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​蒼穹のヴィオル

蒼穹のヴィオル 第一章 1 白A

T井センセご推薦のポンティから始める

Dupree’s Paradise でも良いが ここは

ちょっと違うところでセッション風景を

 

https://youtu.be/ZQvxKj2fhLA

 

ジャンリュックポンティはフランス人だ

そこが米国人のジェリーグッドマンより耽美的で

それが今回のテーマのミソになるだろう

まずはヴァイオリンの歴史を勉強しよう

 

ヴァイオリンの起源は、中東を中心にイスラム圏で広く使用された擦弦楽器であるラバーブにあると考えられている。ラバーブは中世中期にヨーロッパに伝えられ、レベックと呼ばれるようになった。やがてレベックは立てて弾くタイプのものと抱えて弾くタイプのものに分かれ、立てて弾くタイプのものはヴィオラ・ダ・ガンバからヴィオラ・ダ・ガンバ属に、抱えて弾くタイプのものはヴァイオリン属へと進化していった。

 

世にヴァイオリンが登場したのは16世紀初頭と考えられている。現存する最古の楽器は16世紀後半のものだが、それ以前にも北イタリアをはじめヨーロッパ各地の絵画や文献にヴァイオリンが描写されている。レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿にもヴァイオリンに似た楽器の設計図が見られる。現存楽器の最初期の制作者としてはブレシアのガスパーロ・ディ・ベルトロッティ(通称ガスパーロ・ダ・サロ)、クレモナのアンドレア・アマティ、ガスパール・ティーフェンブルッカーが有名である。

 

ザッパ はイタリア系アメリカ人だが

17世紀のイタリアのヴァイオリンとゆうと

これはもう アントニオ・ストラディバリですね

ぼくのあのノコギリもストラディバリウスだよん

蒼穹のヴィオル 第一章 2 指

 

ポンティがフランス人とゆうのは

この映画に出てきそうな気がする

https://youtu.be/kl9U7SR5Iv0

 

ぢつわこれパクリだと訴えられた

フィリップ翁とは和解したのかな

パクリでもいいじゃないですか ぼくなんかいっぱいネタにしてますよ 特にラークスは フィリップ翁もトーヤと夫婦漫才やってるじゃないですか

 

 

とゆうことで次はエリッククロス

翁には気に入られなかったとゆう

 

・・

 

指には弓

 

・・・

 

今朝の夢

またゴルフをしている レコード盤のような丸いコースレイアウトでスタート地点までトンネルで向かう 一緒に回っているのは伯父である 伯父が挨拶しているのはどうも大学のOB会のようで ぼくは吹奏楽部に入会させられそうなのだ 同期のNくんはいますがね ドラムしかできませんよ すると審査の先輩がゆう だったらヴァイオリンを練習したまへ

蒼穹のヴィオル 第一章 3 靄

 

本能寺の変 Dday

1582年6月21日午前四時 旧暦では天正10年6月2日寅の刻

歴史上最大の Dday とは

ノルマンディ上陸作戦 1944年6月6日である

コードネームは オーバーロード作戦

 

 

6月1日、午後9時のBBC放送ニュースの中のコーナー「個人的なおたより」で ヴェルレーヌの「秋の歌」第一節の前半分

「秋の日の ヴィオロンの ためいきの」

 

の暗号が放送され、これを受信したマイヤーは第15軍司令部参謀長ルドルフ・ホフマン少将に「暗号の第一部が発せられました。どうやら何かが始まりそうです」と報告した。

 

ロンメル将軍もその情報を受け取ったのだが

 

「これまでの私の経験によれば、それは上陸作戦が直ちに行われることを示すとは思われない」という報告書を西方軍集団総司令部に送っていた。ロンメルはこの自分の判断に自信を持っており、他のドイツ軍司令官らと同様に気象班の報告を信じて、当面連合軍の上陸はないものと考えた。 そこで6月3日には、妻【マリア】へのプレゼント(サイズ8、手作りのムーンストーンリング)を買うためパリに出かけ、翌6月4日には、ロンメルは妻の誕生日を祝うためと、B軍集団に少なくとも5個師団の指揮権を委譲するようヒトラーと直接交渉する。

第7軍参謀長マックス=ヨーゼフ・ペムゼル少将は、ノルマンディー地区の指揮官が揃って持ち場を離れることに懸念を感じており、意を決して指揮官たちに「6月6日未明までにレンヌに向かうことがないよう」という指示を出したが、既に手遅れで多くの指揮官が持ち場を離れた後であった。なかには参謀長がフランス人の情婦と狩りにでかけており、連絡すら取れない師団もあった。

 

そして 6月6日

 

午後22時15分(ドイツ時間21時15分)、ドイツ軍は第二次世界大戦中もっとも重大な暗号を受信した。上記の詩の一節の後半部分である

 

「身にしみて ひたぶるに うら悲し」

 

https://youtu.be/rGyNi37x0Pg

 

 

Les sanglots longs

Des violons

De l’automne

Blessent mon coeur

D’une langueur

Monotone.

蒼穹のヴィオル 第一章 4 息

 

ロンメルの妻の名もマリアだった

士官学校時代に知り合ったルーツィエ・マリア・モーリン(Lucia Maria Mollin)である

 

第一次大戦から第二次大戦へ 貴族出身ではないが最後は陸軍元帥まで登り詰め 連合軍からも名将「砂漠の狐」と評価された稀代の英雄もノルマンディーの敗北と北アフリカ戦線からの撤退はヒトラーの信用を失う ヒトラー信望者だったロンメルも次第に狂気に満ちていく総統に失望する しかも総統暗殺計画が露見して失敗し その関与を疑われたロンメルは処刑よりは英雄としての自決を促される それはその年の秋のことだった 辞世の句がヴェルレーヌだったわけではない それは上陸作戦の暗合でありドイツの暗合はエニグマである

 

かように ヴィオルの息はまさに嘆息であり

靄と沈むその中に 息絶えんとする

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=hhq3YGW62xY

 

・・

 

Souvenir, souvenir, que me veux-tu ? L'automne

Faisait voler la grive a travers l'air atone,

Et le soleil dardait un rayon monotone

Sur le bois jaunissant ou la bise detone.

蒼穹のヴィオル 第一章 5 花

エニグマはロータリー式暗合機であり付属キーボードで入力する

 

アスキーはアメリカの情報通信用文字コードで インドのアスキーはイスキーとゆう(ホントよ) 最も古いアスキーアートは1898年(明治31年)にフローラ・ステイシー Flora Stacey という女性が蝶を表現したものである 1918年(大正6年)にはキュビスム先導者の一人であるギヨーム・アポリネールが活字で絵を描いた『カリグラム』 Calligrammes を刊行し 1922年にはホバート・リース Hobart Reese が「活字だけで描いた人物画」を発表して注目された

 

図形詩とも呼ばれる「カリグラム 」は 詩行を並べてある図形や絵を表わす方法であり すでに古代ギリシア時代から存在したが 文字を美しく書く(描く)カリグラフィー(書道を含む)と表意文字を意味するイデオグラムを組み合わせた『かばん語』として「カリグラム」という言葉を生み出したのはアポリネールである 彼はこのような表現によって「芸術 音楽 絵画 文学の統合」への一歩を踏み出したとされる

 

さてこのギヨーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire)はフランス帰化人で生まれはローマ 1880年 - 1918年 ベルギーで母に捨てられたときにカフェの娘【マリア】デュボワに出会う 初恋 その後の幾多の女性遍歴は ランダ アニーらに次々と振られて パリで出会ったのがかの【マリー】ローランサンである 1907年5月『アヴィニョンの娘たち』を発表したピカソの個展が開かれていたクロヴィス・サゴ画廊においてであった この恋は『ミラボー橋』などの著明な詩を産む しかし彼は1911年に起こったモナリザ盗難事件のえん罪で投獄され ローランサンとの5年あまりの関係は終わった さらにルー(ジュヌヴィエーヴ=マルグリット【マリー】ルイーズ・ド・ピヨー・ド・コリニー=シャティヨン)を経て マドレーヌ・パジェスと婚約するが 最後はかってモンパルナスで出会ったジャクリーヌ・コルブと結婚 1918年 ローリング20を待たずにパリで死去した

 

https://www.youtube.com/watch?v=W3LwRD0TIic

 

 

Sous le pont Mirabeau coule la Seine

Et nos amours

Faut-il qu’il m’en souvienne

La joie venait toujours après la peine

Vienne la nuit sonne l’heure

Les jours s’en vont je demeure

蒼穹のヴィオル 第一章 6 音

 

ヴァイオリンに戻る

 

サルトルやニーチェやバルトら哲学者はピアノが弾けたりするが ヴァイオリンが弾けるのは物理学者である アインシュタインや漱石の門下の寺田寅彦など

そこでぼくも挑戦してみることにした

しかし全くのトーシローが独学は困難だから 同級生で母校の中学の吹奏楽顧問をしているNくんに指導してもらう ネタとはゆえそのくらいやらんとあかんのである そこが露伴だ

いずれはラークスを演ってみたいところだ まずは練習曲として有名なユーモレスクはどうか

ドボルザークだ チェコだ プラハだ ちょうど良いでわないか

ボクは見てくれだけのおいちゃんなので なんとかなりそうならサイレントヴァイオリンを買おう こりがなかなかかっこいい ヘッドフォン練習も出来る ギーコギーコではやかましい

蒼穹のヴィオル 第一章 7 線

 

アルベルト・アインシュタインはヴァイオリンの名手であると共に 女性遍歴もなかなかのものであった

妻のエルザ・レーヴェンタールは再婚であり もともと彼とは従姉妹で旧姓もアインシュタインである エルザはピヤノが弾ける

 

アインシュタインにも前妻がいた ミレヴァ・マリッチ チューリッヒ工科大学の同期生である 在学中に彼の子を妊娠し学問を中断した 二年後に結婚する 二人目の息子ができた時はアインシュタインはプラハのカレル大学教授だった その後またチューリッヒに戻るが マックスプランクが彼をベルリンへ招聘したことでミレヴァの苦悩が始まる ベルリンには行きたくなかったからだ 結局彼女はチューリッヒに帰ってしまい離婚する アインシュタインが従姉妹のエルザに再会し不倫したことによる 慰謝料の請求はノーベル賞賞金だった

 

しかし彼はその前にある女性と知り合っていた

 

それはキュリー夫人である 夫ピエールも物理学者だがなぜ夫人とわざわざゆうかとゆうと20世紀初頭はまだ女性は差別されていたわけで 彼女の履歴には 女性初の〜が多い 二度のノーベル賞をはじめその功績は書ききれないほどある 放射能 (radioactivity) という用語は彼女の発案による 昨日7/4は彼女の命日であった

本名は【マリア】サロメア・スクウォドフスカ=キュリー フランス語読みのマリ・キュリーの方が知られている 最初の転機は24歳の時 ワルシャワからパリに移り住む

 

 

”La plus grande récompense de la vie est l'activité intellectuelle elle-même” Marie Curie

蒼穹のヴィオル 第一章 8 数

 

https://www.youtube.com/watch?v=OrXHmukpd5Y

 

ヴァイオリン属は ヴァイオリン ヴィオラ チェロ コントラバスの四種である コントラバスは含まない考えもある そのばわいはヴィオラ・ダ・ガンバ属である ルーツが違うからだ

バロックヴァイオリンはモダンヴァイオリンと違ってバスパーが小さくアジャスターがないのが特徴 最も大きな違いはモダンのボウが中間部が凹んだ曲線であるのに対してバロックは直線形 弦はガットである

なぜ物理学者はピヤノではなくヴァイオリンなのか 一度始まった弦の振動をその自然の進行のままに進行させ そうしてそのエネルギーの逸散を補うに足るだけの供給を弦と弓の毛との摩擦に打ち勝つ仕事によって注ぎ込んで行く操作が科学的だからである

 

ピタゴラスは音楽を数値化した 哲学は思想を語る学問ではない 科学や数学音楽などの多岐にわたる総合学問だった そしてそれは宇宙がどのように成り立っているのかを探るためのものであった 彼は当時リラと呼ばれた竪琴において その弦の長さと音の美しさに法則性があることを見出して その原理を数学的に証明した つまり「音の調和が数学的に説明できるのであれば この宇宙の調和をも数学で説明できるはずだ」とゆうことだ

 

現代の脳科学では少し違う 脳は新しいものを欲するように出来ていて 仮説では「脳という器官が身体に指示を出すことによって創り出している」とゆうのだが 音楽とは「創り上げられるもの」というよりも「生まれてくるもの」なのだ ツツイなら放射脳による放射性伝染病とゆうだろう キュリー夫人は「笑うな」である

 

 

”Il existe de nombreux substituts à ceux dans les affaires humaines, mais peu de substituts à ceux dans la vérité.” Marie Curie

蒼穹のヴィオル 第一章 9 泪

 

チャールズ・スペンサー・チャップリン(1889-1977)もヴァイオリンを弾ける 真剣に目指したが左利きであったために結局諦めたとゆう イギリスのシト

まーぼくは涙腺脆弱症なのでまず泣くからあんまり見やんとこ

 

バルトは>

(ラシーヌの)芝居でみんなが泣くこと、とりわけ男たちが人目を憚らずに泣いていたことに関心をもち、時代社会と涙を流す習慣とに関係があるのかを調べた。17世紀のヨーロッパでは男たちが泣くのは当たり前だったのだ。この指摘に刺激をうけたアンヌ・ヴァンサン=ビュフォーは、18世紀のフランスでは涙を流すことが男にとっても女にとっても歓びや誇りでさえあったことを突きとめ、19世紀はそういう男女を描いた文学作品が目白押しになったことを調べあげ、かなりの時間をかけて『涙の歴史』を書いた。フランスの事例ばかりではあるが、力作だった。

 

 

ぼくは森繁病ではない お笑い一筋だが

こうゆう路線は基本的に持っているのだ

ドタバタの最中でのまぢめな行動である

 

・・

 

古代ギリシャには「心」「意識」「自己」にあたる言葉は無く プラトンらはプシュケーと捉えた これには「成長の力」「感覚の力」「運動の力」「欲望の力」「思考の力」が宿ると考えられた アリストテレスは思考の力を「理性」や ロゴスを伴うと見た ヌースである これがのちに「感情」「情動」となる ロゴスに対するパトスである パトスはパッションやペーソスに繋がってゆく これらの総体をアニマと呼ぶ 日本語の「魂」

 

・・・

 

ストア派ではパトスとは「魂の不平」を指す パトスに屈することは外部の印象に対する誤った反応からなる内部(つまり魂の)出来事である このパトスの見方とそれに伴うすべてのパトスは(無関心の状態に達するために)根絶されるべきであるという見方は ストア派によって魂の性質 心理的機能 人間の行動の特定のイメージに関連付けられている この絵の重要な特徴は 哀愁に屈することは理性の誤り つまり知的な間違いであるということだ

 

エピクロス主義は パトスをより口語的な手段や状況で解釈して配置し それを快楽の中に置き 快楽に関するほぼあらゆる面でパトスを研究し 個人が感じるかもしれない またはそのパトスを理解するために経験する必要があるかもしれない感情の特異性を分析する

蒼穹のヴィオル 第一章 10 白B

 

ヴァイオリン協奏曲はたくさんあるが

今日はフィンランドのシベリウス(1865-1957)を聴いてみよう もとはヴァイオリニストを目指したシトだからだ ローリング20の少し前 ブラームスのヴァイオリン協奏曲を初めて聴いた彼は衝撃を受け より交響曲の響きになるように仕上げた

まずはこれから

 

https://www.youtube.com/watch?v=wkF501ctVDE

 

