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光子はかく語れり

癖は本能時にあり・補講

光子はかく語れり

光子はかく語れり (癖は本能時にあり・補講)





筒井の筒井順慶には筒井帝子と藤田電子(でんこ)とゆう人物が出てくる 前者が誰をモデルにしているかは読み取れなかったが 後者は光秀の重臣のひとり藤田行政(通称は伝五郎または伝五 ※麒麟がくるでは徳重聡)である 筒井当然の如く話は次第にシミュラクラして現在と過去が入り交じってゆくのだ そこでこの展開をどうするかとゆうと 用意したふたつのゲートウェイのオチにたどり着けなかったシトもいると思うので ぼくもさらなる続編を書くことにしたが 筆者はまだナンモ考えていないのである とゆうことはいつものごとく使い回しを使い回して発作的に進めることになるから とりま主人公だけは設定しておこう 電子に相対するのは陽子とゆうことになるが これでは話が繋がらないので 光子(みつこ)にしよう 量子も使える それがいいそれがいいとゆいました まる


しょの1・流れよ我が涙、と光子は言った

初期高圧宇宙にもともとあった水素原子(陽子)は 陽子と中性子のくっついた重水素 重水素に中性子が捕まった三重水素 さらに三重水素ベータ崩壊してヘリウム3を生み ヘリウム3中性子を捕まえてヘリウム4を生み リチウム7とベリリウム7を生む しかしまだ電子は飛び回っていた これをプラズマとゆう ドンドンはドンドコを生むように 精子スペルマが裸のママで激しく飛び回っているような状態である この時点では光子は電荷に閉じ込められていた さらに宇宙は怒張しリビ度は下がり続けた 勢いの落ちた電子は原子核に捕まり 電気的に中性な原子が生まれる この時初めて光子は自由になり宇宙空間を突き進んだ

「チー」
光子は鳴いて馬謖を切った

「論!」
上家の荘子が牌を倒した
「午一色 満願」

下家の老子がほほほと笑う

「何ですって」
光子が雀卓から牌をたたき落とすと 時間が滝のように流れ
                           落
                           ち
                           た


しょの2・食い改めよ仲達、と光子は言った

紀元前500年頃 魯国昌平郷辺境の陬邑(現在の山東省曲阜市) "Confucius"光子は夜空を見上げてこう詠んだ

(子曰)為政以徳 譬如北辰居其所 而衆星共之
子の曰わく 政を為すに徳を以てすれば 譬えば【北辰】の其の所に居て 衆星のこれに共するがごとし

しかし当時の北天のまさにその位置にそのような【星】はなかった 光子は何を見たのか? そのとき こぐま座αポラリス(鉤陳大星)は北極から約14度離れていた 紀元前1年頃でもまだ こぐま座β(帝星)の方が近い(約6度) 1000年頃つまり朱子の時代でさえまだその位置には肉眼で見える星はなくキリン座Σ1694(天枢)があった ちなみに紀元前2500年頃ではりゅう座のα 紀元前58,000年頃にはうしかい座α星のアークトゥルス 1500年以降(清代)になってようやく 鉤陳 が位置する
現在 北極星(Pole star)は2000年で約0.7度 2102年に最も近づき約0.5度 その後はまた離れていく 歳差運動のため約2万5千年周期で同じ行程を移行するのだが 一万年の後 その位置(北極星の位置)にあると云われるのは はくちょう座α【デネブ】(11,600年頃)を経て 琴座αの【ベガ】である(13,700年頃) もうひとつ付け加えると ベガは紀元前11,500年頃にもその位置にあったのだ

「チー じゃなくって ポン」
「ちょっとちょっと くいかえまにまにまにまにまにまにだすき」
「あら いいじゃないの どうせサンマにチーはできないでしょ」
「まそれはそうだが でも姐さん 馬謖は結局切らないのですか」
「馬謖なんて牌があるわけないじゃないの なにが午一色なのよ」


良寛:

天の川 やすのわたりは近けれど 逢ふよしはなし秋にしあらねば
久方の 天の川原のたなばたも 年に一度は逢ふてふものを
人の世は うしと思へど七夕の ためにはいかに契りおきけむ

山上憶良:

