな姿勢は多くの崇拝者を作った
ジミヘン ザッパ エリックバードン イアンアンダーソン(ジェスロタル) 等々
たくさんの楽器を同時に一人で演奏するのはなぜか
寺田寅彦が 地球物理学的には溶岩の流れであるとした八岐大蛇は 古事記において須佐男に退治される
そして「八雲立つ」の 日本最初の和歌を詠むのである その枕詞は出雲を指す
3
ヘルンが来日した動機はニューオリンズ万博で日本文化を知り 新聞社の同僚で美人ジャーナリストであるビスランドの助言と 古事記の英訳を読んだからである
古事記のどこに惹かれたかは不明だが 神話や霊的な部分は多々あるので 特に八岐大蛇とゆうわけでもなかろう
万博で知り合った服部一三の斡旋で島根県の中学校の英語教師となる そのとき身の回りの世話をした女中が後の妻セツ
松江市での日々は充実していた かれが好きだった場所は美保関や稲佐の浜から日御碕 この日御碕には特別な神社がある ゆわば龍宮 祀られているのは天照と須佐男
・
ローランドカークをグロテスクとゆうが その語源をルネサンスに見た時 洞窟の中で息を継がずに吹きまくり 半身不随になっても演奏を続ける虚無僧を思い浮かべれば良いだろう それは半自然的な不条理劇であるし 南部ゴシックの呻き声である
4 微笑みの研究
ヘルンが日本に来て驚いたこと
自然との調和 文化の豊かさ 神道の精神
・
友人が(日本に来る前の)ヘルンにこう言った
横浜で自分の乗る馬がある人力車とぶつかった 馬が怪我をしたので彼は怒ってその車夫をムチで打ち据えた すると車夫は彼を見つめ微笑みを浮かべてお辞儀をしたとゆう この日本人の微笑みはいったいどうゆう意味なのかわからない と
・
そこでヘルンはこう考えた
「日本人の微笑を理解するには、昔ながらの、あるがままの、日本の庶民の生活に立ち入る必要がある。」
「相手にとっていちばん気持ちの良い顔は、微笑している顔である。だから、両親や親類、先生や友人たち、また自分を良かれと思ってくれる人たちに対しては、いつもできるだけ、気持ちのいい微笑みを向けるのがしきたりである。
そればかりでなく、広く世間に対しても、いつも元気そうな態度を見せ、他人に愉快そうな印象を与えるのが、生活の規範とされている。
たとえ心臓が破れそうになっていてさえ、凜とした笑顔を崩さないことが、社会的な義務なのである。
反対に、深刻だったり、不幸そうに見えたりすることは、無礼なことである。好意を持ってくれる人々に、心配をかけたり、苦しみをもたらしたりするからである。
さらに愚かなことには、自分に好意的でない人々の、意地悪な気持ちをかき立ててしまうことだって、ありえるからである。
こうして幼い頃から、義務として身につけさせられた微笑は、じきに本能とみまがうばかりになってしまう。」
ヘルンの考察は続く
師匠に難症例のリカバリーを任されている
最初はなんとかなりそうだったが 材料が足りなかったり硬化がうまくいかなかったりでだんだんと作業が複雑化してくる
そこへ次の難症例の患者が来て 掛け持ちですることになる
さらにもう一人増えて 作業がますます複雑化していく
全てが中途半端になり部品はどれがどれかわからなくなって 時間はどんどん経つばかりである
患者は特に文句を言うことなく
ただ 微笑んでいる
4 微笑みの研究2
微笑む気持ちには、挑戦の意味合いもなければ、偽善もない。
「そんなわけだから、日本の社会では、嫌みや、皮肉や、意地の悪い機知などは通用しない。
洗練された生活には、そういうものは存在しないとさえ言えるかもしれない。
個人的な欠点は、嘲笑や非難の対象とはならず、空飛な行いを、とやかく言われることもなく、思わぬ過ちを笑われることもない。」
・
ローランドカークの奇行を笑う人はいない
そのスタイルは単なる形式ではないからだ
・
軽茶んの奇行を笑う人は多い
本人が自ら笑っているからだ
4 微笑みの研究2 面影1
ヘルンが島根県に来たのは 興味のあった古事記の舞台だからでもある
来日初日から横浜の寺での鏡との遭遇を経て彼は深く日本に傾倒していく 松江に行く途中 鳥取県の上市でまず驚いた 宿泊した宿で隣の妙元寺から聞こえてきたお囃子は盆踊りであった 盆踊りは死者と生者の霊的な照応である 虫が好きであった彼は踊り手達の掌がひらりひらりと裏を返す蝶々に見えた これはスピリチャル・コズミックダンスだと
ヘルンのルーツ ギリシャの神話では 蝶はプシュケである 多くの文化で蝶は死者の魂が転生すると信じられている 夜に舞う蝶は死者の魂の使い または死者の霊が蝶の姿で現れると伝えられる
4 微笑みの研究2 面影2
多くの迷信はギリシャ人の神々への畏怖にまさしく呼応する しかし迷信は希望にも訴えかけるものがある 人間は知識よりも幻想に頼る存在である 本当に困ったときは気取った哲学理論よりも粗末なお守りを握りしめる たしかに困った時には神様に頼むものだが そもそもその困った原因は神様が作ったものであることが多い
・
盆踊りとゆうスピリチャル・コズミックダンスに興じるこの民族は何をしているのだろうか 無数の白い手は呪文を紡ぎ出しているように 掌を上へ下へと向けながら 踊りの輪の外側と内側に交互に波打っている 蝶の羽のような袖が同時にほのかに空中に浮き上がる お囃子は鳴り響くものの踊り手も見物客も皆無言である そして何度もお辞儀と微笑みが繰り返されるのだ
・
4 微笑みの研究2 面影3
盆踊りを見たのは寺の境内だ 広場の裏には墓がある そして遙かな山々を越えた向こうに 古代の神々の国 神代の国 出雲
踊りは佳境に入り踊り手の少女達が歌い出す それまでの静けさの中から地蔵さまも歌を耳にして微笑んでいる
真夜中の鐘がゴーンと鳴り 夢から覚めたように魔法が解けて歌も止み 人々は別れの挨拶をして帰っていった
この人間の感情とは何だったのか 自分の人生よりも古い何か それはどこかの場所や時を特定するものでなく
・
ある晩のこと夢のなかで三本のサックスをいっしょに吹いていたローランドカークは、目をさましたときも覚えていたので、それから楽器店に出かけ、マンゼロとストリッチをさがし出した。これが三本いっしょに吹くようになったソモソモのはじめだった。
サプリメンタル モジラ
表意文字が日本人の脳に作り出す印象というのは、退屈な、ただの音声記号であるアルファベットの組み合わせが西洋人の脳に作り出す印象と、同じものではない。日本人にとって、文字とは、生き生きとした絵なのである。表意文字は生きているのだ。それらは語りかけ、訴えてくる。そして、日本の通りの空間には、このように目に呼びかけ、人のように笑ったり、顔をしかめたりする、生きた文字が溢れている。
ヘルンが来日したとき ある英国人教授にその第一印象を書き留めておくようにと助言された
是はその中の一つ 彼はまず日本の文字に興味を持ったのである
表意文字とは「意味」を形(絵)に置き換えて表した文字(象形文字 指事文字など)の集まりのこと
中国の漢字と日本のかな 芸術家は大昔から研究を重ね それを美の域に発展させた そしていま新たに文字は絵になった
私の俥屋は、自分のことを「チャ」と名乗っている。
新シリーズ Opus de pocus (呪文とゆう作品)予告
テラ へ ユケ
宿の主人はまじないのような言葉を発した
それがどうゆう意味なのかはわからないが
ヘルンはお抱え人力車の俥夫であるチャに
寺に行きたいことを伝えられなかったのだ
人力車は彼を乗せ街の文字の間を疾走した
運河を渡り丘を越え車は石段の前で止まる
チャは次の頁を指差して叫んだ
テラ !
Opus pocus 1
テラ !
ヘルンはそこで不思議なものを見た
門には中国風の屋根が乗っていて不思議な彫刻があちこちに見られる 開いた扉の欄間には龍が絡み合っている 扉の板そのものにも同じように彫り物が施され 怪物のようなグロテスクな獅子の頭の造も軒から突き出ている 彼にはそれらの彫り物が彫像としてそこに固定されているとは思えなかった
振り返ると遠くの山々の稜線の遥か上空には得も言われぬ麗しい幻影が聳え立っている それは霊峰不二の山 富士山であった
さらに石段を上がると二番目の門があり 石灯籠の左右に大きく奇怪な二体の像があった 狛犬である
他の参拝者も見えて 皆とても純真な帰依の心で拝んでいる 手を合わせるだけの者もいれば柏手を打つ人もいる なぜだろう
寺を案内してくれた男が説明する
手を叩くのは長夜の夢から醒めたことを意味するのです
それはどんな夜ですか? どんな夢からでしょうか?
Opus pocus 2
仏陀は、一切衆生は、この不幸な無常の世で夢を見ているだけだ、とおっしゃいました
では、手をたたくということは、祈るときに、魂がその夢から目覚めることを意味するのですか?
・
寺ですかと待っていたチャが聞いてきた
この最初に訪れた寺がどこなのかがわかっていない
ヘルンのホテルが仮に旧居留地だとすれば チャの人力車は二回川を渡っているので 弁天橋と富士見橋として 成田山不動尊と豊顕寺のどちらか
境内が広く富士山が見えるのは後者の方と思われたが 青木橋の北側にある台町の丘の上にある本覚寺かも知れない 山門に獅子の彫刻があるのだ
チャが次に向かったのは寺ではなかった
宮 !
Opus pocus 3
宮 !
ヘルンが次にチャに連れられたのは
神社である そこでまた不思議な構造物を見る
鳥居だ 幵
写真や版画でさえ一度も鳥居を目にしたことのない西洋人にどう説明すればいいだろう と彼は思った
これは漢字の巨大な模型だ
鳥居の持つ全ての線に生き生きとした表意文字の品格があり 書の大家が四回筆を揮って書いたような大胆な角度と曲線を感じさせる
・
ヘルンが横浜で滞在していたのは旧居留地の横浜グランドホテル(人形の館のあたりにあった 現ニューグランドホテルとは別)とインターナショナルホテルであることがわかった
ここから人力車で行ける距離として 富士山の見える寺はなかなか特定が難しい 豊顕寺だとすれば近くに富士山神社 または境内が広く白い山門のある本覚寺だとすれば近くには大綱金刀比羅神社
本覚寺にはなんといっても獅子の彫り物があるし 秘仏は如意輪観世音菩薩が納められた小さな黄金色の宝篋印塔型の小さな厨子に納められていることも ヘルンの記述に一致する
では神社はどこか いくつかの橋を越えたとあるから近くではない 百段を超える石段と二つの鳥居 その向こうには丘の頂上に公園 となると伊勢山皇大神宮まで居留地の方に戻ってきたのではないか
Opus pocus 4
少し整理
1 最初の寺: 本覚寺
門の欄間の彫刻 樋嘴(ガーゴイル)
海と富士山が見える(※明治時代なら見えたかも)
石段と二番目の門
石灯籠と仏陀の獅子の雌雄(※ここに狛犬はない)
厨子に治められた本尊(地蔵菩薩)
2 神社: 伊勢山皇大神宮?
1からいくつかの橋を越えた別の丘のふもと
鳥居→石段→鳥居・注連縄
丘の頂上の公園 →野毛山?
市街を見渡せる
3 寺: ?
https://temple.nichiren.or.jp/0051016-jouryuji/
2から海を見下ろす曲がりくねった道 左手に砂浜
高くて急な石段
二頭の獅子の石像(狛犬?)
こじんまりした寺 滝 →林光寺 浄瀧寺 妙蓮寺
鏡
4 寺: 西中山 常照寺
3からホテルへの帰り道
仁王門
1と4は間違いないと思う 問題は2と3
フツー 寺には狛犬はない
横浜管内で狛犬があるのは
杉田八幡宮
杉山神社
成田山横浜別院
関帝廟
日枝神社
篠原八幡宮
綱島諏訪神社
このうちで寺は成田山別院のみ
但しヘルンの記述の姿とは違う
・
とゆうところで少し遠いけれど
滝と狛犬のある寺院を発見した
急な石段もあり条件に合致する
3は 根岸の白滝不動尊である
となると2から海の方に南下して 居留地に帰る時に常照寺に寄り道をしたとゆうルートも説明できる
Opus pocus 4 - 2
ヘルンの原著は一文が長い
And enormously high above the line of them towers an apparition indescribably lovely,-one solitary snowy cone, so filmily exquisite, so spiritually white, that but for its immemorially familiar outline, one would surely deem it a shape of cloud. Invisible its base remains, being the same delicious tint as the sky: only above the eternal snow-line its dreamy cone appears, seeming to hang, the ghost of a peak, between the luminous land and the luminous heaven,-the sacred and matchless mountain, Fujiyama.
これは最初の寺(本覚寺)から見た富士の叙景だが 横浜に取材に行って確かめる時間がないので 本覚寺に問いあわせたところ
高台なので海や富士は当時は見えたはずだと 門の欄間の樋嘴もある 石灯籠もある 但し狛犬はありませんとのことであった
Dragons are intertwined in a frieze above its open doors; and the panels of the doors themselves are similarly sculptured; and there are gargoyles-grotesque lion heads-protruding truding from the eaves. And the whole is grey, stone-coloured; coloured; to me, nevertheless, the carvings do not seem to have the fixity of sculpture; all the snakeries and dragonries appear to undulate with a swarming motion, elusively, in eddyings as of water.
これは門の所の樋嘴の描写だが 門自体の色は grey, stone-coloured; になっていて 実はこの門は日本で初めてペンキ塗りされた門だったとゆうこと
On my right and left two great grotesque stone lions are sitting,-the lions of Buddha, male and female.
これは狛犬ではないかとゆう部分 明治・大正には火災や大震災また戦時の空襲で現在の姿は再建されたものであり 当時は狛犬があったのかも知れない
以前画いた富嶽三十六景で近い場所は「東海道程ヶ谷」(保土ケ谷) ここは野毛山に近いので再掲しておく 丹沢山の向こうに見える富士は霊峰である
・
"Tera?" once more queries Cha.