この曲は、当初オペラ『船の建造』の序曲として作曲された。フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』の第16章により、カレワラの主要な主人公であるヴァイナモイネンが船を作るための呪文を求めて死の国であるトゥオネラへ行き、結局は逃げ帰ってくる。その暗い死の国を想像しながら作曲されたと思われる。シベリウスは1893年から1894年にかけてこのオペラに取り組んでいたが、自分にオペラを作曲する才能がないことに気が付いたらしく、このオペラは結局は完成されていない。

『レンミンカイネン組曲』は、『カレワラ』の第12章から第15章にかけてに基づいている。放埒な主人公レンミンカイネンはポホヨラの娘への求婚に赴き、娘の母である女主人から3つの課題を与えられる。そこで、彼は2つまでの課題は克服するが、3つ目の課題、トゥオネラ川を泳ぐ白鳥を射るという課題に挑戦中に殺され、死体はばらばらにされる。しかし最後は母の呪文によって蘇生させられ、家に連れ戻される。組曲はこの物語からの4つの場面を描いている。

シベリウスがフリーメイソンかどうかはどうでも良いが

後期ロマン派 で ロマン派とゆうからには

ロマンチックなだけとは限らない

「真実は必ずしも公理にさかのぼりうるとは限らず、感情や感覚・直観を通じてしか到達し得ない世界には、逃れようもない現実がある」

ロマン派音楽の時代を通じて戦われた議論の一つは、音楽と音楽外の言葉や発想源との関係であった。19世紀以前にも標題音楽(ある視点や標題による音楽)はありふれたものだったが、音楽形式と音楽外の霊感をめぐる葛藤はロマン派音楽の時代を通じて重大な美学的命題となった。

 

でまたこれをネタにするには今週はもう時間がないのである

蒼穹のヴィオル 第一章 11 七夕

 

われわれの住む地球は高緯度地方を別として毎日太陽の出没と月の盈虚があり四季の交代がある この天象をもとに時刻の経過と将来への変化に備える要求から「暦」が生まれた 一年を重視するか一ヶ月を重視するかの違いがあって「太陽歴」と「太陰暦」がある

 

ユリウス歴からグレゴリオ暦では 大の月小の月があるが交互にはなっていない これは オクタビアヌス(アウグストス)が自分の名前が冠される8月が小の月なのはいやぢゃとゆうて そこを大の月にするために もともと暦が春分のある3月開始なのでつじつま合わせを最後の2月にしたのである

太陰暦では月の運行を元にしているから毎月同じ日の月の形は同じである つまり一日は新月であり 三日は三日月であり 十五夜は満月である あと何回でも見れる 死ぬまではだ

太陽歴では今年の7月7日も来年の同日も百年前も月や惑星彗星などを除いて星空の様子は同じである

しかし中国で昔から使われる太陰太陽歴(いわゆる旧暦)では太陽歴に直すと8月初めから9月初めまでほぼ一ヶ月の幅があって見上げる星空は同じではないので 詩に謳われる七夕の星は同じ星空を見ていない

歳差のムズカシー計算は省略するが 千年から二千年前の中国の詩文の七夕の星は現代のほぼ8月中旬から9月下旬の星空を見たものである

 

これに月が絡んでくると

 

あめのうみに雲の波立つ月の船 星のはやしにこぎかくるみゆ(柿本人麻呂)

 

牽牛が月の船に乗ってやってくるとゆうのはロマンチックだがこの両星は当時の月の軌道とは離れている アルタイルとベガは歴史的に見て「牽牛星」と「織女星」と呼ばれていたわけではない 前に書いた「牛宿」が「牽牛」であり「織女」と向かい合うのは「河鼓」である 「織女」の方も「牛宿」の隣に「女宿」(布帛裁製を司る須女)があるし このふたつがそろって天河のほとりにひっこしたとでもゆうのか

 

七夕伝説の骨子は

天河の東の織女は天帝の子であり 独身であることを憐れんで 河西の牽牛朗に嫁がせた ところが二人はいちゃいちゃしまくり千代子で仕事をさぼるようになり 天帝は二人を引き裂き 7日に一度なら会うてもよろしとしたが これを聞き誤って年に一度7月7日しか会えないことになってもたとゆうもの

この聞き誤った理由は天帝の使わした鳥(鵲または鴉)が言葉をうまく操れなかったからとゆわれる

織女や牽牛という星の名称は 春秋戦国時代の『詩経』が初出とされているが どの星を指すかは定かではない それは古代にはそれぞれベガやアルタイルが今の位置には無かったとゆうことだ

 

しかしこんな話もある

牽牛が織女を娶ったとき 天帝に二万銭を借りて結納にしたが これを返さないのでおこらえて ペガススあたりにとばされたとゆう 道教色としては面白い所で 織女は借金のカタに機織りをさせられているのである

 

西洋では

彦星に相当するのは わし座のアルタイル これと白鳥座のデネブは どちらもゼウスの変身 前者はガニメデとの一件で 後者はレダとの一件で 生まれた子供が双子座のポルックスとカストルである

おりひめの星は こと座のベガ これはオルフェウス 竪琴が上手でエウリディケとゆうニンフと恋仲になる 或る日毒ヘビに噛まれたエウリディケは即死 悲しんだオルフェウスはあの世へ行ってハデスにお願いしようと三途の川を渡る 途中で番人達に断られもするが悲しみの竪琴を奏でて通して貰う 冥王ハデスにも断られるのだが妃のペルセポネが頼んでくれて 条件付きで許可が下りる それは帰り道で振り返ってはならぬとゆうもの で まー 最後のとこでふりかえっちゃうわけですね アウチ 悲しみのオルフェウスは女性との愛を断ち オルペウス教を始めアポロンを唯一偉大な神と信仰するのだが それに怒ったディオニュソスがマイナスたちに襲わせて八つ裂きにしてしまう 彼の首と竪琴はレスボス島に流れ着き これをゼウスが悼んで星空にあげてこと座にした

冥府帰りの話はイザナキイザナミとほぼ同じ

 

 

そこで今夜は

哀愁の欧羅巴ではなく バロックのルフランを聴こう

J.S.バッハ作曲 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調BWV.1004の第5楽章チャコーナ(シャコンヌ)「バッハのシャコンヌ」

蒼穹のヴィオル 第二章 避役 予告

 

ギリシャの七夕はオルフェウスの話

フィンランドではこと座のベガ(織姫)とわし座のアルタイル(彦星)はズラミスとサラミという仲良し夫婦の星 いつも一緒だった二人だが死んだあと星となり離れ離れになってしまう しかし二人は決して会うことを諦めず 少しずつ星を集めて二人の間に橋を作った その橋が天の川である

 

神事は25時に

 

・・

 

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトがまず登場する

彼は35歳の時に生まれた そして時はギャグ周りを始めた

https://youtu.be/ywA_BsFvYxY

 

 

以下次週

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蒼穹のヴィオル 第二章 避役 1

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは35歳のときにウィーンで生まれた 1791年12月5日 そして時はギャグ周りを始め まず彼はレクイエム K.626 を作曲した

 

 

ベートーヴェンとショパンを同時にうまく弾けるピヤニストはいない 異なる魂を同時に併せ持つことができないからだ モーツァルトでは一つの曲の中でそれが起こる トラは突然コメになり 楽章ごとに長調と短調がコロコロ変わる 天国と地獄を行き来するカメレオン(避役)である ギョェテも当惑したが 享楽のココロいやロココからロマンになってより深くより強く内面の葛藤を意識するようになった… わけではない 特に道徳において

ツツイは早速こう描いた

「モーツァルトの父の友人にシャハトナーとゆうバイオリン奏者がいた このひとの持っているバイオリンはバターでできていたため 次第に溶けて他のバイオリンより八分の1音だけ低くなってしまった シャハトナーは仕方なくトランペット奏者になった このシャハトナーがある時モーツァルトの前でトランペットを吹いた モーツァルトは驚いて死んだ しかしすぐ生き返った(中略)モーツァルトは右手で第二バイオリンを弾き左手で第一バイオリンを弾きしかもペンツェルの作曲した六曲を全部同時に弾いた」

幼い頃のモーツァルトがトランペットを怖がったとゆうのは実話だが 晩年の6歳くらいには曲芸プレイ(目隠しとか)ができた

https://youtu.be/FUaIUHYfhjs

 

・・

 

生きていることと死んでいることとは同じことだ 夜の闇と昼の光のどちらが恐ろしく どちらがより死に似ているかとゆうと昼の方だ なぜなら明るくないと死がよく見えないからだ 死は 厳密に考えると ぼくたちの生の最終目標なのだから 数年このかた この 人間にとって真実で最上の友と非常に親しくなっている 生まれたばかりなのに 明日はもう生きていないのではないか と


 

蒼穹のヴィオル 第二章 避役 2

 

モーツァルトの洗礼名(ラテン語)は ヨハンネス・クリュソストムス・ウォルフガングス・テオフィルス・モザルト(Johannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus Mozart)である 当時はイタリアの音楽家がもてはやされており モーツァルトは「テオフィルス」よりもラテン語で意訳した「アマデウス(Amadeus)」を通称として使用していた ただしモーツァルトはAmadeusではなくイタリア語風のアマデーオ(Amadeo)をおもに使っていたともいわれ ほかフランス語風のアマデ(Amadé)ドイツ語風のゴットリープ(Gottlieb)も用いたことがある

モーツァルトは土王星の子

妻のコンスタンツェは金王星の午 ソプラノ歌手

 ※彼女の23歳下の従弟はドイツの作曲家カール【マリア】フォン・ウェーバーで 母は【マリア】ツェツィーリア 

 

 

彼が生まれたウィーンのデルフィックエリアは23世紀頃までアルファ宇宙域(のどこか)にあったとゆわれる オイディプス震電の入り口には3つの格言が刻まれていた

 

・γνῶθι σεαυτόν(gnōthi seauton) - 「汝自身を知れ」

・μηδὲν ἄγαν(mēden agan) - 「過剰の無」(過ぎたるは及ばざるがごとし、多くを求めるな、度を越すなかれ)

・ἐγγύα πάρα δ᾽ ἄτη(engua para d' atē) - 「誓約と破滅は紙一重」(無理な誓いはするな)

 

・・

 

夏の夜空を天の川と飾る大三角

琴座のベガと 鷲座のアルタイル そして白鳥座のデネブ なぜ東洋と西洋の神話にかくも共通点があるのか

地球から琴座のベガまでの距離は25光年 鷲座のアルタイルまでは17光年(1光年は約9兆5千億km)

二つの星の間の実際の距離は15光年(1.419e+17 m) お互いに見ている姿は15年前のものである

デネブはとゆうと地球から2616光年も離れている

さらにボーグが広域支配しているデルタ宇宙域は約7万光年離れている

蒼穹のヴィオル 第二章 避役 3

 

モーツァルトの死生にについては多くの研究がある ここでは時がギャグ転しているのでさらに話をややこしくしている

主な論点は次の3つである。(1)モーツァルトは徐々に衰えていって、大きな恐怖や悲しみを経験していたのか、もしくは基本的に健全な精神を保ったまま人生の終盤に近付き、比較的突然の病に倒れたのか。(2)死因は病気であったのか服毒であったのか。(3)葬儀の様子は当時の一般的な手順に則っていたのか、あるいは礼を欠くような性質であったのか。

この3つの争点にはそれぞれ様々な見解があり、その多くが時とともに劇的な変化を見せている。

 

 

レクイエム K.626 を描いたとき 彼の頭の中は上演中のオペラ『魔笛』で一杯だった

生まれたばかりの彼はコンスタンツェにこう囁いた

静かに、静かに!(ヨーゼファ)ホーファーがちょうど最高音のFを出しているところだ - 今、我が義妹が2つ目のアリア「地獄の復讐」を歌っている。なんと力強く変ロを捉えて出すことか。「Hört! hört! hört! der Mutter Schwur」(聞け!聞け!聞け!母の呪いを)」

 

・・

 

しかし K.620 『魔笛』については以前に特集したので

今回は先に進んで(戻って)

K.622 Clarinet Concerto in A major (クラリネット協奏曲)と

問題作 K.527 『ドン・ジョバンニ』を聴こう

https://www.youtube.com/watch?v=MMd44lWiHd8

 

・・・

 

モリエールの戯曲だと 『ドン・ジュアン』

これぞ 稀代の女たらし ドンファンである

しかし モーツアルトにかかると英雄なのだ

初演はプラハのエステート劇場

これまたぼくが泊まったフライデーホテルからミュシャ美術館の反対側にある すぐ近くなのに見とけば良かったー

これが問題作にされるのは 主人公が地獄落ちするにもかかわらず悲喜劇両方の要素が込められているからである キルケゴールの研究『あれか、これか』など ちょっと読んでいるヒマはない

ここでは前々回とは異なり

「昼の光に、夜の闇の深さが分かるものか」とゆうニーチェの言葉を引いておく

避役 3b

 

ドン・ジョバンニはセリア・コンビ(喜歌劇)とブッファ・コンビ(正歌劇)もしくはオペラ・ジオコーソ(滑稽劇)なのか モーツァルトはどちらかよくわからない 特にジョバンニが地獄落ちしたとゆうのにラストの六重唱の喜びはなんだとロマン派は紛糾 しばしばカットされたりする プラハでは受けたがウィーンではコケたのだ

これは ト短調が好きかイ長調が好きかとゆうようなことではなく 崇高なものとグロテスクなもの 恐るべきものとふざけたものとの結合とユゴーが賞賛し のちにボードレールやホフマンやポーの時代にまで続く 対立する二つの概念を意識しながらそれぞれのアンチテーゼを好むとゆう傾向なのだ

喜劇と悲劇 善と悪 生と死 昼と夜 である


 

蒼穹のヴィオル 第二章 避役 4

 

さらに時を若返る

モーツァルトがコンスタンツェと結婚したのは1781年である

26歳と20歳

ウィーンでの多作期には K.331『ピアノソナタ第11番(トルコ行進曲付き)』 K.387~K.465『ハイドンセット』 K.492『フィガロの結婚』K.525『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』 K.527『ドンジョバンニ』 そして三大交響曲とゆわれる K.543 交響曲第39番、K.550 第40番、K551 第41番がある

https://www.youtube.com/watch?v=mYLSIe-scrE

 

・・・

 

阪神線香櫨園駅のそばに細い川があってその川沿いに書店があった 京阪線香里園駅前の坂道の上り口にも書店があった パリ5区セーヌ川左岸にも特別な書店があった

三つの書店が店をたたんだあと そのひとつのあとに「モーツァルト」とゆう名前の喫茶店ができた 六十代の夫婦者が経営していて モーツァルトの曲以外には店内に流さないとゆうことだった Mがそこで始めて聴かせてもらったのは K.551 : Symphony "Jupiter" である 最後の交響曲(41番)『木星』だ

その店が火事で燃えてしまうとゆう事件が起こる

木生火 火生土

木剋土 火剋金

 

・・

 

まずは大作『フィガロの結婚』からこれを聴こう

ケルビーノのアリア

オペラではズボン役とゆう女性が男装する役だが

劇中でこれがまた女装するとゆうややこしい設定

カルチアーノはズボンを脱がずにパンツを脱げる

蒼穹のヴィオル 第二章 避役 5

 

時がギャグ転しているわけだから このまま行くとマリアの胎内に戻るのは 1756年1月27日である ドイツ国民の神聖ローマ帝国ザルツブルグ ※現オーストリア西部の都市

彼の父はレオポルト・モーツァルト ヴァイオリニスト

母はアンナ【マリア】ペルトル

5歳上の姉が【マリア】アンナ(愛称ナンネル)

1762年10月 ウィーンのシェーンブルン宮殿で

【マリア】テレジアの御前で演奏した際 宮殿の床で滑って転んでしまい 6歳のモーツァルトはそのとき手を取った7歳の皇女【マリア】アントーニア(のちのマリー・アントワネット)に「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる」と言った

 

このとき彼は

24年後の再会と33年後の婚儀を知る由もなかった

 

しかし

1777年にはザルツブルクでの職を辞しミュンヘン、次いでマンハイムへ移る。同年10月、パリに行く途中にアウクスブルクに立ち寄り、彼がベーズレと呼んでいた従妹で2歳下の【マリア】アンナ・テークラ・モーツァルト(上記ナンネルとは別人)と再会した。マリアは父・レオポルトの弟の娘で、このとき、2人は互いに惹かれあい、モーツァルトは初めて関係を持った。

https://www.youtube.com/watch?v=fBgmN5OAHpg

 

・・・

 

最初に戻ると モーツアルトの一生は35年だが

ヒトの35歳とゆうのは月齢では十五夜に当たる

ぞうさんのおだんごとゆう極大である

お釈迦が悟りを開いたのも35歳の時で

ゲートウェイの折り返し点からの終着の浜辺は

70歳を越えたあとに訪れる次の転機なのだろう

蒼穹のヴィオル 第二章 避役 6

 

モーツァルトは死んだ しかしすぐに生き返った

 

第二章 最初のところの

>死は 厳密に考えると ぼくたちの生の真の最終目標

とゆうのは 1787年4月4日に父のレオポルトにあてた手紙の一節である

続きがあって

>しかし誰もぼくのことを陰気であるとか 悲しげであるとかは言えないでしょう

研究家はそれをフリーメイソンの死生観とゆうが それだけではなかった

父の声が遠くなり 画像がゆっくりと消えたとき

ディベルティメント『音楽の冗談』K.522 アレグロが流れる

https://youtu.be/wzaQixVGoQg

彼はその日長崎の某市役所から封書を受け取った

Hier ruht ein lieber Narr,

Ein Vogel Staar.

