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​地図と記号 続編

Dedication

An einem Sommermorgen ward ich jung;
Da fuhlt ich meines eigenen Lebens Puls
Zum ersten Mal ? und wie die Liebe sich
In tiefere Entzuckung verlor,
Erwacht ich immer mehr, und das Verlangen
Nach inniger, ganzlicher Vermischung
Ward dringender mit jedem Augenblick.
Wollust ist meines Daseins Zeugungskraft

 

 

とある夏の晨、われは若やぎて
わが生の脈拍をはじめて
感じたりき。かくて愛の
いよいよ深き法悦境に融け行くにつれて
われもいやましに目覚め行きて、いよいよ親しき
圓なる融會を求むる願ひの
念々に深くなりまさりぬ。
愛欲はわが生の産みの力

 

 

第2部 第1章

 

とある夏

クイーンズランドのカーセルダイン駅に降り立ったKは考えた

 

私が考えるとき 私はどう考えるか
私が考えないとき 私はどう考えるか
今この瞬間 私が考えるとき 私がどう考えるかについて考えるとき 私はどう考えるか

あのはじまりの駅は京都駅であったのだとすると ここは

 
 

 

 時間の本性について我々の見方はどう変わってきたかとゆうと 20世紀初めまで考えられてきた絶対時間とゆうものは つまりどのできごとにも「時刻」と呼ばれる数値のラベルを一意的には貼り付けることができ 正常な時計はすべてふたつのできごとの時間間隔について一致するはずだとゆうことであったのだが 全ての観察者にとって彼がどのような動きをしていても「拘束」は同じに見えるとゆう相対性原理の導入によって 各の観察者は絶対時間の代わりに独自の時間尺度を持つようになった 異なる観察者の携えている時計は必ずしも一致する必要はないのだ

 
 

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