"Tera, no,-it is getting late. Hotel, Cha."
Opus pocus 4 - 2 - 2
三番目の寺の狛犬
and find myself between two lions of stone; one showing his fangs, the other with jaws closed.
阿吽と呼ばれ 片方は口を開き片方は閉じている
From a rocky height to the left of the building, a little cataract rumbles down into a pool, ringed in by a palisade.
滝がある
and I look for the image of the Deity or presiding Spirit between the altar-groups of convoluted candelabra. And I see-only a mirror, a round, pale disk of polished metal, and my own face therein, and behind this mockery of me a phantom of the far sea.
須弥壇にご本尊はなく鏡だけがあった
ここのご本尊は不動明王のはずである
住職がやってきて椀を差し出した それはお茶ではなくお湯だった
ヘルンは自分が捜しているものをその鏡の中に見たような気がした
Only a mirror! Symbolising what? Illusion? or that the Universe exists for us solely as the reflection of our own souls? or the old Chinese teaching that we must seek the Buddha only in our own hearts? Perhaps some day I shall be able to find out all these things.
・
狛犬が興味深いのでしたらも一つお見せします
ホテルへ
とゆわれた車夫のチャは人力車の向きを変えた
Opus pocus 4 - 2 - 3
3の寺 白滝不動尊の不動明王は右手に剣を持ち左手に羂索を持っている 鏡との関連は 主に「おかがみ不動」などの信仰と不動明王の絵画や彫刻が鏡に描かれたり鏡の裏面に描かれたりすることで表される また大日如来の化身であるから大円鏡智に通ずる ナルト秘帖の時は奈良法隆寺の夢殿に また二百日紅では伊勢の外宮にあったように迷毘臼正邪鏡である ちなみに伊勢神宮には狛犬がない 狛犬は江戸時代以降の中国伝来のものでここはもっと古い伝統の神宮だからだ
4の寺 常照寺にあるのは仁王門 金剛力士 これも狛犬と同じく 開口の「阿形」と閉口の「吽形」の一対 横浜の總持寺にもあるがここは鶴見区であり少し遠い 仁王とは梵天と帝釈天が仏教に転化した姿である かつて自分を追放した宗門を守るための門番に成り下がったとゆえる 常照寺の本尊は釈迦如来と多宝如来 そして四菩薩(文殊・普賢・持国・毘沙門) 仏像の階級は 如来 菩薩 明王 天
For on either side of the entrance stand two monster- figures, nude, blood-red, demoniac, fearfully muscled, with feet like lions, and hands brandishing gilded thunderbolts, and eyes of delirious fury; the guardians of holy things, the Ni-a, or "Two Kings."
ヘルンがそこで出会ったのはもうひとつ
And right between these crimson monsters a young girl stands looking at us; her slight figure, in robe of silver grey and girdle of iris-violet, violet, relieved deliciously against the twilight darkness of the interior.
この少女は誰か
新シリーズ『二つのこゝろ』予告
ヘルンさま 鏡に映っていたのはなんですか?
なんだろう 私が居るべき世界じゃないかと?
寺 宮 寺 寺 となると 次は 宮ですね?
オパスポカス あーぱつあぱつ ちちんぷふい
そのとき天からなにかが降りてきて鳥居に留まった
二匹の狛犬はそれに呼応するように雄叫びをあげる
チャの人力車は新たな力を受けて時空に飛び立った
以下次週 出雲篇へ続く
サプリメンタル qpdb
鏡に映る自分の顔は左右が反転している
これを鏡映反転とゆい上下反転はしない
両目が左右水平に並んでいるからである
しかし
ラフカディオ・ハーンは隻眼なのである
彼が寺で見た雲外鏡は新たな世界を語る
・
歌麿の師匠 鳥山石燕 作 雲外鏡 他
オパスでポカス スピンオフ
今日はホンマに横浜に取材にいくつもりで人力車を予約するはずだった 横濱おもてなし家とゆうところだが なんと車夫スタッフは一人なのだそうだ 電話で趣旨を説明していたら色々相談に乗ってくれて なかなか話のウマがあった で 最初の寺と次の神社は良いけれど 根岸の寺と最後の寺は距離より坂道がきつくて時間的にも無理だとゆう とりま今日がベストのタイミングだが日帰りはもったいないので いずれ前泊してじっくり計画しようとゆうことになった もちろん前泊は横浜グランド しかし今はニューグランドと別なホテルになっている フツーのスタート地点は横浜中華街だとゆうので 車の基地の場所を聞くと前にローズホテルとゆうところがある この名前も以前「アマビエ・オーバードライブ」でネタにしたギブスンの小説の舞台だからここにしようと まー来月は熊本の小天温泉現地取材もあるので 暑い時期は避けてまた相談することにした ノリの良いシトで そのときはゼシお供いたしやす とのことだった^ ^
ふたつのこころ (一)
私はその人を常に先生と呼んでいた。
・
ヘルンが横浜に来た同年 鎌倉・江ノ島にもよく赴いていたことはあまり話題になっていない 円覚寺、建長寺、円応寺…… 江島神社
江島神社のご祭神は、天照大神が須佐之男命と誓約された時に生まれた神で、三姉妹の女神様です。
・奥津宮の多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)
・中津宮の市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
・辺津宮の田寸津比賣命(たぎつひめのみこと
・
私が先生と知り合ったのは鎌倉ではない
・
ヘルンが来日したのは1890年4月
KOKOROの英語出版は1896年?月
この年帰化して小泉八雲を名乗る
KWAIDANの方は1904年4月
漱石のこころの朝日新聞連載は1914年4月20日から
そして100年後に再度連載された
・
チャがゆうには 伊勢山皇大神宮は境内神社として須佐之男命を祀る杵築宮がある この杵築とは出雲大社の別名の一つであり 地名に由来する
(二)
私がその掛茶屋で先生を見た時は、先生が丁度着物を脱いでこれから海へ入ろうとする所であった。
先生は一人の西洋人を伴れていた。
・
ヘルンは1967年以降 夏休みには何度も焼津の海を訪れている
彼は水泳が得意だったので 深くて荒い海が気に入ったのである
・・
ヘルンさまはまだ釈迦像をご覧になっていないが
小乗とは小さな乗り物のこと ってのはこの人力車みたいなもんですかね とチャは笑った
サンスクリットのタターガタ(梵: तथागत, tathāgata) 如来は仏の尊称で「かくの如く行ける人」とゆうこと つまり修行を完成して悟りを開いた人ですね
いや大乗仏教の仏陀は釈尊個人の謂いではなくて人間の中にある仏性ではないか
・・・
私の目的は達せられなかった
(三)
私は次の日も同じ時刻に浜へ行って先生の顔を見た。
最初一所に来た西洋人はその後まるで姿を見せなかった。先生はいつでも一人であった。
・
漱石のこころの舞台は鎌倉の由比ガ浜である ヘルンが赴いた江ノ島は近い 焼津は同じ駿河湾だが少し遠い 三保の松原もこの辺にある
富嶽三十六景には 相州七里ヶ浜 相州江ノ島 相州仲原 相州梅沢左 の四枚がある
・・
漱石のこころは高校の国語の教科書にも載っている 中学では坊ちゃんや猫や草枕を習う ただし日本の学校教育はひとつの小説を最後まで読ませるのではないから 恋は罪 などのような部分だけを取り上げれば誤解させる恐れがある しかもこれは暗い 自殺の話でもある もちろん死の美学の話ではないけれど これがなぜ高校の教科書に載るのか それは全部読めばわかる また小泉八雲が何を書こうとしたかにも通ずるかも知れない
どちらも恋愛ネタはあるにはあるが官能小説ではない だから教科書に載せやすい 漱石は男女の恋愛よりはむしろ師弟愛の方を重視している 特にBLとゆうわけではなくて 恋愛初心者は最初はホモ・ソーシャルから始まることもあるとゆうことだ
・・・
特に二人とも日本の表面的な急速近代化が本来の姿を見失うことを危惧していた
あなたははらのそこから真面目ですか
(四)
私は月の末に東京へ帰った。
私は先生と別れる時に、「これから折々御宅へ伺っても宜ござんすか」と聞いた。先生は単簡にただ「ええいらっしゃい」といっただけであった。
・
ヘルンさま そろそろ松江に行きませんかね
どうやら今月末に富田旅館が閉館するんです
ついては地元の面白い人物を紹介しましょう
荒川亀斎 名は明生 通称は重之輔 雅号は東雲です
島根のダビンチ 松江の平賀源内とも称されています
彫刻家 書画 国学 俳句 そして物理学にも詳しい
・
連載の方はこの日が重要なポイント
1914年4月23日
・
私が24歳のとき 先生が35歳の時
そこに生きているご本尊の偶像にあった力
その蠱惑は
じつは偶像崇拝者のこころの中に潜在する
祖先の力なのであった
(四の二)
近代科学の保証するところによると 初恋の熱情とゆうものはその当人にとっては「それに関する全ての経験に先立つもの」であるとゆう
科学も哲学も極めて重要な一点では一致している つまりそれは恋する者自身はけっして自分勝手に選択するのではなく 恋人とゆうものはあるひとつの感応体であるとゆう点だ 仏教とは違ってさすがに科学は 人間は特殊な事情の基にあると 前世を思い出すことが出来るなんぞとおおっぴらにゆうてはいない ところが
・
超自然の文学には一面の真理がある それは超自然の世界が人間に問いかける大切なメッセージ 私の人生に生きる目的を与えてくれたのはゴーストだ
「自然は過ちを犯さない。生き残る最適者は自然と最高に共存できて、わずかなものに満足できる者。宇宙の法則とはこのようなものである。」
・・
きみは前世とか来世とかを信じているのかね
さぁ わたしにはむずかしーことはようわからんのれすけろも ふたつのこころがひとつにひきあうとゆうのはそれでしょうか
・・・
古事記を読んでオオクニヌシの精神を学びたいと思っていたから 出雲に行けばその答えもあるのではないか
ヘルンさま 人力車で横浜から出雲までってのは初めてですがね まここはほれネタの世界だからいいでしょう 向こうで荒川亀斎センセになんとかしてもらいやしょ
(四の二の二)
当時の西洋では 神道についてはボロカスにゆわれていた 経典もないようなものは宗教ではない と
ヘルンはそうゆう西洋文明を批判し 同時に日本の盲目的近代化をも懸念した
・
日本には、神国という尊称がある。そんな神々の国の中でも、一番神聖な地とされるのが、出雲の国である。この国を生み、神々や人間の始祖でもある伊邪那岐命と伊邪那美命が、青い空なる高天原より初めており立たれ、しばらくお留まりになったのが出雲の地なのである。
出雲はとりわけ神々の国であり、今もなお伊邪那岐命と伊邪那美命を祀る、民族の揺籃の地である。その出雲において、神々の都とされる杵築に、古代信仰である偉大な神道の、日本最古の神社がある。
・・
私は古事記を読んで 是非 杵築大社に行ってみたいと思う 杵築とゆうのはどうゆう意味か
1871年(明治4年)に名前が変わっています 地名と聞いてますけど なんか訳ありですね
聖徳太子の17条憲法の第一条にある「忤ふこと無きを宗と爲す」の「忤ふ」は逆らう(さからう)と読む。
へんが違うのではないか
「忤ふ」は杵(きね)の原字なんです。
明治時代になって 国家神道を推進していく中で、出雲地方の杵築大社という名前の「杵」という文字には、実は「さからう」という意味が隠されているため、明治政府にとって都合が悪かったのかもしれません。
そうかなぁ ほかにもなにかあるんでないかい
あの建物の構造ですね 昔はもっと高かった つまり物見の櫓で北方からの侵略に早く 気づく とかでしょうか
水城主脳天神宮城主唱和合一礼拝受精神楽殿堂宇内向上目下
この漢字の尻取りの中で三文字が一つ 神楽殿
繋がりは不自然だな 堂宇 宇内 とはなんだ
堂の奥とゆう意味です 天下とか世界の意味も
もうひとつ
出雲は 厳藻 とゆう記述があります これは
(四の二の三)
チャよ
杵築神社は北は宮城から南は熊本まで全国にいっぱいあるではないか 武蔵野には杵築大社まである どうして出雲だけが名前を変えるのだ
国を譲ったからですよ ヘルンさま
古事記神話にある 天照に派遣された大和軍?の建御雷之男神はなぜ十束剣の上に胡座をかいていたのでしょうか そもそも記紀に書かれているようなことは 同時代の出雲風土記には書かれていないのですよ
車夫であるおまいがなぜそんなことを知っている?