Noch in den besten Jahren

Mußt er erfahren

Des Todes bittern Schmerz.

Mir blut't das Herz,

Wenn ich daran gedenke.

O Leser! schenke

Auch du ein Thränchen ihm.

Er war nicht schlimm;

Nur war er etwas munter,

Doch auch mitunter

Ein lieber loser Schalk,

Und drum kein Dalk.

Ich wett', er ist schon oben,

Um mich zu loben

Für diesen Freundschaftsdienst

Ohne Gewinnst.

Denn wie er unvermuthet

Sich hat verblutet,

Dacht er nicht an den Mann,

Der so schön reimen kann.

—June 4, 1787. Mozart

ねぇ ウェヌス(・アナデュオメネ)

シュメルツ(苦しみ)と韻が合う言葉って何がある?

テルツ(三度)シェルツ(冗談)ネルツ(毛皮)…もっと見る

少なくともヘルツじゃないわ

ステルスよ

ここに眠るは愛しの道化

いまだ盛りのとしのうえ

愛の終着迎えるステルス

椋鳥の啼く哀の暮れ六つ

蒼穹のヴィオル 第二章 避役 7

 

陽気な曲ばかりではない

蝶々と丹頂が   いや

長調と短調が目まぐるしく入れ替わる

だからカメレオン(避役)と呼ばれる

 

 

神童 モーツァルトは頻繁に演奏旅行を行った

父はモーツアルトの才能を早くに見抜いていた

特に模倣に関しても

だから その地その時のウケ狙いで良いんだよ

と 父は彼に云った

父が死んだ時と彼の可愛がっていた椋鳥が死んだ時は少し時間のずれはあるが その捉え方は違っていた

彼はクラヴィーアに向かい 楽曲に詩を書いた

それが前項の椋鳥の詩である

1784年5月27日に彼は一羽の星椋鳥を34クロイツァーで購入し 道化者と名付けた

その椋鳥は 直前に彼が書いた K.453 を歌ったとゆう

Das war schön!

 

・・

 

長崎からの資料には 

父がすでに死んでいるとは書かれていなかった

 

・・・

蒼穹のヴィオル 第二章 避役 8

 

Sturm und Drang

 

モーツァルトの演劇的処理が気に入らなかったギョェテは むしろファウストでオペラを書くべきだと云った

だがモーツァルトは悲劇と喜劇をフュージョンする

ギョェテに基づく唯一の歌曲『すみれセプテンバーラブ K.476 』は 原作の詩のSMオチに追加して ト長調からト短調に至る悲劇を 唐突にト長調に戻して なーんちゃって と結ぶのだ

https://youtu.be/mfWvB3xdWU4

 

ギョェテもマーラーもロマン主義的思考の限界であった 時代は享楽のロココから苦悩するロマン派になったわけではなく ロココの苦しみとは対照的な楽天であっただけだ 18世紀における愛の告白は欲情以外の何ものでもなかった ロココのモラルは思想上の問題にすりかえられた かくしてドン・ジョバンニの遍歴を正当化する必要があったとゆうことだ

この罪をどう考えるかで受け止め方は変わる バイロンやボードレールはハッピエンドは不謹慎だと考え ゴーティエは地獄オチではなく天国行きだと主張し ロココのシトびとは単純にカッコいいと考えた 三人の幽霊は何を示したか

 

 

父がドンファンだったかはもうどうでも良い とにかくまだ生きていることはわかった しかし現住所を調べる方法はなかった 考えられる手は尽くした

 

・・

蒼穹のヴィオル 第二章 避役 9

 

ピタゴラスが数学上のヒントを得た楽器リラ

もとは撥弦楽器だが 後に弓で引く擦弦楽器

この一族はフィドルやハーディガーディなど

さらに手回しオルガンなども含まれるようだ

古代ギリシャの朗読会は リラで伴奏された

発明したのは例の意外な黒幕ヘルメスなのだ

最も有名な神話はオルフェウスの竪琴である

となれば 何度も書いた琴座のベガに繋がる

ベガはリングがあり惑星系を持つ?恒星だが

琴座にある有名な星雲はM57リング星雲だ

さてこのベガの隣にある星座はヘルクレスで

(ヘルクレスはヘラクレスのラテン語読み)

なぜそこにあるかは後述する ゼロ学上は申

天の川が出来るきっかけになったヘルクレス

ペルセウスの子で祖父母はゼウスとダナエー

彼に音楽を教えたはオルフェウスの弟リノス

武芸は百般だが音楽の才能はイマイチだった

それをリノスにおこらえて 逆に竪琴で殴殺

オルフェウスの才能は父アポロンからの伝授

これも祖父はしまくり千代子のゼウスであり

その子ディオニューソスの怒りで手にかかる

竪琴はアポロンの懇願でゼウスが琴座にする

 

 

つきつめると結局は全能の誘惑者ゼウスとゆうことで

この「誘惑者」とゆう主題はのちのちに受け継がれて

キルケゴールとモーツァルトの関係へたどり着く と

こうゆうことだが

 

以下次週

有名なメシエ天体

M1  かに星雲 おうし座

M8  干潟星雲 いて座

M20 三裂星雲 いて座

M31 アンドロメダ銀河

M42 オリオン大星雲

M45 プレアデス星団(すばる)

M57 環状星雲 こと座

M78 反射星雲 オリオン座(光の国)

M87 楕円銀河 おとめ座

蒼穹のヴィオル 第二章 サプリメンタル1

 

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲は5曲

1773年のK.207 と

K.211 216 218 219 の四つが1775年

19歳のときに書かれた

日本の安永年間のことである

ツツイはクラリネットを吹き そのネタで

1981年奇想天外誌に『クラリネット言語』

を連載するが 雑誌休刊のため未完である

その後 あの『モーツァルト伝』を書いた

現代のZ世代モーツァルトと呼ばれるのは

ジェイコブ・コリアである これぞ天才だ

https://youtube.com/playlist...

 

 

ネタが昂じて ヴァイオリン言語の研究を始めた

カルチアーノ・ミスタがどうなったか定かでない

蒼穹のヴィオル 第三章 クライスラー 予告

1854年2月(嘉永7年)ペリーが浦賀に再来

ヨーロッパでそのときライン川に入水したのは

ロベルト・アレクサンダー・シューマンである

その直前に書いた曲は 『主題と変奏 天使』

https://youtu.be/KCmMYh6S5XA

毎日毎日 彼は凄まじい幻聴に悩まされていて

26日には自分で精神病院に行くと言い出した

翌日 曲を清書したあと部屋ばきの靴のままで

自宅を飛び出しライン川に身を投げたのである

命は助かったが その後は精神病院に入院して

二年後亡くなるまで新たな作品は残していない

事実上遺作となった「天使の主題」は

しばしば「幽霊の主題」ともいわれる

 

蒼穹のヴィオル 第三章 ダビデ同盟異聞 予告2

 

インディ新作を観た

せっかくアルキメデスを出してるのにあれでは薄い

ヒロインも敵役もサブキャラもすべて印象に乏しい

あの展開で時空をもテーマにするのは間違いである

次週はぼくならこうするとゆうネタを考えてみよう

タンジェも舞台になっているのは使えるかもしれん

・・・

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蒼穹のヴィオル 第三章 クライスラー 1

17日の夜 ベッドに入ったシューマンは突然起き上がり 天使たちが歌ってくれたと言って楽譜にシトツの主題を書きとめた

妻クララの日記によると

「彼は 天使が自分の周りを漂い 彼にこの世ならぬすばらしい啓示を すべて 見事な音楽の形で示してくれているのだと固く信じていた」

 

 

ロベルト・アレクサンダー・シューマン(独 Robert Alexander Schumann, 1810年6月8日 - 1856年7月29日)

※ モーツァルト (1756-1791)

※ シューベルト (1797-1828)

※ ブラームス  (1833-1897)

※ エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン (1776-1822)

 

・・

 

音楽は文学や絵画より歩みが遅れる 特にロマン派において

ホフマンとシューマンは 重なりは少ないがともにドイツ・ロマン派の巨匠だ ホフマンがアマデウスを名乗っているのはモーツァルトを敬愛していたからである 彼の小説『クライスレリアーナ』(1810)と同名のシューマンの楽曲『クライスレリアーナ』(1838)は 主人公クライスラーのある種の狂気の話だ 一義的にはゆえないが「クライスラー言行録」とでも

クライスラーの語源は クライスラー自身の解説によれば「円」を意味するクライス この中で「運命のダイヤル」がクライゼルン(回転)しているのだとゆう

https://youtu.be/YLQxdVtrbyA

 

・・・

蒼穹のヴィオル 第三章 クライスラー 2

シューマンの命日は今月29日だが 今日はコルトレーンの命日とゆうことで ちょっとこっち 没後50年以上経って発見されたロストアルバムから

コルトレーンが吹くと蕎麦屋は儲かるのである

https://youtube.com/playlist...

 

 

コルトレーンはもちろんシューマンも有名だけれど

前項で出たホフマンを知ってますかね

寝ない子供は目玉くり抜かれるとか 望遠鏡で覗いていた美少女がと思ったら自動人形だったとか

フロイトが「不気味なもの」として分析したこれら幻想小説は 遊びの眩暈とゆうところが異様である ゲーテやヘーゲルには嫌われたが バルザック ジョルジュ・サンド リラダン プーシキン デュマ ドストエフスキー ネルヴァル モーパッサン ボードレールらお歴々に絶賛されたのはすごいでしょ

 

・・

 

でこのホフマンの家は法律家 父は家出している

司法試験には合格するがゲージツの道を歩む 読書家でピアノも弾くし 絵も描く そしてヨーロッパの文人のほとんどがそうであるように恋愛にもまれる 人妻との不倫 フェティシズム などなどネタさえあれば何でもロマン主義を極む

そこへ 飼い猫のムルがシトツの転機を作った

※ 挿絵は本人が描いている →

蒼穹のヴィオル 第三章 クライスラー 3

 

ナタナエルはロタールに手紙を書いた

つもりが妹のクララに間違いファクスしてしまた

吾肺は癌である 命はもう無い

 

これにくりびつてんぎょうして

クララが立った 勃った いや祟った

 

そこでホフマンは

『灰猫ムルの猫生観 ならびに偶然の反故に含まれた楽長ヨハネス・クライスラーの断片的伝記』を一晩で書いた 自分で挿絵もつけた 悪魔は鬼に解釈するつもりだった 悪魔の霊液 黄金の壺 磁気催眠術

ムルは屋根裏の天才猫だった 羽根ペンを使って日記を書いた ホフマンは気づいたことに その日記の各所は中断されていて何度も紙つぎしてあった よく見ると ムルはインクの吸い取り紙として手元にあった本のページを破って使っていたのだった それが「クライスラー伝」であったので 結果として二つの自伝が交互断続する構造になったとゆうことだ

 

 

ところがその日記は片肺飛行することになった

クララが姿を消したからだ

蒼穹のヴィオル 第三章 クライスラー 4

 

クライスラーはエネルギーをもてあましたようなエキセントリックな人物で 偏屈で 粗野で しかも聡明な人物だ とシューマンは表している

しばしば偏奇 彼を狂気に陥れたのは教え子の歌姫に対する「幻想的な恋」だった ムルの物語ではこの歌姫はユリアとゆう ホフマンは実生活でもユリアとゆう女性に恋い焦がれていた こちらは純然たる片思い

シューマンの『クライスレリアーナ』も 父親の反対で会うことを禁じられていたクララ・ヴィークを想って書かれた

 

シューマンとホフマンの共通点は

法律家を目指していた

文学か音楽家の選択を迫られた

飲酒を好んだ

早書きの天才

音楽評論家としての功績

ロマン派の芸術家にはそぐわないような几帳面さ

神秘主義がすき

二人とも46歳で亡くなっている

 

違う点は

シューマンがくそまじめなのに対して

ホフマンは飲み屋のツケは踏み倒す 締め切りは守らない 原稿は散乱 ただし法律家としてのみ律儀であった

ホフマンは小男で落ち着かないタイプ

シューマンは長身で常に落ち着いている

ホフマンは文学者として シューマンは音楽家として大成する

 

蒼穹のヴィオル 第三章 クライスラー 5

 

ハイドン モーツァルト ベートーヴェンも ロマン主義の本質である無限への流れを喚び起こした

作曲家としてのホフマンは過去を向いていたが文学者としてのホフマンは未来に矢を放った 音と言葉の差異である

本国ドイツではさほど受けなかったのに仏訳されると大ウケ 特にあの時代はボードレールが称賛すると何でもありだった ホフマンを耽読し『夜のガスパール』に「カロ風の」と副題をつけた詩人ベルトランを『パリの憂鬱』で紹介したことも象徴派に繋がった さらにロマン主義を飛び越えて19世紀末デカダンスや20世紀のダダやシュルレアリスムまで

ドイツロマン主義の方は以前「地図と記号」第二部で特集したノヴァーリスの青い花以外にティークのセレーネ幻想やアルニムの北極星の鏡などがあるが 特にジャン・パウルの影響も知っておこう

 

ノスタルジア(独語:Sehnsucht)は青い花である 同時にダークアスペクト それはロマンチックなどの言葉だけではない 啓蒙主義や合理主義の反流行 この世界の側面はホフマンで見つけた悪魔 狂気 幽霊 罪悪感および死との交渉の暗い側面に対応している

猫の名前がムルではなくソフィー(フロイトの娘の一人 ノヴァーリスの恋人はゾフィー)だったり ユリア(ホフマンの恋人)はないだろうと思ったら 奇遇とはあるものだ マリアとは一字違いだ 仏語のアルチザンとはアーチストのことかと思っていた ロマンはそこエーアールティーにあった

蒼穹のヴィオル 第三章 クライスラー 6

 

さてここで作者は新しい発想を得た

 

次のチャプタをどうするかについて

 

1 次のテーマ「ショパンとハイネ」に進む

2 オプション「灰猫ムルの猫生観」に進む

3 スピンオフ「ダヴィッド遊撃隊」に進む

蒼穹のヴィオル 第四章 暁のガスパール 予告

 

https://youtu.be/fY9nOn-rNHs

 

