Kalcha's Papier colle avec le texte
De Kan Scho
抽象的な表象の世界は概念の世界である
概念の世界には「真理」と「誤謬」が存在する
真理は尊く誤謬は毒である
それでも真理がひとたび獲得されたなら
それは誤謬を打ち払う
理性とは 概念を形成する機能である
さらに三年
E E E S
E E S N
N N W S S S E
S ?
このエニグマをどう解くか
(K駅から)
東へ5歩南へ3歩の位置?
東南へ5:3の方角?
ES
ESN
NWSE
S
カントとはワギナである
デウス・エクス・ワギナ
物を直観する能力が感性であるとカントはゆいました プッシートーク
時間と空間のような五感を必要としないバワイは経験に頼らない先天的直観なので「純粋感性」die reine Sinnlichkeitとゆう
では性感とはなにか
「女性のバヤイ陰核の快感度数を100とすると大陰唇50小陰唇90膣口80膣前庭70肛門75会陰部75髪70耳80唇80鼻5目蓋10首70脇30乳首90乳房85脇腹20臍25背中全体60程度」とゆうデータがある
これについてはかつて某所でブツギを醸したので再録すると
「脇の下の評価が低すぎたのでわないかとゆう意見が某所で出ていますが」
「だいいち鼻が5で肛門が75だしな」
「鼻くそをほじくってもなんともなくて,脱糞するたびに悶絶することになるのでしょうか?またこれはご自愛における数値なのでしょうか,それとも一般的なSEXにおけるモノなのでしょうか」
「うむ。出典にはその辺の条件や理論的根拠は記載されていなかったのであるが,これらの数値は学問的にゆえば触覚をつかさどる感覚小体の分布割合から客観的に比較したモノなのではないか等とワシが解説してしまっては面白くないので,今日はオマイが少し考察してみたまへ」
「博士,ご自愛ではムツカシイ背中などの数値が入っていますから,これはやはり一般的なSEXについて言及しているのではないでしようか。ただ快感度数としたところにシトツの破綻があるのかも知れません。また心理学的要因による補正値を考慮しているのかとゆう疑問もあります」
「をを。研究したな,助手」
「だいたいから助平とゆうモノはそもそも恥ずかしいとゆう気持ちと深~いエニシがあると思います。したがって心理的補正値を加えれば,恥ずかしい部分ほどその数値は高くなると考えるのが妥当かと。例えばホンコに好きな相手なら求められれば後門も辞さぬのでは。より恥ずかしいはずですからそれが快感に繋がらないのはおかしい。やっぱし頭は張られるでしょうか?」
「それはわからんな。では,鼻,目蓋,脇,脇腹,臍などが低くて,髪,耳,唇が高い数値なのはなぜか?」
「SMでは鼻いぢめ等とゆうモノがあります。しかしあれは,美形のモノがそれによる醜形化からくるバランスの倒錯が見るモノを楽しませるバヤイが特に鼻においてツオイとゆうだけで被写体の快感とは違うのではないかと」
「いや,見られているとゆう要素は十分快感に繋がると思うがのぉ」
「それは間接的なモノとゆうか2次的なモノなのでしょう。それから目蓋はよくわからんのでありますが,脇,脇腹,臍は単にこそばいだけです」
「耳もこそばいだけではないのか」
「いや,人に耳掃除をして貰うときの快感は誰もが経験しているでしょう」
「唇が高いのは当然だと思うが,髪の毛はどうなのじゃ」
「唇をなめ回している女性だけではなく,髪の毛をしょっちゅういじっている女性も好き者だとよくゆうでしょ」
「をを,鼻くそをほじくっている奴はフツーそそらんわな」
「鼻いぢめとは少し矛盾しますが,まぁいいでしょう」
「で,後門については結局どうなのかね」
「これはもう世にその研究と実践は無数にあると思うので今更と思うのですが,開発途上国がテクノロジーを受け入れることによって解決されていくモノなのかも知れません」
「文明であるとゆいたいのか」
「不思議の国のアヌス」
さて
主観による客観の認識は二つのステップに分かれている
ステップ1は外からの影響によって感覚器官が変化をうけて知覚が起こった状態である
ステップ2は悟性によってそれらの知覚間の因果性が直感された状態である
悟性とは 原因と結果のつながりを直覚する力である
けだものは理性はないが悟性はある さかりがつけば腰を振る つまり刺激に反応して動機を持って行動するのである
理性とは 抽象的な概念の抽出とその論理的な組み立てを行う力である
「けだもの」の行為に対して「けだものっ」と小さな「っ」がつくバワイを考察すると
そもそも女性は元来ヤリタイなどとは思わずヤラレテ初めてヤメルナと思う団体である それも行為を独立した楽しみでなく恋愛のようなモノを導入してごちゃごちゃに混乱させてから承認する その認識はつまり因果性に囚われて制限されてしまう原理である たてまえではSEXとゆうのは人間にとって大切なことだとか割り切って考えているなどとゆいながら心の奥では助平をバカにしている 女性がどれだけさばけて物わかりの良い女フーの顔をしても やっぱりSEXの上手な男は認めるがSEXの好きな男は軽蔑しているのである
人間における悟性は理性と相補的に働いている 因果関係を直観することができれば良いのであって それには概念の操作が必要なのである けだものには概念の操作ができない
つまり 勃てば歩めであるが下心ではない とゆうことだ