・
先生はツインレイをごぞんじですね
この章のタイトルはそのことでしょ
ツインレイとは、一つの魂が分かれたとされる「魂の片割れ」であり、スピリチュアルな概念です。前世で一つだった魂が、それぞれ別々の肉体で現世に生まれ、転生の過程で再び出会う運命を宿していると考えられています。ツインレイはソウルメイトよりも深く、永遠の絆で結ばれた唯一無二の存在です。
わたしにはふたつのこころがあるのです
ゴーストにはスラングの別な意味が……
次章 出雲編 予告
この国は古来より、「八雲立つ出雲の国」と言われてきたように、今はちょうど霞の棚引く季節である。日が暮れていくにつれ、幻のような靄が、湖や陸の上に微かに立ち昇ってくる。そして、亡霊のようにその表面を覆いつくし、ゆっくりと遠景をも消し去ってゆく。 私は帰り道に、天神橋の欄干に身を乗り出して東の方角に向かって、この日最後の一瞥を投げかけてみる。すると、山々はもうすでに霞んで見えない。目前に見えるのは、ただうす暗い水の広がりばかりで、ついには空とのけじめも定かではなくなり、暗闇へと──亡霊の海へと姿を消してしまう。
・
ゴーストのもうひとつの意味とは何か
スラングでは「音信不通になる」「突然連絡を絶つ」という意味で使われます 特に
・・
1890年8月
松江に赴任したヘルンは散歩中に出会ったあるお寺の石地蔵に魅了される
出雲クロニクル(一)
ヘルンが横浜にやってきたのは1890年4月 松江には同年8月に島根県尋常中学校に赴任し英語教師になった
松江到着は8月30日 途中鳥取の上市で盆踊りを見ている これが8月13日との記述から少し間がある 人力車で4日の旅ともあり 到着日の逆算から どこから4日なのかはわからない
最初 滞在したのは宍道湖半の富田旅館である ヘルンを出迎えた女将は やのまえななみ ですと名乗った
松江にいうこそよらっしゃいました
異人さんはわかりにくいでしょうが
七 七七七 と書いてそう読みます
七 は 八の前 とゆうことですか
なにか 暗合のようなお名前ですね
出雲は蕎麦も名物 時蕎麦と関係が
ほほほ 異人さんにしてはお詳しい
もう一つの名前は 不居母 一一一
こちらはいずもかずみと読むんです
一一一 は先の七と関係有りますか
さぁ 荒川先生ならわかるかしらね
(二)
ああ 荒川センセではありませんか
旅館前に人力車を停めていたチャが声を上げた
ヘルンさま こちらが前にお話ししていた荒川亀斎センセであります 横浜の寺の山門の欄間でご覧になった象鼻の木彫りを作ったお方ですよ
これはまた西洋のお方ですか 私は荒川重之輔と申します
突然の荒川との巡り合いにヘルンは驚く
ここへ来る途中の寺で見かけた石地蔵のお顔にいたくこころを動かされたのですが 寺男に聞けばあなたさまの作であると
これはお恥ずかしい 寺町の龍昌寺の石地蔵なら実は他の石工のものですが 実は顔相だけを私が彫ったのです 宜しければ明日にでも手前の工房にご案内しますが 如何かな
それはありがたい
ところで先ほど女将のナナミさんがゆうていた
一一一とゆうのは何数字のマジックでしょうか
一一一ですと? それは七のことですな
二進法で7は111と表記するのですよ
手前は寺田先生や池田先生には及ばぬが
物理学を齧って機械器具も発明しますで
このチャさんに頼まれて人力車の改造も
二進法を使った電脳とゆう技法を用いて
そうゆうことです とチャは謎の微笑み
出雲クロニクルサプリメンタル
チャ 日にちがあわないのだお
ブギのリズムは阿波踊りですよ
そげなネタはわからんちゅんよ
下市の盆踊りから松江到着まで間が開きすぎています
現場検証には再来月が望ましいのでまずは延期します
8月末はちょうど土日で現地調査員に連絡しています
うーむ 荒川センセが源内の生まれ変わりだとすれば
おまいはひょっとして? チャとゆうのは…
さぁ^^ それより疑問は氷解しましたよ
・・・
日にちが違っているのは旧暦と新暦の違い
盆踊りを見たのは旧暦の7月13日でした
これは 新暦では8月28日のことなので
8月30日松江到着につじつまが合います
(三)
調査の結果
・ヘルンが荒川亀斎に出会ったのは
1890年9月28日に作品(龍昌寺の石地蔵)を見て感銘
本人と対面したのは同年10月2日である
・松江までの旅(鳥取県下市経由)については
はるかな山々を越えた向こうに、古代の神々の国、神代の国出雲がある。人力車を強靱な車夫たちに引いてもらいながら、太平洋側から日本海側へと抜ける、四日間の旅である。私たちは、もっとも距離が長く、人のほとんど通わぬルートを辿ったのだった。
この四日間の旅が疑問だったが
これはまず姫路を起点としたもので 私たち とゆうのは通訳の真鍋晃という人物が同行したからである
下市で盆踊りを見たのが8月28日(旧暦7月13日)
宿泊は下市集落の牧野旅館 盆踊りは近くの妙元寺
翌日そこから米子までは人力車で行ったのち 舟で松江入りした
この真鍋晃とは「日本の面影」に出てくるアキラのことである
出会ったのは横浜の本覚寺
(四)
荒川亀斎の工房
先生 龍昌寺の石地蔵はなんと慈愛に満ちたお顔だったでしょう とても驚きました
お地蔵さまですか
地蔵菩薩は、すでに一万劫もの長い間女性で、六趣四生の一切有情を教化しようと願うようになる。
釈尊が入滅してから弥勒菩薩が成仏するまでの無仏時代の衆生を救済することを釈迦から委ねられたとされる。
サンスクリット語では「クシティガルバ」 道祖神であり 子供を守る神です
「無量体地蔵」はそのひとつですが 通常 地蔵菩薩は六体あります 六道能化です
四二三の次は六ですか 先日は七でしたが となると次は
いま私が描いているのはこれです
櫛名田比売
おお 古事記に出てくる女性ですね 八岐大蛇の生贄になるとゆう 私 読みました
そうか 次は八だ
そのお話しの本当の結末は知っていますか 古事記に書かれているのは違うんですよ
それから 地蔵菩薩には対になるもう一つの菩薩があったのですが
(四の二)
ヘルンは荒川亀斎の話を興味深く聞いていた
次の数字は八ですね
記紀両書で出雲を舞台とした神話として扱われているのはヤマタノオロチ説話だけです
寺田寅彦先生の説によると この描像は高志の八俣の大蛇の話も火山からふき出す溶岩流の光景を連想させるとゆうてます
『身一つに頭八つ尾八つあり』また『八つの門』のそれぞれに『酒船を置きて』とゆうのは貯水池のことで そこをめがけて「谿八谷峡八尾をわたりて」降る溶岩流ではないか さらにスサノオ=火山現象ともゆえますが もともとスサノオは災害をもたらす神格を持っていたのに出雲に下ってからはそれを抑止する神格です
全体像としては神話学でゆう強い怪物と戦って弱者を救出するペルセウス-アンドロメダ型の物語に テナヅチ・アシナヅチの住居を訪ねる仙郷探訪譚 クシナダヒメを象徴とする穀物霊 神剣発見譚をふくむ製鉄 ヤマタノオロチ退治に使われる酒造 といった要素が複合した物語になっているわけです
しかし問題は 櫛名田比売
アシナヅチ・テナヅチの八番目の娘であること ここで既に八とゆう数字が出てきます 奇稲田姫 稲田媛 眞髪觸奇稲田媛 久志伊奈太美等与麻奴良比売とゆう呼び名もありますが
櫛とゆうのは大蛇から守るためにスサノオが神通力で姫を櫛に変えたからです しかもその櫛を自分の頭に挿して大蛇と闘う
守るだけならどこかに隠せば良いし 一緒に闘うなら武器に変えれば良いのでは? なぜ櫛(湯津爪櫛)なのでしょうか しかも古事記には戦いに勝った後で櫛名田比売がどうなったかが書かれていないのです
ヘルンさんは古事記を読んだのなら 櫛が出てくる場面をもうひとつ思い出しませんか
(四の二の二)
荒川先生
寺田先生は溶岩流と見ていますが 大山は確かに火山ですね しかしスサノオが高天原を追われて降り立ったのは出雲の国の肥の河(斐伊川) アシナヅチのゆう 年に一度北の方から大蛇が現れるとゆうのは溶岩流ではなく川の氾濫ではないでしょうか
高志の八俣遠呂智とゆう記述からは 高志(越)からの侵略者とゆう説も聞いています
そもそも古事記や日本書紀は(大和)朝廷側の視点で書かれていますから出雲風土記とは解釈が違うんでしょう
クシナダヒメの両親はアシナヅチ・テナヅチですが その親はオオヤマツミの神 さらにその親は誰でしたか?
イザナキ・イザナミです とゆうことはスサノオの親もイザナキ(のみ)ですから親戚ですか いわゆる陳バイト子
そもそもスサノオが高天原を負われる原因となったのは姉のアマテラスとの確執 天岩戸の一件で用いられたツールは 八尺瓊勾玉と八咫鏡で ここにも八の数字がありました ところがスサノオが八岐大蛇の尾から見つけたのは天叢雲剣 三種の神器の中では八の数字が入っていませんね なぜでしょう この剣はアマテラスに献上され 後に瓊瓊杵命に下されて下界に戻り三種の神器となります 草薙剣とは日本武尊が窮地を脱するときに使用してこの名前になっています
スサノオが八岐大蛇を退治した剣は十握剣ですが 実は八握剣とゆう剣も別にあったのです 十種神宝のひとつであり三種の神器に対応していますが別ものです 鏡二種 剣一種 玉四種 比礼三種
イザナキ・イザナミにより生まれた日本は大八洲ともゆいますから 八とゆう数字はこの国にとって重要な数字です
では 櫛 とゆうのは 九と四と読めるのではないですか
櫛が出てくるもう一つの場面とは黄泉比良坂のことですね
さて ここまでで出てこなかった数字があります それは
(四の二の三)
荒川先生
古事記にそんなヒミツがあったとは
四 二 三 六 七 八 ときて…
櫛名田比売は 九 と 四 ですか
九から四に戻ればまるでとき蕎麦だ
うーむ こじつければ 九-四とか
そっか まだ出てない数字は五です
ヘルンさん
古事記には櫛から戻った記述はない
しかし櫛名田比売は須佐男に娶られ
子供をなしてその五代目が大国主命 と続きます
スサノオがクシナダヒメと暮らすために須賀宮を建て、その際に「八雲立つ 出雲八重垣<妻籠み>に 八重垣つくる その八重垣を」と詠んでいること。
後に「其の櫛名田比売を以て、<久美度>に起して」とスサノオがクシナダヒメと寝所を共にしたことを仄めかす記述があること。
なのですが
櫛名田比売は伊邪那美から見ればひ孫です
一方で須佐之男命は伊邪那岐の子供なので
ここに拘りがあったのではないでしょうか
十拳剣は黄泉比良坂でも使用されています
櫛名田比売は 自ら 消 え た のです
ヘルンさんは ゴーストリーと仰いますね
スラングでは 急に関係が切られることで
ゴーストを五 とゆうつもりはないですが
五 とは 護 つまり 地蔵菩薩と
そして 虚空蔵菩薩
あなたは 振り返りましたね
これは出雲に行って確かめてみましょ
いや その前に行くところがあります
(五)
五も神秘的な数字です
一と九の真ん中に在り 五行や五大など様々なところに使われています 風水では最大吉数は八です 世界的には358が最大吉数 例えば釈迦が悟りを開いたのは35歳八ヶ月 旧約聖書でも聖なる数字で 西遊記の沙悟浄・孫悟空・猪八戒の名前に3・5・8が含まれています 仏教伝来は538年 空海の入滅は835年 徳川家光・綱吉・吉宗は三代五代八代ですね 私は物理学もやってますけど 原子番号5のホウ素(元素記号B)はあまりなじみが無いものの色んな所に必須の元素です 原子番号が小さいのに宇宙では存在度が著しく低い(ビッグバン原子核合成や恒星内元素合成ではリチウム原子がヘリウム原子と核融合してホウ素原子を形成するよりも早く、リチウム原子が水素原子により核分裂してヘリウム原子に分解してしまい、ホウ素原子がほとんど合成されないことに起因する。) 金属と非金属の中間的な性質 歯科医院にはホウ砂があるでしょう 原子炉の制御棒やゴキブリ団子ですね
富田旅館のななみさんは
七についてピタゴラスがどうのとかゆうてましたが
ああそれはたぶん数秘学のことではないでしょうか
次のチャプタでまた考えてみましょう まずは
そうです 明日 ちょっと行くところがありまして
荒川先生も一緒に行きましょう 1893年シカゴ万博
先生のお描きになったその絵を出展するんです^^
クロニクルサプリメンタル2
原子番号5ホウ素に続いて
6炭素 7窒素 8酸素 9フッ素
ビッグバンモデルは初期にケッテ的な重要成果を上げた
宇宙マイクロ波背景放射である光の存在を予告したのだ
マクロとミクロをウロボロスさせることによって
初期宇宙で何が起こったのかが解るのではないか
当時観測天文学の大きな謎のひとつに
宇宙の物質は水素とヘリウムばかりだ とゆう問題があった
地球にわやくそあるケイ素や酸素や鉄が
宇宙全体で観ればほんの少しだちゅこと
当時考えられていた基本粒子は陽子さんと中性子さんと電子さんの三つだけ
これに電磁力を媒介する光子さんを加え初期宇宙を遊び回ってたとオモテタ
そこでガモフは原子物理学の知識を活かし
優秀な大学院生のアルファと二人で考えた
実はこのときアメリカでは原爆開発のマンハッタン計画のため物理学者は超多忙だった
ガモフがそのその機密研究チームから外されたのはソ連からの亡命者だったからである
二人は水素とヘリウムの比率は10対1であることを理論的に説明
まだ20世紀半ばだがそれより重い元素についてはわからなかった
これを見ていた同じ研究所の大学院生ハーマンは
アルファと組んでさらに初期宇宙の研究を続ける
初期高圧宇宙にもともとあった水素原子(陽子) 陽子と中性子のくっついた重水素 重水素に中性子が捕まった三重水素 さらに三重水素ベータ崩壊してヘリウム3を生み ヘリウム3中性子を捕まえてヘリウム4を生み リチウム7とベリリウム7を生む しかしまだ電子は飛び回っていた これをプラズマとゆう ドンドンはドンドコを生むように 精子が裸のママで激しく飛び回っているような状態である この時点では光子は電荷に閉じ込められていた さらに宇宙は怒張し しかし温度は下がり続けた 勢いの落ちた電子は原子核に捕まり 電気的に中性な原子が生まれる この時初めて光子さんは自由になり宇宙空間を突き進んだ
新章 ベルエクスポ 予告
2025 1989 1970
1947 1937 1925
1900 1893 1889 1878 1867 1855