ハカセ なんぞまた降りてきましたか

ラクタくん 冷しぶり中華 まーいつものことではあるが 退屈な人生を生き何の感動も覚えないのはオモロないのだ 次のチャプタは

どっかで永遠と一瞬とゆうネタがあったので 考えていた そこでニーチェの提唱する「永劫回帰」メソッドを試してみてはどうだろう

 

 生活のなかの一瞬を切り取ってみる。バスに座っているとき、愛する人にキスをしようとするとき、何かを理解したとき、好きな人からの連絡を待つうちに電話の前で眠ってしまったとき、さて、あなたはその瞬間が永劫回帰、つまり、「永遠に繰り返されてもいいくらい」その瞬間を愛しているだろうか。

 もし、答えがノーなら、それは生きる価値のない時間だ。こうして、少しずつ、永劫回帰してもいい時間と無駄な時間が仕分けされていく。これを繰り返すうちに、少しずつ永遠に繰り返す価値のある大切な時間だけが残り、充実した日々を送れるようになる。

ニーチェの「永劫回帰」は充実した人生を生きるための方法として有効なのだ。もちろん、永遠に生きつづけたいほどの一瞬はそう簡単にあるものではない。また、確かにこのメソッドをとことんやりつくしていけば、完璧に濃密な瞬間だけを生きることになるが、それはそれで矛盾をはらんでいる。充実した一瞬は、その前後の時間との対比によって、それが充実した時間であると判断できるのだから。

 つまり、ニーチェのやり方は、部分的にしか実効性がない。それでもなお、「永劫回帰」という発想は、人生の様々な時間、雑多な作業を価値づけるのに役立つ。どんな時間の過ごし方が最も理想に近い、充実した時間かという問いかけだ。

実は、ニーチェの永劫回帰をこんなふうに読み解いてみせたのは、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズ〔1925~1995〕である。研究者のなかには異論を唱える者もいる。彼らにとって「永劫回帰」は、善も悪も含んだすべて、退屈な時間も充実した時間もすべてが永遠に繰り返されるものだった。あくまでも、ドゥルーズのように、永劫回帰の意味を「選択的」に考えるのならば、という条件付きではあるが、ニーチェはあなたの人生を充実した濃密なものにする助言者となりうるのだ。

 

 

ぼくは形而内学などとゆう造語を浪漫主義と勘違いしていたところはあるけれど また別の一瞬を見出したのかも知れないとゆうことだ

ニーチェは有名なワグネリアン(ワグナー崇拝者)で9歳の時からピヤノを弾いていた しかしショパンやシューマンも好きだったのだ

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蒼穹のヴィオル 第四章 真夜中のガスパール 0

シリア戦線 ダマスカス2022

 

FSA(Free sryianf army)のエル・ハム・ベニショーガ・サンダース軍曹は ピースキープ・ミッションの作戦中にパルミラ砂漠の遺跡で古い木箱を見つけ兵舎に持ち帰った(3/2 記述)

小隊には 楽長のヨハネス・クナトンナ・クライスラー中尉のもと 老ゼビウスとグラデウス龍フロレスタンの二人の上官がいた エル軍曹の分隊にはハンコック伍長とカーター一等兵とウィリアムス二等兵の三人の部下が配属され

彼らダビデ遊撃隊分隊は通称キャットパトロールと呼ばれていた

任務はもちろんアラブの春の平定だが 彼らには知らされていなかった特殊任務があった

https://youtu.be/CBy6QSjvhjM

 

 

「いつの世にも

 喜びは悲しみと共にある。

 喜びにはひかえめであれ。

 悲しみには勇気をもって備えよ。」

蒼穹のヴィオル 第四章 黄昏のガスパール 00

 

夏は 千の夏

 

ホフマンはブレランや攻殻機動隊を先取りしている

『砂男』とゆうタイトルも

そしてユリアは彼とは二回りほど年下の娘であった

自動人形オリンピアとして

それでわ乃木につきまとうあのドッペルゲンガーは

何を意味しているのだろう

蒼穹のヴィオル 第四章 暁のガスパール 1

 

私はヴァールハイトを愛する 詩人が初めて恋を知った乙女を愛するように 幼年期は白い羽根を忽ち青春の炎に焼き尽くす蝶であり 詩はグレイのマドレーヌに似て 巡礼者のシンボル二枚貝の意味

章の冒頭になぜそのようなベルトランの詩のパロディを掲げるかと問われたらこう答えるしかない 運命の赤い糸は自分を中心として1024本ほど同時に繋っていてそのいずれも確定状態にはないからだと

ダビデ遊撃隊の 老ゼビウスは影絵芝居のからくりを説明せず グラデウス龍は操り人形の糸を観客から隠した だがひとたび糸が結ばれたら それはどのような幻の糸巻きに巻き取られてゆくのだろう

蒼穹のヴィオル 第四章 真昼のガスパール 2

 

ホフマンの『牡猫ムルの人生観』は

漱石の『吾輩は猫である』の元ネタ

連載途中で知ったとゆう説もあるが

作中にそのことを示すくだりがある

猫と生れて人の世に住む事もはや二年越しになる。自分ではこれほどの見識家はまたとあるまいと思うていたが、先達ってカーテル・ムルと云う見ず知らずの同族が突然大気えんを揚あげたので、ちょっと吃驚した。よくよく聞いて見たら、実は百年前に死んだのだが、ふとした好奇心からわざと幽霊になって吾輩を驚かせるために、遠い冥土から出張したのだそうだ。この猫は母と対面をするとき、挨拶のしるしとして、一匹の肴を啣えて出掛けたところ、途中でとうとう我慢がし切れなくなって、自分で食ってしまったと云うほどの不孝ものだけあって、才気もなかなか人間に負けぬほどで、ある時などは詩を作って主人を驚かした事もあるそうだ。こんな豪傑がすでに一世紀も前に出現しているなら、吾輩のような碌でなしはとうに御暇を頂戴して無何有郷に帰臥してもいいはずであった。

この最終段は主人公と三人の友人がヴァイオリンの独習についても語り合っている

 

かい巻に長き夜守るやヴァイオリン

秋淋しつづらにかくすヴァイオリン

 

漱石とゆえば『坊ちゃん』の松山だ

ユリアの出身地でもあるのは奇遇か

 

蒼穹のヴィオルにひかれ待つ菫

ひかるるやスミレの君の提琴に

プロイセンブルーの夢 1

ぼくはロマンチストだ

吾輩は浪漫主義である

違いはあるか

ロマン主義(ロマンしゅぎ、英: Romanticism、仏: Romantisme、独: Romantik、伊: Romanticismo、西: Romanticismo、葡: Romantismo)は、主として18世紀末から19世紀前半にヨーロッパで、その後にヨーロッパの影響を受けた諸地域で起こった精神運動のひとつである。それまでの理性偏重、合理主義などに対し感受性や主観に重きをおいた一連の運動であり、古典主義と対をなす。恋愛賛美、民族意識の高揚、中世への憧憬といった特徴をもち、近代国民国家形成を促進した。その動きは文芸・美術・音楽・演劇などさまざまな芸術分野に及んだ。のちに、その反動として写実主義・自然主義などをもたらした。

 

上に書いてあるが

ロマンティシズムは英語で

ロマンチズムはフランス語で

ロマンティクはドイツ語である

ロマンを「浪漫」という当て字で表記したのは夏目漱石であり、1907年の講義録『文学論』にその存在が確認できる。

漱石も鴎外も明治から大正にかけての文豪だが 所謂 反自然主義とゆうことで デカダンやダダイスムではない「余裕」とは何だろう

 

ローマ帝国時代のラテン語には、文語としての古典ラテン語と口語としての俗ラテン語が存在したが、その差はさほど大きくなかった。しかし、衰退期に入ると文語と口語の差は徐々に広がり、やがて、ひとつの言語の変種とは呼べないほどにその違いは大きくなり、文語は、古典ラテン語の知識のない庶民には理解困難なほどにまでなった。対して、その時代の口語のほうをロマンス語と呼んだ。ロマンス語で書かれた文学作品はロマンスと呼ばれるようになり、ギリシャ・ローマの古典文学の対立概念とされるようになった。ロマン主義(ロマンティシズム)の語源はここにある。したがってロマン主義の「ロマン」とは、「ローマ帝国の(支配階級、知識階級ではなく)庶民の文化に端を発する」という意味である。

蒼穹のヴィオル 第四章 味爽のガスパール 3

 

この原稿は 表情豊かな音を奏でる楽器にたどり着くまで私の唇がどれほど沢山の楽器を試みたか 光と影のゆるやかな黎明をモニタに咲かせるために私の指がどれほど沢山のキーを叩いたかを あなたに語ってくれるでしょう そこには私の労苦が得た唯一の成果 唯一の報いとして 調和と色彩の様々な 恐らく新しい技法が収められています どうぞお読みください

 

ガスパールはそう言って そのまま立ち去った

 

ダビデ遊撃隊の楽長ヨハネス・クナトンナ・クライスラーは気が狂っていた ヴィオルに弓を当て調子を尋ねると ヴィオルが答えるその声は イタリア喜劇が消化不良を起こして腹を鳴らしているように 道化て転がる奇妙な唸り

 

ヴィオラ・ダ・ガンバ

もともと弦楽器の代表はビオラで バイオリンは小さなビオラとゆう意味だった イタリア語ではスミレ バイオレットが語源か 瓢箪型だからともゆう

https://youtu.be/guzy_ysQMHg

 

 

夜のガスパールは悪魔だった

それなら昼のガスパールは?

蒼穹のヴィオル 第四章 サプリメンタル 1

プロイセンブルーの夢2

例によってこの時代(18-19世紀)のドイツのシトびとを整理

1724-1804 イマヌエル・カント (Immanuel Kant)

1749-1832 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (Johann Wolfgang von Goethe)

1759-1805 フリードリヒ・フォン・シラー (Johann Christoph Friedrich von Schiller)

1762-1814 ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte)

1767-1845 アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲル (August Wilhelm von Schlegel)

1768-1834 フリードリヒ・シュライアマハー ( Friedrich Daniel Ernst Schleiermacher)

1770-1843 ヨハン・クリスティアン・フリードリヒ・ヘルダーリン (Johann Christian Friedrich Hölderlin)

1772-1829 フリードリヒ・シュレーゲル (Friedrich von Schlegel)※弟

1770-1827 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (Ludwig van Beethoven)

1772-1801 ゲオルク・フィリップ・フリードリヒ・フォン・ハルデンベルク (Georg Philipp Friedrich von Hardenberg) ※ノヴァーリス

1773-1853 ルートヴィヒ・ティーク (Ludwig Tieck)

1775-1854 フリードリヒ・シェリング (Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling)

★1776-1822 E.T.A.ホフマン (Ernst Theodor Amadeus Hoffmann)

1785-1863 ヤーコプ・ルートヴィヒ・カール・グリム (Jacob Ludwig Carl/Karl Grimm)

1786-1859 ヴィルヘルム・カール・グリム (Wilhelm Carl Grimm)※弟

1788-1860 アルトゥル・ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer)

1797-1849 クリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネ (Christian Johann Heinrich Heine)

1813-1883 ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー (Wilhelm Richard Wagner)

1818-1883 カール・ハインリヒ・マルクス (Karl Heinrich Marx)

1840-1902 リヒャルト・フォン・クラフト=エビング男爵(Richard Freiherr von Krafft-Ebing)

1844-1900 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ (Friedrich Wilhelm Nietzsche)

1875-1955 パウル・トーマス・マン (Paul Thomas Mann)

1879-1955 アルベルト・アインシュタイン (Albert Einstein)

1888-1964 エルンスト・クレッチマー (Ernst Kretschmer)

ドイツ以外では

1862-1922 森鴎外

1867-1916 夏目漱石

1740-1814 マルキ・ド・サド 仏(Marquis de Sade)

1746-1828 フランシスコ・デ・ゴヤ 西( Francisco José de Goya y Lucientes)

1756-1791 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 墺(Wolfgang Amadeus Mozart)

1757-1827 ウィリアム・ブレイク 英(William Blake)

1775-1851 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー 英(Joseph Mallord William Turner)

1783-1842 スタンダール 仏(Stendhal)※マリ=アンリ・ベール(Marie Henri Beyle)

1791-1824 テオドール・ジェリコー 仏(Théodore Géricault)

1797-1828 フランツ・ペーター・シューベルト 墺(Franz Peter Schubert)

1798-1863 フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ 仏 (Ferdinand Victor Eugène Delacroix)

1799-1850 オノレ・ド・バルザック 仏(Honoré de Balzac)

1802-1885 ヴィクトル=マリー・ユーゴー 仏(Victor-Marie Hugo)

1803-1870 プロスペル・メリメ 仏(Prosper Mérimée)

1804-1876 ジョルジュ・サンド 仏(George Sand)

1809-1849 エドガー・アラン・ポー 米(Edgar Allan Poe)

1810-1849 フレデリック・フランソワ・ショパン 波(Frédéric François Chopin)

1821-1867 シャルル=ピエール・ボードレール 仏(Charles-Pierre Baudelaire)

1825-1899 ヨハン・シュトラウス2世 墺 (Johann Strauss II. )

1832-1883 エドゥアール・マネ 仏(Édouard Manet)

1832-1883 ギュスターヴ・ドレ 仏(Paul Gustave Doré)

1836-1895 レーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホ 墺( Leopold Ritter von Sacher Masoch)

1838-1889 ジャン=マリ=マティアス=フィリップ=オーギュスト・ド・ヴィリエ・ド・リラダン伯爵 仏(Jean-Marie-Mathias-Philippe-Auguste, comte de Villiers de l'Isle-Adam)

1839-1906 ポール・セザンヌ 仏(Paul Cézanne)

1840-1926 クロード・モネ 仏(Claude Monet)

1840-1917 オーギュスト・ロダン 仏(François-Auguste-René Rodin)

1841-1918 オットー・ワーグナー 墺(Otto Wagner)

1841-1919 ピエール=オーギュスト・ルノワール 仏(Pierre-Auguste Renoir)

1842-1898 ステファヌ・マラルメ 仏(Stéphane Mallarmé)

1848-1903 ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャン 仏( Eugène Henri Paul Gauguin)

1853-1890 フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ 蘭(Vincent Willem van Gogh)

1856-1939 ジークムント・フロイト 墺(Sigmund Freud)

1860-1911 グスタフ・マーラー 墺(Gustav Mahler)

1862-1931 アルトゥル・シュニッツラー 墺(Arthur Schnitzler)

1862-1918 クロード・アシル・ドビュッシー 仏(Claude Achille Debussy)

1862-1918 グスタフ・クリムト 墺( Gustav Klimt)

1863-1944 エドヴァルド・ムンク 威(Edvard Munch )

1864-1901 アンリ・マリー・レイモン・ド・トゥールーズ=ロートレック=モンファ 仏(Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec-Monfa)

1866-1944 ロマン・ロラン 仏(Romain Rolland)

1866-1946 ハーバート・ジョージ・ウェルズ 英(Herbert George Wells)

1869-1951 アンドレ・ポール・ギヨーム・ジッド 仏(André Paul Guillaume Gide)

1869-1954 アンリ・マティス 仏(Henri Matisse)

1870-1937 アルフレッド・アドラー 墺(Alfred Adler)

1872-1898 オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー 英(Aubrey Vincent Beardsley)

1874-1946 ガートルード・スタイン 英 (Gertrude Stein)

1881-1973 パブロ・ピカソ 西(Pablo Picasso)

1882-1963 ジョルジュ・ブラック 仏(Georges Braque)

1883-1924 フランツ・カフカ 端(Franz Kafka)

1884-1920 アメデオ・クレメンテ・モディリアーニ 伊(Amedeo Clemente Modigliani)