天の川相向き立ちて吾が恋ひし君来ますなり紐解き設けな (万葉集巻8 1518)
久かたの天の川瀬に船浮けて今夜か君が我許来まさむ (万葉集巻8 1519)
風雲は二つの岸に通へどもわが遠妻の言ぞ通わぬ
秋風の吹きにし日よりいつしかとわが待ち恋し君ぞ来ませる
牽牛(ひこぼし)の思ひますらむ情(こころ)見る吾(われ)苦し夜のくたちばな

その他:

七夕の逢ふ夜の庭におく琴のあたりにひくは笹蟹の糸 (寂蓮法師 六百番歌合 秋部#324)
七夕にかしつる糸のうち延(は)へて年の緒(お)ながく恋やわたらむ  (古今集 180)
天の川門(と)渡る舟のかぢの葉に思ふことをも書き付くるかな (後拾遺集 242)
七夕の門(と)渡る舟のかぢの葉にいく秋書きつ露の玉章(たまずさ) (新古今 320)
袖ひちてわが手にむすぶ水の面にあまつ星あひの空を見るかな (千載集 316)


しょの3・星の海に魂の帆をかけた女、と光子は言った

枠物語として異なる時間線と平面航法の話でもある 七夕の相会伝説で忘れてはならないのが二人の橋渡しをするとゆう鵲(カササギ) 鵲の橋とは中国の伝説で旧暦の7月7日の七夕の日にカササギが翼を並べて天の川に渡す橋の名前 この橋は織姫と彦星が出会うためにできることから 男女が良縁で結ばれる事を意味する 淮南子あたりが出典
日本では菅原道真の詩に牽牛(の方)が渡ると詠まれている 新古今集や小倉百人一首に大伴家持の歌がある 季語としては初秋だが 家持の歌は七夕の歌ではなく冬の歌である
かささぎのわたせるはしに置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける :中納言家持(6番)『新古今集』冬・620

東風戦 第一局三本場 起家信長の連荘が続いていた

「リーチ」
北家の光子は立て膝の艶姿で牌をぱしっと横に曲げた

「みっちー何待ちかな 第一打の四万が光ってるね」
南家の家康が尋ねると

「教えてあげるわ 引っかけのぺちーまんよ」
それを聞いた西家の秀吉が北を切った

「ロン リーチ一発三暗刻対々東北 とゆうより高めの大四喜 役満ね」
「ええっ いま待ちは辺七万ゆいましたやん?」
「だから北と七万のシャンポンで『ぺ・ちーまん』ゆうたでしょ うそはゆってないわ」

そのとき東家 信長の顔色が変わった


回文:
長き夜のとをの眠りの皆目覚め浪乗り船の音のよき哉
なかきよのとをのねむりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな

星路見ゆ漕ぎて不知火闇の夜の雅び濡らして聞こゆ満ち潮
ほしちみゆこきてしらぬひやみのよのみやひぬらしてきこゆみちしほ

汝が月が残る夜空か本木なき輩ぞ寄るこの垣内かな
なかつきかのこるよそらかもときなきともからそよるこのかきつかな

薔薇園は黙して言はで小宇宙失せては出でし雲端の空は
はらそのはもくしていはてせううちゅううせてはいてしくもはのそらは

translated by Lafcadio Hearn
(1)

天の川相向き立ちて吾が恋ひし君来ますなり紐解き設けな

He is coming, my long-desired lord, whom I have waiting to meet here, on the banks of the River of the Heaven... The moment of loosening my girdle is nigh !

I'm not kinda guy aim to touch, aggle cause wishes must know, hymn takin more nigh
/// kalcha 空耳意訳

(2)
久かたの天の川瀬に船浮けて今夜か君が我許来まさむ
Over the Rapids of the Everlasting Heaven, floating in his boat, my lord will doubtless deign to come to me this very night.