荒川センセ ヘルンさま
この中でどこへ行ってみたいですか
と チャが云った
この人力車は
かつての時籠胞子ドライブや思弁的軽ナックエンジンとも違います 窒化ホウ素電池駆動アシストでパワーアップしたんです 特に第13属のホウ素が隣の第14属元素系つまり炭素や珪素に近い性質を利用してダイヤモンドやカーボンナノチューブに代わるものにね
ベルエクスポ(一)
チャは人力車の制御盤をあけ白色カプセルを取りだした
これはチベット砂漠にある硼砂でチンカルと呼ばれます
ホウ素の化合物はいろいろと面白い性質があるんですよ 水素との架橋結合は通常の化学結合では説明できない三中心二電子結合とゆう特殊なものです 音の伝導が良いのでベリリウム以上に理想的な音響材料であり 最も強い永久磁石のひとつネオジムの構成元素でもあります 強度においては戦車の装甲にも使える構造材です
今回はホウ素の同素体のアモルファス構造を応用して今ままで解明されていなかったスローガラスを作ったんです これで時空の移動が出来ます 単なる空飛ぶ車じゃない
・
荒川先生に出品して頂いたシカゴ1893ではエスカレータが初めて実装されましたね その前のパリ1867 1889ではエレベータが有名です 今回の2025ではオランダ館のエレベータが特注です これは私の所属している横浜エレベータ社自慢の作品で大手メーカーでは不可能なものだったのです
ところが1958年のパリで事件が起こりました
(二)
人力車の時空移動の仕組みはわからないが スローガラスとはどうゆうものかね
これは光がその中を通り抜けるのに時間がかかるガラスです ガラスは個体でも液体でもない アモルファスとゆいます つまりこれを通して見るものは過去の世界 そこにあるものはベル・エポックとゆうことです
だったらパリ万博はまず19世紀末の1900年に行くべきだ 誰がパリにいるんだ
印象派としてのセザンヌですよ 他にはモネやルノワール ロダンやボナールやガレですね アール・ヌーヴォーとジャポニズム 反アカデミズムと浮世絵
私は印象派は好きじゃない サンボリズムの方が良いんだ
とにかくベルエクスポです 向こうである人物を探します
1900年の時点で
ドガ 66歳
モネ 60歳
ルノワール 59歳
ゴーギャン 52歳
セザンヌ 51歳
ゴッホ 47歳
ミュシャ 40歳
ムンク 37歳
ロートレック 36歳
カンディンスキー 34歳
マティス 31歳
(三)
ベルアラウンドミッドナイト25時
倫敦ならビッグベン 維納だとシュテファン寺院ですが そこは巴里ですからノートルダム大聖堂の鐘とゆうことにしましょう 巴里には寺院はあっても神社はありません
チャは もう一人 少年を連れて行くと謂った
この子はおませで祇園から私の人力車で学校に通っているんです
なるほど さしずめその子のお父さんは覚三さんとゆうことだ ※岡倉天心と九鬼周造
私にはわかりません 巴里でサルトル先生に仏語を習うんですと
面白い 作者もネタに困っているような気がするがまあいいか
・・ Café Guerbois
着きました バティニョール大通り11番地
とりやえず カフェとクロワッサンは如何
仏蘭西とゆえばカフェだが ティーはないの
サロン・ド・テは英国系 カフェは伊太利亜系
ブラッスリーとゆうと独逸系のビヤホールです
老舗のカフェは18世紀末にロベスピエールも通ったとゆうカフェ・プロコープ その後 バルザックやゾラやヴェルレーヌやワイルドも常連客になる文学サロン
19世紀末ではカフェ・リッシュ ボードレールやデュマ モネやルノワールも通いました
20世紀になるとブルジョワ達はシャンゼリゼに芸術家達はモンマルトルに移動します それがカフェ・ゲルボワの木曜会です
さらにローリング20にはモンパルナスに集まります カフェ・プランタンです ヘミングウェイ フィッツジェラルド ピカソ マチス ガートルードスタイン ダリ マンレイ ルイスブニュエル…
(四)
-カフェ・ゲルボワ 1900 パリ
マネ達がここで議論していたのは
「影」についてである
”光は統一性を帯びているので、モノトーンで充分光を表せるし、また目に見えないものや、光の強度を弱めるだけでなく、本当は強調しなければならない影の色調を和らげてしまうものを塗り重ねるより、明らかに自然光であっても、光から影に突然移行するほうがよいのだ”
私はちょっと違うと思っている
ところでここは木曜会のあった場所だが 火曜会のマラルメ先生はどこかな 中学校の英語教育についてお伺いしたい イジチュールの対訳についても
マラルメは 1898年に亡くなっています
ヘルンさま 荒川先生 周造ぼっちゃん
行くべき所はまだ幾つかあります
とりあえず万博会場に向かいます
ところでこの私の人力車ですけど
実は仏蘭西製の特注品でしてねぇ
プジョー・ランドレー タイプ423
出露狸庵DMC-12より古いですが
しかしきみ このパリ1900年に来たのなら
あれで行こうじゃないか 知ってるだろう
はははは メトロの一号線ですか
万博に間に合わせ完成したばかり
エッフェル塔も前の万博記念だし
そこへ
私も乗りたーい と一人の少女があらわれた
おや お嬢さんは仁王門の前にいた子だね
おそらくお名前は ザジ じゃないかな?
ルイス・ブニュエルは1900年生まれだけど
こっちの方のルイ・マルは1932年生まれだ
この話は何でもありか 作者もいい加減だ
まぁいいじゃないですか この話はまだ先が
来年 パリに旅行する予定もありますからね
(四の二)
メトロは 案内人のチャとヘルン 荒川 周造 ザジの四人を乗せて会場に向かう
地下鉄ではあるが一部地上を走る そしてまた地下へ 着いたのは東ゲートである
そこには博覧会がらみで建設された通天閣が見えた 明治45年 1912年のことである 凱旋門の上にエッフェル塔を乗せるとゆうネタパビリオンの走りで 建設工事中の足場がワザと残されていた
チャよ 時代が交錯しているんでないかい
はぁ 眉村さんなら社会派ですけど筒井さんは反アカデミストですから その辺の影響が時空に及んでいるのでしょう 近所迷惑とゆうやつですな
ワイリー・サイファー風にゆうとですね ああ このなんちゃら風とゆうのはスタイルのことです ルネサンス以降のコペ転がバップとクールをモードとゆうスタイルに複合化したわけですよ それは絵のように美しいのであって美しい絵をめざしたのではない スタイルの一部にアナロジーが用いられたのではなくアナロジーそのものがスタイルの核心となったわけです 写実主義と印象主義は同じようなものですが技術的な部分が違います そこでマネも同じように 印象とは感じたことではなく感じたように描けることと 会場内で裸のヴィクトリーヌ・ムーランと弁当を食うたらおこらえましたがな
(四の二の二)
パリ万博1900の会場はシャンゼリゼ通りを中心にセーヌ川を挟んで八つの橋が架けられた そのときメトロの電気局とパリ市土木局が八つ橋の分割統治で四ツ橋と四つ橋に別れる問題で意見が異なり 割り箸を使って松葉くずしをした結果 夢舞大橋のようななんちゃらおおはしを除いて 全てになんちゃらばしとゆう濁点が付いた 一筆書きで会場に到達するためのメトロ一号線はケーニヒスベルク線とゆうレオンハルト・オイラーの解が用いられた オイラーもまたヘルンのように隻眼であった
会場に着いた一行は通天閣を見上げて第一声を上げた
新世界や
ところで荒川亀斎はん 出品作品はどこにおますのや
それが見あたらんので 銅賞まで受賞したとゆうのに
一体どんな作品でっか 眞かグリコちゃいますやろな
あ あ あれや あれ
(四の二の三)
ビリケンさんですか
お恥ずかしい それより1900年だとまだ日本にはあまり知られていなかったオーギュスト・ロダンですね フランス館に飾られている「カテドラル」を見てください それでなくとも世界中にロダンのエディションはたくさんある 原型があるからです
ロダンにはゆかりの深い日本人女性が二人いた
一人は与謝野晶子 夫鉄幹を追いかけてパリに行った時にできた四男にアウギュストの名をつけている
もう一人はモデルの中に それはロダンに愛された芸者 花子(本名:太田ひさ)である
花子を見出したのは女性舞踏家のロイ・フラー パリ1900の時に日本館の隣にロイ・フラー劇場があり そこでも一大公演があった 川上一座のマダム貞奴である
この二人の芸者に共通する演目は ハラキリ
用意した脚本はフラーが面白くないと却下 日本ではあり得ないハチャメチャドタバタのチャンバラ劇になって これがドビュッシーやジッドやピカソも激賞する大受け 招待されていたロダンも初日の公演で魅了され 貞奴の彫刻を彫りたいと申し出たが断られた そして数年後の花子のハラキリ演技にロダンは再び出逢う
ジャポニズムなんてそんなものだった
しかし 時代のパリはアール・ヌーヴォーとベル・エポックなのだ ヘルンはジャポニストだろうが 荒川亀斎は違っていた 九鬼周造もそうである だからパリに来たのだ
さらに違っていたのはチャである 彼はいったい何者だったのか 本名は不明 かの茶樂が時空を越えてきたとゆうのは?
会場内を楽しんでいる四人をよそに 彼は別のことを考えていた 通天閣の軌道エレベータの中で
そのとき突然電気が止まり 彼はエレベータに閉じ込められてしまう
エクスポ スピンオフ "QUAND MÊME" Avis
アンリエット=マリ=サラ・ベルナール(1844-1923)
仏蘭西いや世界初の国際的大女優 五大陸をツアー
ユゴーは黄金の声 コクトーは聖なる怪物と呼んだ
ベル・エポック アール・ヌーヴォーの中心的人物
彼女の性向は身上話を空想で膨らませることだった
・
万博会場にはフラーの劇場の他に ベルナールの劇場もあった チャが通天閣のエレベータで待っていたのは 四人とは別にちょうど会場を訪れていたある人物だった その人物はチャ達の一行が来ていることを知らなかったのだが
エクスポサプリメンタル
ジャン・モリス・ウジェーヌ・クレマン・コクトー
ウジェーヌとゆうミドルネームについては以前も書いたが ドラクロワを始めポールエリュアールやプルーストがいる
源内さんのようなマルチタレントで 交友関係は非常に広いが ダダやシュールレアリストとは対立した
QUAND MEME 1
フランスパビリオンのテーマは「愛の讃歌」だと
互いの小指が見えない魔法の糸で結ばれているという「赤い糸の伝説」。この赤い糸を通じて、「自分への愛」、「他者への愛」、「自然への愛」といった様々な「愛」に導かれる新しい未来のビジョンを提案します。
館内に飾られているロダンのカテドラルは 合わせた二つの手がどちらも右手であり 一人の手ではない 二つの左手の作品もある ではなぜ手とゆう作品にカテドラル(大聖堂)とゆうタイトルがついているのか
そもそも赤い糸などとゆうものはいくつ繋がっているのだろうか そしてそれは確定状態なのだろうか
サプリメンタル
フェリスホイールとは観覧車のことである
荒川亀斎も出品した1894年シカゴ万博が世界初
設計者のジョージ・ワシントン・ゲイル・フェリス・ジュニアに因むが
幸せとゆう意味もある
QUAND MEME 22
パリ・エキスポに集まる人物たち
ロダンのアトリエに出入りした一人の青年がいた チェコのプラハから出てきたライナー・マリア・リルケ(1875-1926)である
彼がお付き合いしていたのが かのルー・アンドレアス・ザロメ(1861-1937) ニーチェからの求婚を断った有名なファタル系女性だ
しかし ザロメと共にリルケがイタリアからロシアへ神を求める遍歴を経て 人間の温度に戻ったのがパリであった ここは死ににくる街であると感じた
「パリは困難な都会です ガレー船です」
翌1901年にリルケはザロメと別れ 彫刻家クララと結婚する そして終着の浜辺でロダンに出会った セザンヌやボードレールに
QUAND MEME 333
象徴主義はしばしば印象派と繋がっている
マネが印象派ならルノワールは? ルノワールが印象派ならドガは? ドガが印象派ならセザンヌは?
印象派は次々に変貌しているので象徴主義と区別するのは難しい マネがドガの技法を取り入れたり ルノワールがゴッホ風に描いたり ボナールがモネを発展させてマティスに似た技法を生み出したり 印象派は実験の連続であったとゆうことだ
印象派AAには二通りの方法があった 文字のラインを繋げる線描と画数の濃淡による点描だ 20世紀末の初期の時点で茶樂は線描を主としながら既に透視図法や錯視を取り入れた作品を手がけ 空白の多用によるデフォルメの極みに達したが 2チャンの席巻を見て限界を感じ 春町のようにいったん筆を折った
しかし新世紀にはカナダとオーストラリアで新たな評価を得て復帰する それは点描主義と分割主義を再考することで以前の遠近法を否定するキュビズムの道を開いた 様式の探究は観念の芸術なのだ
・
チャが会おうとしたのは 渡英の途中で巴里に立ち寄ったはずの夏目漱石であった 彼は通天閣のエレベータに閉じ込められたことにより探すことができなかったのだが 漱石は通天閣ではなくグランド・ルー・ド・パリにいた
当時世界最大の 大観覧車 である
ところがこの大観覧車も通天閣と同じようにコペ転した
QUAND MEME 4
観覧車も止まった
真夜中あたりのアバウトなことである
エキスポでちょっと変わった取材をしたいのですが
と ある男がやってきた 名を聞くと ヌ と答えた
ナヌ?
私はリングワールドからやってきましたパペッティア人 ヌ・ミキタカ・ゾ・シン です ヌは 沼 または 瓊 と書きます
天沼矛(あめのぬぼこ) のことかな
「瓊は玉のことである」 と日本書紀に注釈があるが
いまは真夜中なのだぞ
そうです お願いしたいのは
昼間は暑いから ではなくて
真夜中でないと探せないものがあるのです
それは「底なる玉」です
ヌはそうゆうと緑色の曲がった宝玉を見せた
以前これと似たものをどこかで見たことがある
糸魚川にある翡翠かな 今回はどこにあるのだ
ジェイドはニュージーランド館なのですが 今回は都合により参加していませんので 1970年まで戻って下さい 太陽の塔の左側にあります
ここの時空はどげんなっちょるそ?