1890-1918 エゴン・シーレ 墺(Egon Schiele)

1890-1976 マン・レイ 米(Man Ray)

1891-1964 コール・ポーター 米(Cole Porter)

1893-1990 カール・メニンガー 米(Karl Augustus Menninger)

1896-1940 フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルド 米(Francis Scott Key Fitzgerald)

1897-1957 ヴィルヘルム・ライヒ 墺(Wilhelm Reich)

1899-1961 アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ 米(Ernest Miller Hemingway)

蒼穹のヴィオル 第四章 昧旦のガスパール 4

 

アロイジウス・ベルトランの詩集『夜のガスパール レンブラント及びカロ風幻想集』Gaspard de la Nuit. Fantaisies à la manière de Rembrandt et de Callot. は 散文によって詩情を表現するという当時新しかった手法によって詩と絵画的イメージを結びつけた作品で この手法をピトレスクとゆう ボードレールらが評した

 

ラテン語の「描く」« pingere »さらに「画家」 « pictor » を語源としイタリア語「絵のような、画家の」« pittoresco » から派生した語であり「絵になる 画趣に富む」などと訳される

 

美しい絵ではなく 絵のように美しいとゆうことだ

 

芸術は相対峙する二つの面を持っている たとえば

レンブラントは哲学者で瞑想と祈りに心を奪われる

カローはホラ吹きで酒場に騒ぎジプシー女と戯れる

https://youtu.be/f39a8rhk8mI

 

 

ハルレムは阿蘭陀の一地方 紐育のハーレムはこれに由来する 16世紀にはフランドルから多くの難民が流入した フランドルの地名のもとはフランス語 英語由来ではフランダース

ここにはゴシック連隊の分隊でフランドル派とゆう遊撃隊が駐屯していた 初期には ヒエロニムス・ボス そしてその後継者はブリューゲル さらにルーベンスやレンブラントが配属した

 

・・

 

ちょっと芸術史をおさらいすると

 

初期キリスト教美術 BC2~3世紀

ビザンティン美術 4~15世紀

 

ゴシック 12世紀~15世紀

ルネサンス 14~16世紀 ※初期フランドル派 ブリューゲル

バロック 17世紀~ ※ルーベンス レンブラント

古典主義 18世紀 ※モーツァルト ベートーヴェン

ロココ 18世紀

 

新古典主義 18世紀後半 ※アングル ブラームス

ロマン主義 18世紀末~19世紀前半 ※ゲーテ シラー ドラクロワ ベルトラン ホフマン シューマン ショパン ハイネ ワーグナー サント=ブーヴ

 

写実主義 19世紀中頃 ※バルザック ドストエフスキー

印象主義 19世紀後半 ※モネ ロートレック ドビュッシー ラヴェル

象徴主義 19世紀後半 ※ボードレール ヴェルレーヌ マラルメ

アール・ヌーヴォー ※ミュシャ ビアズレー

表現主義 20世紀~

以下 シュルレアリズム キュビズム 抽象表現主義 などへ

 

・・・

 

ジャンル分けはどうたらゆうシトがいらっさるが

カテゴライズは流れを見る上では便利なのである

またがっているシトもあるし 異論もあって良い

ジャンル・ピトレスクは

ロココ以降全てのロマン主義のピクチャレスクだ

蒼穹のヴィオル 第四章 東雲のガスパール 5

 

ダビデ遊撃隊の士官

 

老ゼビウスは気が狂っていた 『謝肉祭と四旬節の喧嘩』によるものである もう一人の士官グラデウス龍が「動」なら彼は「静」を象徴した 寓居にかたつむりの如く隠遁し 思念に耽り 精霊と語り合うような 冷静で思索的人物であったが 右9上2左2下9の早撃ちはもう出来なかった

 

グラデウス龍は気が狂っていた パロデウスの上上下下左右左右BAのコマンド入力では フル装備状態にはなるがポーズ解除後に自爆するからである しかしBBXXAYAY上左で自爆することなく装備できる これはコントローラーの表裏はそのままに180度回転させた状態で入力したものである

 

仕事中にゲームしないでください

とスタッフにおこらえたハカセは答えた

 

するとゲーム中に仕事をしてもいけないのかね

でわ 芸術なら?

 

私は彼にたずねた

https://youtu.be/3jbHbDena_U

 

蒼穹のヴィオル 第四章 曙光のガスパール 6

 

遊撃隊は北に進んでいた シリアからトルコへ

https://youtu.be/zUNfZU7VfPE

 

Constantinopolis は難攻不落の城塞都市である

エル軍曹は上官がみんな気が狂っているので 部隊がどこへ向かっているのか不安だった

いったいどんなアタマの構造をしているのかね 話が時空をまたがって進んでいるのかよくわからない上に

いったいどこでそんな選曲を探してくるのかね 話はトニーベネットがレディーガガとデュエルしているし

 

観客のマツオは呆れたように言いながら グラスをあけた

 

これはシューチングゲームではなくて ロールプレイングゲームなのよ

トルコを越えればグルジア そこには昨日のカティア・ブニアティシヴィリもいたわけで そこからまた戻ったような位置にいるのかな さらにシリア砂漠のパルミラ遺跡へ戻れば答えがあるのかも そう 砂漠が美しいのはどこかに井戸が隠れているからだ

蒼穹のヴィオル 第四章 宵闇のガスパール 7

 

https://www.youtube.com/watch?v=nAm33IKgg_c

 

「ピトレスク」はボードレールよりも前に かのプルーストが批判したサント=ブーヴが先に用いている そこではベルトランを「石工」としてルネサンスの装身具細工師の如き錬金術を見た 言葉を洗練させる彫刻師のような詩人とゆうことだ

 

 

DÉPART POUR LE SABBAT

Elle se leva la nuict, et allumant de

la chandelle, print une bouëtte et

s’oignit, puis avec quelques paroles elle

 

ダビデ遊撃隊がダマスカスからコンスタンティノープルのゴールデンホーンへ向かったのは金曜日の日没であった つまり そこから土曜日の日没まではユダヤの安息日サバトなのだ 都市の守護聖人は聖母マリアである

マリバスが笑ったり泣いたりする時、弓が呻くように聞こえた、狂ったヴァイオリンの3弦の上で。しかし兵隊あがりが悪魔の如く机に広げたのは、獣脂の光に照らされた、1 冊の魔術書...

 

・・

 

上の楽器はセタール コラ ヴィオラダガンバ トンバク

これが膜鳴楽器のロメルポットかと思ったが 違うようだ

蒼穹のヴィオル 第四章 幻想のガスパール 8

 

https://www.youtube.com/watch?v=aWT5nw9PBbo

 

月が二つ出ていた

 

コンスタンティノープルから次の目的地に向かうため部隊は特別ガイドを雇う その名前はマルコ・ポーロ 彼はもともとヴェネツィアの商人だが父の仕事でここから東アジアと貿易をしていた それでクビライに気に入られて20年ほども引き止められたあとここへ戻ったばかりだった

 

彼の進言により部隊は北のグルジアには行かず アララト山を東に越えてアルメニアに入り カラフンジに向かう アルメニアのストーンヘンジと呼ばれる遺跡である ここは世界最古の天文台ではないかと考えられている カラフンジはカラ(石)とフンゲ(音)の二つの単語からなり「話す石(の宝物)」とゆう意味である

 

ダビデ遊撃隊のエル軍曹は 地元のバルカ人さえ足を踏み入れない砂漠の行軍が苦しいことは分かっている だから道案内としてマルコ・ポーロを雇ったのだ そもそも気が狂っているとはゆえ 上官達も敵の正体を知っているとは思えなかった 知る手段がないからだ 一つ目のクリーチャー「ガルガントス」を見たのはもう随分前のことだ 本部の机の上にあった一冊の魔術書「ダークホールドの書」の原書と その対極である「ヴィシャンティの書」を探すのが特別任務なのだろう でわガスパールとはいったい何なのか

 

 

この話がなぜ昨年の「ナルト秘帖」と今年の「火の鳥・黄金編」から続く第三部なのかはいよいよわかる

 

以下次週

蒼穹のヴィオル 第五章 予告

 

ハカセ これは三部作のシトツだったのですか

せやな 火の鳥・大地編は幕末と大陸の話の二重設定だろう その上を行く黄金編のさらなる続編はこれしかない またナルト秘帖から数えて三ヶ月四ヶ月二ヶ月と 四二三問題の解ともゆえる

 

でも順番がちゃいますけど

 

さよけ ギャグ回りの世界だからよいのぢゃ ホフマンの牡猫ムルの人生観も第三部は書かれていない テヅカ大先生を含めて 先人の意志を継ぐのはこのわししかない わしは天才だからな!

 

BGMにも拘っているのね

 

それな 土耳古の話もコンスタンティノープルからグルジエフ・アンサンブルを見つけたのは意外な収穫 マルコポーロもシルクロードに繋がり ンまいこといったでわないか VIVANTも

 

オチはどうなるんでスカー

 

まだナンモ考えてない とりま砂漠を越えるのだ ぐわっはっは

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蒼穹のヴィオル 第五章 ペール・ラシェーズに続く道 予告2

ラクタ君 ちょっとまたネタを思いついたぞ

 

はいはい いつものことでどうなとしなはれ

 

ソラリス転載用に作品をまとめていたのだが 「ナルト秘帖」を三部作の第一部にするのは内容的に無理があるので 今年の分で「火の鳥・黄金編」を三部作にすればつじつまを合わせやすいとゆうことに気づいた 423問題にあわせると完成まであと四ヶ月はかけることになるがね とりま次のチャプタは予定通り「ショパンとハイネ」に進む 前に特集したこともあるので 今回は別の切り口にしよう 例えば彼らの親友ドラクロワの日記とゆう形式はどうか 先程マチスのドキュメンタリーを観ていて思いついた

 

このタイトルはナンでスカー

 

タイトルはまだ仮題だが パリの有名な墓地だ ドラクロワをはじめ ここに埋葬されている著名人たちを見たらくりびつてんぎょうするぞ

 

アドルフ・ティエール - 歴史学者、ジャーナリスト、政治家

☆アポリネール - 詩人、作家、美術評論家

アラン - 哲学者

アルフォンス・ドーデ - 作家

アレクサンドル・ヴァレフスキ - ナポレオン・ボナパルトの庶子、政治家

アンジェロ・マリアーニ - 薬剤師、マリアーニ・ワインの発明者。

アンドレ・マッセナ - ナポレオン戦争期の元帥

アンリ・バルビュス - 作家

イグナス・プレイエル - 作曲家、楽譜出版、ピアノ製作

イサーク・ティチング - オランダ東インド会社総督、商館長(カピタン)

イザドラ・ダンカン - 舞踏家

☆イヴ・モンタン - 俳優、歌手

ヴィクトール・ノワール - ジャーナリスト

ヴィルジニア・オルドイーニ - カスティリオーネ伯夫人、ナポレオン3世の公妾

ウジェーヌ・ポティエ - 詩人、革命家

☆エディット・ピアフ - 歌手

エドゥアール・ダラディエ - 政治家

エドゥアール・リウー - 画家

エマニュエル=ジョゼフ・シエイエス - 聖職者、政治家

アルジャントゥイユのエロイーズ

エロルド - 作曲家

オーギュスト・コント - 哲学者、社会学者

☆オスカー・ワイルド - イギリスの作家

☆ギュスターヴ・ドレ - フランスの画家(版画家、挿絵画家、彫刻家)

クレオ・ド・メロード - バレエダンサー

ゲルダ・タロー - ユダヤ系の女性写真家。有名なロバート・キャパのパートナーで、キャパを有名にした「仕掛け人」、かつ「影の本当の撮影者」。

ゴリオ爺さん- オノレ・ド・バルザックの小説の主人公

コレット - 作家

コロー - 画家

サラ・ベルナール - 女優

ジェラール・ド・ネルヴァル - 詩人

シドニー・スミス - イギリスの軍人、提督

ジネット・ヌヴー - ヴァイオリニスト

☆ジム・モリソン - 詩人・ミュージシャン(ドアーズ)

シモーヌ・シニョレ - 女優

ジャーヌ・バトリ - 歌手

シャルル・クリストフル - 金細工事業家

ジャン・ヴァルジャン - ヴィクトル・ユーゴーの小説『レ・ミゼラブル』の主人公(名前も記されない墓で鉛筆で書いた墓碑銘がある)

ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ - 詩人

シャンポリオン - エジプト学者

ジュール・ミシュレ - 歴史学者

★ショパン - 作曲家

ジョルジュ・ティレ=ボニェ - 画家

ジョルジェ・エネスク - 作曲家

ジョルジュ・ペレック - 作家

☆シラノ・ド・ベルジュラック- 剣豪、作家、哲学者、理学者

ジルベール・ベコー - 歌手

スーラ - 画家

ダヴィッド - 画家

デュカス - 作曲家

☆ドミニク・アングル - 画家

★ドラクロワ - 画家

パトリス・シェロー - 演出家、映画監督

☆バルザック - 作家

ピエール・アベラール - 哲学者、神学者

☆ピサロ - 画家

☆ビゼー - 作曲家

☆フェリックス・ガタリ - 精神科医

☆プルースト - 作家

ベッリーニ - 作曲家

ボーマルシェ - 劇作家

ポール・バラス - 政治家

☆マックス・エルンスト - 画家、彫刻家

マヌエル・デ・ゴドイ - スペインの政治家

☆マリア・カラス - 歌手

マリー・ラフォレ - 女優

☆マリー・ローランサン - 画家

☆マルセル・マルソー - パントマイム・アーティスト

☆ミシェル・ペトルチアーニ - ジャズピアニスト

☆メルロ=ポンティ - 哲学者

☆モディリアーニ - 画家

モリエール - 作家

☆ラディゲ - 小説家、詩人

ルイ・オーギュスト・ブランキ - 革命家、社会主義者

ルイ・フィギエ - 医学者、サイエンスライター

レオン・ジュオー - 労働組合活動家、平和運動家

ロッシーニ - 作曲家

佐々木健 - ピアニスト

野中元右衛門 - 佐賀藩の薬種商、1867年、パリで死亡した最初の日本人(パリ万博参加のため訪仏)

 

すご

蒼穹のヴィオル 第五章 墓地へ行く道 0

 

ショパンもドラクロワも金星の午である

ハイネは水星の巳

 

ジョルジュ・サンドは木星の子

マリア・ウォジンスカは小王星の巳

 

与謝野晶子は水星の寅

与謝野鉄幹は海王星の酉

蒼穹のヴィオル 第五章 墓地へ行く道 1

 

フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ(Ferdinand Victor Eugène Delacroix, 1798年4月26日 - 1863年8月13日)の日記

 

 

1849年1月29日

フレデリック・フランソワ・ショパンの死の九ヶ月前

ジョルジュ・サンドと別れて スターリングの求めに応じ イギリスに行ったものの かえって病気を悪化させて戻ってきたこの友人を わたしは見舞いに行った

彼はこう呟いた

 

「昔はこの時期になると毎晩のように外出して方々のサロンに顔を出していたのに」

 

サロンといっても絵画のサロン(官展)でも 上流階級のサロン(客間)で開かれる夜会のことでもなく 巷の社交場である わたしは サンドのことは敢えて話題にしなかったのだが 彼の方から聞いてきた

 

「サンドがどうしているか知っているかい そもそも依怙地なところがあるからね 良いことも悪いことも全て封印してしまう」

 

「そういうシトは ロマン派の作家や詩人には多いね ぼくらはロマン派と呼ばれるのは心外だ とゆう意見で共通点があるが」

 

このことは日記に書いてみよう

蒼穹のヴィオル 第五章 墓地へ行く道 2

 

ドラクロワの日記には中断期間が24年ほどある

これは彼にとって数奇な運命を刻むことになった

7月から8月にかけて 最初の時かけは起こった

 