しょの4・走れメデス、と光子は言った

アルキメデスはガリレオよりもっと古いアリスタルコスの地動説を知っていたのである エウレーカ

晋書でよく詠われる星は 天狼星(シリウス)老人星(カノプス)など 中国の古典に恒星はあるが 惑星とゆう語はない 歳星(木星) けい惑(火星) 鎮星(土星) 太白(金星) 辰星(水星)であり 五行に当てはめることもできるが 五行の順は月火土金水である 月を例外として 地球より水金が内側 火木土が外側にあることは ホット星とクール星の分類に相応することである
西洋では天動説の親方プトレマイオス(紀元前2世紀頃)は 惑星の並びかたについて
「月 水星 金星 太陽 火星 木星 土星」とゆう順番が適当とした 太陽を真ん中に持ってきたのは惑星配列の中心にすべきとゆうもの
ちなみにプラトン エラストテネス アルキメデスらは 「月 太陽 水星 金星 火星 木星 土星」としている さらに遡ると 紀元前7-6世紀頃のカルデア人(古代メソポタポタつまりバビロニヤですね) 彼等は新バビロニヤを建国する千年も前から夜空の星をグループ化していた 星座や位置関係の変わらない恒星間でミョーな動きをする惑星を知っていた これらを「カルデアの知恵」と呼ぶ
特に重要なのは 「太陽は一年で天の道(黄道)を一巡りする」 「月と惑星は常に黄道付近にある」これは古代天文学の基本であった
もうひとつ 恒星の規律正しい集団行動に従わない惑星の動きは神々の意図 とゆうもの 彼等は一日を24時間に区切ったり一週間という区切りも考案した そしてそれに惑星の名前を当てはめた

以前「一週間の歌」のリリス陰謀説を考えたときは気づかなかったが 当時知られていた水金火木土に太陽と月を加えて 地球から遠い順に土木火太陽(日)金水月としたらしい さらに週の最初の一時間が土星の支配下~順次24時間に当てはめていき それぞれの曜日に一日の最初の一時間を支配する惑星の名前をつけたとゆう 時間が惑星によって支配される これがつまり 占星術の基本である 東風戦は光子の役萬和了でひとり勝ちに終わったが いまいちスッキリしなかったのは信長が面白くなさそうな顔をしていたからだった

対局がはねた後 光子は行きつけのバー「ボタンヌ」へ立ち寄った
店には王婆量子ママと常連の武大が座っていた とゆうかいつものごとく寝ていた


しょの5・たったひとつの冷めたおざ式、と光子は言った

「宇宙には特権的な場所はない」とゆうのがコペルニクスの原理である  ダーウィンの進化論が登場し宗教サイドからの攻撃の矢面に立つ役目を一手に引き受けてくれるまでコペルニクス説は人間のモラルを堕落させるものだと非難され続けた  モンテーニュも「宇宙は人間のために造られた」とは人間中心の思い上がりと批判した  これはアリストテレスの自然学に基づいている
しかしコペルニクスの仕事は人間を「宇宙の中心」とゆう「良い場所」から「追い出す」ものではなかった  ゲーテは「宇宙の中心とゆう特権を放棄して初めて人間の真の尊厳に気づいた」と評価した  カントは科学と哲学の扱う対象は違うのだとゆうことを「私の上なる星空とわたしの内なる道徳法則」とゆう言葉で示した ニュートンの無限宇宙は永遠不変の時間空間とゆう枠組みの中に物質が
糸色女少
なバランスで分布している宇宙であった アインシュタインの宇宙モデルも神の介入がないと重力崩壊することを解決するための定常的宇宙であった
しかし 一般相対性理論が20世紀初頭に発表された後 ソ連のフリードマンやベルギーのルメートル(物理学者だが司祭でもある)は 重力場方程式は宇宙空間が全体として膨張する可能性があることに気づいた 宇宙が膨張しているのなら時間をさかのぼればしまいに一点になるのか その瞬間が宇宙の誕生なのか そしてそれは誰が造ったのか

新宿の伝説的バー「ボタンヌと豆の木」にて

「あら 武大さん お見限りッ」
光子は ナルコレプしている色川の背中を叩いて言った

「ああ さっきまで陽子ちゃんと電子ちゃんもいたはずだけど」
まだ眠そうな色川だったが

「あの ふたりプラスとマイナスだから くっついてどっかいっちゃったみたいよ」
ママの量子も そう口を挟むとどっかへ行ってしまう

「ところで 武大さんの本で『東一局五十二本場』ってあるでしょ アタシ持ってたんだけどどっか行っちゃってさ あらすじは覚えてるんだけどオチが思い出せないのよ どうなったんだっけ」
「うーん おれも忘れた」