宵ではないですか 万博とゆうものはお祭り騒ぎなのですからとにかく楽しめば ヘルンさんも盆踊りがお好きでしょう 何かちゅうと反博するシトは勝手にすれば良いし 賛博にも理由はいらない そもそも人類の進歩と調和などとゆうものがあるわけないのです どうせあとは野となれIR 風が吹けば土建屋が儲かる 夜ぅの街ぃにガオーッ
QUAND MEME 42
ヌよ ここは1900年のパリではなかったのか
そうでもあり そうでもありません
グランド・ルー・ド・パリ この大観覧車は24時から25時の間に停止して迷毘臼正邪鏡になり 通天閣の軌道エレベータに繋がります インネレシュタットのリングワールドのように その動力源が翡翠の底なる玉 つまり八尺瓊勾玉です またそのスイッチとなるのは十拳剣で 天沼矛は矛ですがここは剣でもある 三種の神器が揃うことにより時空は歪むのです 私の人力車以上の力を持っていますから このアバウトな時間に全てのエキスポの時空が繋がります
ほら
おお セザンヌとドガとロートレックが茶ぁ飲んで居る 彼処で話をしているのはロダンと貞奴だ 彫刻のモデルになってくれと頼んでいるのだろう 彼処には岡本太郎とミロが何か言い合いをしている その横で武井武雄が笑てるぞ 彼処に居るのは あれは サラ・ベルナールとミュシャではないか
QUAND MEME 423
ところでチャはどこへ行った ヌ
ヘルンさん 私のスタンドは変身能力しかないのです 索敵ならアバッキオかナランチャに聞いてみましょう カチャカチャ あーどうやら通天閣のエレベータに閉じ込められていますね どしてそうなったんでしょ こちらに転送します
・・・
どこですかここは あのエレベータは死刑台ですわ なにかのシナリオがあったみたい ところで夏目先生を見かけませんでしたか 皆さん
夏目くんがパリに来ていたのか ヌ
そのようですがもう倫敦に向かったようで 大英博物館ならここと繋がってるのでお話しますか ヘルンさん
いや 帰国してからにしよう 話すべきことはたくさんある それよりきみのゆうシナリオとはなんなん チャ
個人的なことです 調べていたことで夏目先生に確かめるのを邪魔されたのかも ヒミツはサラ・ベルナールが握っています 彼女はルネ・ラリックやオスカー・ワイルドと親しくて 1892年にサロメやった時にビアズリーとも知り合っているんですが ワイルドはホモでビアズリーは変態 そもそもサラは男嫌いでありながら男を見る目はある そこで彼女がピンときたのがまだ無名のミュシャだったんです さらにこの話は
QUAND MEME 4-3
ミュシャの「四季」には
1896 1897 1900 の三つのバージョンがある
4枚パネルのシリーズは他にも
1897 の四つの花 1898 の四芸術 1899 1日の四つの時 1900 の四つの宝石 1902 の四つの星があり どれもすばらしい
QUAND MEME 5
1894年のクリスマスのこと
ミュシャは 友人のクリスマス休暇の代わりにルメルシエ印刷所で校正の修正をしていた そんな中 印刷所に女優サラ・ベルナールのマネージャーからポスター制作の依頼が入る 同年10月30日から初演が行われていたヴィクトリアン・サルドゥー原作 サラ主演の宗教劇『ジスモンダ』の再演が急きょ決定したため 翌年の1月1日までにポスターを用意しなければならなくなったのだ
当時、印刷所には刷り師、彫り師および印刷工がいただけであり、イラストレーターはミュシャ1人であったため、彼がその仕事を急きょ引き受けることになった。12月31日、サラは、刷り上がった『ジスモンダ』のポスターを見て、「なんて素晴らしいの!」と叫び、「これからは私のために描いて!」と言った
QUAND MEME 52
サラがAAに興味があったことは知られていない
ミュシャが示唆された事柄の中にそれがあった
ケルトや北欧神話を調べなさい 特に装飾文様
もうひとつ 19世紀初頭の独逸浪漫主義画家
フィリップ・オットー・ルンゲ(1777-1810)
※1810年に「色球体」に関する著書を出版した
・
チャの説明にヘルンは答える
なるほど ルンゲはグリム兄弟にもネタを提供しているが あれは本当はおとぎ話とゆうよりは怪談だよ 参考にはする ケルト神話もわが故郷アイルランドに翻訳されただけなので ギリシャ神話とは違って古代の物語ではない
サラがなぜそのようなことを調べさせたのか
QUAND MEME 53
このパリエクスポ1900で ミュシャはオーストリア館シャン・ド・マルスのアクセサリー部門などで作品展示しているが もうひとつ ボスニア・ヘルツェゴヴィナ館の壁画を制作した 銀賞を受賞しているこの作品のテーマはスラヴ神話である ミュシャの作品群はアール・ヌーヴォーを代表するものだが「スラヴ叙事詩」はまた違うものだった
彼は制作のために現地へ調査旅行をしているのですが 実は日本にも来ているんです
チャよ そんな史実はないぞ
そこはパラレルワールドとゆうかマルチバースだからですよ 多元宇宙とゆう概念は19世紀末くらいからありまして ポーも1848年に無限に続く宇宙を想像する散文詩を書いてます 西田幾多郎や夏目先生も影響を受けたウィリアム・ジェイムズ(※弟はヘンリー・ジェイムズ)の心理学あたりから出ていて 20世紀にはこれがトランスパーソナル心理学とゆうニューエイジのヒューマンポテンシャル運動になるわけです
ミュシャはなにしに来たのだ
えーっと 私も明日から取材旅行に行て来ますので考えてきます
まだ考えてないんかぃ こら
Mais il est venu quand même
サプリメンタル1
サラベルナールの正体はともかく
ミュシャが日本に来たとゆうのは まさか
写楽だったとゆうんじゃあるまいな
んなあーな 確かにミュシャのブロマイド風の絵は浮世絵の美人画や大首絵の影響ですが
べらぼうも半分まで来たのにいまだに写楽をどうするのかは見えてきません 唐丸の正体で一時期候補になってましたが 歌麿とわかってからはみんなもう忘れてんのちゃう 瀬川ロスもあるけどこれロマンス話じゃないから ぼくは 誰袖やていの投入より源内ロス それと京伝のキャラが細いので 今後北斎や馬琴や三馬を出すつもりかどうかが心配
以前から何度もネタにしているが 茶楽とは何者か についてここは新解釈を加えるのも良いだろう ミュシャとサラベルナールとの出会いからちょうど百年前に写楽がいたのである
サプリメンタル2
1902年(明治35年)
チェコの芸術家協会「マーネス」がプラハで大ロダン展を開催。 ミュシャは友人のオーギュスト・ロダンを伴いプラハとモラヴィアを訪ねる。
ロダンはその12年前にある仕事を依頼されていた これがなかなか進まず 教え子のカミーユ・クローデルとの一件もあって困っていた 「考える人」はダンテではなく彼の表象だった タイトルはロダン没後に付けられたもので当初のタイトルは違う
彼は何を覗き込んでいたのか
まだユノなのでサボってサプリメント
ポーラで見たものやメトロポリタン展で見たものもそれほど印象がない 今回見た「睡蓮」はもっと後期のでかい奴 なにしろ1895年から1926年までの連作は250ほどあるのだ 1900年までの作品には橋が描かれていてそれ以降に橋はない 富嶽三十六景プラスみたいなもんでしょう ロダンのアトリエに大壁画にする話もあったらしい
それよりポーラには「散歩」があったはずだが これも覚えてない 「日傘をさす女」はいくつかあってモデルは違う悲しい事情がある 最初の1875年第2回印象派展作品は顔がわかるが 10年後の左右版はのっぺらぼうなのだ この見上げる構図だと赤瀬川センセもゆうが it’s a beautiful day でもなくて つげ忠男に見たような気がする 探したけどわからん
七月新シリーズ 暗い箱 予告
次の時代はまず1600年まで遡る
Kは庭に植えてあるトネリコが生い茂り光を遮る中で あることを考えていた
暗い箱 (一)
We skip the light fandango
空きっ腹ぁにぃ 不安団子
Turns cartwheels 'cross the floor
啖呵を食らうその前に
I was feeling kind of seasick
相患うのかも船酔いは
The crowd called out for more
蔵人たちがもてはやす
The room was humming harder
座留は見る間に勇み肌
As the ceiling flew away
まずは蒸籠も吹っ飛んで
When we called out for another drink
返事も無いなら段取りは
The waiter brought a tray
そのままそこで黙っとれ
https://youtu.be/St6jyEFe5WM?si=WGzYQ3ZElAAb7quq
・
1600年7月のある日
プラハのティコブラーエのもとへやってきた人物Kとは ドイツのヨハネスケプラーである
プラハのカレル橋の近くにケプラーは住んでいた その近くにはカフカの実家もある
ケプラーは天文学よりも数学が好きだった 天文学なんかただの星占いだと思っていたのだ そんな彼にコペルニクスの天体回転論を読ませたのがチュービンゲン大学のメーストリン教授である ケプラーはたちまち空想科学青年となる 実際に彼は月旅行小説をも書いたが 最も有名なものが24歳の時に書いた『宇宙の神秘』(1596)である
彼はこの本をガリレオやティコに送った ガリレオは感心した ここでガリレオについて少し触れておくと 彼が大寺院のシャンデリアが揺れ動くのを見てふりこの法則を発見したのは19歳の時 これは本能寺の変の翌年のことである また彼はピサ大学中退であるが教授になり 例の斜塔での実験により重力の法則を見出す さらにコペルニクスも勉強したヴェネツィアのパドバ大学教授になる そのとき彼は発明されたばかりの望遠鏡を手に入れ 月のアバタや木星の衛星や土星のリングを発見するのだ
一方でティコはうちの天文台へ来て自分の研究を手伝って欲しいと返事をくれた ケプラーは大学では給費生であり貧乏だったが 一念発起プラハへ出向く このときティコ53歳 ケプラー30歳であった いささか傲慢なティコのもとで 彼は何度も腹を立てながらその膨大な観測資料をまとめる手伝いをするが わずか一年ほどでティコは重い病にかかり 死ぬ前に全ての研究をケプラーに託す かくしてプトレマイオスのアルフォンス表やコペルニクスのプロイセン表より30倍も正確なルドルフ表とゆう星表をケプラーの法則のもとに彼は完成させる これによって地動説の優位性は確実となったのである
暗い箱(二)
And so it was that later
安堵することあたわず
As the miller told his tale
あざとく言い訳すれば
That her face at first just ghostly
雑踏に向かう幽霊の如
Turned a whiter shade of pale
単なる青い影に落ちる
She said, "There is no reason
死せる魂に理由もなく
And the truth is plain to see."
貴方の真理は斯くの如
https://www.youtube.com/watch?v=8ToU5OshV4g...