 

ショパンがロマン主義の洗礼を受けたのは1826年 ワルシャワ音楽院の学生時代のことだが 1810年4月23日の復活祭の日曜日 両親が結婚式を挙げたのと同じ教会で実際の洗礼を受けている そのとき代父となったフレデリック・スカルベクの息子が ショパンの最初の婚約者 マリア・ヴォジンスカと結婚することになったのである

 

・・

7月29日土曜日

チェコ・ボヘミア西部のカールスバートでフレデリックはマリアと再会した 音楽院の総会の懇親会場だった 再会とゆうのはそれ以前にポーランドの南船場の呉服問屋の店先ですれ違っていたからである 今回は少し離れた席に座っていたが わたしの眼には二人の間に大きな運命の始まりが見えた ところがひと月もしないうちにその始まりは結局身を結ばずに終わった

日記が中断したのはそのためである ただしフレデリックとわたしの親友付き合いがその時から始まった

その頃 わたしは画壇において対立していた連中に辟易していた モロッコに出かけてまで絵を描いたのはそのためでもある 『アルジェの女たち』の絵はノートに収録してある

「ぼくは絵を描き始めた頃から一貫して古典主義者だ デジタル変換ではない極めてアナログなテキストだ 文字数や句読点にも拘りがある ただ アングルのような偽物の形骸化した古典主義者じゃないとゆうまでの話さ 勿論 ユーゴーのような連中のやっている仕事と自分の仕事はまるで違うことだと考えているよ」

 

・・・

 

その日はゴッホとシューマンの命日でもあった

星月夜は8月にまたがる

蒼穹のヴィオル 第五章 墓地へ行く道 3

 

ドラクロワの意識は むしろドイツ・ロマン主義に近いとゆう ユーゴーをドンにするフランス・ロマン主義が古典主義を否定することから始まったのに対して ドイツの初期ロマン派は賛美していたからである 音楽史上のロマン主義は1826年のウェーバーとゆうことでフランスのロマン主義と歩調が合う モーツァルトもベートーヴェンもロマン派で良い

 

フレデリックはモーツァルトの感想をわたし(ドラクロワ)に聞いた ドン・ジョヴァンニ! ドンじゃござんせんか? ぱっ 天下御免の無法松

 

 

4月15日土曜日

この日が土曜日になるのは偶然のかさなり君である

今年もそうだった わたしが土曜日の午後に理科室へ行ったかとゆうと 別の会合に呼ばれていた その会合を土曜日で遡れば また別の再会がある とゆうように永劫は回帰した

 

 

https://youtu.be/twzqvIHtVqU

ここで弾いているのはサルトルである 後ろの女性はボーヴォワールではない 彼が繰り返し 執拗に ショパンを弾いていたのには理由があった

蒼穹のヴィオル 第五章 墓地へ行く道 4

 

ドラクロワはロマン主義と呼ばれたくなかったが 二回りほども年下のボードレールのドラクロワ論もまっすぐロマン主義に向かっていた 彼はホフマンの共有感覚を引用しつつ ドラクロワがロマン派であるとした ただ便宜上ロマン主義とゆう概念を使っているがそれは『悪の華』でマニフェストすることになるサンボリスムの教義であった

 

8月5日 土曜日

失われた時を求めて わたしはフレデリック(ショパン)とともにジュネーブ・アカデミーを訪れた マリア(ヴォジンスカ)がそこで美術を学んでいたからだ 彼女はフレデリックの肖像画(前々項参照)を描いた それは現存する最高の彼の肖像画のシトツと評された そしてわたしが手を入れた

さて ラファエロ派のアングルは一回り以上は年上だが ミケランジェロ派のわたしをなにかにつけていぢめた わたしの『民衆を導く自由の女神』が絶賛されたときも 自分の『グランド・オベリスク』の方が上だと嫉妬した だから美術アカデミーへの入会を最後まで反対されたのである そのわたしを評価してくれたのがボードレ-ル『1846年のサロン』 もしもそのときデザイン博に一緒に行けていたら歴史はまた変わっただろう

蒼穹のヴィオル 第五章 墓地へ行く道 5

 

ショパンは小さい頃から肺結核を患っていた 雀荘の押し入れに放っておかれたからである ドラクロワが描いた苦悩に満ちた肖像画と違い ポーランドのアマチュア少女マリアが水彩で描いたショパン像の方が本人に似ている しかしそこにはロマンチストはいない

 

8月12日 土曜日

7月初め、テレサ・ヴォジンスカが娘とともにチェコのマリアンスケー・ラーズニェ(ドイツ名マリエンバード)に向かうと知ったショパンは、自分も駅馬車に乗り込み、3週間以上かかって7月28日に到着した。そしてヴォジンスカ夫人たちと白鳥という名の上等な宿に同宿し、8月のひと月をともに過ごした。長かった別離は二人の若者の気持ちをさらに掻き立てていた。二人は片時も離れたくないと言わんばかりに寄り添って時を過ごした。マリアは水彩でショパンの肖像を描き(前出)、ショパンは新しい2曲の「練習曲」を教えた(作品25の1,2)。二人が相思相愛の仲であることは明らかだった。テレサ夫人も、この恋物語を完全に受け入れ、その行き着くところが結婚であろうということも充分に意識していたようである。この問題についての最終的な話は、マリエンバードからドレスデンに帰って交わされた。26歳のショパンは17歳のマリアに求婚し、いろいろと条件は付いていたが、受け入れられた。マリアの母の最大の懸念は、未来の婿のひ弱な体だった。一家の主治医パリス博士は、ショパンの体を注意深く診た上で、然るべき助言をした。

 

 

https://youtu.be/9E6b3swbnWg

 

・・

 

8月のひとときは永劫に回帰する星月夜だった

紫の虹の滴花におちて成りしかひなの夢うたがふな 与謝野晶子

 

紫の虹のしずくを抱きとめて咲かせる花を恋と呼ぶなり 俵万智

 

紫の虹の反射はなに色となに色なのかと菫が問ふとき  軽茶一

蒼穹のヴィオル 第五章 墓地へ行く道 6

 

ショパンが39歳で亡くなったときボードレールは26歳だった 両者の類似は悪の華に見出される しかしボードレールはもうショパンを論評する機会がなく 代わって登場するのが ドイツの純情詩人クリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネである 彼はショパンより13歳上でドラクロワより1歳上だった ショパンとハイネは同じ頃パリに出てきた ホフマンの怪奇小説が仏訳された頃でもある ショパンがドラクロワの絵を結局わからなかったように ハイネはピヤノとゆう楽器が好きではなかった 上流階級の貴婦人たちが失神するフランツ・リストでさえやかましいと思っていた ベルリオーズやバルザックもこれには呆れたが ハイネが唯一愛したのはショパンだけだった

 

 

9月15日 土曜日

フレデリックはドレスデンからライプツィヒに向かいメンデルスゾーンの紹介でシューマンに会う そしてのちのシューマンの妻クララのピヤノに感動するが シューマンの方はショパンのピヤノに脱帽した

その後パリに帰ったフレデリックは長旅の疲れで体調を崩す マリエンバートの日を支えになんとか養生した彼はマリアに電話した とりとめない話をしたあとデートの約束をする ところがこのとき大きな勘違いがあった 今のようにモバイルのない時代である 誤解は誤解を生み 二人は約束を果たせなかった

マリアは数年後ユゼフ・スカルべク伯爵に嫁ぐことになる ユゼフはショパンの名付け親フレデリック・スカルベクの息子であった

蒼穹のヴィオル 第五章 墓地へ行く道 7

 

アングルとドラクロワがラファエロとミケランジェロに例えられる話と異なり バルザックはショパンをラファエロに例えている ただハイネの意見は少し違っていた

まだ幼きショパンを指導したのはクワイ=ガン・ジヴヌィだが ぢつわ マスターはオビ=ワン・エルスネルだった

 

>エルスネルはショパンの通知表に「顕著な才能」そして「音楽の天才」と記している。ジヴヌィもそうだったように、エルスネルもまたショパンの才能が開花するのに対して手を施すことはなく、ただ見守るだけだった。エルスネルはショパンを指導するにあたって「偏狭で、権威的、時代遅れな」規則で「押さえつける」ことを嫌い、若い才能を「彼自身の決めたやり方の通りに」成長させていくことにした。

ジッドは ピヤノに向かうショパンの即興的な態度を評価した もともと作曲家はバロックの頃からそうゆうものである モーツァルトもベートーヴェンもリストも即興演奏が出来た 問題はショパンの即興演奏が単なるステージの上での瞬間芸か 推敲された完成された作品かとゆうことだ

 

パダワンはある理由でダークサイドを垣間見る

 

 

9月25日 日曜日

その日 マリアは約束の場所に現れず 彼の婚約は幻となった それから星ぼしはなんと二回りして ハイネの友人であり仲間だった作曲家リストの愛人マリー・ダグー伯爵夫人のホームパーティーの場で ショパンはジョルジュ・サンドとして知られるフランスの文筆家・男女同権運動家のアマンディーヌ=オーロール=リュシール・デュパン(デュドヴァン男爵夫人)と出会い 念願の蜜月を得た しかしこれもまた終わりを迎え さらに6年の歳月を経てようやくシトツの結末を見るが 季節はゼロに沈んだ

 

彼の葬儀はパリのマドレーヌ寺院で行われた 準備が非常に凝ったものとなったため10月も末になってしまった 葬儀には3,000人近くが参列した しかしその中にサンドの姿はなかった

 

わが友 フレデリックはペール・ラシェーズ墓地で今も静かにM島の夢を見ているだろう

 

Moja bieda

蒼穹のヴィオル 第六章 予告

 

松男くん おたんぢょうびおめでとうきみもこれで高齢者のなまかだ

ところで昨日次のチャプタはピヤノを弾くニーチェの話とゆうたがそれにはまずワーグナーを取りあげなければいけないこの一週の時間と一行の文字数制限でしかもシモネッタ・ヴェスプッチにするにはどんぶ勉強せんならんわけでそこはフランスの退廃的な物質主義から逃れるために偉大なるゲルマン民族ドドイツの完璧な言語を駆使すればなんでもないことなのであるなぜならわしは天才だからだ

 

蒼穹のヴィオル 第六章 sensual delicacy 1

1860年初頭 ドレスデン革命に加担した罪で ドドイツから追放されていたワーグナーはタンホイザー上演のためパリのイタリア座でオーケストラ演奏会を開いた

ベルリオーズやグノーらとともにボードレールも列席した 彼は美術評論家だが音楽評論家ではなかった ワーグナーの楽劇を観るどころか音楽すら知らなかったのに 初めてワーグナーを聴いたボードレールは感激のあまり一面識もない作曲家に手紙を書いた これは私の音楽 肉感的な逸楽だ と

https://youtu.be/jznZ9vzUPm8

 

蒼穹のヴィオル 第六章 sensual delicacy 2

 

ニーチェもワーグナーも良いけど下ネタもやってくれないと読者は喜びませんよ と松男が笑う

 

だからシモネッタヴェスプッチとゆうておるでわないか単なる語呂合わせでありちょっと時代も国もちゃうのだがねルネサンスのイタリヤこんまもといメディチ家の愛人でボッティチェリのヴィーナスの誕生のモデルとゆわれコジモもかいているコジモとゆえばコジマなら今回の話に出てくるこっちはフランツリストの娘でビューローの妻であったが不倫してイゾルデを産みのちに正式離婚して再婚したのがワーグナーだとゆうことだ彼にとっては二番目の妻であり最初の妻ミンナとの話もたくさんあるがそれは

 

まー昔からたいていの男のゲージツ家のモチベはやっぱり女とちゃうんですかね と松男が笑う

 

だからボードレールは女をネタにはするが基本的に蔑視しているとゆうケースもあるでわないかこれ岡田史子も描いていたしベルリオーズは理解できなかったがドビュッシーもプルーストもアンケートに答えるほどワグネリアンになったのは阿片のようなものだとボードレールはゆうているし自分自身はジャンヌとそれ以外の女たちもみんな娼婦であるから今回のタイトルのように肉感的な逸楽の話を考える予定で他にトーマスマンなどがポジティブにもネガティブにも倒錯のエロスを論じている中の異色なのは

 

またそげなわざと句読点を省いて文字数を合わせるようなヤヤコシーゆい方より と松男g

 

https://youtu.be/8f9hjUrqsWE

 

蒼穹のヴィオル 第六章 sensual delicacy 3

 

もともとオペラは作曲家と台本作家の分業だったのがワーグナーはシトリで全部やってしまうとゆう新しい楽劇だった パリの『タンホイザー』初演(1861)がどないなことになったかは後述するが 式典にデモをぶつけるのは如何なものか

しかし観劇したシャルちゃん感激ー以外にもアンチワグネリアンを含めその時代の錚々たるシトびとに多大な影響を与える

 

1861年ワーグナー47歳の時彼らは何歳だったか

 

ジャコモ・マイアベーア 70歳

エクトル・ベルリオーズ 58歳

フェリックス・メンデルスゾーン 52歳

フレデリック・ショパン ※存命なら51歳(1849没)

ロベルト・シューマン 51歳

フランツ・リスト 50歳

ジュゼッペ・ヴェルディ 47歳

シャルル・グノー 43歳

ハンス・フォン・ビューロー 31歳

ヨハネス・ブラームス 28歳

カミーユ・サン=サーンス 26歳

グスタフ・マーラー 1歳

クロード・アシル・ドビュッシー -1歳

リヒャルト・シュトラウス -3歳

 

シャルル・ボードレール 40歳

 

ヤーコプ・グリム 78歳

ハインリヒ・ハイネ 64歳

ヴィクトル・ユーゴー 59歳

オーギュスト・ヴィリエ・ド・リラダン 23歳

カチュール・マンデス 20歳

ステファヌ・マラルメ 19歳

ポール・ヴェルレーヌ 17歳

フリードリヒ・ニーチェ 16歳

ロートレアモン伯爵 15歳

ジョリス=カルル・ユイスマンス 13歳

アルチュール・ランボー 7歳

アンドレ・ジッド -8歳

マルセル・プルースト -10歳

ポール・ヴァレリー -10歳

トーマス・マン ‐14歳

ウジェーヌ・ドラクロワ 63歳

アンリ・ファンタン=ラトゥール 25歳

オディロン・ルドン 21歳

マックス・クリンガー 4歳

オーブリー・ビアズリー -11歳

 

ルートヴィヒ2世 16歳

アドルフ・ヒトラー -27歳

ミンナ 52歳

マチルデ 33歳

コジマ 24歳

ゴーティエ 16歳

 

https://www.youtube.com/watch?v=gI7AOI40oZY&t

 

 

ジョッキークラブの面々は第一幕だけでバレエが終わってしまったことに激怒した そもそもグランドオペラの習慣どおりにバレエを入れろとゆう彼らの要求にワーグナーは譲歩していたのである ヤジと喧噪の中で初演は終わり その後の公演も妨害を受けて中止にいたる 訳語上演にも問題があった 純粋な音響現象で充分だったボードレールは上演前から記事を書いていたがこの低次元の妨害に悲憤慷慨して抗議文を書いた『リヒャルト・ワーグナーと《タンホイザー》のパリ公演』 ワーグナーは軽薄なフランス人達にとっては「未来の音楽」なのであった

蒼穹のヴィオル 第六章 sensual delicacy 4

 

美術系からだと ビアズレーがワグネリアンを外側から描いている 1894年ロンドンで『トリスタンとイゾルデ』の上演に接し舞台そのものではなく 平土間やボックス席に座る観客に焦点を当てた

さらに降ってダリ

 