しょの6・天の光はすべてfossil、と光子は言った

1970年 プリンストン大学での国際会議上 ケンブリッジ大学の物理学者ブランドンカーターは極めて特異なアイデアを公にする ホーキングはいち早く注目し自分の論文中でもその仕事に言及した さらにブラックホールの命名者ホイーラーもそれを論文にしなさいと薦める ちょうどこの頃ビッグバンモデルと定常宇宙モデルに大きな関係変化が起こっていた アメリカのニュージャージー州ベル電話研究所 アーノペンジアスとロバートウィルソンは 通信衛星からの受信アンテナを電波望遠鏡に転用し宇宙の電波源を調べていたところ 宇宙のあらゆる角度から飛び込んでくる出先不明な雑音があった しかもその破調分布はどの方向でも皆同じ 絶対零度から3度だけ高い黒体放射スペクトルであった そのころすぐ近くのニュージャージー州プリンストンでは 宇宙物理学者ロバートディッケとジェームズピープルズが 初期宇宙に自由になった光は波長1mmの電波として検出されることに気づいた その彼等の論文原稿を読んだ物理学者の中に ペンジアスとウィルソンから謎のマイクロ波の相談を受けていた者がいたのだ そこでそれを伝え聞いたペンジアスはディッケに電話する ディッケはちょうど望遠鏡建設プロジェクトの会議中であった 一通り話し合ったあとグループにこう伝えた 「諸君 我々は先を越されたよ」 双方の論文は1965年天文学の同じ専門誌の同じ号に掲載される ベンジアスとウィルソンは1978年ノーベル賞を受賞する こうして 初期宇宙の「晴れ上がり」で自由になった光が検出された で 今週のオチはとゆうと 空間で粒子と反粒子が対消滅すると少なくとも二つの光子が生成されることを別の見方をした場合 光子は自身の反粒子と考えることもできる 逆過程の対生成は ガンマ線等の高エネルギーの光子が物質の中を進む間にエネルギーを失う過程である この過程は 原子核の電磁場で「一つの光子を生み出す対消滅」の逆過程である
ボタンヌの量子ママによると
光子は屈折し自身とも干渉するが 位置が明確に測定できるとゆう粒子としての振る舞いも見せる とゆうことだ

 戦国時代に於いては 体系は一種の有機体で その統一の中にこれを構成する要素的単元が殆ど摂取されてゐるのである 個々の武将つまり物理的単元が体系の中に入ると その個別性は大部分消失して体系そのものの一段大きい個別性に融け込む 一つの体系に属する物理的単元を個別化するには その単元を体系から剥ぎ取つて、それを全有機体に結びつけてゐる紐を断ち切らなければならない さう考へれば 光子が体系の中に入り込んでゐる時には観測することが出来ず 光子を把握した時には体系が破壊してゐるといふやうな関係にある個別的単元及び体系の概念が どういふ意味に於いて補足的であるかといふことがわかつて来る 地球から最も近い恒星はプロキシマケンタウリで (重力レンズで見える)最も遠い恒星はイカロス それぞれ今から約4年前と93から144億年前の像である


「ハカセ オチになってないとゆうご意見が出ていますが」
「ぢゃかましぃっ 今週は光秀の謀反の真相について古代天文学と占星術との関係を陽明学と量子力学的にマクロとミクロをウロボロスしてファンキー麻雀したのだ」
「はいはい で オチは?」
「ない


檬檸

たっ言は子光と“Υ>|⊃OWЯ∃Σ|Σ|Αし”・7のょし

我々は鏡に映る像を左右反対と認識する ではなぜ鏡は上下反対に映らないのか? この「鏡映反転」は これまで1つの現象と考えられてきた しかし自分の鏡映反転と文字の鏡映反転は それぞれ別の理由で起きる別の現象だということがわかった

萄葡


しょの8・いま汝 そうね代替ね、と光子は言った

鏡像時計を置いている散髪屋がある 貴方の正面写真を誰かが撮ったとする それは鏡に映った貴方と同じものか? 貴方が鏡に向かって右手を挙げたとき 鏡の挙げている手とは右手か左手か?

前回の萄葡と 前々回の檬檸 はおかしいと気づいたシトは居るだろうか^^
BJ に内蔵逆位(左右が反転している)患者のシリツでパニクる話があってピノコが鏡に映してやんなさい とゆうのがあったが そもそもBJは自分のシリツをミラーテクニック(歯科用語)でやっているはずだが 鏡台のように直角に二つ並べて合わせ鏡はしていない
鏡像がなぜ上下反転しないか とゆう理由については 人間の両眼が水平に並んでいるからだ ではどうだろう もしも縦に並んでいたら? → 片目でも反転はする でわ写楽呆助は? 天津飯は?