・
「理性にとっては暗黒の時代であった千年を超えて、西欧は科学の時代を迎えます。1543年に発表されたコペルニクスの地動説は、まだまだ科学とは言い難い代物でしたが、1610年前後のケプラーの法則とガリレイの発見の数々は、現在、我々が科学と呼んでいるものの根幹をなすものです。もちろん、今日から見れば、ケプラーは科学者というよりは妄信的神秘主義者であったわけですが、それにもかかわらず、ハレー彗星やスペースシャトルは、寸分違わずケプラーの法則の元に動いている。そして、1619年、ルネ・デカルトは後年『方法序説』の中で展開する、『我思うゆえに我あり』から始まる着想を得るのです。」
しかしアンブローズピアスなら
『我思うと我思う ゆえに我ありと我思う』
と見る これはオモコつまり思い込みとゆうことだ
それは諸刃の剣であって 様々な分岐を産むことになる
・
ケプラーはある言葉を初めて用いた「カメラ・オブスクラ」 暗い部屋とゆう意味 カメラの始まりである
ケプラーの名は400年後に再び冠される NASAの科学ミッション ディスカバリー計画による宇宙望遠鏡だ
「蓋の閉まった箱が二つ 向こうにある箱には青いダイス ここにある箱には赤いダイスが入っている 中のダイスの目はわからない
いまこちらの箱を開けて その目を確認したら 向こうのダイスの目はどうなっているか 貴方は知っているはず
だったら 蓋を開けなければ どうなると思っているの」
それは ダイスの目が何かとゆうより 蓋を開けるかどうかとゆうもつれた話でしょ 量子さん
暗い箱(三)
That I wandered through my playing cards
夜来風雨を越えて ぼくの手札は
Would not let her be
鵜呑みには出来ないカードだった
One of sixteen vestal virgins Who were leaving for the coast
16便が巫女を乗せて沖へと運ぶ
And although my eyes were open
暁を覚えぬ花には鳥も気づかない
They might just as well 've been closed
狭い箱には青い骰子が閉ざされた
And so it was later
噫 それさえもう忘れた
As the miller told his tale
明日には通るヒステリー
That her face at first just ghostly
沙汰は閉鎖とミステリー
Turned a whiter shade of pale ���
撓んだ箱の青い影
・
カメラ・オブスクラは11世紀に遡るが
最初の固定された写真は パリでヴィンセント・シュバリエとその息子シャルルによって製作されたスライドする木箱型カメラを使ったジョゼフ・ニセフォール・ニエプスによって、1826年か1827年に撮られた「ル・グラの窓からの眺め」である。
19世紀末には写真フィルムが普及した
ここに極めて特異な写真家が登場する
ナダール:本名 ガスパール=フェリックス・トゥールナション
暗い箱(四)
ナダール (1820-1910)本名ガスパール=フェリックス・トゥールナションは 当初小説家 戯画家から 石版画を経てカリカチュアで名声を得る そこで余裕が出来て写真にうちこむことになる
この頃 画家達はチューブ型絵の具によって野外で絵を描けるようになっていた ナダールは写真も屋外へ持ち出そうと気球を使い初の空中撮影を行う ドローンの発明である それだけではなく地下のカタコンブ(墓地)にも潜り込みマグネシウムフラッシュを利用する 彼は印象派とは違う方法で光を捉えた
19世紀末には 自分のスタジオをモネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ、ピサロ、モリゾ、ギヨマン、シスレーら画家たちによる展覧会の会場として貸した。当時嘲笑の的となったこの展覧会が、後に第1回印象派展と呼ばれる展覧会である。
ナダールの肖像写真は19世紀末の著名人達の記録である
ボードレール サラベルナール クレマンソー クールベ ドラクロワ デュマ ミレー リスト ネルヴァル ジョルジュサンド ヴェルヌ ファーブル …
・
カリカチュアなら私もやってたんですけど とミュシャが言った
写真とゆうのは写実ですやん もっとこう 写を楽しむ とゆうか ぼくはAIにはできないAAをやりたいんですよ
だからきみは 写楽になったとゆうのかね ところできみは蔦重と瀬川の隠し子ではないかとゆう意見があるのだが
暗い箱(四の二)
いや私が写楽なわけはないですよ とミュシャは ましてや蔦重と瀬川の隠し子だなんてね
確かにジャポニズムは流行りです リヴィエールのエッフェル塔三十六景なんかもあります
私がサラさんにゆわれて勉強していたのは装飾文字でした あとはタバコとじてんしゃとか
JOBとウェイバリーだね しかしその構図が浮世絵からヒントを得ているのは確かだな
ナダールさんにはお見通しだ 文字絵については面白い奴がいます ギヨームとゆうんで
暗い箱(四の二の二)
チャよ
賑やかになってきたなこの時代のパリは
ナダールとミュシャにサラベルナールか
まだまだあるぞ ロートレックやボナール ドガにゴーギャン マラルメにジッド プルーストやジャリ ヴェルレーヌにドビュッシー
そうですね 今日は面白いところへ行ってみましょう モンマルトルにある「バトー・ラヴォワール」 ここは「洗濯船」の名前で知られる集合アトリエとゆうかゲージツ家のたまり場です 誰がたまっているかとゆうと
パブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラック、フアン・グリス、モディリアーニ、モーリス・ドニ、コンスタンティン・ブランクーシ、マクシム・モーフラ、ポール・ゴーギャン、ポール・フォール
すごいでしょ
たぶんギヨーム(アポリネール)とマリー(ローランサン)もいますよ
「洗濯船」の名付け親は詩人のマックス・ジャコブ (1876-1944) である。この建物はモンマルトルの丘に建てられたため、入口のあるラヴィニャン通りと裏口のあるガロー通りにはかなりの段差があり、ラヴィニャン通りから見ると2階建て、ガロー通りから見ると3階建てであり、ラヴィニャン通りから入って地下に降りるとガロー通りの1階に通じていた。当初は工場として建てられたために、兵舎または長屋を思い起こさせる外観である。
それ(洗濯船)は、文字通り、セーヌの土手に係留された屋根つき平底船で、船縁に沿って洗濯台とベンチがずらりと並べられ、小柱で区画に区切られていた。自宅から汚れ物をかついできた女たちは船主にいくばくかの金を払って区画を借り切ると、そこで汚れ物をセーヌの水に浸け、布地に灰をふりかけてから、これを棒でバンバンとたたくのである。
何かの映画の出だしがそんなんだったような気がする
暗い箱(四の二の三)
茶楽がこの時代に来たのならAAのピカソです
AIにできないAAとゆうやつか チャよ
洗濯船で彼らを迎えたのは パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソであった
彼はバルセロナに一緒に旅行したアドリアナと別れたところだった アトリエで制作していたのは「アビニヨンの女たち」とは違った
この絵のどこがおかしいとゆうんだガートルード
印象派の実験なんて完全なる結婚ではない それは確かに科学的な視野 精密な観察 スペクトル分析 カメラの視角だ その目的は過去の様式を変形するのではなくて新しい様式を発見することかも知れない ところが構図だけは旧態依然としているじゃないか
そのときはまだキュビズムとゆう言葉はなかった その呼び方はシュルレアリズムやカリグラムと同じくギヨーム・アポリネールの造語である
サプリメンタル アポリネールのマリア
アスキーはアメリカの情報通信用文字コードで インドのアスキーはイスキーとゆう 最も古いアスキーアートは1898年(明治31年)にフローラ・ステイシー Flora Stacey という女性が蝶を表現したものである 1918年(大正6年)にはキュビスム先導者の一人であるギヨーム・アポリネールが活字で絵を描いた『カリグラム』 Calligrammes を刊行し 1922年にはホバート・リース Hobart Reese が「活字だけで描いた人物画」を発表して注目された
図形詩とも呼ばれる「カリグラム 」は 詩行を並べてある図形や絵を表わす方法であり すでに古代ギリシア時代から存在したが 文字を美しく書く(描く)カリグラフィー(書道を含む)と表意文字を意味するイデオグラムを組み合わせた『かばん語』として「カリグラム」という言葉を生み出したのはアポリネールである 彼はこのような表現によって「芸術 音楽 絵画 文学の統合」への一歩を踏み出したとされる
ギヨーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire)はフランス帰化人で生まれはローマ 1880年 - 1918年 ベルギーで母に捨てられたときにカフェの娘【マリア】デュボワに出会う 初恋 その後の幾多の女性遍歴は ランダ アニーらに次々と振られて パリで出会ったのがかの【マリー】ローランサンである 1907年5月『アヴィニョンの娘たち』を発表したピカソの個展が開かれていたクロヴィス・サゴ画廊においてであった この恋は『ミラボー橋』などの著明な詩を産む しかし彼は1911年に起こったモナリザ盗難事件のえん罪で投獄され ローランサンとの5年あまりの関係は終わった さらにルー(ジュヌヴィエーヴ=マルグリット【マリー】ルイーズ・ド・ピヨー・ド・コリニー=シャティヨン)を経て マドレーヌ・パジェスと婚約するが 最後はかってモンパルナスで出会ったジャクリーヌ・コルブと結婚 1918年 ローリング20を待たずにパリで死去した
https://www.youtube.com/watch?v=W3LwRD0TIic
・
Sous le pont Mirabeau coule la Seine
Et nos amours
Faut-il qu’il m’en souvienne
La joie venait toujours après la peine
Vienne la nuit sonne l’heure
Les jours s’en vont je demeure
新章 オルフェオン 予告
次は1960年代まで飛ぼう
パリ・サンジェルマン通り
チャが通天閣のエレベータに閉じ込められてから60年が経った
オルフェオン(一)
その前章として1949年某月の某日
国籍と肌の色の違う二人の男女が
サン・ジェルマン通りで出会った
フランス語のできない男と英語を話せない女が
表情や仕草だけで理解しあった
そこから歴史は二つに分かれる
(二)
ちょっと月日が違うのではないか
1949年某月某日とゆうのはいつのことだろう
”April in Paris" とゆう曲はあるが1932年の作だ
そうですね 今回のテーマ曲はそれではありません
話も時空が入り乱れていますし マルチバースの分岐もあります そもそも旧暦と新暦の違いもありますが 七夕に関しては
二十四節気の処暑(=太陽黄経が150度になる瞬間)を含む日かそれよりも前で、処暑に最も近い朔(=新月)の瞬間を含む日から数えて7日目が「伝統的七夕」の日です。
いつものように 日にちを時かけしてみましょう
(二の二)
察しの良い人はこの章が誰の話かおわかりでしょう
いま映画制作が進行中の
マイルス・デイヴィスとジュリエット・グレコの情熱的な恋を描く映画『Miles & Juliette』 主演決定 ミック・ジャガー共同製作 音楽はロバート・グラスパー
マイルスはタッド・ダメロン・バンドの一員として
第一回・パリ国際ジャズフェスティバルに参加する
1949年のパリ公演は5月13日と15日であり
フランス滞在は5月の11日から22日である
次にマイルス二回目の渡欧
死刑台のエレベータの録音は1957年末
この頃マイルスのバンドは解体状態で
メンバーは現地調達になったのである
フランスのプロモーターにさほど力はなかった
それでもマイルスがそのオファーに応じたのは
場所がパリだったからだ
だがぼくが画けばこの話は簡単でない
まず それら一連の日にちが違うのだ
その鍵は7月7日にある
(二の三)
日にちが違う?
プロデューサーのマルセロ・ロマノ(テオ・マセロではない)はヨーロッパツアーの間にマイルスを主役にして短編映画を撮ろうとしていた ちょうどルイ・マルがサントラにマイルスを使いたいとゆうのを知って ある人物を通じてマイルスに打診した
この1957年の12月から遡ること8年前
サンジェルマン通り34番地
ここに クラブ・オルフェオンがあった
この隣にある香水専門店ディプテックで
マイルスはその人物とすれちがっていた
まず それがいつだったのかとゆうこと
最近の総会は6月末か7月始に行われるのだが
当時は7から8月にかけての行事である
これを新暦と旧暦のズレに見ればどうだろうか
重なっているのは7月 そして今日は777だ
棚機の逢ふ瀬は虹のよそに見てわかれの橋に鵲を想ふ
有り体に物語りしもなき物をけふをば何のさてといふらん
(三)
その人物とは
ジュリエット・グレコ(1927-2020)
そのとき マイルス23歳 ジュリエット22歳
最初の出会いはリハーサルの時とゆわれるが
その前にディプティックですれ違っていた
束の間 二人は見つめ合い 何かを感じた
駆け出しでチケットを買うお金もなかったので
彼女はボリスヴィアン夫人とコンサートに行く
数日後公演の打ち上げがオルフェオンで開かれ
また再会した二人は互いの気持ちを確認したが
なぜか五月の時計が二月に巻戻ってしまったり
七月八月へと進んでしまうとゆうことが起こる
セーヌでの二週間の蜜月は三年となったのだが
ところがジュリエットにとっての一年の月日が
マイルスの十二年となり結局二人は結ばれない
二人の時間の進む速さが食い違ってしまったのだ
彼が勘違いでエレベータに閉じ込められたために
(四)
エレベータに閉じ込められたのはチャではなかったか
そうなんですけど それは通天閣 ここはパリですからね 時空の乱れを引き起こしたのはグランド・ルー・ド・パリ つまり観覧車なんです
二人を別ったとゆうのは七夕の話か
と ヘルンは自分の翻訳を披露した
Translated by Lafcadio Hearn
天の川相向き立ちて吾が恋ひし君来ますなり紐解き設けな
He is coming, my long-desired lord, whom I have waiting to meet here, on the banks of the River of the Heaven... The moment of loosening my girdle is nigh !
久かたの天の川瀬に船浮けて今夜か君が我許来まさむ
Over the Rapids of the Everlasting Heaven, floating in his boat, my lord will doubtless deign to come to me this very night.
・
「オレとジュリエットは、よくセーヌ川のほとりを歩いた。魔法か催眠術にかけられて、恍惚状態にいるみたいだった。こんな経験は、まったく初めてだった。ずっと音楽ばかりで、ロマンスの時間なんてなかったんだ。ジュリエットに会うまでは、音楽だけが生活のすべてで、音楽以上に人を愛すると言うことがどういうことなのか、それをジュリエットが教えてくれた。」
