top of page

地図と記号 第六部

李茶の頽落

李茶の頽落 其一

天囘北斗挂茶樓
電網世人虹蛇流
月光欲到玉門殿
别作迷宫一段愁

 

第六部では

李茶はさらに自分のしたことを了解しようとする 解釈しようとして言葉にはならず 了解して言葉にする前 それが了解した場面である それを語る しかし言葉にならない前のことを語るとゆうのは言葉にできるはずもなく聞くこともできない沈黙なのだが

 

 


李茶の頽落 其二

 

桂殿長愁不記歳
剽窃四屋起秋塵
夜懸明鏡月虹上
獨照茶楼閣里我

 
 

現存在(ダーザイン)は他の存在者の間で出来するにすぎないシトツの存在者ではないとオモコする ダーザインが存在的に際立っているのは寧ろこの存在者には己の存在においてこの存在自身へとか関わりゆくとゆうことが問題であることによってなのである

 

李茶が天竺から戻って江西省にある廬山に籠もったとき リンポチェさまに貰ったミサンガとアオテアロアのターコイズのダブルツイストを組み合わせてポンファン・フィタを作った それは複雑に絡み合い今もなお切れないでいた

一方で武帝の従妹である阿嬌はそれを見て自分の名前アプルバはリンポチェさまに付けて貰った戒名だと言った しかも阿嬌は李茶と同じ海王星の巳であることがわかって 其の奇遇に驚いた李茶は 実はもうひとつ法力の入ったターコイズの念珠を持っているので この次があれば是非それを差し上げましょうと申し出た

李茶の頽落 其三

春怨 

 

白馬金羈遼海北
羅帷繡被臥春風
落月低軒窺呂串

飛花入戶笑床腔


ダーザインのそうした存在機構にはそれが己の存在においてこの存在へと態度を取る或る存在関係を持っているとゆうことが属している しかもこれは何らかの仕方で表立って己の存在において己を了解しているとゆうことに他ならない


重逢をしない李茶が法力念珠を渡すためとはゆえ阿嬌を再び呼び寄せたことが頽落の始まりであったのだが その時は彼はまだそれに気づいてはいなかった
そしてまた茗圃での茶席が巴洛克展の前に行われた 次の土産は阿拉丁的神燈であった そこに封じ込められていたのは仁である その存在を横にして素馨茶を嗜んだ後 一通りのカラヴァッジョ作品を観て廻り そのうちのシトツである『法悦のマグダラのマリア』について 李茶は懸案であったシトツの提案をする

李茶の頽落 其四

陌上贈美人

駿馬驕行踏捲花
垂鞭直拂七条振
美人一笑簾珠捲
遙指茶樓是妾心

 
その存在者に固有なのは己の存在と共にまた己の存在を通じてこの存在が己自身に開示されているとゆうことである 存在了解内容はそれ自身ダーザインのシトツの存在規定性なのであり存在的に際立っているとゆうことはそれが存在論的に存在している事による


 

李茶が阿嬌にした其の提案とは法悦観音の角色扮演であった それにはある道具的存在者が必要であった 赤色の裙子 しかし李茶はそれを探し出せなかった 阿嬌は茶席の後で言う

「如果假使能準備那個 請來夜再一次摘夜晩的葡萄」
 

李茶の頽落 其五

怨情

美人巻朱裙
深坐憂蛾眉
但見法悦濕
不知心想誰

 
 

存在(ダーザイン)はひとりではなくぎょうさんいてるのである これを共現存在とゆう 現存在は共現存在に対して顧慮的気遣いをするが まずあが身を気遣った上でのことなので非本来的付き合いである これが世人である 世人は例外を許さない 長いものには巻かれよとゆう個性や独創性を認めないことだ それは安寧かも知れないが非本来的な在り方なので そこで情状性とゆうものを用いる事になる 例えば被投された死の気分に対し其の重さを了解するために今度は企投することだ 語りと沈黙については最初に書いたが つまり本来的なことが非本来的になることが「頽落」なのであった 本来性とはたとえ死の苦悩であってもそれと向き合い受け入れることであって非本来性とはそれから目をそらすことである ハイデガーは悪い意味ではないとするが 結局は堕落である

 
李茶は閨怨の詩人として何を考えていたのだろうか 赤色裙子の代わりになる靠垫をたまたま東酒店に見つけたことにより角色扮演は可能にはなった いつもの城酒店ではなかったのはかえって好都合でもあった 阿嬌が法悦二人进行的东西と答えたことにもよるが 結局は未了に過ぎなかった 先駆的了解もなかった 而して到来の予見もなく 時熟を待つしかなかった しかしこれをただの空談としてしまいたくなかった李茶は懊悩煩悶する 不安 恐れ 驚愕 戦慄 仰天 狼狽 そして既在を取り返すための道を模索したのが摩天轮であった 砂の門と歳月の門を探し 法力念珠と角色扮演と塔罗牌の3つに己を封じ込め現成下しようとする 摩天轮は回転した

 

 

 

「われわれは訊ねる まだ何が冒険されうるのだろうか 生そのものよりも すなわち冒険そのものよりも 一体何がより冒険的なのだろうか つまり何が 存在者の存在よりもより冒険的なのだろうかと」

 /マルティン・ハイデガー

 
 

人生實難 逢此織羅
積毀銷金 沈憂作歌
天未喪文 其如予何

 
 

一旦结束

bottom of page