top of page

虚構のシトびと

 

しょの5

 

1970年 プリンストン大学での国際会議上
ケンブリッジ大学の物理学者ブランドンカーターは
極めて特異なアイデアを公にする

 

ホーキングはいち早く注目し自分の論文中でもその仕事に言及した
さらにブラックホールの命名者ホイーラーもそれを論文にしなさいと薦める
ちょうどこの頃ビッグバンモデルと定常宇宙モデルに大きな関係変化が起こっていた

 

アメリカのニュージャージー州ベル電話研究所
アーノペンジアスとロバートウィルソンは
通信衛星からの受信アンテナを電波望遠鏡に転用し宇宙の電波源を調べていたところ

宇宙のあらゆる角度から飛び込んでくる出先不明な雑音があった
しかもその破調分布はどの方向でも皆同じ
絶対零度から3度だけ高い黒体放射スペクトルであった

 

そのころすぐ近くのニュージャージー州プリンストンでは
宇宙物理学者ロバートディッケとジェームズピープルズが
初期宇宙に自由になった光は波長1mmの電波として検出されることに気づいた

その彼等の論文原稿を読んだ物理学者の中に
ペンジアスとウィルソンから謎のマイクロ波の相談を受けていた者がいたのだ

 

そこでそれを伝え聞いたペンジアスはディッケに電話する

ディッケはちょうど望遠鏡建設プロジェクトの会議中であった
一通り話し合ったあとグループにこう伝えた
「諸君 我々は先を越されたよ」

双方の論文は1965年天文学の同じ専門誌の同じ号に掲載される
 

こうして
初期宇宙の「晴れ上がり」で自由になった光が検出されたのだ

ではガモフは忘れられていたかとゆうと
ガモフ アルファー ハーマンの努力も無視されることはない
ベンジアスとウィルソンは1978年ノーベル賞を受賞する

 

冒頭のカーターの論文が発表されたのはこのちょうど真ん中頃である

彼は
ビッグバンモデルの「変化する宇宙像」を支持し
定常宇宙モデルの「変化しない宇宙像」に疑問を突きつけたのであった

 

その論文とは

「大きな数のコインシデンスと宇宙論における人間原理」
その冒頭で この論文は「コペルニクスの原理」に対する「行きすぎた屈従」に対抗することだと述べ 次のように続けた

コペルニクスが与えてくれた教訓は「われわれは宇宙の中心とゆう何か特権的な位置を占めているかのような根拠のない思い込みをしてはいけない」とゆう健全なものであった しかし残念ながらこの教訓を過度に拡張して「われわれの置かれた状況はいかなる意味に於いても特権的なものではあり得ない」とゆう極めて疑わしいドグマにしてしまう傾向が強い(そしてその拡張は必ずしも無意識のうちに行われているわけではないのである)

 

 で なんの話なん?>

bottom of page