彼がパリに来て驚いたのは人種差別がなかったことである しかし所詮黒人が白人女性とつきあうことは致命的なことであり ジュリエットを守るため彼はフランスには残らずニューヨークに帰る
その恋の痛手は彼をヘロインに走らせたことになっているが それだけではなかった 観覧車の時空の乱れは 彼の歳をジュリエットより一回り進ませてしまったのである その歳差を埋めるべくジュリエットはニューヨークではなくオーストラリアに向かう そこにはザ ウィール オブ ブリスベンがあった
・
さて ジュリエットとゆえば三人の人物を思い出す
一人はシェイクスピア※ウェストサイドではマリア
一人はマルキ・ド・サドの悪徳の栄
もう一人は死刑台のエレベータを演じたジャンヌの
(四の二)
二つの映画
「危険な関係」(1959)
原作は18世紀ピエール・ショデルロ・ド・ラクロの小説
さほど前衛的なものではないが 仏フィルム・ノワール/ヌーベルヴァーグとして シネ・ジャズの時代を開いた死刑台のエレベータ(1957-8)と同じく ジャンヌ・モローが主人公ジュリエットを演じた
音楽はアートブレイキー・ジャズメッセンジャーズとセロニアスモンク 有名なテーマはクラブでのダンスシーンだが 映画全体の不穏さはモンクの不協和音の方が合う
監督のロジェ・バディムはブリジッド・バルドーやジェーン・フォンダの旦那で有名なプレイボーイ 映画の冒頭で男と女の道徳意識を自ら語る 当時のフランスの大多数の人妻とは違う例外的な女性の話であると
「オルフェ」(1950)
ジュリエット・グレコもそうであったかとゆうと少し違う 彼女はこのジャン・コクトーの映画に出演している こちらはちょっとわからん映画 クリストファー・ノーランの「インセプション」でネタにされている鏡のシーンがある 「TENET」の手袋もそうだろう
元ネタはギリシャ神話のオルペウス こと座のベガは西洋の七夕伝説で 黄泉がえりはイザナキイザナミである 現世と冥界の行き来は 逆回しやストップトリックで表現している
コクトーによれば『オルフェ』の基本的なテーマは三つある
1. マラルメのあの素晴らしい詩句にあるように、詩人が永遠によってついに自分自身へと変化するまで、詩人は次々に死を経験しなければならない。
2. 不死のテーマ:オルフェの死を象徴する人物は、詩人を不滅にするために自らを犠牲にし、自らを消滅させる。
3. 鏡:私たちは鏡の中で自らの老いを見つめる。鏡は私たちを死へと近づける。
これは夢の話で非現実のリアリズムだ
漱石の夢十夜のようなものではないか
続編は『オルフェの遺言 私に何故と問い給うな』
「黒いオルフェ」(1959)もあるが これは単なるボサノバ恋愛映画で原作を損ねている
・
12年の歳差はまず24年のブランクを作った
さらに6年と3年のサイレント期間を含めて
12年の月日が経ち 時計は振り出しに戻った
マイルスは65歳没 ジュリエットは93歳没
・
1960年 マイルスは再びフランスを訪れる 今度はベストメンバーとしてコルトレーンを伴う第二期黄金クインテット
1964年は ショーターを伴うロストクインテット その後も何度もパリ公演を行なった
出だしの All of you はミッドナイトインパリにも出ていたコールポーターの曲だが ジュリエットに捧げたものだろう 彼女の持ち歌である Autumn leaves も演奏している
(四の二の二)
ヘロインはダウナーである マイルスがアメリカに帰ってハーレムをうろついたのはパリのヒロインを失ったからである
「ヘロインを打つと、バードみたいにすごい演奏ができると信じていた連中もいたが、オレは、そんな盲信にとらわれたことはない。ヘロインにつかまったのは、アメリカに帰ってきて感じた失望と、ジュリエットへの熱い思いからだった」
この盲信は間違っていて 事実は「すごい演奏をするパーカーがたんにヘロイン中毒だった」とゆうことに過ぎない
・
パリとニューヨークの時差は6時間だが 二人の歳差は ベガとアルタイルの距離が14.428光年であるとゆうことで お互いの姿は15年前のものであった
しかしバー・ヒルベルト空間のママ=量子は 光より早いものはあるのよ と帝王に謂った
琴座のベガといふのは織り姫 あなたも知つてるわね でもそれは本来オルフェウスのことで 竪琴が上手でエウリディケとゆうニンフと恋仲になる 或る日毒ヘビに噛まれたエウリディケは即死 悲しんだオルフェウスはあの世へ行つてハデスにお願ひしようと三途の川を渡る 途中で番人達に断られもするが悲しみの竪琴を奏でて通して貰ふ 冥王ハデスにも断られるけど妃のペルセポネが頼んでくれて 条件付きで許可が下りる それは帰り道で振り返つてはならぬとゆうもの で まー 最後のとこでふりかえつてしまふわけね アウチ で 悲しみのオルフェウスは女性との愛を断ち オルペウス教を始めアポロンを唯一偉大な神と信仰する ところがそれに怒ったディオニュソスがマイナスたちに襲わせて八つ裂きにしてしまふ 彼の首と竪琴はレスボス島に流れ着き これをゼウスが悼んで星空にあげて琴座にした
一方の鷲座のアルタイルは彦星 これと白鳥座のデネブは ぢつわどちらもゼウスの変身 前者はガニメデとの一件で 後者はレダとの一件 生まれた子供が双子座のポルックスとカストル
人はよみがえるためにはまず死ななければならなひのね
と量子ママは笑つた
・
運命の赤い糸は自分を中心として1024本ほど同時に繋っていてそのいずれも確定状態にはない 1900年のプランクに始まり アインシュタインとボーアが喧嘩し ドブロイが治め シュレーディンガーが混ぜっ返し ディラックが治め ハイゼンベルクがまたひっくり返し ベルが治め と数々の学者が100年以上にわたってサンシタジャータカした
アインシュタインとボーアの喧嘩:
アインシュタイン:「(量子論は)すばらしく頭の良い偏執症患者が、支離滅裂な考えを寄せ集めて作った妄想体系に見える」
ボーア:「(量子論に)はじめて出会った時にショックを受けない者に、量子論は理解できない」
この論争は双方死んでからもまだ続くが いちおう ベルが彼の有名な不等式によって裁定したかに見えた ※シュレーディンガーやベルはアインシュタイン派である
量子に局所性があるなら不等式は破れない=アインシュタインさんの勝ち
量子の非局所性が成立するなら不等式は破れる = ボーアさんの勝ち
ところが この不等式は破れるとゆう実験結果が続出 現在までにアインシュタインは完敗する
この量子論は(一般)相対性理論にまっこうから喧嘩をふっかけてきたモノであったのだが 実験結果と驚くべき精度で一致する おまけに宗教ウケしてしまった とゆうことなのだ かのダライラマでさえも^^
"量子論と仏教"(仏教のところは他の宗教でも可)のキーワードで検索すれば どれだけ出てくるかを見ればよい
たとえば 『1対の量子の一方の状態が確定すると、他方の量子状態も”瞬時に”確定する。たとえ、その2つの量子の間の距離が、何百万光年離れていようとも』
これは光速より早いモノはないとゆう相対性原理を覆すテレポーテーションの話である
(四の二の三)
0問に苦悩していたときに思いついた文体
ジャック・プレヴェール (1900-1977)
『枯葉』(仏題:Les Feuilles mortes )は1945年
プレヴェールが作詞したのは少し後
イブ・モンタンが歌ったのがオリジナル
世に認知されたのはジュリエット・グレコの歌(1947)
アメリカに持ち込まれたのが1949年
仏語はわからんので "Autumn Leaves" のタイトルになる
英語詞を作詞したのはキャピトル・レコードの創立者でもあったジョニー・マーサー※ムーンリバーや酒バラなどの作詞
最初に英語詩を歌ったのがビンクロ
ジャズマンが取り上げたのはゲッツが初だが
1958年に決定打が出る
Cannonball Adderley 『Somethin' Else』
1. Autumn Leaves
2. Love for Sale
3. Somethin' Else
4. One for Daddy-O
5. Dancing in the Dark
問題はアルバムの曲順である
事実上リーダーはマイルスで
彼はキャノンボールを丸め込み 謎を仕込んだ
Somethin' Else とは何だったのか
枯葉
ああ思い出してくれないか ぼくらが恋をしていた幸福な時代を
あの頃のくらしは今より美しく太陽はもっと明るかった
枯葉を集めるのはシャベル ね ぼくは忘れていないだろう……
枯葉を集めるのはシャベル 思い出も未練もシャベルで
北風は枯葉をさらう 忘れるという名の冷たい夜のなかへ
ね ぼくは忘れていないだろう きみが歌ってくれた唄を
それはぼくらにそっくりの唄
きみはぼくを愛し ぼくはきみを愛し
ふたりでいっしょにくらしたね
ぼくを愛したきみ きみを愛したぼく
でもくらしは恋人たちを裂く そっと 音を立てずに
海は消す 砂の上の別れたふたりのあしあとを。
(小笠原豊樹訳)
パリの出会いからの十年ロマンス
しかしこれでは今回の時空の乱れを説明できていない
(五)
ご無沙汰しております 物理学者としての荒川亀斎です 日にちの食い違いについて寺田寅彦先生と池田菊苗先生に伺ってきました
最初のパリ公演5月13日を旧暦と見れば新暦では7月8日になります また星月夜だった新暦8月12日は旧暦の7月9日です これで説明できませんか 歴史的な出会いはそこです 時空の歪みによる多少のズレはあると思います こと座のベガが北極星と入れ替わるのに26000年かかるのですから少々は大目に見て貰うとして 12年の歳差と15光年の距離を埋めるものは
ご無沙汰しております ぼくが時間論を書くのはまだ先のことですが と そこへ現れたのは(九鬼)周造ぼっちゃん このとき既にふた周りも歳をとっていた
ぼくの仏語家庭教師ジャン=ポール(サルトル)に聞いたところでは本質より実在だと また方法の問題としてサスペンス風の推理小説にすれば面白いとシモーヌ(ボーボワール)もゆうてます
ルタンメリプサ 回転的スクニルペコ
ウィトルウィウスが逆さまになってチソコがぽてんと垂れ上がるとゆうコマをずっと探していたのだが
持っていない本で「世紀末伏魔考」に収録されているのではと古書をやっと見つけたのにそこにもなかった リビドの塊になるとゆうコマはあった ひさうちみちおや吾妻ひでおにも別解釈がある
ところが他の手持ちを再確認したら「ライクアロリングストン」にあったやないかい
あとまだ探しているのは諸星大二郎の巨鳥が鳥居にとまるコマとつげ忠男のパラソルのおばちゃん
クノーの本もどっかにあるはずなんだけど ザジに聞いてみよう エーコはあった
なにしてんの つーと 文体の練習
新章 神聖試験 予告
山田富夫はショックを受けた
国家試験である神聖試験の模試で10点しか取れなかったのである それもお情けのような加点で内容的にはほぼ0点 今までに百点満点で半分も取れなかったとゆうのは一度だけあったがこの時は体調不良が原因だった 今回の原因は全くの勉強不足である しかも最も得意とする英語だとゆうのにこの三年間何をしていたのか
隣に座っている同級生の富田百合江はいつもの如く100点だったようだ 彼女は領事の娘で英語が堪能なだけでなくロシア語やドイツ語そしてフランス語もできるのだ 先日のG7の折の宮廷晩餐会では通訳なしで各国首脳のおもてなしを務め 同席のご例室たちに驚かれたらしい
頭を抱えていた富夫がふと気づくと
前に百合江が立っていた
富夫くん お話があるの
以下次週
神聖試験(一)
1900年のパリ万博 八雲が漱石とニアミスした
とゆうのは もちろん史実ではないが
このとき漱石33歳 八雲は50歳と17歳差である
八雲の「心」は1896年の作
漱石の「こころ」は1914年の作
この18年の間に何があったのか
・
漱石がヘルンの後を追いかけているわけではない
1890年 ヘルン来日 松江中学赴任 セツと結婚
漱石帝大英文科入学
1891年 ヘルン熊本の第五高等中学に転任
1896年 ヘルン帰化 八雲を名乗る 帝大就職
漱石松山中から熊本五高に転任 結婚
1903年 八雲帝大を解雇される
漱石五高から一高へ さらに帝大着任
この不思議な縁は何だろう
そして共通点がもうシトツ
おばけ好き とゆう奇縁だ
これは心霊・モダンスピリチュアリズムである
その起源はヘルンが生まれた1850年の少し前
1882年に英国心霊研究協会(SPR)が設立した
チャールズ・ドジスン(ルイス・キャロル)や
コナン・ドイルも入会していた
1885年には米国協会(ASPR)も設立する
・
時と場所を超えて 量子力学的転回が起こり
漱石と八雲は同じような夢から目を覚ました
おかしな夢を見たな この私が語学試験で
100点満点を10点しかとれないとは如何に?
ところが
(二)
パリの航空ショーは世界最大規模である
ラファールやミラージュやエタンダール
パトルイユ・ド・フランスのアルファジェットがトリコロールを大空に描く
あなた知ってるあるか と中国ブースの男が話しかけてきた ウチの「殲(J)10」はこないだインド軍のラファール戦闘機を撃墜したある 次の殲-20はもっとすごいあるよ
違う ウチのバイラクタル無人戦闘機の方がツオイ と割って入ってきたのはトルコ人だ
わっはっは 今やF22ラプターにかなうものはないぜ Su27フランカーなんか目じゃない とアメリカの男も話に加わる
それを笑って見ていた男がいた 源田実大佐である
機種なんて関係ない 343空の紫電改のタカじゃないがセイバー(F86F)で充分 今はT-4 アクロだ あのとき(1964年10月10日)は前日が土砂降りだったからきっと中止だろうと新橋で夜中まで飲んでいた おかげで俺たちはみんな二日酔いだったがサーカスは成功したんだ 性能より技術さ
源田はふと思い出したように云った ところで自分が海軍で初めて乗り組んだ船は装甲巡洋艦「出雲」だ 艦内にはクシナダヒメの神像を祀ってあったぞ
・
ヘルンが名前を八雲と改名したのは 出雲で何かを見たからである 以降八雲に統一する 本人が決めた名前ではない 小泉は妻・セツの名字 英語教師として教鞭を執ったのは西洋人だったからで 東京帝国大学文科大学の英文学講師も務めるが学位があったわけではない
・
一方で漱石が学位を辞退した一件は波紋を呼んだ 権威主義的な政府に反抗して名誉より作家であることを選んだ とゆうことになっているが少し違う
・
学位取得にはまず語学試験が必要だ これがなかなか難しい試験で大学院の入学試験のようなもので英検レベルの難易度だ 筆者は通っている 当時の指導教授はどうせ落ちると思っていたようだが 英語の小論文を書けとゆう設問があってここで点数を稼いだから合格したようだ 但しぼくも学位取得していない
(三)
小泉八雲 (1850-1904)
小泉節子 (1868-1932) 18歳差
夏目漱石 (1867-1916)
夏目鏡子 (1977-1963) 10歳差
節子は八雲をよく支えた
鏡子はとゆうと 朝寝坊で料理が苦手で占い好きで浪費家と 悪妻説は多いがそうでもない説もある そもそも漱石の癇癪は世間に向けられたものである
「俺は学者で勉強しなければならないのだから、おまえなんかにかまってはいられない。それは承知していてもらいたい」
しかし
「夏目が精神病ときまればなおさらのこと私はこの家をどきません。(中略)私一人が実家へ帰ったら、私一人はそれで安全かもしれません。しかし子供や主人はどうなるのです。病気ときまれば、そばにおって及ばずながら看病するのが妻の役目ではありませんか」
「おれの様な不人情なものでも頻りにお前が恋しい。これだけは奇特といって褒めてもらわなければならぬ」
「私もあなたの事を恋しいと思いつづけている事は負けないつもりです」
そして
「いろんな男の人をみてきたけど、あたしゃお父様が一番いいねぇ」