1938年の「狂えるトリスタン」はレオニード・マシーンの振り付けによるバレエ・リュス・ド・モンテ・カルロのバレエ このためにダリは舞台美術を担当した 左上図はそのときの構想図のひとつである 建築物には三つの特異な形の入り口がある このバレエは最終的に「バッカナーレ」とタイトルを変え1939年11月にニューヨークで初演された このときダリは衣装を担当したココ・シャネルの邸宅に長く滞在して習作に没頭した

『バレエ《バッカナーレ》のデッサン=バイエルンのルートヴィヒ2世』も描いている(右中図) ワーグナーを庇護したルートヴィヒ2世はイケメンである

蒼穹のヴィオル 第六章 sensual delicacy 5

 

ダリはもちろん変態だし 近親相姦ビアズリーや冷感症崇拝ボードレールも変態だ パリの十九世紀末集団は様々な傾向はあるにせよキワメテ普遍的ではない連中の集まりだった

 

でわ ワーグナーはそうだったかとゆうと

こと 性愛に関してはノーマルだったのだ

ただ 女装趣味があり肉体的な愛を必要として絶倫パパはコジマをうんざりさせた

 

ドビュッシーが結局ワグネリアンをやめてアンチになったのはゲルマン的なものからフランス精神に立ち戻ったとゆうことでデカダンスを選んだからだった

そこでワーグナーの楽劇とデカダン文学を分つものは

SMの解釈だった

 

サロメのような 男を犠牲にする女

オフィーリアのような 男の犠牲になる女

恋人を女装させていぢめるラシルド夫人

ヴィーナス氏の男装の麗人ラウール

至上の悪徳のエステ公女

責苦の庭のクララ

 

これらはS系ファムファタル

ワーグナーのヒロインは後者の方が多い

イゾルデ エリザベート ゼンタ ブリュンヒルデ

パルジファルの妖女クンドリー

このモデルはワーグナー晩年の恋人ジュディエット・ゴーティエだとゆわれる またコジマと意気投合したジュディエットはワーグナーとの再婚の仲立ちまでしている

トリスタンとイゾルデのときのモデルはマチルデ

 

かように抑制された人物を描き 抑制された人々を魅了したワーグナー自身は 抑制が欠如していた

タンホイザーはドン・ジョヴァンニではなかった

 

https://youtu.be/GGU1P6lBW6Q

 

蒼穹のヴィオル 第六章 sensual delicacy 6

 

ワーグナーは「さまよえるオランダ人」を書いたときにはハイネであり「トリスタンとイゾルデ」を書いたときにはノヴァーリスであった

ドイツ・ロマン派詩人ノヴァーリスはゲーテより22歳若く ゲーテより先に死んだとき(1801)まだ29歳だった 鉄幹の例の一件も約百年後のその歳の頃である ゲーテは「古典的なものは健康であり 浪漫的なものは病気である」と断言した つまりノヴァーリスを批判・断罪した 彼等は三度会っているが 当初は美学的な問題より自然科学について論じ合った ノヴァーリスはゲーテの光学論考から『青い花』とゆう「色」を書いたのだが 『ウィルヘルム・マイスター』については最初は感激して読んだのに 後に激烈な拒否に一変した それはポエジーと経済に関する内容である それでゲーテは怒った

 

 

イエーガーマイスターは ドイツの養命酒のようなものである ピカソやダリも飲んでいた ゴッホのばわいはアブサン中毒だ マイスタージンガーなら ドイツの吟遊詩人のことで ワーグナーの楽曲にもある それが何の関係があるかとゆうと単なるドドイツだ

 

・・

 

ワーグナーの新手法「ライトモチーフ」は “示導動機“で “マイスタージンガーの動機” “芸術の動機” “愛の動機”など数多くのものがあり 特にヴィルトゥオーゾであるフランツ・リストの娘コジマとのW不倫によって生まれたイゾルデがその最たるものであった

ドイツとフランスの違いはあるが 文学においてのポー 美術においてのドラクロワ 音楽においてのワーグナー と 保守的な芸術観のシトびとが無視するか拒絶するかしていたものに sensual delicacy を感じたのがボードレールだ

かたやマラルメはワーグナーにおける「形象化」が見かけの豊饒さとは裏腹に未完成であると考えた 音楽が虚構を生み出してしまうことに弱点をみた ドイツ固有の仕方でのギリシア悲劇の反復でしかないと

ただし 音楽の本質はリズムであり 「書物」においては音節をきわだたせられ 韻律を与えられた詩句こそがありとあらゆる音楽の代わりを果たす

となれば 句読点を撤廃し1行文字数を揃え頭韻や脚韻を考慮してねちゃっとした関西弁のリズムに置き換える作業はゲージツか

 

ただの下ネタちゃいますの と松男は笑った

 

https://www.youtube.com/watch?v=Sw08UQvbmXI

 

蒼穹のヴィオル 第七章 予告

 

次のチャプタは19世紀末からローリング20に飛ぶ

モーリス・ラヴェル そしてレーモン・ルーセルとゆう難解なテーマだ ボンキュボンの間に勉強しておこう ヴィヴァンを観るとよけいわからんなるかも知れない

ヴェルヴェデーレ荘 メンロ・パーク フォントネェの館 騙し亭 ロクス・ソルス荘

https://youtu.be/ETiGRRjJgoo

 

蒼穹のヴィオル 第七章 時計仕掛けの酉 1

舞台は中国

皇帝の宮殿の庭 青々と水をたたえた深い湖を囲む美しい森に一羽の「小夜啼鳥」Luscinia megarhynchos が棲んでいた 或る日 皇帝のところに機械仕掛けの酉が届けられる 宮廷の人びとは本物の鳥と一緒に唱わせてみるがうまくゆかない 酉はある旋律を繰り返すのみであったからだ

>狂宴 番外編 終着の湖畔

湖は新緑の頃よりもさらに濃い青緑色に輝いていた

鹿柴 王維

空山不見人 但聞人語響 空山人を見ず 但だ人語の響きを聞く

返景入深林 復照青苔上 返景深林に入り 復た照らす青苔の上

 

 

嵆は馴染みの『酔郷』ではなく『臨湖亭』にて蒲さんに会う

バーは引っ越したのである

「お久しぶりです 蘇軾から王維ですか」

「蘇軾だと 

 朝曦迎客艶重岡 晩雨留人入醉郷

 此意自佳君不會 一杯當属水仙王

 だから 少し捻って

 午曦迎客艶垣内 未申酉留入醉郷

 此意自佳君必至 一杯一刻値千金」

「ぼくは王維で

 独坐幽篁裏 弾琴復長嘯

 深林人不知 明月来相照

 これを こうすれば

 伴坐光輝裏 開陳復長嘯

 桃源人不知 名月来照石」

「詩中に画あり 画中に詩あり ですな」

「色々ありましたが 1つの極大を究めることが出来ました」

「それは良かった もうすぐあの人もお見えになるでしょう」

「臨湖亭ってどこかで聞いたことある」

嵆が振り向くと懐かしいお顔があった

「それは王維の別荘です 輞川とゆうところに眺めの良い場所や建物がいくつかあってその内のひとつであり 此処へご案内できることは本望です 王維の『輞川図』には心身を癒すに十分な不思議な力があるんです この湖はタクラマカンのロプノール湖とも ティーツリーのブルーラグーンともまた違いますけれども ぼくは夕べの夢でペガサスに乗って此処に来て そして貴方と暮らして娘を設けるんです」

「どこかで聞いたような話じゃない?」

「ゼウスとエウロペの話とは違います」

「ゼウスならたぶんもっとお達者だわ」

「貴方がユノになって見張っていれば」

「私がそんなことしないのはご存じね」

「でわダナエの時みたく黄金の雨なら」

「オルフェウスとイザナキはどしたの」

「その間違いを正すには三種の神器が」

「玉中交歓と鏡は揃ったしあとは剣ね」

「その答えは

蒼穹のヴィオル 第七章 時計仕掛けの酉 2

 

酉が水に戯れると酒になる

ホフマンの『クライスレリアナ』には「良心的な音楽家たるものは喜歌劇を一曲作るためにはシャンパーニュ産の酒を用いねばならぬ」と書いてある 「酒は人類最大の敵である 但し汝の敵を愛せと聖書に書いてある」とゆうたのは誰だったか ことカトリシズムに関してはユイスマンスは渋々ではなかったか 神々の葡萄酒も馴染まない またボードレールの人工楽園だとしても さぶるこの流し目の方がまだ良いと思っていた

しかし 臨湖亭フォントネェの館で用意されたその秘酒は違っていた 一本の栓が全ての活栓と連結していてそれぞれが次々と呂に交じり合うのである 口中オルガン

スネアが活栓を開くと 茴香酒の甘くすすり泣くフルートに始まり 辛口のキュラソーは滑らかなクラリネット 薄荷酒のファゴット 桂花陳酒の鼻にかかったオーボエ 桜桃酒の荒れ狂うトランペット ジンとウィスキーはホルンとトロンボーンの甲高い音響を口蓋に撥ね ブランデーはサックスに啼く 管楽が一通り揃ったところで ようやく弦楽がクレッシェンドに加わる それらヴィオルの一群は煙臭く純度の高い鋭くしかも脆弱な時代を経た火酒の類であった

 

https://www.youtube.com/watch?v=cmNEvSFWftc

 

蒼穹のヴィオル 第七章 時計仕掛けの酉 3

 

臨湖亭には別館があるとゆう噂(この字には酉が隠れている)

晩年のラヴェルが購入したモンフォールのベルヴェデーレ荘や

ルーセルが創ったモンモラシーのロクスソルス荘にも似ている

そこに一枚の絵があった

 

 

象徴派とデカダン派

 理想主義と魔術

 神秘主義とエロチシズム

 一角獣とスフィンクス

 白鳥と噴火獣シメール

 百合と蘭

 真珠とエメラルド

 救世主とファム・ファタル

 パルツィヴァルとサロメ

 ローエングリンとデ・ゼッサント

 ルドヴィヒⅡとオスカー・ワイルド

 バーン・ジョーンズとギュスタヴ・モロー

 

・・

 

絵は モローの《出現》

つまり サロメ である

サロメとゆうとS系悪女と思われているがオスカー・ワイルドらがそう広めたからであるワイルドはゲイでありラヴェルもルーセルもゲイである

このサロメはどこを見ているか片手に持つ白蓮は何の寓意かそしてこのタイトルはなぜ『まぼろし』(澁澤龍彦の訳は『出現』ではない)なのか

そもそもヨハネの首をはねろとゆうたのはヘロデ王だがサロメにそう要求しろと差し向けたのはおかんのヘロデヤでありその目的は自分が王といい仲になるためでありサロメの意思ではない

サロメの絵はたくさんありたいていお盆の上の首が描かれているがルーベンスのような肉感派にはその内面は不可解だったのでありモローのみがこの構図を選択することで女獣を象徴化した

フェニキア風の王冠をかぶりイシスの笏を持ちエジプトやインドの聖花である白蓮を持つサロメは聖書の伝統には非ず極東の神統系譜学に属しているのではないかとデ・ゼッサントは考えた

蒼穹のヴィオル 第七章 時計仕掛けの酉 4

 

軽酌迎上客

悠悠酔上来

当軒対酖格

四面芙蓉配

 

ラヴェルのベルヴェデーレ荘に招かれた客は奇妙な酒を飲まされ珍種の植物やグロッタ様式のオブジェで溢れる客間に案内された

軽酌は酔肴に酖溺し字酉の呪縛を絵面に配す

 

 

ラヴェルとルーセルはほぼ同時期にパリ音楽院ピアノ科に在籍していて親交はないが二人は奇妙な一致があると青柳センセはゆう

ラヴェルの足かせは他人の流儀リスト風ウィンナワルツ風ブルース風オペラブッファ風等々を頼る

ルーセルの足かせは自分で自分の足かせを考案し地口や語呂合わせや独自の言葉の法則のみを頼る

よって一般的観点からすれば常識人ラヴェルと自意識過剰な世捨人ルーセルの二人に共通点はない

 

・"Bolerish"

 

https://www.youtube.com/watch?v=Ju4hVnrcOKo

 

・ボレロ風

蒼穹のヴィオル 第七章 時計仕掛けの酉 5

 

「わたしは綺麗な女性より綺麗な機関車を好みます」とラヴェルは云った 19世紀末はボードレールが紹介したポーの美学に洗脳されていた それは作り物の美しさであって「さかしま」の人工楽園や「未来のイブ」の人造人間ハダリだった 20世紀にはさらに進んで「超男性」や「ロクスソルス」など機械そのものがテーマになる ルーセルはシュールレアリストやダダイストに支持されたが当の本人はジャリやアポリネールよりコナンドイルを読んでいた 一方ラヴェルの方は最先端の文学に通じユイスマンスやリラダンや甲殻機動隊を愛読していた 青柳センセが注目したのはデュシャンやピカビアが位置づけた「独身者(の機械)」の創作であった それはかの二人が生涯独身だからではなく 多くのゲージツ家と違い「愛」をテーマにしていないとゆうことである

ルーセルは自殺 ラヴェルは脳障害で亡くなるが 認知症状態で死ぬ直前に聴いた曲を「素晴らしい 誰の曲か」と云う それは自分が若い頃に作った曲だった(亡き王女のためのパヴァーヌ)

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=GKkeDqJBlK8

 

蒼穹のヴィオル 第七章 時計仕掛けの酉 6

 

形而内学とゆう造語を考えたとき モシトツあることを知った それは形而超学 今回のシリーズでもどっかの資料で読んだ気がする 考えたのはジャリ 単なる駄洒落に取られないように語頭にアポストロフィを入れるように彼は命じた

 

”パタフィジック” ビートルズの「マクスウェルハンマー」の歌詞にも出てくる

♪ Joan was quizzical, studied ’pataphysical science in the home

※この歌には他にもまだ意味深なところがある

Rose and Valerie

Screaming from the gallery

say he must go free.

ヴァレリ-はポール・ヴァレリ-か ローズは誰のこと?

