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​続・テキストアートの真理 3

2018

この年はバンコクとバリに行って来た

 

今から100年ほど前 グレゴリー・ベイトソンとゆうシトがニューギニアのイアトムル族をフィールドワークして「ナヴェン」を著し そのあとバリ島で調査を行った 彼は遺伝学者の父ウィリアムの研究を受け継いだ 父の研究は精神とはどうゆうものかについての思索 それはパスカルのデカルトに対しての疑問「情感には理知からは見えない独自の合理のようなものがあるのではないか」に応えるものであった

 

矛盾しながら平然としていられる者とは 快楽を味わいつつある時のテクストの読者のことである だから聖書の古い神話は裏返される 言語の混乱はもはや罰ではない 主体は手をたずさえて働く言語活動の共存によって快楽に近づくのだ テキストの快楽 それは幸せなバベルだ

(バルト)

バルトのゆう「言語」がその時代のあらゆる作家に共通した規則や慣習の総体なら 言語は文字通り何も引き出せない境界線のようなものなのであって こちら側にある言語と向こう側にある文体を形而内学(原語:hypophisique)によって もうひとつの形式的実体であるエクリチュールを機能させる 記憶を担った自由 つまり観念とも言語とも文体ともかかわらない一連の「記号」をもう一度探してみよう オルフェウスの轍を踏もうとも

そして

ようやく「快楽の園」三連祭壇画は完成した

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