薇薔


しょの9・あなろぎて みめーしすつ ぱろであす、と光子は言った

Jabberwocky
'Twas brillig, and the slithy tobes
Did gyre and gimble in the wabe;
All mimsy were the borogoves,
And the mome raths outgrabe.

二行目
まんまにて ぐるてんしつつ ぎりねんす(高橋康也訳)
まんま とは
まんまえにも まうしろにも(拡がっている)とゆうこと
ぐるてん とは
ぐるぐる回転すること
ぎりねん とは
錐でねじって穴を開けること

前後普角に転し錐しけり(柳瀬尚紀訳)
まはるかの中に環動穿孔、(岡田忠軒訳)
まはるかのなかを ぐわりきりさす、(多田幸蔵訳)
まわるかのうち じゃいってきりる(矢川澄子訳)
くるくるじゃいれば、もながをきりれば、(生野幸吉訳)
まひろきりして(芹生一訳)
まはるかに くるるきりさし(高杉一郎訳)
まわらくろまに つどよめでかり(中山知子訳)
ぐるぐらなける、ずどり、(北村太郎訳)
螺旋角もて丘腹を刳る(石川澄子訳)
にひろのちにや ころかしきりる(高山宏訳1)
にやなれてはくるくるきりきり(高山宏訳2)
はるかまにぐるまる、ぎりばる。(高山宏訳3)
他多数


しょの10・それでも点棒は動く、と光子は言った

(E pur si muove)
ボタンヌの量子ママはテキトーがモットーだが どんなときでも 水割りの濃さは同じであった よって測定値の確率分布が同じなら どんな混ぜ方でもよいとゆうことだ
たびたび過去を改竄しようとする著者の 時間発展についても

例えばシュレーディンガー描像のようなものから次のように定義される
|φ(t)〉=U(t)|φ(0)〉
このユニタリ発展においてホーキングとペンローズの意見は対立した

水で割るからである 男は黙ってストレート

そもそも科学は「自然現象がなしてそげなことになっているか」に答えていない アウグスチヌス(354)までは「宇宙の姿はどーでもよろし 教会の知ったことではない」だった ピタゴラス(BC.582) フィロラオス(BC.470) プラトン(BC.427) そしてアリストテレス(BC.384)の自然体系は余りに独創的であったからだ ヒッパルコス(BC.190)が古代天文学体系を成立させるが プトレマイオス(83)は「天は本質的にわれわれには理解できやんのやし わかったようなつもりになったらあかん」と主張した アリスタルコス(BC.310)だけが古代から太陽中心説を唱えたがそれは異端であった 13世紀くらいになってやっとトマス秋ナス(1225)あたりからダンテ(1265)の「神曲」などに至るが まだその体系と神学大系は完全に融合せず「薔薇のまなえ」事件などが起こった 檸檬 葡萄 薔薇などが 檬檸 萄葡 薇薔と書かれていても気がつかないとゆうことは 人間の認識とはその程度なのだ コペルニクス(1473)が出てくるまでは
つまり天動説が地動説になったとゆうおおさわぎである 驚天動地 これを「コペルニクス的転回」“Copernican Revolution”とゆう そして ティコ(1546) ガリレオ(1564) ケプラー(1571)と続く ガリレオの愛読書はダンテ『神曲』だった

以下 やおい


しょの11・知を捨てよ 無知へ出よう、と光子は言った

太陽が宇宙の中心だ とゆうコペルニクスの転回した時期に ティコブラーエの助手の若きヨハネス・ケプラー(1571-) は天文学者として初めて全面的にこれを支持し年上のガリレオもそれに賛同した ケプラーは惑星が6個(当時発見されていたのは土星まで)存在することは正多面体が5種類しか存在しないことと関連があるに違いない と考えた
紀元前 3-4世紀のギリシャ数学では調和と均整が重要なテーマだった  ユークリッドの頃には既に五種類の正多面体が知られていた また五種類しかないことはプラトンの友人ピタゴラスらが証明した プラトンは「ティマイオス」で四元素に関連づける 例外は正12面体であり これをエーテルとした

正多面体には正多面体が正多面体を生み出すという面白い性質がある

正6面体→正4面体→正8面体
↑         ↓
正12面体←正20面体

正6面体ABCD-EFGHにおいてA-CFHは正4面体になる
正4面体の各辺の中点を結んでできる多面体は正8面体となる
正8面体からは黄金比などを活用して正20面体が作られる
正20面体の各面の中心を結んでいくと正12面体になる
同様に適切に頂点を選ぶことにより正12面体から正6面体が作られる

