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Platonic Love
ソクラテスはアガトンとの対話に於いて3つの一致点に達する
すなわち
愛とは何者かに対する愛であること
愛は所有しないものに対する一種の憧憬または渇望であること
美しきものに対する愛であるとゆうこと
ソクラテスはエロスの本質を美でも善でもないと同時にまた醜でもないこと したがってそれらの相反する中間の位置に位するとした
これはドクサを知的認識と無知との中間に置くプラトンの説に比較できる これは芸術的意図から次いで抽象的な展開に於いて愛の特徴を具体的に描写するためである
善なる知識と全然たる無知との中間に立つエロスは愛知者である けだし智慧は一種の美しきものに他ならず そうしてエロスは美しきものを愛するからである 次にエロスが人間に与える利益は第一に人間は善きものを つまり幸福を それ自らのために欲求する しかもそれを永遠に所有せんと欲する これすなわちエロスの働きである 結果として不死が要求されるが しかるところ必滅者たる個人は可能な限りこの欲求を満たすために生殖によって個体の延長を図る その生殖もまた肉体的心霊的の如何を問わず 美しきものに於いて行う そこで話は美の性質の検討に移り 美は体や道徳や精神上の様々な形に於いて顕れる
さて肉体的生殖の本能的欲求は不死の要求の初歩的形態であろう さらに高きは精神上の自覚的生殖によって達せられる精神的不死である
霊感に動かされた先達の導きの下に正しき途を進む者に於いてはそのエロスは漸次に進歩の段階を昇る すなわち最初はひとつの美しき肉体に対して愛を感ずる 次には肉体的に美しき全てのものに対し それから慣習や制度の美に対し さらに進んで霊上の美に対し 次には学問上の美に対し 終いには美しきイデアから永劫不易にして純情神的なる唯一絶対の神々しき美のイデア 一切の有限なるものが与かるところの美自体 美の原型ないし絶対美に対する愛を体験するに到る この最後の段階に於いて働いているエロスは純粋なるヌース 熱烈にして生産力ある思考 すなわち「理性の情熱」である エロスは哲学的推進力 畢竟 智慧の愛すなわち渇望に他ならず 智慧は徳の最高位として人間にとって善のもっとも本質的なる形である
かようにプラトンのフィロソフィアは机上の学問ではなく 生活の仕方であり 道であり また態度であると同時に教育的体系である 最終目的を達するまで エロスに駆られて美が関与する経験のあらゆる段階を通過し 社会的ないし知的交際のあらゆる種類の研究によってその心を豊かにする 純粋なる思考に終始せず 感覚的美に対する欲望にも終始せず 守護神たる神霊のエロスのごとく 哲人は単に真理の探究に留まらず 本質的必然的に教師でもある ここに至るには魂は学問を超越せねばならず 推理的に美を認識するのではなくて むしろ美の本質に接触し 直観し 至極突然に啓示される
(「饗宴」序説より抜粋)