悪妻説は漱石に心酔する弟子たちが鏡子の言説を批判したものである それは悲劇か喜劇か 沙翁か
・
漱石は英国でシェイクスピア研究者クレイグ教授の個人指導を受けているので 論考や引用は多い 例えば草枕とハムレットについては以前書いた 次の連休に熊本の小天温泉現地取材の予定なのでもう一度検証してくる 今回なぜ 富夫と百合江の話なのかはもうおわかりになったでしょう
承前
英語の試験が10点だった山田富夫がふと気づくと
前に富田百合江が立っていた
富夫くん お話があるの
あたし 男は嫌いだけどあなたは別よ
それはジュリエット・グレコがマイルスに言った言葉と同じだった
(四)
八雲も漱石もクリスチャンではなく
むしろキリスト教には批判的である
キリスト教における色は、それぞれ象徴的な意味を持ち、典礼や宗教画などで用いられます。赤は血、愛、殉教、聖霊を、白は純粋、清浄、復活を、緑は希望、永遠の命、再生を、紫は償い、回心、節制を表します。また、金色は神聖さや王位を、青は天や聖母マリアを象徴することがあります。
ヨーロッパにおいては「青」はアンティーク・アナスタシアである。キリスト教のイコノロジーでは「赤」が愛の象徴で「青」は知の象徴だった。天使においてはセラフィム(熾天使)が赤く、ケルビム(智天使)が青い。しかし総じては神の身から発している青い光が青の到達点なのである。
仏国旗トリコロールで青は自由の意
正式には 青ではなく 藍色である
ブルー
のようなもの
と マイルスは言った
・
藍色は虹の六番目の色 憂鬱だと富夫が言うと
パリの憂鬱
と答えて 百合江はいなくなった
・
ブループラークがある日本人は漱石だけである
サプリメンタル シェイクスピア
世界で最も有名な英文学の作家である
その名や作品を知らない人はなかろう
ただしちゃんと読んだことがあるかだ
ウィリアム・シェイクスピア(英語: William Shakespeare, 1564年4月26日(洗礼日) - 1616年4月23日(グレゴリオ暦5月3日)) 51歳没
没年月日と同じく生まれたのも4/23ではないかとゆう
自身の記録が少なく経歴に不明な部分があったり日記や自筆原稿が残っていない上に異本もあるので
もちろん実在の人物だが 膨大な諸作品については別人説があり 複数の人物のペンネームではないかともゆわれる これでは写楽である
フロイトはシェイクスピアの名前はフランス系だと見ている
ハムレットやリア王などには元ネタがある
日本で初めて翻訳したのは1883年の河島敬蔵 実質は1884年に坪内逍遥が翻訳したので彼が第一人者であり 以降全作品の翻訳は偉業である
前にも書いたが坪内逍遥の妻は芸者ではなく娼婦だ それが悪いわけではないけれど早稲田大学教授としてはいささか具合が悪いのでそれを隠していた
漱石は親友の中村是好にハムレットを貰って読んだのが最初 明治19年(1886)ごろ東京大学予備門予科生時代である 些ともわからなかった とゆうている
夏目漱石は逍遙の「ハムレット」翻訳劇上演(1911年)を観て「沙翁劇は其劇の根本性質として、日本語の翻訳を許さぬものである」「博士はたゞ忠実なる 沙翁の翻訳者として任ずる代わりに、公演を断念するか、又は公演を遂行するために、不忠実なる沙翁の翻案者となるか、二つのうち一つを選ぶべきであつた」と厳しく批判した。理由は「沙翁は詩人である、詩人の言葉は常識以上の天地を駆け回つてゐる」 「要するに沙翁劇のセリフは能とか謡とかの様な別格の音調によつて初めて、興味を支持されべきであると極めて懸らなければならない。」とした
しかし坪内逍遥の「小説神髄」や「当世書生気質」は時代に先駆けた作品であり多大な影響を与えた
例えば野口清作とゆう人物は作中の登場人物は自分のことだと感銘を受け自分の名前をわざわざ改名までした その名前とは野口英世である 漱石とともに千円札を飾る
「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ」
(四の二)
漱石が英国に留学したのは1900年
9月8日に横浜港を出発 伊太利亜のジェノバ港に着いたのが10月19日 そこから鉄路でリヨン駅に到着したのは21日の朝 一週間ほど巴里に滞在して倫敦に向かったのは28日である
この時代にまだ飛行機はない 純国産飛行機「神風号」(九七式司令部偵察機「キ15」の試作機)が 東京ー巴里ー倫敦を飛んだのは1937年4月9日 総所用時間94時間17分56秒 飛行時間51時間19分23秒という15,357キロメートルの飛行記録は世界記録となった
現在 関空ー巴里直行便はエールフランスが最短で14時間35分
チャのホウ素スローガラス人力車JQ16が瞬時に移動した
とゆうのは如何なものでしょうか 荒川先生
量子力学的にもあり得ないことですが そもそも八雲先生と漱石先生の間には互いの往来や接点はなく面識も希薄です しかしその宿縁をここで結ぶには面白い方法ではありますね お二人のお墓は同じ池袋の近くの雑司ヶ谷墓地ですし
・
では開けてはいけないとゆうあの手紙には何が書いてあったのでしょう
百合江は何も手がかりを残していない
それどころか それは
エウリュディケーの手紙ではないかな
(四の二の二)
チーフ USS パブロ・ピカソから呼びかけです
なんと言っているんだ
小説よりも絵を画きなさい と
チーフ USS ジャン=ポールから呼びかけです
なんと言っているんだ
なんで結婚しなかったのか と
あのね いしいひさいち先生のようなワカランネタはやめなさい
ピカソがマイルスに絵を画けとゆうたわけではないが マイルスはジャズ界のピカソとゆわれているし モンクもそうだった ブルーとゆう共通項もある 茶樂はAA界のピカソだしな
(ジャン=ポール)サルトルはマイルスに、グレコと結婚しなかった理由を聞いたという。「私は彼女をあまりにも愛し過ぎたので、不幸にしたくなかった。彼女を守りたかった。」
シェイクスピアだと人種問題テーマはオセローとかな それより漱石先生の興味はオースティンのダーシーとエリザベスの方だ
・
八雲先生 熊本の次は松江と出雲旅行ですけど ちょっと他の予定も立て込んでどないなるかわからんのですよ 月山富田城とか富田さんネタでいいかなと思ってたら 宿泊予定が富田旅館跡の大橋館ですやん 女将さんの名前は ななみか吉田妙玖子とかだったら
(四の二の三)
こじつけではないけれど出来過ぎだと思う
シェイクスピアの誕生日と死んだ日がともに
4月23日であったとゆうのは意外でしたね
神聖試験ってなんの試験だったのでしょうか
単なるカフカか荒巻義雄のパクリじゃないの
漱石はマラルメの翻訳をやったわけではない
英語の勉強を真剣に始めたのは高校のときか
富夫がたまたま百合江に英語で話しかけたら
流暢な英語で返事が返ってきて驚いたわけだ
富夫と百合江をいしいひさいちに絡めたのも
たまたま直島に旅行したからでもなくてやね
まだまだ勉強せんならんことがいっぱいある
なにしろヒロインはすぐにいなくなりますで
草枕紀行(一) 峠の茶屋
当初考えていたように山路を登りながら
とゆうのは実に無謀なことだとわかった
地図では四時間と書かれていたからだが
この暑さでこの山路はとゆうことだった
今回のもうひとつの目的は大学の同級生のお見舞い
おそらく約四十年ぶりだと思う友人は確かに老いてはいたがなんのまだまだ元気な姿を見せてくれた お互いに さっきまで持っていた物をどこへ置いたかわからないくせに 半世紀も前の大学時代のことをさっきまで見てきたように語り合うのである
ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。
(二) 那古井館
時空峠を超え宿に着いたのは夜の六時
史実では夜の八時 師走の雨であった
こちらは夏なのに 昨日は雹が降ったとゆう
――孤村の温泉、――春宵の花影、――月前の低誦、――朧夜の姿――
ここはシトツ十七字狂句を呑気に捻るところだが
海棠の露をふるふや物狂ひ
正一位、女に化けて朧月
春の星を落して夜半のかざしかな
春の夜の雲に濡らすや洗ひ髪
春や今宵歌つかまつる御姿
海棠の精が出てくる月夜かな
うた折々月下の春ををちこちす
思ひ切つて更け行く春の独りかな
さっとこんなに出るわけじゃない
以前詠んだ歌を少し弄ってみるが
遥々と長良の乙女を探しきぬ
有明の海の向かふに見る月に
ふりかへり許したまへと垣間見る
カンヴァスのなかの湯壺に湯浴みして
どうもうまくゆかないのでちょっと腹が立つ
季語とかめんどくさい
そも季節がばらばらで しかもかさなりくん
・
旅館の裏の鏡ヶ池は個人の庭なので立ち入り不可なのである オフィーリアの池はこの前に直島で見たから良しとしよう
(三) 交流館
早朝から宿の周りを散歩 鏡ヶ池と前田邸を見る
次の目的地は草枕交流館だ
那古井館から400メートルって 高度かってくらい
これが急な山路で歩けないわけではなかったのだが
チャを配車した
かねてからメールでも質問していた村田由美館長先生のようつべを何度も見て予習してきた 今回は学芸員さんとともにご不在だった 時間的にもゆっくりお話しできずに残念だった 資料は頂いた 絵巻の絵葉書も購入し いずれまたイベントツアーにぜひ参加したいと伝えて 峠越えから熊本市内に戻り漱石居宅跡を見学する
・
宿の若奥様である那美さんにはもちろん会えない それがオフェリアだけでなく 伊邪那美やエウリュディケであったり 富田月子または百合江であったり とゆうようなことを考えながら狂句を詠んでみたのである
遥々と や 垣間見る は季語なのかと思ったが 季語は名詞だけではない ただ今は夏だからそこは揃えたほうが連句になるのかも知れない
漱石は生涯に約2600あまりの俳句を詠んだ 主に明治28年から32年つまり松山から熊本での時代に作られた 同期の正岡子規の勧めによる 子規の俳句は有名だ 誰でも知っている では漱石の有名な小説は知っていても俳句は知らないのではないか この頃の漱石はまだ無名なのだ
(四)
漱石が小天を訪れたのは明治三十年(1898)
そのとき出会った前田卓(漱石よりひとつ歳下)が父の温泉付き別邸を改装した旅館を仕切っていた
草枕の那美のモデルとゆうわけであるが 卓は漱石との関係を興味本位に取り上げられるのを嫌った
そこはぼくも村田先生におこらえたところだ 漱石は卓に思慕があったのではないと
しかし漱石がここを訪れたのは一度だけではない
前田家は明治の激動の中で自由民権運動や中国革命などに関わる様々な歴史を持つ 二女 卓(ツナ)も数奇な運命があるのだが それを漱石が知って草枕を書いたのではない
漱石は熊本嫌いで有名だったほどなのに 小天だけは特別な場所だった 英国から1903年に帰った後は熊本には戻らないと東京に移るが 英国から森田草平にあてた手紙には あんな旅をまたしたい とゆうていたのである
卓の方もその後も色々あって 実は上京もしている
つまり 漱石に会っていると思われる
これが十年も経って草枕を書いた理由ではないか とゆうことだが さらに十年後に再会したときには 卓の人生を聞いて 草枕は書き換えたほうがいいかな と思った
そして百年後に ぼくは非人情な十年ロマンスを画こうとしているのだ
(四の二) 前田家のシトびと
前項 前田家がいかにすごいか
前田案山子 卓の父 草枕に登場する志保田の隠居のモデル 豪族出身で槍の名手 肥後藩士 玉名の区長として地元民のために尽力 小天の山麓に温泉を発見し別荘を設ける 第一回衆議院議員 自由民権運動の中で政府や薩摩の圧迫に反骨を示す 中江兆民ら多くの活動家が訪れる 保護した中にいた池辺三山は漱石や二葉亭四迷を朝日新聞入りさせた人物 この人がいなければ文豪漱石は誕生していない
前田槌 卓の妹 政治運動家の宮崎滔天と大恋愛の末に結婚 大陸浪人を目指す奔放な革命戦士の夫を健気に支えた 結果宮崎家は貧困を極める 前田家も案山子の死後は一家離散
宮崎龍介 槌の長男 弁護士 社会運動家 幼い頃から革命家の父の影響で孫文らを知る 蒋介石への密使 大正デモクラシーを鼓吹する中で伯爵令嬢でブルジョワ夫人の歌人 伊藤燁子と出会う
伊藤燁子(あきこ) 旧姓は柳原 大正天皇の従妹 母は妾で柳橋の芸妓 明治から大正の三大美人の一人 当時の大スキャンダル白蓮事件を引き起こした柳原白蓮である 龍介の妻となる
漱石にこれらの事情が影響していないはずはないが 作品にはわからない
(四の二の二)
大略 漱石に彼女はいないとするのが結論である
しかし それでは浪漫がないだろうと思うのだが
卓以外の那美のモデル
もしくは漱石の恋人と思われたのは
平塚らいてう これはない が 卓に似ている
樋口一葉 これもない し 似ているかも
大塚楠緒子 これもない
兄嫁登世 これもない
磯田多佳 これもない
眼科の女 これも
どれとも違うとゆうことは
謎はやはり 卓にあるのだ
他の作品 例えば こころを見ても
漱石は女性嫌悪があるように思える
ところが 弟子の寺田寅彦はこう言う
あれはインテレクチュアルな好い顔だ
単に美人だからではなく
インテリとゆうところが キーだった
>
しかもこの姿は普通の裸体のごとく露骨に、余が眼の前に突きつけられてはおらぬ。すべてのものを幽玄に化する一種の霊氛のなかに髣髴として、十分の美を奥床しくもほのめかしているに過ぎぬ。片鱗を溌墨淋漓の間に点じて、きゅう竜の怪を、楮毫のほかに想像せしむるがごとく、芸術的に観じて申し分のない、空気と、あたたかみと、冥ばくなる調子とを具えている。六々三十六鱗を丁寧に描きたる竜の、滑稽に落つるが事実ならば、赤裸々の肉を浄洒々に眺めぬうちに神往の余韻はある。余はこの輪廓の眼に落ちた時、桂の都を逃れた月界の嫦娥が、彩虹の追手に取り囲まれて、しばらく躊躇する姿と眺めた。
那美の裸体描写も それが誰とゆうことではない
そうゆうプロットではなかったとゆうことなのだ
漱石には恋愛小説 のようなもの があるだけだ
Sadder than is the moon's lost light,
Lost ere the kindling of dawn,
To travellers journeying on,
The shutting of thy fair face from my sight.
Might I look on thee in death,
With bliss I would yield my breath.
因果の糸は
空を横切る虹の糸 野辺に棚引く霞の糸 露に輝く蜘蛛の糸
(四の二の三)
熊本時代に漱石が読んでいた本
夏目漱石は、実父直克の死去を承けての一八九七(明治三〇)年七月四日からの約二ヶ月間の上京期間中に、当時『読売新聞』に連載中の尾崎紅葉「金色夜叉」(同年一月一日連載開始)などと並んで、「たけくらべ」を含む樋口一葉の著作を読んだことが知られています。
尾崎紅葉の住まいは神楽坂と隣接する牛込横寺町にあった 親分肌で江戸っ子のシト
樋口一葉は本郷の菊坂に住んだ 戸籍名は奈津 自著には 夏子 夏 なつと書いた
紅葉は漱石よりひとつ下 35歳没
一葉は漱石よりいつつ下 24歳没
暗合があるんじゃないか とチャは思った
そのとき時空が一度止まったのだ
サプリメンタル
世の中はスむとニゴるで大違い
ブルーズに気があり ジャスに気がない
と書くに この世はスジがない
スジは不人情じゃありません 非人情な惚れ方をするんです ネタも非人情で読むからスジなんかどうでもいいんです こうして 御籤を引くように ぱっと開けて 開いた所を 漫然と読んでるのが面白いんです
ブルーが集まればブルーズになりますか
ビッチェが集まればブリューかブルーか
狂句は添削された アナザーカインドに
「何か御褒美をちょうだい」と女は急に甘えるように云った
以下次週