プラトンの5つの正多面体の内接球と外接球を割り当てると

正八面体の  内接球を水星の軌道 外接球を金星の軌道
正二十面体の 内接球を金星の軌道 外接球を地球の軌道
正十二面体の 内接球を地球の軌道 外接球を火星の軌道
正四面体の  内接球を火星の軌道 外接球を木星の軌道
正六面体の  内接球を木星の軌道 外接球を土星の軌道

とみることができる これが単なる偶然だとゆうのか

さらに大きな問題として 火星と木星の間にあったはず?の第5惑星はこれには該当しないのである 第5惑星消滅の理由に関係があるのか 正四面体には何か謎があるのだろうか

およそその大半が誤った推論なのに 最後の数章に2000年の停滞を打ち破る逆転科学が発現した もちろんケプラーのこの推論は間違っていたが そのおかげで科学は発展した 惑星の楕円軌道の証明がケプラーの法則(1609)であり それをもとにニュートンは万有引力の法則を発見する チチウスボーデの法則は18世紀のことである
ケプラーの第一第二第三の法則は 科学史上最初の宇宙に関する法則である この本を書いたときケプラーはまだ25歳であった さらに彼は惑星が円運動ではなく楕円軌道を描くのは 太陽からなんぞそれをいごかす力が出ているのではないかと推論した それが「光子」ではないかと?


 ※この時代に量子力学はありません^^


「パトラッシュ、、、」
「はいはい ハカセのゆいたいことはわかってますよ」
「ちっ それなんだが」
「ぼくもう疲れたよ とかゆうてさぼりたいんでしょ」
「積ん読たまってんの」
「図書館できて便利でも ためこんだらおこらえるよ」
「今回もだいぶ借りた」
「おまけに 気に入った本をまた密林で購てるでしょ」
「しーっ そりわ内緒」
「図書館品揃えは良いが ハカセの趣味本は少ないよ」
「出張取材に行きたい」
「書を捨てよ 街へ出よう、と光子は言った でしょ」


>書物に含まれる数々の弱点は 往々にして 実現され得なかった空しい意図の代償である そうした意味からすれば 意図を宣言するとゆうことは 実現された書物は理想的な書物に比べて貧弱であると宣言することに等しいとG・ドゥルーズがゆうている 小ネタでホイは 一方では一種の推理小説である 他方ではサイエンスフィクション(知の虚構)のたぐいである  前者においては どの概念も局所的なシチュエーションを解決するために 影響力を行使できる範囲で介入できるとゆうことだ 諸概念はそれなりの支配圏域があり そこでは諸概念が「ドラマ」との関係において かつある種の「テキトー」の諸方途によって行使される それぞれの概念は それらだけで一貫性を維持しなければならないが それらの概念に由来したものであってはならない それは おのれの一貫性を 他から盗作・盗用・模作・模倣・翻案・パロディ化・剽窃・パクリ・二次創作・転用・リライト・改作しなければならないのだ ベンヤミンはパリの遊歩道を歩くのはボードレールを模倣することだとゆうた カイヨワは遊びには「アゴーン」(競争・試合)「アレア」(賭け・運)「イリンクス」(眩暈・一人遊び)とともに「ミミクリー」(模倣)があると指摘した それ以前にもタルドが先駆して『模倣の法則』を書いて「社会の本質が模倣である」としている 古代ギリシアの哲学や詩学は「アナロギア」(類推)と「ミメーシス」(模倣)と「パロディア」(諧謔)の三つが〝方法の王〟であることを見抜き 世阿弥は芸能の本質が「物学」にあると見抜いた そもそも模倣に哲学や思想があるとは考えられていなかったのである よって社会は模倣を想像力の欠如だと糾弾した しかし小ネタでホイはただ衒学趣味的シッタカブッタかを書くのではないとすれば それはおのれの痴の先端でしか書かない すなわち血と鞭を分かちながら しかもその血と鞭をたがいに交わらせるような極限的な先端でしか書かないのだ 知が無知を埋め合わせてしまえば それは書くこと(エクリチュール)を明日に延ばすことになるだけだ しかしそれは読者にとってのレクチュールでもあるのだから ※参考:松岡正剛



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