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Marbre 3

そのとき「橋」から見えた物が全ての暗合の始まりであったことに
ぼくはまだ気づいていなかった

 

その物の麓にあったのは命の水である

プロメテウスの火は諸刃の剣でもあった 推して知るべし
では 水は何なのか

 

ヴェーダに依ればカーマが出現した時
無はなかった 有もなかった 時間も空間も 星々も生もなく
水だけがあったとゆう

 

水は揺らぎを生じ 揺らぎは熱(タバス)を孕む
そして熱は 意識を帯びる
意識は 在りたいとゆう意欲(カーマ)なのであった

 

Ep6でダースベイダーは火葬されたが
四大元素は生のみならず死ともかかわっている

 

その四大元素への還元の儀式とは

火葬 風葬 水葬 土葬 である

日本では仏教伝来以前は土葬
魂が還る場所として焼却はしなかった
「殯(もがり)」の習慣である

仏教はこれに火葬による消失をいたむものとして
「哭(みね)」が行なわれた

 

バシュラールは 生死の儀礼に対しての想像力として

>「存在の根源を掘り下げるものであり, 存在のなかに, 原初的なものと永遠的なものとを同時に見いだそう」として働くものであり, 存在論的な変貌を刺戟するものなのである と定義した

 

水は 諸元素のなかでも特殊なもの 独得の内密性をもつものとされている
泉の水は生の誕生であり 川の水は流動であり 海への回帰は生と死の根源的な還流をものがたる
日常的な死はまさしく水の死である

 

さらに 死者の眠る闇の大地から光の空へと向かう物が
水にゆだねられる樹木である
これが聖樹伝説

大運はまだ帰蔵易の未の時代だが
単年度では午未の水星から来年以降は申酉の木星の時代が来る

橋から2ヶ月後


命の水 Bar Eau de Vie のテーブルには

二つのカクテルが用意された

Yang-gui-fei と Artemis

 

どちらも月がテーマになったのは必然というものだろう
月は地球のエヤクラチオンであるからだ
リリスの子リリムはサキュバスなのだ

 

Blue Moon だと「once in a blue moon」つまり「極めて稀なこと」「決してあり得ないこと」の意味から来ていて
「完全なる愛 Parfait amour」とゆう意味はあるものの
もうひとつ「できない相談」とゆう意味もあるのが困るところだ

 

しかし不吉の前兆ではない

杯に浮かぶ月を飲む?   李白
酔ひしれた月がある?   山頭火
觴を重れば忽ち天を忘る? 陶淵明

もう一ひねり欲しいね

島根に李白酒造とゆうところがある
李白は天子の側近になりたかったが
そゆことが眼中にない陶淵明に羨望の念を持っていた

 

月下の独酌

 

   花間 一壷の酒
   独り酌みて 相い親しむもの無し
   杯を挙げて 明月を邀(迎)え
   影に対して三人と成る
   月 既に 飲むを解せず
   影 徒らに 我身に随う
   暫く月と影とを伴って
   行楽 須らく春に及ぶべし
   我歌えば 月 徘徊し
   我舞えば 影 凌乱す
   醒むる時 同(とも)に交歓し
   酔いて後 各々分散す
   永く無情の遊を結び
   相い期す 遥かなる雲漢に

 

花もあるし 酒もあるが 友がない
月に杯をあげれば 影とぼくの3人になった
しかし 月は酒を飲まんし 影はぼくに添うだけ
ま いっかー
月と影とぼくが交われば 月が舞い 影は踊る
それで酔えたら えじゃないか
これが あそび人の軽さんよ
あとは しばし待たれい
先に逝った傍輩たちよ

長き夜のとをの眠(ねぶ)りの皆目覚め浪(なみ)乗り船の音のよき哉(回文)
 

焦がれども 今手に見やれ朝顔か さあれ闇にて 舞い戻れ過去(回文)

梵天丸は 好事家より好々爺に かくありたい

はからずも それは卯の日であった

ぼくは24年の間 月の兎だと思っていたのだ
それが自分と全く同じ星であることを知った時
月虹のもとで初めて結ばれた

蛇の年 鳥の月 兎の日

芽 と 花 と 種

三合ではないがこれ以上ないとゆう組み合わせ
種と花とゆう対極を組み合わせれば火花が飛ぶ
そこにすべてが芽吹くのはゆうまでもなかった

しかし 最初に声をかけたのはイザナミであり
そのゆえ翌日には恵比寿に向かうことになったのかも知れない

だから 犬の月に船倉の壁に映された3DMAPを見たことも
再び実を結ぶための至極当然の通過儀礼であったとゆうことだ
結実は熟し猪の月に城の光の下で身を寄せ合うことになるのだ

全てが繋がっていたのだ

© 2015-  by kalcha

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