 

 

さてスイスの時計技師とストラヴィンスキーに評されたラヴェルは唐突に曲を終わる 速度を遅くせずに とわざわざ書いているようにリタルダンドのフェードアウトはない 例えばボレロは二種類の旋律が同一のリズムと1つのクレッシェンドで延々と繰り返される機械仕掛けの酉だ 違うのは最後の2小節だけである

これはアンチロマンの含蓄でわないか ルーセルが美を虚構が現実から離陸する手段の想念としたのと違い ラヴェルはいかに時計仕掛けの酉であっても自然が芸術を模倣するように美しくいや美しいままで終わるのだ

しかし

記憶を消去するときにエントロピーが増大するとゆうことは記憶を行なうことのできる存在ならば記憶の消去というツケを支払うまでの間はマクスウェルのハンマーを働かせることができる可能性を示唆している

 

https://www.youtube.com/watch?v=YsaCMqamtMc&t

 

 

なこセンセの解説で復習しよう

蒼穹のヴィオル 第八章 予告

 

二ヶ月予定の最後のチャプタはドビュッシーとランボー

前々項のニーチェのようにランボーも難しいから生半仮名でこぢつけよう てゆかー こぢつける以前にナンモ考察していないのであった まる

まる てあーたハカセのソースはなんなんスカー

まーそれは空中のソースをかき混ぜる指揮棒のようなものであって 青柳いづみこセンセを部位やベースに なこちゃんのチャンネルと ノラの絵画の時間をミクスチャしているのだ ヴィオルについては初めて指揮棒を使ったメンデルスゾーンを取り上げなかったところが変だと附中の吹奏楽部顧問のN君に笑われている 途中でピヤノにシフトしてしまったが それはまたあとでわかる

 

 

厳選クラシックちゃんねる なこちゃん~

 

https://www.youtube.com/@nacoclassic

 

蒼穹のヴィオル 第八章 出発の季節

≪かつては その記憶が正しければそれは宴だった

ノックの音がして現れたマクスウェルが銀のハンマーを撃ち下ろし秩序の鍵を砕いてしまったので熱力学第二法則で禁じられたエントロピーの減少が可能になった

それ以来 最後の「ヘマ」が呼んだ奈落の手帳はもう読まれていない

 

https://youtu.be/22JtTOpO5dU

 

蒼穹のヴィオル 第八章 2 悪胤の季節

 

偶像の崇拝と瀆聖への愛情

悪徳 憤怒 淫乱 無精 そして嘘

 

 

ドビュッシーはラヴェルより一回り年上でラヴェルの父とは知人だった 自分の父が監獄で偶然知り合った作曲家シヴリの母(ヴェルレーヌの義母)モテ夫人(ショパンの弟子とゆわれるほどのピヤニスト)に音楽の手ほどきを受けた ランボーとのニアミスはない

その才覚はそれまでの構造的理論的なスタイルから感性のセンスで独創的に作曲 印象派と呼ばれるのを嫌ったドビュッシーだが 印象派とゆうゆい方は 理論ではなくたんに印象だけで描いているんちゃうの とゆう批判的な命名だったからで 象徴主義としても良い

そもそも美術史における区分と音楽史における区分は時代性は同じで内容は少し違う ターナーの絵を愛好していたとゆうところはシブいがドビュッシーは人間的には尊敬できる人物ではない 女性トラブルも多い しかし作品は20世紀において多大な影響をジャズやポップスそしてミニマル音楽に及ぼしている

最初の転機は1989年のパリ万博とマラルメの火曜会である

マラルメは諸芸術家とたいへん親交が深かった ローマ街(パリ17区ローム通り (Rue de Rome) 87番地)にある自宅(パリ近郊のヴァルヴァン在住の頃は隣はラヴェルの自宅)で1877年頃から20年以上も開かれた「火曜会」と呼ばれる会合には

 

1889年の時点でマラルメ47歳 ドビュッシー27歳の他 マネ57 ドガ55 モネ49 ルドン49 ルノワール48 ヴェルレーヌ45 ホイッスラー45 ゴーギャン41 リラダン41 オスカー・ワイルド35 ベルト・モリゾ48(マネのモデルで義妹) 他にもゲオルゲやモーパッサンやジッドやプルーストなど 錚々たるメンバーが集まった

右端はボードレールだがこの時は既に死んでいるはず

蒼穹のヴィオル 第八章 3 夜の季節

 

嗚呼 草よ 雨よ 小石の上の湖よ 大聖堂の鐘楼が25時を告げた時の月の光よ

 

 

クロードくん 今年はバスティーユ襲撃から百年だ 万国博の5月から10月までの会期に間に合わせてタワーも完成した 設計したギュスターヴの名前をとってエッフェル塔とゆうのだ 素晴らしい

 

ステファヌ それよりこの6月に面白いものを観てきた ガムランとゆう民族音楽だ もうワグナーには飽きたからね 国民音楽協会のエルネストにもゆうてやった いづれ龍一や穣にも教えてやろう

 

ミニマルとかゆうやつだな パイロイトに行ったのはまだ二回目だとゆうのにもうアンチワグネリアンを気取るつもりか ヴァニエ夫人はどうしたのだ まー私もイジチュールを放り出したままだがね

 

その対訳は少しずつ進めたのは前に見せただろう おかげでぼくもあんたのように形而上学的危機を味わうことになったよ だがリリーとは‥いやまたこんだの火曜会で発表してやる いまは勉強中さ

 

https://youtu.be/otnAini4vmQ

 

 

眞に真夜中の滴は生きていて

刻は鏡の前に隠れることなく

壁掛けの中に消え失せもせず

虚空の響きの提供を想起する

 

黄金は真夜中以外は儚い夢と

豪華だが無用な遺物の装いに

宝石意匠細工の無限な偶然と

山海の数多な結合を読み取る

 

真夜の告知は結びの技でなく

此処に創造する唯一刻である

無限の星座と海から別たれた

 

相互的無たる外在性に留まり

全一刻に事物の絶対的現在を

無限から分離するはこの時だ

蒼穹のヴィオル 第八章 4 錯乱の季節

 

俺は母音の色を発明した Aは黒、 Eは白、 Iは赤、 Oは青、 Uは緑

 

 

https://youtu.be/GJ47Fy-g6f8

 

有名なシーンだな 原文はこうだ

 

A noir, E blanc, I rouge, U vert, O bleu, voyelles,

Je dirai quelque jour vos naissances latentes :

 

元ネタとゆうか 似たのが他にもありますよ 教授

 ドイツでは、オーギュスト・W・シュレーゲルが、« A は赤, O は深紅, Iは空の青, Ü はヴァイオレット, Uは 深い青 »としている。

 

 フランスでも、ヴィクトル・ユゴーは、「A とIは白く輝く母音。Oは赤い母音。(以下略)」と感じた。

 アルフレッド・ミュッセも音と色の結びつきから、「ラは黄。ソは赤」と、ある手紙の中で記している。

 

日本人にとってはちょっとわかりにくい あいうえおではないからだ それにフランス語のリズムは違う 詩は音楽でありシャンソンだ ドドイツではない つまり七五調ではないとゆうことだ 1行12音節 6/6だ

 

 14行のソネットでは、2つの4行詩で主題を提示し、最初の3行詩で大きな展開をし、二つ目の3行詩でまとめるという、原則的な決まりがあった。

 

最初に 黒と白から始まっているのは基本です つまりゼロと全 その次に三原色が来る 母音の順番が少し違うのはギリシャ語のアルファベットだからです その次に

 

 ぼくはそれぞれの子音の形と動きを整えた。そして、直感的なリズムに従いながら、詩的な言葉を発明した。それが自慢だった。その詩的言語は、いつの日か、全ての感覚に対して開かれたものになるだろう。

 

これはさらに難解だ 原文にあたらないと東洋人にはその真意はわからないぞ

 

ボードレールの 共感覚の世界の中で主体と客体が一体化し恍惚感を得る状態を最高の美 とゆうのをさらに超えるために言葉を錬金しているからですね

 

« je est un autre.»(私は三人称単数のような他者である。)という表現は 動詞の活用をわざと間違えている

 

蒼穹のヴィオル 第八章 5 永遠の季節

 

また見つかった!

何が? 永遠が。

それは、海。溶け合うのは、

   太陽。

 

https://youtu.be/_2_Oa8pL-TA?si=PVEeBzYcR2-vFQIJ

 

 

Elle est retrouvée !

Quoi ? l’éternité.

C’est la mer mêlée

   Au soleil.

 

後に少し改稿され

« la mer mêlée / Au soleil »が« la mer allée / Avec le soleil » になっている

5音節が伝統的だが どちらも韻を踏んでいない

 

中也訳ではこの部分はこうなる

誤訳とはゆわないがいじりすぎ

最後のインデントがなくなった

 

去(い)ってしまった海のことさあ

太陽もろとも去(い)ってしまった。

他にも 去るとか行くとゆう訳が多いなかで

 

堀口訳

それは、太陽と番(つが)った

海だ。

 

小林訳に誤訳ありとゆうのは篠沢教授のツッコミなど多々あってさすがに筆者もフランス語はばったりなので感覚的なものとする まーオリジナルのリズムや韻律は違ってもカッコよければ良いと思う

 

ランボォが定型詩に引導を渡して二十世紀への扉を開けたとすればドビュッシーはワーグナーの影響から脱却し機能和声に引導を渡し二十世紀音楽の扉を開いたことは間違いない と青柳センセはゆう

 

違うところは前者があらゆる賞を総なめにしたのに対し後者は一度も優等生になったことがない 先輩たちに理解されずようやくローマ賞を取った後もまだ批判され続けた 私生活も原因だと思われる

 

 

その指がドラムを叩くとき

 我が魂は故郷へと舞い戻る

  喜悦を紡ぐ褐色の調和とは

   夜明け前の アフロブルー

 

アニマが頭の向きを変える

 アニムスが頭の向きを戻す

  この微睡みは新しい現実と

   夢ではない営みを巡らせる

 

見つかったぞ

      何が?

   アフリカの青い瞳が

蒼穹のヴィオル 第八章 6 不可能の季節

 

ああ 純潔よ 純潔よ

俺に純潔の夢を与えたものはこの目覚めの時だ 精神を通して 人は『神』に至る 想えば身を裂かれるような不幸

 

 

ドビュッシーはローマ賞の受賞を喜んでいなかった わずらわしいことで むしろ自由を束縛されると思っていた 一人で気楽なランボォと違い金には困っていただけである

ローマ賞を受賞した1984年は文学史上では賑やかで ヴェルレーヌの『呪われた詩人たち』でランボォが紹介され ユイスマンスの『さかしま』が発表されて マラルメの火曜会には若き詩人達が集った さらに雑誌「ラ・フォーグ」には二年ほどの間に先の『呪われた詩人たち』増補版を始め ランボォの『イリュミナシオン』『地獄の季節』や 伝説的教訓劇から『サロメ』『パルジファルの子、ローエングリン』『ペルセウスとアンドロメダ』『薔薇の奇跡』『ハムレット』など ものすごいラインナップが連載された

ローマでドビュッシーはそれらを読んでいた 彼はシブリが専属ピアニストをしていた「黒猫」の常連でもあり そこにはヴェルレーヌも出入りしていた 有名な ”巷に雨が降るように” の詩句はランボォにも同じものがある

 

https://www.youtube.com/watch?v=3s2AkdzpVTM

 

青柳センセ登場

蒼穹のヴィオル 第八章 ∴ 地獄の季節

 

「もう秋か。 それにしても、何故に、永遠の太陽を惜むのか、俺たちはきよらかな光の発見に心ざす身ではないのか、 季節の上に死滅する人々からは遠く離れて。」

 

 

https://youtu.be/Zw1OYRjpvFY?si=xW_v27iPUg1slHDM

 

クロードくん 夏休みはもう終わりだぞ 宿題を提出したまへ

 

教授 スイカはタネプップーです ほにゃららではありません

 

何をまたワケワカランことをゆうているのだ オチはあるのか

まさかのときのスペイン宗教裁判です 使いまわせばよいのだ

 

五十年ほど前 木屋町に地獄の季節とゆうバーがあったのだが

 

だいたいの場所は覚えていますけど さすがにもうないですね

 

うーむ アカチバラチ

 

それは 違うシトです

蒼穹のヴィオル 終章 第三部予告とサプリメント

 

ランボォの『永遠』は全体が5音節詩句で書かれているが韻は崩れている 形式は自己説諭

対訳本で原文を勉強してみると 永遠は初めて見つかった trouvée ではなく 失くしていたものが見つかった時のように retrouvée と書かれている

それで小林訳でも中原訳でも また見つかった としているものが多い 堀口訳は もう一度見つかった 金子訳は とうとう見つかった である しかし対訳本の中地は あれが見つかった なのだ

永遠は繰り返すのか 永遠は再来するのか

 

そもそもタイトルの『地獄の季節 "Une saison en enfer"』も直訳すれば『地獄での一季節』なのである

今回青柳センセの本には登場しなかったニーチェの「永劫回帰」を勉強すると

 

 退屈な人生を生き、何の感動も覚えないあなた。

 生活のなかの一瞬を切り取ってみる。バスに座っているとき、愛する人にキスをしようとするとき、何かを理解したとき、好きな人からの連絡を待つうちに電話の前で眠ってしまったとき、さて、あなたはその瞬間が永劫回帰、つまり「永遠に繰り返されてもいいくらい」その瞬間を愛しているだろうか。

 

これが 自然科学的観点に立てば、1.世界はエントロピー増大の法則により常に拡散・多様化していくので類似の状況が再現されてもまったく同じ状況が再現されることはないという熱力学的見解や、2.有限の系に無限の時間を与えても繰り返しが起こるとは限らないことを発見したカオス理論、あるいは、3.本質的に不確定性を内包する量子論など、特に物理学によって永劫回帰を否定することが可能 となってしまう

 

それでいいのか

第三部はそれを考えよう

 

https://youtu.be/g6PQO8MKb3Y?si=QmR2QLbD58UhTK1m

 

蒼穹のヴィオル 終章 *****

 

楽器を演奏することは身体に複雑な姿勢と複雑な時間性を強いる 自己とゆう統一は内的な不協和音や内奥のリズムを覆い隠すために構築されるもので 我々は常にそれらとの妥協を強いられている そこで楽器の演奏は自分が何者かを教えてくれるどころか 我々を能動的な受動性に別の時間へと引き込むものだ ロマン派がヴィオルよりピヤノの可能性を広げたのはその音叉を使って哲学や存在を見極める振動を起こすハンマーであったとゆうことだ そのマクスウェル・ハンマーは哲学とゆう抽象的構造物を叩き 中にある音を取り出した

 

音楽のない人生など誤謬に過ぎないとゆうニーチェは作曲家でありピアニストだった 彼はワーグナーやシューマンにも見切りをつけてショパンを弾いていた ロマン主義の極限がゲルマンを堕落させたと思ったからだ ショパンにはイタリア的な明快さと気品があった ノアンにおけるショパンとジョルジュサンドの関係のように自分もルーザロメと過ごしたかったのだ しかしザロメはリルケのファムファタルになり 晩年はフロイトの厄介な女性性の権化となってしまう 

 

https://youtu.be/_HA5h9RL1WM?si=9ESGFZAPUV_J4N1D

 

 

マンフレッド瞑想曲は ニーチェが音楽的哲学的感情的もつれがピークになった曲 タイトルはシューマンからだがワーグナー夫妻に忠実だった彼はコジマの誕生日12/25にこれを贈った オリジナルはヴィオルとピヤノのための曲 しかし彼はコジマとピヤノ連弾したいと思って改作したのだった その複雑な想いは余韻となり消えていく

蒼穹のヴィオル 終章 *****

 

ハンス・フォン・ビューロー(1830-1894)

 

ドイツの男爵で 指揮者 ピアニスト 現在の職業指揮者の先駆的存在

バッハベートーヴェンブラームスを総称してドイツ3Bと名付けた彼は

クララ・シューマンの父ヴィークにピヤノを師事 リストが庇護したワーグナー派の代表となるが後にブラームス派に転向

話は複雑で ビューローの妻はリストの娘コジマなのだがワーグナーに寝取られた ただし彼は不倫を暗黙に了承していた

そしてこのビューローが前出のニーチェのマンフレッド瞑想曲を思い切りこき下ろしたのである おまいはあほちゃうかと

一方ニーチェはとゆうとワーグナーと同棲していたコジマのことをアリアドネと呼んでいた 既に発狂していたからである

 

1889年1月3日は満月ではなく新月であった 月はいま謎をかけていた

https://youtu.be/ds7vR7zf6YU?si=NpV_766R6rIfTvjN

蒼穹のヴィオル 終章 架空のオペラ

 

  聞き給え。 この物語も数々の狂気の一つなのだ。

 

 私がネタであるというのは偏見です …私はインドに居たころは仏陀でしたし テーバイではオイディプスでした …虹蛇は私の化身ですし パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソだったこともあります …上宮之厩戸豊聡耳命だったことがあるような気もしないではありません …スペイン宗教裁判にかけられたこともあります 「私は人間というよりはダイナマイトです」…愛しのアリアドネへ ディオニュソスより

 

・・・

タクラマカン砂漠を彷徨う一人の男が二瘤駱駝と三本足の獅子と四つん這いの童子に出会う

童子は無垢であり、忘却である。新しい発端である、遊びである。みずから回りいづる車輪である。第一の運動である、聖なる肯定である。そうではないか、わが同胞よ。創造の遊びには聖なる肯定を必要とする。かくして精神は、いま、みずからの意志を意志するようになる。世界を喪失していた者は、いま、みずからの世界を獲得する。

 

・・・

 

第三部に続く

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